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<東京怪談・PCゲームノベル>


VOICE


 「・・・・・・と、いうわけでしてねえ」
 沢木・氷吾(さわき・ひょうご)はゆっくりとカップをとり、中の紅茶をこれまたゆっくりと喉に流し込んだ。さらさらした黒髪、穏やかな顔立ち。静かに微笑んでいるように見えるのは糸目のせいか。薄い体を包むコートもスーツもシンプルだが、決して安物ではない。煙草のにおいのしみついたお世辞にも立派とは言えない草間興信所のオフィスには少々似つかわしくない男ではある。
 「で、俺の所に来たってわけか」
 「さすが草間先輩。話す手間が省けて助かりますよ」
 沢木はふわりと微笑んだ。何の邪気も裏もない微笑に草間はむずがゆさを覚え、ぼりぼりと首のあたりをかきむしる。そして無駄と知りつつも抵抗を試みた。
 「またうるさがれるんじゃないのか。おまえのところの課長も同僚たちも嫌がってるんだろう、おまえのやり方を」
 「やり方に拘泥して事件解決が遅れるくらいなら、僕は皆に白眼視されても信念を貫きます」
 細い目が静かに開く。穏やかな双眸には強靭な光が宿っていた。“小回りの利く民間機関を効率的に活用しながら迅速に捜査を進める”。それが沢木のポリシーだ。しかし警察の人間、特に凶悪犯を一手に引き受けているというプライドのある刑事課はそれを快くは思っていない。
 「それに」
 沢木はふっと微笑んだ。「平気ですよ、少しくらいの無茶は。僕には強い味方がついていますから」
 沢木の笑顔に草間はうすら寒さを覚えた。強い味方。それが誰であるかくらい、草間も知っている。
 「それでは有能な助っ人さまをお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします」
 沢木はコートを手にかけて立ち上がり、丁寧に腰を折って草間のもとを辞した。
 
 
 
