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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


光の追撃者


 ファンファーレが聞こえる。
 自分はレベルアップしたのかもしれないし、ラスボスを倒したのかもしれない。
 スタッフロールはつまらない。
 エンディングがなければ、いつまでもゲームをつづけていられる。
 寝返りを打つ藍空マコの耳には、確かにファンファーレとジングルが届いているのだ。枕に沁みこんだ血と脂と脳漿の臭いは、彼女の中の夢に入りこむことさえできない。彼女はいま、すばらしい、光に満ちた夢を見てしまっているから。
 街に響きわたっているのは、ファンファーレやジングル、エンディングテーマではない。
 通り魔による事件が呼び起こす、パトカーと救急車のサイレンだ。

 血に染まった救世主、と通り魔を称するものも現れ始めている。彼らはネットや週刊誌の片隅で、残虐な通り魔をひそかに持ち上げていた。というのも、いまだ確実な証拠も出さずに犯行を重ねる通り魔は、世間一般から見た『悪人』ばかりを傷つけ、叩き殺しているからだった。
 少しずつ変わり始めている通り魔の『伝説』。
 それを知り、光の届かない闇の中で、そっと薄笑いを浮かべたものがある。
「藍空……マコか。くくくく……やっぱり見てて人間は飽きないなぁ……」
 その黒い目に、黒よりもさらに暗い光が宿った。
「でも……人間は人間であるべきだよ。人間が伝説になるなんて、ちょっと生意気だねぇ」

 ばさり、と夢の中で闇が羽ばたく。
 はっ、とマコは目を覚ました。

 まだ部屋の中は闇に包まれ、時計の針さえも見えないほど暗い。朝でもないのに、いい夢を見ていたような気がするのに、目が覚めてしまった。彼女はこの夜も、ベッドに入る前、ひとりの悪党――暴走族の頭だ――を成敗していた。腕に残る手ごたえが清々しく、これ以上ないほどの満足感とともに眠りについていたのだ。
 それが、なにやら不吉な気配によって断たれてしまった。
「まさか……また……近くに、魔物……?」
 マコは闇の中、その青い目を泳がせる。
 しかし、彼女が危惧するようなはっきりとした気配は、どこにもなかった。
 マコはしばらく目を光らせていたが、やがて再び眠りに落ちていった。


 通り魔による惨殺事件を追っているのは、なにも警察だけではない。一介の探偵である草間武彦も、血に染まった救世主を追っていた。もっとも彼自身はまっとうな探偵であるつもりだったが、さる筋では『怪奇探偵』として名を馳せている。
 殺害された人間はどれも驚異的な力で骨を叩き折られ、頭を潰され、内臓を引きずり出されている。とても同じ『人間』が振るったとは思えない、圧倒的な暴力。しかし草間が得た情報によれば、犯人は高校生くらいの少女だというのだ。
 とても常識が通じる事件ではない。その情報をもたらしたのは一介のジャーナリストで、草間もよく知っている人間だった。信頼できる筋だ。
「高校生、ね……」
 東京23区の地図を広げる。地図には赤丸のシールがべたべた貼りつけられていた。赤丸は事件現場を表している。通り魔による、凄まじい殺戮が行われた場所だ。
 ひときわ多く赤い点が集まっている区域の中心に、草間は指をすべらせる。
 確かにそこには、高校が、あった。


 不可解な夢があった翌日、マコのクラスに、転校生が来た。
 まだ、以前いた学校の制服を着ていた。少し古風な感じもする詰襟だ。その古風な制服のほかに、彼にはこれといって特徴はなかった。
 転校生の名前は、焉。
 白い肌に浮かぶ無難な微笑と、古い学生服と、焉という名前。
 それだけが、マコを含めたクラスメートの印象に残る――はずだった。
 けれども焉は、教室の一番後ろに用意された新しい座席に向かうとき、マコを見て、はっきりと――笑ったのである。黒い瞳をにいと歪め、薄い唇を横たわった三日月のかたちに釣り上げて。
 その笑みに気づいたとき、マコの背筋を悪寒が走った。
 ――これは! 魔物の気配だ! あいつは魔王が仕向けた刺客だよ、絶対に! ……倒さなくちゃ!
 シャープペンを持つ手が、ぶるぶると震える。
 焉は、今日この学校に来たばかりの転校生だというのに、不気味なほどクラスに溶けこんでいた。誰にいじめられることも、興味をもたれることもない。彼の机のまわりに生徒が集まり、前にいた学校のことや、趣味や、好きな食べ物を焉から聞きだすこともない。
 そして焉もまた、慣れないはずの環境に戸惑う様相も見せず、悠然と――そう、堂々と構えているのだった。黒い目で、嘲るように、見透かすように、教室を眺めている。授業を受けている。マコを、見つめている……。


 マコの身体の奥からか、それとも足元からか、背後からか。
 くつくつくつ、と笑い声が上がる。狡猾な声はマコに囁きかけ、世界のために魔物を殺せとそそのかす。マコにつきまとうその声と影も、今日は妙に存在感が薄い。
 いつも、その声が膨らませるマコの妄想や正義感が、今日は純粋に、マコのほうから沸き起こってきているのだ。マコを取りまく笑い声は、いつも従者としてつきまとっているものだけではなかった。
「待ってろ……魔物め。光の騎士が成敗してやる……!」
 マコは背筋に走る悪寒や笑い声に耐えながら、図書室や教室の隅で時間を潰し、校舎から人が引くのを待っていた。
 今日は、晴れていた。日が傾き、教室も廊下もグラウンドも、なにもかもがオレンジ色に染まっている。乾いた色だった。かさかさと錆びた空気の中に、耳障りな含み笑いが忍び寄ってきている。マコは体育館の裏に向かった。彼女はいつでも魔王が差し向ける刺客と戦うために、学校にも武器を隠してあったのだ。
 マコの目には神々しい光の剣に見えている、その得物は日本刀に他ならない。すでに何人もの血を吸い、魂を奪ってきた凶器だった。柄を掴んだとき、マコの中には満足感にも似た安堵が広がった――。

