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■蒼天に捧げつ白菊の花■
なぜいきものは、永遠と単体でいられないのだろう。
自由なほうが、ずっと、
───楽なはずなのに。
◇
思ったよりも今日は、早い時間にバイトが終わった。バイト先からは時折、差し入れをもらうのだが、今日も遠慮なくいただいてきた夜崎刀真である。
ものは、まだ捌いていない新鮮魚。料理が趣味である刀真の頭の中は、既に今夜の魚料理は何にしよう、と献立がぐるぐるめぐっている。
「瑠宇のやつ、まだ帰ってないのか」
狭いアパートの部屋の中も、居候がいないと淋しい空間に見えるから不思議だ。
いつも何かと忙しい刀真だが、急にこんなふうにちょっとした時間ができると、ふと、自分と、そして共に生きることをなによりもかたく誓約した龍神瑠宇の昔からの「歴史」に思いをはせることがあった。
幾度も繰り返された偶然でできた、今の「必然」。
何もかも、運命は偶然の繰り返しで出来ているのかもしれない。
だからこそ、今の刀真も瑠宇も必然としてこの世に「在る」のだと。
ふ、と刀真のかたちのいい唇が、笑みをつくった。
「偶然ってすごいな」
さて料理にとりかかるか。
考え事は一時中断。なにしろ彼の居候である瑠宇は、これでもかというほどの大食いだ。
差し入れのもらえる今のバイト先を選んでよかった、と、魚を捌きながらしみじみ思う。これがあればこそ、毎月真っ赤な数字に染まる家計簿を見るのも、最近は気楽になっている。
捌き終えた魚はそのまま刺身にして、冷蔵庫にあった、馴染みの八百屋でもらってきた「傷だらけだったり熟れすぎたりして売り物にならなくなった、けれどちゃんと食べられる野菜」を更に厳選し、つけあわせを作る。これに味噌汁をつければ、夜崎家にとってはたいしたご馳走になるだろう。
かちゃり、とそのとき扉が開いた。料理の手を止めずに、気配でそれが「居候」と分かっていた刀真は、声をかける。
「瑠宇、今日は遅かったんだな。ちゃんと手も洗えよ?」
しかし、いつまで経っても返事が返ってこない。
たたずんだ気配は、そのままだというのに。
「? 瑠宇? わ!」
顔を上げた刀真はそこに、服を血だらけに汚して立っている瑠宇を認め、思わず声をあげてしまった。
彼女が怪我をしたのなら、刀真はこんな間抜けな声を出したりしない。彼女が怪我をしたのなら、もとより彼は、瑠宇が帰宅したその瞬間に分かったはずだ。
このとき彼が驚いたのは───その、瑠宇が抱いていた「もの」に対してだった。
きょとん、としていた瑠宇は、「それ」をひょいと刀真に差し出してきた。
「トーマ、この子うちでかっちゃダメ?」
それは、
<ニャァ………>
一匹の真っ白な青い瞳の、仔猫の───幽霊、だった。
◇
とりあえず料理を終わらせてしまい、瑠宇に着替えをさせることにした。
「ねートーマ、この服、もうダメかなあ」
「このくらいならしっかり洗えばちゃんと落ちる、服代だって馬鹿にならないんだからそう簡単に捨ててたまるか。それより早く、そっちの服を着ろ。風邪引くぞ」
「はーい」
分かっているのかいないのか、下着姿のまま、血だらけになった服の心配をしていた瑠宇の手から服を取り上げ、用意した服を指差してから洗濯場へと向かう、刀真である。
血はついて間もないらしく、水洗いでなんとか綺麗にとれた。
「トーマ、トーマ」
「待ってろ、今そっちに行ってちゃんと話を聞くから」
ごしごしと、刀真は服洗いの仕上げをする。
だが、次の瑠宇の言葉に台所に飛んで戻った。
「この子、お魚の上に乗っかってるよ」
死しても好物は変わらず。
そんな幸福そうな顔で、仔猫は。
刀真の快心の作、魚料理の上に、舌なめずりをして寝転がっていた。
◇
瑠宇に頼んで仔猫にどいてもらい、料理を食べながら話を聞くことにしたの、だが。
簡単に言えば、通りすがり、交通事故で死んでいた猫の亡骸を瑠宇が見つけ、埋めてやったところ───その幽霊に懐かれてしまったのだ、ということらしい。
「ホントに偶然って、すごいな」
ぽつりとまた、刀真はつぶやいたものだが。
飼うことには、断固反対した。
「どうして? 面倒は瑠宇がちゃんとみるよ」
「いいか瑠宇」
食べ終えた皿を洗いつつ、刀真は言い聞かせる。
「怪異の類に属する存在は、居るだけで場を歪ませる。だから必要以上に関わるな。俺が言いたいのはそういうことなんだ」
熱心な瑠宇にも気の毒に思ったが、彼は心を鬼にしていた。
ふ、と瑠宇の視線が、腕に抱いている仔猫の幽霊におちる。
「……じゃあ、瑠宇もいちゃダメなの?」
「、───」
刀真の胸が、突かれたようだった。
