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<白銀の姫・PCクエストノベル>


Imperfect angel―不完全天使―
〜appearance〜


◆オープニング◆

ひとりぼっちのおうじさま。
びょうきできよわでひとみしり。
いつもおしろでひとりきり。
おともだちは、めいどとほんとしぜんだけ。
そんなつまらないまいにちのなか。




――――――あるひ、おうじさまのめのまえに、ひとりのてんしがあらわれました。




***


「…森が妙に静かだな」


森の中に一歩踏み込んだ冒険者の男が、辺りを警戒しながらぽつりと呟く。
隣に立つ女の冒険者も、少し怯えた様子で男に寄り添う。

辺りはあまりにも静かだ。
モンスターの気配も無ければ、動物の気配も、ましてや鳥の鳴き声なんて欠片も感じられない。
噂では、この森は確か自然が豊かで、様々な動物が見かけられる幻想的なものだと聞いていたのに。


これではまるで…死んだ森ではないか。


おかしいと思いながら、男は気を緩めないように腰に下げた長剣に手をかける。
ぴり、と張り詰めた空気に、一緒にいた女も持っていた杖を握りしめた。







――――――――瞬間。







ざぁっ、と、強い風が吹く。
唐突の強風に二人は同時に反射的に目を閉じる。
そしてすぐに閉じていた瞼を開き…目を丸くした。


ほんの一瞬前には存在しなかったものたち。
自分達を囲むように佇む大量のモンスター。
目は虚ろに濁り、ゆらりゆらりと、静かに波打つように揺れる。


そんなモンスター達の囲いの上空…男達の正面に当たる位置に、『それ』はいた。


スピネルカラーの瞳と、同じ色の肩口までの髪を靡かせた、ジェノサイドエンジェルに良く似た『何か』。
翼には確かに機械が組み込まれているのに、そのしなやかな身体には欠片も機械の存在は見あたらない。
柔らかく白い、滑らかな右腕に描かれた、『Imperfect angel』の刺青。
何よりも異質なのは―――背に存在する、闇のように真っ黒な翼。



まるで堕天使のような女が、二人を見据えながら緩やかに艶やかな唇の両端を持ち上げた。



「…なんだこいつら…!」
「アレ、ジェノサイドエンジェルじゃない…!?」
二人の冒険者は、予想外の登場人物に同時に目を見開く。
その二人の言葉が皮切りになったように、『堕天使』は笑いながら、そっと唇を震わせた。




【――――――ひとりぼっちのおうじさま】




その口からこぼれたのは、歌。
緩やかなそれは、独白にも似て、しかしどこか舌っ足らずに聞こえる。


【いつもいつもひとりぼっち。
 ともだちがほしくても、だれもおしろにきてくれない。
 おうじさまは、いつもひとりぼっち】


「…? あいつ、何を…?」
男が、何をするでもなくただ歌う堕天使に訝しげに眉を寄せる。
変なものでも見るような表情で見ていた男は、不意に隣の女が妙に静かなことに気づき、横を向く。




――――――女は、まるで周りにいるモンスターのように虚ろな瞳で、じっと堕天使を見ていた。




「!!」
ぎょっとした男が女を呼び止めるより早く、女が歩き出す。
持っていた杖は手から離れ、からん、と乾いた音を立てて地を転がった。

【だいじなだいじなおうじさま。いまはねむりつづけるおうじさま。
 わたしのだいじなおうじさまが、おともだちをほしがってる】

女はまるで歌に誘われるように、迷うことなくまっすぐ進んでいく。
モンスターたちは、まるで道を譲るかのように、一斉に女の進行方向から退いた。
「おい!! どうしたんだ!?!?」
男の叫び声にも、女は眉一つ動かさない。
男が慌てて止めようと駆け出すよりも早く、モンスターたちがまるで遮るように立ちふさがり、行く手を阻む。

「くそっ、どけっ!!
 おい! 戻ってこいよ!! おい!!!!」

モンスターは倒しても倒しても次から次へと現れた。
まるで泉のように湧き出てくるモンスターは皆目がうつろで、まるで操られているかのようにゆらゆらと揺れ、時々思い出したように男に武器を振り下ろす。
男が必死に道を作ろうと努力している間に、女は堕天使の目の前に立っていた。




【だからわたしは、おうじさまのおともだちをたくさんたくさんみつけるの。
 めをさましたおうじさま、ともだちがたくさんできてたら…きっと、よろこんでくれるから】




堕天使はゆるりと唇で弧を描くと、そっと女に手を伸ばす。
手が女の頬に触れると同時。
ざあ、と先ほどよりも強い突風が起こり、男の視界を奪う。
反射的に目を閉じた男が、慌てて目を開けた時。








――――――――――そこには、堕天使も女も…モンスターすらも、なにも残っていなかった。









ただ、堕天使の翼からとれてしまったのであろう、一枚の真っ黒な羽根だけを、除いては…。



***





――――――――ところ移って、とある城。





「…そして消えた女は何故か現実世界に戻っていたのですが、女はその日から奇妙な行動をとる、人形のようなイキモノになってしまったのでした。めでたしめでたし、と?」
「……どこがめでたいのよ。
 まったく、存在しない筈のイベントが勝手に発生して、無差別にプレイヤーを襲うなんて…」


読み上げた書物をテーブルに放り出す男。
続けて茶化すように上げられた低い声に、目の前に座った女…モリガンが不機嫌そうに顔を顰めて返す。
そしてすぐに眉間に拳を当てて、苦々しげに呟いた。
それにくっと笑いを返した男は、モリガンににらみつけられてわざとらしく肩を竦める。


「…何が楽しいの?」
「別に?
 悲劇のヒーローぶってあちこちに吹聴してるくだらない話がモリガン様のお耳に届いてよかったな、ってね」


目の前に座る男は、変わった格好をしていた。
ライダースーツに、椅子の背にかけたベルベットコート、同様にロングブーツやグローブまでもが全てレザー素材に漆黒で纏められ、せいぜいところどころに別色のアクセントが入っている程度だ。
髪は翡翠よりも深く美しい、絶妙な色合いの琅稈<ろうかん>色の髪。
顔の上半分はフェイスマウントディスプレイで覆われているため、瞳の色や顔全体までは残念ながら確認できないが、顔の下半分だけでも、整っている方であることぐらいは判別できた。




――――――男の名は、ヒスイ。




とは言っても、当然本名ではない。
それどころか、この姿が本物であるかどうかすら怪しい、謎に包まれた男であった。
本名も、本当の姿も、どんな場所に住んでいるのかも…誰も、知らない。
唯一わかっているのは、超一流のハッカーであるということと…性格がひねくれているということだけ。


