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<白銀の姫・PCクエストノベル>


呪いに因らぬ不在〜神聖都学園高等部PCルーム

■オープニング

 神聖都学園高等部。
 …現在『白銀の姫』事件の渦中にある大学部とは目と鼻の先――とも言えそうだが、神聖都学園自体がそれなりに広い敷地にある以上、大学部と高等部の差があればその時点であまりそうとも言い切れないかもしれない。ただ、同じ学園である以上色々話が通じ易い場所に居る事だけは間違いない。…それは特に機密の高い理工学系の研究畑相手では簡単には行かないだろうが、少なくともまぁ、何か折り入っての話があるのなら完全な外部より優先的に聞くだけは聞いてもいいよと言う程度の仲ではある筈だ。
 そんな、同じ学園敷地内高等部に幾つかあるPCルームの内、一つ。
 学習用にずらりと設置されている内、隅の筐体に一人、モニタ画面に向かった状態で難しい顔をしている教師が着いていた。水原新一。隣の席の椅子にはノートパソコンが無造作に置かれている。…ちなみにそれは碧摩蓮から成り行きで預っている、件のアリアが出て来たノートパソコンであったりするのだが…アリアが出てきてこの方――普通に起動する事は勿論、記憶媒体の方も全滅で結局、手の出しようがなかったらしい。…少なくとも、普通の人間の範疇で出来る真っ当な方法では。
「無理、か」
 逆探知。ゲーム『白銀の姫』の源になるマシンに正規の方法――即ち、巷で『呪いのゲーム』と言われる由来こと『取り込まれる』――以外で侵入する事が出来るかどうか。水原はそれをハッカー仲間と声掛け合って色々やってみているのだが、どうも幾らやっても無理らしい。
 ゲーム――と言うより異界と言うべきか――が許した正規の方法でなら簡単に『白銀の姫』内世界のアスガルドまで辿り着けるのだが、どの回線をどんな経路で辿ってどのマシンに通じているのか――そこはまったく辿れない。…辿れれば、何処かで経路を遮断しておく手段も考えられるのだが。
 水原は一応、蓮経由でアリアが大学部に乗り込んだ結果を聞いている。…大学部電子工学科研究棟の倉庫に放置されていた『Tir-na-nog Simulator』なるマシンの存在。既に電源も入っておらず何処にも繋がっていない状態の筈なのに稼動中であると言うそれこそが『白銀の姫』のゲームプログラムが置いてあるマシンで異界を発生させている元凶、と超常・怪奇現象と見れば何処にでも湧いて出るIO2の皆さん&『Tir-na-nog Simulator』の管理運営責任者だったと言う本宮秀隆なる助教授から、アリア他同行した有志数名に知らされた…と言う話。随分前のプロジェクト中止以降まったくアクセス不能だったと言うそのマシンが、アリアがその場に居る事でアクセスの許可を受け入れ始めたのではと言う話まで出ているらしい。
 …ともあれ、事態を動かす諸々の切っ掛けになったと言う事で、アリアは暫く大学部から戻らない事になっているらしい。またそれ以上に、彼女自身が『鍵』と思われた節もある。
 助教授でマシンの責任者、と言う男が少し気になった。
 ゲームのメインプログラマーである『創造主』こと浅葱孝太郎が事故死していると言う話は、水原の方でも手に入れていた――と言うより、奇しくもアリアたちが本宮から聞いたのと前後して調べが付いていた。本宮とやらがそれを知っているのも立場上当然と言えるだろう。が――それで、ゲーム内の女神アリアンロッドと現実世界で現れたアリアがそっくりだったからと言って…一般人がすんなり受け入れられるものだろうか。
 水原の考え過ぎと言われればそうだろうが、何故か水原は本宮秀隆と言う男について気になって来ている。何処かで面識があるのか。そうとさえ考えてみる。…が、取り敢えず思い付く当てはない。まぁ、直に姿を見ても話もしていない以上、具体的なところは何とも言いようはないが。
 が、だからと言って――水原は今、『Tir-na-nog Simulator』とやらが置いてある大学部電子工学科研究棟の倉庫とやらに向かい当の本宮に会ってみる気はまったくない。話をすれば聞いてくれるだろう位置には居るが、何と言うか――自分が動いている事を知られない方が良いのではないだろうか、そんな気がしている。
 これもまた根拠の無い変な確信なのだが、水原はその『Tir-na-nog Simulator』とやらの元へ、直接出向かない方がいいとさえ思っている。…本当ならアリアにもすぐ戻れと忠告したいくらい。だが根拠が無い以上――いやもしあったとしても――折角得た重大な手掛かり、アリアは放り出しはしないだろう。それもわかっているから特に言いはしなかった。
 だからと言ってここまで首を突っ込んだ状態では水原の方でも当然今更放り出せないと言う事で、わざわざ同学園内高等部にあるPCルームの一つにこもっている事になる。何処にも繋がっていないとは言え『Tir-na-nog Simulator』が神聖都学園内にある以上一番近くにあるのはどう考えても神聖都学園のイントラネット。大学部の専門研究棟に高等部一般のPCルームとなればそれは上位空間下位空間の差はあるだろうが――同じ系列のイントラネット内になる事は確か。ならばその中から動く方が、何かあった時でも外部からより数段遣り易いと思われる。水原は臨時ではあるが一応この学園の高等科教員でもある訳で、場所も借り易いしその場に居座っても特に不自然は無い。その上、神聖都学園の設備ともなれば私立の巨大複合学園だけあってかなり充実している。置いてあるマシンも、一般用のような最低ラインのものからしてそれなりにスペックが高めだ。…ハッカーの視点からしても、下手なマシンより使い易い。
 …それに、万が一大学部の方で何か起きたなら、外部から向かうより高等部に居た方が直接でも向かい易い。
 どれも気休め程度の理由だが、異界が――超常・怪奇現象が絡むとなれば、ある意味、気休め程度の配慮でも莫迦に出来ないとも言える。
 思いつつ、水原は滅多に他には見せぬ鋭い目で画面に向かっていた。正規の方法以外での『白銀の姫』への侵入を試みる事と平行して、先程から続けている神聖都学園内イントラネットの分析と把握。…『Tir-na-nog Simulator』の置かれているだろう位置関係からすれば外部との接触に使っている可能性が一番高いと思われる回線。直接ケーブルやセンサーで繋がっていなくとも、近場に大容量の高速回線があればまずそこに目を付け何らかの形で利用していそうなものだ。超常の世界ともなればどんな手段を使って何をしているかわからない。即ち、直接接続されてなかろうと介入している可能性はある。だからこそ――ひとまず神聖都のイントラネット内でそんな痕跡は無いか、探すだけ探している。現時点では痕跡はまったく見えない。本当に『Tir-na-nog Simulator』がここの回線を使っているかもわからない。が、僅かでも痕跡が見付かり、そして何か事が起きたら全部――出来なくとも要所の大部分を極力安全に落として緊急避難させられるところまで持って行くくらいの心積もりで当たっている。
 水原はマシンに向かったら最後、画面以外は目に入っていない。
 キーボードの上を縦横無尽に指が走っている。

 …その、後ろ。
 何処から現れたのか、黒衣の幼い姿の少年が――いきなり、何も無い中空から降り立った。
 水原の背後、殆ど音も無く小学校中学年程度の人物一人分の質量が増えている。
 瞬間的に、場の空気が冷えていた。

 どうも貴方の元には、『白銀の姫』の情報がより多く集まっているようですね――?

