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<東京怪談ノベル(シングル)>


ゆったりと、ゆっくりと。〜空に寄せて〜


 本の付喪神達との会話は、あの夜からもう長いこと続いている。
 朝早くに用がある夜は無理だけど、それ以外なら夜明け近くまで話し込むのが日課になってきていた。つまり、持てる時間を全て使って彼らと付き合っているってこと。
 それぐらい、楽しかったんだ。


 「だからさ、あれを使うと紙が破れちゃうのよ。分かる?紙ってことは、私の体ってことよ!」
 真夜中の書庫に響き渡るきいきい声。高音のそれは俺を鋭く非難していた。
 「そうかそうか……そうだよな。面目ない」
 「私なんてちゃんと読んでもらった記憶がないわ。論文を書いている最中ばかりで、パソコンと体の間で窮屈だったんだから。大体、私の中に書いてあることちゃんと分かってるの?」
 「ええっと、その本には……」
 持っている知識を全部使って応戦する。確か……と有名な心理学者の名前をあげた。その心理学者の論理に対して、の文章だったと記憶している。
 「ブー。それってあんたが『あ、ここここ、ここが欲しかったんだよ』って論文に使った箇所でしょう?その後ちゃんと読み進めていけばもっと大きなことが書いてあるのよ!哲学的なんだから」
 そうじゃないよと否定できないところが悲しい。俺にできるのはもう謝ることだけだ。
 「め、面目ない」
 そうかと思えば老人の声。ゆっくりと話すその声は今度は俺にじゃなくて、さっきの本に話があるらしい。
 「哲学的だとか、別に偉ぶることでもないじゃろう。儂はのう、」
 「娯楽でしょう?」
 「娯楽は大事じゃろうが」
 「そ、その辺で」
 ―――――こんな感じだ。万事こんな調子。
 扱いを責められたり本の内容について話したり、時には本同士の話を傍聴したり。
 真夜中に行われる会合はとても楽しくて、新しい発見も数々あって。俺はとても楽しみにしていた。
 俺って、結構色々なものを集めたり本の扱いがなってなかったり未読の本があったり。これらは全て本の付喪神達が教えてくれたこと。小さな、新しい発見だった。


 昼の光が眩しい。真っ直ぐな光が俺の睡眠を刺激する……あれ、それってちょっとおかしいなあ。
 「ふああ……」
 あくびを噛み殺す。日中は仕事にせいを出して夜中は付喪神達と話して。充実した毎日だなあ、実に充実した毎日だ。充実感を携えて書庫を覗く。昼間はやっぱり出てこないんだな。書庫を少し行った先、そこにある本を手に取った。
 絵本だ。
 この絵本も付喪神となっている。
けれど、俺はこの本とは話したことがない。この本を人間で例えるなら内気な少年、といったところか。診療に来る何人かの面影を重ねてみる。
 ―――――この絵本の存在に気付いたのは、もう、かなり前のことになる。
 最初は何か気配のようなものを感じた。それは真っ直ぐに俺に向かっているような気がして、俺はまだ話していなかった付喪神がいることに気付いた。
 「あれ?そこにいる本も付喪神?」
 「ああ、あいつは……」
 付喪神の一人が言葉を濁した。その後すぐに他の付喪神が受け継いだ「あんまり話さないよ、話が苦手みたいなんだよね」
 「そうなのか?おい……」
 話しかけてみる。けれど返事は聞こえない。そこに在る気配は感じるのに、虚空に向かって話しかけてみるみたいだった。
 そういう始まり。それでいて、これ以降何一つ進んではいない。あいつは俺に話しかけてはこなくて。俺が話しかけても答えてはくれない。それでも存在だけは感じることができて。
 手に取った。
 話ができない今、こうやって手に取るのは反則のような気がしていて、今までできなかったんだけど。どうしても気になったから……
 「これ」
 それは、俺が子供の頃大好きだった絵本。しっくりと、手に馴染む。
 タイトルは『空の国』。
空に憧れていた子供の頃何度も繰り返し読んだ記憶がある。ふっと、思い出した。あの頃は暇さえあればこの本を開いて、物語もスラスラ諳んじられる程になっていたっけ。今じゃ最後のページしか覚えていないけれど。
記憶は曖昧。あんなに覚えていた内容は、今じゃ懐かしい昔のことで。
 それでも、俺にとってこの本はとても大切で、大事だった。その気持ちは今でも鮮明に存在している。
 『空の国』を手に取り、手のひらで撫でる。あの頃よりも大きくなった手で、低くなった声で告げた。
 「恥ずかしいんだったら、何も話さなくてもいい。ただ、この言葉だけは聞いて欲しい」
 息を吸う。本を持っている。頭上には空があって、俺は今地上に立っている。
「ありがとな、大切な絵本……」
 

 声は虚空に響いて、そうして空に届けば良い。
 俺はそう思うくらいに、多分、きっと……大人になったから。だから
 『ありがとう』