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失われたギメル 【前編】
紅玉と金剛石。
赤子と骸骨。
再生と死。
示すは永遠。
「指輪を探せ…と」
探偵というか何でも屋…まぁそれでも仕事には変わりない。
「で?その探してほしい指輪とやらの特徴とか、写真とか無いのか?」
執事風の初老の男は、草間の問いに無言のままセピア色の古い写真を差し出す。
写真は、まるで展示物と言わんばかりにアップで取られていて、どこか妙な印象を受ける。
盗難される事を見越していたかのような、写真の存在。
「時間が御座いません、台座さえ戻れば上のルビーとダイヤが無くても結構」
それを聞いてますます謎が深まる。
「…よほど希少価値の高いアンティークってところか?」
「――そうですね。歴史的にも価値のあるモノです。今再現できる職人もおりません」
世の中に当時から時を越え、存在している数しかありえない物だという。
「…もっと決定的な特徴とかはないのか?」
勿論、これだけでも十分探せるが、何かがおかしい、そう思った草間は問いかけた。
ちらりと視線を逸らし、写真を見た。
「――――ギメルリング…」
そう一言呟き、男は視線を草間に戻し問うた。
「…依頼は、受けていただけるんでしょうね?」
ここまで話してやったのだから、と言わんばかりの無言の圧力。
「…わかった。引き受けよう」
その返事を聞くと、男はスッと立ち上がり、前金をテーブルにおいた。
「これと同じ額を依頼が完了した時点で御渡しする。なるべく早く探し出してほしい」
「わかったよ」
依頼人が帰った後、テーブルに置かれた札束と名刺を眺めつつ、何か納得しきれない思いで煙草に火をつける。
「…裏があるな、あれは…」
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■First
またもや興信所に舞い込んだ事件依頼。
しかも怪奇系な匂いがぷんぷんする、というか依頼人の言う事に不可解な点が多すぎるのだ。
アンティークの指輪というなら台座も宝石もセットでなければ価値が下がるのではないだろうか。
質草やオークションで扱われる類は大抵そういうモノだった筈、と草間は首をかしげる。
「探すものは、依頼人の、若しくは依頼人の主と考えたらいいのかしら?」
考える素振りを見せる草間に尋ねるはシュライン・エマ。この興信所の事務員だ。
中世的な容姿にキラリと光る切れ長の青い双眸が、依頼人の残した写真を見つめている。
その隣で、義手ではない左手を口元に沿え、同じく写真を見つめるのは黎・迅胤(くろづち・しん)だ。
「武彦の頼みならばこの依頼引き受けよう。しかし…ギメルリングか…別名は双子指輪だったよな。ベセル(台座)の部分で1つに重なる2連の指輪で1つの状態だと普通の指輪にしか見えないが、開く事が出来るってことから17世紀の創案当時は恋人達が2人並んで人生の旅路を行様を表していたっていうのは有名な話だが。いつの間にか廃れたらしいな。しかも赤子と骸骨か……何とも妙な作りだな」
「正確にはそれだけの精巧な細工を作れる職人がいなくなってしまった。それによって廃れた…というところですね。まさか博物館で見かけるような代物が、まだ残っていたなんて…」
黎の説明に話を添える十ヶ崎・正(じゅうがさき・ただし)は、真剣に依頼の事を考える反面、職業柄からの嬉しさが少しあった。
そんなやり取りをくたびれたソファーに腰掛けながら見ていたレイザーズ・エッジは一言呟く。
「珍妙な話に出くわしたものだが…まぁいい。それもボクの運命の一部だろうさ」
目に鮮やかな短い赤毛をかるくかき上げ、スッと立ち上がる。
「…まぁ、それにしても奇妙よね。送った相手を探しているわけでもなくただ指輪を探して欲しいだなんて。盗まれたとか紛失したとか、その辺全く言わなかったんでしょう?武彦さん」