整った唇を愉快そうに歪ませ、ヒスイはテーブルに頬杖をつきながらモリガンを見る。
モリガンは益々眉間に皺を寄せると、不意に皺を緩ませて深々と溜息を吐いた。

「……相変わらず嫌味な男ね、あなた」
「お褒めに預かり至極光栄ですよ、女神様」
「やめて頂戴、見え見えのお世辞なんていらないわ」

そう返しながら、クッキーをつまみ、紅茶を飲む。
本来なら一人で三下に用意させたこのクッキーと紅茶で優雅に時間を過ごす予定だったのだが、唐突に現れたこの男…ヒスイのせいで台無しだ。
どこの女神にもつかない代わり、どこの女神にもどんなに頼まれようと手を貸そうとはしない。手を貸すのは、気が向いたときだけ。
その上、時々勝手に現れては、勝手に場を荒らして去っていく。迷惑極まりない男。


……それでも、下手に扱えない理由が、モリガンに…いや、女神達にはあった。






――――――それはひとえに、ヒスイが一流のハッカーであることにある。






ヒスイの能力。
その詳細は不明だが、少なくとも自分達のような…電脳的な世界に深く干渉できる能力を持っているようなのだ。
この世界では自分達の方が確かに力は上。
だが…ヒスイを敵に回せば、おそらくは外…この世界の外であるもとの世界から、何かしら干渉を行ってくる可能性がある。
それがどの程度のものなのか、自分達には予想できないが…少なくとも、いい影響であるわけもなく。
だからと言って、ヒスイは純粋にこの世界を楽しみに来ているだけであり、この世界に何かをする気もない。
それに稀に…本当に稀だが、自分達が困っている問題に興味を抱いて、解決してくれることもある。
この世界を乗っ取ろうとか、もっと悪意があればこちらもそれなりの対応もできるのだが…これでは、無闇にはじき出すわけにもいかないだろう。



つらつらと考えながら顔を顰めていくモリガンを眺め、ヒスイは目を細める。



白銀の姫をかなり初めの方で見つけ、積極的にこの世界を知ろうとしたのは、他ならぬヒスイだ。
この女神達との付き合いも、結構なものになる。
プログラムが意思を持ち、悩み、怒り、笑い…様々な感情を持つ姿を見ているのは、中々に面白いものだ。
『人間』には興味はないが、『意思を持ったプログラム』である『女神』には興味がある。
どうせなら、この世界を作った人間に会ってみたかったが…残念ながら、それは敵わないだろうから諦めておく。
…別にこの世界がどうなろうと知ったことではないが、まだ当分の間、自分はこの世界に出入りをするだろう。
こういったものは、いい暇つぶしになる。


少しだけ残った紅茶をぐっと煽ると、ヒスイはがたりとわざとらしく音を立てて立ち上がった。
その音にはっとしてこちらに視線を向けるモリガンに口端を持ち上げ、椅子の背からコートを取り上げる。
ばさりと大きく翻して羽織ると、モリガンに背を向ける。







「…興味が沸いたら俺が調べて差し上げますよ、モリガンサマ」







「……期待しないで待ってるわ」

楽しそうな声音に呆れ気味に返すと、ヒスイはくっと喉を鳴らして、そのまま立ち去っていった。
その背を見送ってから、モリガンは放り出された書物を手に取る。


「…『Sleeping Beauty』…眠り続ける王子に恋をした、堕天使の物語。
 その堕天使の設定の異常性から、創造主様はイベントとして組み込むのを断念していた。
 ……それどころか、組み込む前の構想段階で消えて行った筈だったのに…それを誰かが見つけて、イベント化して無理矢理挟み込んだ……」


そこまで呟いて、モリガンはらしくもなく、ギリ…と歯軋りを零す。
そのあまりにも苦々しげな表情は、自分の世界を穢された怒りにも似た感情が溢れている。










「――――――いったい、誰がこんなことを…」










彼女の苛立ちに満ちた呟きは―――誰にも届くことなく、風に溶けて消えた。






◆情報収集



 ――――現実世界・セレスティの屋敷。



「なかなか…見つからないものですね」

 セレスティ・カーニンガムは、目の前に立つ申し訳なさそうな男に『ご苦労様です』と礼を告げる。
 男が頭を下げて立ち去るのを見届けてから、難しい顔で手に持った紙に視線を落とした。
 手元にある紙には、びっしりと様々な情報が書かれていた。
 些細な噂から、地域の情報まで、セイレーンに関したものを集められるだけ集めた結果だ。

 しかし、セレスティの情報網を持ってしても、集められるのは似たり寄ったりな、しかもセレスティの求める情報にはいまひとつ届かないものばかり。


 冒険者が全く足を踏み入れない過疎地域・近くに森がある・堕天使についての伝承がある・眠れる王子が居る。
 以上の条件に当てはまる場所を探してみたのだが…中々見つからない。
 冒険者が足を踏み入れない地域はジャンゴ周辺では見あたらない。かといってあまりにも遠くに行き過ぎても、そこに城がある可能性は少ない。
 近くに森がある村なら沢山ある。その中で、一つだけ怪しい村を見つけたが、伝承を現実で調べるには流石に限界があったようだ。
 これに関しては、あとで実際に白銀の姫にログインしてみて調べるしか無いだろう。
 よって、眠れる王子が伝承の中に存在するかどうかもわからない。



「……困りましたね…思ったよりも情報が集まりません…」



 唯一の収穫と言えば、セイレーンの被害にあった人の住所を調べることが出来たくらいだ。
 それによって、男女比率ははじき出すことができた。問題は被害にあった人の症状と、被害にあった森だ。
 そちらに関しては、今使いを送っている。
 一人一人丁寧に話を聞くには生憎時間も余裕もないため、セレスティの指定した掲示板に情報を書き込んでもらうように頼んでおくつもりだ。
 そして、自分が白銀の姫の中で調査している間に、被害にあった人間の調査も頼んである。




 万全とは言い難いが、ある程度の下準備を終わらせてセレスティはパソコンを立ち上げた。
 ブックマークから『白銀の姫』を引っ張り出し、クリックする。
 いつものように、なんでもないといった感じであっさりと表示されるログインページ。
 セレスティはマウスを操作して、『入室』のボタンをクリックした。




