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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


お嬢様、憧れの世界征服


 響 カスミが職務をこなすのに使っている音楽準備室の窓から校庭をじーっと見下ろす女子生徒がいた。綾小路 玲子、今年で18歳。神聖都学園の高等部に所属する3年生である。生徒会執行部に所属し、副会長を務めていた。聞けば大富豪で有名な綾小路家のお嬢様らしいが、他の役員たちと手を取り合って今年の文化祭を成功に導いたことはカスミの耳にも伝わっている。親譲りのリーダーシップを発揮し、さらに自らも積極的に行動した結果が評価された。だが、彼女はまったくそれに満足する様子は見せない。今日、ここにやってきたのもそんな充足感を得られない空しさをカスミに聞いてもらうためだった。
 高等部の生徒会はすでに2年生を中心にしたメンバーでスタートしている。彼女も副会長の任を最後までまっとうし、かわいい後輩にすべてを託した。玲子の手法から生徒会の運営を勉強した役員たちは『綾小路チーム』と呼ばれている。彼らは生徒からも教師からも大きな期待をかけられている存在なのだ。これから先も玲子の発想は形を変えながらも生きていくだろう。「すばらしい足跡ね」とカスミが誉めると、彼女は「ありがとうございます」とはっきりとした口調で返事をした。別に彼女は自分の教えを使って後輩が大きな成功をつかむことに嫉妬するわけではない。まだ生徒会執行部で何らかの仕事に携わりたいと思っているわけでもない。カスミはそんな彼女の悩みを察せずにいた。表情がわずかに曇る。玲子はそれを察したのか、自ら口を開いた。そして信じられない言葉を次々と発した。

 「先生。私、そろそろ世界征服に乗り出そうかと思ってるんです。」
 「……………せかい、せいふく? アパレル関係、かしら?」
 「幼稚園から今まで、ずっと学級委員や生徒会などで人間の思考をうまく操る方法を私なりに探ってきました。まもなく私も成人します。大学に進んでからはさまざまな文献を読み、世界の仕組みを学び、そして卒業とともに世界征服するつもりです。」

 自らのボケを封殺された挙句、突拍子もないことを聞かされたカスミは困惑した。いったい何をどうすればこんな思考にたどり着くのだろう。しかも中途半端に地に足のついた考え方なので笑い飛ばすことさえできない。彼女は無理に玲子に思考をシンクロさせるのではなく、とりあえず話を受け止めることに専念した。

 「ああ、ここから見ていても脆弱だわ。サッカー部、野球部、陸上部……個々の部活動に素晴らしい成績を残す人たちがいるけど、きっと誰もが本当の強さを知らない。それでは今後の人間のためにならないわ。やっぱり私が世界を征服しないと。」
 「ちょ、ちょっといいかしら、綾小路さん。私ね、お話を聞いてよくもいろんなことを考えてるなって思うの。その……世界征服に関してね。でも論理と結論が一致してないような気がするの。言いたいことはすごくよくわかるんだけど、結論がものすごく短絡的に聞こえるのは私だけかしら?」
 「先生は今の生活に満足されてますか? 自分が恵まれた環境にいると思ってらっしゃいますか?」
 「そ、それは……やっぱりね、私も人間だから多少の不満は感じるわ。でも……」
 「小さな不幸が蔓延するようではダメね。やっぱり私が世界を征服しないといけないんだわ。」

 カスミは玲子に弱いところを突かれ、思わず大事な部分を聞き逃すところだった。彼女はさっきから世界制服を企んでいるとは言うものの、その先の展望がまったくない。結論を『世界征服』にしたいがためにもっともらしい言葉を並べているだけなのだ。しかし彼女の表情からは冗談を言っている雰囲気は一切伝わってこない。カスミは嫌な予感がした。もしかしたら、すでに自分が大嫌いな部類の事件に巻き込まれているのではないかと。彼女は意を決し、自分から話を切り出した。