「あー。それ、ひょっとしたら銃刀法違反じゃないのかなぁ」

「!!」
 周囲に人影がないことを慎重にうかがってから武器を手にしたはずだった。マコは驚きを隠せず、勢いよく振り返る。彼女の後ろには、転校生が――焉が、いた。
「ねぇ、それ本物? 本物だよね、僕にはわかるよ。僕は違いのわかる男なんだ」
「ち、近づくな!」
 鞘に入ったままの刀を(もとい、光の剣を)打ち振るい、マコは覗きこんでくる焉を追い払おうとした。しかし、にやりと笑った焉は、マコが振り回した刀を、よけようともせずぱしりと受け止めたのである。
「きっ、貴様!」
「へえ、土がついてる。なるほど、埋めて隠してるんだ。頭いいのか悪いのかわかんないなー。これじゃ咄嗟に襲われても使えないじゃない。どっちかって言うと馬鹿なのかなぁ」
「……どっちが馬鹿だ! 貴様がいま掴んでいるのは!」
 ぐっ、とマコは柄を握る手に力をこめた。
 すらあッ、と焉が掴んでいた鞘から刃が抜ける!
「鞘だ! うおぉぉオッ!!」
 ぎらりと『光の剣』をひらめかせ、そしてその双眸を真紅に染めて、マコは咆哮した。刀は振り下ろされ、薙ぎ払われた。しかし焉は、
 くくくくく、
 あはははは、
 そう嗤いながら、ひらりひらりと容易く剣撃をかわしていく。マコの力任せの攻撃は、焉の髪1本すら落とせなかった。
「ま、魔物めぇええ! 逃げてばかりかッ!」
「あははは。面白い踊りだね、『救世主様』」
 焉のその一言で、マコは固まった。
 自分は光の騎士だが、世間がひそかに自分をどう呼んでいるか、知っている。誰も『光の騎士』とは言ってくれない。かわりに、こう呼んでいるはず。
 血に染まった救世主、と。
「……ちがう。ちがうちがう! マコは……私は、光の騎士! 魔王ディトラゴルスから世界を救う騎士の生まれ変わりだッ!」
「はぁ? なに? それ。だれ? それ」
「とぼけるな! 貴様は魔王ディトラゴルスの手下だろう!」
「あははははは! こりゃいいや。こんな面白い人間、始めて見たかもしんない。あはははは……! 馬鹿じゃなかったね、ただの頭のおかしい子だった!」
「黙れ! 黙れ黙れ!」
「魔王ナントカカントカかぁ、面白いね、あははははは……! あははははは、なあんだ、そんなことだったのかぁ……伝説でもなんでもないや、ただの人間だ、人間が狂った、狂ってるだけだよぅ、ひゃははははははははは、あはははははははは!」
「だっ、だだ黙れぇ、魔物めぇ! まもの、まも、ま、魔物め、魔物めえぇええええ!!」

 悪夢のようだった。
 マコの心に、転校生――いや、魔王の手先の言葉が突き刺さってくる。光の騎士という存在が罵倒され、汚されているのだ。許せない。ゆゆ許せなない。
『こやつの言葉に耳を傾けてはなりませんぞ。こやつは魔物。魔王の手先の中でも、もっとも狡猾にして残虐、非道なる黒の存在ですぞ! 殺すのです!』
 騎士は剣を振り回し続けた。技も型もない、でたらめな攻撃だ。焉はまったく手を出してこない。ただひらりひらりと、騎士の攻撃をかわしつづけている。回避率が高いのだ。きっと経験値はべらぼうに高い。

 ――くくくくくっ……ねえ、騎士の後ろにいる、キミさ。もうすこしゆっくり、焦らず、やるべきだったね。急にことを運びすぎて、彼女はもう歯止めが利かなくなってるじゃないか。じっくり、じわりじわりとやるべきだったんだよ。ほら、もう、足がついちゃってる。

「……おい! なにをしてるんだ、危ないぞ!」
 藍空マコの動きを追っていた草間が、体育館裏に飛びこむ。
 マコは、1羽の鴉に向かってわけのわからない罵声を浴びせ、真剣を振り回していた。鴉は奇妙なことに飛んで逃げようともせず、ちょんちょん跳んではマコの剣をかわしていた。しかし草間がたまりかねてそう声をかけたところで、マコの暴走はとまらない。
 しかも、その真紅の目は、ギラリと草間にも向けられたのである。
「ぞぞぞ増援だなっ、ままま魔王めめめめっ、卑怯な手お手お手お手!」
「んなっ……ちょっ……おい、待て! 誰か! おーいッ!」


 藍空マコは、教員や警察によって身柄を拘束された――ということにされた。
女子高生とは思えない力を持って激しく抵抗した彼女は、警告にも威嚇射撃にも従わなかった。草間が前もって連絡しておいたIO2が駆けつけ、マコを取り押さえたのだ。マコの真紅の目は、人間が持つ光ではなかった。それが草間の確信を抱かせたのだ。この事件は、怪奇の類である、と。
赤いパトランプと黒い男たちの待つ往来に、野次馬の姿はない。IO2がすでに手を回しているらしい。
そんな様子を、黒い鴉が、体育館の屋根の上から見下ろしていた。




〈了〉