 すでに慣れた感覚。
 すっと、静かに意識が薄れていく――――――。




**



「……では、連れて行かれたのは、偶然あなたと遭遇した男性二人なんですね?」
「ええ。現実でもここでも、出会ったのは初めてだったわ」


 セレスティがログインをしてから赴いた酒場で色々と調べている時に、一人の女性が訪れた。
 彼女はセイレーンの襲撃にあった女性で、現実で話を受け、書き込むよりも実際話したほうが早いと、わざわざログインしてきたらしい。
 そんな彼女の接触によって、セレスティは調べただけではわからない情報を幾つか入手することができた。
 女性がセイレーンに遭遇したのは、今から一ヶ月ほど前。
 ジャンゴからやや離れた森へ探索に赴いた際に、偶然同じように訪れていた男二人と遭遇。
 しかしお互いが話す間もなく、唐突にセイレーンの襲撃にあったのだそうだ。
 森の場所も聞き出した。確かにここからは多少離れてはいるが、今まで集めた情報を鑑みるに、行っても恐らく目ぼしいものは見つからないだろう。
 行くとしても、後に回した方がいいかもしれない。

 セイレーンの外見的特徴も、ある程度は聞き出せた。
 とは言っても、あまりしっかりと見ていられるような状況ではなかったため、曖昧な部分も存在するが。
 また、セイレーンが歌っていた歌の歌詞を覚えていないかと聞いてみたが、所々、しかも断片的にしか覚えていないため、歌として組み立てることはかなり難しそうだった。



「あのまま連れて行かれるのを見捨てるのは流石に出来なくて助けようと思ったんだけど…モンスターに一斉に襲われて…気づいたらジャンゴの中だったわ。
 慌ててその森に戻ってみたけど、二人は跡形もなくなっていた。残っていたのは、この羽根ぐらいよ」



 そういった女性は、懐から一枚の羽根を取り出す。
 ――――――艶のある、漆黒の羽根。
 セレスティはそれをまじまじと見つめてから、女性へと向き直る。


「……これを、頂いてもよろしいですか?」


 女性はその言葉に静かに頷いた。
 手渡されたソレをセレスティは丁寧に紙で包み、懐にしまう。
 それを確認して、女性はがたりと音を立てて立ち上がった。




「私から貴方へ提供できる情報はこれで全部よ。
 ―――貴方が事件を解決してくれること、願ってるわ」




 私も寝覚めが悪いしね、と茶化すように言ってウィンクした女性は、そのまま歩き出す。
 その背に『ありがとうございます』と声をかけ、セレスティは手元の紙に目を落とした。
 少し黄ばんだ羊皮紙は、話を聞きながら急いで書いたため、少し不恰好な文字が並んでいる。
 それをそっと指でなぞりながら、セレスティは懐にしまった羽根にそっと触れた。






「――――――セイレーン……いったい、何が目的で作られた存在なんでしょうか…」






 静かな呟きは、答えの無いまま宙へ溶けて消えていった。



◆女神の助言

 あの後、セレスティは情報を書いた紙をまとめ、知恵の環へ向かっていた。
 本などの書物になにかヒントがあるかもしれないし、うまく行けばネヴァンとあって話を聞けるかもしれないと思ったからだ。
 よく訪れる場所だからか、一歩一歩が軽く、迷いが無い。

 間もなく知恵の環の入り口へ辿り着こうというところで、セレスティは一人の少女を発見した。




 ――――――ネヴァンだ。




「…ネヴァン嬢」
「ひっ!?」

 そっと近寄って声をかけると、ネヴァンは大袈裟なくらい大きく体を跳ねさせた。もしかしたらちょっとばかり飛び上がっていたかもしれない。
 あわあわと辺りを警戒する小動物のように左右を見てから、凄い勢いで後ろを向いて…セレスティを確認して、ほぉーっと大きく息を吐いて肩の力を抜いた。

「…せ、セレスティさん…」
「ふふ、すいません。驚かせてしまいましたか?」

 無言でこくこくと頷く姿に、思わず苦笑が浮かぶ。
 もう一度すいません、と謝ると、セレスティは話題を変えることにした。




「ネヴァン嬢、幾つか聞きたいことがあるのですが…お時間よろしいですか?」




 セレスティの言葉に、ネヴァンはすぐに頷く。
 それに微笑むと、セレスティは聞きたいこと…つまりセイレーンのことを話しかけた。

「…最近噂になっている不思議なお話の真偽をお聞きしたいと思いまして」
「ふしぎなおはなし?」

 きょとんとして首を傾げるネヴァンの仕草に、セレスティはふっと微笑みながらその話題を切り出す。




「――――『セイレーン』について、知っていることを教えていただきたいのです」




 その言葉に、ネヴァンが顔を強張らせた。
 まさかその質問がくるとは思っていなかったのだろう。
 ぎこちない動きに、セレスティは少々首を傾げながら返答を待つ。
 あちこちに視線をめぐらせた後…ネヴァンは、小さく呟いた。


「…ボクに…いえ、ボク達女神が知っている情報は、正直、あまりないんです」


 その言葉に、セレスティが驚いて目を見開く。
 この世界をよく知っている筈の女神にこう言わせるなんて、セイレーンとはいったいどれだけの情報操作力を持っているのだろうか。
 しかし、少しでも自分が持っていない情報が得られればと、セレスティは『それでもかまいません』と言い、ネヴァンを促した。
 それを受けて、ネヴァンはぽつぽつとだが、知っている情報を話し出す。




 ――――――残念ながら、真新しい情報を幾つも得る、ということはできなかった。




 とは言っても、セイレーンが現れ出した時期を知ることだけはできたのだが。
 …始まりは、丁度一ヶ月前。
 つまりは、彼女と彼女に遭遇した男性冒険者が、最初の被害者にあたる。
 それが発覚しただけでも、セレスティにとっては充分有益な情報であったが。

 セイレーンが現れた時期…それは、セイレーンのイベントが挿入されたことも意味する。
 挿入されたというよりも、無理矢理侵入させられたと言う方が、表現としては合っているだろうが。
 だがそれが外からの影響であることは明白。
 それだけの腕前を持つ者がそう簡単に尻尾をつかませるとは思えないが、膨大なデータを転送したパソコンを探せば、手がかりぐらいは見つけられるかもしれない。




 ネヴァンの話が終わってから考え込んでいたセレスティをじっと見ていたネヴァンは、少し気まずそうに口を開いた。




「……あ、あの……」
「はい?」

 ネヴァンの声に意識を戻したセレスティは、ネヴァンを見下ろして微笑む。
 思いの外早く返ってきた声に少し驚いたネヴァンだったが、すぐに顔を俯かせ、蚊の鳴くような声で呟いた。