 「綾小路さんは子どもの頃の夢はなんだったの?」
 「世界征服です。」
 「いつ頃から強く世界征服したいって思ったのかしら?」
 「その頃からです。幼稚園の文集からずっと『将来の夢』に書き続けてきました。」
 「そこに行き着くまでの……きっかけって、ないの?」
 「今は使っていない屋敷に外国の書籍を所蔵する部屋があって、そこに古びた絵本がありました。その物語を読んでからかもしれません。でも今は私の信念で世界征服がしたいと思ってます。」

 決まった。間違いない。これは大嫌いなオカルト関係の問題だ。カスミはそう断定した。理由はある。なぜなら話の途中から怖くなって受話器に手をかけたからだ。自分がオカルトに巻き込まれた時は決まってする行動がこれである。もうこうなったら他の人に玲子を止めてもらうしかない。何が原因かはわからないが、これは治さなければならない病であることは確かだ。このお嬢様から世界征服の夢を断ち切らなければならない。玲子の相談を受けていたせいで放課後からかなりの時間が過ぎていたが、心当たりのある生徒にあたりをつけて連絡した。また茶飲み友達や医者からの紹介でさまざまな面子が集結しつつあった。これで治らなければ……あえてカスミはその先を考えることを止めた。

 音楽準備室に人が集まり始めた。最初にやってきたのは制服姿の榊船 亜真知である。ところが彼女、ここに入ってきた瞬間の表情と言ったらなかった。カスミがふたりの間にいなければ理由をつけてさっさと帰っていたかもしれない。それを証拠に亜真知の挨拶が異様にぎこちなかった。

 「綾小路先輩、こんにちわ。」
 「あら榊船さんじゃないの。おうちはたしか神社だったかしら。こういうマスコットのような容姿をした少女の存在も世界征服後の統治には欠かせない存在ね。今のうちにメモしておかないと。」

 玲子は胸ポケットから手帳を取り出すとペンを走らせる。そして亜真知の巫女服姿を何らかのマスコットに仕立て上げようとする計画を小さな文字で綴っていった。この調子で部屋にやってくる人間を『世界征服』の名の元に査定していくのかと思うと、さすがのカスミも頭が痛い。そんな彼女の隣に亜真知が来た。

 「わたくし、先輩とは多少の面識はあるんですけど……前から変わってる方だと思っていました。」
 「やっぱりそう思う?」

 そんなことを話しながらふたりで頷きあっていると、今度は色白で細身の少年がやってきた。彼はお気楽な声を部屋に響かせながら、まずは玲子の近くに寄る。そして「ちょっと失礼」と断り、患者の顔色など見える範囲のメディカルチェックを始めた。そう、彼が保険医から紹介された医者である。カスミは『十里楠 真雄』という名の男性は壮年ほどの人を想像していたので大いに驚いた。一方の亜真知は彼の診察をじっと真剣な眼差しで見守る。彼女はすぐに真雄が異能の力を持つ者だと見抜いたのだ。

 「特に体調が悪いとかはないみたいだね。どこか痛むところはない?」
 「しいて言うなら心かしら。自分の名前も名乗らぬ男性に身体をじろじろ見られて不快な気持ちになりました。」
 「あ、ごめんごめん。ボクは十里楠 真雄。この調子だったら脈拍も診る必要ないかな……」
 「十里楠……たしか父から聞いたことがあ」
 「よし、じゃあとりあえずメスで切っちゃおっか。」
 「わ、私の身体に傷をつける気?!」
 「……っていう冗談はおいといて。ボクは荒事は好きじゃないからね、とりあえずここで診察はいったん終了だ。」

 お気楽に笑う真雄の背中にじっとりとした視線を送る玲子。どうやらお嬢様は彼のような徹底的にマイペースな人間には敵わないらしい。彼女を軽くいなした真雄を羨望の眼差しで見つめるカスミ。ところが当の本人は素性がバレる寸前で大いに焦っていた。こんなところで自分が裏社会で超がつくほど有名な闇医者であることを暴露されそうになるとは思ってもみなかった。東京でも有数の富豪である綾小路家なら自分の存在を知っていてもおかしくはない。額を伝った気持ちの悪い嫌な汗を拭きながら、気持ちも新たに改めて部屋の主にあいさつをした。

