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社の葉陰で
時折、雲の合間に月が覗く。
不気味な目のように輝くそれは、冷ややかな光を地に落とし薄く笑っているように見えた。
星はなく、風は葉音ばかりを運んでくる。
時は丑三つ。人も草木も眠りの底に沈み、闇の吐息が流れる時。
夜に濡れる黒髪を背に流し、女はふと頭上を仰いだ。ひとふさだけ白い髪がかすかに震える。
静寂とともに佇む朱塗りの鳥居。
気まぐれに向けた足が行き着いた場所に、女はあるかなしかに微笑んだ――といっても常にそのような顔色だから、別段気分がよいわけでもない。
鳥居の向こうには、底の知れない闇が広がっている。
青桐神社、と書かれたそれはかろうじて読める程度のものだった。神主の家が近くにあるのだろうが、何処にあるのかはわからない。
しん、と静まりかえった境内に人の気配はなく、聞こえてくるのは葉音ばかり。
女はわずかな逡巡さえせず、馴染みの場所へ足を運ぶような気軽さで鳥居の下をくぐった。
神社であれば、なにがしかの力を感じるものだ。湧き水のように澄んだ神聖さ、というよりは柔らかな闇の気配に近かったが、女はまるで頓着しなかった。
己に害意がなければ、それでいい。
軽い音をたてて細かな石が敷かれた道を踏み、奥を見通すように双眸を細める。光の下では凍った海の色をしたそれも、月の下ではかすかに紺を残すばかり。
境内は思っていたよりも広いようだ。
一角にこんもりと茂った木々の群れを見、女はそちらへと足を向けた。
曲がりくねった木々は、暗がりで蠢く魑魅魍魎のそれに似ている。恐ろしげに口を開き、長い爪を広げて獲物を待ち受けているかのようであった。
夜だから――それもあろうが、奥から流れる風は異界の香りを含んでいた。神の聖域というにしては、随分魔性と縁深い。
女は枝葉を広げた木々を見上げ、手ごろな枝を探す。女が欲しているのは、一夜を過ごすに心地良い木であった。
そこで体を休めるつもりなのだ。
女にとって、屋根があり暖かな毛布を備えた場所だけが寝床というわけではない。眠ることができれば、たとえどれほど酷い場所であろうとその価値があった。そして、この女は概ね何処であろうと眠ることができる。
かさ
ふと、耳に異質な音が触れる。
女は上へと向けていた視線を下ろし、木々の間へと伸ばした。
闇になかば溶けるように佇む人影に、かすかに目を瞠る。
それは、歳の頃十四、五かという年若い少女だった。白い肌に形ばかりの黒衣を纏い、足には使い古したサンダルを引っ掛けている。
すこし驚いたように開かれた目が、次いで強張るのを女は見て取った。
――近所の子どもかしら?
怯える幼子を宥めるような術を、女は持っていない。知らぬのかもしれず、あるいはただ面倒なだけかもしれなかったが、どちらにしても女は常と変らぬ声で話しかけた。
「お嬢さん、こんな時間になにをしているの?」
答えはない。
遠出をするような姿ではないから、この近くに住まいがあるのは確かなのだろう。些か寒そうな姿ではあるが、いくら子どもといえど初対面の相手に己の上着を貸してやるような親切心は女にはなかった。
かすかに震える白いひとふさに、女は目を細める。
相手が常人であれば、なんの反応も示さぬはずの髪――
「……妖?」
ぴくり。
わずかに少女の肩が揺れたのを、女は見逃さなかった。顔は微動だにしなかったが、少女の双眸から見る間に感情が消えていく。
「……別に、狩ろうと思ったわけじゃないわ。あなたからは殺意も邪気も感じないから」
抑揚のない声は、まるで突き放すかのようで。
その声がさらに少女を警戒せてしまったことは明らかだったが、女は気にした様子もない。黙りこんだ少女に飽いたように視線を外すと、再び木々を仰いだ。
「…………血」
ぽつり、と少女の声が落ちる。
「え?」
「血の、匂い……」
「ああ」
女は思い出したように己の左腕を見下ろした。漆黒の上着の袖が、滲む色に濡れている。
仕事の時に負った傷だった。
月光に照らされた色はまだ鮮やかで、染みはゆっくりと広がっている。