「……今回のセイレーン事件、ボクよりもずっと有益な情報を持っている人を、知っています…」
「本当ですか?」



 セレスティの驚いた声に、ネヴァンはこくりと頷く。
 そしてちらりと上目遣いでセレスティを見上げると、少し申し訳なさそうに口を開いた。





「……ただ、その人は…その…普通に協力してくれることはないと思います……」





 その言葉にセレスティは目を瞬かせる。
 それはなにか見返りを求めてくるということだろうか。
 セレスティの問うような視線から逃げるように顔を逸らすと、ネヴァンは困ったように呟く。


「…その人は、現実には興味がない、というか…人間に興味がない、と言った感じの人で…」
「人間に興味がない?」
「は、はい。
 彼の判断基準には、『面白い』か『面白くない』かしか存在しない、みたいなんです…。
 だから、彼にとって、今回の事件を調べるのは『面白い』なんですが…」
「……私達に教えることを『面白い』と判断しない限り、協力はしてくれない、ということですね…」
「…はい…」


 なるほど、彼の判断基準に沿わない限り、情報を手に入れることは難しい、というわけか。
 セレスティは少し顎に手を当てて考え込んだが、顔を上げてネヴァンを見た。



「…とりあえず、彼の身体的特徴と名前を教えていただけますか?
 もし出会えた場合、一応交渉を試みてみるためにも」



 ネヴァンはセレスティの言葉に少し驚いたようだったが、セレスティがセイレーン事件を解決しようとしているのを察したのだろうか。
 こくりと頷くと、たどたどしいながらも、特徴を話し出した。




「…彼は、この世界が出来た時からずっといる古参のプレイヤーなんですが、ボク達も彼の詳しい素性はわからないんです。
 ただ、彼が一流のハッカーだということと、『ヒスイ』と名乗っていることぐらいで…。
 え、えと、外見の特徴だと…髪は琅稈色で、レザー素材の黒一色の服を着ていて……。
 …あ。そ、そうだ…あと、顔の上半分を覆うように、フェイスマウントディスプレイをつけてます」




 こんな形の、と言ってネヴァンは顔の上半分を覆うような長方形を指で描く。
 なるほど、と頷いて、セレスティはネヴァンに微笑みかけた。

「ありがとうございます。
 お時間をとらせて、申し訳御座いませんでした」
「い、いえ…。
 えと、それじゃあ、僕はこれで…」

 セレスティが頭を下げると、ネヴァンも慌てて下げ返す。
 その後、用事があるらしく、ネヴァンはそのままセレスティに手を振ると、少し早足で立ち去っていった。
 その背中が視界から消えたところで、不意に背後に視線を感じることに気づく。

 ゆっくり振り返ると、近づいていた視線の主―――女性と男性が一人ずつ、後ろに立っていた。




「――――セレスティさん?」
「おや。その声はシュラインさんですか?」




 その人物に見覚えのある女性の声に、セレスティも声をあげた。
 女性の名はシュライン・エマ。隣に立っている男性が、シオン・レ・ハイ
 セレスティと同様に、此度のセイレーン事件を調べている人物であった。



◆知恵の環―不完全天使

「――まさか、貴方もセイレーンを追っているとは思わなかったわ」
「それは私も一緒ですよ」


 エマの言葉に、セレスティは小さく苦笑を零した。
 二人と同様に知恵の環に用があったらしいセレスティと一緒に中に入った三人。
 まずは落ち着いてお互いの事情を話し合っていたら、どうやら目的が同じらしいことが発覚。
 そしてそのまま一緒にセイレーンに関係する文献がないか探しながら、出来るだけ声を抑えて会話していた。

「しかし、やっぱり情報の書いてある本は中々見つかりませんねぇ…」

 本を食べようとするウサギを必死に止めながら、困ったように背表紙をチェックするシオン。
 そんなシオンに頷きながら、セレスティも困ったように呟いた。



「ええ。ネヴァン嬢に色々と聞いてみたのですが、あまり成果はあがりませんでしたし。
 この世界を一番よく知っている筈の女神にも把握しきれないということは、此処に明確なセイレーンの情報があることは、あまり期待しないほうがいいでしょう。
 せめて、事件の詳細が載っている本でも見つかればいいのですが…」



 その言葉に、エマも神妙な顔つきで頷く。


「そうね。とりあえず、事件に関する詳しい情報だけでも手に入れられれば…」






「――――探すにしても、探し方がそんなんじゃ、調べられる情報もタカが知れてるな」






 別の本に手を伸ばそうとしたエマの後ろから、唐突に現れた腕がエマの手の先の棚の真上にある棚から本を一冊抜き取る。
 驚いて三人が振り返ると、そこには浅黄色の『酒場の使い方』と書かれた本を肩に乗せて楽しそうに…というか意地悪そうに笑う、一人の青年の姿。
 その言葉に顔を顰めたエマが、少し不機嫌そうな声音でその青年の名を呟いた。



「…ヒスイさん…」



 その声に、名を呼ばれた青年――――ヒスイは、皮肉げに口元を歪める。
「くくっ、わざわざ『さん』付けで呼んでくれるなんて、丁寧だねぇ? シュライン殿?」
 へりくだったような言い方の中に多分に含まれたバカにするような響きに、エマが益々眉間に皺を寄せた。
 そんな二人の空気を知ってか知らずか、シオンが嬉しそうに声を上げる。



「ああ、ヒスイさんではありませんか!!
 先ほどはスパゲティを奢っていただいて有難う御座いました!!!」



 エマが顔を顰めているのもなんのその。
 勢いよく近寄り、がしっと両手を掴んで笑う。
 当然と言うかなんというか…そのリアクションは想定していなかったのか、ヒスイも驚いたように動きを止める。
 意外そうなエマの視線を受けても暫くは身動きを取らなかったヒスイは…唐突に、ぶふぅっ、と派手に噴出した。
 驚く三人をよそに、ヒスイは暫くの間肩を震わせ、声を殺して笑い続ける。
 三人の訝しげな視線をものともせず、ひとしきり笑いきったヒスイは、目尻を拭ってシオンを見た。


「ははは…! …シオン、あんたやっぱり面白いよ。
 うん、やっぱり俺の目は間違っちゃいなかった」


「…はぁ…ありがとう、ございます?」
 ヒスイの楽しそうな声に、現状を理解しきれていないシオンが、同じように間抜けな返事を返す。
 それにまたくつくつと面白そうに喉を鳴らすヒスイに、困ったように微笑んだセレスティが口を開く。





「それにしても…さっきの発言はどういう意味ですか?
 まるで、私達の探し方が悪いって言っていらっしゃるようですが…」





 その言葉に、ヒスイはバカにするように鼻を鳴らす。



「どういう意味もなにも、まんまその意味だよ。
 ……なにせ、この程度のものも見分けられないんだからな」



 そう言ったヒスイは、懐から静かに武器を取り出す。
 2本の平行したバーと、その間に渡された握りとなる2本の横木。握りが刃先に対して直角になっていて、刃は一本鋭いものが、カバーを被されていた。
 いわゆる、ジャマダハルという変わった武器だ。
 それを振ってカバーを外すと、ヒスイは持っていた本に刃を向ける。

