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仲良きことは美味しき哉 〜鍋日和・賞味編〜
あやかし荘に住む貧乏学生某君がそろそろ夕食にしようかと、財布に優しく高蛋白低脂肪かつ和洋中いかなる味付けも受けて立つ食の優等生・豆腐を冷蔵庫から取り出したとき、なぜか背後にも冷気を感じた。
「……それを……所望ぢゃ…………」
ただならぬ気配とともに真後ろで囁く『なにか』の非情な言葉に全身総毛立ちながら、顔面蒼白涙目で頷くしかない某君であった。
あやかし荘に住むダイエット中の某君が晩飯はラーメン風にしてみるかと、豊富な食物繊維がそれなりに腹持ちを約束する減量の友・しらたきを冷蔵庫から取り出したとき、なぜか背後にも冷気を――
(中略)
「ほれ! 調達してまいったぞ」
豆腐、しらたき、椎茸、麩に卵、なぜか鴨肉と赤ワインのボトルまでかかえた嬉璃が意気揚々と、本郷源(ほんごう・みなと)の待つ薔薇の間に戻ってきたのは、まだ宵の口のことであった。
本日午後より賑々しく開催の『輝け(ているかどうかはさておき)! すきやき調理法東西決定戦』は、ネギ剣対決がドローに終わったため、一拳入魂のジャンケン勝負に持ち込まれた。結果、関東風を推す源のグーに軍配が上がったのだが、野菜と肉だけでは些か寂しい。すると嬉璃が――
「しからばわしがひと肌脱ごうぞ」
「どうする気じゃ」
「まあ任せておけ」
――であった。
「おお、この短時間に……さすが嬉璃殿じゃ」
「ふふふ、わしは打出の小槌を持っておるでの」
目を丸くする源に、嬉璃は鼻高々だ。打ち出させられた店子はいい災難である。
「ところで、なにをしておるのぢゃ?」
受け取った豆腐を、鍋と見比べながら均等に切っていく源に、嬉璃は首をかしげた。よく見ればネギもザク切りではなくきちんと高さを揃えてある。
「んむ、実は砂糖をきらしておっての」
「なんぢゃ、それでは」
もうひと打ち出ししてまいろう、と立ち上がりかける嬉璃を、
「あ、いや、よいのじゃ」
源が制した。
「この際じゃ、西と東の間をとって『ろさんじんふう』と洒落込もうではないか」
「渋いのう、おんし……」
一般的な所謂すきやきを「あんなものはごだごだ煮だ」と一蹴したかの食通に倣い、手間はかかるが肉そのものの味を楽しもうというのだ。いずれ祖父の薫陶なのであろうが、六歳にして魯山人風とは恐れ入る。そう言われてしまっては砂糖の甘味にこだわるわけにはゆかぬ。
それに、と、慣れた手つきで熱した鍋に牛脂を炒りつける友を眺め、嬉璃は思った。肉を炒めるように焼くスタイルは、関西風といえよう。実質、勝利だ。
「ああ、うまい……!」
やっとありついた御馳走に目を細め、源が舌鼓をうつ。なにしろ福引の商品に出した肉屋のおやじさんが、見事当てられて悔し涙にくれた極上品である。酒と醤油とほんの僅かの味醂とで味付けした熱々の肉は柔らかくジューシー、鼻孔をくすぐる香気がまた嬉しい。
「ふ、やはり美味なるものは西が主流よの」
尻尾があったらちぎれんばかりに振っていること疑いなしの源の様子が可愛らしくもあまりに子供っぽく(まあ、子供なのだが)、嬉璃は自らの空腹を抑え、ちょっと大人の余裕をみせたくなった。
「そもそも牛肉という食材は――」
「うまい、うまい」
「ポイントは熟成の期間にあってぢゃな――」
「うまいのう」
「こら、話を聞かんか!」
すると、源がちろりと上目で見るではないか。
「蘊蓄で腹は膨れぬぞ、嬉璃殿」
その小憎らしいいいぐさに、齢うん百年の座敷わらし様はカチンときた。
「ならばこうぢゃ!」
嬉璃は残像が見える勢いで鍋底に肉を敷きつめるや箸を突っ込み、ぐるり巡らせた。ほどよく火の通った肉が一気に集まる。
「そ、それは禁じ手じゃぞ、嬉璃殿!」
慌てる源をしりめに箸さばきも鮮やかに、嬉璃は香ばしい肉をまとめて頬張った。実に大人げない。