 宮本署刑事課二係、通称特殊捜査係を統括する沢木とはすでに一度対面している。敵意と不快感を露わにした刑事たちの間を突っ切ってシュライン・エマは二係の扉を開けた。
 「こんにちは」
 沢木はシュラインに気付くとスローな口調で言って柔らかく微笑んだ。「度々のご足労、恐縮です」
 「いえ。武彦さんの頼みとあらば」
 「僕のお願いだけでは駄目ということですか」
 と沢木は苦笑する。
 「お姉さーん!」
 ぱたぱたという足音とともに少女がシュラインに飛びついた。また来てくれたんだね、とにこにことする。白い髪に紫色の瞳という容貌はどこか神秘的だ。
 「耀(あかる)ちゃん、こんにちは。資料はできてるかしら?」
 「うん。ばっちり」
 耀はにっこり笑ってみせた。一応、警察としては捜査情報を外部に漏示するわけにはいかない。しかし耀が作った「私的な」資料なら話は別だ。
 「あのー・・・・・・」
 というためらいがちな声が二係のオフィス――と呼べるほど上等な空間ではないが――を覗き込む。
 「こちらが刑事課二係でしょうか?」
 立っていたのは一人の少女だった。透き通るような青い髪に青い瞳が美しい。すらりとした長身だが、顔立ちにはまだあどけなさが残っている。シンプルだが清楚なセーラー服は中学校のものだろうか。
 「そうです。海原・みなも(うなばら・みなも)さんですね。草間先輩から伺っています、ご足労恐縮です」
 沢木が立ち上がって少女を迎え入れる。みなもは沢木に会釈しながら不安の表情を隠さずに入って来た。シュラインが自己紹介をする。みなもも温和な声で名乗ってぺこりと頭を下げた。彼女は十三歳の中学一年生ということだった。
 「早速ですけれど・・・・・・今も綾瀬さんが第一の容疑者であることに変わりはないのですか?」
 みなもの問いに沢木ははっきりと肯いた。
 「このようなことを申し上げるのは失礼ですけれど、綾瀬さんは何らかの心身症という可能性は? 頭の中で声が聞こえるというのは普通の状態ではないような」
 「軽度の統合失調症の疑いがあります。頭の中で声がしたり、悪口を言われているような被害妄想に陥るのは統合失調症の典型的な症状――」
 沢木は複雑な表情を返した。「しかし、統合失調症かどうかのボーダーラインといったところでしょうねえ。彼の言動には“電波”や“心を読まれている”、“監視されている”という台詞が出て来ませんから。統合失調症では例えば・・・・・・壁や天井に見えない電波線が張り巡らされて自分の考えがそこから外に漏れているような錯覚や、四六時中誰かに監視されているような妄想にとりつかれることも多いそうです。彼の様子からはそんな様子は窺えませんのでねえ」
 「そうですか」
 シュラインは軽く唸り、みなもと一緒に資料を読み始めた。
 被害者の名は須川辰治(七十五歳)、その妻ミヨシ(七十歳)。死因は農薬によるもので、死亡推定時刻は八日(木曜日)の午後九時ごろ。夫妻の首にはひっかいたような血痕が幾条にもでき、爪の間からも自身の皮膚と血液が検出された。苦しんで喉をかきむしったものと思われる。
 容疑者・綾瀬ハルキ(二十一歳)が手製の里芋の煮物を持って二人のもとを訪れたのは翌日九日の朝八時前。ハルキが二人を発見した時は暖房と照明は入っておらず、配達されていた朝刊も受け取られていなかった。窓もドアも鍵がかかっており、完全な密室状態だった。
 農薬は普通の園芸店で入手できる普通の物で、アパートのベランダに花壇を作っていた須川夫妻が購入したものと判明。使用した農薬の残りが二人の部屋から発見されている。農薬は二人が用いた湯呑み茶碗のみから検出された。食器棚から出ていた湯呑みは床に転がっていた物とテーブルに倒れていた物のふたつだけ。湯呑みにはハルキと祖父母の指紋がついていたが、ハルキのものが最も新しかった。ヤカンと急須、茶筒に残っていた指紋は祖父母のもののみ。そして、遺書はまだ見つかっていない。