 直後――囁くように、すぐ横から聞こえた。
 反射的に瞠目した水原が振り返ったそこには、幼い年の頃に似合わぬ冷たい美貌。
 現れた少年は、酷く優しい微笑みを見せていて。

 …その少年、ダリアを直に知る者ならばわかっていただろう――彼が優しく微笑む時は、最大級の危険信号と。



 暫し後。
 神聖都学園高等部に幾つかあるPCルームの内、一つ。
 …当然『白銀の姫』についての用件でそこに顔を出してはみたのだが、今この時間この場所に居座っている筈の人物――水原新一の姿が何故か見えない。ただ、学習用にずらりと設置されている筐体の隅、そこの二つだけつい今し方まで誰かが使っていたように電源がつけっぱなしな事に気が付いた。なのにそこには誰も居ない。…水原の姿は何処にも無かった。
 この時間、水原には受け持ちの授業も無かった筈。そして彼の場合『白銀の姫』に取り込まれて失踪したと言う事も無い。水原はアリアに聞いて既に異界アスガルドへと何度か出入りしている。…とは言え、彼の場合不意に取り込まれない為の予防策&経路を辿る為事実上ゲートを出入りしているだけでアスガルドの中でプレイヤーらしい行動を取ってはいないのだが。
 その上に、電源の入っているモニタ画面に映し出されているのは「頁が見付かりません」の警告頁では無く使用前状況な当の『白銀の姫』のログイン画面。それが表示されているのが一台、それから真黒の背景に何かのプログラムソースらしきものがずらりと羅列されている画面状態の物が一台。
 更には――水原が便所や軽食、喫煙等の為中座している訳では無いと思える決定的な理由も残されていた。

 ――…水原の物であるベージュのコートが床に落とされたまま放置されている。幾ら元からよれよれのコートである上、清掃も行き届いているPCルームであってもさすがにコートを床に放ったらかしにしてはおかない。普段の水原の場合、近場にある空いた椅子もしくは机の上に置くか、自分の使用している椅子の背に引っ掛けておくのが常だ。…少なくとも落としたなら拾っておくに決まっている。どれ程他の事に没頭していようと、自主的に中座するようなら中座しようとしたその時点でその程度すぐに気付く筈。
 更には――碧摩蓮から、延いてはアリアからの預り物になる壊れたノートパソコンまで、消えていた。
 …そもそも、使用者不在ならばPCルームの鍵は掛かっていて当然のもので。

