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<東京怪談ノベル(シングル)>


少女達の心

 人工に覆われた東京も郊外にはまだいくらか自然が残っている。と、人間は言う。けれどアンネリーゼ・ネーフェは知っている。彼らが自然と呼んでいるのは純粋なそれではなく、単に緑の踊る光景でしかないことを。現にこの商店街の大通りを縁取るのは人の手によって植樹された外来種ばかり。東京の自然は、枯れかかっていた。
 アスファルトの上をアンネリーゼは真っ直ぐに歩いていた。左手にはいつも傍らにあるべきレト・ミューズが握られている。楽器にも弓にもなる巨大なそれを、一体なんなのかと人はすれ違ってから振り返ってまで確かめようとする。
 好奇の目には慣れていた。中にはアンネリーゼをわざわざ呼び止めて、用途について質問する人間もいるからだ。だが、そういった輩は大抵声を出すか、もしくはアンネリーゼの肩を叩くかする。
「ねえ」
声をかけるなりレト・ミューズのアームをいきなり掴み、ぐいと引っ張って呼び止める人間は初めてだった。
「・・・あの」
足を止めたアンネリーゼは、その相手を申し訳ないですけれどという風に軽く睨んでみせる。
「すみませんが、手を離していただけませんか?」
大切にしているレト・ミューズを無造作に触られるのは正直嫌だった。他の人からただの道具かもしれないが、アンネリーゼにとってはかけがえのない半身なのだ。内蔵に心臓に、いきなり触られたような心地である。
「ん?ああ、悪いね」
呼び止めたほうはアンネリーゼの不快そうな声に気づくと、気軽に謝罪し手を開いた。見上げるように作られた笑顔はあどけない少女のようでもあり、またそのように装っただけとも思われ、アンネリーゼの目からは彼女が何歳なのか、見当できなかった。
「わたし、エヴァ・ペルマネント。あなたは?」
「アンネリーゼ・ネーフェです」
初対面だからとりあえず名乗りあうのは礼儀のうちと思いつつ、どこかエヴァに対し奇妙な感覚が拭いきれない。この違和感は一体、なんなのだろう。
「ね。ちょっと来てくれる?」
多分それは、彼女のこの唐突さのせいなのだろう。相手の反応を見ずに自分の意見ばかりを押しつける、うんざりと嫌気がさす寸前の可愛らしいわがまま。本当は違うと心が騒ぐのを押さえつけて、アンネリーゼはそう考えることにした。
「構いませんけれど」
心に従い、彼女の本当の顔を見ようとするのは大木の根を掘り起こそうとすることのような気がした。

 エヴァに連れられてきたのは、商店街を抜けた先にある新興住宅地の端の端。一片が数メートルしかない小さな空き地だった。砂利の散らばる地面からは緑の茎が何本か伸びているのだが、隣の二階建てに日光を遮られているせいか成長が悪い。
「プリムラですね」
「すごい」
アンネリーゼが茎だけで花の種類を当ててみせたので、エヴァは子供のように目を輝かせて驚いた。さらにアンネリーゼは膝をついて地面に触れ、意識を集中させることで地中には伸びきれずそれでも死にきれず耐えている種が埋まっていることを探り当てた。
「どう?」
前屈をするようにエヴァは腰を下り、柔らかな姿勢から小首を傾げ、流し目でアンネリーゼの顔を覗き込んだ。
「助けてくれない?」
その仕草は猫に似ていた。媚を売るようでしかし決してなにも与えようとはしない高慢な美しい猫、そして同時に肉食獣特有の誘惑的な危険な香りをも漂わせている。あの爪に、牙に殺されるとわかっていても遠ざかることができない、目が放せない。理性が、本能の前に頭を垂れる。
 力を込めて目を閉じたアンネリーゼは、頭の中でリバイバル・ブレスを唱えた。別のものへ意識を集中させる他にエヴァから目を逸らす方法がなかったのだ。
「大地よ、この花に再び力を・・・」
大自然と同じ場所に魂を置くアンネリーゼは、感覚に弱い。人の持つ気配にひどく影響を受ける。花が歌を聞くことで美しい花を咲かせるように、口論の中で枯れていくように。エヴァからもなんなのか言葉にはできないのだけれど、尋常ではない雰囲気を当てられてしまった。
「このままでは引きずられてしまう」
意識が遠のきそうになったアンネリーゼを救ったのは、小さなプリムラの花弁から漂うかすかに甘い香りであった。
 目を開くと、小さな空き地いっぱいにプリムラが広がっていた。色とりどりのつぼみが膨らみ、あるいは咲いた姿で、健気に茎を伸ばしている。アンネリーゼは蘇った花畑を呆然と見回し、そのままエヴァへと視線を動かした。エヴァは、花畑の中にしゃがみこんでほの赤いつぼみを物珍しげに触っていた。

