|
『呪い』
「三下君」
「は、はい、編集長、なんでしょうか?」
びくびくと三下がしているのはきっと編集長、碇麗香が言い出す事が自分にとって災厄な事である事をわかっているからであろう。
そしてそれを彼女も隠そうとはせずに甘やかに微笑んで、クールな声を紡ぎ出す。
「至急この事件を調べ、解決し、そのレポートを作ってください」
「へ? えっと、あの………」
「読めば分かるわ」
それは碇麗香宛に届いたメールであった。
その文面にはやはり三下にとっては非常に怖すぎる物が書かれていた。
要約するとこうだ。
彼女の知り合いのテレビ局ディレクターが平家の隠し財宝を奪った戦国武将が隠したという財宝を見つけ出す番組を企画し、それの撮影に入ったのだが、しかしその撮影中に遊女の霊が現れ、悲劇が始まった、と。次々に番組スタッフが自殺したり、事故死したりしだしたのだ。
その財宝伝説にはこのような情報があった。
工夫のために武将は百人の遊女を連れて来て、そして財宝が隠し終わると共にその遊女達を工夫と共に皆殺しにしたのだと。
また財宝を隠した場所にはひとりの少女が人柱として、埋められたのだとか。
そのディレクターが麗香に頼んできたのは、なんとしてもこの遊女の呪いを解いて欲しい、と。
「あ、あの、そうは言われても、どうすればいいんですか?」
三下は実に情けない声を出す。
「さあ?」
麗香は肩を竦めた。
「ただ遊女の霊は見られたらしいけど、カメラに映った人身御供の少女らしき幽霊はそれが初めてなのだとか。そこら辺にあるのかもね」
我らは許さない。
我らは許さない。
人間を。
故に皆殺しにしてやる。
そのためにも人身御供のあの少女、あれを遊女どもを使って闇に染めるのだ。そうすれば【黄泉】の方が仰られる通りに、我らは世界に復讐できる力を得られる。
我らが平家の恨み、忘れたとは、言わせぬぞ………。
――――――――――――――――――『呪い』
【T】
シュライン・エマ。
草間興信所の事務員。
気づけば、怪奇探偵異名以前からの興信所古参。
その彼女がこれまで事務所に持ち込まれた依頼の解決に乗り出す事はこれまでも多々あった。
それは彼女の知り合いがクライアントだった事もあるし、クライアントが置かれたその状況を不憫に想っての時もある。
ただそれでも彼女のスタンスとは公平。
どちらか一方に見方が偏る事は無かった。
冷静沈着、そういう物の見方が彼女の心の有り様。
あるいは彼女にはテミス、そういう異名が似合うのかもしれない。
目隠しをし、私情に流される事無く、右手に天秤を、左手に剣を。
それでも、彼女にだって許せない事はある。
耳には、風間唯の母を呼ぶ声が、
風間綾子の娘の幸せを願う声が、
残っていた。
+++
草間零は笑っていた。
その顔に貼り付けた笑みはかわいらしい。
だけどそれが同時にシュラインの胸を痛ませた。
東京駅のプラットホーム。そこに居るのは零とシュライン。それから零の兄であり、シュラインのフィアンセである草間武彦。
今ここにこうして彼女らが居るのはこれから旅行に行くとか、そういう理由からではない。
東京駅のプラットホームに居る理由は、
「元気でいてくださいね、唯ちゃん」
「うん。零ちゃん。手紙出すね」
「はい」
頷く零に微笑み、それからシュラインは唯に紙袋を渡す。
「はい、これ。新幹線の中で、お祖父さんやお祖母さんと食べてね」
「うん。ありがとう。シュラインおねえちゃん」
「ええ。唯ちゃんの好きなおかず、たくさん入れておいたからね」
とても嬉しそうに微笑みながら唯は頷き、そしてシュラインたちに頭を下げる祖父母に連れられて、新幹線の中に入っていった。
それを見送り、視界から唯が乗った新幹線が消えると、シュラインは隣の零を抱きしめる。
腕の中で零が顔をあげる。
その彼女の顔には泣き出す寸前の表情が浮かんでいた。
シュラインの顔に花の蕾が開くように優しい笑みが浮かぶ。
慈母がかわいがっていたペットが死んだのに、そのペットのために泣く事を堪えている子どもに微笑みかけるように。
「馬鹿ね、零ちゃん。もう泣いてもいいのよ」
