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<東京怪談・PCゲームノベル>


CallingU 「腹部・はら」



 誰かにあげるというわけではないが。
(今年は編物にチャレンジ、です)
 拳を握りしめて決意する橘穂乃香は今まさに自分の屋敷を抜け出すところであった。
 こうでもして抜け出さないとゆっくり買い物ができないからだ。
 屋敷を抜け出すことに成功した穂乃香は安堵と歓喜の笑顔を浮かべて意気揚々と歩き出す。
 何色の毛糸を買おうか。どんなものを作ろうか。
 そんなことに思いを馳せ、穂乃香はうきうきしてしまう。
 そういえば。
(ひなちゃんは手芸とかなさるのでしょうか……)
 あまりピンとこない。
 眉間に皺を寄せてから穂乃香は首を傾げた。
 彼女の言う「ひなちゃん」とは、遠逆の退魔士・遠逆日無子のことだ。
(でも……ひなちゃんは指先が器用な感じがしますし)
 ちょちょいのチョイ! と言いながら作りそうなイメージがある。
(……面倒くさいことはお嫌いかもしれませんけど)
 えー、んなメンドイことやらないよー、あはは。
 なんて笑いながら言いそうなイメージもあった。
 こうして考えると穂乃香は日無子のことをほとんど知らないことに驚く。
 そうだ。いつも笑顔だから誤魔化されるのだ。
(ひなちゃんはいつも笑顔ですよね、そういえば……。あまりムッとしたり、怒ったりすることがない感じがしますし)
 愛想がいい、というものを体現しているような。
 けれども非情に徹しそうな雰囲気もあるのだ。
 そんな日無子を見たら……穂乃香は恐怖のあまり自分がどうなるか……心配でならなかった。



 買い物を済ませて帰路につく。
 欲しい毛糸はとりあえず全部買ってみた。初心者なのだから失敗するだろうということで。
「ちょっと買いすぎたでしょうか……」
 ビニール袋に入った毛糸を見下ろす。袋からはみ出していた。
 重いので両手で持って歩いていた穂乃香は途中で石に躓いてバランスを崩す。
 がくんと前のめりになったが踏ん張った。こんなところでコケたら大惨事だ。毛糸が周囲に散らばってとんでもないことになるに違いない。
 だが袋から落っこちた一つが転がっていってしまう。
「ああ……っ」
 慌ててがさがさと袋を持ち直して穂乃香は転がっていく毛糸玉を追いかけた。
「ま、待って……っ」
 息をきらせて走る穂乃香はやっとのことで止まった毛糸玉に追いつく。
 ほっとして拾い上げ、周囲を見回した。
(この道には入ったことないです……ね……)
 なんだか暗い道だ。
 路地裏をきょろきょろと見ていた穂乃香は袋に毛糸をおさめると、びく、と動きを止める。
 気づかなかった。
 夕暮れの電柱の下に、長い髪の女が立っている。
 黒髪に隠れた表情と、猫背でいる様子から穂乃香は不審そうに見つめた。
(さっき見た時はいなかったような気が……)
 そこまで思って、ハッとする。
 女の足もとには影が無い。
 穂乃香の全身からどっと汗が出た。
(つき……憑物……?)
 ゆっくりと向きを変えて歩き出す穂乃香。自分の一歩一歩を確かめる。
 大丈夫。自分は歩けている。大丈夫。ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから…………!
 重く感じる足を一歩ずつ前に出す穂乃香は、自分の心臓の音だけを聞いていた。
 ああ、お願いです! どうか、このまま何事もなく無事に帰れますように……!
 路地裏から出ようとした直前に、穂乃香はがくんと前に姿勢が倒れた。
 冷汗がでる。
 ゆっくりとそのままの姿勢で視線だけを足もとに向けた。
 足首に絡みついている細い黒い糸。
 …………いや、糸ではない。
 これは糸じゃない!
(……か、かみの、け……)
 なぜだかわからないが、この髪は先ほど見たあの女性のものだと、思った。
 どうしよう。
 震える穂乃香がゆっくりと……ゆっくりと振り向く。
 おねがいです。どうか、あそこから動いていませんように……。
 そう、願いながら。
 電柱のそばには、女はいない。
 穂乃香の後ろには誰もいなかった。
 ほっと安堵して息を吐き出してから、穂乃香は悪寒に震える。
 視線をまた下げて、自分の足を見た。足首に絡まっていたはずの黒髪はない。
 ……ない、が…………両足首を、手で掴まれている。
 青白くて細い手が、しっかりと穂乃香の足を握り締めていた。
 悲鳴も、なにも、穂乃香は出せない。ただ恐怖によって足が地面にくっついたように動かないのだ。
 泣きそうだ。泣けば楽になれると本能が言っている。一時的にでもこの恐怖を紛らわすことができるなら……と。
 ちりーん……。
 鎮魂の為の鈴の音のようなものが、響いた。
 ざんっ、と穂乃香の目の前に誰かが降り立つ。ばさっと着物の袖がなびいた。
 顔をあげたその人に、穂乃香は目を見開く。
(ひなちゃん……!)
 遠逆日無子はすぐさま影を手に集め、刀の形に変化させた。
 穂乃香の足首を掴む手首を見もせずに、電柱目掛けて走り出す。
 彼女は刀を振り上げた。
 なにもないはずだ、そこには。
 だが日無子は止まらない。
 女がさっきまで立っていた場所目掛けて刀を振るう。
 横に振った刀の軌跡が、一箇所だけ残った。空中に妙な傷が残ったのだ。
 すぐさま日無子が巻物を開き、そして閉じる。
 彼女は刀を落とした。瞬時にそれは影に戻ってしまう。
 穂乃香はもう一度足もとを見て「はー……」と深く息を吐き出してその場に座り込んでしまった。黒髪も、手も、ない。
「おやあ? 橘さんだ。こんなとこでどうしたの?」
 にこっと微笑んで言われて穂乃香は涙目で日無子を見る。
「う……っ、こ、怖かったで、す……っ」
「…………」
 ぽかーんとする日無子は近づいて来て穂乃香に手を差し伸べた。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
 日無子に手を掴まれて立たせてもらう。
 穂乃香は日無子を見上げた。彼女はいつもと同じようににこにこと微笑んでいる。
 俯く穂乃香に彼女は不思議そうにした。
「どうかした?」
「……ひなちゃん、やっぱりとってもお強いです」
「そうかなあ。今回は見えないやつをただ斬っただけなんだけど」
「強いですよ」
 ぽつりと言う穂乃香の顔を、日無子が覗き込む。
「また……助けてもらってしまいました……」
「んん?」
「いつも助けてくれるわけではないと、言われてましたのに…………なにやら、申し訳ないです……」
 鼻声で言う穂乃香は、目に浮かぶ涙を手の甲で拭った。
 本当に怖くてたまらなかったのだ。
「わたくし……世間知らずで……」
「…………」
 日無子は穂乃香を見つめていたがなにやら考えるようなしぐさをする。
 穂乃香の頭に、恐る恐る手を置く日無子はぽんぽんと撫でるように動かす。
 きょとんとして日無子を見遣る穂乃香。
 もしかして、慰めてくれているのだろうか?
 そう思って見た日無子は、眉間に皺を寄せていた。
(な、慰めてる顔じゃないです……)
 怪訝そうな穂乃香は、自分の頭を撫でている日無子がしかめっ面なのに不思議そうだ。
「あ、あの……ひなちゃん、どうしてそんな顔を……?」
「へ?」
「いえ、あの……なんだかその」
 面倒そうな顔で……と、呟く穂乃香の言葉に日無子は手を止める。
「いや……あたしって記憶がないからさぁ……。どうやって他人を慰めてたか皆目見当がつかなくて」
「記憶がない!?」
 驚愕に涙が引っ込んでしまう。
 日無子は撫でていた手を己の後頭部に遣る。リボンが揺れた。
「うん。一年くらい前に事故に遭ったんだけど、そのせいで記憶がないのよ」
「それは大変ですっ!」
「そうかなあ……べつにそんなに困ってないよ?」
 心底そう思っているような日無子の告白に、穂乃香は唖然とした。
 変わっているなとは思っていたが、ここまでとは。
(さっきの顔……自分がどうやって慰めてたかわからなくて、だったんですね)
 穂乃香はにっこり微笑した。
「ひなちゃん、記憶……早く戻ればいいですね……」
「うーん。まあ戻ったほうが楽かもね」
 どうでもいいように言う日無子は、記憶が戻るのにさして興味はないようだ。本当に変わっている。