シュラインの問いに受けたことを後悔し始めている様子で草間は頷いた。
「ともあれ、疑問は見つけた後…ね。依頼、受けてしまったんだもの」
浅く溜息をついたシュラインは、団体で行動しても拉致があかないだろうと、それぞれに写真の複製を渡した。
「私はもう少しこの写真を調べてみて、それからまず蓮さんをはじめ古美術商や質屋、この手のジャンルに詳しい出版関係者にあたってみるわ」
二度手間にならぬよう、自分が何処に行くかを先に聞いておく事にしたのだ。依頼人が時間がないと言っている以上、時間を無駄にしたくないのは道理。
「俺はまず依頼主周辺から洗ってみる。探せという割には必要最低限の情報も出さずに、金にモノを言わせてるあたりがちと気になるんでな…」
勿論、黎の言う事だ。表からのアプローチだけではなく当然裏からも出来うる限りの人脈を駆使して情報収集するだろう。
「僕も依頼人に少々お聞きしたい事があるので、途中までご同行させてもらいます」
これほどのギメルリングとなるとそう数も多くないし、何より民間で残っているかどうかが問題だ。最も、依頼人の言うとおりルビーとダイヤが付いていない状態にあるのだとすれば収集家が所持している可能性は薄い。
宝石目当ての盗難と考えているとしたらリングそのものを探すのは難しい…というか不可能に近い。
特にアンティークのものに関して言えば一見して古ぼけたガラクタのように見えても、歴史的価値を秘めていてとんでもない値段が付く事など屡見られる。
指輪などと言った小物はあまり価値が解ってもらえない場合も多い為、探すのも相当苦労する代物なのだ。
そしてこれらの点から見ても、あまりに疑問点が多いと思った十ヶ崎は、依頼人の元を尋ねるという黎に同行する事にしたのだった。
「ボクはボクでそれ以外のトコをあたるよ」
複製された写真を手に、レイザーズは一人興信所を後にした。
■歳月と言葉
ルーペで見て取れる限り細心の注意を払って写真を見つめるシュライン。
「写真に写ってる指輪やその周辺に文字か何か刻まれてるかと思ったけれど、何もない…か。しかもよくよく写真の指輪を見れば切り離してバラ売りにするなんてできないわね」
二連といっても隣り合わせた輪ではなく、二つのリングが交差しているギメルリングで、これをバラ売りにしようとすれば片方が壊れてしまうだろう。
バラ売りの可能性がなくなっただけだが、何れにしろ指輪を探す手がかりには繋がりそうもない。
「すまんな、厄介な依頼受けちまって」
横からひょいと写真を取って蛍光灯の光にすかすように、写真を眺める草間に、いつものことでしょ、と微笑する。
「――あら?」
「どうした?」
光にすかした写真の裏に、何かのシルエットが一瞬見えた。
「ちょっと貸して、武彦さん」
写真を裏返し、角度をかえて光に照らすと隅の方に写真の裏の光沢が失せている部分がある事に気づいた。
ルーペでよく観察してみると、うっすらとだが文字が書かれていた痕跡がある。
「時間が経ちすぎて書いたペンの色だけが褪せちまったんだな」
「そうみたいね…えっと、memento…mori…メメント モリ…如何いう意味だったかしら…?聞き覚えはあるんだけど…」
写真に書かれた「メメント・モリ」という言葉と指輪、それがどういう関連を持ったものなのかはまだわからないが、一先ず人に尋ねられる要素の一つにはなりそうだ。
二人は写真を手に蓮の店に向かった。
相変わらず独特の雰囲気を醸し出しているアンティークショップ・レン。
扉を開けると、レン愛用の煙草の匂いが鼻をかすめる。
「おやおや、これはまたお二人さん。揃ってどんな用向きだね?」
ファーコートを肩にかけ、テーブルに肘をついていつもの煙管を吸う蓮の前に、シュラインはあの写真を差し出した。