 何か、起きた。…それも、直前に水原がしていたと思しき事、無くなっている物から考えても――『白銀の姫』に絡む事で。
 そう判断して間違いない状況だった。


■…居た筈なんですが。

「…」
 無言。
 ひたすら無言が続いていた。
 こんな場所でありながらごくごく自然に日本刀を携えている青年――玖渚士狼は、一切言葉を発しもしないまま、来訪してからここ神聖都学園高等部PCルーム内の様子をひたすら窺っている。今来た自分たち二人以外、誰もいない。その上――水原が使っていたと思しき筐体の電源がつけっぱなし、それと水原のものと思しきコートが床に落ちている事、水原が蓮から預っていた筈の『アリアが出て来たノートPC』が消えている事等々、状況がそこはかとなくおかしい事はわかっている。
 ついでに言えば、士狼の嗅覚には記憶に無い匂いも感じられた。今現在、水原と伝手を付けている連中とは別の匂い。
 何があった。
 考える。
 …やっぱり無言。
 そんな黙り込んだままの士狼の横には、興味深そうにその様子を見ている同年代の青年――朔夜・ラインフォードが居た。二人組の片割れ。士狼と朔夜のこの二人が連れ立って今このPCルームに来た訳で。曰く士狼が何か水原に用事があるらしい。その件を偶然聞いて、朔夜も何となく付いて来てみた。…理由、暇だった故。
 士狼のみならず朔夜の方もまた、何も言わない。
 …但し朔夜の場合、士狼がどう反応するか待っていると言うのが正しい。
 結果、士狼が気にしたものやら何やら、いちいち視界に入れて確認したりしている。士狼の顔を窺う。窺われている士狼の方もそれに気付いていない訳でもないと思うのだが、反応無し。別に気にする事でも無いと思っているらしい。
「…誰も、居ないな」
「うん。そうだね?」
 ここに到着してからこの最初の会話が始まるまでに掛かった時間、約三分。数字を出してこう書くと短いようだが、状況を考えると少々長過ぎる気がする。…殆ど動きが無い無音の場所に二人居て、一目ですぐわかる当然の事を言葉に出して認め合うまでに約百八十秒の沈黙である。
「水原さんは今の時間、ここに居る筈なんだが…」
「そう言ってたよね?」
 士狼君は。
 小首を傾げつつ、朔夜はぽつり。
「でも、居ないねえ。…それも、中座してるって感じじゃないか」
 状況から見て。
「…一つ変な匂いがする」
「誰か別人のって事?」
 水原さんではなく。
「ああ。闇の魔力…残り香が強烈だな。力を行使してこびり付いた感じじゃない…ごく自然に振り撒かれて残ってる。歳は多分…まだ若い。一応、人間か」
「…」
 今度は朔夜が、士狼に付き合ってではなく自分の意志で沈黙。
 闇の魔力がごく自然に振り撒かれるくらいで、強烈なくらいの残り香が残る、若い人間。
 …微妙に心当たりがあるようなないような。
「いくつくらいだと思う?」
「一つだ」
 変な匂いは。
「そうじゃなくて、年齢」
「…十八だと教えた事はなかったか?」
「…いえ士狼おにーさん御本人サマのトシではなく。『変な匂いを振り撒いてったヤツ』の年齢は見当付く?」
「………………俺やお前より、若い」
 いや、若いと言うより、幼いと言うべきかもしれない。
 そんな士狼の発言に、朔夜は再び沈黙する。…先日遭ったファナティックドルイドに囲まれていたおこさま。そう思うのは飛躍しているか。
 …まさか、ねぇ?
 と、使用者だった筈の人物が居ないPCルームで何だかんだ考え込んでいるところで。
「あれ?」
 訝しげな声を掛けつつ、ひょこりと賢しげな小学生――イオ・ヴリコラカスが顔を出して来た。何やら中身がぎっしり入っていると思しき紙袋を両手に提げ、ドアのところで立ち止まっている。
「…年の頃はちょうどこの程度だ…と思う」
 そんなイオを見て重々しく頷きながら、士狼。一方のイオは出遭い頭にそう来られ、何の事やら目を瞬かせている。いきなり言われても意味不明。が、朔夜の方もまた、ふーん、そうなんだ、と頷いていた。…今現れたこの彼くらいとなると、まさかと思ったおこさまと年の頃まで合致しそうだ。
「僕がどうかなさったんですか玖渚さん。…えーとそれから…ラインフォードさんでしたっけ」
「うん。俺は朔夜・ラインフォードっての。初対面だよね? …ひょっとして士狼君から聞いてた?」
「はい。初めまして。僕はイオと申します。当学園初等部の三年で――アトラスで色々お手伝いしてもいるんですけれど。それから『白銀の姫』の件では水原さんにも色々御世話になってます…って水原さんはどちらへ?」
「…俺たちもそれが知りたい」
 言いながら、士狼は自分の見ていた筐体周辺へ改めて目をやる。朔夜も無言のままこいこいと手招き。それを見てイオも足早にPCルームの中へ入ってきた。そして士狼と朔夜が視線で示していたその場所を見る。俺たちはまだ何も動かしてはいないと付け加え、士狼はイオを見た。
 …イオの顔は、青褪めていた。
「これって、何かあった――何者かに何処かに連れて行かれた可能性が高いですよね!? でも僕ついさっき――十五分くらい前までここに居たんです。その時には何も変わりありませんでした。…たったそれだけの間に」
「…確かに、なるべく場所を動きたくないと私もこの耳で聞きましたよ。…電話越しででしたけどね」
 次に飛んできた声は銀髪の麗人――セレスティ・カーニンガムのもの。電動車椅子を操作しつつ、PCルームの中に入ってきた。悠然と、イオに士狼、朔夜の居るそこまで移動する。
「こんにちは、イオ君。…詠子嬢の件では大変だったとお伺いしましたが」
 これも先程の電話で水原さんから伺ったんですけどね。付け加えられ、イオの方もこんにちはと挨拶を返す。朔夜もどーもと声を掛け、士狼も無言で目礼。セレスティもそちらへ挨拶を返した。
 それから、イオが改めてセレスティの話に答える。月神詠子の事。狂暴化して暴れ出し、偶然同行していたイオがそれを抑えたと水原との事前の電話で話していたと言うから。それも――彼女もあの時の少年・ダリアと同様、現実世界に於ける『世界を破壊出来る存在』と見なされていた節がある、とまで水原が言っていたので。
「…はい。まだ僕で何とか抑えられる程度の暴れ方で本当によかったです。…月神先輩、よくはわからないんですが何かとても強い力を持ってる方のようではあるんですよ。それは僕自身も何だかよくわからない力を持ってはいますからあまり人の事は言えませんが…そんな僕よりずっと強大な『何か』があるって。曰く今回暴れたのはその力の片鱗が顕在化した結果とかで…それこそ、この間アトラスで話に上った――『世界を破壊出来る存在』の条件に当て嵌まる存在である可能性も否定できないらしくて…」
 繭神一族さんは結界やら封印みたいな緻密に編まれた術に優れた方々ですから彼女の中に何か封じている可能性もある気もしますけど…全然外に漏らしてくれる気ないんですよね。…力だけじゃなく情報の方も確り封じて下さっているようで。
「…。それは…彼女をあまりこう言った殺伐とした事に関らせたくないと言う気持ちの表れでしょう」
 静かに続けるセレスティ。何故か少し痛ましげな響きに聞こえたのは気のせいか。そうは感じられたが――それより今は水原さんですね、とセレスティはすぐに話を切り換える。…確かに今はその通り。
 そちらの筐体の画面もありますし、ソース画面があるのですから――ログインしている訳では無いような気はするのですが。言いながらセレスティは椅子をずらして退かしながらソース画面が表示されている方の筐体の前に移動する。キーに手を伸ばしソースコードをスクロール。少し流してざっと見たところ、ネットワークシステムのようである。…ちらほら見える関数名から判断するに、神聖都学園内のネットワークそれ自体か。侵入はしていても特にいじくられている風は無い。…そう見えるくらい巧妙に何かをしていた可能性は否定出来ないが――いずれにせよシステムに破綻をきたすような組み方をされてはいないだろう。元の画面位置まで戻して、セレスティはキーから手を離す。
「特に狙われそうな情報が表示されている画面ではありません…ね。やはり強制的ログインが行われた――成功した様子も無いですし」
 隣の画面に表示されたまま放置されている正規の『白銀の姫』ログイン画面も確認しつつ、ぽつり。
「水原さんは…本当に重要と思った情報だけは頭の中に置いておく」
 それこそ――ネットに繋がっているいないに拘らず、PCに乗せるなんて不用意な真似はしない。