「なにか縛るものはない?」
「…………」
「そう、ないのね。なら……」
コートの紐で縛るか、と女は上着に手を伸ばした。
その手を、少女がそっと遮る。女の上着の端を軽く掴んで、促すように引いた。
「……こっち」
舌足らずにそう呟き、少女はもう一方の手で森の傍らにひっそりと立つ家屋を指し示す。
すっかり灯りの落ちたその建物が、少女の宿のようだった。
「――助かったわ」
感謝の言葉というのはどうも慣れない。
女は何処かそっけなくそう呟き、左腕の具合を確認した。
傷を包むように巻かれた白い包帯。少女の拙い巻き方に、思わず手を添えたのはつい先刻のことだ。
かすかに古木の香りが漂う古びた家。
他に人などいないかのような静寂に満ちているが、少女があまり物音を立てぬように気を遣っているところを見ると、先に休んでいる家人がいるのだろう。
雨戸をひとつ開けた、月光に濡れる縁側であった。
さらさらと囁くような葉音が風に運ばれてくる。
女の声に、少女はぽつりと「べつに……」と答えた。女と同じように、あまり人好きしない性格なのだろうか。
あるいは、やはり、まだ警戒しているのだろうか。
治療道具が入っていた木箱を持って家の奥へと立ち去った少女の後ろ姿を眺め、女は外へと視線を伸ばした。
黒影となった木々が揺れ、枯れ落ちた葉が乾いた音をたてて舞い上がる。
そのさまが花の散るようだと思い、女はかすかに目を細めた。
「…………」
気の遠くなるような永い時をかけて擦り切れた現実感と、水底をたゆたうような静穏な闇。
そんな空気に満ちたこの場所を、心の何処かが知っているような気がする。
遠い昔にもこの土を踏み、この風を受けたような。
「……あ、の」
ためらいがちにかけられた声に振り向けば、盆を手に佇む少女がいた。丸い盆からは、ふたつ、ゆらめく湯気が見える。
「……どうぞ」
女の傍らに盆を置くと、少女は盆を挟んで女の反対側に腰を下ろした。
盆の上にはふたつの茶碗がある。その白い陶器を満たしているのは、どちらも同じ色の茶であった。
家人が起きた気配はなく、少女が自分で淹れたのだろう。
「頂くわ」
熱を持った茶碗を口に運び、女は目を細める。丁度いい温度のそれは、喉を流れて体を温めた。
美味しい、と呟けば、少女がわずかに胸を撫で下ろす。
それを横目に、女は口を開いた。
「――あなた、人じゃないわね。といって、純粋な妖でもないようだけど」
感じたままを紡ぐ。
少女は感情を殺すように色を覆い、女を仰いだ。
「……あなた、も――人じゃない」
「……そうね。不死だから」
隠すでもなく、女は頷く。
「これでも永く生きているの。……あなたは?」
「…………」
感情の抜け落ちたような双眸に見つめられても、女は身じろぎひとつしなかった。
やがて、少女が瞼を伏せる。
「――うん」
「あなたも不死?」
「そう。ずっと、前に――……その前は、人だった、けど」
「……。永いの?」
「千年、ぐらい……? たぶん。覚えてない」
「そうなの。何処かで会ったことがあるかしら」
女の声に、少女は「しらない」と呟いた。
どちらでも良かったのか、女も淡白に「そう」と返す。
「――居心地の良い場所ね」
目を細めて独り言のように云う女に、少女はかすかに顔を上げた。
「すこし、懐かしいような気がするわ――」
「……そう」
「あなた、名前は?」
「…………ゆき」
「そう。あたしは源睦月よ」
「うん…………」
ぽつり、ぽつり、と。
思い浮かんだ言葉をただ落としていくように、ふたりの時間が流れていく。
「昔はどんなふうだったのかしら、此処」
「……いつ?」
「いつでもいいわ」
「…………街道が、あって。旅人がたくさん……お参りに、来た。部屋を貸したり、も――……ずっと見てたわけじゃないけど……いる時は、子どもたちが会いに……来てくれて。今も、そうだけど……」
「あら、子どもがいるの?」
「……うん」
頷くゆきに、睦月はわずかに目を細めた。
「その子たちも不死?」
「…………」
ゆきが押し黙る。
その沈黙に、睦月は言われずとも答えを見つけてかすかに息を吐いた。話を変えるように神社の神主について尋ねると、子どものずっと子どもがやっているのだ、とゆきが答える。
