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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


銀の上の唐草


 今日も今日とて留守番だ。盗人すら目をつけないような閑散とした有り様の、骨董品屋『神影』。藍原和馬は今日も、この店の主であり、己の師でもある女に命じられ、留守番――店番をつとめている。
 いつもは和馬の都合も考えずに突然仕事を押し付けてくる師や、店の閑古鳥の鳴き具合について、ぶつくさと愚痴をこぼしているのだが……今日の和馬は違った。ともすれば、思いつめているふうに見えるかもしれない面持ちで考えこんでいる。
 彼は先日街中で、今年初めての『ジングル・ベル』を聞いた。つい最近紅葉狩りに行ったような気持ちでいただけに、すこし驚いたのだ。それから、ビルの外壁を走る電光掲示板のニュースの日付を見て、世の中がもう12月に入っていることを知った。月日が経つのは早いものだ。都会にいると余計にそう感じる気がしないでもない。
12月といえば――大事なイベントがあるではないか。
 そう、クリスマス。
 赤鼻のトナカイとサンタクロースの時期だ。
 ――さアて、今年は、あいつになにやろう。
 カウンターで頬杖をつき、和馬はちいさく唸り声を上げた。まずプレゼントとして頭の中に浮かぶのは、アクセサリー類だ。アクセサリーといえば、プレゼントの定番ではないか。バリエーションも豊富、大概の女性は好き、とくれば最早いうことはない。ネックレスは過去に贈った。となると、あとはブレスレットかイヤリングか……リングか。
 翠の石をあしらった銀いろのリングを思い浮かべて、すぐに和馬はかぶりを振った。
 ――いやいやいや、まだだ、まだ指輪は早い。そもそもあいつの指のサイズ知らねエじゃん、俺。うん、ともかく指輪はまだ早……


 藍原和馬は、吹っ飛んでいた。


 あまりに唐突な出来事であったため、吹っ飛んだ本人である和馬でさえ、なにが起きたのかわからなかった。
「モルスァーーーー!!?」
 流星のような勢いで、和馬の身体は店の内壁に激突した。骨にひびが入る音と、血が飛沫を上げる音、そして大音響が店内に響きわたる。
「呼んでも出てこないと思ったら、なにぶちぶち言いながら妄想してんのあんた!」
「……さきほど……もどりました……」
「しし、師匠! 灯火!」
 血みどろで悶え苦しみながら、和馬は驚きの声を上げた。仕入れに行っていた(しかも外国に)店主マリィ・クライス、手伝い人形の四宮灯火が、もう帰ってきていたのだ。和馬はふたりに蹴り飛ばされていたのである。起き上がろうとしてみじめにもがきながら、灯火には優れた転移能力があったことを、和馬はようやく思い出した。脳が揺さぶられた影響で考えがまとまらなかったせいもあるが――それさえ忘れてしまうほど、和馬の頭の中はクリスマス一色であったということだ。そもそもマリィは灯火の転移能力をあてにして、彼女を仕入れに付き合わせたのではないか。
「お……おオお……なんか、木製の鈍器で殴打されたような鈍痛を頭部に感じるんスけど……」
「わたくしの……どろっぷきっくの効果でございましょう……」
「ド、ドロップキックて! なんで灯火まで俺をいぢめるんだ!」
 鼻血と涙にまみれながら、和馬はもっともな疑問を口にした。灯火は男にドロップキックを見舞うような性格ではない。とってもよいこだ。
 灯火はぱちりと音を立てて目をしばたき、クとマリィに蒼眼を向けた。
「……技は、旅路でマリィ様より手ほどきを……」
「灯火は呑みこみが早かったわー」
「おしとやかな人形になに教えてんスか師匠! ……あだだだだ……これ人間なら死んでますって……! あはァん、痛エよおおぅ」
「頑丈なだけが取り得のあんたがなに言ってるんだい。ほら、さっさと運ぶ!」
 おねーさん座りで頬をさする和馬のそばに、マリィが山のような荷物を積み上げていく。容赦はなかった。口答えも許されない。
 和馬は鼻血をすすり、涙を拭って、素直に仕事を始めた。マリィは頑丈さ「だけ」が取り得だと吐き捨てたが、和馬にはまだ取り得がある。怪力もそのひとつだった。