 「カスミ先生、どうも。」
 「先生、どうもご足労をおかけして申し訳ありません。」
 「あ、十里楠でいいよ。めんどくさかったら真雄って呼んでくれればいいから。そっちのキミもね。」
 「それで……真雄様の診断結果はどうだったのかしら。」
 「身体的にはいたって普通。カスミ先生が言ってた『世界征服禁断症状』は言葉の端々に見え隠れしてるけど、その辺はキミたちの判断を聞いた方が早そうだから余計な詮索はやめた。」

 真雄の言葉を聞いてつい苦笑いを浮かべてしまう麗しきふたり。「やっぱりね〜」と玲子に聞こえない声でつぶやくと、真雄は続けた。

 「今のところ、原因は絵本しかないよね。」
 「先生、今のうちに先輩のおうちに家庭訪問の連絡をしておいた方がいいと思いますよ。祓えるのはわたくしくらいですし。」
 「や、やっぱりそんな感じに話が進んじゃうのね……わ、わかったわ。綾小路さんとおうちの方に話をつけてみるわ。」

 自分が苦手なオカルトの方向に話が及ぶと、カスミはできる範囲の仕事に専念する。だがその姿は献身的で好感が持てるものだ。亜真知も真雄も「さすが教師」と舌を巻きながら、今後のことに考えを巡らせる。そこに柔らかな笑顔をした女性がやってきた。淡い青の質素なドレスを着た彼女は忙しそうに動いているカスミを見て、しばしその場に立ち尽くす。すると、今度は大きな紙袋を抱えた少年が入ってくる。年は亜真知や真雄に近いが、神聖都学園の生徒ではなさそうだ。彼は屈託のない笑顔を振りまきながら、ふたりに話し掛けた。

 「ここ、カスミ先生の部屋だよね? で、前のおねーさんもボクと同じ用事なの?」
 「あら……初めまして。わたくし、鹿沼デルフェスと申します。今日はカスミ様のお手伝いに来たのですが、今はずいぶんとお忙しいようなのでここで待っているのです。」
 「ボクは施祇 刹利。ねぇねぇ、突然で悪いんだけどさ。世界征服ってなんとなくわかってるつもりなんだけどさ、そのね……もっと詳しく表現するとさ、それってアリとかまで征服しないと目的を達成したことにならないのかなぁ?」

 玲子が望む世界征服の定義とはなんたるか。刹利の発想は他の3人が行き着くことのない素朴な発想だ。しかしシンプルほど奥が深いものはない。亜真知はあごに手を当てて「う〜ん」とうなり始め、真雄も「よくそこまで考えたな」と半ば呆れた表情で彼を見た。そこで自分なりの答えを出したのがデルフェスである。彼女はある物語を美しい声で奏でるのだった。

 「過去、多くの国が何かしらの理由を旗印に世界征服を企みました。しかしそれを実現するために多くの命が失われ、そして最後にはその野望さえも断たれてしまう結果を迎えるのです。人々に受け入れられる志を『野望』とは表現しません。もし玲子様が世界征服を実現したとしても、そこから平和な世の中が生まれるとは限らないのです。」
 「ある時期、この国を統一した長も満足な恩賞を与えることができず下々から大きな不満が出たそうですわ。罪なき国を滅ぼすことでそれを補おうとしたところ返り討ちに遭い大きな痛手を負った。そして彼の天下も潰える結果となった……これはわたくしが学校の歴史で習ったことですわ。」

 亜真知も日本史の勉強の成果を披露したところで、刹利は「やっぱり人間を中心に支配するのがお嬢様の夢なんだな〜」と納得する。そこで真雄は二歩前へズッコけた。それは「今の納得の仕方はどうだろう」という刹利への優しいツッコミだった。とりあえず彼にも言いたいことがあるだろうから、それを全部聞いてみようと頭を掻きながら刹利の口が動き出すのを待った。

