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■星に願う■
いきているにんげんのきもちが、いきているがゆえ、かわってしまうものだというのなら。
せおっているものも、かえられるのだろうか。
かわって、
ゆけるのだろうか。
◇
───ほし
そうだ ぼくは・ほしをみた
「お」
目を開けたとたん、そばにいた気配が動いた。と同時に、視界にサングラスの男が入ってくる。
「どうだ? 調子は」
彼は草間武彦。たまに静が依頼を引き受ける、興信所の主である。
見慣れぬ部屋に、だがすぐに、独特のにおいでここが病室だ、と分かった。そう───無事に仲間と共に依頼人とその妻を地獄から救い出し、最後に皆で降るような流星群を見た。
それから───その依頼のために自分がおこした行動の結果、怪我と極度の疲労、衰弱により倒れてしまった。そんなところだろう。実際、皆で帰った記憶もない。
「草間さん、ついててくれたんですか?」
もう、夜も遅いのに。
「まあ、個室だしな。依頼の結果倒れられちゃ、せめて意識が戻るまではって思ってな」
さすがに、武彦のトレードマークの一つである煙草は吸っていない。
あたりを見渡す───個室にしては味気のない病室。恐らく救急で運ばれ、こんな部屋しかすぐには用意できなかったのだろう。手首からつながれた点滴を発見する。
「悪いな、一番安い部屋頼んだんだ。相変わらず貧乏なもんでね」
静の様子を見て、武彦はにやりと悪戯っぽく笑った。そして、
「あまり無茶はしないでくれよ」
と、いくぶん真面目な声で言う。
静はただ、微笑むのみだ。
「けど、草間さん。それで依頼は達成できたんですから」
そう───達成できたの、だから。
◇
それは何かの偶然の鉢合わせだったのかもしれない。
依頼を受けても、何をしても、
自分は誰も救うことはないと思っていた。
だから、きっと───今回依頼人を「救う」ことができたのも、偶然に違いない。
目を閉じると、まぶたの裏に、最近できた大事な、守りたいと思える人たちの姿がうかぶ。
前の静はもっと昏い闇の中で、混沌とした意識を持ちながら生きてきた気がする。それが、色々な人間達との接触により、守りたい気持ちが出てきた。明らかに以前とは変わった自分が、気づくとそこにいる。
けれど、それを素直に実行にうつすことは、静にとって今までの人生をも覆すと同じことだった。
それほどの過去を───彼は、背負っていたから。
それは、決して彼が望んだ過去ではないけれど。
彼の罪ではないのだけれど。
それでも彼は、背負わなければ生きていけなかったのだ。
<、 、 、 、>
こころのなかで、しにがみのこえがいつもきこえてくるようなきがして。
菊坂静という器(いれもの)の中には、死神が棲んでいる。文字通り、息衝いている。
守りたくても。
───いつか、
大切な人の命を、自分が狩ってしまうかもしれない。
そんな不安が、静に時折夢を見させた。
とびきりの、悪夢を。
あるときは、なきながら。
あるときは、くるったようにわらいながら。
静は夢の中で、大切な人の命を狩るのだ。
そのたびに、夢の中にいる、その夢を客観的に見ているもうひとりの静は、泣くことすらできぬほどの哀しみと痛みを胸に、おもうのだ。
無駄なことよと死神に夢の中、笑われようとも。
幾度となく、これがお前の現実だと夢の中で大事な人の命を狩られ続けようとも。
(それでも、一緒にいたい)
時を共にして、心が動いて。
(守りたい)
大事に思ってしまって。夢の中でとはいえ、死神に狩られるのを見るのは、つらい。
その人たちの血しぶきが、夢の中の「もうひとりの」静にふりかかっても。
「静」がもうひとりの静を振り向いて、これみよがしに、自分ではない人間のもののような残虐な笑みをみせても。
<おこがましい>
そんな、死神の声。
その通りなのかもしれない。けれど。
(それでも、その人たちが……誰かに狩られるくらいなら自分が……)
大事ナ 人ノ 血シブキヲ アビルクライ ナラ
それは、
静の、願いと覚悟。
相反する心にひとりずっと、悩んでいた。
依頼人を救えたことは、偶然だったのかもしれない。けれどそれは、「かわってゆける前兆」なのかもしれないから。
◇
どれだけの間、沈黙していたのだろう。
武彦は、眠ってしまっただろうか?