 「死亡前日にわざわざハルキさんと約束していたということは、自殺ではないようですね。密室殺人ということでしょうか」
 みなもが首をかしげながら言った。「合鍵を持っていたのはハルキさんだけなんでしょうか?」
 「大家や不動産屋ならマスターキーや合鍵も持っているんじゃないかしら。親しい人間なら、被害者が外出時に合鍵を隠しておく場所を知っていたとしてもおかしくないわ」
 「それはないと思うな」
 と口を挟むのは耀だ。「おじいちゃんとおばあちゃん、どこかに合鍵を隠すことはしなかったんだって。万が一誰かに見つかったら怖いからって」
 「そう。それなら他に合鍵を持っている人間がいるかどうか、ね」
 「大家さんや不動産屋さんも見知らぬ人にそう簡単にマスターキーや合鍵を貸したりはしないと思います。だとしたら・・・・・・」
 「その通りです」
 沢木が大きく肯いてみなもの後を引き継いだ。「合鍵を持っているのは親しい人間や近しい者だけでしょう。大家さんや不動産屋さんから鍵を借りたにしても同じこと。ある程度親しい人間の犯行と考えるのが妥当でしょうねえ」
 親しい人間。合鍵を持っている者。どちらもハルキに符合する。
 「綾瀬さんのアリバイは?」
 とみなもが沢木に問うた。
 「アルバイト先のペットショップが定休日だったので、一日中部屋の中で一人で過ごしていたと言っています。それを証明する者はいないと」
 友達が少なかったようです、と沢木は付け加える。シュラインは軽く唸って顎に指を当てた。これではアリバイとは言えない。
 「被害者と不仲だったり、被害者が死んで得をする人間はいるのかしら」
 シュラインの問いに耀がふるふると首を横に振る。
 「いい人だったみたい、あのおじいちゃんとおばあちゃん。孫を可愛がって、孫のほうもなついてて。だから怨恨っていう線はどうかなあ」
 「でも、金品には手がつけられていなかったのでしょう?それなら怨恨なのでは・・・・・・顔見知りの犯行なら尚更です」
 「でしょうね。表面上は仲が良くても、心の底では憎んでいるということもあるでしょうし。沢木さん、被害者の知人で合鍵を持っていそうな人はいないんですか?」
 「今のところ、綾瀬さん以外で合鍵を持っていた人間が一人――」
 沢木はゆっくりと人差し指を立てた。「ガイシャ宅に出入りしていた平田浩之。身寄りのない三十五歳の男性です。近くに住んでいる遠戚で、脚の不自由な須川ミヨシさんと腰痛持ちの辰治さんの代わりに家の中のことやヘルパーのようなことをやっていたそうで。合鍵を持っていることも確認済みです。彼が実際に出入りしていることも近所の人から証言が取れました。さらに、被害者が発見された時、野次馬の中に彼がいたという目撃証言もあります。何かぶつぶつ言っていたそうです。何を言っているかまでは聞き取れなかったそうですが」
 「とりあえず、聞き込みから始めましょ。容疑者の大学やバイト先にご近所、それに被害者夫婦のご近所と平田浩之。そんなところかしら。容疑者とも話してみたいわね」
 「綾瀬ハルキさんの身辺調査にはすでに桐生くんが出かけています」
 ですからできればそれ以外で、と沢木がシュラインを制する。
 「あたしは被害者のお宅に行ってもよろしいでしょうか?」
 と提案するのはみなもである。「近所の人や平田さんにもお話を伺いたいですし」
 「そう。それじゃ私は容疑者に直接話を聞こうかしら。構いませんか、沢木さん」
 「残念ながら、弁護人以外の民間人が容疑者に尋問することはできません」
 沢木は厳しい表情で言ったが、その顔はすぐに和らいだ。
 「でも、取調べ室以外の場所で、刑事の僕の立会いでの下でなら構いませんよ」



