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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


山烏 不意に詠いし 呪い歌


 多摩の奥地に黒崎という村がある。他府県なら話題にも上がらないごく普通の村なのだが、東京都に属するという理由でこの地は非常に有名だ。実はこの村、東京でありながら毎年のように積雪を記録するのである。当然、東京都という土地柄を考えてもそれだけ多くの雪が積もるわけがない。長靴を履けば歩ける程度の積雪しかないのだが、雪を知らない都会人にとっては珍しく幻想的な場所なのだ。だから冬になると、この村はちょっとした観光スポットとして賑わう。黒崎村は暖かい季節に取れた野菜を加工した土産物や山に囲まれた風土を活かした木造りの小物などを売ることで財政を潤しているのだ。
 そんな村の青年団の代表が草間興信所を頼ってはるばる東京の街までやってきた。農業で鍛えられたであろうがっちりした体を粗末なソファーの上で小さくすぼめ、所長である武彦のご機嫌を上目で伺う。一方の草間は、彼が部屋に入ってきた時からどうも嫌な予感がした。彼と目が合うなり「先生ぇ〜!」と呼ばれるし、零がお茶を出したくらいでしつこいくらいにお辞儀するし……こういう客の持ってくる依頼は断りにくいから困る。さらに内容が厄介で謝礼が安いとなれば、もう踏んだり蹴ったりだ。とりあえず目先の不安を解消すべく、武彦は青年に話を引き出そうと灰皿の曲面にタバコを押しつけるとゆっくりと口を開いた。

 「まぁ……恐縮されてばかりでもなんだ、こっちも困ってしまうんでね。早く用件を言ってくれ。」
 「ああ、先生ぇ。それは申し訳ないことをしましただ。噂に名高い怪奇探偵さんを目の前にすると、さすがに緊張しちまって……」

 尊敬の念を込めてそんなことを言われると、さすがの武彦も怒りを通り越して困惑し苦笑いを浮かべる。とりあえず気を紛らわすためにテーブルに置いたタバコの箱に手を伸ばした。

 「先生はぁ……動物などを相手にされたことはおありですか?」
 「動物? 人を呪い殺す化け猫とか、そんな類の話か?」

 過去の事件を引き合いに出しながらタバコに火をつける武彦。すると青年は何度も小刻みに首を動かした。どうやらストライクゾーンには入っているらしい。

 「かなり近けぇです。黒崎村には殺人の予言をする身の丈3メートルもあろうかというでっけぇ山烏が住みついておるんです。長生きしとる婆さんに聞くと、どうも太平洋戦争あたりからいるらしいんですがね。」
 「待て。お前、今『殺人の予言をする烏』とか言ったな。そいつが直接だな……人間を殺すって訳じゃないのか?」
 「それだったら東京の役場も烏の捕獲に動いてくれるんでしょうけど、実際に人を殺すのは村のもんですだ。村人が村人を襲うからってんで、そのたびに東京の警察さんだけが村に来て、事件を処理してさっさと帰っていくというわけでして……」

 武彦はタバコの煙とため息を同時に吐き出した。これは確かに厄介な事件だ。彼はことの詳細を青年から聞き出した。

 黒崎村に住んでいる山烏は何らかの理由で言霊らしき音の流れを耳にしたらしく、それを村の上空で聞かせることがあるらしい。おそらくその文言は「あやめしかー」という部分だろうと青年は語る。これは草間興信所に来る前に有名な霊媒師に聞いたから間違いないらしい。つまり問題の文言は『人を殺める』という意味に繋がるのではないかというのだ。その推論に武彦は同調した。そして殺人事件が起こるのは、決まってその鳴き声があった後である。いくらオカルトに無関心な人間でも、山烏がこの件に無関係だとは誰も思わない。だから村人たちは皆この声を恐れ、山烏が飛ぶ時は家の中にこもって耳を塞いで怯えているのだ。
 青年は武彦に早急な対応をお願いすべく、前金として持ってきた風呂敷包みを目の前に差し出した。武彦はそれを受け取る前に「黒崎村はまだ雪が積もってないんだな」と聞く。すると青年は首を縦に振った。それを聞いて武彦はまずは胸を撫で下ろす。そしてすぐに「山狩りをするなら今のうちだな」と口にした。青年は山狩りに村の人間を使うのかと思ったらしくかなりうろたえたが、武彦にそんなつもりはさらさらなかった。狼狽する彼に「自分が集めた人間で山狩りはするから安心しろ」と伝えると、さっそく零に電話をさせた。作戦の決行日は今週の土曜日。天候が崩れないうちに片付けてしまう方がいいだろうと言い、とりあえずはこの依頼を引き受けることにした。この時、武彦はまさか我が身に災いが降りかかろうとは微塵も思っていなかった。


