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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


■歩道橋の人と迷子の少女■



『小さな女の子が僕の傍で泣いている
 僕が呼びかけても聞こえないみたいでずっとずっと泣いている
 年の頃は多分十歳にはならないんじゃないかな
 可愛らしい浴衣を着て水風船を一つ提げて泣いている
 親御さんに会わせてあげて欲しい ―― 歩道橋の人』


 その書き込みを見ても、単なる好奇心で赴けば歩道橋の人には会えない。
 少女は少女で――うすぼんやりとどこか朧な輪郭と曖昧な気配が、視える者には幽霊と知れる。
 そんな二人が並んで過ごす歩道橋にふらりと彼が現れたのは、掲示板を見ての事か、それともただの偶然か。そのとろりと微睡むような空気からは解らなかった。


** *** *


 九竜啓がその色によらず淡い印象を与える瞳を二人に向ける。
 歩道橋を渡る人間は多くない。
 思い出したように通る人々の中で一人だけ足を止めた幼げな彼の姿に顔を向けたのは青年の方だ。歩道橋の人、だけれど名乗るでもなく問うでもなく、ただ視線があって啓と彼は微笑み合った。
 ゆったりと、柔らかな足取りで歩み寄ると少女の微かな声も届くようになる。
「えっとぉ……」
 どうしようかなぁと窺うように青年を見れば「よろしく」と唇だけで言うのでにっこりと頷いて啓は少女の隣にしゃがみこんだ。くいと首を傾げるのに銀色の髪がさらさらと揺れる。
「こんにちはぁ。俺、くりゅーあきらっていうんだぁ〜」
 人好きのする無垢な笑顔は少女が見ればつられて顔を綻ばせるだろうに、惜しい事に手の甲をしきりに目元に押し当てて擦りながら泣きじゃくっている。まずご挨拶、と名乗ってはみたけれど聞く余裕も無いらしい。泣いて肩を揺らす度に手首から提げた水風船が弾むだけ。
「うーん…はぐれちゃった、のかなぁ…」
 しゃがみこんだ膝の上に手を乗せて、更にそこに顎を乗せて少女の顔をなんとか覗けないかと顔を傾けてみる。努力の甲斐あって、おとーさん、おかーさん、と小さく繰り返す口元だけがなんとか見えた。
 そのふっくらと幼い肉付きの頬を見遣りながら啓はそっと手を伸ばす。少女の背中を何度かその手が上下して、啓の声と共に産着のようなやわやわとしたなにかが少女に送られていく。その様を今も立っている『歩道橋の人』が見ていた。
「俺もねぇ…よく、迷子になったり…はぐれちゃったり…するんだぁ」
 不自由な体勢だろうに腕を伸ばして撫でさするまましゃがむ身体は起こさない。
 少女の嗚咽が途切れがちになってもまだ啓からは柔らかく温かななにかが少女に向けて送られているままだ。ねぇ、と少しだけ内緒話のような啓の声。
「……泣かないで?」
 泣いてちゃ話もできないよ、と。
 そんな風には言わないけれど、ただただ慰めて少女を、そう、癒そうとするような啓の様子はどれだけ続いただろう。時折歩道橋を渡る人が怪訝そうに啓を見てもそんなものは気にならない。少女が泣き止むようにとそればかりだった。
 言葉を聞く素振りは無い少女。けれど啓から送られて少女を包んだ優しいなにかが少しずつ嗚咽を小さく少なく、途切れがちなものにする。擦る手に隠れる目。そこから――はた、と水滴が指の間を通って足元に落ちる。
 そういえば泣いているのに涙はまるで滴り落ちてはいなかった。
 気付いたところでどうというものでもないのだけれど、ふとそれが泣き止む合図のようで啓がじぃと少女を見上げると幼い手は少しだけ目元を覗かせて、その動きに沿って揺れる水風船。
「……涙、止まった?」
 少女の大きな黒目と啓の青い青い瞳が今度こそきちんと向かい合う。
 相手よりも低い位置からゆるやかに瞳を細めて笑いかける啓に、少女はしばらく動きを止めてしまった。ずらした手もまだ涙の滲む目元の近くから下ろされず、伏せ気味の頭もそのまま。
 けれど啓と、それから二人を見る『歩道橋の人』も急かす気配を見せないでただじぃと浴衣姿の少女を見るばかり。ただ『歩道橋の人』は啓に任せてしまうつもりなのか半ば二人を見守る様子でさえあった。
「俺ねぇ、くりゅーあきら。えっと……きみは?」
 ひくと一つ強くしゃくりあげる。水風船の弾む音。
 柔らかな帯が動きに合わせてふわりと揺れるのを啓は目の端でちらと見た。
「あのねぇ、名前って……その人を認識する、えっと…わかるかなぁ。すごく大切な、モノだから…教えて欲しいんだぁ〜」
 啓の言葉はいっそ緩慢で、けれどそれがきちんと少女に向けて伝わっていればいいのだと彼の顔から知れる。ふと『歩道橋の人』が振り返る背後。橋の上を稀に通る誰かが怪訝そうに、気持ち悪そうに、そんな風に見ていても姿勢を変えたりはしない。
『――』
 ごく微かな、掠れるような音がようよう零れる頃には啓の膝は随分と疲れ果てていたのだけれど、時間にすればもしかしたら思ったよりも経ってはいないだろうか。見上げる不自然な姿勢は啓の足になかなかの負担を強いていた。
「ありがとぉ」
 けれど少女が小さな小さな声でも返してくれた事が、その負担を忘れさせる。
 本当に聞き逃しそうな音だったけれど、確かに名前だった。
 顔全体、身体全体から嬉しいと気配を漂わせて啓が笑う。それを今は手を下ろした少女が見て――すぅと笑んだ。啓の笑顔に誘われるように。えへへと笑えばまた笑う。
 水風船がするりと、手首から掌へと少し位置を下げた。