「この写真に写ってる指輪に見覚えはないかしら?今仕事でこの指輪を探してるの」
出された写真に、蓮は一言ギメルリング、か…と覗き込む。
「知ってるのね?」
「この指輪がギメルリングってのはわかるがねぇ、うちでは扱った記憶はないね。ヨーロッパ・ジュエリー四百年の歴史を象徴するものの一つだってことぐらいさ。今言えることはねぇ」
「じゃあこの写真の裏に書いてある…”メメント・モリ”って何かわかるかしら?」
その言葉自体はどこかで聞いた気がするが、生憎意味までは知らないとかぶりを振った。
「ヨーロッパジュエリー四百年の歴史…ねぇ?」
「宝石の事を俺に聞かれても困るぞ」
わかってるわよ、と微苦笑する。
正直言って何かいわくが付きまとっていそうな気配がぷんぷんしてくるこの依頼。いわく付きの指輪ならばこの界隈では蓮以上に詳しい人間はいないだろうが、当てが外れてしまった。
「…さて、次は質屋と出版社ね」
■依頼人と主と指輪
草間から依頼人の連絡先を聞いた二人は、いかにも富裕層が暮らしているであろう閑静な住宅街の一画にやって来た。
この界隈でスーツ姿の男が二人並んでいて、しかも二人ともその端正な顔立ちからかやたらと人目の止まる。
「…動きづらいな」
「そうですね、早く目的のお宅を見つけないと…」
住所の書かれたメモと電柱の番地、表札を見比べながら住宅街を進んでいく二人は、ようやく目的の屋敷を発見した。
吾妻(あがつま)と書かれた表札がかかったその屋敷は、周囲のデザイナーズ建築とは一風変わり、ヨーロッパ調の趣きある作りをしている。
「いかにも…といった感じですね?」
「まぁこれほどの代物を所持していた事を思えば…この程度の邸宅に住んでいてもおかしくないだろう。さぁ、行くとしよう」
黎と十ヶ崎の二人は吾妻邸の門戸を叩いた。
「失礼、こちらに御厨昭三(みくりや・しょうぞう)という方はいらっしゃいますか?」
インターホン越しに暫しの沈黙が流れたが、少々お待ち下さいという言葉に、まずはホッとしてしまう十ヶ崎。
「依頼の不可解さからして、指輪を手に入れるまで会ってくれそうもない感じがしたが、考えすぎだったようだな」
隣でそう呟く黎は薄っすら笑みを浮かべる。
そしておもむろに携帯を取り出し、電話をかけ始め、二言三言やり取りをして切った。
「どちらへ?」
「この件に関して協力してくれる「知人」にこちらの動向を伝えただけさ」
意味ありげな言い方をする黎に首をかしげていると、屋敷から執事らしき男が出てきて、二人を邸内に招いた。
「――貴方が、御厨さんですか?」
客室に向かって歩いている途中で、十ヶ崎がその問いを投げかけると彼は振り返らずにそうですと答えた。
「貴方が直接の依頼人な訳だが…真に指輪を探しているのは貴方の主人はこの家の主である吾妻氏なんだろう?まどろっこしいことなどせずに、直接話をしたい」
黎の言葉にぴたりと足を止め、御厨はそれを否定する。
「此度の依頼に関しては私が独断で行なった事。旦那様は何も知りません」
「独断で…ということは、やはり本当に指輪を探しているのはこちらのご主人の方なんですね?」
十ヶ崎の問いに、ここでは人目につくので後ほど客室で話すと言い、それからは暫し沈黙が三人の間を支配する。
客室に通され、メイドがお茶を出すと、御厨がメイドに何か言っている様子。聞き取れなかったが恐らく人払いだろう。
出されたお茶を一口飲んで、それから改めて先ほどの問いを投げかけた。
すると御厨は言葉なくただ静かに頷く。
「そんなに急いで指輪を探す理由は?」
「それはまだ言えません…」
探せというのにその理由をひた隠しにする。
だが知りたい情報を得ようと質問しても、このままでは平行線を辿り無駄に時間が流れていく可能性がある。