優しくそう笑いかけると、零はしゃくりをあげて、それから大きな声で泣き出した。
シュラインは優しく零を抱きながら、そっと彼女の頭を撫でてあげる。
プラットホームのベンチ。そこに腰をかけて、零に膝枕をするシュラインに武彦は蓋を開けて、缶コーヒーを渡す。
「ありがとう、武彦さん」
「いや。零の奴は眠ってしまったようだな」
「ええ。泣き疲れてね。ずっと我慢していたのよ、泣くのを。唯ちゃんが笑っているのに、自分が泣けないって」
「そうだな。そういう所がある。泣く事は決して悪い事ではないのに。誰かのために泣く事は素晴らしい事だから」
「ええ。零ちゃんも泣いて、それで唯ちゃんと二人で泣ければ、それはそれで二人にとっても良い事だと私は想ったのだけどね。人は泣くようにできているんだから」
「だけど二人は泣かなかった。それに二人なりの意地とか意味があるんだろう。そう、女の子の意地があるんだろう、シュライン?」
ウインクした武彦にシュラインは満面の笑みを浮かべた顔を頷かせた。
「ええ。それはもちろんね」
「じゃあ、そういう事だ」
武彦はおどけたように肩を竦めた。
「それでも何かをしてあげたい、そう願ってしまうのよ」
眠っている零の髪を優しく指で梳きながら、シュラインは微苦笑した。
「今夜は零ちゃんの好きな物をたくさん作ってあげようかしらね」
「だったら今から買い物だな」
シュラインは胸の前でぱちんと手を合わせる。
「素敵ね。ショッピング♪」
武彦は苦笑しながらコートのポケットに手を突っ込む。しかしそこにあるのはくしゃくしゃに潰れた空っぽの煙草の箱。
それを握り潰して、武彦は駅のプラットホームのゴミ箱めがけて投げた。
綺麗な放物線を描いて、それはゴミ箱の中に入って、シュラインはぱちぱちと手を叩いた。
そして小首を傾げる。
「買わないの、煙草?」
煙草の自販機は彼のすぐ横にあるのだが。
そう問うと、武彦は肩を竦めた。
「零に綺麗な服の一着でも買ってやろうと想ってな」
「偉い」
シュラインはにこりと微笑んで、それから自分の顔を指差す。小さく首を傾げて、「ん? 私には」
武彦は苦笑を浮かべた。
駅のプラットホームには駅員のアナウンスが流れて、注意を促すベルが鳴り響き、そして電車が滑り込んでくる。
多くの人がそれから出てきて、乗り込んでいく。
その人の雑踏が奏でるノイズのような音に混じって、武彦が詠った言葉にシュラインは幸せそうに微笑んだ。
そして零がシュラインの太ももに埋めていた顔を動かし、目覚める。忙しなく長い睫を動かして、それから自分の顔がどこにあったのか気づいて、慌てて顔を上げる。
「おはよう、零ちゃん」
「あ、おはようございます、お姉さん。あの、ごめんなさい。重くなかったですか?」
「ううん。軽かったから大丈夫。それに温かったし」
ふわりとシュラインが微笑むと、零も嬉しそうに微笑んだ。
「さてと。じゃあ、帰るか」
「はい」
「ええ」
二人は顔を見合わせて頷きあうと同時に武彦の左右の腕に両腕を絡み合わせた。
「両手に花ね、武彦さん」
「ですね、お兄さん」
武彦は苦笑する。これではハードボイルドも形無しだ。
それでも今日だけは、こういうのも悪くはない。
そして三人は東京駅を後にする。
駅から通りに出ると、そこで三人はぱたり、と、知っている人物と出会った。
大きなリュックサックを背負った彼は、ボロボロと涙を零し始めた。
シュラインはよく見慣れたその光景に苦笑を浮かべる。
「話、聞いてあげましょうか、三下君?」
【U】
喫茶店の窓際の席。
三下はえぐえぐと泣きながらホットミルクを飲んでいた。
熱いホットコーヒーの温かみが喉から胸元へと落ちていく。
シュラインはその温もりにも、口をつけたコーヒーの味にも満足したように頷いた。
「それで今回はどんな取材なの?」
小首を傾げるシュラインの横でイチゴショートケーキのイチゴを口の中に放り込んだ零が興味ありげに三下を見る。
興味なさそうに頬杖を付いているのはえぐえぐと泣いている三下の隣の武彦だけだ。
三下はずずっとホットミルクを飲んで唇を湿らすと、上司のいじめとも取れるようなひどい取材命令の内容について語り始めた。
「それは、災難ね」