「なっ!?
 ちょっ、ヒスイさん…っ!!」

 その行動にぎょっとしたエマたちが止めに入る間もなく、ヒスイは問答無用で本の表紙に武器を走らせた。
 ビィッ、と紙が切り裂かれるような音がして、表紙が切り裂かれる。




「な、なんてことを…!!」




 驚いたエマが大急ぎでヒスイから本を奪い取り、表紙を確認した。
 傷の度合いによっては、まだ修復することができるかもしれないと思ったからだ。
 しかしエマは表紙を見て―――大きく目を見開き、硬直した。



「…これは…」



 エマのただならぬ様子に、他の二人も異変を感じたのか彼女の持つ本を後ろから覗き込む。
 そして―――同じように、目を見開いた。





 エマの持っている本は、奇妙な状態になっていた。
 傷つけられた部分の周辺を、まるで壊れたデータが戻ろうとしているかのように虹色に変化する小さな欠片が漂う。
 緩やかに漂う欠片に覆われたその傷の下。
 本来ならば破れた紙片とただのページが見えているはずのそこには――――違う色の、『違う本の表紙』が覗いていた。
 破れた隙間から見える僅かな表紙にあるものを見つけ、エマははっとして目を見開く。






 ――――――スピネルカラーの髪のようなイラストと、漆黒の翼のようなイラストを。






 エマはそれが間違いないと確認すると、その表紙―――本を覆うカバーのその裂け目に手をかけ、一気に引き裂いた。
 ビリィッ!!!と大きな音が響いて、本のカバーがビリビリに引き裂かれた状態で宙を舞う。
 ぎょっとするセレスティとシオンをよそに、ヒスイは面白そうにヒュゥ、と口笛を鳴らし『やるねー』と呟いた。
 他の視線を気にしている余裕すらないのか、エマはまだへばりついているカバーを全て破り、その下にあった表紙を全て露にした。
 その表紙を見て、シオンとセレスティも目を見開く。




「……なるほど。…確かに、私達の探し方じゃ見つかるわけないわね……」




 苦々しげに呟くエマの言葉に、ヒスイは満足そうに笑う。
 その視線の先にあるのは―――エマの持つ、カバーを破り捨てた本。










 ―――――――――『不完全天使』という題名の、『セイレーン』と一人の少年が描かれた絵本だった。









***


おうじさまはてんしがだいすきでした。
てんしもおうじさまがだいすきでした。
ふたりはいつも、どこにいくのもいっしょ。
おうじさまも、てんしも、ひとりぼっちだったから、ひとりぼっちがふたりで、ひとりぼっちじゃなくなりました。
しあわせで、あたたかくて、やさしいひびでした。




――――――けれど、あるひ、おうじさまはびょうきにかかってしまいました。




ねむって、ねむって、ねむりつづけて。
しなないのに、めをさまさない。
いつおきるのかもわからない。
ただただ、しずかにねむりつづけるだけの、ふしぎなびょうき。

てんしはなきました。
おうじさまはめをさましません。
そのきれいなめでてんしをみることも、てんしのなまえをよぶことも、てんしにほほえみかけてくれることも、してくれないのです。
ないて、ないて、なきつづけて。
はるがきて、なつがきて、あきがきて。
ふゆがきたとき、ようやく、てんしはなきやみました。
ないても、おうじさまがめをさましてくれないことに、ようやくきづいたのです。
てんしは、なくのをやめて、おうじさまのすぐそばで、じっとおうじさまのねがおをながめるようになりました。
そうして、またたくさんのじかんがすぎたとき。





てんしは――――おうじさまがいっていたことをおもいだしました。





「ねえ、『―――』。ぼく…『―――』と『―――』だけじゃなくて、もっともっと、たくさんのおともだちがいたら。
 …きっと、いまよりもずっとたのしいんだろうね」



そのことばをおもいだして、てんしはあることをこころにきめました。









――――――おうじさまに、もっともっと、たくさんのおともだちをつくってあげよう。









そうして、てんしは、たくさんのおともだちをさがしにでかけました。
おうじさまがめをさましたとき、たくさんのおともだちがそばにいてくれれば、おうじさまはよろこんでくれる。
そうしんじて、てんしはおともだちをさがしつづけました。
おうじさまのために、ただひたすら、ともだちをさがしつづけて……。



◆謎のかけら。古の城。



「……話は、ここで終わってるみたいね」


 エマは最後のページを読み上げた後、溜息混じりに呟いて本を閉じた。
 それを黙って聞いていたセレスティが、思案顔で口を開く。

「…肝心の王子と天使の名前が掠れて隠されているのが、何かの鍵だと思われるのですが…」
「ええ。たとえ伝承をわざと残しても、名前だけは読まれたくなかったのかもしれないわね。
 こんなんじゃ、ほとんど記号か暗号か、って感じだもの」
 再度本を開いてかすれた上に滲んで字の形自体を判別することすら難しくなっている部分を指でなぞるエマ。
 それを見て、セレスティは隣に座る、面白そうにこちらの様子を見つめているヒスイに目を向けた。



「…ヒスイさん、ここのデータの修復をしていただくことはできますか?」



 ヒスイに関しての情報ならば現時点ではセレスティが一番持っている。
 ヒスイほどの腕前の持ち主なら、この文字のデータを修復することも可能かもしれない。
 そう思ったからこその一言だったのだが――ヒスイは、その言葉を鼻で笑って一蹴した。

「丁重にお断りさせていただくよ。
 そんなことしたら、簡単すぎて面白くないからな」
「なっ…! なんてこと言うのよ!!
 たくさんの人が犠牲になってるのに、『面白くないから』なんてくだらない理由で断るなんて…!!!」





「―――――俺にとっては、お前達の『人を助けたいから』って理由の方がくだらないね」





 ヒスイの言葉に激昂したエマが怒鳴り声を上げるが、静かな声に遮られて、エマは目を見開いて硬直した。
 今までのふざけたような表情が一変、冷たく、刺すような視線がディスプレイ越しからでもはっきりとわかるほどに、一気に声のトーンが下がる。
 驚いたような三人の視線を受けながら、ヒスイは皮肉げに口の端を持ち上げて頬杖をつき、顔を逸らす。