 二十一歳、某有名音大三年生。耳のよさを買われて音楽の道を勧められ、たった一人で上京して都内の音大に入ったものの、内向的な性格と人見知りが災いして大学にはなじめず、登校拒否状態。それが沢木から聞いた綾瀬ハルキのプロフィールだった。
 沢木に連れられて小会議室に入って来たハルキの肌は真っ白だった。肩に触れる茶色い髪は染毛ではなく生来のものだろう。瞳の色も薄い。それなりに整ってはいるが脆弱な顔立ち。セーターの下の肩はずいぶん華奢で、平たい。室内で待っていたシュラインを見て蝋細工のような唇がかすかに震えた。
 「綾瀬ハルキさんね」
 シュラインはできるだけ穏やかに言った。繊細かつ感受性が強い青年であることを見抜いたからだ。初対面で態度を頑なにさせてしまえば話を聞くことは難しい。この明るい小会議室を選んだのもそれを見越してのことである。
 ハルキはおどおどした目でシュラインを見る。紙のように真っ白な顔は恐怖と警戒で硬くこわばり、容易にほぐせそうにない。年下のみなものほうが警戒心を抱かせずに済んだだろうか。そう考えてシュラインは小さく息をつく。
 「おじいさんとおばあさん、里芋がお好きだったのかしら」
 そして、努めてにこやかに口を開く。「綾瀬さんは料理が得意なのね。私も里芋の煮っ転がしには自信があるのよ」
 ハルキがゆっくりと顔を上げる。色の薄い瞳に満ちた警戒と緊張がわずかに緩んでいた。
 「ペットショップでアルバイトをしてるって聞いたけど、動物が好きなの?」
 「・・・・・・はい。それに、ぼくはいっぱい働かなきゃいけないから」
 ハルキはかすれた声で答えるが、その頬には赤みが差している。シュラインはふっと微笑んだ。
 「私も動物は嫌いじゃないわ。可愛いものね。綾瀬さんが好きな動物はなあに?」
 「みんな好きです。特にハムスターとか小型犬が。おじいちゃんとおばあちゃんも動物が好きで」
 「おじいさんとおばあさんが可愛がっていた小動物はいるのかしら」
 「いえ・・・・・・いなかったと思います。ペットも飼ってませんでした」
 「そうなの。綾瀬さんはペットは?」
 「ハムスターが二匹。アパート暮らしだからそれくらいしか・・・・・・」
 ハルキはきゅっと唇を噛んでうつむく。「ほんとはもっと動物と暮らしたい。動物は優しいし、悪口を言わないから」
 「悪口を言わない?」
 眉を寄せたいのをぐっと我慢してシュラインは優しく尋ねた。
 「みんなぼくの悪口を言うんです。大学の人たちも、お店の先輩も」
 ハルキはすがるような目をシュラインに向ける。触れればぱりんと割れてしまいそうなほど薄い瞳には溢れんばかりの涙が溜まっていた。
 「ぼくのこと、とろい、うざいって。さっさと死ねって」
 「ひどいわね。面と向かってそんなこと言うなんて」
 「・・・・・・はっきりそうは言ってはないかも知れないけれど。ぼくを指差してくすくす笑いながらひそひそ言ってるだけだから」
 ハルキはそっと目を伏せる。「何となく、頭の中で聞こえるんです。特に悪口は小さな声でも聞こえるんです。ぼくは耳がいいから・・・・・・」
 聞こえてしまうんです、とハルキは消え入りそうな声で言う。くすん、くすんと鼻をすすり上げる音が続いた。
 「詳しく話してくれるかしら」
 シュラインはハルキにそっとハンカチを差し出した。「ゆっくりでいいから・・・・・・。おじいちゃんとおばあちゃんのためにも。でしょ?」
 ハルキは小さく肯き、ハンカチで涙を拭った。ぐすっと鼻をすすり上げてから顔を上げる。
 「頭の中で声がするって言ってたわね。いつごろ、どこで、どういう状況で聞こえたの?」
 「おじいちゃんたちのアパートで・・・・・・警察の人たちが来て、柳さんっていう刑事さんに事情を聞かれたときに」
 ハルキは記憶を辿りながらたどたどしく話す。「周りにいっぱい野次馬がいて。誰か分からないけど、視線を感じて。そしたら頭の中で声がして・・・・・・」
 「野次馬の中の誰かに見られていたということ?」
 シュラインの問いにハルキは「多分」と浅く肯いた。
 「どういう声が聞こえたの? できるだけ詳しく教えてちょうだい」
 「“おまえが殺したんだ”“絶対に許さない”“おまえがほうじ茶に農薬を入れて・・・・・・”」
 そこまで言うと、ハルキは「う」と顔を歪めて両手で頭を抱えた。食いしばった歯からうめき声が漏れる。鼻の頭に細かい汗が噴き出す。頭の中であの声が響いているのだろうか。
 「やめろ・・・・・・ぼくじゃない・・・・・・ぼくじゃない!」
 成人男子とは思えぬ甲高い叫び声だった。ぼくじゃない、ぼくじゃないと繰り返しながらハルキはふらふらと立ち上がり、壁に頭をぶつける。一度、二度。打撃の痛みで声から逃れようとしているのだと分かった。三度、四度。がん、がんと反響する鈍い音にシュラインはやや顔をこわばらせる。五度、そして六度目の打撃を加えようとした時、沢木が止めに入った。ハルキは初めて我に返ったようにはっと顔を上げる。額がすりむけ、血が滲み出していた。
 「そんなことをしても意味はありません」
 ハルキの肩をつかむ手に力がこもる。「あなたの記憶が大きな手がかりかも知れないのです。一刻も早く犯人を捕まえたければ協力していただけませんかねえ」
 相変わらず穏やかな口調だが、声の裏には静かに燃える強いものが感じられる。ハルキの全身からふっと力が抜ける。彼はそのまま沢木の足元にへたり込んだ。肩と唇ががたがたと震えていた。
 「九日の朝に被害者の所に行ったのは、八日の夜に被害者から電話が来たから・・・・・・よね?」
 シュラインは捜査資料の情報を反芻しながらハルキに問う。須川夫妻宅の電話の通話記録にもハルキの携帯電話の着信履歴にも互いの番号が残っていたことが確認されたのでこれは間違いない。ハルキは小さく肯いた。
 「被害者宅の通話記録とあなたの携帯の着信履歴からすると、被害者があなたに電話をしたのは死亡推定時刻とほぼ同じ。もしかしたら死亡直前じゃないかと思うんだけど。おじいさんとおばあさん、何かおっしゃっていなかった? もしくは、様子が変だったとか」
 「電話をくれたのはおじいちゃんとおばあちゃんじゃありません」
 ハルキは涙を溜めた目で小さく首を横に振った。「平田さんです。おじいちゃんとおばあちゃんが里芋を食べたがってるから持って来てあげてって。バイトが終わった後だと遅くなるからバイトに行く前に寄ってねって・・・・・・」
 シュラインの青い瞳が大きく見開かれた。