シュラインは苦笑を浮かべる。
それから口元に軽く握った拳を当てて、何を考えるのか切れ長な双眸を細めた。
ぎしぃ、っと軋んだのは武彦の座る椅子だ。
彼は前髪をぞんざいに掻きあげて、深く背もたれにもたれている。
店内に響き渡った音に、ウェイトレスは不思議そうにこちらを見た。
新しく入ってきた客の案内に動いたウェイトレスに零は安心したような表情をして、行儀の悪い兄を恥ずかしそうに睨めつける。
「ひとつ、訊いてもいい、三下君?」
そう問うシュラインに三下はごくりと唾を嚥下して、頷いた。
「どうしてそのディレクターさんはお払い専門の霊媒師さんとかに頼まないのかしら?」
「ふぇ?」三下は驚いたような顔をする。
場の空気が一変した。
それだけの力を、シュラインのその言葉は持っていたのだ。
「あ〜、えっと〜、碇編集長と仲が良くって、それで頼んできたのでは?」
「雑誌社に? だったら自分の番組の企画にも参加させるのではなくって? それこそディレクターが一度企画した、しかもこんなにもはっきりと霊が出るとわかっている事件を、自分の手から手放して、他人に渡すなんてわからないわね」
「こ、怖いのでは…」
「臆病風に吹かれて? だったらこの二人、仲が悪くなるわよ? 自分がそれほどまでに恐れ慄く場所に行かせるのか、って。仲はいいんでしょう?」
それまで黙っていた武彦が言葉を失った三下の代わりに口を開いた。
「何が言いたいんだ、おまえは?」
「だからこれには裏があるんじゃないかって? 知っている。心霊スポットに足を運ぶ人間は、既にそこへ行こうと思い立ったその気持ちすらも霊によって呼ばれた事で抱くんだって。道しるべ、作られていたんじゃないの? 何かに。この場合は遊女たちの幽霊かしら?」
「シュ、シュラインさん。怖い事を言わないでくださいよぉ〜」
泣きじゃくる三下。
しかしそこにそれを冗談で流す空気は生まれない。
シュラインは本気でそう想っていた。いや、それは確信しているといっても良かった。
こういう回りくどいようなやり方、ろくな敵ではないはずだ。
「と、言うわけで武彦さん。二、三日、お休みをもらえるかしら? 私、三下君についてその現場に行ってみようと想うの」
「おい」
武彦の目が細くなる。
しかしそれに対してシュラインは艶やかに微笑むのだ。
そしてその表情を見て、武彦は顔を片手で覆ってため息を吐く。
彼女がこういう表情をした時は梃子でも動かない事を彼は知っている。
「だったらこちらから碇に草間興信所として協力を申し込んで、ボディーガードをさせてもらうという事にしよう。俺が三下に付いて行く」
「あら、それはダメよ。武彦さん。あなたは前から決まっていたクライアントとの商談があるでしょう? そちらが優先。こちらは、私と三下君で」
そうシュラインは宣言して、それから携帯電話を持って店の外に出ると、登録してある碇の番号を呼び出して、それから彼女に電話した。
「あ、もしもし碇さん。ええ、久しぶり。ええ、そう。三下君とぱたりと会ってね。それで、聞いたわ。取材のお話。また随分と危険な、取材のようね。ええ、そう。泣いていたわ」
シュラインはくすくすと笑い、携帯電話のスピーカーからは碇のため息は零れてくる。
「で、電話した理由なんだけど、あなたもこの事件、三下君だけでは解決できないと想うでしょう? だからどうかしら、草間興信所にも事件解決依頼、出してみない? 今ならリズナーブルな値段で引き受けさせていただくわ。いえ、同行するのは私」と、言いかけた所で横から伸びた手が携帯電話を取って、驚いたようにシュラインが手の主を見ると、彼女はシュラインににこりと微笑んで、
「私も行きます。碇さん」
そう零は携帯電話の向こうの彼女に告げた。
【V】
バスの振動を身体に感じながらシュラインは後ろに流れていく風景を見つめている。
隣の零は立っている三下と何かを喋っている。
その話し声は何となく耳には入ってくるが、しかし意識には残らない。
思考に集中した意識はそれを聞き捨てているのだ。考えている事は今回の事。
戦国武将の隠し財宝。よくある話だ。
平家の隠し財宝を奪った?