 ぼそりと士狼。
 …だからこそ、不在となれば当人を見つけるしかない――そうでなければこちらの用が済まない。
 士狼としては結局そこに辿り付く。朔夜にも言った通りその為に水原を訪ねた。なのにその肝心の水原が居ない――そうなれば、ここから自力で捜す必要が出てくる。
 んじゃ、と朔夜が士狼を見た。
「士狼君は匂いがわかるって言ってたよねえ」
「ああ…水原さんの匂いなら覚えているし…新しい匂いの方も覚えた」
「…新しい匂い?」
「それって?」
 セレスティとイオからほぼ同時に問われ、士狼は簡単に説明。今まで水原に伝手を付けていた者とは別人の匂いがこの場に残っている事。…やけに自然にさりげなく振り撒かれている強烈な闇の魔力の残り香、イオ程度の年齢と思しき人間。性別は男。それ以上の細かいところは説明し難い。…士狼がそこまで説明したところで、それでこの部屋に来た僕を見てこの程度って言ってた訳ですか、とイオは納得。このイオもまた素性からして闇の魔力の匂いはする存在だが、今回残された匂い程濃い匂いはない――と言うか、厳密に言えば違うのだが似たものとして言うならイオの匂いは『狼の死霊』に近いらしい為、残された匂いとはまったく別の匂いになるとの事。
 そこまで聞いて、セレスティは思案げに小首を傾げる。
「士狼君…でしたよね、その闇の魔力の残り香についてなのですが――ひょっとして、私と朔夜君から、微かにでも同じ匂いがしはしませんか?」
 それ程の――獣並、いやそれ以上の嗅覚があるのなら、幾ら着替えようと風呂に入ろうと、過去に――それも比較的最近遭遇した人物ならば匂いが判別出来る可能性があるのでは。そう思い、問うてみた。
 …その残り香、先程反射的に朔夜が考えたのと同様の相手――その匂いの主はダリアでは無いのか、と。
「…」
 反射的に士狼は考え込む。そしてちらりと朔夜とセレスティを見比べ――まずはおもむろに朔夜の方に近付き顔を寄せて匂いを嗅ぐような仕草を見せた。離れて少し考える。続き、失礼しますと声を掛けてから、電動車椅子故に低い位置になるセレスティの匂いを嗅ぐような仕草を見せる。
 そしてそのままで、ぽつり。
「…する」
 と、端的に士狼がそう告げた途端、朔夜とセレスティは顔を見合わせた。
「まさか、とは思ってたんスけど」
「…ダリア君ならあの程度の情報を入手すれば…自分から調べる為に動き出すと思えます」
 そして同時に――我々の側に居て、PCの事に詳しい水原さんの情報にも辿り付いていておかしくありません。
「だったらPCの事だけじゃなく今回の場合、水原さん当の『白銀の姫』の情報も相当把握してますから――…」
 相手――ダリア側で考えれば一石二鳥とでも言うべきか。
 やや上擦った声ながらイオも続ける。…イオもまた、アトラス経由でダリアの存在は承知している為、その名が出た時点で朔夜とセレスティが何を言いたいかはすぐわかった。…『ダリア』と来れば碧摩蓮が名付けたアリアンロッド・コピーの愛称とも音が似ている名前だが、取り敢えず聞き違えてはいない。今の話の流れで『アリア』と言う名は出て来ないと判断出来るくらいには、イオは事情を知っている。
 …そもそも、少し前にダリアとこの二人が遭遇していたその時一緒に居た三人目、残りのもう一人はアトラスの息の掛かった調査員――兼、平気な顔で編集長碇麗香女王様の向こうを張れるオトモダチと言う傑物でもあった訳で、女王様への報告に取材自体のどちらもその対象を無闇に恐れる事なく行われていた。そんな訳でその調査員の取材の結果は妙に詳細に他の調査員やら編集部員にも伝わっている。
 と言うか単純に、数多居る他の調査員よりその調査員一人の取材報告こそが、適当なメモ書き状態だったにも拘らず編集部内で一番詳しい上信憑性もあった、と言うのが正しい状況。
「…少し早まりましたかね?」
 うーん、と朔夜。
 あの時――邪竜クロウ・クルーハと間違えられファナティックドルイドに付き纏われていた不機嫌そうなダリアと遭った時、偶然側に居たと言う理由で彼から八つ当たり混じりに見咎められた時の事。こちらへと攻撃しない事の代償として、彼に『白銀の姫』の件を教えてしまった――その事こそが。
 幾らその時には大人しくなったと見えても、結局後になりそれで困る羽目――但し困っているのは自分では無く士狼が、だが――になるのなら。朔夜はそう思ったのだが、セレスティは静かに頭を振った。
「いえ。彼は我々が束になってぶつかってもそう簡単にどうこうできそうな相手ではありませんから。あの時はあれが最善でしたよ。それに――それで狙われたのが水原さんなのでしたら、むしろダリア君の方でも――ダリア君なりに気を遣ってくれているのかもしれませんしね?」
 他にダリア君に関して剣呑な動きの情報が流れていないのなら、彼は話を聞いてからも比較的大人しくして下さっている、と言う事ですし。それに水原さんも水原さんで、一見、頼りないようでもありますが――それでいてなかなか侮れない方ですから。
「…ダリア君の不興を買わずに、のらりくらりと躱すくらいはやってのけそうな気がしますよ」
 そもそも、『白銀の姫』の情報とコンピュータに関してのハッキーさの両面で水原さんの方がカードを握っている状態でしょうし、あの方って意外と闇属性とは相性が良いようですからね。
 ですから恐らく…無事でいらっしゃるとは思います。
「それに、場所を見て…この部屋の常態が破られたのは確かでしょうが、だからと言ってそれ程の騒ぎが起きた様子も無く思えるのです。コートは落ちていても椅子のあった位置が机からそれ程離れてもおらずおかしくもない、モニタ画面も不自然さがない。入力デバイスも乱されていない。…例えばキーパンチの途中、不可抗力でいきなり攫われてしまったのならば少なからず関係の無い余計な文字が打たれたり改行されたり、と少なくとも一つは最小単位の命令文が不完全であるのが自然ではと思われるのですが…そうもなってませんでした」
 ですから、とセレスティは前置きをする。
「…水原さんは無事だと思いますし、同時にダリア君にあまり無茶な要求もされていないんじゃないか、と思えるのですよ」
 とは言え、さすがに私が言い切れる事では無いですが。相手が他ならないあのダリア君ですから、これは楽観視も良いところの見方かも知れませんしね。
「…取り敢えず、私はここで水原さんを待ちながら――ひょっとしたら何事もなく戻って来る可能性もあるかもしれませんから――ダリア君の動きを探ってみようと思うのですが」
 今までの彼の行動を洗い直しての予測も付けられると思いますし。そんなセレスティの科白に、士狼が重々しく頷く。
「…俺は直接追ってみる」
 水原さんが居ないと用事が済まないからな、と独白するように士狼。…何処へ連れて行かれたにしろ無事で何処かに居る可能性が高そうであるのなら――まだ捜せる。現時点で可能な方法。闇雲に突進しても意味は無い。考える――俺で出来るのは匂いで追うしか無いか、と諦めたように小さく息を吐く。
 そんな顔を覗き込み、朔夜はぽつりと問うてみた。
「点じゃなくて線で追えそう?」
「追える。…水原さんの匂いだけじゃなく闇の魔力の方も普通にドアから部屋を出ている。今俺たちが来たように机を回って――廊下だ」
 言いながら、士狼はその匂いの痕跡を辿り歩くようにPCルームの出入り口まで移動する。付いて回るように朔夜がその後ろから、ひょっこりと興味深げに廊下を覗いた。おもむろに問う。
「…そこから先も士狼君の鼻で追えそうかなあ?」
「………………俺は犬じゃない」
「でも。見付からなかったら困るってのは士狼君当人でもある訳でしょ」
「それはそうだが…」
「ね?」
 にっこり。
 爽やか過ぎる朔夜の笑顔。
「…」
「では、何かわかりそうでしたら情報は士狼君の方にもお伝えしますよ」
 私で務まるかわかりませんが、ここの留守番――中継基地くらいはさせて頂きます。
 と、さりげなく後押しするセレスティ。
 それを受け、渋々の様子ではあったが――士狼は再び小さく溜息を吐き、じゃ、行くぞ――とPCルームから退出した。それは別に自分が出て行くと言う宣言であって誰かに付いて来いと言った訳でも無かったが、士狼に続き当然のように朔夜が続いて同行した。
 で、そんな朔夜からばいばい、と部屋の中に軽く手が振られた為か――イオも結局そちらに付いては行かず。PCルームにはイオとセレスティの二人が残される形になる。