 ハルキの携帯電話の着信履歴に残されていたのは須川夫妻宅の番号で、夫妻の電話の通話記録に残っていたのは間違いなくハルキの番号だった。つまり、被害者の死亡直前に平田浩之が夫妻の部屋にいて、彼がハルキに電話をかけたということになる。
 考え込みながら二係のオフィスに戻るとソファに寝そべってうとうとしている少年の姿があった。人の気配に気付いたのだろう、起き上がって目を開ける。高校生くらいだろうか。金色に染め、無造作に遊ばせた髪はいかにも今時の若者を思わせる。赤い瞳が印象的だった。
 「おねーさんも草間興信所から?」
 桐生・暁(きりゅう・あき)と名乗った後で少年は出し抜けに言った。シュラインも名乗って肯く。
 「きれいだね」
 暁は何の羞恥も躊躇も見せずににこにことその台詞を口にする。「そう、ありがとう」とシュラインがさらりと受け流したところへみなもが帰って来た。少年はみなもを見て目を何度か瞬かせ、ぴょこんと勢いをつけて立ち上がった。
 「ねえ、きみきみ、君も草間興信所?」
 みなもは戸惑いを見せながらも肯く。
 「可愛いね。いくつ?」
 「まあ、なんですかいきなり」
 暁の無遠慮さにみなもは不快感を露わにしたが、頬はちょっぴり紅潮している。
 「はいはい、そこまで」
 ぱんぱんという沢木の拍手が二人のやり取りを遮る。「皆さんには捜査のお手伝いに来ていただいているのですよ。じゃれる前に聞き込みの報告をしてくださるとありがたいのですがねえ」
 「へいへい」
 と暁は口を尖らせて頭の下で両手を組んだ。「あの綾瀬ハルキって奴、暗かったみたいだな。大学に行ってたのなんて最初のうちだけで、友達もいなかったって話だ。ペットショップのバイトは一年以上続いてる。今じゃ定休日以外は毎日仕事に来てるんだって、開店前の準備から閉店後の片付けまで。そんでバイト代の中からじいちゃんばあちゃんの生活費を援助してやってたんだってさ。でもあんまり使い物にならないみたい。とろいし、覚えが悪いって店員たちがぼやいてた。そのくせ地獄耳で、みんなで集まってひそひそ悪口言ってるとすごい目で睨まれるんだって」
 「あたしはまず須川さんご夫婦のお宅にお邪魔しましたが、特に変わった所はありませんでした。吐瀉物の跡があったくらいで。それからご近所の方々と、平田浩之さんに会ってお話を伺いました。ご近所の人たちは平田さんが須川さんご夫妻のお部屋に入って行くのを見たそうです。しかし不審な物音などはしなかったと。平田さんも被害者のお宅に伺ったのを認めていて、被害者が亡くなる前・・・・・・お茶を飲む前に辞去したと言っていました」
 「平田さんは綾瀬さんについて何かおっしゃっていましたか?」
 と沢木が問う。みなもはちょっと眉を曇らせてから口を開いた。
 「“あいつが殺したんだ”と。“絶対に許さない”とも・・・・・・。相当な敵意を感じました。身寄りのない平田さんにとっては須川さんご夫妻が数少ない縁者だったそうですから、仕方ないのかも知れません」
 シュラインは小さく肯き、ハルキとの面談で得た情報をつぶさに二人に伝える。みなもと暁は互いに顔を見合わせた。
 「それじゃ、怪しいのはその平田浩之ってこと? 須川さんが死ぬ前に部屋を出たっていうのも嘘っぱちかも知れないよな」
 「動機は?」
 暁の言葉にシュラインが反論する。「平田さんはこまごまと須川ご夫妻の世話を焼いていたんでしょう。無償でそこまでするからには相当慕っていたんじゃないかしら。遺産・・・・・・という線もあまりないでしょうね。遠い親戚の平田さんに相続権が回ってくるとは思えない。ごきょうだいのいない須川さん夫妻が亡くなればまずは須川さんのお子さん、つまりハルキさんのお母さんが相続権を持つはず」
 「あたしも平田さんはシロだと思います。状況やアリバイは怪しいけれど、年の離れた親子みたいだと近所の人たちも話していましたもの」
 「それじゃ、祖父母に生活費まで渡してたハルキがやったのか? 俺はそうは思えないけど」
 と暁が口を尖らせる。「だったら自殺ってことになるけど、自殺なら平田浩之はなんでわざわざハルキに連絡したのさ。被害者が平田に頼んだとも思えない。可愛がってた孫に死体を見せたいと思うはずがねえからな。電話するメリットがあるとしたら、ハルキを第一発見者に仕立て上げてあわよくば湯呑みとか急須に指紋をつけさせて疑いを向けさせるってことくらいじゃないの?」
 暁の言葉ももっともだ。三人の思考は混乱した。
 沢木のデスクの辺りで「ふふふ」と忍び笑いをする声がする。見ると、耀が前後を逆にして椅子に座り、にまにましながら三人を眺めていた。三人は誰からともなく顔を見合わせた。いつの間に来たのだろうか? さっきまでは確かにいなかったのに・・・・・・。
 「皆様、お困りかしら? アタクシのとっておき情報を教えてあげてもよろしくてよ」
 似合わぬ言葉遣いとともに耀はバインダーを開く。「あのねー。おじいちゃんとおばあちゃん、悩んでたみたいだよ。学生のハルキさんに生活を助けてもらうのは心苦しいって」
 「そんなこと、誰から?」
 みなもが訝しげに問う。「ご近所の人たちからも平田さんからもそんなお話は聞きませんでしたが・・・・・・」
 「そりゃそうでしょ。だって、普通は悩んでることを人にべらべら話したりしないじゃん」
 「誰にも話さないような悩み事をどうして耀ちゃんは知ってんの?」
 「あたしの仕事は情報収集屋だもん」
 これくらい当たり前、と耀は暁に向かって不敵に笑ってみせる。みなもと暁は顔を見合わせて首をかしげるしかない。
 「心苦しい、か」
 そうかも知れない、とシュラインは顎に指を当てて呟く。「ハルキさん、“ぼくはいっぱい働かなきゃいけないから”と言っていたわ。須川さん夫妻の生活費を援助するためでもあったのかも知れない。親御さんから充分に仕送りをもらっているハルキさんが働き詰めになる必要はないもの」
 「・・・・・・なるほど」
 と言ったのはずっと黙り込んでいた沢木であった。
 四人の目が一斉に沢木に向く。糸のような沢木の目がかすかに開き、鋭い光が灯る。しかしそれもほんの一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの穏やかな微笑が浮かんでいた。
 「耀ちゃん、柳さんに連絡してください。綾瀬さんと、それから平田さんを連れてくるようにと」
 耀は元気な返事をして出て行く。シュラインは訝しげに沢木に問うた。
 「犯人が分かったのですか?」
 沢木は無言の微笑を返しただけだった。いつもの柔和な笑みの裏にかすかに悲しみの色がたゆとうていることにどれだけの人間が気付いただろうか。