 そして当日の朝を迎えた。雨や雪でないだけでも幸いだったが、灰色の雲が分厚いじゅうたんのように東京の空を敷き詰めていた。零が最後の確認で青年団の男に連絡を取った時は『こっちも曇ってますねぇ』との返事があった。週間天気予報では週明けから関東地方でも小雪が舞い散る西高東低の気圧配置が強まるそうだ。こちらはシュラインが集めた情報である。日暮れまでに問題を片付けなければ、依頼自体がフイになってしまう。草間はメンバー全員を車に乗せ、ゆっくりと道路を走り始めた。もちろん今回も零はお留守番である。レンタカーに向かって手を振り、いつもの笑顔でお見送りした。バックミラーでそれを見ていた草間は深い溜め息を漏らす。

 「ふぅ、本当なら零の力も借りたいところなんだが……今回は事件が事件だけに難しいところだ。」
 「草間先生はどう思う? やっぱりこれって山烏が妖怪か何かだと思う?」

 ひょっこりとバックミラーに顔を出したのは姉の庇護でプータローをしている十里楠 真雄だ。彼の座る後部座席の両脇には、この件に協力してすると申し出たふたりの男女が座っている。ひとりは警視庁の制服を着ていくつもの大きな紙袋をトランクに押し込んで車に乗り込んだ不動 望子、もうひとりは金色の髪の先を静かに撫でている長身の紳士でリンスター財閥の庭園を管理しているモーリス・ラジアル。彼らもまた今回の奇妙な事件に興味を抱き、それを解決に導こうとする者たちなのだ。

 「センサーで対象を分析し対超一課のデータベースで調査した結果、自然発生ならびに人為的に生み出された存在ではないようです。また呪いや怨念の集合体でもなさそうですね。」
 「つまりは本当に普通の大烏……長生きのコツを覚えたレイヴンというわけですね?」
 「そういうことです。黒崎村の方が草間さんの前に尋ねた霊媒師って、実は私の伯父なんです。上司からも調査に協力するよう指示されましたので、皆さんどうぞよろしくお願いします。」
 「こちらこそ、だな。黒崎は村というだけあって、ケータイが繋がらないらしくってな。連絡手段に迷ってたんだ。トランクに積んだ荷物の中に特殊アンテナがあったよな。あれは村に着いたらさっそく設置してもらうよ。」
 「お役に立てて光栄です。」

 この中では一番若い真雄が「黒崎村っていつもケータイ通じないの?」と驚きの表情で語る。東京と名のつくところでケータイが通じない場所があったのかと言った表情だ。さすがに彼も連絡手段のことまでは考えてなかったらしい。ひとまずは解決策があるということで、真雄は胸を撫で下ろした。彼は『面白そうだから』というだけの理由でこの依頼に参加したのだが、周囲にそれがバレないようにうまくにこやか笑みを振りまく。すると草間やモーリスからもツッコミがあって、車内の雰囲気はずいぶんと温まった。ところが真雄はたまに助手席に目をやり、今までずっと黙っている女性の様子を伺う。彼女だけはいつまで経っても笑おうとしないのが気になって気になって仕方なかった。
 ただ通り行く景色を見ながら助手席に座っているシュラインは両手と心の奥で強い思いを握り締めていた。問題の山烏はもしかしたら過去に自分が経験した辛い境遇を味わうのかもしれない。あの辛さを動物であろうとも経験させたくはない……それだけは絶対に阻止したい。その思いが彼女の背中を押し、自ら率先して草間よりも迅速で膨大な量の調査を行わせた。所長はシュラインの気持ちを汲み、零と共に彼女がやっている仕事を分担してこなす。彼女は言霊に関する情報を持つ者や能力者たちにアポを取り、事件に関する情報やさまざまな能力を具現化する独特な音のリズムを調査でよく使うレコーダーに録音し、それを編集したものをバッグの中に忍ばせていた。今回もシュラインは準備万端である。