「ならばこうしよう。探す理由は「今は」問わない。探すに必要な情報だけを尋ねよう。まず、指輪がないと気づいたのは何時頃か」
黎の質問に、御厨はそれならば協力を惜しまないといった態度で、聞かれた事に答える。
「気づいたのは一週間前。奥様の葬儀が全て終了した日の朝です。気づいたのは奥様付きのメイドでした。いつも身に着けていた指輪が見当たらないと」
火葬の際に燃え尽きない物は棺に入れることはできない為、当然生前の愛用の品であろうとも貴金属類は燃えない代物なので入れることは出来ない。
従って葬儀の準備を進める際に身に着けていた装飾品は全て宝石箱に移されているはずなのだ。
「――誰かが、持ち去った可能性は?」
その問いには御厨はかぶりを振った。
「この屋敷のものが盗むなどと、そんな事はありえません。いや、というよりも盗む事など不可能なのです」
「それはこの屋敷のセキュリティ上?」
黎が次々と質問していく中、それを示唆した訳でもなく、手帳を広げてメモを取る十ヶ崎。
「いえ、セキュリティ上の話ではありません。その…「盗む」という行為だけが旦那様のお耳に入るのです。勿論、誰がそれを見て知らせているのかなど判りません。それに…」
言葉に詰まる御厨に、黎が鸚鵡返しに問いかけると、視線を逸らし、口ごもりながらも小さな声で答える。
「―――…そんな事をしようものなら、後でどんなことになるか…」
「それは、主人からキツイお咎めがある…と?」
すると御厨は、こんな事を言って信じてもらえるかわからないとまた口ごもってしまう。
そのとき、メモを取っていた十ヶ崎が御厨に問う。
「では何故、巷で怪奇探偵と言われている草間氏のもとへこの依頼を持ち込んだんですか?現実的ではない何かが起こった…そういうことなのでしょう?」
「…そんな話、信じるんですか!?」
頼みに行ったはずの御厨が驚きの表情で十ヶ崎を見やる。
だが彼がそんな御厨の反応に、にっこりと微笑んで返した。
「職業柄いわく付きの物を扱う事も至極偶にですがありますし、僕の知り合いにはそういうことで生計を立てている人が何人もいますので。全否定する事はまずありませんのでご安心を」
ですから信じて貰えないだろうと諦めるのではなく、まずは話してみてくれと、十ヶ崎は御厨に言った。
その言葉に、少しだが気が抜けたのだろうか、御厨は以前この屋敷で起こった事を二人に話し始めた。
「…確かに、吾妻は富豪と言われる存在で、資財もさることながら屋敷を彩る調度品も一級品ばかりです。そしてそれに目が眩んだ者も数多…しかし、皆何かを盗んで逃走するのですが、すぐに不幸にあい…盗まれたものだけが手元に戻ってくるということが続いたのです。しかも私たちが何を盗まれたのか気づかなかったのに、盗んだ者が不幸に遭った翌朝…必ず旦那様が言うのです」
それ見たことか、と。
「気になるな…」
「依頼の品がなくなった時、どなたかいなくなった方は?」
「それがそのような者は誰一人としていないのです。指輪だけなくなっていて…」
そこまで聞くと、黎はスッと席を立ちあがる。
「ご協力感謝する。貴方が事を急ぐ理由も大体読めた」
そう言い残し、黎は先に客室を出た。後に残された十ヶ崎は、最後に2つ質問だと言って御厨に尋ねる。
「この写真のギメルリング…吾妻氏が亡き奥様に贈られたものですか?」
「はい、海外で買い付けた物をエンゲージリングとして奥様に贈られたものでございます」
「その時、この二つの石も付いていましたか?」
「石は同じく海外で買い付け、その指輪に合うよう、加工したものだと聞き及んでおります」
「ご協力有難う御座いました、では次は依頼の品を手に入れてから」
軽く会釈をして、十ヶ崎も客室を後にした。
屋敷を後にする二人を、上の階の部屋から見下ろしていた吾妻がお茶の支度をしていたメイドに問う。
「――客人が来ていたようだが?」