 警察への呼び出しを受けて会社を早退してきた平田浩之は三十五歳、ごく普通のサラリーマンだった。中肉中背に銀縁の眼鏡。スーツにもスラックスにもぴしっと折り目が入り、白いワイシャツの襟も清潔そのもの。見るからに実直そうな男である。
 「どうしてぼくが呼ばれなきゃいけないんです? 犯人はそいつでしょ。自供したらしいじゃないですか」
 宮本署の小会議室に呼ばれた平田は舌打ちしてハルキを見やった。ハルキは怯えたようにびくっと体を震わせる。
 「犯人は綾瀬ハルキさんではありません」
 シュラインが穏やかに口を開いた。しかしその目には厳しい光が宿っている。平田は口元をかすかに痙攣させた。
 「じゃあぼくがやったとでも? 冗談じゃない! 辰治さんとミヨシさんを殺したのはハルキだ! そいつが二人を――」
 「“死なせた”と」
 みなもがきっと顔を上げる。「あなたはそうおっしゃりたいのでしょう」
 「ああそうだよ! 二人が死んだのはハルキのせいだ、全部こいつが――」
 「殺したのはハルキじゃないよ。あんたでもない。自殺さ」
 と暁がぼりぼりと頭をかきながら言った。
 ハルキが弾かれたように顔を上げる。平田の顔が決定的にこわばった。それを肯定とみなして沢木がゆっくりと語り出した。
 「あなたは須川さんのお宅に頻繁に出入りしていた。ハルキさんも同様です。しょっちゅう顔を合わせていたからにはあなたはハルキさんとも知り合いだったのでしょう?」
 「そうですよ。それが何か?」
 「最近、須川ご夫妻は悩んでいたそうです。お心当たりは?」
 沢木の言葉に平田の口元が歪む。眼鏡の奥に燃え上がる激しい憎悪と敵意をシュラインは読み取った。
 「推測でしかありませんが、例えばこういうことは考えられませんかねえ」
 沢木の口調は柔らかかったが、糸のような目は正面から平田を見据えている。「ご夫妻はハルキさんに迷惑をかけていると思い悩んでいました。自分たちに生活費を援助するためにハルキさんが働き詰めになって大学にも行けなくなったのだと」
 ハルキが沢木の背後で息を呑む。
 「ハルキさんの性格だから、援助はいらないと言っても聞かなかったでしょうね」
 みなもがやや顔を歪め、一言ひとこと押し出すように低い声で言う。「そして、自分の存在がハルキさんの重荷になっていると思ったご夫婦は・・・・・・」
 みなもの言葉を遮ったのは平田の甲高い叫び声だった。激しく頭を振って叫ぶ。まるで何かから逃れようとしているかのように。リノリウムの床に眼鏡が落下し、無機質な金属音を立てた。
 「――平田さん」
 シュラインは膝をついた平田の前にしゃがみ込んでゆっくりと口を開いた。「須川さんご夫婦はあなたの目の前で服毒死したのでしょう」
 平田はゆっくりと顔を上げ、虚ろに肯いた。