 そうした歩道橋での一場面からどれほどの時間が経ったのかは解らない。
「……あれぇ?ここ…どこかなぁ……」
 気が付けば少女と二人、現在位置把握不可能な啓である。
 にっこり笑う『歩道橋の人』に見送られて少女と歩き出していたのだけは確かなのだけれど。
 結局、最後まで少女は『歩道橋の人』に視線を向けず、どうしてかなぁ波長が合わないのかなぁと首を傾げる啓ばかりを見上げていた。その状態から「じゃあちょっと…俺と一緒に歩く?」という話になったのだが、やはり元から(啓推定)迷子の少女と(結果として)常に迷子になり易い啓の組み合わせでは展開は見えていたと言うべきか。
 通行人にどれだけ訝しげにされようとも――少女が見えないのだろうけれど、その人達から見て啓の行動が奇妙でも啓自身は気にする風も無く少女にしきりと、無論とろりと緩やかな口調であるが話しかけて歩き続けて。
「んっと……解る?」
 視える人間にしか状況は理解出来ない、視えない人間には啓が不自然に腕を身体から離して指先を見ているようにしか見えないだろう。その手の先、軽く折られた指は幼い手を柔らかく握り込んでいる。
 見遣る先には浴衣の少女。啓の言葉に目を上げて静かにかぶりを振ると、手首に通した水風船のゴムが少し撓んだ。
 それをにこにこと見ながら「どこかなぁ」とさほど本気で困った様子でもなく零していた啓がつと瞳を瞬かせたのは改めて少女の浴衣に目を留めたからだった。
 そもそも最初から気になっていたのだけれど、まずは泣き止んでから、と後回しにする内に優先順位がとてつもなく低くなって意識の底に重石をつけて放り出されていた様子だ。ぽかりと空いた迷子の時間が無ければ今も忘れ去られていた可能性も無くもない。
「んー……」
 通行量の多い道ではないが歩道の隅に寄って立っている二人。
 自然と少女に目を合わせるようにして啓はつと首を傾げた。少女は啓が首を傾げる理由が解らなくてしばらく彼を見上げていたけれど「うーん」とまだ首を傾げるので手元の水風船をぽんと軽く手の平にぶつけて遊び出す。
「なにか……意味がある…のかなぁ」

 その、浴衣。

 少女に訊ねるように、自身で答えを探すように、何気なく啓が言葉を落とした。
 途端。
 強く手の平に水風船がぶつかって、不自然に跳ねる音。
 その音に誘われるように啓が視線だけでなく意識も向ける。少女の手首を引くようにして水風船が揺れていた。ぽん、ぽん、と数回。それも止まる。少女は頭を動かし――それまでの大人しい様子から一転していっそがさつな動きで自分の浴衣の裾や帯を確かめては瞬きを繰り返す。
「……どうしたの?」
 その幼い顔が最後に向いたのは啓だった。
 名前を呼ぶと何か言いかける。止める。また開いて、名前の時と同じように聞こえるか聞こえないかの微妙な音量で小さく「おまつり」と告げる。
「おまつり……って、今どこかやってるのかなぁ……」
 夏祭りはもう無いよねぇと思案する啓の手を少女が掴むとそのまま引っ張って歩き出した。
 歩く。歩く。歩く。
 小さな歩幅に啓が引き摺られても大した事は無くて、せいぜいが普段よりも足を速く動かす程度。だから啓は少女が進む程に大きく聞こえてくる音を簡単に拾い上げてぱちりと瞬き。
「そっかぁ」
 よくある話だけれど、きっとこの子はお祭りではぐれちゃったんだろうな、と。
 大まかに推測してみて啓は彼にしては珍しくも大きく足を出して距離を稼ぐと少女のすぐ隣に来るようにする。これで手を繋いだままで二人ともに負担が無い。何度目だろうか、振り仰ぐ少女に、これは変わらずなにやら時間まで緩く流れそうな空気で啓が言った。
「じゃあもうすぐ見つかるねぇ……」
 夢を見るようにとろりと笑う。
 少女の声はとてもとても小さくて、まるで心に直接聞こえるのではないかと思える程に小さくて、だから結局この時も啓の耳にかろうじて響いただけの応えだった。

