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<東京怪談・PCゲームノベル>


月残るねざめの空の


 学校からの帰路、さわりと吹いた風に夜の気配を感じた。
 七重はふと歩みを留め、暮れていく空の色味を確かめる。
 年の瀬も押し迫りつつある時分。夕方の五時を数えれば、空は最早夜の出で立ちを湛え出す。
 さわりさわりと流れる夜の風が七重の銀色の髪を梳いていく。
 ――――と、七重は不意に首を傾げ、風に紛れて聴こえる鈴の音色に耳を寄せた。
 清廉なその音色を耳にして、七重はしばし目を細ませる。
 そういえば、立藤さんはお元気だろうか。
 そう巡らせる七重の頬を、心持ち勢いを強めた風がひやりと撫ぜた。その寒さに身を縮め、コートの襟元を正しなおす。
 再び歩みを進め、歩き慣れた帰路の角をゆっくりと折れる。
 と、そこに広がっていた風景に、七重は再度足を留めた。

 そこには車の往来は元より、行き交う人々の姿さえもない。
 舗装の為されていない路は古都を思わせるような造りで、路の脇にはぽつりぽつりと点在する鄙びた家屋が佇んでいる。
「……あ」
 呟き、僅かに目を見開いた。
 ――――そこに在ったのは、確かに、以前一度だけ訪れた事のある場所だった。
 艶然と微笑む花魁と出会い、この大路を歩き、彼女が失くしたという簪を探した場所。――彼岸と此岸とを結ぶ世界。
 呟いた後、振り向き、後ろに『橋』が有るのを確かめる。そして改めて頷くと、七重はゆっくりと大路の上を歩き始めた。むろん、橋の方へではなく、大路が交わる四つ辻を目指して。

 さわさわと吹く風に乗り、愉しげに唄う都都逸が耳を掠める。
 薄闇の中でゆらゆらと揺れる灯を目にし、七重はやんわりと笑みを浮かべた。
 あれは、この四つ辻に住む妖怪達のものだ。
 魑魅と呼ばれる存在ながら気の善い存在である彼等には、どこか親しみを覚えてならない。
 立藤さんを探しがてら、妖怪達と言葉を交わしてみるのもいいかもしれない。
 そう考えて足を進める七重の前に、何の前触れもなく、不意に一人の男が現れた。

「おんやァ? こいつァまた、初めてお目にかかるお客ですねェ」
 男は一言そう告げて、手にしている煙管をゆったりと口に運んだ。
 七重は男に向けて軽い会釈をした後に、改めて男の姿を確かめる。
 この四つ辻には、恐らくは悪しき存在といった者は居ないはずだ。それは頭のどこかで巡る直感にも似た確信だった。
 が、今目の前にある、この男はどうだろう。 
 花笠を目深に被っている所為か、その面立ちまでを確かめる術はないようだ。漸く窺い見る事が出来るのは、薄い笑みを滲ませたその口許と、頬に刻まれた彼岸花の刺青。すうと伸びた鼻筋と引き締まった口許から察するに、男は恐らく整った面立ちの持ち主であるのだろう。
 纏っているのは和装の上に、女物であろうと思われる着物を羽織り、着ている。何れにせよ着衣の丈が合っていない為だろうか。脛より下は剥き出しになっている。
 確かめるように見遣っている七重の視線に、男はふわりと煙を吐き出し、笑んだ。
「何も、あンたを取って食おうってェわけじゃあねえんだ。ンな、怖いお顔をするのはお止しなよ」
 笑みを含んだ男の声に、七重はふと目をしばたかせた。
「――――すいません。……その、不思議な方だなと思って……」
 そう返し、ふと、男の手に目を向ける。
「それは」
「ああん? これかイ」
 七重の言葉に、男は手にしていたそれを持ち上げた。
 それは、糸で繋がれた蝶の群れだった。
「――――蝶ですか」
 問うと、男は頬の彼岸花をゆらりと歪め、笑みを作る。
「その通り。これは、あっしの商売道具でしてねェ」
「……道具」
 じわりと眉根を寄せて顔を顰める。と、その表情に気付いたのか、男は浮かべていた笑みを柔らかなものへと変えて肩を竦めた。
「あァ、ちっと言葉が悪うござんしたねえ。申し遅れやした。あっしは、見ての通りの蝶々売りでござい」
「蝶々売り……?」
 返し、蝶々売りの手に繋がれた蝶の群れを確かめる。
 
