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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


 ◇◆ 灰姫夜話 ◆◇ 


 薄暗い店のなかでは、全てのものが仄暗い陰影を帯びている。ほろほろと最低限の光源の鈍い灯もまた、この場所では闇を深める役にしか立たない。
 それも、当たり前。ここは、深淵に棲まう佳人が取り仕切る、ひとの世の裏側を流れていく品物を扱う店だから。
 だが、テーブルに置かれた『それ』は、様子が違った。
 目を凝らさなければひとの姿さえ朧なその場所にあって、じわりと淡いひかりを放っている。
「シンデレラの、硝子の靴、ねえ……」
 ふう、と長く煙を吐き、アンティークショップ・レンの店主は、斜に構えてそれを眺めていた。
 テーブルの上に、据えられたもの。
 それは、曇りない硝子でできた、靴――しかも、片足分だけの靴だった。歩くことに馴れない姫君が履くに、相応しい品。履いて歩けばすぐに折れてしまいそうな華奢なヒールまで、磨き抜かれた氷にも似た冷ややかな硝子で精巧に形作られている。
 『シンデレラの靴』――そんな呼び込みでレンがこの不完全な靴を引き受けたのは、今日の午前中のことだった。
「履いて歩ければ、だけどね」
 煙管でこん、と靴を突付いての、レンの戯言。
 彼女の言葉通り、片方だけと云うことを抜かしても、その靴は誰も履くことのできない靴だった。その靴は、他者が直接触れることを拒む。レン自身、戯れに足を突っ込もうとしてはみたものの、ほんの数センチ、触れることができずに結局は諦め、蹴りをくれる羽目になった。
 触れない靴。片方だけの、役に立たない靴。綺麗なばかりの憐れな品。
「シンデレラにしか、履けない靴ってワケかい? 傲慢な靴だねえ」
 負け惜しみに、毒づく。
 しかも、華奢で可憐な靴ではありながら、内側から滲ませるひかりはそれほど明るさがない。一言で云うなら、灰色。あと一押しで桜色にも見えるのにまだ足りない。そんな微妙な彩を放っている。
 曰くありげな、硝子の靴。しかも、呪術的な力を帯びた靴。
 使い方次第でどうにでも、高く売り付けられるかも知れない。それ以上に、なにか面白い事態を呼び起こすかも知れない。
 レンは、つらつらと靴を眺めながら、頭のなかで算盤を弾く。
「さて、どうしてやろうかね」

        ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

 細い指が、同じほど華奢な硝子の靴に触れようとして、躊躇い止まる。
 ふっと、その白い指の主は、詰めていた息ごと微かな声を吐き出した。
「綺麗、ね……」
 憧れと、諦め。
 賞賛の声なのに、宿るのはどこか寂しげな響き。黎真璃胤は、いつもそんな話し方をする。
「本当に。でも色も曇っていて、折角綺麗なのに気の毒です」
 柔らかくて温かい、少女の声がそれに同意する。
 初瀬日和が、肩を滑り落ちる長い髪を押さえながら、硝子の靴を覗き込んだ。
「シンデレラの靴って、子供心に憧れました。あの、王子様に靴を履かせてもらうシーン」
「私も……あのお話には憧れたわ……。影でしかなかった少女が、王子様によってひかりのなかに連れ出されるお話ね……」
 王子を待つ気持ちをすでに脱ぎ捨てて、自分の足で歩く強さをか弱げな容貌からほんのりと覗かせる日和と、薄闇のなかからひかりを見上げるように語る真璃胤。
 恐らく、微妙にふたりの着眼点が、違う。
 店主の蓮は、煙管を片手に彼女たちをつらつらと眺める。
 そうやって見比べれば、なんとなしに年上の真璃胤の方があどけなくも見えるから不思議だ。己の身の弱さを見据え、地に足を付けて生きる少女と、薄闇を漂い頑是無い憧れを抱え、歳月を生き過ごす佳人の、生き方の差なのかと、蓮は戯言のように考える。
 アンティークショップ・レンの一角。猫足の気取ったテーブルの上に鎮座する硝子の靴を、囲む人間はレンを含め、六人。
「シンデレラさんの靴ですかぁ……それを偽って商売しようとはレンさんもなかなかの悪ですねぇ、まるで越後屋のようで……はぐうッ!」
 のんきな笑みを浮かべながら無礼なことを口走った宇奈月慎一郎を、無言で蓮が床に沈める。右ストレート。綺麗に塗られた深紅の爪の残像。
 こんにゃくのように、慎一郎が床にへたばった。
「うっわ……必殺」
 硝子の靴に夢中になっている女性ふたりの傍らで、羽角悠宇が首を竦めた。
「……ここに行き着いたのなら、単純に、蓮、あなたのお店の中に対となる「何か」があるか……このお店の周囲にかかわりのあるものや人間がいて、靴が惹かれてきた、とか……」
「童話ではサンドリヨンが舞踏会に残した靴。対なるものと云えば、靴を履ける『持ち主』でしょうかね」
 振り返った真璃胤にゆったりとしたスピードで、だが歯切れ好く云ったのは加藤忍だ。ぐるっと一同を見渡し、腕を組んで考え込む。
 忍の仕草に忙しさはない。だがそのひとつひとつの動きは、ひどく歯切れが好い。粋で清々しい印象の青年だった。
「靴を履けるのは靴を送った魔女の認めた者、心の綺麗な方、夢見る少女」
「……夢……?」
 真璃胤が端整な顔を揺らせば。
「悪かったねえ心が清らかではなくて」
 蓮の方は、引き攣った笑みを浮かべる。
「いやいや、蓮さんも魅力的ですよ!」
 床に沈んだまま起き上がれず、危ない感じで身体を痙攣させている慎一郎を横目に、忍がしれっと云ってのける。
 忍が店に入ったとき、丁度、蓮はあの硝子の靴に足を突っ込もうと奮闘している最中だった。普段見ない可愛らしい姿に、少々笑いを堪えそこなったのが運の付き。凄い目で睨んできた蓮は、それからずっと、あからさまに機嫌が悪い。
 ふん、と、蓮が鼻を鳴らした。
「……蓮さんだって夢見る女性じゃないですかぁ……金儲けと邪法を夢見るじょせ……ぎゃふッ」
 足元から余計な台詞を吐いた慎一郎が、もう一度踵で丁寧に床に伸ばされる。深紅のチャイナドレスの足許は、細い細いピンヒールだった。硝子の靴ほど、華奢でも壊れやすくもない。
「あんたは、おとなしくおでんでも口に詰め込んでおいで。このおでん星人が」
 目を吊り上げて、蓮がぐりぐりと慎一郎を踏み躙る。
「まあまあ、蓮さん」
「それ以上やったら、死ぬんじゃないか?」
 忍と悠宇の取り成しに、ようやく蓮は足をどける。
「あ……なんか意外と好い感じ、か……も……」
 床から、倒錯酩酊した呻き声。
「あ〜あ……」
 忍と悠宇、どちらからともなく漏れた溜め息。
 もう一度力強く振り上げられた蓮の脚を、今度は誰も止めなかった。