 「それでね、昨日さ。チャンネル回してたらそういう番組やってたんだ。世界征服を企む秘密結社ががんばるんだけど、最後は負けちゃうっていう内容の。これは使えると思ってさ、カスミ先生に衣装を持ってきたんだ〜。」
 「……キミさ、今、衣装とか言った??」
 「うん、衣装。最近、神聖都学園の専門学科でお世話になってるんだけど、そこの服飾科の人にそれっぽい服を作ってもらったんだ。なんか趣味でも作ってるらしいけどさ。で、ボクがやるよりカスミ先生の方がわかってるだろうからお任せしようかなーって。」

 何を任せようとしているのかはイマイチよくわからないが、刹利の案は微妙にストライクゾーンを捉えていた。確かに子ども向けの特撮番組でありがちな「悪は滅びる」の構図を使えば、世界征服の不合理さは納得できるだろう。元凶は絵本にあるようだから、その後の荒療治には使えるかもしれない。自分よりも上の存在がいると確信すれば、玲子の支配欲も薄らぐはずだ。とりあえずは全員で特撮的なネタが成立するように脚色し、カスミにはミュージカルのノリで悪の女幹部を演じてもらう計画を真雄は案じた。
 ようやく家庭訪問の準備を終えたカスミはデルフェスと刹利にあいさつをし、早く行かないと遅れるからと出発の号令をかける。すると最後に小さな子どもが部屋へ滑り込んできた。先頭を歩くカスミにぶつかりかけた彼は人間とは思えないほどすばやい動きでそれを避け、早口で自己紹介を始める。どうやらいち早くこの場の空気を察知したらしい。

 「我輩、世界征服を企む玲子さんの野望を阻止するためにやってきた豪徳寺 嵐なんだな。さささ皆の衆、大きな屋敷に向かうんだな。」
 「キミは気楽でいいね。難し〜い大人の事情を知らなくてもついてこれるんだから。」
 「真雄様、はたしてそうなんでしょうか……?」

 亜真知が真雄に向けて意味ありげに微笑むと、嵐はそれに呼応するかのように屈託のない笑顔を見せる。どうやらこの少年、他に何かの目的を胸に秘めているようだ。しかし嵐も肝が据わっている。「バレなきゃいいや」とどこかで見た顔の刹利を捕まえて雑談を交わす。こうして奇妙な家庭訪問が始まった。


 真雄がその名を知るほどの大富豪である綾小路家の本邸は、視界すべてがお屋敷というとんでもないスケールだ。次に家庭訪問する機会があるなら、今度は早朝から行わなければならないだろう。ウキウキしている嵐を尻目に、亜真知やデルフェス、刹利はただ呆然と立ち尽くすばかり。それでもカスミは何の躊躇もなく呼び出しボタンを押して家庭訪問の段取りを進める。さすが現役教師といったところだろうか。メイドとおぼしき女性の声で玲子に「後ろの方々は?」との問いかけがあったが、彼女は「友人よ」と言うと黒光りする門がゆっくりと開く。そして玲子を先頭に屋敷の中へと入った。広い庭を通って、彼らは門と同じくらい大きな扉の奥に誘われていく。
 彼女の部屋まではずいぶんと長い時間歩いたが、くまなく敷き詰められた赤じゅうたんが疲労を微塵も感じさせない。嵐は十字路の脇に置いてある花瓶を見つけては「う〜ん」と唸るが、刹利が首根っこをつかんで先へ先へと連れていく。もう大半の人間には彼の目的がわかっている。嵐は問題の絵本やら何やらをタダで手に入れて、どこかで売っ払おうと考えているのだ。だから刹利が問題を解決するまで、金目のものには近づけさせないようにしているというわけだ。たま〜にうまく隙を突いて物色しようとすると、今度は亜真知がさっと出てきてそれを阻む。最後には渋い顔でオーバーオールの中に手を突っ込み、事件解決まで商売のことは考えないという姿勢が見て取れたところでふたりは顔を見合わせて大きく頷いた。