目を開き、ああ、これは夢ではないと肩の力を自然と抜く。
疲れがとれていなかったせいも、あったのかもしれない。
病室が、とても静かで清かったせいかもしれない。
静は、唇を開いていた。
かすれた声で。
皆で見た、あの星に願いを託すかのように、たずねた。
「草間さん」
こくりと、小さく、乾いている喉を鳴らす。
「僕は誰かを守れると……誰かと共に生きられると思いますか?」
考え事でもしていたのか、丸椅子に座りうつむいていた武彦が、顔を上げてこちらを見る。
静は年不相応のおとなびた微笑みを浮かべていた。
こころはいつも こごえていた
なくことすらできないかなしみを・かかえて ほほえむしか・すべが・なかった から
否定されることも、覚悟の上だった。
まるで裁判の結果を待つ加害者のように、静は寝台の上に横たわって返事を待っていた。
とくん とくん とくん
右の手首にうがたれた、「傷」が脈を打つ。
点滴から流れ込む液体を、身体中におくってゆく。昔の記憶と様々な傷と共に。
武彦はふと立ち上がり、静に背を向けた。
こつんこつんと靴音をたて、狭い個室の窓際へと歩み寄る。
「最初お前が依頼を引き受けて対面するまでは俺、名前から、女だと思ってたんだよな」
静の問いを、ちゃんと聞いていたのだろうか?
武彦の意図が分からない。静はちょっと首をひねり、武彦の背中を見る。
「年寄りだからかな。『静』っていう名前だと、静御前を連想するんだよ」
「静……御前?」
「そう。名前くらいは知ってるだろ? 歴史に出てくる義経の、まあ、奥さんだ」
武彦には見えないと分かっていながら、静はつい、こくんとうなずいた。
それが分かったように、武彦は続ける。
「有名な台詞のひとつに、こんなのがある。まあ、知ってるかもしれないけどな。『思い返せば古も恋しくもなし』。今のお前は、『それ』か?」
一瞬、たずね返された意味がわからずに、静は考えた。口の中で、つぶやいてみる。
───おもいかえせば いにしへも こいしくもなし
(あ……、)
正確な訳ができたわけではない。
けれど、
静の胸に、「その意図」は、かちりと喪ったパズルを見つけたようにはまった。
むかしをおもっても
むなしくて
かなしくて
ただ ただ せつなくて
こころが、涙を流すのがわかった。
いつからか心の核に、大きな杭のように射ち込まれた静の傷から、何度も流れていた涙が。
また、ないている。
静の瞳のかわりにないている。
(過去は、僕の過去は……)
静の瞳のなかに、武彦は何を見たのだろうか。振り返っていた彼は、微笑んだ。
「そうだとしても、『それでも』誰かのためを思いたいんだろ? 誰かを大事に思って生きていきたいと思うんだろ?」
ちいさく、静はうなずく。
───だって、静の大事な人達はまだ、いきているから。
まだ、「古」ではないから。
「そう思えるヤツが変われないなんて俺は思っていないし、守れないほど弱いとは思わない」
見ろよ、と、小刻みにわずかに震える静から再び窓の外、夜空に視線を投じる武彦。
「まだ降ってる。流星群だ」
あ・あ───………
震えているのは、まさかと思っていた、けれど強く望んでいた───肯定の言葉を聞いたから。
ずっと待っていた気がする。こんな瞬間を、静は。
こんな小さな瞬間を、ずっと。
誰かに言ってもらいたかった気がする。
指差した武彦の向こう側がみえる。
狭い個室に、感謝した。寝台の上からでも窓の外、夜空は見えた。
星が、降っている。
我知らず、静はその星達に願いをこめていた。
おこがましいかもしれないけれど。
泣くことすら赦されなくても。
何もかも喪った過去でも罪を持った過去があっても。
願うくらいならば、赦されるかもしれないから。
その夜、静の夢に、死神は出てこなかった。
一夜だけでもと誰かが見せてくれたのかもしれない。
それは、
たくさんの降るような星空を地面にして、大事な人達と、それこそ夢のように、
心の底から笑いながら未来へと続く光る星の道を歩いてゆく、夢だった。
◇
そうだ ぼくは・ほしをみた
だから
だから・いつか
いつか、
───きっと。
《END》
**********************ライターより**********************
こんにちは、ご発注有り難うございますv 今回「星に願う」を書かせて頂きました、ライターの東圭真喜愛です。
静御前の話題を出したのは、東圭の趣味になってしまうのですが、いつか本物を見たいと思っている能の「二人静」に出てくる台詞と、静さんの過去に対する想いが、原因や境遇は違えどわりと酷似しているのではないか、という二つの理由からでした。悪夢の部分やラストの部分等、結構好きに書かせて頂いてしまったので、イメージされていたものと違うかもしれません;もしそうでしたら、遠慮なく仰ってくださいね。今後ご縁がありましたときの参考にさせて頂きますv こっそり心の中でつけたサブタイトルは「−夢に見る未来−」だったりします。静さんの未来が、幸あるものでありますよう。
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで書かせて頂きました。本当に有難うございます。
お客様にも少しでも楽しんで頂ければ幸いです。これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
【執筆者:東圭真喜愛】
2005/12/05 Makito Touko
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