「シンデレラにしか履けない靴……シンデレラ以外には履くことが許されなかった靴、だよな。なんでへそを曲げたんだろう……?」
 のされて絨毯と化した慎一郎を回収し、真璃胤が入れた緑茶を日和が配る。真璃胤自身が持って来たと云う茶は、どこか異国めいた花の香りがした。
 落ち着いたところで、悠宇がそんな風に切り出す。
「シンデレラの靴なら、そもそもシンデレラが履いてハッピーエンド。こんなところに転がっている余地なんて、お話にはないはずだけどねえ」
 蓮が、煙管片手に云い添える。
「王子の手によってシンデレラの足にはめられる、と云う筋書きを外されたから、誰の手をも触れるのを拒むようになったんじゃないか?」
「だとしたら、触ることができないのは限定されたひとだけかも知れませんよ」
 悠宇の台詞に、忍が無造作にテーブルの上の硝子の靴に手を伸ばした。
「逆に触れられる人間を上げれば、まずは、王子。更に延長線上に、男性とか」
「あ……」
 真璃胤が、掠れた声を上げる。
 ひょい、と伸ばされた忍の手が、硝子の靴をしっかりと摘み上げていた。
「ほら、触れる。まあ、私は王子と云う柄じゃありませんがね」
 ――なんと云っても、私は一介の泥棒ですから。
 忍は苦笑して、すとん、と元の位置に靴を戻してしまう。
「これで、一応の証明はできたようですね。女性が触れない、男性が触れる硝子の靴。サンドリヨンの話によれば、王子の手によってサンドリヨンの足に飾られるはずの靴」
「お話の……結末を待っている、と……?」
 空気を揺らすように、真璃胤が囁く。
 忍が頷いて、ちらり、と悠宇を見遣った。
「王子の手で、サンドリヨンならぬ姫の足へ。まあ、私は王子の柄じゃありませんから」
「じゃあ僕が……ぎゃッ」
「……悠宇、やりな」
「……失礼します……」
 懲りずに異音を迸らせた慎一郎を無視して、更に吊り上った蓮の目に促された悠宇が硝子の靴に手を伸ばす。
 恐る恐る、触れた指先に凍える冷たさ。冷ややかで、少し寂しい感触だった。
 悠宇が触れた瞬間、ふわっと、灰色だった靴の放つ光が僅か、はにかむように赤みを帯びる。
「わ……触れる……」
 小さな硝子の靴は、悠宇の手のひらにすっぽり収まってしまう。思ったよりも小さく、予想以上に華奢だ。しかも幻のように軽い。思わず、取り落としてしまいそうになった。
「悠宇」
 ふっと、脇から日和の手が差し伸べられる。靴を支えるのではなく、悠宇の腕にそっと添えられた。
「物語を完結させるためには……王子が、灰かぶり姫に靴を捧げる必要があるのね……」
 物憂げに、真璃胤が呟く。
「羨ましいかい、真璃胤」
 真璃胤の耳元で、意地悪く蓮が囁く。真璃胤は曖昧な笑みを浮かべるだけ。
 促された悠宇がぎくしゃくと床に膝を着き、日和の足許に靴を捧げる。
「悠宇……」
 日和は、困ったように小首を傾げる。見下ろすと、悠宇の旋毛が見えた。
 確かに、日和は王子に靴を履かせてもらうシンデレラに憧れた。幼い日の憧憬は、いまも日和のなかに淡く、息衝いてはいる。
 ――だが、硝子の靴は、日和に本当に必要なものなのだろうか。
 知らずに差し出した爪先が、冷ややかな硝子の靴の踵に、触れる。
 途端、日和は夢から、醒めた。
「やっぱり、いまの私には硝子の靴は要りません」
 すっと、引き抜いた足を革のローファーのなかに戻す。しっかりとした感触に、ほっと溜め息が漏れた。
「硝子の靴は脆すぎて、履いたら私、立って歩くことさえできなくなってしまいそうですから」
 ふんわりとした口調で云い切り、日和は同じ柔らかさでやわやわと笑う。
 なんだか行き場をなくした悠宇が、苦笑を浮かべて靴をテーブルに戻した。
「ふん……振り出しに戻る、だね」
 それほどの落胆も見せず、蓮が呟く。
「じゃあ、こんなのはどうでしょう? この靴を伝説の女王様の靴と偽って、Mのひとにグラスとして売り付けると云うのは? 丁度ボジョレーの季節ですし、その筋では結構高く売れ……ぎゃああああ!」
 次の瞬間蓮の長い足が閃き、窓を突き破って慎一郎の身体は店の外に飛び出していった。
 哀れ、星になった愚青年。
「懲りないひとでしたねえ」
「本当になあ……」
 あっさり意識下で慎一郎を亡き者にした忍の呟きに、うんうん、と悠宇が頷く。
 一方、ひと働きをした蓮は肩で深く息を吐く。そこに響いたのは、躊躇いがちな言葉。
「蓮……この靴、私が貰っても構わないかしら……」
 真璃胤の細い声に、ひょい、と蓮の片眉が跳ね上がる。
「構わないが、代価はきちんと払って貰うよ。こんな、あんたが触ることさえできない、片方だけの使えない靴であってもね」
「構わないわ……」
 そっと、真璃胤は硝子の靴の前に佇み、囁きかけるように唇を寄せる。
「……ねえ、聴いて……。私には、夢があるの……叶わないと知っている夢……硝子の靴で、脆すぎる靴を履いて……いまの私の生きる薄闇の場所から、連れ出してくれる誰かを、私は待っているの……」
 ふっと、真璃胤は手を差し伸べる。指先で、慈しむように硝子の靴を包み込む。滲むひかりが、青みを帯びた灰色に変わる。より清らかで――冷たい秘色。
「ねえ、あなたも……叶わない夢を一緒に、見て欲しいわ……。私の、お守りになってちょうだい……」
 掬い上げた手のひらに載っているのは、触れられないはずの、硝子の靴。
 それに頬を寄せて、真璃胤はそっと、微笑んだ。
 淡い、儚い笑みを眺めながら、蓮は考える。

