コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<白銀の姫・PCクエストノベル>


呪いに因らぬ不在〜神聖都学園高等部PCルーム

■オープニング

 神聖都学園高等部。
 …現在『白銀の姫』事件の渦中にある大学部とは目と鼻の先――とも言えそうだが、神聖都学園自体がそれなりに広い敷地にある以上、大学部と高等部の差があればその時点であまりそうとも言い切れないかもしれない。ただ、同じ学園である以上色々話が通じ易い場所に居る事だけは間違いない。…それは特に機密の高い理工学系の研究畑相手では簡単には行かないだろうが、少なくともまぁ、何か折り入っての話があるのなら完全な外部より優先的に聞くだけは聞いてもいいよと言う程度の仲ではある筈だ。
 そんな、同じ学園敷地内高等部に幾つかあるPCルームの内、一つ。
 学習用にずらりと設置されている内、隅の筐体に一人、モニタ画面に向かった状態で難しい顔をしている教師が着いていた。水原新一。隣の席の椅子にはノートパソコンが無造作に置かれている。…ちなみにそれは碧摩蓮から成り行きで預っている、件のアリアが出て来たノートパソコンであったりするのだが…アリアが出てきてこの方――普通に起動する事は勿論、記憶媒体の方も全滅で結局、手の出しようがなかったらしい。…少なくとも、普通の人間の範疇で出来る真っ当な方法では。
「無理、か」
 逆探知。ゲーム『白銀の姫』の源になるマシンに正規の方法――即ち、巷で『呪いのゲーム』と言われる由来こと『取り込まれる』――以外で侵入する事が出来るかどうか。水原はそれをハッカー仲間と声掛け合って色々やってみているのだが、どうも幾らやっても無理らしい。
 ゲーム――と言うより異界と言うべきか――が許した正規の方法でなら簡単に『白銀の姫』内世界のアスガルドまで辿り着けるのだが、どの回線をどんな経路で辿ってどのマシンに通じているのか――そこはまったく辿れない。…辿れれば、何処かで経路を遮断しておく手段も考えられるのだが。
 水原は一応、蓮経由でアリアが大学部に乗り込んだ結果を聞いている。…大学部電子工学科研究棟の倉庫に放置されていた『Tir-na-nog Simulator』なるマシンの存在。既に電源も入っておらず何処にも繋がっていない状態の筈なのに稼動中であると言うそれこそが『白銀の姫』のゲームプログラムが置いてあるマシンで異界を発生させている元凶、と超常・怪奇現象と見れば何処にでも湧いて出るIO2の皆さん&『Tir-na-nog Simulator』の管理運営責任者だったと言う本宮秀隆なる助教授から、アリア他同行した有志数名に知らされた…と言う話。随分前のプロジェクト中止以降まったくアクセス不能だったと言うそのマシンが、アリアがその場に居る事でアクセスの許可を受け入れ始めたのではと言う話まで出ているらしい。
 …ともあれ、事態を動かす諸々の切っ掛けになったと言う事で、アリアは暫く大学部から戻らない事になっているらしい。またそれ以上に、彼女自身が『鍵』と思われた節もある。
 助教授でマシンの責任者、と言う男が少し気になった。
 ゲームのメインプログラマーである『創造主』こと浅葱孝太郎が事故死していると言う話は、水原の方でも手に入れていた――と言うより、奇しくもアリアたちが本宮から聞いたのと前後して調べが付いていた。本宮とやらがそれを知っているのも立場上当然と言えるだろう。が――それで、ゲーム内の女神アリアンロッドと現実世界で現れたアリアがそっくりだったからと言って…一般人がすんなり受け入れられるものだろうか。
 水原の考え過ぎと言われればそうだろうが、何故か水原は本宮秀隆と言う男について気になって来ている。何処かで面識があるのか。そうとさえ考えてみる。…が、取り敢えず思い付く当てはない。まぁ、直に姿を見ても話もしていない以上、具体的なところは何とも言いようはないが。
 が、だからと言って――水原は今、『Tir-na-nog Simulator』とやらが置いてある大学部電子工学科研究棟の倉庫とやらに向かい当の本宮に会ってみる気はまったくない。話をすれば聞いてくれるだろう位置には居るが、何と言うか――自分が動いている事を知られない方が良いのではないだろうか、そんな気がしている。
 これもまた根拠の無い変な確信なのだが、水原はその『Tir-na-nog Simulator』とやらの元へ、直接出向かない方がいいとさえ思っている。…本当ならアリアにもすぐ戻れと忠告したいくらい。だが根拠が無い以上――いやもしあったとしても――折角得た重大な手掛かり、アリアは放り出しはしないだろう。それもわかっているから特に言いはしなかった。
 だからと言ってここまで首を突っ込んだ状態では水原の方でも当然今更放り出せないと言う事で、わざわざ同学園内高等部にあるPCルームの一つにこもっている事になる。何処にも繋がっていないとは言え『Tir-na-nog Simulator』が神聖都学園内にある以上一番近くにあるのはどう考えても神聖都学園のイントラネット。大学部の専門研究棟に高等部一般のPCルームとなればそれは上位空間下位空間の差はあるだろうが――同じ系列のイントラネット内になる事は確か。ならばその中から動く方が、何かあった時でも外部からより数段遣り易いと思われる。水原は臨時ではあるが一応この学園の高等科教員でもある訳で、場所も借り易いしその場に居座っても特に不自然は無い。その上、神聖都学園の設備ともなれば私立の巨大複合学園だけあってかなり充実している。置いてあるマシンも、一般用のような最低ラインのものからしてそれなりにスペックが高めだ。…ハッカーの視点からしても、下手なマシンより使い易い。
 …それに、万が一大学部の方で何か起きたなら、外部から向かうより高等部に居た方が直接でも向かい易い。
 どれも気休め程度の理由だが、異界が――超常・怪奇現象が絡むとなれば、ある意味、気休め程度の配慮でも莫迦に出来ないとも言える。
 思いつつ、水原は滅多に他には見せぬ鋭い目で画面に向かっていた。正規の方法以外での『白銀の姫』への侵入を試みる事と平行して、先程から続けている神聖都学園内イントラネットの分析と把握。…『Tir-na-nog Simulator』の置かれているだろう位置関係からすれば外部との接触に使っている可能性が一番高いと思われる回線。直接ケーブルやセンサーで繋がっていなくとも、近場に大容量の高速回線があればまずそこに目を付け何らかの形で利用していそうなものだ。超常の世界ともなればどんな手段を使って何をしているかわからない。即ち、直接接続されてなかろうと介入している可能性はある。だからこそ――ひとまず神聖都のイントラネット内でそんな痕跡は無いか、探すだけ探している。現時点では痕跡はまったく見えない。本当に『Tir-na-nog Simulator』がここの回線を使っているかもわからない。が、僅かでも痕跡が見付かり、そして何か事が起きたら全部――出来なくとも要所の大部分を極力安全に落として緊急避難させられるところまで持って行くくらいの心積もりで当たっている。
 水原はマシンに向かったら最後、画面以外は目に入っていない。
 キーボードの上を縦横無尽に指が走っている。

 …その、後ろ。
 何処から現れたのか、黒衣の幼い姿の少年が――いきなり、何も無い中空から降り立った。
 水原の背後、殆ど音も無く小学校中学年程度の人物一人分の質量が増えている。
 瞬間的に、場の空気が冷えていた。

 どうも貴方の元には、『白銀の姫』の情報がより多く集まっているようですね――?

 直後――囁くように、すぐ横から聞こえた。
 反射的に瞠目した水原が振り返ったそこには、幼い年の頃に似合わぬ冷たい美貌。
 現れた少年は、酷く優しい微笑みを見せていて。

 …その少年、ダリアを直に知る者ならばわかっていただろう――彼が優しく微笑む時は、最大級の危険信号と。



 暫し後。
 神聖都学園高等部に幾つかあるPCルームの内、一つ。
 …当然『白銀の姫』についての用件でそこに顔を出してはみたのだが、今この時間この場所に居座っている筈の人物――水原新一の姿が何故か見えない。ただ、学習用にずらりと設置されている筐体の隅、そこの二つだけつい今し方まで誰かが使っていたように電源がつけっぱなしな事に気が付いた。なのにそこには誰も居ない。…水原の姿は何処にも無かった。
 この時間、水原には受け持ちの授業も無かった筈。そして彼の場合『白銀の姫』に取り込まれて失踪したと言う事も無い。水原はアリアに聞いて既に異界アスガルドへと何度か出入りしている。…とは言え、彼の場合不意に取り込まれない為の予防策&経路を辿る為事実上ゲートを出入りしているだけでアスガルドの中でプレイヤーらしい行動を取ってはいないのだが。
 その上に、電源の入っているモニタ画面に映し出されているのは「頁が見付かりません」の警告頁では無く使用前状況な当の『白銀の姫』のログイン画面。それが表示されているのが一台、それから真黒の背景に何かのプログラムソースらしきものがずらりと羅列されている画面状態の物が一台。
 更には――水原が便所や軽食、喫煙等の為中座している訳では無いと思える決定的な理由も残されていた。

 ――…水原の物であるベージュのコートが床に落とされたまま放置されている。幾ら元からよれよれのコートである上、清掃も行き届いているPCルームであってもさすがにコートを床に放ったらかしにしてはおかない。普段の水原の場合、近場にある空いた椅子もしくは机の上に置くか、自分の使用している椅子の背に引っ掛けておくのが常だ。…少なくとも落としたなら拾っておくに決まっている。どれ程他の事に没頭していようと、自主的に中座するようなら中座しようとしたその時点でその程度すぐに気付く筈。
 更には――碧摩蓮から、延いてはアリアからの預り物になる壊れたノートパソコンまで、消えていた。
 …そもそも、使用者不在ならばPCルームの鍵は掛かっていて当然のもので。

 何か、起きた。…それも、直前に水原がしていたと思しき事、無くなっている物から考えても――『白銀の姫』に絡む事で。
 そう判断して間違いない状況だった。


■『破壊者』の思惑、如何?