■…追跡してみますが。

 玖渚士狼と朔夜・ラインフォードは神聖都学園内の廊下を歩いていた。水原新一が元々居座っていた筈の神聖都学園高等部PCルームの一つから出てきてから、水原の匂いともう一つの匂い――恐らくダリアで間違いない――を士狼の嗅覚を頼りに追跡中である。
 ふと立ち止まる。曲がり角。そのまま同じ階を行くか階段か――分かれ道。
 士狼は暫く考えるような顔をする――その実、嗅覚で探っている事になるのだが。
「…こっちだ」
 言って、階段を降りていく。と、ふぅん、と朔夜が意外そうに声を上げた。
「…随分ふつーに歩いてるね?」
「…?」
「いや、ダリアくんだったらどっかぱーっと消えちゃうとか何階に居たとしても窓から出てっちゃうとかやりそうな気がしたから」
 何つってもあのファナティックドルイドっつー一体でも厄介な上級モンスターを数体、蝿でも払うように軽ーく瞬殺しちゃってるくらいだし。移動方法も何かとっぴょーしも無いの持ってるかなあって。
「……匂いは、途切れていないが」
「だからちょっと意外だなーってね」
「…そんな、相手か」
「うん」
 朔夜があっさり肯定すると、士狼は黙り込む。そんな相手に水原さんが。…確かにあの闇の魔力はまともでは無いと感じた。危険な相手なのだろうとも思う。…警戒しておく必要があるか。
「士狼くーん?」
「…」
「おーい」
「…何だ?」
「危ない事考えない方が良いと思うよ。セレスさんもああ言ってた事だしね?」
 水原さんに目を付けたっつっても、危害を加えようとしてたとは限らない訳だし。
 それにあのダリアくん、名乗らない内からこっちの名前あっさり読み取ってたりするくらいだしね。
 こちらの考えくらい多分すぐに読まれる。
「…」
 士狼、黙り込んだまま変化無し。
 朔夜はそんな彼の横で、また気を引いてみようとおーいとばかりに小さく手を振ってみていたりする。



 …メールボックスの鍵は締めずに来た。それが自分に出来た最低ラインの事。コートを拾う余裕も無かった事はむしろ好都合だったか。じきにイオ君が戻って来る筈だから――その時点できっと僕に何かあった事はすぐにわかるから。カーニンガムさんには悪い事をしたと思っている。玖渚君にも。…会う約束をしておきながらそこに居られなかったんだから。
 でもだからこそ、僕の不在はすぐ知れる。それにひょっとすると――玖渚君やイオ君なら、僕を追跡可能かも知れないし。そしてこの少年の事は、カーニンガムさんは元々知っている訳だから――。
 神聖都学園高等部一階廊下。
 スーツ姿の一応教師らしい童顔の優男と、氷のような美童が連れ立って歩いていた。水原新一とダリア。とは言え――通りすがりに誰かが二人のその姿を見たとしても、別に不穏さは何も感じなかっただろう。そのくらい自然な歩き方。何も知らなければ、先生が小学生を引率して、校内を見学させる為歩いて回っている、その程度のものにしか見て取れない。
 水原の手には件の壊れたノートPCが無造作に携えられている。アリアが出て来たそのノートPC。先程、ダリアの希望で彼に貸し与えた訳なのだが――手に取って暫く持ったままでいたかと思うとすぐに返された為、結局水原がそのまま持ち歩く羽目になっている。…勿論壊れたまま、使えない事に変わりはない。
「浅葱孝太郎さん…事故時の様子からしますと、自分が死んだ事にすら気付いてないんじゃないかって気がしますね」
「まぁ、即死だったらしいしね」
「死の直前、『白銀の姫』の事しか考えてなかったようですよ。早くβ版だけでは無く完成させそちらを公開したいと。それで気が急いていて周辺への注意を怠った、と言うところでしょうか」
 ダリアの口からあっさりと齎される情報――それは、どうやらそのノートPCから直接読み取った、持ち主の記憶のようで。…そのノートPCは、浅葱孝太郎の遺品でもある。確かに、機械として壊れていても物体としてそこにあるのだから、異能があればそれなりの情報を読むには関係ないか。
「いったい誰がこの騒動を起こしているのか…ですが、この浅葱孝太郎さんが異界の核霊になった可能性も低くないようですね。少なくとも彼が亡くなったのは――この騒ぎが、噂として流れ出すよりも遥か前ですから」
 そしてもし彼が核霊なら、この『白銀の姫』を今までにない、より面白いゲームにしたい――その思い『だけ』しか残っていないと思いますが。
 つまりは――人の迷惑顧みず。そんなものは初めから考えの内に入っていない。現実世界への影響も、人を取り込む事も一切気にしないだろう。
「その事、連絡入れていいかな?」
「…もう少しお待ち下さい。貴方の思惑からするとどうせ何もしなくても皆さん追い掛けて来そうですから…せめてそれまでは。僕にも考える為の時間くらいは下さいよ。…折角、貴方の心臓を縛ってもあるんですし。どうぞお忘れなく」
 僕に黙って下手な事はなさらないように。僕の意図しないところで死なれてしまっても困るので。…今ここでセレスティ・カーニンガムさんを敵に回してしまっても面倒になりそうですからね。
「はいはい。…にしてもよりによって本宮助教授に目を付けるとはね」
「貴方に聞いた情報と――そのノートPCに残った浅葱孝太郎さんの記憶を見ますとね、押さえるべきはそこかと思いますので」
 …今回の『白銀の姫』に絡む事件を――本当の意味で把握する為には。
 細かい事はわかりませんが、この浅葱孝太郎さんがプログラマーとしても信頼している相手としてその本宮秀隆さんが居るんですよ。プログラムの組み方の癖が似ているとかで、そちらの話になると殆ど以心伝心のようです。…事実、『白銀の姫』の中には連日の寝不足で死に掛けていた浅葱孝太郎さんの代わりに本宮秀隆さんが密かに受け持って組んだ…と言う事情のプログラムも一部あるようですし。二人で示し合わせて公には浅葱孝太郎さんが組んだ事にしているようですが。それで納得できるくらいの出来でもあるようですしね。
「…そうなると、本宮助教授を見て一瞬創造主と思ってしまったアリア嬢の判断は――完全に間違っていたとも言えなくなるね」
「ですが、この本宮秀隆さんは貴方の情報によると――つまり公には、ゲームプログラム本体に直接関るような触り方はしていなかったと否定している訳ですよね?」
 ゲームプログラムの面で言うなら、精々デバッグ要員だったと。
「…これ、隠す必要ある事なんでしょうかね?」
 ダリアのその科白に、水原は小さく肩を竦めて見せる。同感。…浅葱孝太郎が存命中、『Tir-na-nog Simulator』による実験が継続中であるならまだしも、今となっては頑なに隠す必要はまったくない。ましてや異界化と言うとんでもない今の状況となれば――むしろ真っ先に知らせて然るべき。
 ダリアがノートPCから読んだ記憶によれば、本宮自身もプログラムを元々熟知していたと言う事――それもメインプログラマーに一番近いところにいた事になるのだから。ならばその事実は、プログラムの面から考える限り――事件解決に役立つ大きな力になる筈だ。
 …なのに本宮はその事自体を隠している。
 異能の理が無ければ、読めない位置にその事実が置いてある。
 知った以上、引っ掛かって当然だ。
「ま、何にしても本宮秀隆さんのところまで――御案内、宜しくお願いしますよ」
「…気は進まないけどね」
 そんなやりとりを交わしながら、二人組は通用口――高等部校舎を出る。
 彼らが向かうその先は、大学部で――。



