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<東京怪談ノベル(シングル)>





「ホントだって。俺、ホントに見たんだって」
「えー、すごい嘘くさいんだけど。でもホントだとしたら怖くない? あのガード下でしょ」
「嘘じゃねえって。俺、ガキの頃からたまに見えるんだって。この間も、あのガード下の前通ったらさ」

「うわ、やっぱりまだいるよ。気持ち悪い」
「え、マジで? あたしにはホント見えないんですけど」
「見えなくってイイって。ホント、マジでヤバい」
「ねえ、どんななの? 顔とかさ」
「顔は見えないんだって。でも男だと思うよ。うーうー唸ってんの」
「っていうか、あの楽器! あれ、あそこで事故った人のだって聞いたけど、気持ち悪くない?」

「あのガード下って、確かに、通るたびにイヤな感じするよね。夏でもすごく寒いの」
「ああ、だからホントにいるのかもしれないな。オレらに見えないだけでさ」


 新宿の駅近く。
 時を選ぶ事なく常にごった返している街であるにも関わらず、この街は、いくつもの闇を抱え持っている。
 あるいはこうしてごった返し寄り集まって来る人間達があればこそ、闇はそこかしこで産声をあげているのかもしれない。
 その数多ある闇の内のひとつを前に、神羅はひたりと足を留めた。
 昼であってもほの暗く、冬であってもこの場だけはむせ返るような湿気で充ちている、そんな場所だ。
 見上げれば、排気ガスを撒き散らしながら過ぎて行く車が落としていくテールランプの光が絶え間なく続く。
 ゴウと響くエンジン音の中、神羅はゆっくりと双眼を緩め、笑みを浮かべた。
「――――そなたが抱えるその無念、ひとつ、私が聴いてやるとしよう」
 緋眼を細めて見据えるその先に、ひとりの男が立っている。
 既に現世の理を離れ、しかし抱える心のゆえに未だその理を手放すに至れないでいる男。
 男はうずくまり、低い唸り声をあげながら、土と埃で汚れたアコーディオンを抱えこんでいる。
 神羅は男に向け、声をかけてから、しばし。男が唸ってばかりなのを知ると、数歩歩み、男の傍らで足を留めた。
 見れば、男は、恐らくはさほどには遠くはない過去に、現世の理から離されたようだった。だが、その割にはぬらついた泥のようにも見える漆黒で囲われだしている。
 ――――抱え持ち、手放せずにいる心が、現世への執着を捨てきれずにいるのだ。しかし、理から離された魂魄がいつまでも現世でさまよい続けている事は出来ない。その心は徐々に病んでいき、闇の世界に捕らわれてしまうのだ。
 ぐずぐずとした泥の沼に飲み下されていくように、男は闇に侵食されていく。
 神羅は緋の双眸で男を見遣り、再び、ゆっくりとした口調で告げた。
「そなたはその楽器……アコーディオンという名であったか。それを奏していたのじゃな」
 そう語りかけながら、神羅はアコーディオンの蛇腹を確かめる。
 持ち手部分にボタンのついたタイプの、ピアノ式アコーディオンだ。
 男は、神羅のその言葉に初めて反応を示した。――わずかに、その顔を持ち上げたのだった。
「――――ほう」
 男のその顔を、姿を見遣り、神羅はゆるりと頬を緩める。
「そなた、その顔と両の腕を失ぅたのか」
 語りかけ、男の姿を確かめる。神羅のその言の通り、男の顔面はひどく潰れ、両腕はもげ落ちていた。
 神羅の姿を仰ぎ眺め、唸り声をあげる男に目を落としながら、神羅はふと目を細め、口を開く。
「……ふむ、そうか。そなた、車にでもぶつかったのじゃな」
 静かにうなずきつつそう返し、その視線を男が抱え持っているアコーディオンへと向ける。
 土煙と埃とにまみれたそれはところどころが壊れている。が、幸いにも――そう、幸運にも、鍵盤や蛇腹といった重要な部分は破損せずに済んでいた。
「そなたが身を呈して守うたのか」
 そう言葉をかけると、男は低い唸り声を発した。
 神羅は男の唸り声を耳にしながら軽く睫毛を伏せ、口を閉ざした。
 男の声は文字通り唸り声にしか聞こえないようなものであり、言葉らしいものはおろか、その調子から感情の波を察する事さえも難しいようだった。
 風が窓の隙間から流れこんでくる時に響かせるような、高く低いその声音が街を行く喧騒に乗る。まるで、音階のようでもあると、神羅は頬を緩ませる。
「そなた、何を心に抱えておるのだ? そなたと私は、手にする楽器は違えども、同じく楽を愛する者同志と見た。同志の心であれば、私がその無念を晴らしてやろうぞ」
 伏せていた眼をゆっくりと持ち上げ、眼下の男を真っ直ぐに捉える。
 男は、やはり唸り声をあげて――もしかすると、かすかにうなずいたのかもしれない。
「私はのう、この平成という世の中で、和楽器の類を奏して回っているのじゃがな。最早、三味線や笛の音は、街行く人々の足を留めるには至らなんだ。……和蘭やら独逸やらの音色と調子は、まぁ、見目にも派手で音色も美しいものだからのう」
 男の傍らで、神羅はやんわりと言葉を紡ぐ。
 男は唸り声を止め、事故の衝撃で削り取られた顔面で神羅の顔を眺め仰いでいた。
「無論、私は私が奏する音に絶対の自信を持っておる。そなたと同じく、誇りも持ち合わせておる。移り変わってゆくものを受け入れるだけの器用さも持っているつもりじゃ。……そこで、ひとつ、そなたに相談があるのじゃ」
 神羅の笑みが柔らかなものへと変容する。
「同じ、楽を愛する者として、私はそなたと手を組もうと思うのじゃが、どうじゃ?」
 男の動きがひたりと止んだ。
「ふ、ふ。そなたは、そなたが作った譜を、皆に聞いてもらいたいのであろう? じゃが、そなたには既に腕もない。躯も失うては、そなたの心は最早現し世では形を成す術を持たぬのじゃ」
 神羅はゆったりとした所作で足を屈め、男の肩に手を触れた。
「そなたはこの楽器の内へと入り奏でるがよい。私は外より奏でよう」
 ふわりと頬を緩めた神羅に、顔を失った男はじわりと体を震わせる。
 伸ばした神羅の手は男の肩をすり抜け、薄汚れ壊れかけたアコーディオンに触れていた。


「ねえ、ねえ。あのガード下にさ、たまに来てる女の人の事、知ってる?」
「ああ、うん、知ってる! アコーディオン弾いてる人でしょ?」
「でもあのアコーディオンって、ガード下にあったあのオバケアコーディオンだよね」
「ウソ、ホントに? ああ、でも、ちょっと汚いよね、あれ」
「でもすごくイイ曲だよね。弾いてる人も綺麗でさあ」


 消えていく男の姿を、神羅はやんわりと微笑み、眺める。
 ――――そなたの心、この神羅がしかと受け継いでいこうぞ


―― 了 ――