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rainy day
(……雨だなぁ……)
夜半から振り出した雨は、午前中になり少しおとなしくなった。
けれど天気予報では、今日は一日雨という。
(……)
自室の窓辺から、灰色の空を見上げ、綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)は深いため息をついた。
蔵書の一つに手をかけてみたが、あまり読み進まないうちに閉じてしまった。
細いフレームの眼鏡に手をやり、かけ直す。小さな文字から視線を移し、彼女は再び窓を見上げ、壁にかかっているワンピースへと止まった。
とても質のいい品だけど、窮屈さこのうえない。
勿論体型がどうの……というわけではなくて、ね。
あのワンピースはお見合いを仲介してくれたおばの為に、義理で着ていたものだ。
我が身に起きた【見合い】という重大イベント。漸くその騒ぎも落ち着いたのだが、まだ心に積もる何かが残っている。そんな気分。
(……やっぱり、出かけよう……このままじゃ腐りそう)
汐耶は大きなため息をつくと、立ち上がり、うーんと伸びをした。
1時間後、汐耶は玄関を出ていた。
レインコートというのもたまにはいい。
傘も久しぶりの出番を喜んでいるようだ。
「行ってきます」
家人に声をかけ、彼女は颯爽と街へと繰り出したのだった。
◆
「きゃあ!」
後ろからバケツで水をかけられたような冷たさが、彼女を襲っていた。
排気音を響かせ、抜けていく自動車。
「……」
凡河内・絢音(おおしこうち・あやね)は、恐る恐るワンピースのスカートを翻す。
(……うわぁ)
そこには目も当てられないくらいに泥が跳ね上がっていた。
すれ違った車が、水たまりの泥水を跳ね上げたのである。
思わず道の先を睨んだが、その車の姿はもう消えていた。
「……うー」
怒りの矛先が無いと、空しさと悲しさが湧き上がってくる。
(お気に入りのワンピースだったのに……)
さすがにこの姿ではお出かけできない。
家に立ち戻るべきか、絢音は深いため息をつき、とぼとぼと歩き出した。
歩き始めて暫く。
大通りに出るべき道で、絢音は立ち止まり、またもや息をつく。。
この泥だらけのワンピースでは人目にあまりつきたくない。けれど、通らなきゃ戻れない。そして意を決して彼女が歩き出したその時、後ろから一台のタクシーが近づき、彼女の横で止まった。
「!」
「絢音さんじゃない?」
窓が開き、顔を覗かせたショートヘアの眼鏡美人。絢音は驚いた表情になる。
「綾和泉さん!」
「やっぱり! お久しぶりね」
以前、草間興信所の依頼で一緒になったことがあったのだ。
「お久しぶりです」
絢音が丁寧に頭を下げると、汐耶はにっこり微笑んでから、絢音を招くように顔を近づけさせる。そして耳元に囁いた。
「後ろ、酷いことになってるわよ?」
「うっ……!」
見られたこともショックだったが、絢音は先ほどの車の話を汐耶に話した。
話してるうちに段々怒りも思い出し、少し早口になりつつも、でも正当な怒りだから仕方ないと自分で納得したりもする。
「あはは。それは災難だったわね。いいわ、一緒に乗って行かない?」
「えっ?」
「これから行き着けのショップに出向こうと思ってたとこなの。洋服を買いにね」
「そうなんですか……でも」
「いいから、いいから。ほら」
タクシーの運転手に頼み、ドアを開いてもらうと、半ば強引に汐耶は絢音を車に引き込んだ。
「素敵なお店なのよ」
「でも私……」
「可愛い絢音さんにプレゼントして差し上げるわ。私、今、とてもお金が使いたい気分なの」
「えっ」
「……内緒よ?」
扉が閉まり、走り出す車。
緊張して固まっている絢音の耳元に汐耶はそっと、『先週、お見合いだったのよ』とウインクしながら苦笑してみせた。
◆
汐耶が案内してくれた店は、とてもお洒落なカジュアルをそろえたブティックだった。
「わぁ……」
絢音は店内を見回し、目を輝かせる。
こういうショップに来ることは、女子高生で一般家庭に育つ絢音にはそうそうあることではない。
人懐こい笑顔と共に話しかけてきた店員に、汐耶は絢音の肩をトンと叩いて、
「可愛くしてあげてね」
と笑いかける。
「まあ可愛らしいお嬢さんですね。任せてください」
店員は、笑顔を絢音に向け、力強く頷いた。
「それじゃ……私は、勝手に選ぶかな。絢音さんもその人にわがまま言っていいからね」「えっ、はい。でも……」
「さー、こちらにどうぞ」
店員が店の奥の棚へと招く。かちんこちんになりつつも絢音は言うままに動くのだった。
◆
「これでいいかな……」
ぴったりとボディにフィットするパンツスタイルに満足しつつ、汐耶は鏡の中でくるりと身を翻す。
細くスタイリッシュなボディには何を着ても似合う。
お嬢様風ワンピースだって悪くないが、こっちのほうが自分にはあってる気がした。
なんといっても開放感たっぷりだ。
「わっ! 綾和泉さんかっこいい……」
着替えて出てきた絢音の声で、汐耶は振り返る。
彼女は上品なワンピースにレース地のカーディガンを纏っている。
「絢音さんも可愛らしいわよ。やっぱりあなたのほうがこういう服は似合うわよね〜」
上機嫌な絢音である。
「そ、そうでしょうか……」
「このまま着て帰りましょうか。あのワンピースはクリーニングに出しておいてもらえる?」
店の人にそう頼み、汐耶は、「それじゃ行きましょうか?」と絢音にウインクした。
「あ、ありがとうございます。でも……」
「恐縮しないで。そうねぇ……じゃあ、その代わり、お茶に付き合ってもらえるかしら?」
「お茶ですか?」
「うん。少し歩くけど、落ち着くお店を知っているの。珈琲が美味しくて、それからそこ、とってもケーキの種類が沢山あってどれも美味しいの」
「ケーキ……!」
「そうそう。行きましょう? 今日は誰かに付き合ってほしかったの、私」
「はい、私でよいのならお供します」
絢音は微笑みを返す。
「うんうん、こんな可愛い子が付き合ってくれるんだから、大盤振る舞いしちゃうわ」
「本当に……綾和泉さん……」
店の外に出ると、もう雨は上がっていた。
雨上がり独特の湿ったすがすがしい空気と、明るい空。
大きく深呼吸しながら、汐耶は絢音を振り返る。
「本当に?って」
「……大変だったんですね、お見合い」
「あはは!」
なんだかおかしくて汐耶は笑った。
気持ちのよい笑いだった。
それから珈琲とケーキの美味しいカフェで二人は楽しく歓談して過ごしたのだった。
窓の外に大きく光る虹を眺めながら。
了
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