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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて


 さわりと耳を撫ぜたのは、しっとりとした夜の気配に充ちた風と、それに乗る唄声だった。
 唄声は、ともすれば夜風に流され掻き消えてしまいそうな程に小さなものではあったが、シュラインの耳は確とそれを聞き留めていた。
 都都逸の七、七、七、五の調子に頬を緩め、シュラインはふと顔を持ち上げて周りを見遣った。
 師走ともなれば、夜の訪れるのも一段と早いものとなる。気付けば辺りは闇で覆われ、ぽつりぽつりと灯る窓の明るさが視界に映る。
 ――――何処か、そういったお稽古事をやっている教室でもあったのだろうか。そう思いつつ、闇を照らす幾つもの灯に目を細ませた。
 さわさわと耳を撫ぜる夜風は音も無く静かに流れ、見上げれば、月一つない漆黒ばかりの夜空が安穏と広がっていた。
 
 年の瀬ともなれば、流石に何かと慌しい時分を迎える。興信所もこの数日何かと忙しない日が続き、先刻ようやく身辺落ち着き始めたのだった。
 気分転換にちょっと散歩にでも行ったらどうだ、と。そう声を掛けられ、シュラインはそれに頷いた。確かに、しばし外界の空気に触れて気分を一新させたいとも考えていた矢先であったから。
 それに、何より。年越しにかけ、新しい一輪挿しが欲しいとも思ったのだ。それを探しに陶器屋を巡ってみたいとも。
 
 安穏とある漆黒を眺めつつ、数歩。歩みを進めて、歩き慣れた道の角を折れた。
 同時に、夜風が、心持ち強めにシュラインの髪を梳いて吹いた。
 そして
 
 歩んでいた足を留め、シュラインは僅かに眉根を寄せて首を傾げた。
 都都逸を唄う声は先刻よりも大きくなり、さわりさわりと耳を撫ぜる。
 からりころりと聞こえるのは、それは下駄の音だろう。シュラインの視界に映る者の何れかが、今時珍しい、下駄履きなぞで外出しているのだろうか。
 ――――が、今、シュラインの双眸に映りこんでいる、その光景はと云えば。
「……人間じゃ、ないわよね……」
 独りごちて頷く。
 視線が捉えているのは『画図百鬼夜行』を彷彿とさせるようなものだった。
 からかさ小僧に、河童。狐に、――ああ、あれは猩猩の群れだろうか。
 夜行は愉しげに都都逸を口ずさんではシュラインを追い越し、或いは擦れ違っていく。闇から現れた彼等は、また闇の中へと消えていくのだ。
 ――――否、違う。よく見れば、シュラインを追い越して行く一行は、路の向こうに有る一軒の建物の中へと消えていくのだ。
 
 しばし言葉を失くし、その場で足を留めていたシュラインに、擦れ違いざま、妖怪の一人が言葉を掛けた。
「おんやあ、人間のおなごでねえか」
 小豆の入った桶を抱え持った小柄な老人だった。
 その、あまりにも人懐こい笑みに――そう、それは悪意等といったものは微塵も感じさせないものだった――、シュラインは束の間思案する。
「今晩は。……どうやら、知らず、あなた方の世界へ入りこんでいたようね」
 丁寧な会釈をした後にそう告げると、老人――小豆洗いは満面の笑みで頷いた。
「たまあに、あんたみてえなのが来るんだよお。珍しい事じゃあねえんだあ」
「そう。……あなた方は? これから、何処へ向かうの?」
 シュラインは対峙した妖怪の言葉に、やんわりと笑みを浮かべて返した。
「わっちらかィ? わっちらは、これから一杯やりにいく処さア」
 小豆洗いがそう告げると、それを囲む他の面々がひやひやと笑う。しかしそれは決して下卑たものではなく、仲間の言を肯定するかのようなものであった。
 シュラインは、しばし思案し、
「見たところ、酒場らしい店は見当たらないようだけれど――」
「いンやあ。ほれ、あそこにあるでねえか」
 示された場所には、遠目にも鄙びた印象のある家屋が建っている。
「……あれが?」
 首を傾げ、眉根を寄せる。
 