 彼らを乗せた車は緩やかなカーブを何度も曲がり、いくつもの坂道を越える。田舎によくある田園風景から一転、昼間でも日の射さないような木々のアーチを通り抜けていく。この先の開けた場所……正確には小さな盆地があるのだが、そこが黒崎村である。村の入り口を示す立て看板を境に道は徐々に下っていく。モーリスは「まるで陸の孤島ですね」と第一印象を口にした。すると真雄も彼に同調し何度も頷きながら「この村じゃなかったらホントに大変なことになってたんじゃない?」と草間に話し掛ける。探偵の勘だろうか、草間の表情は空模様と同じく曇り始めていた。
 この村を上から見た時、盆地のど真ん中に家々が集まっていた。そこに黒崎村の公民館や青年団の事務所、そして村長の家などがあるらしい。草間はその近くにある空き地に車を停めようとした。理由は簡単だ。すでに一台の車がここに停車してあったからである。ところがこれがまた田舎にまったくそぐわない威厳漂う黒塗りの高級車で、草間はあえて自分の車を遠くに停めた。真横につけようものなら、連中が勢いよくドアを開けて相手の車にぶつけるかもしれない。ここは広い空き地を有効利用するのが正解だと考え、エンジンを止めて目的地到着を同乗者に告げた。車のトランクからシュラインや望子が荷物を降ろしていると、村の中から青年団の代表が慌ててやってくる。後ろからは黒スーツの男が自分のペースを守りながらゆっくりと迫っていた。

 「いやぁ、草間先生ぇ。我々は首を長くしてお待ちしておりました〜。」
 「ご期待に添えるかどうかわからんがよろしくな。ところでお前、俺の他にも別の探偵を雇ったのか?」
 「こちらは警視庁のお偉いさんで、近衛 誠司さまと申します。」
 「草間、久しぶりだな。不動くん、ここまでご苦労。」
 「お、お前、こんなところにまで! ってなぁ、少しは階級考えろよ。」

 突然にして現れた近衛に対し、草間は驚くというよりも半ば呆れた表情を見せる。こんなところに来るのに部下もつけないなんて非常識もいいところだ。思わず黒塗りの車に視線を飛ばし「あれ、お前のか?」と聞くと相手は頷いた。やはり単独で調査しているようだ。草間はタバコを出しながら頭を掻く。望子も警視正が現場臨場しているとは知らず、持っていた荷物を慌ててトランクに戻すと、すぐさま敬礼して挨拶した。

 「近衛警視正、お疲れ様です!」
 「そんなに固くならなくてもいい。今日は俺ひとりだからな。対超一課からも『部下の面倒を見てほしい』との伝言があったが、今日は君のやりたいようにやればいい。準備も怠りないようだしな。期待している。」
 「了解! では準備に移ります!」
 「このふたりがいるだけで村人の安心感は格段に違うでしょうね。」
 「警視庁のスゴい人が来たってだけでもう救われたって気分になってる人、結構いるんじゃない?」
 「それを現実にするのが私たちの仕事ですよ、真雄さん。」

 モーリスと真雄は意味深な微笑みを交し合う。ふたりが話している間も準備作業は着々と進められた。望子の特殊アンテナ設置は青年団の協力もあり、思ったよりも早く設置完了。それぞれのケータイが通じるかどうかのチェックを終えた後、今度はシュラインが青年団の代表を捕まえてさまざまな提案をする。

 「さっき村の入り口から集落を見渡した時、村の連絡用に使ってるスピーカーが見えたんだけど……あれは今も使ってる?」
 「よく昼間に演歌とかをかけとりますが……」
 「じゃあ私たちが山狩りを始めたら、このテープをかけて。」
 「ず、ずっとですか?」
 「私がいいって言うまで絶対にやめないで。心穏やかにする効果がある音が出るの。」