 陽はすっかり落ちて、夕焼けの残滓は徐々に闇に侵蝕されつつあった。
 「おかしいと思ったんです。ぼくに“絶対にやかんや急須、湯呑みに触らないで”なんて言って。いつもはぼくがお茶を淹れてあげるのに。今思えば、ぼくの指紋をつけさせないようにするためだったんですね。ぼくに疑いが向かないように」
 やがて平田はぽつりぽつりと話し始めた。
 「二人はぼくの目の前で農薬を飲んだんです。自殺の目撃者になってくれと言って、ぼくの目の前で死んでいったんです」
 平田は悲鳴のような声さえ上げて両手で顔を覆った。スーツの肩ががたがたと震えている。
 「二人の寝室から遺書が見つかりました。ハルキに迷惑をかけたと・・・・・・自分たちのせいでハルキは大学にも行けなくなった、だから自分たちは死ぬのだと書いてありました」
 「ハルキのせいで二人が死んだって思ったわけか」
 暁の言葉に平田はこうべを垂れたまま肯いた。
 「それでハルキに電話をかけたんだな。第一発見者に仕立て上げて疑いを向けさせようとして。遺書は持って帰ったんだろ。自殺に見せかけた他殺だと思わせるために」
 「警察の聞き込みでは、野次馬の中にあなたを見たという証言があったそうです。あなた、何かぶつぶつおっしゃっていたそうですね。もしかして“おまえが須川さんを殺した、おまえのせいだ”とでもおっしゃっていたのではないのですか?」
 「あなたはハルキさんの耳のよさも、統合失調症の疑いがあることも知っていた。それでハルキさんに自分の言葉が聞こえればよいと・・・・・・あわよくば殺人犯にしてしまおうと。だから“おまえが農薬を入れた”などと言ったんでしょう?」
 暁、みなも、シュラインが順に口を開くが、平田は答えない。すすり泣く声が聞こえただけだ。
 「どうして救急車を呼ばなかったのですか」
 沢木がそっと平田のそばにしゃがみこんだ。「農薬自殺は苦しいものです。つまり、即死ではない。すぐに救急車を呼んでいれば、あるいは・・・・・・」
 「・・・・・・許せなかった」
 平田はぽつりと呟いた。濡れた顔をゆっくりと上げる。真っ赤に泣き腫らした目には敵意と憎悪が燃え滾っていた。それは明らかにハルキに向けられたものだった。
 「ぼくは辰治さんとミヨシさんを本当の親のように思っていました。ぼくには身寄りがありませんから。・・・・・・ぼくは、そんな二人の自殺の場面を目の前で見せられたんです」
 ハルキの華奢な体がぎゅっと収縮する。
 「だから・・・・・・ハルキなんか苦しめばいい! ぼくの大事なあの二人を自殺に追い込むまで苦しめたハルキなんか――」
 鈍い打撃音が小会議室に反響した。シュラインがはっとして顔を上げる。沢木も目を丸くし、みなもは喉の奥で小さく悲鳴を上げて口を手で覆った。
 「ふざけんな!」
 平田の胸倉をつかみ、容赦ない右ストレートをぶち込んで叫んだのは暁であった。
 「大事な人なんだろ! 親みたいに慕ってた人なんだろ! だったら助けろよ! なんで黙って死なせたんだよ! 救急車呼んだら助かってたかも知れねえんだぞ! なのに、なのに――」
 「桐生くん」
 固く握り締めた右の拳をぶるぶると震わせ、今にも第二撃を繰り出しそうな暁の肩を沢木がつかむ。暁は我に返ったかのように目を揺らした。シュラインは彼からそっと目を逸らす。暁の真っ赤な瞳からは涙がとめどなくあふれ出していた。
 沢木の携帯がポケットの中で震え出す。沢木は一言断ってから応対した。分かりました、ありがとうございますとだけ言って電話を切る。
 「平田さん。あなたのお部屋から須川さんの遺書が発見されました。筆跡も須川さんのものと一致したそうです」
 沢木は静かに言った。
 平田の目から新たな涙が溢れ出す。そして平田は慟哭した。胎児のように体を丸めて、床に拳を叩きつけながら激しく泣きじゃくった。誰の目も憚らぬ嗚咽が白い壁に乱反射し、長い尾を引いていつまでもいつまでもその場にとどまった。
 
