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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


【ロスト・キングダム】雲外鏡ノ巻<下>


「聞いたぞ。例のテレビの話」
 麗香が電話をとるなり、草間武彦の不機嫌そうな声が飛び込んできた。
「ああ、そう? まだ取材は途中だけど、なかなか面白いネタが集まってるのよ。放送、見てくれるかしら?」
「バカ言え。連中のやり方を知らないとは言わせないぞ。……しかも、放送は秩父から生中継だそうだな。正気の沙汰とは思えん」
「よかったら出演する? 怪奇探偵のあなたなら、ゲストにふさわしいわね」
「ごめんだな。どうせおまえのことだ、今さら言っても聞くまい。当日はうちから人を出して、現場につける。注意しろよ」
「好意はありがたく受取っておくわ」

 怪奇探偵と、オカルト雑誌編集長のあいだで、そんなやりとりがあったのが数日前。
 探偵の不安をよそに、その後も、着々と、事態は進行していった。
 そして、今日。
 大トーキョー放送と白王社アトラス編集部のタイアップによる、『オカルトリサーチX』特別企画「山に棲む謎の異人『風羅』を追え!」は、本日深夜、秩父山系のある山にしつらえられた特設ステージからのナマ中継で放送される。すでに編集部が派遣した調査員たちによる取材活動の成果はVTRにまとめられている。
「おはようございまーす」
 すでに日の暮れる時間だが、そんな業界特有の挨拶とともに、司会のSHIZUKUが現場に姿を見せた。
 野外に組まれたセットを期待をこめた瞳で見回す。
 忙しく、ADたちが走り回る中、放送に向けての準備が整えられていった。
 本番まで、あと数時間である――。


■雲外鏡

照魔鏡と言へるは もろもろの怪しき物の形をうつすよしなれば その影のうつれるにやとおもひしに 動出るままに 此、かがみの妖怪なりと 夢の中に思ひぬ
(鳥山石燕『百器徒然袋・下』)


■本番前

 かッ――、と眩い照明が、山の夜から、闇を駆逐する。
 秩父の山中に組み上げられた特設ステージ。そのまわりを、無数の、スタッフが行き来している。美術スタッフが建てたセットは、まるで、背景の山野とそぐわないもので、どうせ、出演者の坐る周辺しか映らないのであれば、なぜ、わざわざこんなところにセットを組んで生中継するのか、その意味がわからない。
 AD、美術、音声、照明、ヘアメイク、スタイリスト……そして、中継車から電波を飛ばす人員、出演タレントのマネジャーやその関係者とおぼしい面々……、普段、都会のテレビ局でなら、さまになるはずの人間たちが、今夜は、人里離れた山の中に集合しているのも、違和感のある風景である。
「セットの背後が山側、こちらが谷側になります。さっきロケバスが通ってきた山道が、ふもとへの避難路となりますか」
 地図を広げながら、モーリス・ラジアルが言った。
「一本しか逃げ道がないのじゃ……そこを寸断される可能性もあるわね?」
 シュライン・エマが指摘するのへ、
「それはそうだけど……かといって、路のない山の斜面だと、かえってかれらに有利でしょ。私、いざというときは、とにかく一般の人たちの安全を優先するつもり」
 と、三雲冴波が言った。
「そうね、そのへんはお任せするしかないわね。退路はそんな感じで……もしものときは合図を出すわ」
 本番を待つ、ロケバスの中である。
「かれら……あらわれるだろうか」
 瀬崎耀司が口を開いた。
「やはり、放送は、かれらにとって都合の悪いものなのでは?」
 モーリスの緑の瞳と、耀司の赤い片目が視線をからませ合う。
「必ず来るでしょう」
 うっそりと、口を開いたのは、それまでは寡黙に窓の外を眺めているだけだった、二階堂裏社だ。バスの後ろの席に、大きな身体を沈めている。
「いや、僕もそれを期待――というか、予測して立会うことにしたのだけれど。とはいえ、むやみな流血は避けられればいいんだが」
 耀司はかるくため息をついた。
「ところでモーリスさん。例の件だけど」
 冴波が、モーリスに水を向けた。
「抜かりはありませんよ。ですが……」
 モーリスが書類束を取り出す。
「今回の番組にかかわった、テレビ局の社員から制作会社のスタッフ、セット設営のアルバイトに至るまで、すべて、今までの経歴を調査しました。……今のところ、特に不審な人物はいませんが」
「でも、以前のホテルマンのようなケースもあるわ」
「ええ。そればかりは、警戒するよりないですね」
 窓の外は、真冬の山だ。日が落ちてからどんどん気温も下がっている。屋外用の、ストーブがところどころに置いてあるが、動き回っているスタッフの吐く息は白い。
 その中に混じって、一見は、女子高生に見える亜矢坂9・すばるが(女子高生には違いないのだが)、ただずんでいるのが見えた。あいかわらず、その表情を読むことはできない。
 放送開始を前に、場の空気がすこしずつ緊張しはじめていた。