その取材の果てにスタッフは次々と不幸な目に遭った。
ではその不幸を呼んでいるのは何だ?
財宝に目が眩んだ人の業?
本当に?
いや、答えは出ている。財宝を隠す時に利用され、殺された遊女たち。
その遊女が起こす災い。
ではその遊女をどうにかすれば?
どうやって?
――――その方法はどうすれば?
でも普通の方法が通じるのだろうか?
それこそ相手は悪霊だ。深い恨みを持った。
並大抵の事ではそれをどうにかできるとは想えない。
では、その悪霊が暗躍する中で、テレビカメラに映った少女の霊とは、何?
「キーはそこかしら?」
シュラインは呟く。
それから三下に視線を向け、問う。
「テレビカメラに映った謎の少女はどういう事になっているの? 三下君はその娘の事を調べたのかしら?」
「い、いえ。怖くって、そんな、できませんよ〜」
零は苦笑を浮かべる。
シュラインは座席シートに後頭部を預けて、きゅっと唇を引き結んだ。
碇から回してもらったディレクターたちが入手した情報にもその手の事は無い。だったら………
「やるべき事はそこから、かな?」
情報が無いからこそ、そこに重要な情報が隠れている。
とは言っても………
「さてさて、どう動けば、いいのか?」
それが問題。情報を得るといっても、それはありまにも………
「零さん?」
その三下の呆然とした声はあまりにも唐突で、シュラインはその唐突過ぎる声に半ば無意識に零に視線を向ける。
絶句した。
そこに居るのは零であって、零ではない。
それがありありとわかった。
彼女が浮かべる表情は絶対に零が浮かべるようなそういう表情ではないからだ。
そしてその動きも零の表情ではなかった。
それは切羽詰った表情でシュラインに抱きついてきた。そして凄まじい力でシュラインの両の二の腕を掴み、訴えた。
「今すぐここから早く逃げて。じゃないとあなたたちも殺されるわ。彼女たちに。あれに」
「あれ? あれとは何よ? あんたは誰?」
腕の痛みが、零の口を借りてその誰かが言った言葉がシュラインの意識を鋭敏化させる。
鋭くなったそれが、彼女の中で、それを知らせた。パズルのピースが組み合わさり、絵を描くように、現在の事の詳細がわかる。
「あんた、あのテレビカメラに映った幽霊の少女ね。じゃあ、その時も」
彼女は零の顔で泣き笑いの表情を浮かべた。
「とにかく早く、この場所から引き返して。じゃないとあなたたちは」
必死に訴える彼女にシュラインは頷く。それから座席から立ち上がって叫んだ。
「運転手さん。早く。ここから引き返して」
――――叫ぶ。
叫んで、彼女は、喉の奥で声をひっくり返らせた。
愕然と、口を大きく開いて、彼女は呼吸を止める。
バスのフロントガラスから上半身をすり抜けさせて、バスの運転手の顔を淫らに両手で挟んでいるあれは何だ?
いや、シュラインはそれの答えを知っている。
それはシュラインと目を合わせると、にやりと笑い、そして運転手の唇に自分の唇を重ねる。
転瞬、運転手の身体は大きく引きつり、片手をバスの天井へと伸ばして、何かを掻き毟るように手を暴れさせて、そしてそれはふいに糸が切れたようにぱたりと落ちる。
いや、糸は切れたのだ。運転手の命という糸が。
「うわぁー」
三下は悲鳴を上げて座席にしがみ付いた。
零の中に居る少女はバスを取り囲む遊女たちを睨みつけ、そして手で印を結んだ。
何かを早口に囁く。
転瞬、零から発せられた波動。
バスを取り囲んでいた遊女たちは居なくなる。
だがそれに何の意味があるだろうか?