表面には出さずに、皿を洗ってしまうと手を拭かずに瑠宇の前にしゃがみこみ、指をはじいて水しぶきを彼女の顔に飛ばす。
ちいさな水滴は瑠宇の鼻の頭にかかり、それを追うように、ばか、と刀真は声を発した。
くしゃり、と濡れた手で瑠宇のふわふわの髪の毛を撫でるように頭をこづく。
「分かった。二度とそんなことを言わないなら、その仔猫。飼ってもいいぞ」
「本当!? やったー!♪」
ぱあっと顔を輝かせる、瑠宇。
「約束だからな」
「うん、約束!」
よかった。
瑠宇が元気になったことで胸に安堵が広がっていくのを感じ、刀真はひとり、苦笑した。
◇
もとより。
瑠宇と異なりごく普通の霊体である仔猫は刀真には触ることが出来ない。
そのかわりに、食費もかからない。
ならば手間もかからないだろう。
そう期待していたことが如何に甘かったか───刀真は間もなく知ることとなった。
◇
「トーマ、この子すごい特技持ってるよ!」
と台所で瑠宇が言えば、そこには水道の水を曲芸師のように曲げて自分の口へと吸い込む仔猫の姿。
「トーマ、今夜はこの子と一緒に寝るー!」
とお風呂場からあがってきた瑠宇が仔猫と共に部屋へ駆け戻ったあとには、たくさんの仔猫の毛が一面と風呂場にくっついている。
「おはよー、トーマ、今日は公園まで行くから、この子のぶんもおやつお願いね♪」
と、夜通し布団で仔猫とはしゃぎまわって布団の中身を全部引っ張り出してしまった瑠宇が、寝不足にも勝る楽しさにわくわくとしている朝もあった。
部屋の中で鬼ごっこをしてはカップをひっくり返し、中身を床にぶちまける。
外で遊べと言えば「二人」とも全身泥んこになって戻ってくる。それを洗うと風呂場が汚れる。
結果、刀真の仕事が何倍にも増えただけであった。
「幽霊のクセに水を飲むなおやつも食うな風呂場で毛を散らすな!」
叫ぶ刀真の気持ちも分かるというもの。
もちろん、カップからこぼれた中身の後始末をするのも刀真で。
中身の全部出てしまった布団を、あきらめずに全部元通りにしたのも刀真で。
風呂場の掃除や瑠宇の服についた泥を、安物の、汚れ落ちのあまりよくない洗濯石鹸でぴかぴかにしたのも刀真で。
瑠宇が仔猫は、いつしかセットになっていた。
瑠宇の中でも、刀真の中でも。
仔猫はさも「既に住み着いてしまった新しい家族の一員」のようにごろごろと、いつも瑠宇の傍にいたし、たまに刀真にもじゃれつこうとすることもあった。
瑠宇と刀真の視界というフレームにはいつも、真っ白な仔猫がいる。
そんな毎日が、続いた。
続くのだと───思って、いた。
◇
バイトに行くときに、いつも見送りに出てきていた仔猫が、今日はこない。
大方、ゆうべ散々刀真が叱ったので、ふてくされて、瑠宇のところにでもいるのだろう。
「行ってくる」
遊びつかれて寝ているかもしれないし、小さな声でそう言い、刀真は瑠宇を置いてひとりでバイトに出かけた。
───いつもは、非実体化した瑠宇と仔猫とセットでついてくるのに。
あんまり叱りすぎただろうか。
刀真はその日、差し入れにケーキをもらった。
いつも一生懸命真面目に働いてくれるので特別差し入れ、ということだった。もっとも刀真にとってはバイトは生活の糧。真面目に働くのはごく普通のことだったのだが、もらえるものは拒まない彼である。
(もしかしたら、このケーキ。『あいつ』も喜ぶかもしれないしな)
仔猫のことを、考えながら帰路につく。生身だったらそうもいかないだろうが、幸い幽霊だから、仔猫はなんでも喜んで食べた。仔猫が特に気に入っていた刀真の料理の中の、魚料理、安く簡単に作れるムニエルでも今夜の食事にしてやろうか。
そんなことを考えながら、アパートの扉を開いた。
「ただいま。瑠宇、ちび。今帰ったぞ」
仔猫のことを、ちびだからと「ちび」と名前ではなく呼んでいた刀真を待っていたのは、淋しげにそこに佇んだ瑠宇の姿だった。
「どうしたんだ? 瑠宇。今日はあのムニエル作るぞ」
「、……マ」
「ん?」
「トーマ」
瑠宇は涙を堪えたまま、刀真にしがみつくように抱きついた。
「あの子、
行っちゃった」
───
そうか、と気安く答えられない自分に、刀真は驚いていた。こんなことは、本当に珍しい。
差し入れのケーキを持った手が、いやに重く感じられる。けれどもう片方の手は条件反射のように、瑠宇の頭を撫でていた。
こんな喪失感は、思ってもみなかった。
こんな日がくるとは、思わなかったわけではない。そう、最初の頃は確かに刀真には分かっていたはずだ。頭の、どこかで。分かっていた、はずなのに。
そんなことも忘れるほど。
忘れさせるほど、
仔猫の存在は、大きかった。
名前も、つけてやっていなかった。無理だと分かっているのにじゃれてくるのさえ、叱ったときもあった。
(そうか)
