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死ヌ程抱キ締メテ。
それは東欧へ仕入れの度に出かけた時のことだった。
欧州はアンティークの掘り出し物を探すには一番の地域で…夕方までかけて幾つかのアンティークジュエリーと陶器、家具類を仕入れた有働 祇紀は辺りがもうすっかり暗くなる頃、ようやく予約していた古城を利用したホテルへと辿り付いた。
折角の欧州に来たのだからとそれなりに拘って、だが仕事の一環とそれ程予算をかけずに選んだそのホテルは、だがパンフレットの写真ではそれなりに瀟洒な概観で。
予約が取れたのは幸運だったと思っていたのだが……辿り着いてその理由がわかったような気がした。
……確かに質は悪くない。
煤けた白壁に這う緑の蔦、細かな模様の掘り込まれた大理石の柱は写真のように明るい日差しの下で見ればきっと美しく見えるはずだ。
だが写真に写ることは無いこの空気は……どこか陰気で湿って纏わり付くような重いそれ。
到底爽快とは言い難い……否、むしろその逆の独特の雰囲気が漂っている。
パンフレットを頼りに訪れた客はおそらく間違いなくリピーターにはならないだろうと簡単に想像のつくホテルだった…。
中庭を抜けて、人間が泊まれば魘されたりだとか、見えない何かに乗られたりだとか、金縛りにあったりだとかしそうな雰囲気の漂う場内にはちらほらと脚の姿も見えたが……霊感の無い人間でも何かを感じるのだろう、どこか落ち着かない様子の者が多い。
祇紀は一つ大きな溜息をついて、だが平然とその中を歩んでいった。
祇紀自身、付喪神が具現化した存在であると言う霊的な存在だからだろうか、この場の雰囲気は苦痛というほどでもない。
かといって長居をしたい空気というわけでもなく……明日は早々にチェックアウトしようと心に決めたのだが……残念ながらそれは叶わなかった。
どこから聞きつけてきたものか……このホテルの支配人だという男が朝食中の祇紀の下に訪れたのである。
曰く、「年代モノの品があるのだが、ただでもいいから買い取ってもらえないだろうか?」と。
……タダを買い取るとは言わない。
とどのつまり、要するに厄介物を引き取って欲しいという話しだ。
一蹴しても良かったのだが支配人はとにかく低姿勢で、その癖見るだけでも、御代は結構ですのでの連呼で一向に引く気配が無い。
その上従業員も何人か引き連れていて、気がづけば他の脚の視線が集まってきている状態で。
その場を治める為にも仕方なく、仕方なく祇紀はそれに是と答えたのだった……。
「ささ、こちらですどうぞ……あ、足元が暗いので気をつけてくださいね。」
ちょび髭の支配人の手にする淡いランプだけが唯一の光源の、湿った地下への階段に足を踏み入れて祇紀は密かに溜息を吐いた。
淡く揺れるランプの光は柔らかく、温かそうに見えたが……だがそれでもこの陰気さを払拭するにはあまりにも光量が足りない。
足元にはほこりが積もり、一歩歩く度にもわっと白い煙を上げていた。
こんな場所に一体何があるというのか……。
曰くつきのものを取り扱うのは得意と言えば得意なのだが……国外持ち出しとなると物によっては関税やら輸送量やら厄介事が付きまとう。
本当は朝からノミ市を回る予定で……掘り出し物を逃したらどうしてくれるんだと思いつつもう一度大きな溜息を吐いた祇紀は階段の最後の一段を下りた瞬間、すっと空気が冷えた事に気付いた。
もともとあまり温かいとはいえなかったのだが……あまりにも、違和感さえ覚えるほどの冷たさだ。
「こちらです……かなり古いものだそうなんですが私共にはちょっと価値がわかりませんし……あまり趣味が良いとはいえませんし……ここを別な用途に使いたいんですがなんと申しますか動かし難い空気がありましてその……」