 日無子は穂乃香と一緒に歩いていた。屋敷まで送り届けてくれるそうだ。
(親切じゃないって言ってらしたのに……)
 暇なんだろうか、今は。
 穂乃香は隣を歩く日無子を見上げた。
 記憶喪失なのに、それを苦にもしていない。不思議な人だ。
「あ、あの」
「ん?」
 話し掛けると日無子が視線を向けてくる。
「もっと……危ない場所の噂など、きちんと知っていたほうがいいですよね? そうすれば、ひなちゃんに迷惑をかけることもないです」
 うかがうように慌てて言うと、彼女はきょとんとしてからにこっと微笑んだ。
「そうだね。まあ、それで多少は安全になるとは思うよ?」
「……ひなちゃんは、どうやってそういう噂とか集めてるんですか?」
「あたし? あたしはいっつも外をうろうろしてるからね、自然とそういうのは耳にするよ」
「外をうろうろ、ですか?」
「退魔の仕事って地道だからね、意外と。一日に仕事が全然ないってことも多いし、そうしたら時間が空くから色んなところを歩くの」
 穂乃香は驚く。そんなに地道な作業とは思わなかった。
「気になるところがあったら後で調べておこうかなっていうのも多いよ」
「そうだったんですか」
 ふと、気になる。
「記憶は……少しも戻ってないんですか?」
「戻るかな〜って思いながらほとんど毎日うろうろしてるんだけどね。まあそんなに簡単にいかないみたい」
「え?」
「あたし、一年前に事故に遭った場所、東京なの」
 どこか思い入れのある場所だったら思い出せるかな〜って。
 あははと笑いながら言う日無子の手を、穂乃香が握りしめて繋いだ。日無子は「ん?」と首を傾げた。
 自分の小さな手でも、日無子の力になれればいい。そう思って。
 屋敷に着くと、日無子の手を穂乃香は放した。ここで今日はお別れだ。
「あの、今日はありがとうございました」
「気にしないで。偶然だったし」
「ひなちゃん」
「ん?」
 がんばって。げんきだして。
 うそ臭いセリフなんてきっと、いらない。
「また会ったら、もっとお喋りしてください」
 笑顔でそう言うと、日無子はにっ、と笑ってみせた。
「さて。それはどうだろうな。じゃあ、橘ちゃん気をつけてね」
 ばいばい、と手を振って日無子は去っていってしまう。
 残された穂乃香は呆然として、挙げていた手をゆっくりと降ろした。
「た、たちばな……ちゃん?」
 頬を赤く染めて穂乃香は喜びに小さく困ってしまう。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【0405/橘・穂乃香(たちばな・ほのか)/女/10/「常花の館」の主】

NPC
【遠逆・日無子(とおさか・ひなこ)/女/17/退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、橘様。ライターのともやいずみです。
 名前の呼び方が変わりました。いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!