「はい、御厨さんのお知り合いだそうで、大切な話があるからと…」
「……ふむ…」
屋敷から遠ざかっていく二人の背中を、吾妻老人は意味ありげな態度で見つめていた。
屋敷から少し離れた所で、黎の携帯のコール音が小さく鳴った。
壁に凭れ、周囲に人がいない事を確認してから応じる。
「――会話は聞いていたな?ああ、あの屋敷で働いていた者がどうなったのか…それと、吾妻氏の動向について調べて欲しい」
やり取りを終えた黎は微苦笑し、ぽつりと呟いた。
「…金と暇を持て余している輩の考えそうなこと……だな。おそらく」
少し遅れた十ヶ崎が黎に追いつき、彼が出て行った後に聞きだした情報を伝えた。
「睨んだとおりだな」
「草間さんの所にまい込んで来た以上、怪奇がらみと見受けましたが…案の定、ですか」
黎の唇がゆっくりと弧を描く。
「ダイヤとルビーは跡付け。同じように加工したものがあれば代えはきく。しかし主が買い付けた台座は代えがきくような代物でない」
「…だから、吾妻氏に指輪が遺品の中にない事に気づかれる前に、なくなった指輪を探そうとした…そういうことですか」
言葉を繋げた十ヶ崎に、黎は浅く頷き、更に推理を展開させる。
「そして吾妻老人はおそらく欧州で魔術を学んでいる。確証はまだないがすぐにそれも掴める」
誰が知らせたわけでもないのに誰よりも先に何が盗まれたか、誰が盗んでどうなったかを知っている。何か術か何かを用いている可能性が高いと。
「……愛する者の死、愛する者に贈ったギメルリング…それに刻まれた赤子と骸骨…誕生と死…再生と死…?」
「指輪自体は十六世紀後期から十七世紀初期にかけて既に存在していたものですから…選んだモチーフ自体は偶然だったかもしれません」
だが偶然、とするには少々出来すぎている観は否めない。
黎と十ヶ崎の脳裏でバラバラのパズルのピースが少しずつはまりだしている。
そしてラストピースは指輪。
台座の重なり合う内側にそれぞれ刻まれた、向かい合う赤子と骸骨のモチーフ。
「こちらの情報収集も途中だが、これは一度他の連中と合流して情報交換した方がよさそうだ」
■運命に従う者
他の連中とは別に、単独で調査をするレイザーズは、調査をしに出た筈が…ものの見事に迷っていた。
写真の複製を眺めつつ、これが場所や生物であるならばすぐに見つけることも出来たのだがと歯噛みする。
「…地道に探すしかないってところだけど、こんな小さな指輪一つ。広大な砂漠でゴマ粒一つ探せと言っているようなものだな」
言葉だけならば彼女に解読できないものは殆どないに等しい。
「ヘブライ語のアレフベートにある…ギメル…意味は双子、対なるもの…リングに刻まれた赤子と骸骨…それぞれ象徴するものは誕生と死…若しくは再生と死…それが指輪に刻まれてるということは…どういうことだろう?」
言語学には精通しているものの、ことアンティークとなるとレイザーズの専門外だ。
自分の中に流れる「定め」が何故この依頼を受ける気にさせたのか、この依頼に自分がどう関わるべきなのか。
現時点ではまだそれが解らないでいる。
「!った…!!」
少し虚ろな目で視線を落としていた矢先のこと、頭上から降ってきた硬い何かが脳天を直撃した。
「ったく!なんだってんだ!!」
痛みをこらえながら自分の脳天を襲ったものを探すと、目に留まったのは先程まで何もなかった地面に落ちている安っぽい金メッキで加工されたブローチ。
「…こんなものがどこから…」
ふと見上げると、木の上に鳥の巣らしきものが見えた。
あそこから落ちてきたんだろうかと首をかしげていると、親鳥らしき影が帰ってきた。烏だ。
「なるほどね…烏は光物を集める習性があるしな……」
理由は判明したとばかりに、踵を返し、その場から離れようとしたその矢先。
はたと足を止め、もう一度頭上の烏の巣を見やる。