シュラインはきゅっと唇を噛み締めた。
バスはスピードを落とす事無くカーブのガードレールに突っ込んだ。
それを突き破り、そしてバスは落ちていく。
その浮遊感の中で、
落ちていくバスのその中で、
シュラインは自分の死を確信した。
バスの車体が回転する。その中で、身体がバスの中を落ちていく。ぐちゃぐちゃに転がりながら。あちこちに身体をぶつけて。
意識が、
死の恐怖に途切れる事を望む。
「武彦さん」
シュラインは声にならない声で愛しい男の名前を呼んだ。
フロントガラスめがけて頭から落ちていくシュラインの手が虚空へと伸びる。
そこには何も無い、
そう、何も無いはずだった。
その手を掴んでもらいたい手は無かった。
だけど、違う助けの手、奇跡はあったのだ。
狐の面。
隠しの神のその力の結晶。
それに新たに込められた五大聖獣の力。
それらが生み出したのは四大元素のひとつ、風をその力の源とする上位精霊シルフ。
その体長10センチの小さなそれは伸ばされたシュラインの手を両手で握る。
『マスター、シュライン・エマ様。オーダーを』
表情は無機質だ。その声はそよ風のように流れる。
それは神によって作られた神工精霊。今はまだ何もダウンロードされていない状況だから、表情は無い。
それでも、
「この場を。私たちを助けて、シルフ」
『オーダー、了解いたしました。マイ・マスター』
そのシュラインの願いを叶えるだけの力は持っていた。
シルフを中心にした風はバスの車内の中で発生し、そしてシュライン、零、三下を避けるように流れた風が内側よりバスを破壊して、そしてバスという篭から開放されたシュラインたちは、シルフという風に乗って、虚空を飛んだ。
【W】
鬱蒼と生い茂る草木。
そこは昼間だというのにとても薄暗い。
見上げればそこにあるはずの空は生い茂った枝や葉によって隠されている。
それはどこか何者かに操られている遊女たちを思わせた。彼女らもきっとその何者かに目隠しされて、行くべき道を見えなくされているのだから。
シュラインは三下におんぶされている零の背中を見据える。
あの後、崖に落ちていくバスからシルフの能力で脱出したシュラインたちは道路へと降りた。
その道路の脇にあった木製のベンチにシュラインたちは零を寝かせた。
ハンカチをリュックの中にあったペットボトルの水で濡らし、それを零の額に置く。
気を失っていた零はほどなく起きて、その零にシュラインは優しく微笑んだ。
そして零は訥々と語った、今回の敵について。
自分に降りた少女の事について。
「まずはじめに言いますと、財宝は、皆さんが考えている財宝ではありません。今回の敵、平家の怨霊が生み出した冥道なんです」
「めいどう?」
シュラインが問うと、零はシュラインの手を取って、その手の平に冥道、と書いた。
「そこから亡くなった平家の人たちを呼び出して、それで世界を………」
そこで言葉を詰まらせた零の頬をシュラインは優しく触った。
そして内心で下唇を噛む。
世界をも滅ぼそうとするその動きが恐ろしかった。
そしてそれは、女の勘。
世界を滅ぼそうとする平家の怨霊が今こうして自分のその前に現れたのは、ただの偶然だろうか?
いや、そうとは想わない。
想えば武彦をこの事件に関わらせなかったのは最初から、そんな予感がしていたから。
そしてそれは確信へと変わった。
「【黄泉】。あの組織がこの事件には関わっている。それは間違いないわ」
内心で呟き、下唇を噛む。
「お姉さん。三下さん」
零が呼ぶ。
「ん?」
「私を連れて行ってくれませんか? 人身御供。自分からそれを申し出たあの娘の家だった神社があるんです。そこの宮司の人たちなら、新たな結界をはれるはずですから」
「それも零ちゃんに降りて、私たちを守ってくれたあの娘が、教えてくれたの?」
「はい」
「そう。じゃあ、行きましょう」
シュラインは自分ひとりで行くつもりだった。
しかしベンチに横になっていた零がよろよろと立ち上がろうとし、シュラインを慌てさせる。
「零ちゃん」
「私も行きます」
必死な声でそう言う。
シュラインは何かを言いかけて、だけどやめる。
「女の子の意地、見せなくっちゃね」
「はい」
笑いあう。
そしていつもは一番に逃げ出す三下が零に背中を出す。
それにシュラインと零は驚いたように顔を見合わせて、にこりと笑いあった。
そうして三人は神社に向かっていた。
遊女の霊たちが森の木々の陰からこちらを見ている。
くすくすと笑っている。
木の陰から伸びる手がシュラインたちにおいでおいでをする。
その手の招きに、足が向かいかける。
喉がカラカラで、気がおかしくなりそうだった。
心が、沈んでいく。
これは遊女たちの心が流れ込んできているのだろうか?