 薄闇の中に在っても尚、色とりどりの美を放ち舞うその姿を眺めていると、何故か心を抓まれるような心地を覚える。
 闇には決して交わらず、然し繋ぎ止めるその糸により自由を失っている蝶の群れ。
 鮮やかな光彩の帯を残し飛び交うその風体は――――そう、まるで運命に抗い、故に儚く光る生命のようで。

 さわりさわりと吹く夜の風が、からりころりと響く下駄の音を運び流れた。
 ふうと顔を持ち上げて其方を見れば、そこに居たのは花魁姿の立藤だった。

「坊(ぼん)、お久しゅう」
 しゃなりと笑みを浮かべ、白々とした細い首を傾げる立藤の声に、七重は全身の緊張が解けていくような感覚を得た。
「立藤さん。お久し振りです」
 丁寧な所作で頭をさげる七重に向けて目をしばたかせると、立藤はその視線をゆっくりと蝶々売りへと移した。
「わっちの坊に、何ぞ悪さなんぞしてないでありんしょうね」
「あっしは初めて目通りするお客に、挨拶なんぞしただけですがねェ」
 ゆるりと細めた立藤の眼差しに、蝶々売りは飄々とした声でそう返す。
 立藤は一頻り蝶々売りを見遣った後で、ふうと小さな息を一つ吐いた。
「それはそうと、立藤さん。今日は何かお手伝いする事などないんですか?」
 二人の遣り取りに若干の不穏を覚えた七重は、少しばかり慌ててそう口を挟む。
 立藤の視線が七重へと向けられ、蝶々売りは煙管を口に運んで煙をふいと吐き出した。
「ふ、ふ。わっちの手伝いをしてくれるんでありんすか」
「え……いえ、あの」
「この文を、わっちの知己に届けてくれなんし」
 僅かにうろたえ、かぶりを振った七重に構わず、立藤は懐から一通の手紙を取り出した。
「手紙……ですか」
 咄嗟に手を伸べて受け取ってしまったのは、それは七重の性格からの行動であったのか。
「四つの大路の、何れかに居るはず。わっちは、ちと野暮用がありんして、直接足を運べせんなんだ。よろしくお願いしんす」
 しゃなりと首を傾げて微笑む立藤に、七重は追いすがるように言葉を述べた。
「あの、大路のいずれかにって、せめてどの辺にいらっしゃるのかとか」
 しかし、立藤の姿は薄闇に溶けこむように失せてしまった。残されたのは、再び七重と蝶々売りの二人だけ。
「行っちまいましたねえ」
 煙を一筋吐き出しながら、蝶々売りがぼそりと告げる。
「……これ……」
 ぼうやりと手紙を見下ろす七重に、蝶々売りの言葉が続く。
「文を渡す相手について、なんにも聞いていませんねえ」
「…………」
 ぼうやりとした頭を抱え、七重は只静かに頷いた。
「……どうしよう」

 蝶々売りは困惑している七重を前に、再びゆったりと煙管を口にする。
 立ち昇る紫煙はゆらゆらと薄闇に紛れ、消えていく。
 
「あっしが手伝ってあげんしょう」
 一頻り煙管を吹かした後に、蝶々売りは不意にそう述べ、手にしていた蝶を七重に向けて差し伸べた。
 すると、その内の一羽がひらりと羽を動かして宙に舞いあがり、蝶々売りの手から放たれたのだ。
 蝶は七重の周りに光彩の帯を残し、やがてふわりと動きを見せた。
「この蝶が、あンたを連れて行ってくれますよ」
「……この蝶が……?」
 男の言に、七重は独りそうごちる。男は返事の代わりに煙管を吹かし、頬の彼岸花をゆらりと歪めた。
 蝶は、確かに、七重を導くかのように飛んで行く。
 まるで宙に浮かぶ小さな行灯のようだ。
 先導していく蝶に従い、数歩歩む。そして再び足を留めて、後ろに居る蝶々売りに声を掛けた。
「……もしも……ご迷惑でなければ、……その、一緒に行ってくれませんか」
「はァ」
「あ、あの。いえ、その、この蝶を、お返ししなくてはならないでしょうし」
 七重が消え入るような声でそう述べると、蝶々売りはゆっくりと笑みを浮かべ、草履履きの足を歩み進める。
「では、あっしもお供する事にしやすかねエ」