「俺にとって、『面白い』か『面白くない』かは、なによりも最優先すべきことなんだよ。
 俺は他人がどうこうなろうがこれっぽっちも困りはしないしな。
 セイレーンに連れてかれたヤツらがおかしい? 素晴らしい、そっちのが面白いじゃないか。
 『人を助けたい』なんて、所詮偽善者の考えることさ」
「な…っ!!」


 エマが怒りに任せて反論する前に、ヒスイはがたりと大きな音を立てて立ち上がる。
 三人の視線が集まるのも気にせず、ヒスイは静かに背を向けた。





「そういうわけで、俺は必要以上にあんたらに協力する気はこれっぽっちもない。
 俺が面白いと思った時だけ、あんた達に手を貸してやるよ」





 そう言って、ヒスイは歩き出す。
「ヒスイさ…っ」
「無駄よ、シオンさん。
 止めたって止まってくれるような人じゃないわ」
 シオンは止めようと椅子を立ちかけたが、エマに止められて大人しく椅子に戻る。
 そんなやりとりが聞こえていたのだろうか。
 ヒスイはくっと喉を鳴らすと、足を止めて緩く振り返る。





「――――――『歌』は『音』であるとは限らない。
 『灯台下暗し』。宝物は、案外わかりやすい場所に隠してあるモノさ」





「? それはいったい…」
「それ以上は自分で考えるんだな。…じゃあ、俺はこれで」


 訝しげな声を上げるエマの声を遮ると、ヒスイは片手を挙げて軽く振り、今度こそ振り返らずに立ち去っていった。
 その後姿を見送って、エマはがたりと音を立てて立ち上がった。
 シオンとセレスティの視線が集まっているのを確認して、エマは横に避けてあった地図を手に取る。
 ざっと広げると、どこからか取り出したペンを握り、フタをしたまま地図の上をこんこん、と叩く。



「彼には必要以上に頼らないほうがいいわ。蹴られるのがオチだからね。
 ここから先は私達でなんとかしましょう」



 エマの真剣な表情に、セレスティとシオンも真面目な顔をして頷く。
 エマは横に用意してあった自力で調べた資料と、セレスティが持っていた資料を引き寄せる。






「…あくまで私の予想なんだけど、セイレーン…天使は、王子の城からそんなに離れた行動範囲じゃないと思うの。
 あの絵本を読んで、その可能性が強くなったと私は思ってる。
 だから…」






 エマはそう呟きながらペンのフタを外し、資料と照らし合わせながら地図のセイレーン出現地点に×印をつけ始めた。
 全部の地点に×印を付け終わったところで、エマは長い定規を取り出して×印同士を繋いでいく。
 きゅっ、と音を立てて、全ての×印が繋ぎ終わると同時にペンにフタをして横に置き、エマが一点を指差す。
 二人が覗き込んだのを確認して、エマはゆっくりと口を開いた。





「――――――×印を繋いで行った中で、最も線が交わる場所が、一番怪しいと思う」






「……周辺の森がほぼ全て襲われているにも関わらず、わざとらしくこの森の中だけは襲われてませんね」
「では、ここにセイレーンが…?」
 セレスティが納得するように呟き、シオンが二人の顔を見る。
 その動きに、エマがこくりと頷いた。
「その可能性が一番高いと思うわ」
 それを見て、セレスティが唐突に席を立ち上がる。




「セイレーンに関しての資料は見つかりませんでしたが、この森の資料なら探せば見つかりそうですね。
 まだ時間はあることですし、ゆっくり探してみましょう」




 セレスティの言葉に、二人も真剣な表情で頷いて立ち上がった。
 そして一斉に、資料を探すために分かれる。







 ―――――――エマが指差した地点には、『獏の森』と書かれていた。







◆獏の森、降臨



 三人は、調べた森―――獏の森へとやってきていた。
 ちなみにシオンのウサギさんは危ないからと、偶然見つけた知り合いに預けておいた。



 その森は他の場所より閑散としており、何故か町の境目から一歩出て森の中へと入った時点から、既に動物の声どころか、気配すらもしなくなっている。
 明らかなまでの怪しさを醸し出す森に隠す気があるのかと疑いたい気分になりながらも、三人はエマの先導の下、奥へと進んでいく。

 目指す先は――地図で見つけた、事件の場所を伸ばした先が交わる場所。

 歩き続けるうち、セレスティがぴくりと眉を跳ねさせ、不意に立ち止まった。
「…どうしたの?」
 つられて立ち止まった二人から訝しげな視線を向けられて小さく苦笑しながらも、セレスティはふっと表情を引き締める。



「……この辺りから、変な気配を感じます。気をつけてください」



 その言葉に、エマとシオンはぴくりと反応し、同時にきゅっと口を引き結んだ。
 空気が、ぴん、と張り詰める。
 しぃ…んと鎮まったままの空間の中、三人は注意深く周囲を見渡しながら進んでいく。
 しばらくがさがさと草むらを掻き分けて進むと―――不意に、開けた場所に到着した。

 大きく広い円状に、草だけが広がる場所。
 そこには鳥も獣も、欠片も存在しない。

 三人は奇妙に感じながらも、恐らくここが目的地だと直感で感じていた。
 一歩一歩、確かめるように静かに歩く。
 緩やかに、しかししっかりと踏みしめたエマの足が、その円の縁に入り込む。






 ―――――――――足が地面に付いた時には、目の前には森が広がっていた。






「え…?」
 思わず声をあげると同時に、急に真横に気配が現れる。
 振り向くと、同じように呆然とした表情のセレスティとシオンが立っていた。
 その背後には――先ほども見た、薄緑の円。
 慌ててもう一度踏み込むと、やっぱり、また円の外へと足がついた。

「……どうなってるの?」

 エマが呆然と呟くと、セレスティが顎に手を当てて考え込む。
 少しの間を空けてから…すっと、目を細めた。



「おそらく結界の一種でしょう。この円の端と端が繋がっていて、その中には他人は決して踏み込めない。
 …どうやら、ここがセイレーンのアジトだと考えて間違いないでしょう」



 その言葉に、エマとシオンの表情が強張る。
「もしもこの結界に侵入者を探知する力も付加されていたとしたら、何かが襲い掛かってくるのも時間の問題かと」
「そう…それは厄介ね」
 付け足したセレスティの言葉にエマが顔を顰める。
 その様子を見ていたシオンは、ふと自分のポケットに手を突っ込んだ。