誰が好き好んで見も知らぬ男どもに身体を貪られる遊女などに身を堕とすだろうか?
それは生きるためだった。
生かすためだった。
お金のためだった。
それでも遊女たちは気が狂いそうになる日々を生きていたのだ。
そしてこの深い森の中に連れて来られた。
相手は工夫たちだった。
何の仕事をしているのか興味はあったがしかしそれを口にはしなかった。
ただ日々を工夫たちの相手をする事で過ごしただけ。
そして工事は終わった。
ああ、これでようやっと帰られる。
遊女たちにだって心に想う男や、それに遊郭という家を想う気持ちはあったのだ。
彼女たちは家に帰られる事を喜んだ。
その矢先、しかし彼女たちは殺された。武将によって斬り殺されたのだ。
ああ、この恨み、忘れぬぞ。
忘れぬぞ、この恨み。
貴様らの末代まで恨み、呪い殺し、家を潰してやる。
絶対に忘れぬぞ、この恨み。
血の海に沈む遊女たちの躯は野ざらしにされた。
あるいは腐り果て、
あるいは獣に食われた。
忘れぬぞ。
忘れぬぞ、この恨み。
三下の足がそちらに向かいかける。
「三下さん」
零が叫ぶ。
シュラインは後ろから零をはさんで彼を抱き、止める。
遊女たちの笑い声が、大きくなる。
無音、自然界には、それは有り得ぬのに、何故か無音のその世界で、遊女たちの笑い声だけが響く。
シルフは、消えていた。
零と三下を守るべく、先頭を守らせていたのに。
「これも遊女たちの力。恨みの力は、抱く闇はこうも深くって…」
どうすればいい?
どうすれば、この遊女たちを救えるのだろうか?
そればかりを考えるのだけれども、しかし答えは出ない。
いや、先ほど心に流れてきた、遊女たちの悲しい記憶。
家族のために遊郭へと売られてきた娘たちを慰めていた優しい歌声があった。
その歌が遊郭に売られた娘たちの、心の支えだった。
「お母さん」
シュラインの口から、自然とその言葉が溢れ出ていた。
そうだ。遊女たちによってその太夫は、お母さんだったのだ。
でも歌詞が、少ししかわからない。
「遊女たちの心を救える手があるかもしれないのに」
シュラインは歯噛みする。
その彼女の耳に、ふいに囁きかける声。
ありがとう、心優しきあなた………
誰?
――――いいや、その答えはわかっている。
シュラインは瞼を閉じる。
静かだった心の水面に波紋が浮かぶように、歌詞が、溢れ出る。
ただ彼女は、それを歌声に紡ぐだけ。聞いた声を真似て。
世界に音が、戻った。
そしてその瞬間にシュラインたちの視界に映ったのは荒れ果てた社。腐り落ちた鳥居だった。
【X】
シュラインは零たちを残し、今にも崩壊しそうな社の中へと足を入れた。
そこにある小さな箱に目が行く。
埃だらけのそれの埃を払い、彼女は箱の蓋を開けた。
その中には服があった。それから人形も。
シュラインは柔らかに目を細めて、その人形を手に取った。
感じ取れた。それに込められた親心が。
人形の頭をそっと撫でる。心が緩んだ、その瞬間、まるでそれを見計らったように、鋭い鞘走りの音がした。
反射的に彼女は横に飛んでいた。
そしてそれは正しかった。そうしていなければ彼女の首は、飛んでいた。
「冗談じゃないわね」
前方回転の勢いを利用してシュラインは立ち上がる。
そしてそこをきぃっと睨みつけた。
そこにはどこか歴史の教科書やそれ系の雑誌、時代劇などで見るような貴族の格好をした男が居た。
顔に真っ白な白粉を塗り、眉毛が無い。
毒々しい程の紅を塗った唇が動く。
「よくぞ来たな、シュライン・エマ」
にやりと笑うその顔を見て、シュラインは確信する。こいつは平家の怨霊であり、そしてやはり【黄泉】なのだと。だから自分の名前も知っている。
「ええ。神社とは、相性が良いのでね」
そしてそいつが抱いているどこか悲しげな顔をしている人形を見据えて、歯噛みする。
「その人形」
「ああ、そうさ。そうだとも。この人形が形代。遊女どもを操る鍵さ。哀れな女どもの魂。生前は家に縛られて遊郭に身を堕とし、今はその恨みの情念が故に我の玩具。おまえも我の玩具にしてやろうか、シュライン・エマ」
笑うそいつにシュラインは大きくため息を吐いた。
本当に。どうしてこいつらはこうも自分の逆鱗に触れるのだろうか?