 玲子の部屋は屋敷と同じく、とてつもなく大きい。部屋の中には専用のトイレとバス、奥には寝室があるという。高級ホテルのスィートルームも顔負けである。真雄と刹利は「なんか落ち着かない」とそわそわしていたが、問題の絵本が出てくるとご友人の皆さんは過敏な反応を見せた。すると今度はカスミがそわそわし始めた。やっぱりか、やっぱりそうなのか……そんな思考が頭の中でいっぱいになっているようだ。

 「素敵な絵本よ。世界征服の偉大さが描かれてるの。皆さんもお読みになって。」
 「先輩……申し訳ないんですけど、内容は読まなくてもわかりました。」
 「これは露骨なんだな。よく玲子さんがこの程度で済んだのか不思議なんだな。」
 「あっ、嵐クン。それは言える。」
 「あの……一応ね、一応わかりやすく説明してもらえるかしら?」

 オカルト確定でびくびくしているカスミはデルフェスの後ろに隠れて絵本を指差す。玲子は本に一切手を触れない一同をただただ不思議そうに見ていた。

 「これは玲子様のご先祖様の怨念が憑いていますわ。第一次世界大戦の戦乱を生きたご老人でしょうか。その頃に今の財を成したようですわね。この方は血の気の多い方だったようで、おそらく当時の調度品などに同じ怨念が混ざっている可能性がありますわ。でもその中で一番なのが……この絵本ですわ。玲子様に悪影響を与えるような思想が文面や挿絵を通じて伝達される仕組みになっているのでしょうね。」
 「さっき嵐クンが言ってたけど、症状が軽度だったのはおそらく児童会や生徒会などでリーダーシップを発揮する場面が数多くあったからだろうね。たぶん幼稚園の発表会なんかから、我先にと陣頭指揮をしてたんじゃないかな。ところが高校から大学に向かうほんのわずかな時間が支配欲を駆り立てた。それであんなセリフが口をついたんだろう。ま、お金持ちな人は誰もが考える人並みな夢だから、別に放っておいてもいいんだけどね。」
 「そんなこと言って放っておいてグレたら困るんです! 悪い娘を集めてバイクに乗って『れでぃーす』とかになったら困るんです!」

 カスミの訴えに「そう?」と問う真雄。別に徒党を組んでバイクに乗ったからといって必ずレディースになるわけでもないのだが、確かにそうなっては困る。作戦実行の合図は教師の悲痛な訴えだった。亜真知はひそかに本の怨霊を祓おうと念を左手に集中させたが、突然その手を嵐につかまれた。不意を突かれて驚く亜真知。

 「なっ、何をするんですの!」
 「それは我輩が異世界にポイしてくるんだな。亜真知さんはその絵本に魂が宿ってるのに気づいてるはずなんだな。」
 「確かに……この絵本は付喪神になっていますわ。いつの日か自我を帯びて動き出すでしょう。だから今のうちに祓わないと……」
 「我輩もこの本と同じ存在だと知ったら、それでもそれをできるかな?」

 思わず亜真知は答えに窮してしまった。今の絵本は悪影響を与える存在だが、そこから生まれ出でた魂が必ずしもそれに準ずるわけではない。しかもその実例が目の前にあるのだからたまらない。さらに困ったことにこの絵本の怨念を晴らしたところで、綾小路先輩の性格がすっかり治るわけでもない。彼女を救うには何か別の手段で解決するしかないのだ。亜真知はゆっくりと口を開いた。

 「いいですわ。この世界でないどこかに持っていくと約束してくださるなら。どちらにせよ、あっても困るだけですから。」
 「同胞のことをわかってくれるのは亜真知さんだけなんだな。ありがとうなんだな。」
 「キミ、そんなこと言っておきながら、どーせ他の世界で売りさばくんだろ?」
 「フギャッ……刹利が一緒だと、仕事がやりにくくてしょうがないんだな。」