「あ、あの!!」



 急に声を上げたシオンに、エマとセレスティが驚いて彼を見る。
 シオンは少し引き攣った顔で笑うと、二人にあるものを差し出した。





 ――――――――――小さい、四センチ四方のチップ。





 二人の手にそのチップを半ば無理矢理握らせるシオン。
 訝しげな視線を受けて、困ったように頬を掻いた。


「えーっと…これは皆さんと合流する前にヒスイさんからいただいたものなんですが」
「「ヒスイさんから?」」


 シオンの言葉に、セレスティは驚いたように、エマは訝しげに顔を歪ませる。
 その二人の対照的な反応に苦笑しながら、シオンは言葉を紡ぐ。



「なんでも、ウィルスを無効化するチップだそうで。まぁきちんと効果が出るかどうかはランダムらしいのですが。
 えっと、持っているだけでも発動する時には自動的に発動するらしんですよね。
 それで、三枚もらったのでお二人にも一枚ずつ渡しておいた方が後々何かの役に立つかもしれないと思いまして…」



 そう言って自分の手元にあったチップを小さく弄ると、セレスティとエマが手の中のチップを見た。
 黒く艶のある小さな塊に、少々の疑念と、少々の胡散臭さを感じながらも、二人はそれを懐にしまう。
「まあ、期待しないで持っておくわ」
「発動してくれるなら、それに越したことはありませんしね」

 その返答に嬉しそうに笑ったシオンだったが―――すぐに、目を大きく見開く。

 少しだけ上に固定されたまま固まったシオンの視線にどうしたのかと二人が問いかけるその前に。
 はらり、はらりと、柔らかに降って来る。






 ――――――――それが黒い羽根だと認識する前に、バサリと大きな音を立てて、背後に気配が現れた。






「セッ…!!」
 セイレーン、と口にする前に、黒い翼が大きく羽ばたく。
 発生した大きな風に、三人は揃って吹き飛ばされた。
 不意を突いた攻撃に、対応するのが遅れてしまったのだ。
 地面に叩きつけられるのと同時に、森からわらわらとまるでウジが湧くかのように、モンスターが現れる。

「…どうやら、私達の推理は大当たりだったみたいね」

 エマの静かな声に、二人は小さく頷く。
 一斉に囲まれて、三人は思わず身構えた。


 …しかし、モンスターはゆらゆらと揺れて取り囲むだけで、攻撃をしかけてはこない。


 今まで手に入れた証言と同じ状況に、三人は体に力を入れる。
 迂闊に手を出せば、このモンスター達に袋叩きにされるだろう。
 かといって、このままではセイレーンに…。




 ――――――――その瞬間、耳に柔らかな旋律が届いた。




 うた。
 柔らかく、優しく、体中に染み渡るような。
 頭の中に響くような、そんな歌。
 聴覚が他より優れているセレスティの耳に、否応なく侵入してくる音。
 一言一言が頭の中に響き、少しずつもやに覆われていくような感覚が訪れる。
 霞んでいく思考の中で存在を主張しているのは、ただ歌が綺麗だと、ただ、それだけで…。



 無意識の内にセレスティ一歩踏み出しかけたところで――――ぱちんと、目の前でシャボン玉で弾けるような音と、その映像が目に映った。



 すると、霞みかけていた意識がふっと戻ってくる。
 驚いて目を瞬かせるが、自分の周りにはもうシャボン玉は残っていなかった。
 ふと、懐が熱いような気がして視線を落とす。
 ぼんやりと光を放つチップを見て、これが発動しているのだと、なんとなく悟る。
 はっとして横を見ると、同じようにポケットから淡い光を放ったシオンの姿が見えて、セレスティはほっと息を吐く。



 しかし続いてシオンの奥を見たところで――――ぎょっと、目を見開いて硬直することになる。



「シュラインさん!?!?」

 驚いて硬直したシオンの代わりに、セレスティが声を上げた。





 ――――エマが、虚ろな瞳で歩き出していたのだ。





 今までの被害者と全く同じ状態。
 虚ろな目で、意思も感じられず、ただ静かに、セイレーンを見つめて歩を進める。
 いけない、と思った。
 止めなければと慌てて一歩踏み出した途端、ざっと、視界を遮るようにモンスターが現れる。


「どいてくださいっ!!」
「シュラインさん! シュラインさんっ!!」

 モンスターを一体倒しても、またすぐに別のモンスターがその隙間を埋めていく。
 どんなに呼びかけても、エマは反応を返さない。懐に入っているチップも、光を放っていなかった。
 発動が失敗したのだろう。完全に、セイレーンの支配下に置かれていた。



 一歩、また一歩と、エマがセイレーンへ近づいていく。
 声を張り上げて呼んでも、彼女は虚ろな瞳のままだ。



 ……とうとう、エマがセイレーンの目の前に辿り着いてしまった。



 セイレーンが嬉しそうに歌い、微笑みながら、黒い翼でエマを包み込む。






「「シュラインさん―――!!!」」






 二人の叫び声も虚しく、エマは目を閉じてセイレーンに包み込まれる。
 完全に黒い翼に包み込まれ、エマの姿が見えなくなった瞬間。




 ―――――――――――ざぁっ、と強い風が吹いた。




 反射的に目を閉じる二人。
 はっとして慌てて目を開いた時―――そこには、なにもいなかった。
 エマも、セイレーンも…モンスターさえも。








 ――――――――――――夢ではないと主張するように、黒い羽根を、たった一枚だけ…残して。









◆虚ろなる人形(ヒトガタ)

 あの後、シオンとセレスティは急いで現実に戻った。
 シオンの聞いた情報が確かならば―――現実に、エマが戻っている可能性があったからだ。

 草間興信所へ向かう途中、合流する。
 そのまま興信所へ辿り着いて中へ入ると、異様な光景が広がっていた。



「…セレスティ…シオン…」



 顔を真っ青にした草間が、扉から入ってきた二人を呆然と振り返る。
 その声が僅かに震えていて、二人は思わず顔を見合わせた。
 息を切らせた様子の二人を見て、草間は眉を寄せる。




「……お前ら、知ってるのか。
 コイツが一体どうしてこうなっているのか…」




 草間の視線の先―――確かに、エマはいた。
 ただ、椅子に座って、ぼんやりと目の前にある書類を見つめているだけの、エマが。


「さっきから、何を言っても『ええ、大丈夫よ』しか返さん。
 かと思えば急に立ち上がって室内を一周し、そのまままた椅子に座る。
 ……まるで、コイツが壊れた自動人形になっちまったみたいだ」
「…………ええ、大丈夫よ」


 苦々しげに煙草を噛み潰す草間に、何故かエマがそう呟く。
 虚ろな視線ととんちんかんな返答に、セレスティとシオンが顔を見合わせる。
 正に、シオンが調べた「現実に戻った人間の様子が普段と違い、おかしくなる」そのものではないか。
 どう説明するべきかと二人が困っていると―――不意に、ぺたり、と背後から間抜けな音がした。