 四つ辻に広がる薄闇に、冷えた夜風がさわりと過ぎる。
 前を飛ぶ蝶はゆらゆらと光を帯を放ち、七重の目を魅了する。
 草履履きの男が歩く足音が、ひたりひたりと夜の闇を幽かに揺らしている。
 
 七重は、そうしてしばし沈黙のままに歩き進めていたが、やがて意を固めて口を開けた。
「あの蝶は、あなたの売り物なんですか?」
 そう訊ねつつ、横を歩く蝶々売りを仰ぎ見る。
 身長差は結構なものになっているだろう。七重の頭は、蝶々売りの胸下程までしか達していない。
 蝶々売りは七重の問い掛けに対し、煙管を外して笑みを浮かべた。
「売り物って云ってもねェ、金品で取り引きしようってんじゃねエんだ。あっしはこれを、あっち側に渡したり、こっち側に戻したりしてやるのが勤めでねェ」
「――――あっち側?」
「そうそう」
 蝶々売りはそう頷き、やんわりとした笑みを浮かべた。
 七重は蝶々売りのその笑みを見遣りつつ、しばし思案してから再び口を開く。
「例えば僕が『売ってください』とお願いすれば、売ってもらえるんですか」
 そう訊ねた、その拍子。蝶々売りはカカカと笑ってかぶりを振った。
「いんやあ、あンたには無理ですねエ」

 薄闇の中、蝶々売りの低い笑い声が響く。気付けば、二人は何時しか四つの大路の内、一つに踏み入っていた。
 前を行く蝶はひらひらと羽を上下させて旋回を始め、やがてその闇の向こうに一人の女の姿を示してみせた。

「見つかったようですねエ」

 女は頭巾を被り、その顔を隠していた。が、七重が声を掛けるとその顔をついとこちらに向けて寄越した。
 驚きに、束の間目を見開く。――女の顔面は、まるでまっさらな陶器のように、つるっとした造りをしていたのだ。

「のっぺらぼうってやつですねェ」
 そう述べた蝶々売りに、小さな頷きをもって返す。
 女は七重から渡された文を受け取ると、口もないその顔の何処かから「ありがとう」と礼を述べた。

 女に別れを告げ、再び薄闇の大路を歩く。
 先程まで自由を得ていたあの蝶は、今は再び男の手の中にある。
 再び訪れた沈黙の中、七重はひらひらと飛び交う蝶の群れに目を向けていた。
「この蝶が何なのか、気になりますかイ」
 七重のその視線を知ったのか、不意に男がそう告げた。
 七重が無言で頷くと、男は口許を緩めて頷いた。
「――――まア、あっしの口からお話するのも粋じゃないってね。まあいずれ、あンたがご自分で見極めてくだせえ」

 そう告げた蝶々売りを、七重は言葉なく眺め見た。
 花笠のその下で、鈍い鉛のような銀色がちろちろと歪んでいたのが、見えたような気がした。
「……あの、」
 そう口を開けた時、心持ち勢いを強めた風が七重の髪をはらりと揺らし、流れた。思わず目を閉じ、そして再び目を開けた、その時にはもう既に。
 
 蝶々売りの姿は、もうどこにも見当たらなくなっていた。




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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【2557 / 尾神・七重 / 男性 / 14歳 / 中学生】

NPC:蝶々売り、立藤

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         ライター通信          
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いつもご発注くださいまして、まことにありがとうございます。このたびはゲームノベルへのご参加、まことにありがとうございました。

七重さまは、前回のノベル中で立藤との面識がありましたので、今回はその続きといったようなノベルとさせていただきました。
が、今回は主に蝶々売りとの絡みをメインとさせていただきましたので、立藤との位置付けは前回から変化なし、といったところでしょうか。
蝶々売りに関しては、こっそりとあれこれ設定を組んでいたりします。今回はその断片を、さわりだけでも書き出すことが出来ればと思い、執筆いたしました。

今回のこのノベルが、少しでもお気に召していただけましたら幸いです。
もしもお気に召していただけましたなら、また今後とも、どうぞご贔屓に。