 それよりも少し時を遡って――カーニンガム邸。
 書斎にて思索に耽っていたのは、いつもの如く主――セレスティで。

 …先日のあの時。
 不本意ながらも『召喚』されていたダリア君が、喫茶店から出て、すんなりとすぐ別れる形になったのは――今になって思うと少々引っ掛かるもので。…彼の取る行動にしてはやけに大人しく平和過ぎる気がし。
 それは交換条件としてある程度の情報を知らせはしたが、他ならないあの少年が、自分が与り知らないところで巻き込まれている『白銀の姫』の事についてあんな…言わば『入門編』のような情報だけで満足するとは思えない。
 何と言っても――喫茶店に入る前、ファナティックドルイドたちに囲まれていた時のあの様子では――相当不快な思いをしていた筈だ。自分――セレスティ・カーニンガムには既に皮膚感覚でそう感じられた。
 …ダリアと言う名のあの少年は、それ程物分かりがよかっただろうか?
 そんな訳はない。
 では何故すんなり姿を消したか。
 …何か、別に思惑が出来た――そのくらいしか思い至れない。
 そしてその別の思惑は我々が話した事から思い付いた事、ともすぐ判断できる。即ち『白銀の姫』に関する事で、何か。更には――彼の底の知れなさ得体の知れなさから考えれば、あれからそれなりに時間が経過している現在、『白銀の姫』のサーバが学園内にある事を把握していない――とは思えない。
 と、なると。
 彼が好んでしそうな事となれば、IO2に冠された異名の通り破壊や殺戮。ならば――ゲームの中のクロウ・クルーハの如く『兵装都市ジャンゴ』――現実世界の『神聖都学園大学部』の破壊を?
 いや。
 あのダリアの場合、今回は――それはしないような気がする。
 ゲームの理屈で言うならクロウ・クルーハによるジャンゴの破壊は予定調和、シナリオ的に決められている事――つまりは外から他者が敷いた簡単に逸れようのないレールになる。ファナティックドルイドに『召喚された』事自体が既に不本意極まりなかったのならば――そのレールに好き好んで自ら乗るような事をするだろうか? …しないだろう。あの少年はやりたい事をする。やりたくない事はやらない。それは事前に当人が承知の上――上手く乗せてもらえば面白がりもするのだろうが、初めからケチが付いているならその逆、例え自分の好みの行動に繋がるレールであろうと、レールに乗る事それ自体を嫌がりそうなものだ。
 ならば先日のあの時喫茶店で話していた、自分以外の『条件を満たす』者を捜している?
 …その方が余程ありそうな気がする。
 ともあれ、この『白銀の姫』の件、現実世界でも色々と巻き込まれている人が多いようである事も確か。以前麻姫嬢に依頼された件もある。現在はあの当時より更に広がってもいる事は把握してもある。…水原さんに連絡を取ってみるのもいいかもしれない。こちらの彼もまた『白銀の姫』について色々と調べているとごく最近聞いたから。
 セレスティの方も、アスガルドのみならず現実世界でもネットやリンスターを使って様々情報を集めてはいたのだが、水原が――『Aqua』が動いている事は、碧摩蓮及びアリアから偶然聞いて初めて知った。それは表立って手を出してはいない――アリアと共に行動していたりアスガルドで勇者になっていたりはしていないようだが、アスガルドの件と現実世界の騒ぎの件、既にしてどちらの詳細もかなりの部分把握しているとの事。…それでいてリンスターの情報網にも彼の名が一切引っ掛からなかったとなると、ハッカーと言うのもやはり伊達ではないらしい。水原はそのくらい気を遣って『白銀の姫』の件に関っている――そうなって来ると、彼は一番詳しく外側から見ている事になる気がする。
 連絡手段。セレスティは取り敢えず電話を選択。水原の携帯番号。掛けると――コール二回目の途中で出た。
 挨拶がてら軽く雑談。ごく自然に用件へと移る。ゲームについての現実世界での話。気になっているダリアの件も。現実世界に於けるファナティックドルイドの邪竜召喚儀式で喚ばれた被召喚体として各所で認識されている旨水原はあっさり肯定。ならばダリアのその後の足取りは――そこまでは細かく辿れていないらしい。そもそも、この被召喚体とされている少年はかのIO2に長年目を付けられていながら追跡し切れない存在である。組織力も情報収集能力も段突、ダリアについて一番情報があって当然な筈の超国家的な対超常&怪奇現象の警察組織でさえそうなるならば――ちびちびと情報を追うだけしかできない立場の水原ではさすがに追い切れなくて当然だろう。
 とは言え――そんな中でもダリアの姿がごく稀に確認されている位置だけは知らされた。…主に様々な店舗に備え付けてある防犯カメラから。セレスティらと同じテーブルに着いていた喫茶店、当人が言っていた滞在中のホテル等々、映っていた日付時刻も一応把握。…但しその日付や時刻、いちいち飛び石極まりない。確かにこれではどう行動しているか読み切れるものではないか。
 水原の口調。普段通りのほほんと穏和である以上今は煙草を喫ってはいないのだろう。…それは場所が神聖都学園であるなら当然か。今時の教育施設、職員室含め片っ端から禁煙が常識になりつつある。
 ダリア同様被召喚体として確認されている存在の有無について。…月神詠子さんもそう判断されていたのかもしれません、とそれもまたあっさり水原。偶然彼女と一緒に居たイオ君が、どういう理由でか唐突に狂暴化した彼女を実力行使で何とか抑える事が出来た為、事無きを得たようだとの事。…彼女は現在、繭神一族の皆さんの元に帰宅、休校状態になっているらしい。
 と――そこでセレスティが電話でではなく直接お話を聞きたいのですが、そちらにお伺いしても宜しいでしょうか、と切り返す。あまり長く電話で話しているようでは――それこそ盗聴の心配も出てくる。それは水原の立場では芳しくない事なのではないだろうか。セレスティ側の電話ではその心配はないとは言え、その通話相手である水原の方が携帯電話である以上その問題は避けて通れない。…水原の居座っているのは神聖都学園高等部に数あるPCルームの内一つだと聞いている。本業である生物の授業や別の用事がない限り殆どそこに居っ切りだと言う話ではあるが――今は、どうだろう。
 水原は構いませんよ、とこれまたあっさり。実はこちらから切り出そうと思っていたんですが、僕の方はなるべく場所を動きたくないので…まるで呼び付けてしまうようで少し言い難くてと苦笑気味な声。それを聞き、あまりお気遣いなさらないで下さいよ、とセレスティの方でも苦笑。
 では、これから伺います。了解しました、お待ちしてます。…そのやりとりを最後に、通話を終了。受話器を置いて、セレスティは家人――部下を呼ばわった。外出の為。

