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■そして、粉の雪■
冷たく、澄んだ冬の夜に。
風はそれを連れてきた。
◇
すう、と息を吸い込むと、気管を痛めてしまいそうなほどの清浄な空気が入り込んでくる。
山奥の、天に皓々と冴え渡る、高く昇った月に照らされた夜ならではの絶景をひとり愉しむというのも、永きに渡る人生の興としては捨てがたい。
およそ常人ならば凍えてしまうであろう、という姿で彼女は膝を折って座っていた。
誰か彼女を知らぬ者が遠目に見れば、もしや世を儚んで自害する前にただひとめこの絶景を瞳にやきつけているのではと勘違いをしたことだろう。
ふ、と焔樹の吐き出した息が白さを加えて空気に踊る。
「───色彩艶やかな季節はすぐに終わってしまうものだの」
ついこの前までは、そこここに黄色や赤の美しさがあったというのに。
けれどそれは残念そうというよりは、いつもの季節の繰り返しを思い出している口ぶりだった。
ざっ───
「、」
つと、強い風が吹き、肩に軽くかけていただけのストールが踊るように舞っていく。
すぐに振り返り、手を伸ばそうとした。
だがその時には彼女のストールは、別の者の手の中にあった。
岩場の影、そこに見えるシルエット───いつから、そこにいたのだろうか。
そこから焔樹にすら分からぬよう気配を消し、彼女と景色とを目の保養にでもしていたのだろうか。
偶然通りかかったにしては、ストールを掴んだゆびさきに余裕があるように感じた。
「こんな時間にそんな格好で……風邪をひきますよ」
人影が、言った。
聞き覚えのある声だ、と焔樹は思い、記憶の中の膨大な量の人物から探り出そうとする。
「俺のことが分かりませんか? 露樹故ですよ」
名乗られたとたん、はたと焔樹の頭の中で行われていた作業が止まり、かわりとばかりに一気に「彼」に対する覚えの引き出しがばら撒かれた。
「何故このような場所に?」
幾分探るような焔樹の問いに、
「気分ですよ」
と飄々とこたえながら歩み寄ってくる。
いましも闇に溶け込みそうな、黒の美しいシルエットはゆるやかに───彼女の雰囲気をこわさぬようにと気遣うように傍らにたたずんだ。
「すまぬな」
ストールをかけなおしてくれたことに礼を言えば、「いえ」と短く返すだけ。
以降、何を話すわけでもなく、そこにいる。
彼もまた焔樹のように、絶景を愉しんでいるのだろうか。焔樹に何か用があるのならば、とうに切り出してもいいはず。まさか私の身を案じているわけでもあるまい、と焔樹は少し可笑しくなる。
さらに広がる沈黙の中、故の横顔を眺めつつ、思う。
(そういえばこの男も人ならざるものだったか)
見ればなかなか丹精な顔立ちだな。
と、いささか俗っぽいことを考えている。
(───ふむ)
ひとつ、思いついた「楽しそうなこと」を、焔樹は実行することにした。
肌を刺すような冷たい風に、青く輝く長い見事な髪の毛をなびかせながら、ゆるりと彼女は立ち上がる。故が、こちらを向いたのを確認し、
「拾ってくれて有難う」
微笑んで、
彼の頬に軽くくちづけた。
さて、どんな反応を返してくるか。
顔にはあらわさず、焔樹は様々なケースを頭の中でめぐらせつつ期待に胸を躍らせる。
「お気遣いなく」
───
故は頬を染めるでもなく、かたくなるでもなく。
あっさりと、普通に返してきただけだった。
(この様子では、)
───間違いなく、焔樹の好奇心に似たものからだったというのも見抜かれているだろう。
何故か、そんな気がして、焔樹は胸の内で舌打ちをした。
なんて、可愛らしいのでしょうね。
故は口には出さずとも、顔には出さずとも、彼女の今の行動をそう思った。一部の者からは恐れや敬いの対象である焔樹に対し、「可愛らしい」と思うことの出来る者もかなり珍しい。
(空狐───焔樹、といいましたか。彼女は)
故の言葉に何の反応もなく、微笑を続けている彼女の瞳はわずかに、何かの意志を含んだように見える。
かすかに、心のどこか、何かが動いたような気が、故には、した。
だからだろうか。
彼女のおとがいに、
手を、のばしたのは。
悪戯に秋波を送って外すと些か恥ずかしいものがあるな。
そう思っていた矢先、のことだった。
前触れもなく、す、と故の手がおとがいにかけられたのは。
「失礼」
顔が、ちかづけられる。
(まさか。この男が凡夫のようなことはすまい)
しかし、もしやという気も捨てられない。もし「そんな行動に達したら」、黙っている焔樹ではない。万が一に備えてわずかに警戒を張る。
極限まで近づいた、とき。
故の顔が、そのまま下にさがった。
「ああやっぱり」
?