 マリィが新しく仕入れてきた骨董品は、灯火も和馬もよく知らない、ヨーロッパの辺境の地のものだ。新旧ないまぜにされた山の中には、売る前に解呪なり洗礼なりをほどこさなければならないようなあやしいものも混じっている。
 呪術に明るいマリィと和馬が、そういった危ない物品をするどい勘で見つけだし、山の中から抜き出していく。その横で、灯火は貴金属類を丁寧により分け、汚れを拭き取っていた。石がついているものは特に危ないから、とマリィがすでに貴金属の類は選別をすませてある。灯火は、黒ずんだ銀製のアクセサリーを手に取った。
 ぱちっ、と灯火はまばたきをした。
 真っ黒に変色した、灯火の手の中にあるブレスレット――それが、確かに微笑んだのだ。
 灯火は手をとめ、じっとブレスレットを見つめた。
(しあわせになりたい?)
「……」
(しあわせになりたい?)
「……」
(わたしがまもってあげるから、あなたはきっとしあわせになるわよ)
 灯火の蒼い目の中で、トンボのものによく似た羽根の『妖精』が、くるくるとダンスを踊る。灯火はまた、ぱちりとまばたきをする。妖精の姿は消えたが、淡い桜色や翠色といった、心地よい色のイメージは消えない。
「あら、灯火。気になるものでもあった?」
 灯火の、乏しい心の変化にも、マリィならすぐに見抜く。店主は微笑んで、灯火の手元に目を落とした。
「はい……これは、いったい……?」
 灯火は、シルバー磨きの布ごと、マリィにブレスレットを手渡した。和馬も作業の手をとめて、灯火の目にとまった一品を覗きこむ。
「ああ、これかい」
 マリィはゆっくりと微笑し、慣れた手つきでブレスレットを磨いた。びっしりとブレスレットを覆っていた黒ずみが落とされ、美しい銀の光沢があらわになっていく。そして、蔦を象ったような、流麗な透かし彫りも、あきらかになってきた。
 唐草模様は、シルバーアクセサリーの定番デザインだ。多くのブランドがモチーフにしてきた。蔦をあしらったブレスレットは、巷にいくらでも転がっていると言っていい。しかし――そのブレスレットは、違っていた。間違いなく、そんじょそこらのにあるブレスレットとは違っている。一線どころか、二線も三線も画していると言えるだろう。
「こりゃアきれエっスねえ」
「あんたにもわかるのかい、これの良さ?」
「わかりますって」
「これはねぇ、妖精が作ったものなんだよ」
「はア、妖精」
 相槌を打った和馬の顔に、一瞬でマリィの鉄拳が叩きこまれた。ぎゃいん、と呻いて和馬はのけぞり、噴き出す鼻血をおさえながら抗議した。
「いひらりあにふんれふはァ!」
「いきなりなにをなさるのか……と、和馬様は仰っておられます……」
「あんたの顔が思いっきり『なに言ってんだコイツ』って言ってたんだよ! 私の言ってることがインチキだって思ってんのかい!」
 牙を剥くマリィに、和馬は鼻をおさえたままぶんぶんと激しくかぶりを振る。かちりとそんな和馬に一瞥をくれたあと、灯火は無言で、マリィの解説を促した。
「妖精や精霊の世界と、この人間界の両方にあるのは、銀なのよ。有名だろうけど。これが『向こう』で作られたのか『こっち』で作られたのかはわからないけど、人間が造ったものじゃないのは確かなの。なんでも、一日に一回だけ、つけているひとを災いから守ってくれるんだって」
「一回だけスか」
「一回でも充分じゃないかい? どんな災いからも守ってくれるんだよ。地球に隕石が落ちたときだって、一日に一回目の災いだったなら、絶対に助かるってことなんだから」
「納得が……いきました……」
 こく、とちいさく灯火が頷く。彼女は無表情で、マリィの手の中にあるブレスレットに顔を近づけた。
「この腕飾りからは……妖精様の意思や祝福を感じます……」
「ほらごらん、和馬。灯火がちゃんと見てるんだから本物でしょう。……いくらにしようかねぇ」
「し、師匠!」
 すでに鼻血が止まった和馬は、血まみれの手をばしっと埃まみれの床につき、正座をして、頭を下げた。
 あまりに唐突な土下座。さしものマリィも目を点にした。
「なに、どうかしたかい? 頭が」
「俺ァ素面ですよ。師匠、それ……そのブレスレット、俺に譲ってください! この通り!」