 ――硝子の靴の、対なるもの。
 それは恐らく、夢見るこころの――夢の、脆さ。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 2007 / 黎・真璃胤 / 女性 / 25歳 / 裏老舗特殊飲食店の若主人 】

【 2322 / 宇奈月・慎一郎 / 男性 / 26歳 / 召喚師 最近ちょっと錬金術師 】

【 3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生 】

【 3525 / 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生 】

【 5745 / 加藤・忍 / 男性 / 25歳 / 泥棒 】


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■         ライター通信          ■
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 この度はご発注、ありがとうございました。ライターのカツラギカヤです。
 この度は、『シンデレラ』と云うことで、女性に重心を置いたお話にさせて頂きましたが、如何でしょうか? 頂いたプレイングから、シンデレラの靴に対なるもの、それは履くお姫さま、もしくは夢でしょう、と云うところからお話を始め、折角、叶わない夢が似合う儚げ美女と、カップル一組がいらっしゃるのだからと、こんなかたちの結びを描かせて頂きました。自然、男性キャラには(特に、某氏)には貧乏籤になってしまい、申し訳なく思います。未熟な点は多々あるかと思いますが、少しでも、雰囲気を愉しんで頂ければ幸いです。
 繰り返しになりますが、この度は本当に、ご発注ありがとうございました。また次回のご発注をお待ちしております。