 そして、水原が待っている筈のPCルームに着いた時、少々予想外な事態に遭遇する事になる。


■…居た筈なんですが。

「…」
 無言。
 ひたすら無言が続いていた。
 こんな場所でありながらごくごく自然に日本刀を携えている青年――玖渚士狼は、一切言葉を発しもしないまま、来訪してからここ神聖都学園高等部PCルーム内の様子をひたすら窺っている。今来た自分たち二人以外、誰もいない。その上――水原が使っていたと思しき筐体の電源がつけっぱなし、それと水原のものと思しきコートが床に落ちている事、水原が蓮から預っていた筈の『アリアが出て来たノートPC』が消えている事等々、状況がそこはかとなくおかしい事はわかっている。
 ついでに言えば、士狼の嗅覚には記憶に無い匂いも感じられた。今現在、水原と伝手を付けている連中とは別の匂い。
 何があった。
 考える。
 …やっぱり無言。
 そんな黙り込んだままの士狼の横には、興味深そうにその様子を見ている同年代の青年――朔夜・ラインフォードが居た。二人組の片割れ。士狼と朔夜のこの二人が連れ立って今このPCルームに来た訳で。曰く士狼が何か水原に用事があるらしい。その件を偶然聞いて、朔夜も何となく付いて来てみた。…理由、暇だった故。
 士狼のみならず朔夜の方もまた、何も言わない。
 …但し朔夜の場合、士狼がどう反応するか待っていると言うのが正しい。
 結果、士狼が気にしたものやら何やら、いちいち視界に入れて確認したりしている。士狼の顔を窺う。窺われている士狼の方もそれに気付いていない訳でもないと思うのだが、反応無し。別に気にする事でも無いと思っているらしい。
「…誰も、居ないな」
「うん。そうだね?」
 ここに到着してからこの最初の会話が始まるまでに掛かった時間、約三分。数字を出してこう書くと短いようだが、状況を考えると少々長過ぎる気がする。…殆ど動きが無い無音の場所に二人居て、一目ですぐわかる当然の事を言葉に出して認め合うまでに約百八十秒の沈黙である。
「水原さんは今の時間、ここに居る筈なんだが…」
「そう言ってたよね?」
 士狼君は。
 小首を傾げつつ、朔夜はぽつり。
「でも、居ないねえ。…それも、中座してるって感じじゃないか」
 状況から見て。
「…一つ変な匂いがする」
「誰か別人のって事?」
 水原さんではなく。
「ああ。闇の魔力…残り香が強烈だな。力を行使してこびり付いた感じじゃない…ごく自然に振り撒かれて残ってる。歳は多分…まだ若い。一応、人間か」
「…」
 今度は朔夜が、士狼に付き合ってではなく自分の意志で沈黙。
 闇の魔力がごく自然に振り撒かれるくらいで、強烈なくらいの残り香が残る、若い人間。
 …微妙に心当たりがあるようなないような。
「いくつくらいだと思う?」
「一つだ」
 変な匂いは。
「そうじゃなくて、年齢」
「…十八だと教えた事はなかったか?」
「…いえ士狼おにーさん御本人サマのトシではなく。『変な匂いを振り撒いてったヤツ』の年齢は見当付く?」
「………………俺やお前より、若い」
 いや、若いと言うより、幼いと言うべきかもしれない。
 そんな士狼の発言に、朔夜は再び沈黙する。…先日遭ったファナティックドルイドに囲まれていたおこさま。そう思うのは飛躍しているか。
 …まさか、ねぇ?
 と、使用者だった筈の人物が居ないPCルームで何だかんだ考え込んでいるところで。
「あれ?」
 訝しげな声を掛けつつ、ひょこりと賢しげな小学生――イオ・ヴリコラカスが顔を出して来た。何やら中身がぎっしり入っていると思しき紙袋を両手に提げ、ドアのところで立ち止まっている。
「…年の頃はちょうどこの程度だ…と思う」
 そんなイオを見て重々しく頷きながら、士狼。一方のイオは出遭い頭にそう来られ、何の事やら目を瞬かせている。いきなり言われても意味不明。が、朔夜の方もまた、ふーん、そうなんだ、と頷いていた。…今現れたこの彼くらいとなると、まさかと思ったおこさまと年の頃まで合致しそうだ。
「僕がどうかなさったんですか玖渚さん。…えーとそれから…ラインフォードさんでしたっけ」
「うん。俺は朔夜・ラインフォードっての。初対面だよね? …ひょっとして士狼君から聞いてた?」
「はい。初めまして。僕はイオと申します。当学園初等部の三年で――アトラスで色々お手伝いしてもいるんですけれど。それから『白銀の姫』の件では水原さんにも色々御世話になってます…って水原さんはどちらへ?」
「…俺たちもそれが知りたい」
 言いながら、士狼は自分の見ていた筐体周辺へ改めて目をやる。朔夜も無言のままこいこいと手招き。それを見てイオも足早にPCルームの中へ入ってきた。そして士狼と朔夜が視線で示していたその場所を見る。俺たちはまだ何も動かしてはいないと付け加え、士狼はイオを見た。
 …イオの顔は、青褪めていた。
「これって、何かあった――何者かに何処かに連れて行かれた可能性が高いですよね!? でも僕ついさっき――十五分くらい前までここに居たんです。その時には何も変わりありませんでした。…たったそれだけの間に」
「…確かに、なるべく場所を動きたくないと私もこの耳で聞きましたよ。…電話越しででしたけどね」
 次に飛んできた声は銀髪の麗人――セレスティ・カーニンガムのもの。電動車椅子を操作しつつ、PCルームの中に入ってきた。悠然と、イオに士狼、朔夜の居るそこまで移動する。
「こんにちは、イオ君。…詠子嬢の件では大変だったとお伺いしましたが」
 これも先程の電話で水原さんから伺ったんですけどね。付け加えられ、イオの方もこんにちはと挨拶を返す。朔夜もどーもと声を掛け、士狼も無言で目礼。セレスティもそちらへ挨拶を返した。
 それから、イオが改めてセレスティの話に答える。月神詠子の事。狂暴化して暴れ出し、偶然同行していたイオがそれを抑えたと水原との事前の電話で話していたと言うから。それも――彼女もあの時の少年・ダリアと同様、現実世界に於ける『世界を破壊出来る存在』と見なされていた節がある、とまで水原が言っていたので。
「…はい。まだ僕で何とか抑えられる程度の暴れ方で本当によかったです。…月神先輩、よくはわからないんですが何かとても強い力を持ってる方のようではあるんですよ。それは僕自身も何だかよくわからない力を持ってはいますからあまり人の事は言えませんが…そんな僕よりずっと強大な『何か』があるって。曰く今回暴れたのはその力の片鱗が顕在化した結果とかで…それこそ、この間アトラスで話に上った――『世界を破壊出来る存在』の条件に当て嵌まる存在である可能性も否定できないらしくて…」
 繭神一族さんは結界やら封印みたいな緻密に編まれた術に優れた方々ですから彼女の中に何か封じている可能性もある気もしますけど…全然外に漏らしてくれる気ないんですよね。…力だけじゃなく情報の方も確り封じて下さっているようで。
「…。それは…彼女をあまりこう言った殺伐とした事に関らせたくないと言う気持ちの表れでしょう」
 静かに続けるセレスティ。何故か少し痛ましげな響きに聞こえたのは気のせいか。そうは感じられたが――それより今は水原さんですね、とセレスティはすぐに話を切り換える。…確かに今はその通り。
 そちらの筐体の画面もありますし、ソース画面があるのですから――ログインしている訳では無いような気はするのですが。言いながらセレスティは椅子をずらして退かしながらソース画面が表示されている方の筐体の前に移動する。キーに手を伸ばしソースコードをスクロール。少し流してざっと見たところ、ネットワークシステムのようである。…ちらほら見える関数名から判断するに、神聖都学園内のネットワークそれ自体か。侵入はしていても特にいじくられている風は無い。…そう見えるくらい巧妙に何かをしていた可能性は否定出来ないが――いずれにせよシステムに破綻をきたすような組み方をされてはいないだろう。元の画面位置まで戻して、セレスティはキーから手を離す。
「特に狙われそうな情報が表示されている画面ではありません…ね。やはり強制的ログインが行われた――成功した様子も無いですし」
 隣の画面に表示されたまま放置されている正規の『白銀の姫』ログイン画面も確認しつつ、ぽつり。
「水原さんは…本当に重要と思った情報だけは頭の中に置いておく」
 それこそ――ネットに繋がっているいないに拘らず、PCに乗せるなんて不用意な真似はしない。
 ぼそりと士狼。