 うん、と頷いた少女の、啓と繋いでいない側の手首で揺れる水風船がふと引っ掛かる。

 迷子になる前と同様にふらりふらりと歩を進めるが、違うのは今度は目指す場所がある事だ。
 いや、場所というよりも音。
 祭りの独特の賑わいが遠く近く啓の鼓膜を刺激する。少女も落ち着き無くきょときょとと周囲を見回しては音の方向を探す。そちらに親がいるのだろうな、と啓は思って一緒に歩いて。
「……あれぇ……?」
 いつの間にやら辿り着いたのは見慣れた道路。
 正面の車道を忙しく車が走り抜けて行く。横断歩道で待つ人も多くて見るだけで自分まで焦ってしまいそうな場所。
「ここ…俺、知ってるような……」
 そこで少女の手を握ったままにふいと首を傾げるのは啓。
 聞こえていた筈の祭りの音は儚く、いつ通り過ぎたのか歩いて来た方向から聞こえていた。
「あの音ってぇ…どこから、してたのかなぁ」
 振り返る。少し目を細める。肩が動いて手が緩む。
 少女が動く。瞳を輝かせて親を呼ぶ。動きかけて手首から水風船が滑り落ちる。
 転がるのを追って少女が親ではなく啓の振り返ったのとは真逆の方へ飛び出す。
「あ」
 いけない、と伸ばした腕。
 振り返る途中で花を供えて手を合わせる男女が見えた。
 認識したのは足元に落ちた水風船に気付いてから。

 少女は、水風船を追って車道に。

 揺らしていた水風船が手を離れて。
 幸運だったのか不運だったのか割れなかったそれを追って。
 祭りではぐれた両親と無事に会えて安心していたのに。
 飛び出して。夜で、祭りの場所から離れた所で。拾おうとして身体を屈めて眩しい車のヘッドライトが照らして高い音が響いて母親の悲鳴が聞こえる時には浴衣が、濡れて、水風船も割れて。


 ――倒れた顔が向いた先に歩道橋。何処に居るのか解らなくなった。


** *** *


 重なった異なる時間の同じ場所。
 少女は啓の前で背中を向けて足を止めている。

 瞬間離れた手を再度捕らえる啓の仕草は周囲にはきっと奇妙な一人芝居だった。
 何人かがあからさまに視線を投げて、けれど啓は少女にだけ意識を向けて言葉も向けると普段の通りおっとりと告げるのだ。
「……ダメ、だよぉ?」
 引き止められた腕に従って少女が振り返る。
 その目の位置に合わせて膝を付くとそっと啓は指差した。
「そっちじゃなくて…あっち、だよね…」
 示す先には男女。
 やつれた女性が顔を上げて啓の方を凝視している。信じられないものを見ていると、そう言わんばかりの表情で。男性が促されて同じように啓を見て、立ち上がる。何かを疑いけれど信じたいのだろう気持ちで。
 目の前で立ったまま動かない少女の背を撫でる。
 柔らかく温かななにか。それが励ますように幼い姿を包み込む。
「おかーさんと、おとーさん……でしょ?」
 手を繋いで一緒に歩いた間と変わる事なくとろりと笑って啓は少女の手を撫でた。
 行かなきゃ。見えてるよ。
 道路じゃなくて歩道を歩いてほら。
 水風船は道路には転がってないから。
「……足元…気をつけて…ね」
 かた、と少女の足元で下駄が鳴る。
 初めて聞こえた音がそのまま移動して向かう先は――花を供えていた男女。
 最後まで小さなままだった少女の声が「ありがとう」と告げた余韻に浸りつつ啓はそちらを穏やかに見る。少女が両親の傍に駆け寄り、触れて。

 水風船は、無い。

 両親に触れる辺りでは周囲にも見えていたのか、幽霊だのと言い交わす声が時折聞こえる中で啓は視線を足元へ。
 靴先を濡らすようにあるのは小さな水跡。

 きっと、水風船は割れた。

 腰を落としたまま水跡を見ると啓は夢現の口調で少女へと囁いてみせる。
 両親と会って、迷子じゃなくなった少女へ。



「よかったねぇ」

 そんな風にとろりと笑いながら。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5201/九竜啓/男性/17/高校生&陰陽師】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして。ライター珠洲です。
 のんびり一緒に、という流れならいっそ散歩風味を押し通してしまおうかという誘惑に駆られるお話です。浴衣については、捻りが無くて申し訳無いのですけれど。
 単発NPCなお嬢さんですが、描写されてないだけでちゃんと名前は最初に聞けてます。
 あまり活躍、というお話では無く緩いテンポのお話ですが気に入って頂けれは幸いです。
 ありがとうございました。