 実は亜真知がもっと高い次元でいろいろな考えを巡らせていたとは微塵も知らず、嵐は嬉しそうに絵本に手にした。大事な絵本を持ち出そうとする少年を止めようと玲子は必死になる。

 「お待ちなさい! それは私の大切な……!」
 「ちょっと待ったーっ! 返してほしくば、悪の幹部・カスミ先生に勝ってからだー!」
 「刹利さん? え、カスミ先生が悪の幹部??」
 「そうよ、おほほほほほほ……って、ええっ! い、いつの間に私、こんな露出の多い服に着替えてるの?!」

 刹利が得意とする早着替え術をカスミに使い、あっという間に玲子の性格是正プロジェクトの準備を済ませた。その仕事っぷりにある男が賛美の声を上げる。

 「キミキミ、早着替えさせるの得意ならバイトに来ない? ちょっと便利だな、その特技。」
 「え、そうなの? 真雄さん?」

 いきなり黒いボンテージ衣装をアレンジした悪の幹部・カスミの側に亜真知とデルフェスが控える。刹利は両者の間に立ち、真雄は周囲の目が中央に向くと同時に玲子の背後に回ろうと静かに動き出した。嵐は麗しき女性たちの後ろで大事そうに絵本を抱えている。

 「世界征服の尊さを教えてくれた本を返して!」
 「じゃあ先輩、世界征服をしたらどんな国家を作るんですか?」
 「うう……それは……」
 「玲子様、誰か身内で世界征服をお望みの方はいらっしゃるのですか?」
 「それは……その……」
 「あれぇ、答えられないの? だったら世界征服は別に玲子さんじゃなくてもカスミ先生でいいんじゃない?」
 「我輩、こんな人に統治されるのなら、後にクーデター起こすんだな。」

 情け容赦なく玲子の論理の弱点を突き、窮地へ追いやるご友人たち。カスミも小道具の鞭をじゅうたんに向かってやさしく叩くなどのアクションを見せ始めた。どうやら興が乗ってきたらしい。真雄がジャケットの胸ポケットからメスを取り出すのを見て、亜真知が信じられない一言を浴びせた。

 「先輩、カスミ先生は神に選ばれた支配者なんですよ?」
 「え、ええっ!?」
 「神に選ばれし高位の人間が慈悲の心をもって世界を平和にするのなら……玲子様、そこに『征服』の二文字は必要ありませんわ。」
 「世を征して服従させることがいいこととはとても思えないんだな〜。」
 「で、でも……神も何も、わ、私は世界を……でっ、でも私、神の声なんて?」
 「大きく思想が揺らいだ今がチャンスだ。覇道よ、消え去れ……!」

 真雄がすばやく二度メスを振ると、黒い霧のようなものが玲子の身体から吹き出てあっけなく消えた。あれが絵本から伝播した怨霊なのだろう。玲子は勢いを失ったコマのように頭を揺らし、そのまま地面へと倒れこもうとする。そんな彼女の身体をデルフェスがやさしく受け止めた。お嬢様の表情は今までになく安らかで晴れやかだった。
 闇医者である真雄は自らの異能の力で怨霊が支配する部分だけを切り取ったのだ。ただ普通にやると健全な思考まで一緒に消しかねない。そこで屋敷に向かう道すがら、刹利と打ち合わせをしていたのだ。玲子の論理が揺らいだ時こそ、絵本とのシンクロが成立しない時。怨霊との温度差ができる唯一の瞬間なのだ。論理的にそれを理解している亜真知とデルフェスにその役目をお願いし、刹利と嵐が矛盾をはやし立てるように仕向け、自らはじっとチャンスを待っていた。だがまさか亜真知は言い放った突拍子もないセリフであっけなく治療が終わるとは思ってなかった。彼はメスを元の場所に片付け、ゆっくりとした足取りで輪の中に入る。