それは武彦がどうの、という事ではなく、シュラインは彼女自身が心底こいつらが気に食わない、それをあらためて確信する。
そして細めた冷徹な光が宿る瞳でそれを見据える。
「あら、でもそれはあんたも同じでなくて?」
「な、なに?」
「あんただって、源氏や朝廷への恨みで成仏できず、そして現代では【黄泉】に操られている。充分に哀れむべき愚かな霊だと想うのだけど?」
くすり、と笑う。
平家の怨霊の顔が歪む。
「あら、そんなに眉間に皺を寄せるから厚化粧が剥がれてきているわよ?」
ぱん、と手を叩く。
「自分たちの栄華を忘れられぬが故に化粧だけは豪勢にする。その身のなんと哀れな事か。そうやって見かけばかりを気にするから、源氏にも負けて、そして今は【黄泉】にだって利用されている。あんた、遊女を馬鹿にしているようだけど、遊女はあの時代、誰よりも懸命に命がけで生きていたのよ。それを笑う資格はあんたには無いわ」
「貴様ぁー」
怨霊は腰の太刀を抜いた。
それをシュラインは笑う。
「あら、やだ。そこまで怒るという事は、あんたも自分で自分の身の行く末をわかっている、っていう事かしら? そう、朝廷に利用されて、捨てられたように、やがては【黄泉】にも利用された挙句に捨てられるとね」
ぴしゃり、とシュラインは冷たく、そしてどこまでも凛とした瞳で平家の怨霊を見据えて、言った。
平家の怨霊は開けた口をわなわなと震わせて、そしてその後に雄叫びを上げる。
「ならば【黄泉】ごとこの世の全てを滅ぼしてくれるまでの事」
ざわり、と空間が震える。
いや、社自体が揺れているのだ。
シュラインはしかし、平家の怨霊から視線を逸らさない。
そして、
空間が移動していた。
どこかの風穴にいた。
その風穴には巨大な氷の塊があり、その中にひとりの少女が囚われている。
氷の塊の周りを飛び交う遊女ども。その顔はどれも酷薄で。
「冥道をあける」
怨霊が宣言をする。
そして太刀の切っ先を氷に向けて、叫んだ。声にならぬ声で。
遊女たちが騒ぎ出す。
その遊女たちの、平家の怨霊の闇に、呼応するかのように氷の中の少女の顔も歪む。暗い表情に。
それは零に降りていた時に彼女が見せた表情とはかけ離れたものだった。
「いけない。闇に染めるとは、そういう事なのね」
シュラインは氷へと走った。
そして彼女は氷へと腕を伸ばした。それは無意識だったのだ。無意識の行動ではあったのだが、しかし心はおそらくはそれを知っていた。
彼女の腕は氷をすり抜けて、少女の腕を掴み、シュラインは彼女を引っ張った。
その瞬間にシュラインの腕はただれ始める。結界の効力か、少女の心が闇に染まり始めているからか。
シュラインはだけど悲鳴を上げなかった。
腕は見る見るただれて、衣服の繊維が溶けて、彼女の腕の素肌にくっついても、悲鳴を上げない。
ただシュラインは歌を歌う。あの、歌だ。
その歌が、遊女たちの動きを止める。
「おい、こら、どうした、遊女ども。何故、動きを止める。さっさとやらんか」
喚く平家の怨霊をシュラインは横目で見据えて、唇の片端を吊り上げた。
「貴様ぁー」
平家の怨霊はシュラインに踊りかかる。
だがその動きを止めたのは、遊女たちだった。おもむろに数え切れぬほどの遊女たちの霊が平家の怨霊の中に飛び込み、同化していく。
「や、やめろ。や、めぬか、この下賎な遊女どもが。やめろぉー」
平家の怨霊の身体に浮かぶ、遊女らの顔。しかしその顔のどれもが優しくシュラインに微笑みかけていた。
シュラインは声にならぬ声をあげて、氷から…結界から少女を取り出し、そしてその小さな身に、あの箱の中にあった衣をかけてやった。
そうしてぎゅっと抱きしめる。両腕で。
「もう、もういいのよ。あなたは解放されて。ごめんね。ありがとう」
彼女は自分からこの人身御供に申し出た。
その自己犠牲の想いが、逆に冥道を広げていたのだ。
それを当時の者たちは気づけなかった。
誰も、彼女の自分がやらなければ、という自分で自分を追い詰めたその感情に気づけなかったから。
だけどそれにシュラインは………
「ありがとう、気づいてくれて」