 そこまで黙って話を聞いた近衛が彼女のフォローに回る。「これは山烏の発する言霊の効果を和らげるものだ」と改めて説明し、「これ以上の被害者を出さぬための工夫である」と付け加えた。代表は彼の説明で納得し、至急放送係にテープを手渡して今すぐ放送するようにと指示を出す。また殺人が起きるかもと脅されたような気持ちになった男は飛んでいった。やはり山烏の脅威は依然として村に根付いている。
 シュラインは近衛に礼を言うと、今度はバッグの中から草間の上着を出し始めた。いつもの彼女らしくないな……そう感じた近衛は草間を捕まえて耳打ちする。

 「いつもの落ち着きがないな。彼女ならあの説明に苦慮するはずがない。」
 「あいつ、ちょっと落ち込んでるみたいでな。俺たちが山烏を殺したり声帯を潰したりするかもしれないから気が気でないんだろう。今だからはきはき喋るけど、昔は失声症だったらしいからな。」
 「他人の気がしない、か。カラスに罪がなければ生かしておいてもいいがな。」

 草間は携帯灰皿にタバコを突っ込みながら話を続ける。

 「お前さん、なんでここにいるんだ。一連の事件は単なる殺人ってことで片付けたんじゃなかったのか?」
 「実は『黒崎村で何度も同じような事件が起こっている』のを部下がずいぶんと気にしていてね。私が独自でこの一連の事件を少し調べてみた。報告書にも目を通したが、村人の証言に何度も『山烏』とあった。それで直に飛ぶ姿を確認しようとここまで車で来たというわけだ。」
 「話のわかる人間がこんなお偉いさんってのも肩が凝る話だ。それで?」
 「カラスは頭がいい。直に言葉を教えたり何度も聞いたりすれば自然と人語も解す。もし山烏が悪意を持たずに殺人を誘う言霊を発しているなら、逮捕・拘留中の犯人たちに心霊的治療を施した後、釈放することも可能だ。」

 毅然とした態度で事実だけを口にする近衛。草間は耳を疑いながらも彼に問うた。

 「おいおい、まさか今回の件はすべて殺人罪は適応されないとでも……」
 「供述調書を見ても加害者と被害者との関係の深さはまちまちで、精神鑑定でも人を殺すまでの怨恨を深層心理に持つ村人はひとりもいなかった。つまり殺人は山烏の言霊を聞いたから行ったということになる。確かに逮捕された人間は殺人者かもしれないが、同時に被害者でもあると言えよう。」
 「恩赦か特赦を適応してまとめて釈放、ってことか。」
 「いや、その場合は無罪を適応する。だが、そのためには山烏が邪悪な言霊を発したという証拠が必要になる。」
 「お前は確か……言霊使いだったな。それで自分が証人になろうと言うんだな?」
 「そうでなければここには来ない。ああ、お前は捜索隊に入れないだろうから、俺と不動巡査でここに待機だ。」
 「うん……って、な、なんだと?!」

 防寒具を羽織りながら話を聞いていた草間は驚きの声を張り上げる。はっと真雄とモーリスに視線を飛ばすが、ふたりとも素知らぬ振り。望子は立場上の問題もあり、上司の命令には逆らえない。残るはシュラインだが……ここは草間の期待通り、近衛に理由を聞いてくれた。

 「ちょ、ちょっと。これはうちが引き受けた依頼だから武彦さんが行かないと示しがつかないんだけど……」
 「実は俺もここに来るまでは知らなかった。草間がこの村で英雄的な扱いを受けていることをな。」
 「なんだって?!」
 「さっき『スピーカーで演歌を流している』と言っていたが、同時にお前のことも宣伝していたようだな。失礼のないようにおもてなしせよとのことだ。そこでお前が下手に山をうろつくと、村人が得た安心感を台無しにしてしまうかもしれない。それでもいいのか?」
 「嫌な予感が当たったな。最初から『先生』とか呼ぶからおかしいとは思っていたが、オカルト探偵ってだけでそこまで信用してたのか。じゃあシュラインは真雄とモーリスでチームを組んで山狩りに行ってくれ。俺は村の中でおとなしくしてるよ。」
 「山狩り組は十分に気をつけてくれ。俺は碁盤の目に慣れているせいか、道なき道を行くのは不得手でな。足手まといにならぬようここに残る。後のことは任せろ。」