「異状はない?」
 シュラインは、ロケバスを降りて、すばるに近付く。シュラインは厚いコートで防寒しているが、すばるは見たところ、普段と変わらぬ格好だ。
「今のところ」
 すばるはただ、周囲を漫然と眺めているだけではない。人知を越えたテクノロジーの数々が、彼女の能力である。きっと、そうやってシュラインと話をしながらも、つねに周辺の、さまざまなデータを取得し、監視しているのだろう。
 シュラインは、彼女にMDを手渡す。
「念のため、かれらの《声》を真似たものを録音してきたの。もし使えるようなら使って」
「音を遮断、または混乱させることで、かれらの撹乱に有効なのはすでに実証済み。適切な判断かと」
「でも、そうそう何度も同じ手が通用するとも限らないわ。向こうも馬鹿ではないのだろうし」
「有効な手段は活用しなくては。……事が大掛かりになり過ぎなってはよくない」
「……それって……?」
「権力の介入は避けたい」
「……」
 すばるの表情は変わらなかったが、シュラインは、それが彼女の心からの言葉だと、なぜだかわかった。この鉄面皮の少女にも、彼女なりに思うところがあるのだ。
「独自の手法で調査を試みた。なんのことはない、『風羅』に関する記録は、公的な退魔機関のデータにも以前から散見される」
「え。そうなの」
「ただし、10年前まで。……以降、記録を発見することはできなかった。いくつかの、抹消された痕跡をのぞいては」
 シュラインは考え込むしぐさを見せた。追い打ちをかけるように、すばるが口を開く。
「宮内庁が関与した形跡もある」
「宮内庁……。『二係』の動き方がよく見えないのよね……」
 そこまで言いかけて、シュラインは、はっと息を呑む。
「あ――」
 意識の中を駆ける、電撃のようなもの。
「そう……そうだったんだわ、それで見覚えがあるような気がしたのね……あの写真の人――」

 深夜の冷たい空気を裂いて、その声が飛んだ。
「本番、5秒前! ……4、3、2、1――」

■キュー

「はーい、みなさん、こんばんわ。SHIZUKUだよ〜★ ほえほえ〜。今夜の『オカルトリサーチX』は、な・なんと生放送! しかも、スタジオを飛び出してきちゃいましたぁ〜。みゃは★」

 SHIZUKUの甲高い声が響き渡る。
 一同は、カメラマンや音声スタッフなどよりは一歩引いた位置で、遠巻きに、セットを取り囲むようにして、生放送のステージを見守っていた。
「……というわけで、この、『風羅族』のナゾに、総力を結集して挑んでみました。いったい、何者なんだろうね。それじゃあ、VTRスタート!」
 フリをキッカケに、放送中の画面はVTRへと切り替わる。
 SHIZUKUは、ふっと力を抜いた表情で、セットのイスに坐った。さっと、ヘアメイクが駆け込んできて、夜風で乱れた髪を直そうとする。