 ばっと音の発信源を振り向いた三人は―――まったく同時に止まる。






 ―――――――――後ろ足だけで立った、二本足の可愛らしいデフォルメ兎。






「なっ…」
「いつのまに…」
「ぁあああ! なんと可愛い兎さんなのでしょう!!」
「お前は黙ってろ!!」
 驚くセレスティと草間に対して一人喜ぶシオン。
 しかし草間に一喝されて、しゅんと肩を落とし、黙り込んだ。
 それを確認してから、草間は兎をにらみつける。



「……貴様、何者だ。何故ここに現れた。依頼なら今はお断りだ」



 静かにそれだけを告げると、兎は面白そうに口を歪ませながら、右前足をぺたりと口に当てた。

『そうぴりぴりすんなよ。
 俺が用があんのはアンタじゃなくて、そこの二人さ』

 楽しそうに告げられた声に、セレスティとシオンは同時に目を見開いた。
 多少電子音に紛れてわかりにくくはあるが、この声は、確かに聞いたことがある声だったのだから。




「その声…ヒスイさん、ですか?」
『正解。意外と早く気づいたな』




 セレスティの返答に満足そうにほくそ笑みながら、兎は前足を組む。


『…アンタ達に面白いプレゼントだ。
 使うかどうかは、アンタ達の判断次第だがな』
「「プレゼント?」」


 二人の不思議そうな声にこれ以上返答はなく、兎は軽く飛び上がると、ぽひゅ、と音を立てて煙を発生させた。
 瞬間、兎の姿は消え、代わりにからん、と音を立てて何かが落ちる。
 煙が晴れてから近づいて拾い上げると、それは一枚のCD−ROMだった。
 それを確認したセレスティが、草間を振り返る。

「草間さん、パソコンをお借りしてよろしいでしょうか」
「…ああ」

 このCDがエマの状態に関係があると気づいたのだろう。
 緊張した面持ちで頷いた草間に礼を告げ、セレスティがCDを入れる。
 中身を立ち上げると、文字の羅列が現れた。
 てっきり嫌がらせを込めて暗号でも使っているのかと思ったが、それはただの日本語。
 訝しげに思いながらも、セレスティが声をかけ、草間が表示されている文字を読み上げる。


「……住所、のようですね」


 どうやらその文字は、東京都内のとある一箇所を指しているらしい。
 セレスティがそう呟くと同時に、シオンが声をあげた。

「まだ、下に何かあるみたいですよ」

 その声に、草間が文章をスクロールさせる。
 そして現れた文章に、草間は驚いて目を見開いた。
 シオンからは死角のそれが何かとセレスティと問いかけると、草間は半信半疑の表情で口を開く。



「……『俺の仮の住居の一つだ。待っていてやる。信じるのならば、来てみるといい』」








 ―――――――――――その言葉に、シオンとセレスティは驚きに満ちた表情で顔を見合わせた。








Next Story…?


◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
 【整理番号/名前/性別/年齢/職業】

 【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 【1833/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
 【3356/シオン・レ・ハイ/男/42歳/びんぼーにん】

 【NPC/ヒスイ/男/??歳(外見年齢二十歳前後)/ハッカー】
 【NPC/ネヴァン/女/??歳(不明)/女神】
 【NPC/草間・武彦/男/30歳/草間興信所所長、探偵】

◆◇入手アイテム情報◇◆
 《ウィルス無効化チップ》
    文字通り持ち主に対するウィルス(白銀の姫内では持ち主に異常を与えるようなもの)攻撃を自動的に無効化する小型チップ。
    が、それは確実ではなく、発動しないこともあるため、頼るのは得策とはいえません。
    回数制限があり、三回使用すると自動的に消滅します。(この世界でのカウント:今回一回発動。残り二回)

◇◇ライター通信◇◇
 お待たせいたしました。白銀の姫クエストノベル第一弾、「Imperfect angel―不完全天使― 〜appearance〜」をお届けします。
 結構自分設定が散りばめられているので、「あれ、ここ違わね?」ってところは…見逃してやって下さい(爆)
 今回はお三方とも単独での御参加ということでしたので、三人でパーティーを組んでいただくことにしました。…いかがでしたでしょうか?
 また、いつものように個別9:共通1の割合で書いてますので、個別シーンが相変わらず多量です(ぇ)
 今回は一人ひとりにバラバラの情報を提供する形になっています。
 行動によって情報にバラツキがあるので、他の人のノベルも見て情報を集めて下さい。
 また、最後のシーンも二方それぞれに個別のシーンを用意しています。他の方のノベルを見て(一部PL情報扱いになりますが)情報を手に入れておくのもいいかと。
 あと、ヒスイは大分ひねくれてるというか…ものすっごい性格悪いですが、どうか大目に見てやって下さいませ…(苦笑)
 さらに知恵の環で立ち去り際に残していった言葉は、今回と次回共通のヒントのようなものになってます。
 まあ、正直な話無理に考えると逆にややこしくなるかもしれないんで、考えなくても問題ないですよ。ええ全然(ぇえ)
 セイレーンの住む古城があるであろう森を見つけることはできましたが、特殊なプログラムとウィルスでジャミングされており、入ったり出たりするには何か別の手段が必要になるようです。
 なにはともあれ、このどれくらい続くかわからないシリーズ、よろしければお付き合いお願い致します(ぺこり)

 セレスティ様:
    今回のクエストノベルへのご参加、どうも有難う御座いました。
    調べる順番など色々弄ったので…プレイングをきちんと反映できているかどうかもあわせて、いかがでしたでしょうか?
    また、現実世界のところがそちら様のプレイングイメージどおりに行えているかどうか…が一番の心配どころです(爆)
    シオン様からアイテムを貰ったのでアイテム入手です。更に最後にはヒスイからの接触。兎は深く気にしないようにお願いします(笑)
    チップに関してはアイテム情報を御覧下さい。とは言っても白銀の姫内では自動発動タイプなのであまり関係ないかもですが…(をい)
    セレスティさんは穏やかなキャラなので書いてて落ち着きます(笑)
    だから個人的にはネヴァンとの会話を書いてる時、なぜか物凄く和みました(爆)
    また、本編ではきちんと出ていませんが、男女比率に関しては現実戻った後に書類として入手してます。
    伝承のある森近くの村に関しては、エマ様のノベルにて少しだけ書かれていますので、そちらを御覧下さい。こちらも入手情報として扱えます。
    症状に関しても、シオン様のノベルでもう少し細かく書いてますので、今回の最後と合わせて入手情報として扱って結構です。

 色々と至らないところもあると思いますが、楽しんでいただけたなら幸いです。
 それでは、またお会いできることを願って。