しどろもどろに説明をする支配人が掌で示した先にあったのは細い白布で隙間無くぐるぐる巻きにされて、その上に銀の鎖と十字架をこれまたぐるぐる巻きに取り付けられた誇り塗れの大きなな何かだった。
……趣味が良くないものを人に売りつけるなといいたいところだが……何をいっても無駄なような気もするのでとりあえず黙っておくことにする。
さっぱり要領を得ない支配人の説明では一体何が入っているのかわからなかったものの、隙間から見える様子からしてどうやら木箱らしいかった。
サイズは2メートル弱、人一人ちょうど入れる程の大きさだ。
「……あけるぞ」
「は、はいどうぞっ!」
まさか吸血鬼が出てくるわけでもあるまいなと思いつつそれに手をかけた祇紀は、一瞬躊躇って……それからそろとその十字架に手をかけた。
「……」
物理的な拘束の意味は薄かったのだろう、鎖はしゃらと軽い音を立てて簡単に解けた。
するすると、音を立てて解かれていく包帯じみた白布。
長い間閉じられっぱなしだったらしくなかなかあかない蓋を力付く押し上げて……次の瞬間、祇紀はありえないものを見た。
「…………」
長く、長く閉じられていたはずの箱の中に、青みがかった透明感のある紫色の瞳の少女が寝そべっていたのだ。
白い頬に薔薇の唇、零れ落ちそうな大きな瞳の、美少女と呼ぶに相応しい美しいその少女は、祇紀を見てにこと柔らかく微笑んだ。
「助けてくれてありがとうおじさまっ☆」
どこか甘い声とともに伸びてくる白く柔らかな手。
首に絡められ、引き寄せられて幼さの残る顔立ちとは裏腹の豊満な胸が押し付けられて……だがその柔らかさを感じる前にありえない感触を感じた。
「……っ!」
ちくちくと、どころではなく痛い。
人ではない祇紀だからこそ痛いですんでいるが、人間であれば致命傷物の衝撃があった。
「どーしたの、おじさま?」
「…………」
見下ろせばどこかきょとんとした表情の少女の胸から無数の鋼鉄の針が飛び出して、この旅行の為に新調した一張羅の着物をズタズタに引き裂いているところだった……。
ホテルに入った時は一人きり、帰り道は二人になった。
ついでに着物姿が洋服姿に。
あまり趣味のよろしくないもの、の正体は拷問具。
「鋼鉄の処女」…またの名を「悲しみの聖母」と呼ばれる、鉄製の器具で……外見は少女、前部は観音開きで内部には棘が生やされており、犠牲者を中に閉じ込め扉を閉めると棘が犠牲者の体に付き刺さることになるという大変エグイ代物である。
それが年月を経て付喪神となり……そして封じ込まれていたらしい。
抱きつかれてダメにされた着物の代わりに取り急ぎと用意してくれた慣れない洋服を身に纏い、祇紀は深く溜息を吐いた。
支配人も頑張ってはくれたが流石に欧州で着物は直ぐには手に入らなかったのだ……。
「ねぇ、おじさまなら思いきりだきついてもおこらないわよね?」
ふふと嬉しそうに笑う姿はどこからどう見ても害の無い、どこかあどけなささえ感じさせる少女。
「そうだ、私名まえもまだないんですけどおじさまがつけてくださる? それとも自分でかんがえた方がいいかしら?」
数十年ぶりに吸った外の空気に浮かれているのか、羽のような軽い足取りで少女は微笑む。
その素体を伺わせぬほどに酷く、柔らかく。
「日本って聞いたことはあるけど行ったことがないからすっごくたのしみ」
結局脅える支配人を慰め、ついでに彼女に懐かれとしているうちに祇紀は一張羅の着物とタダになった宿代の変わりに彼女を押し付けられる……もとい、手に入れることになった。
……それが。
後に瞳に使われた大粒のアメジストから、紫珠と名乗ることになった少女との、あまりにもインパクトのありすぎる出会いであった。
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