「……」
 犬が、人間には聞こえぬ音に反応し、耳を立てるように。
 裏社が、背筋を伸ばして、首をめぐらせた。
 モーリスがその様子に気づいたようだ。
「……来たのですか」
「わかりません」
 大男は、率直に応えた。
「でも……首のうしろがちりちりするな」
 まるで、野性の獣そのものの物言いだったので、モーリスは、くす、と笑った。
「来るとすれば風下からでしょうか」
「様子を見たほうが」
 ふたりは頷き合う。
「冴波さん、こちらは頼みます」
 そして、モーリスと裏社が、そっとその場を離れる。

『以上のことから、風羅族は、秩父山系を拠点として活動していると考えられています。そこで、もういちど、青梅で発見されたビデオをご覧下さい』
 VTRの中で、瀬崎耀司が解説をしている。
 それを見ながら、本物の耀司が、なんともいえぬ表情で肩をすくめた。
「テレビって、太って見えるね」
 囁いた言葉に、傍のシュラインが、ふっと笑いを漏らす。

「いる――」
 裏社の、普段は穏やかな瞳に、すっと冷たい光が宿った。
「やっぱり、やつら、来ている。近くにいますよ」
 モーリスは無言で、鞭を確かめる。
 ふたりは、照明で真昼のように照らされている空き地を離れ、木立の中へ足を踏み入れてゆく。テレビ局が持ち込んだ照明は、ステージから闇を放逐したけれど、それがかえって、光に照らされない山の、暗闇の密度を高めたようであった。
 真っ暗な闇の向こうを、じっと見据えながら、彼らは歩く。
「隠れているつもりかもしれないが……」
 裏社が足を止めた。
 その大きな身体に緊張が走り――、闘気のようなものが発せられたかと見えた瞬間。
「鼓動の音までは隠せないぞ……!」
 裏社の拳が、腐葉土の硬く冷えた地面に突き刺さるのが先か、落ち葉を吹き飛ばして、土中よりかれらがあらわれたのが先か!
 ひゅん、と、モーリスの鞭が空を切る。
 樹上からも、降ってくる無数の影。闇を背景にしてもなお黒く、夜に溶け込むような姿だった。
 両陣営とも無言だ。黒装束の敵の手から、素早く放たれるのは、忍者が使うような小さな刃物のようだったが、裏社が素手で叩き落としてゆく。いくつかは、彼の身体をかすめ、あるいは刺さりさえしたが、巨漢は頓着せず、目の前の敵に迫ることを選んだ。埃を払うように刃を抜けば、またたく間に傷が癒えていくのは、夜目にはわからなかったかもしれない。
 はっと、モーリスが振り返ると、木立の向こうから、駆けてくる人影が見えた。すばるである。
「本日の装備――フォノンメーザー。空気震動による相乗破壊線を発生させる」
 そして、その音が発せられた。
(おーーーーーーい)
(おーーーーーーい)
(おーーーーーーい)
 空気が、膨張するような感覚があった。
 そして、破裂するように、地面の一部が吹き飛ぶ。黒装束が何人か、それに巻き込まれて吹っ飛ぶのが見えた。

『この部分を拡大すると、人影が見えます。画面を明るくしたものがこちらの画像です。この人物こそ、行方不明中の大河原正路教授では、との説があるのです』
『大河原先生は、ずっと『風羅族』の存在を主張しつづけ、その痕跡を追っていた。そして……ついにかれらを発見し、接触したのだと思う。失踪直前の一時期、先生はかれらと交流を持っていたようだった。その成果を『山中の異人に関する調査と考察』という論文にまとめたはずなんだが、この文書は現存しない……』
 耀司にかわって、画面には河南教授が映し出される。
 この番組は、基本的にはVTR中心に進むので、司会のSHIZUKUの役割はマスコット程度である。今も、ステージからは降りて、ADが着せかけてくれたスタジャンを羽織ってモニターを見つめている。
 そのときだった。
 遠くから、その音が伝わってきたのは。
「……?」
「おい、なんだよ、あれ?」
 スタッフたちが顔を見合わせる。
 シュラインと耀司は表情を緊張させた。音は、モーリスと裏社が向かい、すばるがそのあとを追った方向から聞こえてきたからだ。
「冴波さん」
「来たかもしれないわね。やれやれ」
 ごう、と、冷たい風がうねった。
 見えざる精霊の加護が、SHIZUKUをはじめ、その場にいるものたちの上に舞い降りたことに、気づいたものがいただろうか。
 次の瞬間。
 ふいに、画面が切り替わった。
「!?」
 スタッフのあいだに、声にならぬ驚きが走る。
 生放送にハプニングはつきものとはいえ。
 画面にうつる黒いシルエット。
「番組をご覧のみなさん」
 それが、放送を通して、語りかけをはじめた。

