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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


実験+悪戯=?

 ある日の魔法薬屋の、ある日常……
 今朝は、主の姿が見当たらなかった。代わりにあったのは、床に無造作に落ちている一冊の本――

 やがて。

 ぼんっ!
「――っと」
 床に落ちていた本が、軽い弾けるような音と、白い煙とともに変貌をとげる。
 長い黒髪をさらりと後ろに流し、薄水色ローブをはおった美しい女性がその場にいた。
「やれやれ、ひどい目に遭ったものだ」
 ぽんぽんと衣服を払い、女性はため息をつく。
 彼女こそがこの薬屋の主――シリューナ・リュクテイアである。
 シリューナは苦々しい顔で、自分が指にはめた指環を見やった。
 銀細工のシンプルな指環。それは彼女が自分で作った、呪術アイテムだ。はめた者は一時的に姿を何にでも変えられるようになる。
 もっとも、ただそれだけではつまらなかったので、特に精神集中をする必要もなく、頭で思っただけで変身できるようにしたのだが――
「指環の感度が強すぎたかな」
 シリューナは指環をはずしながら考えた。
 実験として、自分ではめてみて色々と動物に変身してみたのだが――ふと、部屋にあった書物を見た瞬間。
 自分も本になってしまった。
 ――指環の効力が強すぎて、頭で思ったもの、それそのものに本当になってしまうらしい。
 本のままでは何をすることもできず、指環の効力が切れるまで待つしかなかった。
「これは失敗作だな」
 即処分。そう思ったそのときに――

「こんにちは〜。お姉さま、今日は何かお手伝いすることありますかあ?」

 店にやってきたのは、長い黒髪でありながら、前髪の横一部だけが紫色をしているという不思議で綺麗な髪を、紫のリボンで飾った赤い瞳の少女。
 ファルス・ティレイラ。シリューナの弟子であるとともに、何でも屋的お手伝いとしてしばしばこの店にやってくる。
 そのティレイラのかわいらしい声を聞いた瞬間――
 シリューナの、指環を処分しようとしていた手がとまった。
 にやりと、美しい赤い瞳の女性は怪しく微笑んだ。

     *****

「えっ? この指環私がはめるんですか?」
 シリューナが差し出した指環に、ティレイラが目を輝かせる。
「ああ。その指環は能力を高めてくれる。まあいつものごとく実験だが、はめてみろ」
「はい!」
 “能力を高めるための実験”。ティレイラには魅力的だった。彼女は、すぐに指環をはめた。
「さあ、実験を始めてみるかな。――と、その前に」
 シリューナはふと思い出したように「そうだった、掃除も頼もうと思っていたんだ。実験の前に頼んでもいいか?」
「もちろんです!」
 と、気合の入った声をティレイラが出したその瞬間――

 ぼんっ

 ――ころん、と床にほうきが転がった。
 シリューナは腹を抱えて笑った。
「はははは! さすがティレ、期待を裏切らないな……!」
『〜〜〜〜〜〜!』
 ほうきとなってしまったティレイラが何かを訴えているが、もちろん声など分からない。
 ひとしきり笑ってから、シリューナはほうきを手に取り、
「さあて、掃除でもするかな」
 などとほうきではく仕種をする。
 指環の効力が切れるまで、このほうきで遊んでやろう。そう考えたとき、ふと――今度は本当に思い出した。
「ああいけない。実験の途中だったから――机を整頓しようと思っていたんだった。そのための布巾をさがしていたんだ」
 ……本になる前に。
 布巾、布巾とほうきを片手に持ちながら、別の掃除用具を求めてシリューナが歩き出そうとしたとき、

 ぼんっ

「ん?」
 いつの間にか、手の中にあったほうきが布巾へと変化していた。
「おや」
 シリューナは意外に思って目を見張り、それから「さすがティレイラ……!」と感嘆の声をあげた。
 自分が本になっていたときは、本そのものになって思考など完全になくなっていた。だから、戻ることもできなかったのだ。
 しかし、ティレイラの場合は違うらしい。
 彼女は、「物」になっても、思考している。
 だから最初にほうきになっているときも、何か訴えているような気配がしていたのだ――
「偉い。偉いぞティレ。さすが我が弟子。思いもよらない結果をもたらしてくれる」
 褒めるつもりで布巾をなでなでしてみたが、
『〜〜〜〜〜〜!』
 ……訴える気配しか返ってこない。そりゃそうだ。
「さて。せっかくティレの好意だ。この布巾で机を拭かせてもらおうか――」
 るんるんと予定の机を前に冗談半分――本気半分――で独り言を言うと、

 ぼんっ

「……ティレイラ。できれば、小さめの物を選んでなってくれないか」
 布巾が変身したのは、まさしく『机』だった。たった今拭こうとしていたその机を、まんまコピーしたような。
 しかし、大きすぎてはっきり言って邪魔だ。
「まあ、なってしまったものは仕方ないか。ふむ……では、せっかく机があることだし実験結果を記録にまとめるとしよう。ペン、ペン、と……」