少女はシュラインの腕の中でそう呟き、
それから少し躊躇って、こう言う――――
「おかあさん………」
にこりと笑って、それから少女は苦しみもがく平家の怨霊へと歩いていき、シュラインがそうしてくれたように彼を抱きしめて、
その腕の中で最後にその平家の怨霊は、迷子になって泣き疲れて、そうしてようやっと母親に見つけてもらえたような、そんな子どものような顔をして、少女や遊女たちと一緒に、黄金の光に包まれた。
その中で響いた声を、シュラインは聞いた。
「やれやれ。所詮は人霊。恨みと言えどもその程度か」
それを言ったのはあのヴラドであった。
「どうして、あんた?」
吸血鬼は犬歯と呼ぶには鋭すぎる牙を剥き出しにして酷薄に笑った。
「冥道よ。冥道を通って我は復活した。浅ましき人間。シュライン・エマ。貴様を殺すために」
シュラインは歯噛みする。
その彼女を守るシルフはその姿を風の上位精霊ジンへと変える。
だがそれはまだ生まれて間もない力。一度冥界に堕ちて、そしてそこから蘇ってきたその闇の者を倒すには、力が足りない。
ヴラドは牙を剥き出しにして、そしてシュラインに――――
彼女は歯をくいばしる。
だがそこに一つの黄金の風が巻き起こった。
ジンにダウンロードされた力は、少女の、遊女の、そして平家の者の想い。
ジンは両手を迫り来るヴラドへと向けて、
そしてそれのマスターたるシュラインにはわかっていた。その技のトリガーは彼女の心にあるのだと。
「ヴラド。知っている? しつこい男って、女に嫌われるものよ?」
くすりと笑い、シュラインは右手で拳銃のゼスチャーをし、そしてその銃口をヴラドへと向けて、トリガーを引く。
「あの世に戻りなさい。この亡霊よ」
トリガーは引かれた。
ジンの放った風はヴラドを捕らえ、そしてそれは押し流されたのだ。冥道へと。
ヴラドは聞くも耐えない口汚い呪詛を吐き出しながら、冥道へと飛ばされて、そしてジンの風はそれすらも、跡形もなく破壊した。
【ラスト】
気づくとシュラインはあの神社の社に居た。
そして彼女は小さくため息を吐く。
箱の中には小さな紙切れがあり、それにはあの結界の場所が書いてあった。
しばし逡巡し、だけどすぐに彼女はその紙を破り捨てた。
そこへ行って花をお供えする事を考えたが、しかしもうそこに彼女らの魂は無い。
少女も、遊女らも、そして平家の魂も、もう成仏したから。
ただシュラインは、その代わりに、そこで彼女の声で、あの太夫の歌を歌った。
そしてその優しく綺麗な澄んだ歌声はどこまでも優しく、世界に響き渡った。
― FIN ―
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
こんにちは、シュライン・エマさま。
いつもありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼ありがとうございました。
えっと、プレイングにあった少女への対応のシーン。
遊女への対応のシーンが、私の心を揺さぶって、こう湧き出てきたお話が今回のようなお話になりました。
いかがでしたでしょうか?
今回のお話は本当にPLさまにお気に召していただけましたらすごく幸いなのですが。
PLさまに頂いた少女と遊女を想うお気持ちがすごく優しくって、それを表現したくって、ちょっと私の方が走りすぎてしまったような形になっていますので、本当にお気に召していただけますと、すごく幸いです。
シュラインさんの貴族への接し方はいかがでしたか?
あのような感じで良かったでしょうか? PLさまのイメージにあっていると良いのですが。
私は母親、という物を描くのが好きでして、それは時には物語を終結させるような愛情に満ち溢れた存在でもあったりしますし、ラスボスでもあったりするのですが、シュラインさんを担当させていただく時は、シュラインさん、という方の深い母性や優しさが描けて本当に嬉しいなーと想います。^^
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。
|
|
|