予想外の行動に、焔樹はわずかに小首をかしげる。故は、彼女の喉のくぼみを見ているようだった。否、まるで医者ででもあるかのように、「診ている」。
「何事か?」
「いえ、季節はずれの───このようなものが、貴女の美しい喉元にはりついておいででしたから」
顔と手を離した故のゆびにぶら下がっているものは、一枚の紅葉の葉。
小さな炎のように赤々とそこにある紅葉をしげしげと見つめ、故はもう片方の手でさらりとそれを撫でつける。
「今あるべき季節のものに、戻してさしあげましょう」
言った、途端。
さら・さらさら───………
紅葉は故の手の中で、銀色に輝く粉雪となって風に舞い始めた。
「なんと美しい」
思わずのように焔樹は微笑みを浮かべる。
「お美しい貴女にとても似合いのものですよ」
このとき既に、故の仕業であることは焔樹にも分かっていたのだが、気分を害するどころか粋なことをして自分の先ほどの行動を打ち消してくれた彼に更なる興味を抱いていた。
「何故このようなことを?」
わざと、たずねてみる。
故の返答は、恐らく───。
予想するだけで、こういった駆け引きが大好きな焔樹の胸は再びわくわくと高鳴る。外見に反して内面はこれほどまでに好奇心や悪戯心もあふれているのだと、故は見抜いたのだろうか。
「気まぐれですよ。やはり美男美女が揃えば、ここは少し華がほしい。冬には花より雪が映える───そう思っただけのことです」
あながち予想と間違ってはいない彼の返答に、焔樹は満足してわずかにうなずく。
「まこと、粋なことをする。では何故私の身体から?」
故が、舞い続ける粉雪から焔樹へと視線を戻してくる。わずかに目が細まったのは、そのくちもとが笑みを濃くしたのは、何故だろう? よもや自分に対して美しくも可愛らしいなどと思っているとは露ともしらず、そんな焔樹に彼は口を開く。
「貴女がまるで、紅葉の炎のように艶やかで───冬の粉雪のように輝いておられたからです。ご気分を害されましたか?」
「いいや。しかしそのほう、それほど口が回るのであれば寄って来る女子も相当の数であろう?」
「まさか。俺はしがない奇術師ですから、滅相もない」
奇術師としてでも、かなり名の通ったものではあっても、彼はそれを鼻にかけない。彼の興味は、常に別のところにある。
そう、今はこの、目の前の青い長髪に金の双眸の女性にあるように。
その金色は、暫くの間、故の緑の瞳をじっと見上げている。
故もまた、その視線を外さない。
また、先ほどのように静けさが二人を纏う。
けれどそれは、先刻とは違い、どこか甘やかな何かがいつか待ち受けているような、そんな連想をしてしまうような心地のよいものだった。
粉雪の、せいかもしれない。
あまりの絶景の、せいかもしれない。
けれど。
種明かしは、次にとっておこう。
そう唇に弧を描いたのは焔樹のほう。
そのまま笑みを濃くして、
「なかなかに楽しめた。そろそろ私は戻ることにする。では、」
いずれまた。
そう言い残し、ストールと青い髪を翻して宙に舞った。
振り返って、故の姿を確認しようとは思わない。
ただ、
「次の標的はあやつだ」
と、嬉々とつぶやいた。
《END》
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こんにちは、ご発注有難うございます。今回、「そして、粉の雪」を書かせていただきました、ライターの東圭真喜愛と申します。これから親しくなっていくお二人の最初の場面、ということで勝手にエピソードを作って書かせていただいてしまいましたが、的外れなことばかりでしたら本当にすみません;
焔樹様、故様共々にとても書きでのあるPCさんで、駆け引きの部分、特に東圭はあまり書く機会のない分とても愉しんで書いていました。反響がとても心配なのですが、「ここはこう」とか「ここは違う」とかありましたら遠慮なく仰ってくださいね。次回もしご縁がありました時の参考に致します。
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで、書かせて頂きました。本当に有難うございます。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
【執筆者:東圭真喜愛】
2005/11/18 Makito Touko
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