 …だからこそ、不在となれば当人を見つけるしかない――そうでなければこちらの用が済まない。
 士狼としては結局そこに辿り付く。朔夜にも言った通りその為に水原を訪ねた。なのにその肝心の水原が居ない――そうなれば、ここから自力で捜す必要が出てくる。
 んじゃ、と朔夜が士狼を見た。
「士狼君は匂いがわかるって言ってたよねえ」
「ああ…水原さんの匂いなら覚えているし…新しい匂いの方も覚えた」
「…新しい匂い?」
「それって?」
 セレスティとイオからほぼ同時に問われ、士狼は簡単に説明。今まで水原に伝手を付けていた者とは別人の匂いがこの場に残っている事。…やけに自然にさりげなく振り撒かれている強烈な闇の魔力の残り香、イオ程度の年齢と思しき人間。性別は男。それ以上の細かいところは説明し難い。…士狼がそこまで説明したところで、それでこの部屋に来た僕を見てこの程度って言ってた訳ですか、とイオは納得。このイオもまた素性からして闇の魔力の匂いはする存在だが、今回残された匂い程濃い匂いはない――と言うか、厳密に言えば違うのだが似たものとして言うならイオの匂いは『狼の死霊』に近いらしい為、残された匂いとはまったく別の匂いになるとの事。
 そこまで聞いて、セレスティは思案げに小首を傾げる。
「士狼君…でしたよね、その闇の魔力の残り香についてなのですが――ひょっとして、私と朔夜君から、微かにでも同じ匂いがしはしませんか?」
 それ程の――獣並、いやそれ以上の嗅覚があるのなら、幾ら着替えようと風呂に入ろうと、過去に――それも比較的最近遭遇した人物ならば匂いが判別出来る可能性があるのでは。そう思い、問うてみた。
 …その残り香、先程反射的に朔夜が考えたのと同様の相手――その匂いの主はダリアでは無いのか、と。
「…」
 反射的に士狼は考え込む。そしてちらりと朔夜とセレスティを見比べ――まずはおもむろに朔夜の方に近付き顔を寄せて匂いを嗅ぐような仕草を見せた。離れて少し考える。続き、失礼しますと声を掛けてから、電動車椅子故に低い位置になるセレスティの匂いを嗅ぐような仕草を見せる。
 そしてそのままで、ぽつり。
「…する」
 と、端的に士狼がそう告げた途端、朔夜とセレスティは顔を見合わせた。
「まさか、とは思ってたんスけど」
「…ダリア君ならあの程度の情報を入手すれば…自分から調べる為に動き出すと思えます」
 そして同時に――我々の側に居て、PCの事に詳しい水原さんの情報にも辿り付いていておかしくありません。
「だったらPCの事だけじゃなく今回の場合、水原さん当の『白銀の姫』の情報も相当把握してますから――…」
 相手――ダリア側で考えれば一石二鳥とでも言うべきか。
 やや上擦った声ながらイオも続ける。…イオもまた、アトラス経由でダリアの存在は承知している為、その名が出た時点で朔夜とセレスティが何を言いたいかはすぐわかった。…『ダリア』と来れば碧摩蓮が名付けたアリアンロッド・コピーの愛称とも音が似ている名前だが、取り敢えず聞き違えてはいない。今の話の流れで『アリア』と言う名は出て来ないと判断出来るくらいには、イオは事情を知っている。
 …そもそも、少し前にダリアとこの二人が遭遇していたその時一緒に居た三人目、残りのもう一人はアトラスの息の掛かった調査員――兼、平気な顔で編集長碇麗香女王様の向こうを張れるオトモダチと言う傑物でもあった訳で、女王様への報告に取材自体のどちらもその対象を無闇に恐れる事なく行われていた。そんな訳でその調査員の取材の結果は妙に詳細に他の調査員やら編集部員にも伝わっている。
 と言うか単純に、数多居る他の調査員よりその調査員一人の取材報告こそが、適当なメモ書き状態だったにも拘らず編集部内で一番詳しい上信憑性もあった、と言うのが正しい状況。
「…少し早まりましたかね?」
 うーん、と朔夜。
 あの時――邪竜クロウ・クルーハと間違えられファナティックドルイドに付き纏われていた不機嫌そうなダリアと遭った時、偶然側に居たと言う理由で彼から八つ当たり混じりに見咎められた時の事。こちらへと攻撃しない事の代償として、彼に『白銀の姫』の件を教えてしまった――その事こそが。
 幾らその時には大人しくなったと見えても、結局後になりそれで困る羽目――但し困っているのは自分では無く士狼が、だが――になるのなら。朔夜はそう思ったのだが、セレスティは静かに頭を振った。
「いえ。彼は我々が束になってぶつかってもそう簡単にどうこうできそうな相手ではありませんから。あの時はあれが最善でしたよ。それに――それで狙われたのが水原さんなのでしたら、むしろダリア君の方でも――ダリア君なりに気を遣ってくれているのかもしれませんしね?」
 他にダリア君に関して剣呑な動きの情報が流れていないのなら、彼は話を聞いてからも比較的大人しくして下さっている、と言う事ですし。それに水原さんも水原さんで、一見、頼りないようでもありますが――それでいてなかなか侮れない方ですから。
「…ダリア君の不興を買わずに、のらりくらりと躱すくらいはやってのけそうな気がしますよ」
 そもそも、『白銀の姫』の情報とコンピュータに関してのハッキーさの両面で水原さんの方がカードを握っている状態でしょうし、あの方って意外と闇属性とは相性が良いようですからね。
 ですから恐らく…無事でいらっしゃるとは思います。
「それに、場所を見て…この部屋の常態が破られたのは確かでしょうが、だからと言ってそれ程の騒ぎが起きた様子も無く思えるのです。コートは落ちていても椅子のあった位置が机からそれ程離れてもおらずおかしくもない、モニタ画面も不自然さがない。入力デバイスも乱されていない。…例えばキーパンチの途中、不可抗力でいきなり攫われてしまったのならば少なからず関係の無い余計な文字が打たれたり改行されたり、と少なくとも一つは最小単位の命令文が不完全であるのが自然ではと思われるのですが…そうもなってませんでした」
 ですから、とセレスティは前置きをする。
「…水原さんは無事だと思いますし、同時にダリア君にあまり無茶な要求もされていないんじゃないか、と思えるのですよ」
 とは言え、さすがに私が言い切れる事では無いですが。相手が他ならないあのダリア君ですから、これは楽観視も良いところの見方かも知れませんしね。
「…取り敢えず、私はここで水原さんを待ちながら――ひょっとしたら何事もなく戻って来る可能性もあるかもしれませんから――ダリア君の動きを探ってみようと思うのですが」
 今までの彼の行動を洗い直しての予測も付けられると思いますし。そんなセレスティの科白に、士狼が重々しく頷く。
「…俺は直接追ってみる」
 水原さんが居ないと用事が済まないからな、と独白するように士狼。…何処へ連れて行かれたにしろ無事で何処かに居る可能性が高そうであるのなら――まだ捜せる。現時点で可能な方法。闇雲に突進しても意味は無い。考える――俺で出来るのは匂いで追うしか無いか、と諦めたように小さく息を吐く。
 そんな顔を覗き込み、朔夜はぽつりと問うてみた。
「点じゃなくて線で追えそう?」
「追える。…水原さんの匂いだけじゃなく闇の魔力の方も普通にドアから部屋を出ている。今俺たちが来たように机を回って――廊下だ」
 言いながら、士狼はその匂いの痕跡を辿り歩くようにPCルームの出入り口まで移動する。付いて回るように朔夜がその後ろから、ひょっこりと興味深げに廊下を覗いた。おもむろに問う。
「…そこから先も士狼君の鼻で追えそうかなあ?」
「………………俺は犬じゃない」
「でも。見付からなかったら困るってのは士狼君当人でもある訳でしょ」
「それはそうだが…」
「ね?」
 にっこり。
 爽やか過ぎる朔夜の笑顔。
「…」
「では、何かわかりそうでしたら情報は士狼君の方にもお伝えしますよ」
 私で務まるかわかりませんが、ここの留守番――中継基地くらいはさせて頂きます。
 と、さりげなく後押しするセレスティ。
 それを受け、渋々の様子ではあったが――士狼は再び小さく溜息を吐き、じゃ、行くぞ――とPCルームから退出した。それは別に自分が出て行くと言う宣言であって誰かに付いて来いと言った訳でも無かったが、士狼に続き当然のように朔夜が続いて同行した。
 で、そんな朔夜からばいばい、と部屋の中に軽く手が振られた為か――イオも結局そちらに付いては行かず。PCルームにはイオとセレスティの二人が残される形になる。