確か依頼人は探してくれと言っただけで、盗まれたとか紛失したとか、もっともらしい理由を全て省いた上で依頼しに来た筈。
それというのも、指輪が突然なくなったからではないだろうか。
誰が盗んだとも、全く手がかりがないからなんではないだろうか。
そして、もしかするとその犯人は…
「――よし…」
一つの可能性として提示するのも悪くないだろう、そう思ったレイザーズは先ほど出てきた草間興信所を脳裏に浮かべ、瞬時に移動した。
■メメント・モリ・ギメルリング
各々が集めてきた情報は推測であり、確信であり、新たに増えた事実。
時を同じくして興信所に戻ってきた彼らは、それぞれの調査で得た情報を伝え合う。
「こっちは骨董としての価値が大きいことと、この写真の裏に文字が書かれていたことしかわからなかったわ。文字の意味もわかってないの」
シュラインが思った以上に指輪の所在に関する情報がつかめなかったと、溜息混じりに言うと、黎と十ヶ崎が依頼人に直接会って得た情報と、そこから推測した裏事情を話す。
「指輪は最近亡くなられた御厨氏が仕える吾妻氏の奥方の遺品だそうです。そして、何故理由もいわず急いで探せと、石がなくてもいいから台座だけでもと言われる理由が見えてきましたよ」
「確かか?」
草間の問いには、今しがた電話を終えた黎が答えた。
「吾妻氏は黒魔術をかじっていて、人が屋敷のものを許可なく持ち出そうとすると死に至るよう術をかけていたらしいが、吾妻氏はまだ指輪がなくなった事に気づいていない。従って指輪は人為的になくなった訳ではない。何かにまぎれてしまったか、動物が持っていく…または飲み込んでしまったか…」
「なるほど…ってかやっぱりまた怪奇がらみかよ!?」
それだけでもうがっくりと肩を落とし、深い溜息をつく草間。
そんな草間はさて置き、最後に残っていたレイザーズは、自分が推理してみた見解を述べた。
「――さっきもそっちの長髪のキミが言ったように…動物の可能性が高いと思われる。まず第一候補としては烏。あれらは光物を好んで素に溜め込む習性があるから、吾妻邸周辺でカラスの巣がありそうな所は一箇所だけ…少々不恰好ではあるが探してみてもいいと思う。ところでそっちのキミ、写真にはなんて書いてあったんだ?」
そう言いながらくりんとした猫目をシュラインに向ける。
「えっと、「memento mori」って走り書きの後が残ってたんだけど…聞き覚えはあるんだけど何語かわからなかったのよ。ネットで調べればよかったんだけど…」
質屋や蒐集家、出版社に当たりをつけていたのでネットは失念していたらしい。
シュラインが言った言葉に、レイザーズはなるほど、と頷いた。
「指輪のデザインとその言葉…間違いないね。「memento mori」の第一義は「形見、思い出の品」であり、ラテン語の原義は「忘るることなかれ」「to remenber」だ。そしてもっともよく知られている成句が「死を想え」…この写真の指輪のモチーフが赤子と骸骨ってことはそれぞれが意味するのは誕生と死…コリントの信徒への手紙15章によれば、中世期、カトリック教会のある修道院で、日常の挨拶の言葉として用いられていたらしい。朝会えば、互いに「死を想うているか」と問い交わし、夕べに別れる時も「死を想おう」と励まし合うのだそうだ」
「死を想う」それは今という時を貴重なものに思い、その時をこよなく愛し、自分の命を大切に生きようと思う事につながっていく。
修道僧達は互いに死への想いを呼び覚ますことによって、今を厳しく、そして豊かに生きることを求めた。
それが「memento mori」という言葉に含まれた意味だと、レイザーズは語った。
「…中世の時代にその慣習を言葉を、形として残した結果がこの写真の指輪ということか…」
煙草に火をつけながら草間が呟く。
