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<東京怪談ノベル(シングル)>


頼られたなら断らず

 …困ったな。
 奴から話を聞いたのは…いつも通りのバイト中の事。いきなりだった。俺はその店で働くようになってまだそれ程経っていない。漸く仕事にも慣れて来た――そして同時に誰が自分と気の合う奴かがわかって来た――そのくらいの時期になる。
 当然、そんな状態で滅多に自分の能力の事など話す訳がない。…否、環境に慣れたとしてもわざわざ話すつもりもない事なのだが。そもそも話せる程詳しく知らない。
 …何故そんな力を持っているのか、俺の方が知りたい。
 癒しの力と、魂振・鎮魂の力。
 主に、神道の祝詞により発現される力。分類するなら自分は神道系の能力者と言うか術者と言うか――そんなものになるのだろう。
 が。
 家を出てきてからそれを知らせたのは――それが必要とされる場所――つまりはその筋の怪奇事件に慣れた各調査機関の方々やその依頼人の前くらいのもので。
 それ以外には知らせた事はない筈だった。
 同時に、知られる事もない筈だった。布瑠の言霊を紡ぐ事で発動する力。それ以外の自分は何でもないただのフリーターである。
 なのに、奴はいきなり気付いた。バイト中と言う不意打ち。それは別に特に隠していた訳でもないが――気味悪がられる事もあるとわかっている力。わざわざ言い触らすつもりもない。
 そしてその時やっていたこのバイトは怪奇・神秘の類とはまったく関係無い普通のバイト。奴もまた――そんな『普通』のところで働いている人間であり、そんな気配と言うか匂いと言うか――そんな感じのまったく無い相手。
 ならば、事前に知っている筈がないのだ。
 …なのに、奴はいきなり助けてくれと頼み込んで来た。俺の能力を借りたいと。
 そしてそれを聞いて、今俺は奴に付き合って『ここ』に来ている。
 の、だが。
 当の奴が何処かに行ってしまった。
 だから、困っている。