 シュラインが立っている場所は、目算する限り、道幅20メートル程だろうかと思われる大路の上だ。
 薄闇の中、夜目に慣れてきた視界に映りこむのは、旧い都の大路を彷彿とさせる路。路脇には時代劇等を思わせるような家屋が点在し、柳やら松やらといった木々がさざめいている。
 妖怪達はシュラインを横目に見遣りつつ、再び呑気に唄を始めた。夜風に乗ってさわさわと揺れるそれを耳にして、シュラインは双眸をゆらりと細ませた。
 ――――聴こえてきたあの唄は、妖怪達が興じていたものだったのだ。ならば恐らくは、あの時点で既に、現世を逸脱したこの世界への入り口に立っていたという事なのだろう。
 都都逸を口ずさみつつ歩みを進めた夜行に続き、シュラインもまたゆっくりと足を進める。
 大路は窺い見る限りでは全部で四つ程あるようだ。その内の一つの上を、シュラインは歩んでいるのだ。
 先程小豆洗いが示した家屋は、四つの大路がぶつかった場所――四つ辻の傍らに立っている。家屋は一見した限りでは、とてもではないが人が住めるようなものではない。――見目にも半壊して鄙びたそれは、最早人の住めるようなものではないように見えたのだ。が、その家屋へ向かう一行は、どうやら小豆洗いが居る一行だけではないようだった。薄闇の中でゆらりゆらりと揺れる行灯の灯の幾つかが、その家屋へと消え入っていくのだ。

「ほれ、ここだ。あんたも一緒に入るかイ?」
 家屋を前に足を留めたシュラインに、小豆洗いが声を掛ける。 
 シュラインは小さな笑みを浮かべて頷くと、夜行に続き、たてつけの悪い戸板に手をかけた。
 ガタガタと音を立てながら引き戸を開き、家屋の中を覗き込む。
 ほんのりとした明かりが薄闇を照らし、シュラインは、その眩しさに、知らず目をしばたかせた。
「――――おや、これはこれは。ようこそ。どうぞ、此方へ」
 目を細ませ店内を覗きこむシュラインを、男の声が呼び掛けた。
 明かりに慣れた目を開き、確かめる。
 一見鄙びた印象のある家屋の中は、手狭な――そう、六畳の部屋が二つ程分と云ったところだろうか。酒場と云うには幾分か手狭な造りの空間が広がっていた。
 並べられた幾つかのテーブルと、乱雑に置かれた椅子。それらは全てが木製であり、その上に腰掛けている客の面々は、その何れもが人ならざる存在であった。
 初めて訪れたシュラインには、必然的にその場の視線が寄せられる。だがその視線は全てが好意的なものであり、ただの一つでさえも、悪意を感じるものではないのだ。
 丁寧な所作で頭を下げて、再び戸板に手を伸ばす。――たてつけの悪いその引き戸の開閉には、どうやらコツがいるらしい。
 店内をざっと見渡してから、手近にあった椅子を引き、座る。
 近い場所に座っていた面々に向けて笑みを見せると、妖怪達は嬉しそうに頬を緩めて微笑んだ。
「おまえさん、初めて見る顔だね」
「ええ。初めまして。シュライン・エマと申します」
「アンタ、わしらが怖くはねえのかイ」
「いいえ。ふふ。……皆さん、お優しい方ばかりのようですし」
「ハハ、ええ、確かに。ここの連中は、どれも皆、気の善いのばかりですよ」
 と、先程の男の声が相槌を打つ。
 顔をあげてそちらを見れば、そこには和装の男が一人、立っていた。
「こんばんは」
 笑みを浮かべて軽い会釈をするシュラインに、男は眼鏡の奥に柔らかな笑みを浮かべ、やはり軽く頭をさげた。
 ことりと置かれた湯のみには、温かな湯気をのぼらせる緑茶がゆったりとした波をたてている。
 シュラインは和装の男が寄越した湯のみを手に取り、茶を一口啜った。
「あんたが持ってるその湯のみはねェ、そこの大将が焼いたものなのさ」
 向かい側の椅子に座っている魑魅が、そう述べながら身を乗り出した。
 シュラインはその言葉に数度目をしばたかせ、それから湯のみをしげしげと見つめた。――確かに、幾分か無骨な型をしているが、不思議と温かみを感じるものでもあった。
「それじゃあ、あなたがこのお店の店主なの?」
「店って程には立派なモンでもありませんがね。それに、店主って程のもんでもありません。まあ、この四つ辻で、ぷらっと寄れる場所で、適当に酒やら茶やら出してるだけですよ」
 男はそう返して頬を緩めた。
 シュラインは男の言葉に笑みを返し、再び湯のみを口にする。そうして、ふと、首を傾げた。
「焼き物をなさるのなら、一輪挿しなんかも造ったりなさるのかしら?」
「一輪挿し、ですか? 花瓶の?」
「ええ。自宅で、ちょっとした花を飾れたらなんて思って」
「……ふむ」
 シュラインの言葉に、男は頷き、腕組みをした。
「焼かない事もないですが、生憎と今は用意出来ませんねェ」
 唸るようにそう述べた男に、シュラインは軽く頷いて笑みを浮かべた。
「じゃあ、次の機会にという事で」
「ハ、ハ。では、用意しておくとしますよ。――そうですね、その代わりと云っちゃあなんですが、ちいと、昔語りなんぞはどうですか」
 頬を緩め、シュラインに小皿を差し伸べる男の言葉に、シュラインは僅かに首を傾げてみせる。
 小皿にあったのは切り分けられた栗蒸し羊羹だった。
「昔語り?」
 問うと、男は小さく頷いた。そうしてゆっくりと口を開ける。