しかし源もすぐさま反撃に出た。
「ならばこうじゃ!」
わずかに残っていた肉を素早くつまんで口に放り込むや、あらかじめ用意しておいた出汁を鍋にざっとあける。あっと声をあげる嬉璃に構わず酒と醤油で整える。蓋をする。このあたりのタイミングは、童女ながらおでん屋台の主だけあって堂に入ったものである。頃合で豆腐だのネギだの椎茸だのの加わった鍋は、どちらかというと関東風になった。
「ふっふっふ、これとて『ろさんじんふう』じゃからな」
「うぬぬ……そうきたか!」
甘かった、こやつがなんの備えもしとらんはずがなかったのぢゃ、と臍をかむ嬉璃。
わしを舐めたらちょっぴり甘いがそれでも問屋は卸さないのじゃ、とほくそえむ源。
双方箸を構えて睨み合い――やがてどちらともなくにやりと笑う。
「さあ、いただこう」
「おうとも」
こうしてやりあうのも実は楽しい二人である。傍目には一触即発、火花が散っていようとも、当事者達にしてみればコミュニケーションの一環なのだ。ゆえに、今度はほこほこと湯気のたつ鍋をはさんで仲良くワインで乾杯となる。グラスがわりに湯呑で済ますあたりも、気のおけぬ間柄なればこそ。
ひろげた肉をふわりと浮かべ、ふちがほの白くなったところでさっと引き出す。たれは鍋の出汁に醤油を加え、梅酢でアクセントをつけてある。焼くのとはまた違う肉本来の甘さ、まろやかな旨味がこたえられない。源ははあ、と至福のため息をついた。
「心まであたたまるのう」
「源よ、肉もよいが野菜もよいぞ。ほれ、わしなんぞネギ専門ぢゃ。全ての具材のエキスがたっぷりしみこんだネギこそ真の主役。うむ、旨い。ネギは旨い」
「……ネギの間に肉が挟まっとるぞ、嬉璃殿」
「ばれたか」
笑い声が、薔薇の間にはじけた。
さて、いかに食い道楽といっても小柄なわらべ二人のこと、食べて飲んで騒いで心身ともに一段落しても、肉はまだそこそこ残っていた。
「どうする、源。やっつけてしまうか、それとも明日のおかずに――」
「そのことじゃが……のう、打出の小槌は誰々じゃ?」
「聞いてどうする」
「うむ、このように美味しい物を食べ楽しい宵を過ごせたのも、他の食材あってこそじゃから」
だから、たとえ一口ずつでもお裾分けがしたいのだ、と源は言った。
「ふうん……」
「のう、どうであろ?」
「……優しい子ぢゃの、おんし」
「か、勘違いめさるな、わしはもう満腹ゆえ、自立した一個のびじねす・うーまんとして冷徹・冷酷・冷血な商いの鉄則に基づいて余剰物資の有効活用をじゃな――」
「ああ、わかったわかった、では皆々集会室に呼び出しておこう」
「ありがとう嬉璃殿……したが別に優しいとかそんなことでは全然ないのじゃからな!」
なぜか真っ赤になって憤慨する友を背に、嬉璃は薔薇の間を後にした。暗い廊下を滑るように進みながら、自然と頬が緩む。
「源の奴……」
ときおり気心の知れた悪戯仲間から幼子を慈しむ年長者へと一足飛びに変わってしまうその微笑みこそが、源をうろたえさせ照れさせたのだとは、知る由もない嬉璃であった。
ちなみに、夕食の材料を強奪していった『なにか』に追い立てられ失神寸前で集会室に足を踏み入れた店子達は、鍋奉行・源に特選極上和牛のすきやきをふるまわれ、感激のあまりこぞって屋台の常連になったという。例によって冷やかす嬉璃に、びじねす・うーまん源が「計算通りなのじゃ!」とむきになったとか、ならなかったとか――
〈了〉
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こんにちは、三芭ロウです。
ご指名ありがとうございます。
せっかくなので、魯山人風でも対決風味(でも仲良し)にしてみました。
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