■不在の補填――Cynical Hermit

 …玖渚士狼と朔夜・ラインフォードが水原新一捜索の為出て行った後。
 PCルームに残されたセレスティ・カーニンガムとイオ・ヴリコラカスはひとまずやろうとしていた事を開始してみる――と言うかセレスティがひとまずイオに話を振ってみた。水原と共に動いていると言うのならある程度情報は持っているだろう、そうは思ったのだが――ダリアについてはごく稀に確認される位置、それとイオが直接絡んだ件として暴走し掛けた月神詠子の事等、元々水原と電話で話していた事程度でそれ以上の情報はあまりない。…だからこそ、水原もセレスティに電話でそこまでは話したのか。
 で、イオがPCルームに持って来ていた手提げの紙袋の中身はひたすら紙束。それと申し訳程度にMO数枚。曰く『白銀の姫』ソースコードであり、取り敢えずゲームシステムの基本プログラムでコピー及びプリントアウト出来た分だと言う。そうは言っても今ここに水原が居ない以上、残された面子ではそれらを見てもはっきり言って意味が無い。今となっては別に秘密でも何でもないもの――アリアが大学部を訪れそちらの状況が動き出して以来、このソースコードは分析の為に他の幾つかのコンピュータにコピーされていたり――それどころか、あろう事かいつの間にやらネット上でソースコードが何者かの手により公開されてしまっていたり、と完全にオープン状態になっているのだから。
 誰が漏らしたのか――IO2としては異界化の具体的な原因が掴めていない現状、当然その事実に神経を尖らせたのだが――責任者の本宮の方がもう仕方無いとその事実を黙認した。覆水盆に返らず、一度流れてしまったものをどうこう出来る訳がない、と。…確かに、一番最初に見付けたところは速攻で削除はしたが――その時には既に遅く、また別の誰かがその貴重なソースコードを見付けて拾ってしまっていたらしい。それは当然分量からして完全なものではないらしいが、別の場所から同じソースコードの断片が幾つも幾つも続けて公開されてしまっている。…さすがにそろそろ、ネット内での『白銀の姫』のネームバリューは只事では無かったらしく、ネットの中の連中は行動が早かった。
 ただ、そうであっても水原は――『Aqua』は、それらコピーのコピーになるだろうソースコードすら直接拾う事を避けていた。それで、わざわざイオに頼んで集めてもらっていたと言う事になる。
 セレスティは元々ここには水原に話を聞きに来たところ。特に――少し前に遭遇したダリアの現在の様子が気になった為、彼についての詳しい話を聞こうと来訪したのだったが――いざ来てみれば当のダリアが水原のところに来ており、水原の身柄を連行しているらしいなどと――そんな事態になっていようとは。
 取り敢えずセレスティとイオは水原が居ない事、ダリアが関係しているのでは――ダリアに連れて行かれたのではと言う話、捜す為に朔夜と士狼が動き出している旨――碧摩蓮やら今まで水原と直接伝手を付けていたと思しき相手に連絡を取り始める。一通りそれが済んでから、セレスティは自分でも水原とダリアを捜す為――イオにここのところの水原の行動を直接聞いて確かめつつ、また別の電源が入っていなかった筐体を立ち上げ手持ちのモバイルも繋いで使用し始めた。リンスターの力も利用してダリアのみならず水原の方の最近の行動も探ってみる。…今の状況を見るなら、水原を探れば何処でダリアに興味を持たれたかが掴めるかもしれない。そこから逆算してダリアの今の行動を予想出来る可能性もあるか、と。
 ただ。
 探った結果、水原の取っている行動は――自宅アパートから神聖都学園へと普通に通勤し帰宅しているだけだった。校内では授業以外は殆ど高等部PCルームの一つ――つまりここ。但し、さすがにずっと学校に居っ切りにはなれないからかちゃんとアパートの方にも帰っている。学校の行き来以外の外出はコンビニ、スーパー、電気屋、銭湯程度。…思いっきり平然と普通な生活だ。むしろ不審な点が無さ過ぎる。情報的に付け入る隙もない。…強いて不審点を挙げれば、近頃は瀬名雫とその一味御用達のネットカフェにはまったく顔を出していないようだ――と言う事くらいか。だが、そんな事が今までまったく無かった訳でもない。今わざわざあげつらう程珍しい話ではないのだ。そして――PC面、ネット面から水原を探ろうとしても、ここのところ自宅ではメール確認程度しかしている様子がない。
 …よく考えればダリアに水原、どちらの行動もやけに追い難い種類の相手だった。それは前者は主に実際の動きが、後者は主にデータ上で、と差はあるが――いざ本当に追跡するとなると難しい存在同士でもある。
 接点、見付かりませんねぇ…と、小さく息を吐きがてらセレスティ。
 と。
 そこに――こんこん、と既に開け放たれているドアをノックして、中性的な顔立ちのパンツルックの女性が姿を見せた。綾和泉汐耶。イオもセレスティもノックの音でそちらに気付く。それを確認して軽く会釈してから、汐耶は静かに口を開いた。
「こちらに居ると伺ったんですが…水原さん、いらっしゃらないようですね――」



 …暫し後。
 汐耶に続き、シュライン・エマも新たにPCルームに合流していた。曰く、碧摩蓮から水原の不在を聞いた為、自分の居た場所が近い事もありひとまず顔を出してみようと思ったからだと言う。居た場所が近い――それは彼女は大学部に居た為で。汐耶側の情報でもシュラインが大学部アリアの様子を伺いに行っているのは草間興信所で確認済みだったので、どうだったのか様子を訊いてもみていた。アリアはひとまず変わりなかったよう。助教授の本宮については――水原さんが警戒していた理由が薄々わかる気がする、とシュライン。でもだからこそ、直接会ってもいない水原が何故この相手を警戒出来たのか――その事こそが、引っ掛かるとも言える。
 …水原の不在に話が戻る。
 知識や応用能力から考えて状況的に誘拐?犯必要そうでは、とシュライン。少なくとも命の点だけは無事な可能性が高いのではと。それは私も思います、とセレスティ。それから、この場所があまり乱れていなかった事――そして士狼君が嗅覚で後を追えているようでもありますので、水原さんは少なくとも自分で歩いているとも思えるんですよ、とも続ける。
 そこまで確認し合って、シュラインはこれから『白銀の姫』側の各イベントや主要NPCの居場所等と対応する現実世界の各地点にこれから行ってみる旨言い出す。水原を連れて行った相手――ダリアは『白銀の姫』に関して何か考えがあって水原を連れ回している可能性があるのではと思うから。それと――ネット上に何かしら水原からのメッセージが無いかも確認する事を提案。
 と。
 ポーン、と軽快な音がしてPCがメールの到着を告げた。『白銀の姫』のログイン画面が表示されていた方の筐体。四人は四人ともはっとする。この状態でメールが来たとなれば――水原か。思い、音と同時にアクティブ状態に表示されたメールボックスを見るが――そこにあった送り主の名は『Ivory』。
 それを見て、牙黄さんですね、と汐耶がぽつり。はい、とイオも頷く。が、そうなんですか? そうなの? とこちらはちょっとびっくりしたようにセレスティとシュライン。汐耶は頷き、丁香紫さんから『Cernunnos』――これはゴーストネットで『呪いのゲームとして』の『白銀の姫』の記事を一番初めに書き込んだ人なんですが――の調査を牙黄さんにお願いしたと伺いましたので、と続ける。…とは言え、汐耶も汐耶でこの牙黄が水原とまで連絡を取っているとは知らなかったのだが。
 イオは承知だったらしいけれど。
 届いたメールのタイトルは――≪"Cernunnos"に関し、緊急≫
 その場に居る皆は顔を見合わせた。
 水原は不在。
 緊急。
 相手は牙黄。
 汐耶もイオも『Cernunnos』に関し牙黄が何を頼まれているか事情を知っている。
 …そして、メールボックスに鍵が掛かっていない。誰でも中を見る事は可能。それは文面が暗号化されていたら無理だろうが…開けるだけ開けてみる価値はある。
 誰からともなく、小さく頷き合う。
 メールを開いた。
 と、飛び込んできたのは暗号では無く素直な日本語文面。書かれていたのは――『Cernunnos』の名を持つ相手について。その相手についての警告。ゴーストネットの記事のこの名前から辿ったところでは単に何処にでもあるネットカフェチェーン店の一つからで特に問題はなかったように思えたが――『Ivory』こと牙黄の方で『Cernunnos』と言うこの名に微かな心当たりがあった為、そちらの側面からも念の為に探ってみたと言う。すると出て来たのが――凄まじく性質の悪いハッカー。そのハッカーが使う名は『Cernunnos』一つではなく『Puppeteer』やら『Cynical Hermit』やらと数があり、その正体は完全に不明。このハッカーは今挙げた以上に様々な名前を使いこなす。何処にでも入り込む。そしてまったくと言って良い程痕跡を残さない。様々な側面からアプローチを掛け、様々に他者を操り愉しんでいる。
 そのハッカーの存在が確認出来たのはもう二十年以上も前から。故に、個人であるのなら今となっては相当の年齢に達している事が想像出来ると言う。それでも変わらない。落ち着く気配もない。まるで善悪もわからない子供が好き勝手思う存分遊んでいるような傍迷惑な愉快犯ぶりはそのまま。だからこそ余計に、このハッカーは正体不明になっているとも言える。…やっている仕業からして、技術は神技的に極上、但し性格的には幼過ぎるくらいの子供にしか思えない――それが二十年以上も続くとなれば、個人では無く組織か何かの仕業なのかもしれない。ネット内の一部ではそんな風に囁かれてさえいる。
 ただ、五年前たった一度だけ、『Cynical Hermit』の名でこのハッカーの正体が割れそうになった時がある。あるが…その時も、不覚を取ったのは何かのっぴきならない事情でもあった為だけであるのか、少しふらふらと誤魔化し時間稼ぎしていたかと思ったら――結局、その名の如く追跡を嘲笑い、何でもなかったように恐るべき神業で忽然と消えてしまったと言う。
 調べる中でそこまで至り、牙黄は改めてゴーストネットに書き込みがあった『Cernunnos』を見直して――そちらの、あまりに無難過ぎる何でもない調査結果に、逆に寒気がするような意図を感じたと言う。『白銀の姫』を取り巻く現状を考えれば、これはわざわざ他愛も無い怪談の形に託し『白銀の姫』の存在を、呪いのゲームとしてのその名を知らしめる為書き込んだ――そうとしか思えなかったと。
 経験上、この手の勘は当たる。
 …ゴーストネットに書き込んだ『Cernunnos』とハッカーの『Cernunnos』、両方は同一人物だと牙黄は断定していた。そして――鍵かもしれない、だが、だからと言って無策でこちらを追いかけるのは危険だとも。
 貴方は初めからこれを知っていたのか、だから避けたのか、これを知っていたならば何故皆に何も言わなかった、いやそもそも貴方こそがこの『Cernunnos』ではないでしょうね――メールの中ではそんな詰問が並べられている。
 そこまで確認した、直後。
 見計らったようにまた別のメールが届いた。…今度の送り主は『Ice』。
 メールのタイトルは。
 ――≪Fw: Remember "Cynical Hermit"!≫
「…『Ice』って遠山さんの筈なんですけど。今は水原さんに言われて外で動いてる筈なんですが――」
 そちらのメールから今牙黄さんのメールで見た名前が出ますか?
 訝しげにイオが呟く。
 この『Ice』は水原新一の弟子に当たる高校生、遠山重史のハンドルネーム。そう知っていたイオがメールを開いたのだが――書かれていたのはそのタイトルだけで、メール本文の内容は転送元の送り主やら日時やらの転送時に付け加えられるデータが残っているだけでそれ以上は真っ白。空メール。
 ちなみにそのデータ部分、『From: Deus, To: Ice』とは書いてあったのだが。つまりこのメールの大元の送り主は『Deus』と言うハンドルネームの何者かだと。
「敢えて転送、なのに中身は空…?」
 汐耶もまた訝しげに呟く。
 シュラインもセレスティも、頭に浮かんだ疑問は同様。