■闇の中のデマゴーグ

「陽動か」
 耀司が舌打ちとともに、駆け出してゆく。
「冴波さん、みんなをお願い」
「まかせて」
 シュラインは、中継車へと急いだ。
「何があったの!」
「わ、わからない……急に――」
「これ、オンエアされてるのよね?」
「そうらしい」
 スタッフたちも混乱しているようだ。
「これはライブ?」
「あ、ああ。そうみたいだ」
 シュラインは、放送をにらんだ。
 画面はひどく暗い。かろうじて、人がひとりいるとわかる。闇の中から、得体の知れぬ人物が、カメラに向かって話しているのだ。
「この声」
 シュラインは、周囲を見回す。
「猪野さんはどこ」
「え? プロデューサー? そ、そういえば……」

「みんな気をつけて! 危険かもしれないわ」
 冴波が声を張り上げたが、スタッフたちは今ひとつ、事態を理解していない様子で、ただきょろきょろしている。
 彼女はSHIZUKUに駆け寄った。
「なになに? なにか事件? ハプニング?」
 好奇心に輝く瞳で、《オカルトアイドル》がすり寄ってくる。
「ハプニング……そうね……そうかもしれないし……ある意味、予想されたことともいえるかも。でもこんなの……テレビの世界じゃ付き物でしょ」

「おおおおっ」
 裏社が吠えた。
 一対一ではかなわぬと見たか、敵が集団で、裏社ひとりに襲い掛かってきたのである。
 だが、遅れをとる裏社ではなかった。
 まとわりつく敵を、腕力にまかせて振り回し、引き剥がしては、ぶんぶんと、放り投げていく。
「歯ごたえが」
 突き立てられた刃物を抜きながら、彼は言った。
「なさすぎませんか?」
「……ですね。あるいは――」
 モーリスが苦々しげな表情を浮かべたとき、耀司の声が聞こえた。
「おぅい、皆! こっちへ来てくれ! 様子がヘンだ」
「そういうことですか」
 とって返す三人。
 追ってこようとする一団を、すばるが立ち止まって、返り討ちにした。
 モーリスと裏社が戻るのを確かめた耀司が、彼女に並ぶ。
「僕は……!」
 木立の闇の中へ声を張り上げる。
「きみたちの血脈を……絶やすようなことにはなってほしくないと思っている……!」
(思っている)
(ている)
(いる)
 反響するのは、こだまか、それとも。
「きみたちは貴重な存在だ。歴史の影に……きみたちのような存在があると知ったとき、僕は感動さえおぼえた!」
(さえおぼえた)
(おぼえた)
(ぼえた)
 すばるが、制するように、耀司にふれた。
「刺激するのは得策ではないかと」
「……」
「長年に渡り認知されてこなかったことこそ、かれらの動機につながる事象なのだから」