 …何故か、静かな神社の境内だった。
 不夜城とも呼ばれるこんな都会でこんな場所があるのか。それくらいの静謐さが感じられる場所だった。
 ただ。
 同時に、奇妙なくらいの違和感もあった。
 ここは本当に『神社』なのだろうか。
 そこからして疑問に思えるような。
 …何となく、『ここ』は『清められた場所』とは思えなかった。…俺の実家も神社になる。神社と言う場所にある空気の清冽さは、幼い頃からずっと馴染みがある。だからそのくらいの区別は付く。
 だがこの神社は、何かが違う…気がした。
 そもそも、俺は――いつここに来た?
 奴に頼まれ、同行して神社にしか見えないここまで来たは良いのだが――その道程、どの辺りからだったか…道順があやふやで。何の神が奉られている何と言う名の神社か、それも確認していなかった。…否、今の俺の感覚からすれば、『それ』があったのかどうかさえ、わからない気がした。
 …助けて欲しい人が居る。奴の依頼はそうだった。俺の持つ癒しの能力を欲した。そう言う事らしい。それで連れて来られたのがここなのだが…単純に、治癒を必要とするような奴がこんな物寂しい神社に居るものなのだろうかとも思えてくる訳で。
 考えながら奴を捜し歩いていると――唐突に、肩に手が置かれた。何故かずしりと重く感じられたその手。何事か――と思い振り返ったら当の『奴』の手。…何処行ってたんだ? と問い掛けがてら肩に置かれたその手を丁寧に外そうとすると――奴はそんな俺を無視していきなり乱暴に掴み掛かって来た。咄嗟に慌てて避ける。何事か。思いながらも何とか掴み掛かって来るその腕を振り払う。異様にひやりと冷たかった。突き飛ばしてしまうような形になったか。とにかく、何とか避け切ってから奴の姿を改めて見直す。と、奴は俺に突き飛ばされた勢いのまま踏鞴を踏んで後退していた。足が縺れて転び掛け、何とか地面に片膝を突くまでで踏み止まっている。
 奴のその目が、正気で無い事にすぐ気付けた。ついさっき、自分と同行している時まではそんな風には見えなかったのに。ここに来て姿を隠してから――自分とはぐれてからこうなったのか。何かに、憑かれているか操られているように見えた。…憑かれているか操られているか――何に? その回答は頭の中ですぐに出た。それが正しいかどうかはわからない。それでも、何故かそうなのだろう、と確信していた。
 俺の能力を求めたと言う本当の相手。
 奴は俺に助けて欲しい人が居ると言った。
 …その人が、奴を?
 何故そう思ったかわからない。ただ、それ以上考える間もなく『奴』は再び俺の方に来た。俺を襲う意志がある事だけは見えた。片膝だけ突いたそこから何事も無かったように立ち上がり、何処か茫洋とした動きのまま一歩一歩俺に近付いて来る。…とは言え奴は俺と体格もそう差は無い。特に武道を齧っているとも聞いていない。それは自分の場合も同様なので詳しいところはわからないのだが――取り敢えず、荒事に『慣れている』ような動きは何処にも無かったのがまだ救いと言えたか。もし奴にそれがあったら、自分では到底太刀打ちできない。
 奴の瞳の色は何処か澱んで見える。そう思った俺は息を整えてから穢れ祓い――大祓詞を選ぶ。神社と言う場でありながら、奴を動かしているその『何か』は穢れに属するものと見て取れたから。…自分がそれを唱えて効果を齎す事が出来るかわからないが、やってみなければわからない。神が穢れを如何にして祓うか、その経過を知らしめた祝詞を紡ぐ。唱えている間にも『奴』は殴り掛かって来る。動きはやや鈍かったが、込められた力は成人男性である以上それなりのもの。呼吸法に気を付けつつも一応、避けられた。この息は神の御息。…だが、やはり大して効かないか。
 考え直し、得意分野になる布瑠の祝詞に切り換える。魂振で自らの魂を高次に追いやる。すると――何故か、奴の瞳、焦点が揺らぐのが見えた。…どうしたのだろう? 自分の精神に幾らか余裕が出来たからそう見えただけなのだろうか。いや、違う。…迷える御魂がすぐ側に居る。やっと気付いた。奴を操っているのもその御魂の力。共振している。ならば――その御魂の方を何とかすれば、奴は止まる。
 思い、続けた。波瑠布由良由良、而布瑠部由良由良、由良止布瑠部。少し離れた場所に居る幼い御魂。泣いている。…女の子だろうか。俺が気付いた事に気付いたか――顔を、上げたようだった。同刻、目の焦点が定まっていなかった奴の動きの方が止まる。それらを確認しながら祝詞を続けた。漸く、奴の動きを避ける事を考えなくて済みそうだ。内心でほっとしつつ、呼吸の方に集中。言霊を紡ぎ続ける。
 やがて――すぅ、と幼い女の子と見えた御魂が、静かに、消えた。
 途端。
 間近で声がした。
 …いきなり現実に戻ったような、奴の声。
 奴はあれ? と目を瞬かせていた。何も憶えていないような顔。頭上に幾つか疑問符を浮かべているような感じで今の状況をわかっていない。…今まで何をしていたか憶えているか? と一応訊いてはみたが、思った通り奴は何も憶えていなかった。
 それから――バイト中に俺の力を借りたいと言い出した理由を改めて問い質してみる。
 と、奴はそこはまだ確り憶えていた。…それは、この神社で小さな女の子が助けて欲しいと、物部真言と言うお兄ちゃんを連れてきて欲しいと言っていたからとそんな話で。何故俺だったか――そこまで問うと、前にあのお兄ちゃんに救われた人を見た事がある、神様の力を借りて助けてくれる人だから、とそんな言い方で頼み込まれたらしい。
 …つまりは奴も奴でお人好しな類の人間だったらしい。
 そうでなければそもそもその程度の話で俺に声を掛けるまい。
 で。
 ここまで来た『奴』がそれで俺を襲う形になってしまったのは――どうやら、その女の子と奴とがぴたりと感応し合い共振していたと言う事らしい。そして同時に――『その女の子の方で加減が出来る状態じゃなかった』と言う事なだけのよう。…死の穢れに侵されれば、生者への憧憬も生まれる。助けて欲しい、その思いが――逆転して救済者を『こちら側』へ引き摺り込んでやろうと言う悪意になる事も少なくない。…良い意味でも悪い意味でも、死後はただ刹那の執着だけが変わらずに残る。
 つまりは――死後、迷っていたその女の子は、荒魂に…邪つモノになりかかっていた、そういう事なのだろう。
 奴がその子に感応し、その子の思うまま動いていたのは、偶然で。
 そもそも奴の方ではその子が生きていない事など全然気付いていなかった…らしい。ただ、偶然波長がぴったりと合って感応した。それだけの事のようで。
 だから、その子は奴を使って俺を求めたと言う事なのだろう。
 その方法もわからないままに。

 迷えるその魂は、助けて欲しくて随分さ迷っていたらしかった。
 それで、辿り付いたのがこの神社だったよう。
 微かな神威の残滓に引かれてか――その逆か。

 …どちらの可能性もあったろう。
 よく見れば、神社だと思っていたそこは――『元』神社と言った方が良いような佇まいだったのだから。
 魂振を始めて、神社や聖域特有の清冽さが感じられない理由は何となくわかっていた。
 祝詞を紡ごうとしたそこで、僅かながら息苦しさを感じた事で。

 …ここは疾うに『その役目』を果たせていない場所になっている、と。
 人の気配もまるでなく、殆ど――朽ち果てている、と。

 その事実に気付いて、少し、悲しかった。
 けれど――奴がここに俺を呼んでくれたおかげで、迷える幼い御魂の鎮魂だけは出来た事になるのだろう。
 …今はそれで、良しとしなければ。

【了】