 「神様、か。ご先祖様も世界征服を考えるのが精一杯だったってことかな?」
 「そういうことかしら。これで先輩は元通りになるのかしらね。」
 「大丈夫ですわ。玲子様は学園でも評判の方ですから。きっと芯は強い女性なのでしょう。」
 「あっ……結局、ボクって何にもしてないね。ごめんね、役に立たなくって。」
 「そんなことないけど……って刹利くん。早くこの衣装、着替えさせてくれないかしら? 嵐くんがさっきからデジカメで撮ってるのよ。恥ずかしいっ!」

 さすがは根っからの商人、豪徳寺 嵐。どうやらカスミ先生のコスプレブロマイドを売りさばこうという魂胆なのだろう。しかし事件が終わった今、改めて彼女の姿を見るとこんなに面白いものはない。自然と周囲から笑みがこぼれ、それは広い広い部屋を明るくしていくのだった。

 玲子が目を覚ますと、そこは寝室だった。絵本は嵐がすでに自分の家へと持ち帰った後である。残留思念か彼女の意思かはわからないが、さっきまで口にしていた言葉をまた唇から発した。その言葉を制したのがデルフェスだった。カスミから聞いた玲子の言葉を借りて、これからを語って聞かせた。

 「せ、世界、征服の……」
 「玲子様。小さな不幸を摘み取りたいのであれば福祉のお仕事へ進まれるべきですわ。大きな不幸を救いたいのであれば政治家になるのもいいでしょう。大丈夫です、あなたにならできます。どんな小さなことでもあなたが本当の強さを持って生きるなら、誰もがあなたを尊敬するでしょう。これはカスミ様からお聞きした玲子様の言葉です。」
 「デルフェスさん……」
 「そうすればどんな人たちも在りし日のあなたを思って……この石像を敬うはずです。」

 そう言ってデルフェスは一枚の写真を手渡した。玲子はそれを見て愕然となった。白い枠の中に直立不動になった自分が石像となって部屋の中で立っていたのだ。これは誰かが自分を石化させたとしか考えられない。背筋の凍る思いをしながら、彼女はみんなに向けて引きつった笑みを見せた。それが彼女の答えだった。刹利は同じポーズを真似して周囲を笑わせていた。この集まりに世界征服の言葉はもう必要ないだろう。


 問題の絵本は亜真知との約束どおり、嵐が三千世界に住む好事家を相手に売りに行っていた。彼の巧みな前口上は相変わらずだ。

 「賢者が読めば覇道が開く。愚者が読めば破滅へまっ逆さま。しかし、賢者は覇道を求めないからこの絵本は読まない。絵本を読むのは愚者のみ。ゆえにこの本は破滅の絵本と呼ばれるんだな。この本のおかげでいったいいくつの国が滅んだんだかな……」

 絵本はうまい前口上に舌打ちするかのように少し揺れてみせた……


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢 / 職業】

3628/十里楠・真雄   /男性/ 17歳/闇医者
2181/鹿沼・デルフェス /女性/463歳/アンティークショップ・レンの店員
1593/榊船・亜真知   /女性/999歳/超高位次元知的生命体……神様?!
5307/施祇・刹利    /男性/ 18歳/過剰付与師
4378/豪徳寺・嵐    /男性/144歳/何でも卸問屋

(※登場人物の各種紹介は、受注の順番に掲載させて頂いております。)

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■         ライター通信          ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回は平凡な日常にあり得ない発想を盛り込みました。
子どもの頃ならまだしも、大人の階段を登る最中にこれを考えるってのはどうなんでしょう?
今回は神様やお医者さんや付喪神などの前でお嬢様がご無礼を働いてごめんなさい(笑)。

嵐くんも毎度どうも! 今回は売り物を手にすることができてよかったですねぇー。
どうしても最後の売り文句を出したくって、全体をこのような演出にしてみました。
結局は高値で売るんでしょうけど……ところでブロマイドは1枚いくらですか??(笑)

今回は本当にありがとうございました。今度からはまた楽しい依頼を出していきますね。
また通常依頼やシチュノベ、特撮ヒーロー系やご近所異界などでお会いしましょう!