 ――≪"Cynical Hermit"を思い出せ≫
 このタイトルだけのメールに、何の意味がある?


■接点

「…その『Cynical Hermit』が、つまり『Cernunnos』と同一人物で――『白銀の姫』の件をゴーストネットで一番初めに書いたのもその『Cernunnos』、そして水原さんがその『Cernunnos』である可能性――があるって事ですか?」
 ですがあの方二十代後半だったと思いますから…二十年以上前からそこまでやれるような現役ハッカーだったなんて無茶な気がするんですが。
 違うと思いながらも一応口に出してみる汐耶。と、どうでしょう、とセレスティが考える風の顔をしている。
「痕跡を残さない、神業のように消える…その辺りはちょうど水原さんの十八番になりますが」
 何処にでも入り込む、と言う辺りは――よくわかりませんけれど。
 水原さん、あんまり愉快犯な性格の方にも見えませんしね。
「この事、水原さんが居なくなった事と――関係あるのかしら」
 困惑気味に、シュライン。
 もしそうなら――水原もまた、注意しなければならない相手になってしまう気がするから。不在である事自体に意図がある可能性も考えておいていいだろう。誘拐?犯――と言うかセレスティ及び玖渚士狼&朔夜・ラインフォード曰くダリアらしい――とは共犯関係、そこまでは行かないにしても利害関係がある程度一致する関係である可能性もある。
 …ただそうは思っても、彼が絡んだ過去の事件を考えれば――他ならない水原がこの『白銀の姫』によって現在起きているような性質の事件に手を貸している可能性は無さそうな気はする。…そもそも『Ice』こと遠山重史から転送メールが届いている時点で――水原がこう言った事件を起こす側に立つ事を徹底的に厭う遠山重史が彼に手を貸している時点で、水原は事件の原因側には居ないだろう。少なくともこの空メールのタイトルが原因でそれが疑われる位置にも居ない筈だ。
 そうは思うが――ならばこの妙な情報の絡まり方は何だ。
 と、そこで汐耶が口を開く。
「ここに来る前ネットカフェで――これも丁香紫さんに伺った話なんですが、ゴーストネットで記事の投稿者名に『Cernunnos』の名を見た途端、水原さんやる気無くした――正体辿る気無くしたって」
 それで、この『Cernunnos』の調査を牙黄さんに頼む事にしたと言うお話だったんですよ。
「そうなんですか」
「…ええ」
「…水原さん、このメールボックスには敢えて鍵を掛けずに開けっ放しのままにしておいたように思えるのですが。文面を暗号にする事をメール相手に頼んですらいません。『白銀の姫』に絡むこんな場合で、彼のする事ですから――暗号化くらいさせておきそうなものだと思えるのに」
 まるで、私たち――ここに居るだろう者に見られる事が前提のように思えるのですが、どうでしょう?
 そうなれば、届いたメールから、今までの情報から――何か導き出せと言う事になる?
 自分に確認するように呟きながら、セレスティ。
 …水原新一宛て。『Cynical Hermit』。その名を思い出せとのタイトルだけ書かれた空メール。『Cernunnos』。牙黄からのメール。『Cernunnos』が水原当人ではないだろうなと厳しく詰問する文面まで。ゴーストネットの初めの書き込み。『Cernunnos』の名を見た途端水原はやる気を無くした――それは反射的に避けたと言う事か――無意識の内に忌避した――警戒していた訳、か?
 …水原が、根拠が無いながらも何故か確信を持って気にしていた――警戒していた相手。
 ふと浮かんだ名前を、シュラインは思わず、呟いた。
「…本宮氏…?」
 本宮氏が『Cynical Hermit』…?

 と。

「…なんで部外者がここまで多いのかな? ここって高等部だったよね?」
 唐突に、軽い声が降ってきた。記憶に無い声――それは、シュライン以外にとって、だが。PCルーム内に居た四人は一気にその声の主を注目する。不精髭に眼鏡の男。その見た目からそれなりに年を食っているようには見えるが、重くないその動きからして、悪戯そうに光る怜悧なその瞳からして、隠された元々の顔立ちからして――よくよく見れば、まだ大学生とも思える程に、若い。
「強いて言うならそっちの子は初等部の学章付けてるみたいだけど…それ以外の人たちは学生って感じでも先生って感じでもないよね。そうなると――やっぱりここで当たりか」
 納得したように頷き、その不精髭に眼鏡の男は――当然のように眼鏡を外した。
 まるで変装でも解くように。
 それだけで印象ががらりと変わった、気がした。
 唯一その相手と面識のできていたシュラインが、漸くその相手の名を呼ぶ。
「…本宮助教授」
 …大学部電子工学科研究棟の倉庫に居た筈の貴方が、何故そこに居る。
 その事自体が、すぐに呼べなかった――驚いた理由。シュラインが呼んだその名に、セレスティや汐耶にイオ――他の面子も少し驚いた。何故なら、彼当人が現れる直前にもその名はシュラインの口から漏れている。…『Cynical Hermit』の正体ではと思い付いた相手。言われ、皆もまた可能性は無くもないと思ったところ。そこまで導き出されたその時に――そこに現れるか。
 呼ばれ、本宮はもう一度頷く。
「シュラインさんでしたね。そうなると、この場所だ、って事により確信が増す――貴方は『アリア君の事をよく知っている人』になるから」
 つまりは、貴方がここに居ると言う事は――貴方と同じく『白銀の姫』について調べている者がここに居る――もしくは居た事にもなりそうだから。
「…実はここのところ、折を見て学園内を探していたんですよ。なるべく『Tir-na-nog Simulator』の近くになる場所で…PCの置いてある場所を。…どうも、『僕から全然見えない人が居る』んでね。この『白銀の姫』に関する外部の動き方…何処かで誰かが大局的な位置で音頭を取ってるんじゃないかって思えるんだけど…その誰かの顔が僕には全然見えてこない。でも不自然じゃないんだよ。ごくごく自然に居ない。でも誰か黒幕みたいな人が居ると考えた方が――色々と腑に落ちるんだ。だけど、いざ探ってみても誰も何も出てこない」
 で、そこまで隠れられるとね、余計に――気になって。
 ひょっとして、以前からの知り合いじゃないかって気までしてくるから。
 五年前に知り合った――僕にとてもよく似ていたあの子なんじゃないか、ってね。
「…五年前?」
「そう。その時にね、僕の使っていた名前の一つを譲ったんだ。とっても相応しい名前をね。で、その時の子くらいしか――ここまで隠れられるような子は僕には思い付かない」
 結構色んな奴を知ってるけどね。ここまで地味に繊細なのはなかなか居ない。経路をクラッシュさせてどさくさで逃げたり、すぐバレるような擬装しか出来ない奴ばっかり。
「…」
 五年前。
 それは――牙黄からのメールの中にあった、『Cynical Hermit』の正体が割れ掛けたと言うその時期と合致する。
 本宮はそこまで話すと、PCルームの中に入って来た。皆の居る場所――水原の使用していた筐体の見える位置にまで回ってくる。…制止は出来ない――制止する為の、説得力のある理由が俄かに見付からない。
 制止した方が良いと思うのに。
「――本宮助教授と仰いましたよね」
 皆が思ったその時、セレスティが声を上げる。…咄嗟に制止の意味も込めたのだが、効いたかどうか。
「君がその――『見えない方』を探すのはどのような理由からなのでしょう?」
「気になるからですよ。知り合いかもしれないんですからね」
「気になるから、ですか。…ですが君は『白銀の姫』のプログラム修復の為――お忙しい身なのでしょう。そんな本当に居るかどうかもわからない相手を探しているような余裕があるのですか」
「これもまた『白銀の姫』と関係ありますよ。…外部から見て――つまりは僕の方とは違った角度から一番詳しく『白銀の姫』を見ているブレインがこの子だと思いますからね…と。それは建前で」
 言いながら本宮はひょいと筐体――メールが表示されていた画面を覗き込む――覗き込もうとする。その刹那セレスティがメールボックス自体を閉じようと操作を試みた。けれど殆ど同時、すかさず本宮の手ががっちりとセレスティの手を押さえて止めている。…遠慮のまったく無い行動。メールボックスは――結局、閉じられていない。
 そしてそのまま――転送されたタイトルだけの空メールを確認し、本宮は嬉しそうににっこり微笑む。
「当たりみたいだ。ここに『Cynical Hermit』が居たんだね」
「いったい、何を仰っているのです」
「…て事は、貴方じゃない、か。それともわかっていてしらばっくれてるんでしょうかね――まぁどちらでも良いですが。こんなところに『Deus』の名前が――『Deus』からこんなに親切な形で警告が来るくらいの間柄なら、あの子は『機械仕掛けの神様』の子飼いって事になるんだろうし。だったらすぐに候補は絞れるからね。…たまには自分の足も使ってみるもんだ」
「…親切?」
 訝しげに、汐耶。
 と、本宮はそれを聞き皮肉げに口の端を上げて見せた。
「それは親切でしょう? わざわざ直通じゃなく無関係の別人を経由させて、誰より大嫌いな相手が絡んでる事を教えてあげてるんですから。それも最低限の言葉だけを使って余計な事は書かずにね。『Cynical Hermit』、この名前だけ出せば全部わかる。その上に思い出せと命令形。ならば気付かぬ訳がない」
 ――『この名前だけはあの子にとって、僕と自分と両方を指す』。
 あっさりと言ってのける本宮のその科白に、シュラインは目を細めた。
「じゃ、やっぱり貴方が――」
「その通り。僕があの子の前に『Cynical Hermit』を名乗っていた者ですよ」