 和馬に、妖精の姿は見えない。悪戯っぽい笑い声も、ささやきも、聞こえない。灯火だけに見えた、まぼろしなのだ。妖精が実際にブレスレットに宿っているわけではない。
 しかし――和馬にも、『見えた』し、『聞こえた』気がしたのだ。だから彼は、ブレスレットに束の間心を奪われた。凡庸なデザインであるはずなのに、それがうつくしいと思った。
 そして、そのうつくしさをあいつに身につけてもらいたい、と思ったのだ。
 一日に一度だけ、あらゆる災厄から持ち主を守ってくれる――ブレスレットが持つそんな『売り』は、正直和馬にとっておまけ程度のものでしかない。たとえその力がブレスレットに美貌を与えているのだとしても、和馬はその力に目がくらんだわけではなかった。毎日一度はトラブルに遭う和馬であっても、その力を特別欲することもない。
 ただ、和馬が魅入られたように――彼女も魅入られてくれるだろう、と。
 彼女は目を輝かせて、「きれい」と呟いてくれるだろう。
 そして、喜んでくれるのだ。
 そうにきまっているから、和馬はブレスレットがほしかった。


 汚れた床に額をこすりつける和馬を見て、マリィは一瞬戸惑ったが、すぐに鼻でするどく一笑すると、腕を組んだ。
「これは高いよ。一年間タダ働き、及び仕入れ旅行ツアーに毎回参加でもまだ釣り合わないね」
「し、師匠! それはねっスよ! 来年収入ゼロになっちまうじゃないスか!」
「だから、これは高いんだって。あんたのようなケダモノが手にするような代物じゃないんだよ」
「ケ、ケダモノって……師匠、自分のこと棚に上げな――」
「なんですって、和馬クン?」
「う」
 一瞬言葉に詰まってから、和馬はめげずに食い下がった。土下座の体勢のままかさかさとすばやく移動し、マリィにすがる。
「お、お願いします師匠! ほんとに! 踏んでくれてもいーです! なんなら靴をお舐めします! 俺は下劣で下品で下等なケダモノです! ど、どうか! どうかッ!」
「ち、ちょっと、なんなの、離れな! 気持ち悪い」
「……マリィ様……」
 ふたりのやりとりを無言で見つめていた(彼女がふたりのこの姿を見てなにを思っていたのか、表情からはまったく読み取れないのが救いかもしれない)灯火が、すすす、とマリィのそばに寄った。
「わたくしからもお願いいたします……。どうか和馬様に、腕輪をお譲りくださいませ……」
「灯火まで、どうしたの」
「いえ……」
 灯火は目を伏せたあと、マリィに耳打ちした。
 ちいさなちいさな声で……その声を受けて……マリィはほんの少しだけ驚き……頷く。それから、はあ、とするどくため息をついた。
「……いつまで私のフトモモ触ってんだい、離れな、ケダモノ!」
「ぎゃひん!」
 マリィは和馬を殴り飛ばした。雑多な倉庫の中を吹っ飛び、なにかしらに激突して血みどろで床に転がる――と思われた和馬だったが、空中でひらりと身をひるがえして、床に着地した。
 再び土下座。
「……師匠!」
「ああもう、わかったよ。そんなにほしいならあんたに譲るわ」
「マジデスカ! あ、ありがとうございますッ!」
 膝をついたまま再びマリィに迫る和馬に、マリィは金のするどい視線をぶつけて、ぴしゃりと言い放った。
「ただし!」
 ぴたり、と和馬の動きが止まる。さながらストップモーションだった。
「タダで譲るわけにはいかないからね。しばらくタダ働きしてもらうよ」
 しばらく。
 それは、マリィが「もういい」と言うまでの間、ということだ。ひょっとすると一年間のタダ働きになるかもしれないし、明日までかもしれない。すべてはマリィの気まぐれな采配にかかっている。それでも、一年間とはっきり期限付けられたタダ働きと、仕入れ旅行の荷物持ち兼雑用係よりはだいぶ軽い条件になったと言っていいだろう。
 和馬は顔を輝かせ、あらためて深々と頭を下げた。
「わかりました! しばらくタダ働きしますッ!」
「ほんとに……なに必死になってるんだか……」
 言いながら、マリィは灯火と目を合わせて、ふふ、とちいさく笑ってみせた。灯火はぴくりともその表情を動かさなかったが、……微笑んでいる。

(くりすます……が近いのでございましょう? くりすますには……親しい方に、贈り物をすると聞き及びます。……和馬様は……どなたかに、贈り物をされたいのではございませんか……?)

 ――あんたがそれだけ必死なんだ。きっと真剣なんだね。だったら、仕方ないか。
 マリィは和馬に、ブレスレットを手渡した。
「ほら。今日の仕事はまだまだ終わりそうにないんだから」
「は……はい!」
 ブレスレットをそっとスーツの内ポケットにおさめ、和馬は笑顔で頷いた。夜中までこの仕事は片付かないということがわかっていても、和馬は――幸せな笑顔だった。
 彼はブレスレットを身につけなかった。
 だから、マリィと灯火は確信した。
 ブレスレットは、クリスマスまで出番がないのだと。




〈了〉