とある藩の殿様が居りましてね。まあ、これが変わり者でありまして。曰くのある品物なんかを集めるのがお好きな方であったようで。まあ、そんなわけでして、この殿様の元に、ある日小さな壷が送られてきたってんですよ。壷っていっても、本当に小さいものでしてね。それこそ路傍の花なんかを少しばかり飾れば一杯な感じのものでして。ところがその壷、憑き物がついていたわけですよ。所謂付喪神ってえやつですが。そいつが、まあ、殿様に目通りなんぞしたわけですよ。殿様はこれを大層気に入った様子で、自ら花を持ってきちゃあ飾ったりってな事をなさってたんですね。で、ですね。この殿様が、ある日、壷に言ったそうなんですよ。「おまえも付喪神、神ってえ名を持つ者ならば、飾った花の命を枯らす事なく常しえのものとしちゃどうだい」と。壷は、まあ、しばあらく考えた末にですね、殿様に言ったそうなんです。「では、自分に花を生け、その後、自分ごと庭の土ん中に埋めてくれ」って返した。そうしましたら殿様はこれをまんまと土に埋めまして。ええ、壷を、こう、土ん中にね。埋めたらしいんですね。え? それで、花は常しえのものとなったのか、って? ああ、それはねえ、常しえになったそうですねえ。ただ、埋められた壷の方は、これは土に還ったそうなんですよ。まあ、そりゃあそうでしょうけれどもね。花は咲き、枯れて種子を残し、やがてまた花をつける。この繰り返しこそが、生あるものの常しえってねえ。


 男は一頻りそう話を終えると、ふうと小さな息を吐いて微笑んだ。
 湯のみの中の緑茶はすっかり冷めていた。が、シュラインはそれを一息に飲み干して、そうして視線をゆらりと細ませる。
「それは、あなたが……ええと、そういえばまだお名前を聞いていなかったわね」
「ここの連中には詫助と呼ばれていますが」
「本名ではないの?」
 問うと、詫助は黙したままで微笑した。
 シュラインはそっと肩を竦めると、羊羹を口に運び、口に出しかけていた問い掛けと共に飲みこんだ。
「――――そんな事、どうでもいいわよね」
 笑みを浮かべてそう返し、空になった湯のみを詫助に向けて差し伸べる。
「もう少し、色々なお話を聞きたいわ。……お茶のお代わり、もらえるかしら」
「ええ、喜んで。――――じゃあ、次はどんな話をしましょうかねえ」
 シュラインの湯のみに茶のお代わりを注ぎつつ、詫助は小さな笑みをのせる。
「それじゃあ、さっきの殿様のお話を。きっと、もっと色々な逸話を持った殿様だったんでしょ?」
 問い、再び羊羹に楊枝を伸ばす。
 詫助は頬をやんわりと緩ませて、そしてゆっくりと口を開けた。
「……では、こんな話なんぞ」

 酒に酔った妖怪達の愉しげな唄がのぼりだす。
 四つ辻に訪れた宵の刻は、未だ始まったばかり。  
 




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

NPC:詫助

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■         ライター通信          ■
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いつもお世話様です。
このたびはゲームノベルへのご発注、まことにありがとうございました。いつもながら丁寧なプレイング、楽しく拝見いたしました。

この四つ辻でのゲームノベルシナリオは、一話で完結という形を取りつつも、またご利用いただけた際には、前回のその続きを展開させていけるようにも考慮させていただいています。
もしも今回、このノベルがお気に召していただけましたら、また次回以降、ご贔屓によろしくお願いいたしたく思います。

今回はノベル中、ちょっと遊びの趣向も加えさせていただいております。書き手としてはこういう書き方も好きなので、読み手さまであるシュラインさまにも、少しでもお楽しみいただけていれば、幸いです。
それでは、またお会いできることを祈りつつ。