 
  
 「ありがとうございました」
 小会議室から出ると、ハルキはシュラインとみなもに小さく頭を下げた。暁は沢木に付き添われて別室で休んでいる。
 「疑いが晴れてよかったですね」
 みなもが温和な笑みを浮かべる。ハルキも小さく笑った。もっとも、それは多分に無理をした作り笑いであったのだが。
 「ハルキさん。あなた、バイトに忙しいから大学に行かなくなったの?」
 というシュラインの問いにハルキの目が震える。
 「違うでしょ? 大学に行かなくなったのが先で、バイトはその後でしょう。大学に行かなくなったからバイトに打ち込んだのよね。おじいちゃんとおばあちゃんのために、っていう理由をつけて」
 大きく見開かれた瞳の縁に涙の玉が盛り上がり、すーっと頬を伝っていった。
 「・・・・・・おじいちゃんとおばあちゃんは、ぼくが大学に行かなくなった理由を知らなかったんです」
 ハルキは片手で顔を覆って声を震わせた。「登校拒否になったのは単に人付き合いが苦手で、大学になじめなかったからなのに・・・・・・おじいちゃんとおばあちゃんは生活費援助のためだって思い込んで。“毎月ありがとう、ごめんね”なんて言われたらほんとは登校拒否だなんて言えなくて・・・・・・おじいちゃんたちに感謝されてると思うと嬉しかったし・・・・・・おじいちゃんたちに仕送りするためだって思えば登校拒否も正当化できたから・・・・・・」
 ハルキの言葉はそこで途切れた。
 「綾瀬さん。あちらで温かいお飲み物でも・・・・・・少し休みましょう」
 見かねたみなもがハルキを促す。ハルキは素直に肯き、年下のみなもに背中を押されながら歩き出した。一歩ずつ、ゆっくりと。
 ハルキが本当のことを打ち明けてさえいればこんな事件は起こらなかったのだろうか?
 ハルキの後姿が小さくなる。やがてその背中が雑踏の中に消えても、シュラインはいつまでもその場を動けずにいた。   (了)




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/     PC名       /性別/年齢 / 職業】

0086  シュライン・エマ         女  26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1252  海原・みなも(うなばら・みなも) 女  13歳 中学生
4782  桐生・暁(きりゅう・あき)    男  17歳 学生アルバイト/トランスメンバー/劇団員


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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマさま


こんにちは、宮本ぽちです。ご注文まことにありがとうございました。
度々お会いできましたこと、光栄に思っております。

「サスペンスを柱とした少し悲しいお話」を目指しましたが、いかがだったでしょうか?
当初こちらでは違う結末を考えていたのですが、エマさま、そして海原さま・桐生さまのプレイングを折衷してこのような結末といたしました。

プレイングでいただいたエマさまの推理はこちらが考えていた結末と六、七割符合しておりました。
ご炯眼、敬服するばかりです。(私の話の作りが甘いせいでしょうか・・・)
その洞察力と推理力を生かして、また沢木に協力してくださる日をお待ちしております。


宮本ぽち 拝