 そう――。
「番組をご覧のみなさん」
 それは、厳かな、宣言であった。
「このような形で、声を伝えることを、お許しください。われわれは……《風羅》一党であります。左様、さきほどまで、この番組の中で取り沙汰されていた《風羅》です。番組の内容はおおむね正確であります。われわれは、遥か古代より、この国の――いえ、この列島の、山岳地域に息づいてきた人種であります。今ではもう、みなさんの中に、われわれの存在をご存知の方はおられますまい。ですが、われわれはずっと……生き続けてきました……」
「猪野さんの声だけど、彼の話し方とはイントネーションが違うわ」
 シュラインが、鋭く囁く。
「何かに操られているということですか?」
 急ぎ、戻って来たモーリスの確認に、彼女は頷いた。
「そんなに遠くじゃない。そうでしょう?」
 裏社が言った。
「冴波さん! 近くに、猪野プロデューサーがいます。探して下さい!」
「OK!」
 冴波の髪が、風にあおられて乱れた。傍にいたSHIZUKUは、急に巻き起こった突風に、小さく悲鳴をあげて身をすくませる。
 風が――冴波の目となり耳となり手となって、秩父の山の斜面を、音を立てて駆け抜けた。
「かつて……われわれは里とは袂をわかち、闇の中で、ひっそりと生きる路を選びました。そのあいだにわれわれの名は忘れられ……里と山との接点は失われてゆきました。ですが今……われわれは、闇に隠れて生きることを、やめる決断に至ったことを、ここにお知らせしたいと思います」
 そのあいだも、あやしい演説は続いている。
 人々は、ぽかん、と、なりゆきを見守ることしかできない。
 ただ圧倒され、おそらくは、せっかくの演説も、ろくすっぽ誰の耳にも入っておらぬのだろう。だが、画面の中の演者はなおも続けた。
「左様。われら《風羅》族は、本来、われわれの領土であった地域を、今再び、われわれが領有することを主張します。同時に、不当にその存在を黙殺された、われわれの主権を主張します。そして、それが受け入れられないのならば――」
 闇が……、山を覆う闇までもが、その瞬間、彼の声を聞くために、息をひそめたような、そんな、あやしい間隙があった。
「それならば、われわれ《風羅》は、日本国に対し、宣戦を布告するものであります」
「バカな」
 絞り出すように言ったのは、すばるであった。
 普段の彼女を知るものならば、目を見張るほど、そこには、なにがしかの感情のこもった声だった。
「それが何になる。それが何ももたらさないばかりか……戦略としてみても致命的なものであることぐらい、わからぬ連中でもないだろう。何故だ」
「……」
 すばるの傍で、耀司が、呆然と、モニターを眺めている。

■傀儡

「そこまでよ」
 ごう、と風が咆哮を放った。
 人影は、奇妙に緩慢なしぐさで、あらわれたものたちへ振り向いた。
 すなわち、冴波、モーリス、裏社である。
 その男が猪野プロデューサーであることは間違いない。そして、もうひとり……手持ちのカメラを持った男が、彼を撮影している。どうやってか、その映像と音声を放送に割り込ませているのだ。
 突如、弾丸でも飛んだかのような音を立てて、ほとんど鋭いとさえ言ってよいほどの風が、ふたりの人物に襲い掛かった。カメラマンの手からカメラが吹き飛ぶ。
 それが合図だったように、モーリスと裏社が動いた。
「たぶん、操られているだけです。殺さないで」
「手加減は得意じゃないけれど」
 モーリスが、猪野をとりおさえ、カメラマンのほうは裏社が受け持った。
「……うわ、動かなくなった。どうしよう、殺してないですよね、俺」
 裏社が、場にそぐわぬ、緊迫感のない声で言う。
「……。とりあえず、後で考えましょう。それよりも……ん?」
 モーリスは、奇妙なものに気づいた。
 モーリスに取り押さえられて、猪野も、放心したように脱力し、その様子はまるで生きた人形だった。――それは比喩ではなかった。彼の身体から、幾本もの、ごく細い糸のようなものが伸びているのだ。それをたどれば、糸の端はかれらの頭上へと……
「上に誰かいる!」
 弾かれたように、裏社が動いた。同時に、何者かが、枝から枝へと飛び移る音。
「二階堂さん、跳んで!」
 冴波が叫んだ。その意図は不明だったが、従っても間違いないだろうと思う程度には、裏社は仲間たちを信頼していた。彼が大地を強く蹴ると、果たして、凄まじい追い風が、裏社の巨体を空中に押し上げていくではないか。
「……!」
 樹上にいたものは、驚愕に立ちすくんだ。
 そのまま、裏社に組み付かれ、揉み合いながら落下する。
「裏社さん、離れて!」
 今度はモーリスだった。裏社はよく訓練された兵士のように、機敏にそれに従う。
 がしゃん、と音を立てて、見えない《檻》が、そのものを捕らえるのがわかった。
 おなじみの、忍者めいた黒装束である。覆面の隙間から、燃えるような憎悪を宿して、きつい双眸がかれらをにらみ返している。