 一方の大学生二人組。
 玖渚士狼は匂いを追ってダリアと水原を捜している。朔夜・ラインフォードもそれに同行しているのだが――次第に、士狼が怪訝そうな顔になってくる。同様、変だと感じたか朔夜も小首を傾げていた。
 向かう先が、どう考えても大学部。
 それも――電子工学科、研究棟に向かう方。
 …つまりは『Tir-na-nog Simulator』のある方、アリアやIO2の連中、そして元々の関係者、『Tir-na-nog Simulator』自体の管理運営責任者こと本宮秀隆が居る筈の場所になる。
 少し悩んだが、士狼と朔夜はどちらからとも無く顔を見合わせこくりと頷き合う。大学部受付窓口に声を掛けつつ、匂いの通りに進んでいる。士狼の方が大学部受付窓口の事務方とは『白銀の姫』の件、として何度か顔を合わせているので、特に止められる事無く先に進める。…ここは一度では無く、何度か来さえすれば顔パスになる。極力時間のロスを防ぐ為と言う話らしい。
 と。
 その先。
 額が危ないやくざ中年もどきの黒服――鬼鮫と、闇の魔力の主当人――ダリアの二人が今まさに激突するところが見えた。
 …それと、そのすぐ側に居る水原新一の姿も。


■…みつかりました、が。

 激突するところなど見てしまっては放っては置けない。そもそも捜している人間がそこに居る。見付けなければ困ると思っていた人間――水原もそこに居る。だったら――士狼もそこに走り込まない訳がない。水原の位置は近過ぎる。巻き込まれないでいられるとは思えない位置関係。
 そうは思ったが――鬼鮫が振り被った刀を派手に空振りするのが先だった。居た筈のその場所にダリアが居ない。士狼が自分同様刀片手に駆け込んで来る姿を見、鬼鮫は咄嗟にそちらへと対峙しようと構え直した。が、士狼もそこで止まる。この鬼鮫はIO2――つまりは元々居て当然の相手なので士狼にしてみればわざわざ戦う必要はない訳で。そのまま鬼鮫を無視し、士狼は水原の位置へと移動する。水原を連れ出来る限り戦いの場から離れる必要がある。そう判断。
 乱入者――士狼の戦意が消えた、そう判断した鬼鮫も即座に士狼への対応を取り止め、ダリアを捜す形に意識を戻す。少し離れた場所に何事も無かったよう軽く降り立つダリア。と、そこを見計らったように陽炎が何度も鋭く空を切った。何者か――透明人間がダリアを狙い攻撃を繰り出しているような。だが――その見えない攻撃すらもダリアはすべて軽く避け切っている。
 その後ろ、再び鬼鮫がダリアに向け大上段から斬りかかっていた。
 が。
 直前、軽く地を蹴り飛び上がったダリアが、鬼鮫の持つその刀自体を手許から派手にふっ飛ばしていた。
 それを見たタイミングで、士狼に少し離れた位置に連れ出された水原が――ちょっと待って、と制止の声を上げている。
 途端、ああん? と鬼鮫が不機嫌そうに声を上げ、殆ど同時に陽炎の――光学迷彩がオフにされる。陽炎の正体はヴィルトカッツェ。水原の声で一応ながら止まった相手に、ダリアは安堵したよう小さく溜息を吐いている。…水原の声があまりに場違いに聞こえたか。…確かに、緊張感の無い平然とした声には聞こえただろうが。
 それらを少し離れた位置から確認してから、今度は朔夜がそこに近付いて来た。と、朔夜の姿を確認したダリアからこんにちは、とあっさり御丁寧な挨拶が来る。…そうなれば朔夜としても別に逃げる必要も誤魔化す必要もない。朔夜も軽くて手を上げダリアに挨拶を返す。
「…どうしたのこんなところで」
「こちらこそ…こんなところでお会いするとは思いませんでしたが」
「いや、士狼君――こっちのツレで今飛び込んで水原さん連れ出して庇った奴なんだけど――が水原さんに用があるとかで一緒に捜してたのね」
「そうでしたか。水原新一さんを…それは手間を取らせてしまいましたね」
「いや、見付かって無事ならそれでいいんだけどね」
 士狼君の用もそれで済むと思うから。
「そう言って頂けると」
 貴方には嫌われたくない気がしますから。そう続け、ダリアは朔夜に向けにっこり微笑む。貴方より遥かに幼い僕が言うのも何ですが、貴方は将来有望な方のようにお見受けしますので、とも続けた。
 そんなダリアの科白に、ん? と朔夜が小首を傾げる。
「…それってひょっとして俺の事誘ってくれてる?」
「否定はしませんよ」
「んじゃ、三、四十年先になってからもっかい誘ってくれない?」
「…おや、その気がおありですか」
 少々意外そうにダリアが朔夜を見上げる。
「ん、まぁね。その頃になれば多分構わないだろうから――ってどーもそこらに居る方々が怖いから確約は出来ないけど」
 親父の死後なら喜んで――と、言いたいところだが。
「…それは、本気ですか?」
 あっさり答える朔夜に対し、冷たく切り込むヴィルトカッツェ。
 その瞳を見下ろし、やだなとばかりに朔夜は苦笑。
「…だから確約はできないってば。…考えるだけならまだ犯罪じゃないでしょ?」
「この『破壊者』ダリアとそんな約束をされると言うのなら――貴方を監視する必要も出て来ます」
「もー怖いなーお嬢サン」
「IO2の名に懸けて、譲れません」
「だーからー」
「…どうせ約束をするのならば、守った方が相手の信用は得られると思うが」
 朔夜とヴィルトカッツェの遣り取りを見ながらぼそりと士狼。…それの指すところはつまり、ダリアの話とそれを受けての朔夜の返答についての感想で…。
 士狼のその科白で、朔夜とヴィルトカッツェはどちらからともなく顔を見合わせた。剣呑な瞳と困った瞳がびしりと合う。…怖い。朔夜は知ーらないとばかりにヴィルトカッツェから目を逸らした。ダリアがくすくす笑っている。
 と、そこで水原が溜息を吐いた。
「ってあのね、今はそう言う問題じゃないでしょうが。まずヴィルトカッツェさんに鬼鮫さん、貴方がたは『白銀の姫』の件でここに来てるんでしょう? ダリア君一人に構ってる余裕あるんですか」
「…ファナティックドルイドによる被召喚体とされているのなら『ここ』を壊しに来た可能性が高いでしょう」
「その通り。このガキなら相手に取って不足はねぇんだよ…」
 鬼鮫は刀が飛ばされたそこで一応止まりはしたが――油断なく飛ばされた刀を目で探しすぐに見付けている。隙を見て取りに行こうと考えたまま――戦意は無くなっていない。
 が、ダリアはそれも気にせず困ったように小首を傾げただけ。
「僕はひとまず本宮秀隆さんにお会いしてみたいだけなんですけどね?」
 …僕では彼に繋いでは頂けないんでしょうか。
「よくもそんな白々しい…!」
 と、激昂しかかるヴィルトカッツェを遮るよう、水原から声が飛ぶ。
「いや、それ本当ですから。その為にこの子わざわざ僕のところに来たみたいだし。…ああそれと、今僕の命は彼に掴まれている状態なので、今彼をどうこうされると僕も困るんですよ」
 そんな洒落にならない内容に反しあっさりした科白に、ヴィルトカッツェは瞠目する。