たどたどしい言葉が素なのか、それとも警戒心によるものなのか、睦月はさほど気にかけなかった。
独り言のように言葉を落とし、返すほうも風のささやきのように過ぎていく。
この神社のこと。
目に映る風景のこと。
過ぎた日々のこと。
深くは訊かない。返すこともない。
どちらも互いを風景の一部とでも思っているかのように、強く意識することもなければ、拒絶することもまた、なかった。
ふたつの茶碗が空になって久しい頃、ゆきが、す、と立ち上がる。
「……寝る」
「そう」
冷気に溶けるような声。
「……睦月、は――何処で?」
「そこの木の上で休もうと思ってるわ」
「そう」
それでも構わないらしく、ゆきは冷えた廊下を踏んで奥へと足を向けた。
茶碗も盆も、雨戸もそのままに。
「いいの?」
ふと、睦月が家屋の暗がりへと消えていく背に声をかければ、相手が足を止めてかすかに振り返る。
「……いい。気づいたら、誰か片付ける」
「戸は閉めておいたほうがいいかしら」
「どっちでも……どうせ」
邪気あるものは入ってこれないのだ、と。
暗く笑う気配に、睦月も唇の端にかすかな笑みを乗せた。
「――お茶をありがとう、ゆき」
「……おやすみ」
「おやすみ」
華奢な姿が暗がりに吸い込まれるように消えていく。
なんとなしにそれを見送って、睦月は雨戸にもたれるように体重を預けた。ぎし、と古びた木材が軋む。
闇。
月灯。
風。
ひそやかな葉擦れの音色。
しんと冷えた風に、心が澄んでいく心地がする。
「……いい場所ね」
吐いた声は風に紛れ、睦月は静かに瞼を伏せた。
静穏な眠りが頭をもたげ、やがて、意識が沈んでいく――
澄んだ光に覚醒したのは、陽が昇って間もなくのことだった。
ほの暗い光に包まれた境内に、雀だろうか、鳥の声が落ちている。
睦月は危うい体勢で眠りに落ちていた己を見下ろし、肩にかけられていた毛布に目を細めた。
端の擦り切れた、淡い色。
傍らに置き去りであったはずの盆はなく、家の奥からかすかな物音が聞こえてくる。
家人だろうか、と思い、睦月は腰を伸ばした。コートの内側には、常と変わらぬ刀の感触。
気づかなかったのか、それとも、どうでもよいと放っておかれたのか。
どちらでもよい、と睦月は薄く笑い、かけられていた毛布を縁側に放った。
ざり、と土を踏み、歩き出す。
礼は必要あるまい。
昨夜流れていた空気を思い出し、睦月はそう思った。
一時交わった、あれは風のようなもの――縁があらば再び見えるだろうが、そうでなければ、ただそれだけのことだ。
「――――」
風が葉音を運んでくる。
睦月は昨晩よりも大分見通しのよくなった境内を抜け、鳥居の下をくぐった。
一度、それを振り仰ぐ。
しらしらと明ける空の下、なお無言で佇むその柱。
何を思ったのか、睦月はかすかに微笑んだ。
そうして、再び歩き出す。
足を止めることもなく、振り返る素振りもせず――睦月は目覚めゆく町の何処ぞへと紛れていった。
fin.
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●登場人物
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4698/源 睦月(みなもと むつき)/女/999歳/狩人】
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●ライター通信
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参加PL様へ
お待たせしました。
ゲームノベルに参加してくださいまして、ありがとうございました。
このような内容になりましたが、いかがでしょうか。
双方の性格を考えると、なかなか弾んだ会話とは云い難く……。
それでも、すこしでも楽しんでいただければ幸いです。
では、また機会がありましたら宜しくお願いします(礼)。
雪野泰葉
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