「…その反応って事は、やっぱり大方察してるみたいだよね?」
 再びあっさりとそう告げ、本宮はセレスティが筐体の前から退かしていた椅子に近付き、悠然と腰掛け足を組む。…当然のような仕草で、その場に居座る。
「残念ながら僕の力で作り出せた訳じゃないけど――今の『白銀の姫』の事、知ってた事も利用してた事も認めるよ。あれだけの奇蹟を知ってしまったら放置できる訳がないからね」
 そのままで、本宮はその場に居る四人に向け、続ける。
「アリアンロッド、ネヴァン、マッハ、モリガン、ルチルア――ゼルバーン、クロウ・クルーハ。…知った時には震えたよ。基本的な性格は浅葱君が設定したものだったけど、それだけでは到底有り得ないだけの知能を情緒を身に付けていた。本来の『Tir-na-nog Simulator』程度の演算能力ではこなせる訳が無い程の精密さと繊細さを持ってね。そう、もう人間と見紛う程の」
 指折りNPCの名前を――それも特に個性ある自我を持ったNPCの名前を挙げ、嬉しそうに続ける本宮。その姿を見、シュラインが口を開く。ややきつい口調になってしまったのは――仕方無いだろう。
「だったら、アリアちゃんが来るまでアクセス不能だったと言うのも――」
「半分嘘で半分本当。…IO2が来るまでは――僕だけは普通にシステムにさわれていたよ。『Tir-na-nog Simulator』は僕が一人で居る時は抵抗しなかった。誰か他の人が一緒に居ると、アクセスを拒絶した。あれだけの人数が同席している中でアクセスを許したのは、アリア君が来てからが初めて」
 そう、そのアリア君にも驚いたな。姿を見ただけでも驚いたのに――事情を聞いたらもうね。アリアンロッドがそこまでする――そこまで出来るとは思わなかったから。それに、こちらの世界に来たあのアリア君をよく観察させてもらえばね、既に彼女はアリアンロッドとも違うんだ。環境の違いなのかな? 存在する場所に対するアドバンテージがあるか…主導権を持っているかいないかの違いもあるかもしれない――とにかく、明らかに違う形に成長してる。…アリア君に会いに来る人たちの――多分、貴方たちのおかげなんだろうね、きっと。
 そこまで独白し、有難う――と、何の衒いも無く、本当に嬉しそうにあっさりと礼を言ってくる本宮。
 さすがに、面食らった。
 無策で追いかけるのは危険だ――正体を辿ればそこまで言われる程の『性質の悪いハッカー』とやらが、ここまであっさり事件への関与を認めた上で――そう来るか。
「じゃあ、あれは…」
 アリアちゃんの心に刺さるような言葉をわざと聞かせていたその理由は。
 思わず上げられたシュラインの声。…先程大学部に行った時。『白銀の姫』のプログラムをどうしているか、まだ仮面を剥がす前の本宮助教授に聞いた時――その後。浅葱君が居ればなと、アリアにわざと聞かせるような言い方でこれ見よがしにぼやいて見せていた。…アリアも浅葱の名にびくりと怯えたような反応を見せていた。
 本宮は苦笑する。
「優しい優しい貴方たちじゃ、どうせ彼女に負の感情を教えてあげるつもりはないでしょ?」
 だからわざと意地悪してた訳。
 世の中聖人君子ばっかりじゃないからね。このくらいならちくちくやっても許容範囲かなって程度だけ敢えて僕がやってみてただけだよ。浅葱君の死は彼女にとって相当重い試練になる。でもそれにも耐えられそうなんだから――あの子は凄いよ。
 育て甲斐がある。
「…」
「それが、理由ですか」
 ぽつりと汐耶。
 …アリアのような、NPCの自我とその成長を見たい。それが、『白銀の姫』の事を知っていながら止めようとはしなかった、それどころか利用した理由か。
「それ以外の何があると思うのかな? …ああ、IO2みたいにもっとそれっぽい御大層な大義名分掲げないと駄目かな? もしくは虚無の境界みたいに世界の破壊の為にとでも言った方が説得力あるように聞こえる?」
 何でもないように本宮はそこまであっさり言う。
 …それらの存在まで、承知か。
「僕は可愛い可愛いあの子たちを本当の意味で『生きられるようにして』あげたい、それだけしか考えてないんだけどね?」
 ま、とにかくそんな訳で、僕の出来る程度――開発者権限でのログインと確率の操作だけ、暗躍…とも言えない程度の簡単な介入だけ、やらせてもらってたんだけどね。
「…ならば、今わざわざ我々にそれらの事を明かしているのはどう言う理由でなのでしょう?」
 君がこの事件を起こした元凶――少なくとも元凶になる一つの要因だと言うのなら――我々が君を放置できるとお思いですか。
 NPCに生まれた自我を育てる、そこまではまぁ良いでしょう。ですがその経過で――人間をゲームの中に取り込んでしまう事を許し、現実世界へゲーム内の世界を浸食させる事すら許してしまった――そこを看過出来る程我々はお人好しではありませんが。世界が壊れては日常生活に支障が出ますし、我々の身内も――直接迷惑を被ってしまっているんですよ。
 セレスティの厳しいその言葉に、本宮は静かに頷く。
「でしょうね。…見逃してもらおうなんてそこまで甘い考えはないですよ――ただ、ここで貴方たちに言うのなら少しの猶予は頂けると思いましてね。…力関係からしてラスボスとまでは言えませんが、一応僕が悪役だったって教えた方が皆さんにも都合はいいでしょうから交換条件みたいなもんです。って言ってもIO2の連中にいきなりそれバラしたら殆ど状況わかってない癖に先走って僕の身柄押さえに来るでしょうからそれは困る訳で」
 そうなったら今後の対策の立てようがなくなりますから。
「…だからこそ『Cynical Hermit』を密かに探してた訳なんですけどね。…この子が首突っ込んでるとなれば――他の連中に話すより余程気心知れてる相手ですから、こちらも打ち明け話はし易い。それにあの子は僕をとことん嫌ってる――つまりとことん嫌えるくらい僕の事を知ってるから、その事が逆に皆さんに対する信用にも繋がると思いましたしね。あの子の性格からして――あの子の周りに居る人たちなら、ある程度融通が利いてくれそうだと思っただけですよ」
「…では、君は今は――この騒ぎを止める側に回るつもりだと?」
 セレスティの声に猜疑が混じる。…それは当然。
 が、本宮はそれも気にせずまた当然のように頷いた。
「ま、そんなもんですね――このままだとじきにクロウ・クルーハが取り返しの付かない事をするだろうから、まずはそれを止めなきゃならないと思ってますよ」
 いや、クロウ・クルーハと言うより――黒崎潤って言った方が通りが良いかもしれませんね? 前回の不正終了前過去世界の最期の瞬間クロウに憑かれた最後の勇者の名前なんですが。
 今は…クロウに憑かれたと言うよりもう融合して同化してしまってるんですけどね。
「――!?」
「――な」
 …『クロウ・クルーハ=黒崎潤の可能性』。
 実際、イオ以外のこの場に来訪した三人は少し前にアスガルドでそんな話もしてはいたのだが――今、それだけでは済まない聞き捨てならない事まで本宮は言わなかったか。
「――…前回の不正終了前、クロウに…憑かれた?」
 茫然と呟くシュライン。
 にも拘らず、本宮は相変わらず平然と肯定している。
「うん。当時、実際の演算処理過程直接見てたんだけど、クロウが自発的に行動して黒崎君のデータに融合掛けててね。何を思ってかは想像に頼るしかないが――『自分自身のままではどうにもならない』と判断した事があったんだろうね。それで最後の瞬間、自分の前に最後まで立ちはだかっていた勇者と融合した。プログラムの通りに攻撃し殺そうとする代わりにね。そして次の世界――今のアスガルドでは融合したそのままで存在する事が叶ってる」
「じゃあ――」
 黒崎くんの様子が、ずっと何処かおかしかったのは。
 その身に――その意識に、クロウ・クルーハが融合していたからなのか。
「…どうも、貴方たちにも心当たりはあるみたいだね。だったら僕が言いたい事も察してくれそうだけど」
 僕が今ここに来て貴方たちに打ち明けた本当の理由は、そこだ。
「何を思ってかは想像に頼るしかないが――今のアスガルドでの黒崎君の――クロウの行動を逐一見ていれば、その想像は容易に出来るんだよ」
 …つまりは自我が生まれて結果、信じられないくらいイイ子ちゃんになってるって事だ。
 自分の存在が悪として造られた事自体に、怒ってる。でも、怒っているのに――目の前の、今にも自分に止めを刺そうとしていた勇者すら殺さなかった。
 そして――創造主を、自分の親を――浅葱君を憎む事を選んだ。
 見付けたら多分殺しに行くだろうね。クロウなら目的の為に力の行使は厭わない。
 …ただ、元々の性格設定からの行動予測が――女神や他のNPCと違ってクロウの場合は特に難しい。黒崎君と融合した事が関係してるのかもしれない。…行動予測がし切れないんだ。
「どう出てくるかわからないからその為に一応、確率操作して安全弁も作っといたんだけど、それで効くかどうかは出たとこ勝負にするしかないからね」
 本来の邪竜の巫女がその役目を放棄している――って言うかクロウ自身に騙されて誤魔化されてしまっている以上、その巫女としての役目は別の誰かに託すしかないから。さすがに完全に同一の存在を別に作れはしないけど、ただの冒険者のデータでも…性質を邪竜の巫女にかなり近付ける事は可能でね。やるだけやってみてはある。
 ゲームシステムに則る限り、邪竜の信用を得られ、その上で邪竜に物申せるのは邪竜の巫女だけだから。
「…そんな事まで」
「真咲誠名――真咲さん、って言う人ね。商人風の男装してて、ショットガン持ってるボーイッシュな女の子。取り込まれてる冒険者の中で一番やり易かったから確率いじってそう設定させてもらった。好都合な事に行動からしてただ遊びに来てるって風でも無かったし、それで冒険者の立場ならクロウの行動を黙って見過ごしはしないでしょ。中々、こう言ったまともじゃない事柄に詳しそうな子でもあるみたいだしね。…出来そうだったらこちらの意図を教えた上で合流して動いてやってもらいたいんだけど」
 黒崎君の名に反応するって事は、貴方たちは今のアスガルドにも行ってるんだよね?
「…本当に、本気なんですね」
「僕はいつでも本気だよ。IO2が来る事を許したのだって――『Tir-na-nog Simulator』が壊されたら元も子も無くなるのはわかってるから、守ってもらおうと思っただけだし。…僕個人ではこう言った場面で役に立ちそうな拠点防衛能力は全然無いし、当然戦闘能力も無い。大学の助教授なんて立場では荒事向けな人海戦術なんか使えないからね」
 それに、ゲームプログラム自体の不正終了の方――穴は取り敢えず現在進行形で皆で塞いでるけど、これもそろそろ本人叩き起こしてやらせた方がずっと効率良いとも思えて来たし。だから『Tir-na-nog Simulator』の方から――アリア君のところから離れてみたってのもあるんだけど。
「…え?」
「いや、向こうには――『Tir-na-nog Simulator』の方にはアリア君とか協力してくれてる子たちがちゃんと残ってるし、アスガルド側との繋ぎならここからでも貴方たちでも付けられる。アヴァロンの王墓内にセーブポイント設定してある『記録の碑石』も渡しておけるし、入ったらすぐ飛んで欲しいんだ」
 ――んで、浅葱君を叩き起こしてくれれば、今以上に動きようはある。
「…ってあのそれ」
「うん。浅葱君は実はアスガルドの中に居る。今のところアリア君に教える気は無いけどね」
「…アヴァロンの王墓――浅葱君」
 セレスティの確認するような呟きに、本宮は頷いた。
「多分…IO2の連中が言ってた核霊ってのになるんじゃないかって思いますよ。…アスガルドの中に居るのに、浅葱君だけは殆どプログラム中のデータの形では存在してませんでしたから。魂だけって奴なのかもしれない」
 だから、余計危ないと思いまして。
 ――核霊が殺されたら、消されたら、その異界は壊れるんでしょう?
 だから僕も、今更ぶっちゃけてお恐れながらと貴方がたの前に出て来た訳で。
 異界の核霊とやらになる『創造主様』をクロウに殺させてしまったら全部が全部台無しになる事は簡単に予測が付くから。ここまで育った可愛いあの子たちの自我も何もかも。
 そして同時に、今異界が壊れたら取り込まれた人間は不正終了を待つまでも無く取り込まれたまま消滅する。現実世界への浸食だってどうなるかわからない。それは浸食が止まって丸く収まる可能性もあるでしょうが――その逆、取り返しが付かなくなる可能性だってある。
 …『こちらの世界』ではわからないのが『向こうの世界』の理なんですから。
 なら、僕と貴方がたの利害は当面、一致するでしょう?