「な…」
「…そうなのか?」
 そこに来て士狼が剣呑な瞳でダリアを見下ろす。
 が、やっぱりダリアは動じない。当然のようにあっさり肯定。
「ええ。今水原新一さんの心臓は直接僕の力で縛ってありますから。彼に下手な行動を取られてしまったり、僕が死んだら彼の心臓は握り潰される事になります。…元々、用が済んだら解放して差し上げるつもりだったんですけれど」
 水原新一さんの側には不用意に敵に回すと面倒な方がいらっしゃいますから、今のところ殺してしまう気はないですし。でも一応、他の面倒も避ける為に保険は掛けておくべきかと思いまして。
 平然とそう言いながら、ダリアはちらりと水原を見る。その視線を受け、水原は肩を竦めた。
「まぁ、そんな訳なので大人しく通して――本宮助教授に繋いでやってもらえませんかね。確かにこの子のくれた新しい情報からして、本宮助教授本人に確認しておくべき事が出て来てるんですよ。…だから、この子は今のところ協力者と言って差し支えないんです。…それでも駄目でしょうかね?」
「…このダリア、我々の内では『破壊者』と呼称される第一級の凶悪犯である事は御存知の上で言っていますか」
「詳しくは知らないけどそのくらいやってそうだとは思ってますよ」
 IO2を向こうに回して暴れるくらいの事は。
 あっさりとそう告げる水原に、ヴィルトカッツェは一瞬言葉を無くす。そして改めて水原の顔を見直してから、深々と溜息を吐いた。…水原は気負いも言い訳も何もない平然とした顔のままでその発言をしている。
「…どうも貴方は…お会いしたいと言う当の本宮助教授に似てますね――…」
 呆れたように水原に告げるヴィルトカッツェ。そこに至り、漸く諦めたのか彼女は肩の力を抜き戦闘態勢を解除した。今にも刀を拾い、ダリアに斬りかかりに行きそうな鬼鮫の方も厳しく目顔で押さえる。その上で、その本宮助教授はつい先程用事が出来たとここから出て行ったところなんですが。そう続けはしたのだが――それより前、彼女の科白を聞いた途端、今度はいきなり水原の顔が強張っていた。
 それは――具体的には、ヴィルトカッツェが水原に対して『本宮助教授に似てますね』、そう言った瞬間からなのだが。
「…水原さん?」
 何事かと目を瞬かせる朔夜。水原はつい今まで、自分の命を握られていようとダリアの正体を確認されようと殆ど平然としていたのに――戦闘態勢を解き話をする態度になってからのヴィルトカッツェの科白の途中からいきなり固まっている。何があったのか――唐突過ぎるその変化。
 皆が見ているその前で、周囲の状況など忘れたように水原は、ち、と舌打ちする。…普段の穏和さには不似合いなその態度。
「…そう言う事か『Cernunnos』」
 押し殺した低い声で続けられたその科白に、今度は士狼が反応する。
「…その名もケルト神話の神…だったか?」
 今回の件絡みでケルト神話を少し調べたその時に、見掛けた名のような気がする。『Cernunnos』――『ケルヌンノス』。ただその名は、神話に於いてもあまり目立つ役回りでは無かった、とだけは記憶しているのだが。
 そんな士狼の呟きに、ダリアが小首を傾げ反応する。
「…? …その名は『陸のケルト』の神になりますね。確か…レリーフなどによく使われている『角を持つもの』。陸のケルトは文献に於いてはあやふやな記述しか残ってないようですから正確さには欠けるでしょうが――動物神、豊穣神、そして冥界神的な役割もあったのではないかと目されている神でしたね」
 ですよね、とダリアはヴィルトカッツェに対して確認。…IO2エージェントならば世界各地の神話程度常識の範疇で知っていて然るべき。そう見た為。概ねその通りです、とヴィルトカッツェも肯定。特に訂正を入れる程の大きな間違いは無い。
 ただ、そこで『ケルヌンノス』などと言う名を出されれば、新たな疑問が浮かぶ。
「…同じ『陸のケルト』でも確か『テウタテス』はゲーム内のアイテム名で使われているらしいですが…『ケルヌンノス』などと言う名称設定のキャラクターやアイテム、施設や魔法の類も『白銀の姫』にあるんですか? それが何かの鍵になると?」
 と、訝しげに並べられたヴィルトカッツェのその疑問を、朔夜があっさり否定する。
「いや、ケルヌンノスなんて名前が使われてるものはアスガルドで聞いた事ない。…どっかにあるのかもしんないけど…取り敢えず簡単に手に届くとこでは出て来ない」
「…朔夜…お前、アスガルドは慣れてると言っていたな」
 確認する士狼。
 慣れていると言うなら――朔夜のその記憶に信憑性はある筈。
「うん。結構初期の内から居たと思うから。だーからキャラクターにしろアイテムにしろ魔法にしろ…レアなのもそれなりに把握してたと思ったんだけど」
 …でも心当たりないなぁ…もしあるなら余程のレアアイテムになったりすんのかなぁ?
 ゲーム『白銀の姫』内の情報について自分の記憶を辿りつつ、朔夜は小首を傾げて考え込む。
 と。
 水原がそうじゃないよ、と呟いた。
 この名――『Cernunnos』の名自体の由来については確かに皆の言う通りだが、自分が今言った意味合いは、違う。…『白銀の姫』のゲーム自体には直接関係無い。
「…僕の言うこの『Cernunnos』はただのハンドルネームだよ。ゴーストネットで初めて『白銀の姫』の名を出した投稿者も多分同一人物だ。…不覚だよ。間抜けなくらいあからさま過ぎて逆に疑えなかった。思わず避けてしまった。逃げないで直接その名に当たってさえいればすぐに気付けたかもしれないのに!」
「…水原さん?」
「僕は『Cernunnos』と言う名を使う最高に性質の悪いハッカーを知ってる。そしてそれは恐らく――ううん。恐らくじゃない、言い切れる。僕はもう確信してるよ」
 …最後の決め手。
 直に会っているだろうIO2のエージェントをして、『僕に似てる』と言うのなら。

 ここの助教授だって言うその本宮秀隆が、僕の知る『Cernunnos』その人だ。


■接点

 僕は『Cernunnos』と言う名を使う最高に性質の悪いハッカーを知ってる。
 ここの助教授だって言うその本宮秀隆が、僕の知る『Cernunnos』その人だ。
 …そんな水原の科白に、その場に居た一同は――特にヴィルトカッツェとダリアが停止する。

「――え?」
「奴の使うハンドルは他にもあるよ。例えば――『Cynical Hermit』。多分今はもう使っていないと思うけど」
 多分今もまだ、奴は勝手に人に譲ったつもりのままでいるからね。
 今回の事件の元になっているゲーム、そのモチーフがケルトと言う時点で気が付いておくべきだった。
 助教授と言う立場に惑わされ過ぎた。あれ程の唯我独尊が大人しく学生教えてるなんて考えられなかった。博士過程の院生をとは言え、纏め役なんかしているなんて考えられなかった。

