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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Honey so sweet.


 ワインを大量に入手したことは云い訳であったのかもしれない。何かきっかけが欲しかった。自分から会う約束を取り付けるため、そのためだけの言葉を探していたのかもしれないと後になってアドニス・キャロルは思う。まるで小間使いのようにしてモーリス・ラジアルを呼びつけるようなことはしたくなかった。いくら抱えて歩くことができないほどの本数のワインを入手したからといって、運んでもらうそのためだけにモーリスを呼びつけるようなことをすれば不快に思われるのではないかという不安を覚えるせいだ。自身のために購入した赤ワインとは別に購入した特別な一本。その味を共にしたかった。それが自ら連絡をとった本当の理由だった。そのために何かきっかけがほしかった。それだけだ。


 その日、モーリスの元に入った連絡は思いがけない人物からのものであった。ワインを大量に購入してしまった。だから運ぶのを手伝って欲しい。ただそれだけの素っ気無い連絡であったけれど、モーリスには何故だかそれがひどく嬉しいもののように思えた。恋人だといえどもこれまでアドニスからどんな理由であれ来てほしいのだという旨を告げる連絡がもたらされたことは数えるほどで、多くはモーリスが連絡を入れ、会いに行くということがいつからか常となっていた。常となったことが思いがけず覆されることは決して不快ではない。その相手が恋人であれば尚更だ。だからたとえ理由がどのようなものであれ、モーリスはその呼び出しを面倒なことだと思うどころか嬉しく思うのだった。
 指定された場所へ車を走らせれば、購入したワインを足元に置いてどこか手持ち無沙汰な風のアドニスがモーリスの訪れを待っていた。人々が行き交う街の雑踏のなかで銀色の髪に長身のアドニスはその整った容貌も手伝ってひどく目立ち、擦れ違い様にその横顔を盗み見る人も決して一人や二人ではない。そんな彼のすぐ傍に車を止め、車を降りれば、申し訳なさそうな表情をその面に描きながらも会えたことを喜ぶ様を隠すでもないアドニスが謝意を告げた。
 それから二人は特別何を話すわけでもなく、当然だとでもいうような滑らかな動作で大量のワインをトランクに積み込み、アドニスの住処である廃教会へ向かった。車中にはただ規則的なエンジン音と時折思い出したように紡ぐ二人の声だけが響く。無駄な音楽は響かず、遠慮を知らない言葉を流し続けるだけのラジオも沈黙を守ったままだった。
 どれだけの時間が流れたかは判らない。廃教会へ続く道をモーリスは既に記憶していてアドニスにナビゲーションしてもらう必要はなかった。まるで自宅へ戻る滑らかさで車を走らせ、辿り着いたそこで車を止める。
「ワインセラーに運ぶのでしょう?」
 モーリスが云うとすぐさまその言葉の裏にある意味を覚ったアドニスは、
「ではお礼に良いワインが手に入ったので、それを」
とまるで初めからそうするつもりだったのだとでもいうようにして返した。
 どちらからともなく笑ったのは、こうなることを言葉にすることもなく判ってしまう自分たちが可笑しかったからだ。改めて言葉にする必要もなく考えていることが判る。それがなんだかこそばゆいような、しかしそれでいて心地良い不思議な感覚を連れてくる。他愛もない言葉を交わし、他愛もないことで笑い合いながら廃教会のなかへとワインを運び入れると、アドニスはワインセラーへは自分で運ぶと云い、祭壇のある古びた気配を醸しながらも美しいステンドグラスの前で待つようモーリスに告げるとラベルを一目見ただけで高価なものとわかるワインを祭壇の上に残してワインセラーへ続く階段があるほうへと姿を消した。
 その間、どこか手持ち無沙汰であったモーリスは訊ねるまでもなくワイングラスの在り処へと足を運び、二人分のそれを手に再びどこか手持ち無沙汰な様子でアドニスの仕事が終わるのを待つのだった。