ようやっと、ぷかりと浮かんだその言葉は、けれど、うつろなものだった。
(もう風呂場からあいつの毛の片付けをすることもない。瑠宇の服の汚れを気にして手が痛くなるまで洗うこともない。ケーキもムニエルも、)
───モウ 必要ナイ。
思ったとたん、仔猫が最初にこの家に来た日に、自分が瑠宇に言った言葉を思い出した。
『怪異の類に属する存在は、居るだけで場を歪ませる。だから必要以上に関わるな』
「……、───」
無言のまま、彼は瑠宇を軽く抱きしめた。
「一緒にいてくれ」
それは願いというよりも、確認だった。瑠宇は確かに、これからも自分と一緒にいる───「こんなことは起こらない」。「起きるはずがない」。
心は、
すがるようだった。
瑠宇の声が、涙ぐんだままかえってくる。
「ダメって言われても、そうする」
その夜、この冬初めての。
雪が、
降った。
◇
からりと晴れた冬の青空は、かつての仔猫の瞳のように澄んでいた。
「トーマ、お花、これだけ買ってもいい?」
花屋で数本選びに選んでいる瑠宇がこちらを向くのが分かる。空を見上げたまま、「ああ」と刀真はこたえた。
仔猫がいってしまったあの日から、はじめての休日。
二人は、二人だけで作った仔猫の墓へ、墓参りに行くところだった。
瑠宇は、あらかじめ渡されていた少しの額のお金のうちで、買えるだけの花を買い、刀真のところに戻ってくる。
「白いお花しかなかったけど、喜んでくれるよね」
「青い花に近いのならリンドウは? 今の時世、大抵どんな花も作られてるだろ」
「売り切れだっていわれちゃった」
「残念だな」
「うん」
そんな言葉を交わしあいつつ、ゆっくりと道をゆく。
やがてたどり着いた仔猫の墓は、小さかったけれど。
木漏れ日が墓石の上におち、仔猫が笑っているように太陽の光が揺れていた。
瑠宇が、刀真の作って持ってきた少ないけれどムニエルと、買ったばかりの白菊の花を供え、手を合わせる。
───やがて。
やがて、こんな風に、自分達の周りにいてくれる者たちの墓もできていくのだろう。
ひとつひとつ、ゆっくりとではあっても。
そんな中、常人よりはるかに永い年月を生きる二人は、取り残されて───こうしてひとつひとつ、心の中にも墓を積み重ねて。
けれど。
刀真も瑠宇も、ひとりではないから。
ひとりのほうが、自由だし、気楽だ。けれど。
けれど、
ぬくもりもない。
だから生き物は、単体ではいられないのだ。
こうして隣に誰かがいる幸せがあるからこそ、永いときを生きる虚しさとたまらない孤独を乗り切る勇気も出るし、必死に生きようとすることもできる。
刀真には、瑠宇が。
瑠宇には、刀真が。
かわらず、決して切れることのない絆として、そこに在るから。
いつか、例えばこの世に二人きりになったとしても、───やっていける。
「だいじょうぶ」
ぽつりとつぶやいた刀真の言葉に、瑠宇は「なーに?」と振り向いた。きらきらと、そこには瑠宇という生命力が確かに息衝いている。
ほっとしたように、刀真は、少しだけ微笑んだ。
「なんでもない」
瑠宇の、美しくなびく髪のかたわらで。
白菊の花が、仔猫がよろこんだときに出す声のように、
幸せそうに、風にゆれていた。
《END》
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こんにちは、ご発注有難うございます。今回、「蒼天に捧げつ白菊の花」を書かせていただきました、ライターの東圭真喜愛と申します。仔猫さんのどたばたエピソードが本当はもっとあったのですが、あまりだらだらと長く書くと、肝心な部分が引き立たないかな、と思いまして多少削ったところもあります。また、仔猫さんの外見的特長は、ラストの白菊の花と蒼天を出したかったため、こちらのほうで勝手に「真っ白で青い瞳」と決めてしまいましたが、ご不快に思われましたらすみません;他にも、違和感などありましたら遠慮なく仰ってくださいね。今後ご縁がありましたときの参考にさせて頂きます。
悠久を生きる孤独、そして二人の絆───こういうテーマは個人的にとても大好きなので、書いていてつい、力の入ってしまった部分もあります。
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで書かせて頂きました。本当に有難うございます。
お客様にも少しでも楽しんで頂ければ幸いです。これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
【執筆者:東圭真喜愛】
2005/11/30 Makito Touko
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