「言葉自体には形見とか今しがた述べた死を想うことの意味だけだけど、指輪に関して言えば赤子と骸骨という対照的なものを揃えることによって永遠を示す場合にも用いられる。だからこの指輪自体エンゲージリングとして作られたものじゃないのかな?」
永遠の愛を誓う、そういう意味を込めて。
「――一応、ロマンチックというべきなのかしら? まぁ指輪の意味とこの走り書きの意味はわかったとして…問題はモノが何処にあるかよね。今のところ人手に渡った様子が無いと見ると…動物案を支持するしかなさそうね」
一同静まり返ったが、一番面倒な上にオチとしてはあまりにも呆気ない結果になるであろうこの最終案。
問題は誰がそれを確かめるか…だ。
「人が登り難いような場所はボクの力で何とかなるだろうけど、だからと言ってそう頻繁に使ってられるものでもない。もう一人自力で登る奴が必要だね」
「…わーった。俺がやるよ…」
協力を頼んだのは俺だしな、と吝かではない様子で挙手する草間。
「大丈夫?武彦さん…」
「無理するなよ、武彦」
「気をつけてくださいね、草間さん」
と、口々に言われるが、開き直って人間は強い。
「大丈夫、だーいじょーうぶ…何とかなるさ」
吾妻邸から程近い公園内で、傍目にも怪しい行動が開始される。
レイザーズの場合、見るのは一瞬なので周囲の目には全くとまらないのだが、草間の方は登っている段階からして注目を集める。
「…これでホントにあったら喜ぶべきなのか呆れるべきなのか…」
そうして周囲に親鳥がいない事を確認してから、素早く登って巣の中を確認するという作業が数回繰り返された時だった。
「あった」
レイザーズが見た巣の中に、それと思しき指輪が入っている。
一先ず手に取り、下で様子を窺っている仲間と共に、写真と巣の中にあったそれを見比べた。
「……間違いないわね。ルビーとダイヤ、ギメルリング、開いた中のモチーフが骸骨と赤子……」
ルーペで内側を確認したシュラインが溜息混じりにそう答える。
「――マジかよ…」
依頼が完了したと喜ぶべきなのだろうが、これが本当に探偵の仕事なのかとへたり込む草間。
ハードボイルドはどこへやら。
「…まぁ、経過はどうであれ、見つかった事には変わりない」
「そうですね、ただ…これを御厨氏に届ける際に、屋敷にこれを持ち込む事によって吾妻氏に察知される恐れがある。それが次の問題です」
当然これにも術は施されているだろう。
「…見つかったはいいけれど…今度は気づかれないようにどうやって邸内に持ち込むか…ね」
「――いや、恐らく…もう気づかれている」
黎は公園から見える吾妻邸を見ながらそう呟く。
「俺たちの行動は既に監視されているようだ」
― 前編 了 ―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1561 / 黎・迅胤 / 男性 / 31歳 / 危険便利屋】
【3419 / 十ヶ崎・正 / 男性 / 27歳 / 美術館オーナー兼仲介業】
【4955 / レイザーズ・エッジ / 女性 / 22歳 / 流民】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、鴉です。
【失われたギメル】前編、如何でしたでしょうか?
参加PC各々の個性が出せたかどうか、気になるところですが…
終盤一部ギャグテイストですが、それは書き手の性分だったりもするのでご了承下さい(爆)
後編の募集開始は1月10日を予定しております。次回またお会いできる事を願って…
ともあれ、このノベルに際し何かご意見等ありましたら遠慮なくお報せいただけますと幸いです。
この度は当方に発注して頂きました事、重ねてお礼申し上げます。
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