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<東京怪談ノベル(シングル)>


捕まえられない金色烏


 薄暗い店の明かりが揺らめいた。
 数人しかいない小さな居酒屋。
 其の内の一人である内山・時雨がぼんやりとコップを傾けた時だった。
「よう大将、そう云えば此の前日蝕があったんだが、あんた見たかい、」
 少し酔った様子の気の良い親爺と店の主人との会話。
 偶然見たんだが彼は凄かった、と親爺が主人に語っていた。
 ――太陽なぁ。
 其の会話を偶々拾った時雨は、其れを追い掛けていた頃を思い出した。


     * * *


 其れは自分が生まれて間もない頃だった、と云っても正確には何時の頃だったのかは解らない。
 抑も時雨は自分の年齢を知らないし、知っておく事に特に意味は無いと思う。
 第一知らないのは、長く生き過ぎて数えられなく為ったと云った俗っぽい理由で無く、何時生まれたのか解らないからだ。
 気が附いたら、自分は生きていた。存在していた。
 其の頃の時雨は、勿論人の姿等模して居らず、伸び放題の蓬髪に襤褸を纏った如何にも鬼、と云った外見で。
 そんな折、時雨は“或るモノ”の存在に気附いて、同時に強く焦がれた。

 ――其れが、太陽だった。

 気附いた時は実に驚いた。
 何故あんなにも強く輝くのだろう。
 何故あんな処に有るのだろう。
 何故、何故。
 嗚呼、彼の輝きを此の手で掴んでみたい。
 そう思って時雨は素直に真直ぐ手を伸ばした。
 然し、届かない。
 もっと高い処に有るのだろう、ならばと自分の棲んでいた山の頂上に駆け上がる。
 其れでも届く気配は無い。
 未だ高い処か、と今度は其処に或る巨木の天辺迄よじ登る。
 なのに、届く処か掠りもしない。
 然し此処より高い場処を時雨は知らない。
 来る日も来る日も其の木に登り続け太陽を見上げた。
 そして、或る日時雨は気附いた。
 彼の光は暫く経つと、遠くの山の向こうへと落ちていく。
 其の場処迄行けたなら、若しかして掴めるかも知れない。
 掴めなくても、彼の光が何なのか解るかも知れない。
 そう考えた時雨は、居ても立っても居られなくなり木から飛び降りて其の方向へと駆け出した。
 然し其の日は気附いたのが遅かった為か、山を下りた処で太陽の姿は見えなくなった。
 時雨は溜息を吐くと、亦山へと戻った。
 次はもっと早くから追い掛けようと心に決めて。



 翌日、時雨は空を見上げて待っていた。
 そして、太陽が現れるのを見ると、其れに向かって駆け出した。
 東から昇って西に沈むなんて知らない。
 唯単純に純粋に、其の姿を追って走った。

 山の斜面を器用にバランスを取り乍一気に駆け下り、森の木々の間を縫う様に抜けて、野原の草を蹴散らして進んだ。
 一日で追いつけない事を知ると、次の日も走った。

 時に川で魚を捕って喰い、水を飲み、亦山を駆け上がり、木に登って太陽の位置を確認した。
 追いつけなくても、何時か、彼の光が落ちてくる場処には辿り着けるだろうと思って。

 整然と作られた田の畦道を抜けて、人の集落をも駆け抜けた。
 喩え、其の中に鬼の姿を認めて怯えた者が居ようとも、今の時雨には見えていない。

 唯只管に、来る日も来る日も太陽と云う光を追い掛けて走り続けた。



 そんな追い駆けっこが幾日も続いた或る日、時雨はとうとう海辺まで遣って来た。
 今迄と感触の違う砂を踏みしめて、水平を眺める。
 ――光が落ちるのは山の向こう。
 然し山の向こうには此の大きな水溜まりが有った。
 時雨は何の躊躇いもせずに、海の中へと入っていった。
 次第に足が着かなくなり、仕方なく泳ぎだした。
 真直ぐ、落ちていく太陽に向かって泳ぎ続けるが、岸が見えなく為った辺りで太陽も沈み切り、時雨自身も疲れたので引き返した。
 次の日も泳いでは見たが、大体同じ場処で疲れて岸に戻って来た。
 海と云う此の大きな水溜まりは、時雨が思っている以上に大きく、広かった。
 次の日も、亦次の日も泳いでみたが、矢張り引き返して仕舞った。
 そして、時雨は此処を渡りきるのは無理だと悟る。
 其れは光を追い掛ける事が出来なく為ったと云う事で、幾分がっかりはしたものの、未だ希望は捨てていなかった。
 亦別の方法で掴む事が出来るかも知れない。
 若しかしたら、何時か彼の光が此方側に落ちてくるかも知れない。
 ――其の内掴めるだろうさ。
 そう思って、亦山に戻り気楽に過ごした。



 然し幾許かの年月が流れた後、其の楽観的な思いは砕かれる。
 発達した天文学で、彼の光である太陽は到底掴めないモノだと発覚した。
 掴める様な大きさでも距離でも無く、其れが落ちてくる事は有り得ないと、解った時時雨は深く絶望した。
 暫くの間は太陽を見る度溜息を吐き、視線を逸らした。
 結局の処、其れは本当に手の届かない、永遠に焦がれる対象となったのだった。


     * * *


 時雨は勘定を済ませて店を出た。
 闇の中で光るのは、薄暗い電燈と、空に浮かんだ丸い月。
 ぼんやりと其れを見上げて時雨は呟き、微かに笑った。

「……如何せ君にも手は届かないんだろう、」