 ぼんっ

「いちいち、私の言うものを思い浮かべなくてもいいんだぞ、ティレ」
 シリューナはニセ机のあった場所にころんと転がったペンに、ぽつりと語りかける。
『〜〜〜〜〜〜!』
 訴えるようにペンが小刻みに揺れる。おお、とシリューナは感激した。
「動くことさえできるのか……! ティレイラ、今私は猛烈に感激しているぞ……!」
 さて、それはさておき――とシリューナはティレイラペンを手に取り、
「ではこれで実験結果を書くとするか。ノートはどこへ行ったか……」

 ぼんっ

「……分かりやすくてよろしい、ティレ」
 半ば呆れて、ノートに変身したティレイラにシリューナは言う。
 感動的なことに、ノートバージョンティレイラは、ぱらぱらと自力でページをめくった。それも訴える行動なのだろうが、シリューナは本気で身を打ち震わせた。
「素晴らしい!……ティレイラ、お前は永遠にそうやって変身し続けて新しい結果を私にもたらしてくれ」
『〜〜〜〜〜〜〜!』
 ――これほどものすごい迫力でノートににらみつけられた経験がある人間など、世の中にどれだけいるだろう。
「ふむ……」
 ふと、シリューナは壁時計を見やる。
 お昼の時間だった。
「昼だな。本来ならお前に作ってもらうところなんだが」

 ぼんっ

「……お前が私の栄養になってくれるのか? 素晴らしいまでの献身さ、自己犠牲愛だ」
 目の前にフルコース料理が並んだのを見て、シリューナはうっとりと言う。
 フルコース全体から、恐ろしいまでの殺気を感じたが、美しき師匠にはまったく効果がなかった。
「しかし、食べるのにはスプーンにフォークが必要――」

 ぼんっ

「ああ、用意のいいことだティレ。しかし今度は料理がないぞ」
 にこにこと。シリューナはスプーンとフォークに分裂したティレイラを笑顔で見下ろす。

 ぼんっ

「……だからって、また料理『だけ』に変身してもしょうがないだろう」

 ぼんっ

「ああ、スプーンフォーク付にはどうやらできないんだな。分かった分かった」
 スプーンとフォークに戻ったティレイラを手にし、シリューナはそれをまじまじと見つめる。
 本当にティレイラは潜在能力のすごさというのか……思いもかけないことをやってくれる。
 思いもかけない物にも変身してくれるし。
 スプーンフォーク付料理に、本気で挑戦したようだし。
「お前……」
 ふと気になって、シリューナは訊いた。「自分がなりたいものはないのか? 今ならなり放題だぞ」
 少しだけ悪戯気分を取り払って、真顔で尋ねる。
 しばらくの間の後――

 ぼんっ

 ――もくもくと、いつも以上の煙が立ちこめて、シリューナは思わず咳き込んだ。
「あっあっ、お姉さま、大丈夫ですか」
 久しぶりの声が聞こえた。ただし――何だかいつものティレイラの声ではない。
 シリューナは呆気にとられて、煙の中にうっすら見えているティレイラの姿を見た。
 長い黒髪に、薄水色のローブ……
「ティレ……それじゃ、私じゃないか」
 自分のそっくりさんが目の前に現れ、自分と同じ声で「お姉さま」と呼ばれ、シリューナは複雑な気分になる。
「だって……」
 ティレイラはシリューナの姿のまま、シリューナならば決してしないような仕種で上目遣いをした。
「自分がなりたいもの、なんて、お姉さまがおっしゃるから……」
「―――」
 かわいすぎることを言ったティレイラに、無性にいとおしさがこみあげる。
 自分自身と同じ姿であるのも忘れて、シリューナはティレイラを抱きしめた。
「かわいいティレ! やっぱりお前を石像にでも銅像にでもして、オブジェにして私の家に飾りたい……!」
 ちょっとアブないことまで口走りながらぎゅっと弟子を抱きしめていると――

 ぼんっ

 もくもくもく……
 煙の中から次に現れた物を見て、シリューナの視線が冷え切ったものへと変わる。
「ティレ……」
 紡ぎ出された声も、冷たく低く……
「どうして……そこで、『私の姿の銅像』になるんだ……?」
 その姿に変身する。それすなわち、
「何を想像したんだ? ティレイラ」
 にっこり。
 シリューナ型銅像姿のティレイラが、なぜかありもしない冷や汗を流す。
「指環の誤作動? まさかな。ふふ。さすがティレ……どうしても私のお仕置きが欲しいようだ」
 シリューナの手が呪術道具へとかかる――

 やがて銅像から戻ったティレイラの、悲痛な声が薬屋を満たしていった。

 実験+悪戯=お仕置き。
 ――それは、この薬屋において……シリューナとティレイラにおいて、たしかに成立する公式である。
 公式の犠牲となったかわいい少女に、合掌。


―Fin―