 突然、放送が回復した。
 あまりに突然だったので、SHIZUKUは、彼女ともあろうものが、素の、ぽけらんとした顔で、あらぬ方向を見つめているだけの姿が、5秒ほど全国に放映されてしまっていた。すぐに、気づいたADがカンペを出したとみえ、《オカルトアイドル》はすぐさま営業用のスマイルに戻る。
「あ……、え、えーっと、ごめんなさい。映像が乱れちゃいましたぁ★」

  *

「もう周囲には、やつら、いないみたいです」
 見回りから戻った裏社と、冴波が言った。
「仲間を見捨てたと」
 モーリスは、ロケバスの中に持ち込んだ《檻》を振り向く。
「適切だ」
 すばるが言った。別に敵を誉めたわけではなく、彼女なりの所感を述べただけなのだろうが。
「ふむ。生け捕りにできれば面白い、とは思ってはいましたが。さてさて」
 そこへ、耀司とシュラインが乗り込んでくる。
「猪野氏もカメラマンも、別状ないよ。ただ、操られていた間の記憶はないようだ。まんまと利用されたねえ。彼らも……この放送そのものも」
「あんなもの、テレビで観て信じる人がいると思う?」
 冴波があきれたように吐き捨てた。
「同感だ。アトラス編集部並び大トーキョー放送にはダメージになるだろうが、《過剰な演出》として処理するのが適切だろうな」
 とすばる。
「あ、それって、ヤラセっていうんですよね」
 裏社も追随した。
「外向きにはそれでいいとして、しかし、かれらの《宣戦布告》自体は本当だろう? なんてことだ。僕はなにもこんな――」
 耀司が、あることに気づいて、息を呑む。
「こ、この……」
 《檻》の中からは、熾烈な眼差しが、耀司を射抜かんばかりである。
「……女の子じゃないか!」
「そのようですね」
 モーリスが応えた。
「風羅一党《傀儡師》のキョウ、と仰るそうです。どういう字を書くかはわかりません。それだけ教えてくれたあとは、何を聞いてもだんまりで。……ほらほら、そんな怖い顔をすると、せっかくの美人が台無しですよ、レディ」
「……」
 なるほど、黒装束の捕虜の、覆面の下にあったのは、きつい顔立ちで、武者人形のような、少年めいた造作ではあったけれど、たしかに少女のおもてであった。それも、おそらく十代のおわりから、いって二十代のはじめと見えた。
「なんてことだ」
 呻くように、耀司がいった。
「この娘、どうするつもりなの」
 だが、まだ誰も、その答は見つけだせないでいる。