「助けてって言ったら、ほんとに助けてくれるのね」
自分に注がれている視線に気づいたエヴァは、さっきの蠱惑的なものとは違う純粋な顔で微笑んだ。花の匂いは人の心を惑わすこともあるしまた逆に迷った心を正気に戻す作用もある。
「・・・あなた、どうして私の力のことを・・・」
わかってるくせに、とエヴァはなおも目を細める。
 エヴァがアンネリーゼの能力を知っていた、ということはつまりエヴァ自身なにかの能力者である可能性が強かった。そしてエヴァは否定する様子を見せようとしないから、その通りなのだろう。
「安心してよ。わたし、ただどんな花が咲くか見たかっただけだから。これ以上無理はさせない」
本心を隠して、エヴァは上手に嘘をつく。彼女の本当の狙いは、アンネリーゼの能力とそして人間性を見極めることだったのだ。
「綺麗よ、花」
ごく自然に花を愛する言葉を口にするエヴァ。だがなんの罪もない顔で美しく咲いた一輪を摘み取り、匂いを嗅ぐ様はアンネリーゼにとって残酷だった。
「ね?」
「・・・ええ」
それでも、エヴァが同意を促してくるので仕方なくアンネリーゼは頷く。花を摘むのをやめてほしいと言っても恐らくエヴァには通じない、そんな気がした。
「元々この大地、エルデは豊かな自然に覆われていたのです。森に、池に、山に」
「花に」
摘んだ花を髪にさして、エヴァはアンネリーゼの言葉を途中から奪う。そうですね、とアンネリーゼは頷いて再び言葉を取り戻す。
「・・・けれど、いつしかいろんなものがエルデを傷つけるようになりました。自然が耐えることしかできないのをいいことに」
「損な性格ね」
「え?」
「こんなに咲いている花を見て、枯れていくことを恐れるしかできないなんて。今はただこの美しさを愛していれば、それでいいのに」
「確かに、あなたのとおりにできればどれだけ幸福でしょう。でも、それを許さない者たちがいるのです。たとえば・・・」
と、アンネリーゼは世界を脅かす存在の名を挙げる。世界を滅ぼすことで新たな進化が生まれると信じテロ行為を行っている組織、『虚無の境界』の名前を。

 すると、どうだろう。今まで花に戯れる蝶のようにアンネリーゼの話を聞いていたエヴァの目つきが変わった。
「ちょ、ちょっと待って。破壊することだけで全てのものを同じに見るのはやめようよ。あれは、違うよ」
「どう違うのですか。自然を壊し、エルデを滅ぼそうとしているではありませんか」
「でも」
と、エヴァは日光を遮る二階建てを指さす。
「これを壊せば、ここはまた日の光を浴びることができる。そうすれば花畑は蘇るんだ。そういう、再生のための破壊ってあるだろう」
「・・・・・・」
アンネリーゼには、よくわからなかった。自然を取り戻したいと願ってはいたが、人間の作ったものを破壊するという思考が存在しなかったからだ。彼女にできることは、ただひたすら傷ついた部分を癒し蘇らせるということだけ。
「だから」
さらにエヴァは言葉を続けようとしたが、なにやら気まずい雰囲気を察し口ごもった。これ以上『虚無の境界』を擁護するようなことを言えば、アンネリーゼの不審をかきたてることにしかならないと気づいたからだ。
「・・・帰る」
急にエヴァは、拗ねた子供のように唇を尖らせた。遅くなったら叱られるから、と小学生のような言い訳。細い指がさした方向には、赤く沈みつつある太陽。
「帰るよ、さよならだ」
「そうですか、では私も帰りましょう」
二人はどちらからともなく立ち上がり、空き地の前の道を左右へと別れた。アンネリーゼは商店街へ戻る道を、エヴァはさらに町から離れるほうへ。
 右へ曲がらなければならない角のところでアンネリーゼは一度、踵を返し来たほうを振り返ってみた。すると、エヴァもちょうど同じようにアンネリーゼを見ていた。遠目だったが笑顔を作り、手を振っているのがわかる。だからアンネリーゼも同じ仕草を返したのだが、二人はその手の平にそれぞれ相容れないものを感じ取っていた。
 少女たちの共通点といえば、その肌からかすかに昇るプリムラの残り香だけであった。