 当人と直接顔を会わせておらずとも、会っていなくとも。ネットの中では――会っている。何度も。その遣り口を――ネットの向こう、背後に垣間見える性格を知っている。
 ただ、生身の本人に会っていないだけで。容姿も本名も年齢も性別も知らない。ただ、その手口だけはよく知っている。
 やりそうな仕業を。その極悪さを。
 ハッカーとしての。
 …散々遊ばれた過去がある。
 五年前。
 奴が使っていた数ある名前の内一つ――『Cynical Hermit』なんて忌々しい名前を無理矢理譲られそうになった事がある。奴の侵したとあるハッキングの後始末、その過程の擬装で何の脈絡も無く唐突に名前ごとそのハッキングの犯人を水原に押し付けて来た。それも、外から見てわざわざ目立つよう印を付けた状態で――同時に追っ手がすぐそこに迫っている状態で。水原が気付いたのは間一髪。咄嗟の機転でそこから何とか逃げ延びられはしたが――そこで逃げ切れてしまった事自体が、再び『Cynical Hermit』当人の目に留まる。
 正体を悟らせない。痕跡を、足跡を残さない。隠れ切る能力。完璧に著しく近い擬装をこなす。その指向性が同じ為にぶつかった相手。ただ、そうは言っても相手の方では指向性がぶつかったのはただ手段としてだけで。相手の本当の目的は別の場所。そこに至る手段の一つとして一応必要だった、その程度のスキルに過ぎない。反対に水原の方は、相手にとってのその『手段のスキルのたった一つ』そのものこそが目的として修め極める事を望んだ能力で。目的と極めて漸く、辛うじて、本当に辛うじてそれだけは相手に勝る事が出来た――それ程にある圧倒的なキャパシティの差。他のスキルはすべて相手が各段に上。
 …だからこそ、面白がられた。
 専門分野の中のたった一つのスキルでさえ、今まで、他人が自分より上に立つ事など考えられなかったから。
 水原――『Aqua』に対して平然とそうのたまっていたのが、『Cynical Hermit』――『Cernunnos』。
 それから暫く、『Cernunnos』の興味が別のところに移るまで――『Aqua』はネット内で散々付き纏われた。

「…あの『Cernunnos』が、今回の事件を起こしてるハードの方の責任者でIO2と協力して騒ぎを治める為に大人しく尽力してるって? …断言してもいい。奴が何の思惑も無くそんな殊勝でまともな事をする訳がない」
 そもそも大学なんて意外過ぎる空間で助教授なんかやってる事自体が僕には信じられない。

 ――『Tir-na-nog Simulator』。

 Tir-na-nogは常若の国。それは本来、常若の国の主は――妖精王であり海神になるマナナーン・マク・リールとされている。
 当然、ケルヌンノスとは何も関係無い、明らかに別の神ではあるけれど。…そもそも『島のケルト』と『陸のケルト』は場所からして年代からして文献からして神話の筋に全然繋がりがない。
 けれど、この場合。
 …異なる意味を裏に重ねれば、それだけではなくなってくる。
 別にすべてを神話に合わせる必要はない。
 好きなように解釈して構わない。
 どうせ『白銀の姫』自体、神話を好きなように解釈して使われている。
 …そう、都合の良いところだけ神話に合わせて解釈したって良い筈だ。

 製作サイド――作り手側がそうしなかった訳が無い。

 Tir-na-nogは常若の国。常若の国は『ケルトの異界』。
 …ケルト世界に於ける異界は死後の世界の意味もある。
 言い換えるなら『異界』は『冥界』。
 予め『正体不明な冥界の神』の名を名乗るマシンの管理運営責任者。
 恐らくは当のマシンに『Tir-na-nog Simulator』の名を付けた事にすら関係があるだろう存在の、その名乗り。

 …何の思惑も無い訳が無くないか?

【呪いに因らぬ不在〜神聖都学園高等部PCルーム 了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■4146/玖渚・士狼(くなぎさ・しろう)
 男/18歳/大学生/バーテンダー

 ■2109/朔夜・ラインフォード(さくや・-)
 男/19歳/大学生・雑誌モデル

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ※表記は発注の順番になってます

×××××××××××××××××××××××××××

 …以下、公式外の登場NPC

■於、オープニングから
 ■水原・新一(Aqua/...Cynical Hermit)
 ■ダリア

■於、神聖都学園
 ■イオ・ヴリコラカス
 ■本宮・秀隆(Cernunnos/Puppeteer/...Cynical Hermit)

■於、草間興信所(=綾和泉汐耶様個別部分に登場)
 ■鬼・凋叶棕
 ■エル・レイ
 ■更科・麻姫
 ■真咲・御言

■於、ネットカフェ(=綾和泉汐耶様個別部分に登場)
 ■香坂・瑪瑙
 ■双葉・時生
 ■店長
 ■鬼・丁香紫

■於、ネット経由&名前だけ
 ■遠山・重史(Ice)
 ■牙黄(Ivory)
 ■Deus/未登録。水原新一の職業説明欄に記載の『元教え子の社長』当人。=『機械仕掛けの神様』。
 ■真咲・誠名/邪竜の巫女のコピー的能力設定がされてしまった冒険者。本宮秀隆の干渉が原因と判明。
 ■幻・美都/三下忠雄にくっ付いてって女神モリガンの勇者中。名前が引き合いに出されただけ。

 …場面毎記載。無駄に多くなりました…。

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 皆様、発注有難う御座いました。
 今回は…時期を考えた結果、少々先に想定していた事まで詰め込んでしまいましたので…文字数がまた(汗)只事では無くなっている気がします。…なのでライター通信は極力省略の方向で…。
 取り敢えず、某様にプレイングで本宮側本格的に突付いて頂けた事もあり(実は今回のOPではダリア側だけしか突付いて頂けないかと思っていたので嬉しい誤算でした)、次回募集相当分で手前で広げた風呂敷分だけは何とか畳めそうなところまで持って来れました。
 上手くやれば期間内にまともに決着出来るかもしれません(おい)
 て言うかその辺り考えたら思いっ切り『続く』になってしまいました。何だか当方の発言の信用出来なさ振りがどうしようもないくらいに露呈しております(汗)

 今回は玖渚士狼様と朔夜・ラインフォード様が全面共通、他の方が共通と個別のある形になっております。…宜しければそれら個別部分含め皆様の分を見て頂けますと、今回の筋はまた違った形に見る事ができるかと思われます。

 少なくとも対価分は楽しんで頂けていれば幸い。
 お気が向かれましたら、次回も宜しくお願い致します(礼)

 …ちなみに、次回(上手く行けば当方の決着編)の舞台は現実世界とアスガルドの両面になると。
 そちらのOPその他用意はできるだけ早くする予定です。

 深海残月 拝