 色鮮やかなステンドグラスを透過して射し込む陽光はさまざまな色をまとって床を彩る。祭壇に凭れるようにしてそれを眺めながら、モーリスはふと目についた赤の色彩にアドニスが一応は吸血鬼であることを思い出す。血を欲することなくワインで生き長らえているといえども、乾きを覚えることもあるのではないか。思えば自身に流れる血の一滴で潤すことができるのならと思い始めている自分に気付く。アドニスはまだワインセラーから戻らない。モーリスは薄く笑みを刻んで、祭壇に置かれたワインの封を切った。そして二つのグラスにそれを注ぐと、僅か自身の指先を噛み切りアドニスが手に取るであろうグラスへ数滴、自身の鮮血を落とすのだった。暗い赤をまとうワインに落ちた数滴の血は瞬く間に溶けて、一見しては判らないかのようにワインの色に同化する。血を含むワインを口にした彼は一体どのような反応を見せるだろうか。思いながらモーリスが暫しの時間を過ごすと、待たせて申し訳なかったというような体のアドニスが詫びる言葉と共に戻ってきた。
 そして乾杯を誘うようにグラスを差し出すモーリスに答えるようにして血を含むワインが注がれたグラスを手に取り、乾杯と小さな声で呟くとグラスを触れ合わせる。微かに響く硬質な音を合図に、二人ほぼ同時にグラスに口をつけて、モーリスはどこか幼い悪戯をしたような子供のような笑みを浮かべてアドニスを見た。アドニスは僅かに困ったような顔をしてモーリスを見ている。彼はあまり自分の生態を好ましく思ってはいなかった。口腔に残る血の味が否応なく引き出す自身の生態の浅ましさを許容することができないのだ。しかしモーリスはそんなアドニスを気にすることもなく、祭壇の上にグラスを戻すと恰も誘うかのようにしてアドニスの頸に腕を絡ませた。
「たまには素直になって下さい」
 耳元で囁かれるモーリスの声にアドニスは自身の理性が揺れるのを感じる。
「……傷つけたくないんだ」
 云う声は理性を押し殺そうとする本能を拒もうとしているかのように低く、アドニスの手は頸に絡むモーリスの腕を解こうとする。だがそれはモーリスの頸筋が視界に映るそれまで抵抗であった。本能はいとも容易く理性を凌駕し、次に理性を取り戻した時にはモーリスの頸筋に歯を立てていた。吸血がもたらすは甘やかな痺れで、モーリスはアドニスの頸に腕を絡めたまま淡い笑みを浮かべる。遠退く意識さえも気にならないほどにそれほひどく甘美なものであった。
 一体どれだけの間そうしていたのかは定かではない。名残惜しむようにして頸筋を離れたアドニスの唇の温度。次いで訪れる貧血による立ち眩みにモーリスは僅かよろめきながらも、満たされた表情を見せるアドニスに笑ってみせる。そして、美味しかったですかと訊ねた。その一言にアドニスは罪悪を覚えずにはいられない。支えをなしには一人で立つこともままならないモーリスに腕を抱きとめ、痛々しいものを見るかのようにして答えることをしないアドニスにモーリスは笑みを浮かべたままだ。満たされていないのだといったら嘘になる。しかし満たされたと答えればそれに伴う罪悪感とも向き合わねばならなくなる。そうした思いがアドニスを無言にさせる。そんな彼に出来ることといえば、一人で立つことさえままならないモーリスに十分な休息を与えるために落ち着ける場所に運ぶこと以外に何もなかった。
 たとえモーリスが浮かべる笑みに余裕を感じられたとしても、おぼつかない足元や蒼白の顔がアドニスの不安を煽る。まるで罪を罰して欲しいとでもいうような表情でモーリスを抱き上げる腕はいつになくとてもやさしいものだ。大切なものを慈しむかのような温かい腕のなかで、モーリスは再度細い声で美味しかったですかと問うのだったがその問いに返される答えは矢張り響かない。しかしそれでも抱き上げる腕はやさしくモーリスを穏やかな気持ちにさせた。
 少しの振動でもモーリスを傷つけてしまうのではないかと恐れるようにゆっくりとした歩調で屋根裏にある寝室に彼を運び、ゆっくりとベッドにその躰を横たえさせるとアドニスはひどく弱々しい表情を浮かべてようやく言葉を綴った。
「どうして血の誘惑を?」
 声はモーリスに問いながらも自らを責めているように響く。それにモーリスは笑った。そして重たい腕を持ち上げ、銀色のきらめく滑らかな髪に触れるとまるで愛しいものを引き寄せるようにしてそっとアドニスを抱き寄せ、耳元すぐ傍で答えを綴った。
「貴方の困る顔も満たされるという感情も総て、私で埋め尽くされてしまえばいいのです」
 それにアドニスは泣き顔のような、しかしそれでも嬉しそうな気配を隠すことなく笑みを浮かべた。その言葉に髪に触れるモーリスの手に手を重ねてアドニスは、血の気の失せた頬に頬を寄せるとそんなことのために身を犠牲にをする必要は少しもないのだとひどく穏やかな声で答えるのだった。