「ブリテンならぬアスガルドの危機に折角甦ってくれてる『アーサー王』を殺させる訳には行かない――皆さん、そうは思われませんかね?」

【呪いに因らぬ不在〜神聖都学園高等部PCルーム 了】


×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■4146/玖渚・士狼(くなぎさ・しろう)
 男/18歳/大学生/バーテンダー

 ■2109/朔夜・ラインフォード(さくや・-)
 男/19歳/大学生・雑誌モデル

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ※表記は発注の順番になってます

×××××××××××××××××××××××××××

 …以下、公式外の登場NPC

■於、オープニングから
 ■水原・新一(Aqua/...Cynical Hermit)
 ■ダリア

■於、神聖都学園
 ■イオ・ヴリコラカス
 ■本宮・秀隆(Cernunnos/Puppeteer/...Cynical Hermit)

■於、草間興信所(=綾和泉汐耶様個別部分に登場)
 ■鬼・凋叶棕
 ■エル・レイ
 ■更科・麻姫
 ■真咲・御言

■於、ネットカフェ(=綾和泉汐耶様個別部分に登場)
 ■香坂・瑪瑙
 ■双葉・時生
 ■店長
 ■鬼・丁香紫

■於、ネット経由&名前だけ
 ■遠山・重史(Ice)
 ■牙黄(Ivory)
 ■Deus/未登録。水原新一の職業説明欄に記載の『元教え子の社長』当人。=『機械仕掛けの神様』。
 ■真咲・誠名/邪竜の巫女のコピー的能力設定がされてしまった冒険者。本宮秀隆の干渉が原因と判明。
 ■幻・美都/三下忠雄にくっ付いてって女神モリガンの勇者中。名前が引き合いに出されただけ。

 …場面毎記載。無駄に多くなりました…。

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 皆様、発注有難う御座いました。
 今回は…時期を考えた結果、少々先に想定していた事まで詰め込んでしまいましたので…文字数がまた(汗)只事では無くなっている気がします。…なのでライター通信は極力省略の方向で…。
 取り敢えず、某様にプレイングで本宮側本格的に突付いて頂けた事もあり(実は今回のOPではダリア側だけしか突付いて頂けないかと思っていたので嬉しい誤算でした)、次回募集相当分で手前で広げた風呂敷分だけは何とか畳めそうなところまで持って来れました。
 上手くやれば期間内にまともに決着出来るかもしれません(おい)
 て言うかその辺り考えたら思いっ切り『続く』になってしまいました。何だか当方の発言の信用出来なさ振りがどうしようもないくらいに露呈しております(汗)

 今回は玖渚士狼様と朔夜・ラインフォード様が全面共通、他の方が共通と個別のある形になっております。…宜しければそれら個別部分含め皆様の分を見て頂けますと、今回の筋はまた違った形に見る事ができるかと思われます。

 少なくとも対価分は楽しんで頂けていれば幸い。
 お気が向かれましたら、次回も宜しくお願い致します(礼)

 …ちなみに、次回(上手く行けば当方の決着編)の舞台は現実世界とアスガルドの両面になると。
 そちらのOPその他用意はできるだけ早くする予定です。

 深海残月 拝