 かれらが山を降りたのは、空が白みはじめる頃だった。
 裏社だけが寝息を立てていた(もっとも、もし何かあれば誰よりも先に彼が気づくだろう)が、あとのものはただ黙って、それぞれの席にいる。
「ねえ、瀬崎さん」
 シュラインが、耀司に話しかけてきた。
「『サンカ』って知っている?」
「……? 何?」
 シュラインは、一冊の、分厚いハードカバーを見せた。
「昭和のはじめ頃まで、日本各地の山の中にいた漂泊民のことよ」
「! それって――」
 シュラインは、静かにかぶりを振った。
「『サンカ』を古代人の末裔と考えた人もいた。でも、実際には、江戸末期から明治にかけて、山に移り住んだ人たちによって自然発生的にできた集団だというのがもっぱらの説なの」
「なんだ」
「でもね、『サンカ』は、その集団から離脱して定住生活に移行した人のことを『トケコミ』って呼んでる。風羅とほぼ同じ意味の用語だわ。形態も似ているし、風羅族が、『サンカ』に影響を与えた可能性は大きいと思うの」
「なるほどね……」
「この本、サンカの研究書なんだけど……、わりと最近、復刊になったもので……意外と、手に入りにくいのよね、サンカ関連の資料って。あまり、大学なんかでは研究していないみたい」
「まあ、学者の世界も流行りすたりがあるからねぇ」
「というか……、あまり喜ばれないテーマなのかも」
「?」
「ところで」
 話をそらすように、シュラインは、今度は一枚の紙を広げる。
「これのことだけど」 
 それは写真をカラーコピーしたものだった。原本は別の仲間が持っている。
 それはシュラインたちが、せんに、須藤父娘を《村雲の隠れ里》へ送り届けたおり、隠れ里で見つけたものである。大河原博士と、あとふたりの人物が写っており、そのうち、白人の女性については、博士の失踪以前に、助手だったアンナ・アドラーというドイツ人であるらしいことが、その後の調査で判明していた。
「この男の人が誰かはわからなかったのよね」
「だね」
「瀬崎さんは見たことない?」
「ないと思うけど」
 シュラインは悪戯めいた微笑を浮かべると、
「でも、似た人は知ってるんじゃないかしら」
 と言った。そして、彼女はサインペンをとると、写真の青年の、目元を塗りつぶしはじめる。
 まるで、黒眼鏡をかけたように。
「あ――っ」
「たぶん、この人は、八島さんの亡くなったお兄さんだと思う。『二係』の前係長だった。……ある人が言ってたの。『ある人の命が失われ、それが小さな穴となって、堤防を崩しはじめた』って。もしかして……彼が死んだときから、この事件ははじまっていたのかもしれないわ」

(雲外鏡ノ巻・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【2318/モーリス・ラジアル/男/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【2748/亜矢坂9・すばる/女/1歳/日本国文武火学省特務機関特命生徒】
【4424/三雲・冴波/女/27歳/事務員】
【4487/瀬崎・耀司/男/38歳/考古学者】
【5130/二階堂・裏社/男/428歳/観光竜】

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■         ライター通信          ■
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おまたせいたしました。
『【ロスト・キングダム】雲外鏡ノ巻<下>』をお届けいたします。
<上>のライター通信にも書きましたけれど、
いよいよこのシリーズも折り返し地点を回りました。

>シュライン・エマさま
きっと、シュラインさまならお気付きだろうなぁと、思ってはいたのですけどね(笑)。サンカ云々のくだりは、WRとシュラインさまの間だけのヒミツということで(笑)作中では触れないことにしようかとも思ったのですが、せっかくなので。

>モーリス・ラジアルさま
捕虜一丁あがり〜。もう、モーリスさまったら(←意味不明)。
捕虜さんをどうするかは、次のシナリオでのことになりますが、ひとまずは、今回の戦果ということで。

>亜矢坂9・すばるさま
前回、今回とで、WRの中でのすばるさま像みたいなものが、わりといい感じにくっきりしてきたように思います(もし壮大に外していたらゴメンなさいね)。もしかすると、すばるさまはとても、このシリーズにふさわしいPCさまでいらっしゃるのかも……。

>三雲・冴波さま
上下巻あわせてのご参加、ありがとうございます!
もうそろそろ、冴波さんは風羅がらみのエキスパートといっていいでしょう(笑)。キナくさい感じにもなっておりますし、今後ともどうかよろしくと言いたいところです。

>瀬崎・耀司さま
上下巻あわせてのご参加、ありがとうございます!
<上>で撮ったVTRもばっちり放送されています(笑)。途中ジャマが入ったので、一部、お蔵になった部分もあるかもしれません。が、いちおう、デビューということに!?

>二階堂・裏社さま
書きながら、PCさんを掴んでゆくのがリッキー2号の流儀!(なにをエラそうに) そしてそれでわかってきた裏社さんというキャラ、それはマジボケ属性……。シリアストーンの話なので、そうそうボケてもいられませんが、今回はほんのちょっとだけ忍ばせてみました。

リンクシナリオですので<上>とあわせてお読みいただくと、事態の推移がよくわかるかと思います。
このたびは、ご参加ありがとうございました。