 シュラインたちは小さく頷くと、代表からどのあたりに山烏がいるかを聞き出す。目標は昔から木炭作りに利用していた小屋の近くにある洞窟に居座っているという。先祖が利用していただけに道はそれほど険しくなく、女性の足でも小一時間もあればたどり着くだろうとのことだ。盆地である村からでも、彼の住処である黒い口がわずかに見える。3人は「村をよろしく」と言い残すと、山烏と対面するために歩き始めた。
 近衛は彼らの姿が小さくなるまで直立不動で見届けると、望子に「連絡および鳴き声の記録などに関してはその一切を任せる」と命じる。そして続けざまに『あること』を耳打ちした。望子は一応「わかりました」と返事をしたが、はっきりと上司の真意を汲めずにいた。なぜそんなことを自分に命じたのだろうか……謎は深まるばかりだった。


 山狩りに向かったシュラインは大きな羽音などを聞き逃さないよう慎重に歩いていた。そして万が一相手が巣に戻っていないことを想定し、鳥笛を吹いて洞窟に戻るように仕向ける。もちろん山烏は野生の動物であることは承知の上だ。しかし何もせずに先へ進むのは無謀すぎる。左手は常にレコーダーの再生ボタンに指をかけ、いつ山烏と遭遇してもいいようにしていた。思った以上に楽な道だったからか、真雄はポケットに手を突っ込みながら歩く。のほほんとした表情はいつも通りだが、その手はポケットに忍ばせてあるメスを握っていた。彼の力では先手を取ることができないが、悪しき言霊の力を確実に無効化することはできる。それは寄り添って歩くモーリスも同じだ。彼の場合はよほど自分の能力に自信があるらしく、車の中と対して変わらぬ優雅な立ち振る舞いをしていた。ただシュラインの行動と熱意に水を差さないようにと、ふたりとも好奇心を表に出さないよう気をつけた。
 ただでさえ緩やかな坂道が一段となだらかになった。ここが目的地なのだろう。右手は崖、左手に洞窟。そして前方には古ぼけた小屋が立っており、扉には錆びた南京錠がぶら下がっていた。呪いを怖れた村人がこの場を封印しようとしたのだろうか。吹き荒ぶ風は村の中よりもここの方が強く、不気味さがいっそう際立つ。モーリスが崖の手前で村を見下ろすと、確かに例の空き地がはっきりと見えた。これなら連絡も取りやすい。風向きと突風にさえ注意すれば、ギリギリまで行ってボディーランゲージを交えて通話することもできる。金髪の紳士がシュラインに報告をし終えたのと同じタイミングで、洞窟の中から大きな羽音が響いた。間違いない、山烏だ。彼はずっとここから動こうとしなかったのだ。来客を待っていたのか、それとも……

 「いよいよご対面だね。」
 「このレコーダーに人間の耳には聞こえない超高音域の音が入ってるわ。鳴きそうになったらこれで怯ませるから。できれば声帯を潰さずに鳴かない状態にして捕獲したいんだけど……無理かしら?」

 シュラインは率先して方針を示した。しかしモーリスから返ってきたのは彼女が予想だにしない言葉で、真雄もこれには素直に驚きの表情を見せる。緑色の瞳がシュラインの全身を捉えた。

 「ひとつお尋ねしますが、それは村人の注文なのですか? 生け捕りにしろというのは。」
 「そ、それは……わ、私の独断だけど……」
 「だろうねぇ。でもボクはそれでいいと思ってるんだけどさ。殺すのは性に合わないし。で、キミはどうなの?」

 真雄が彼女のフォローに回ったからか、モーリスは意地悪く微笑みながら正直に自分の考えを白状した。

 「シュラインさんがウソをついたりごまかしたりしたなら、草間さんに本当のことを聞き出して後の行動を考えようとも思いました。だが彼女は本当のことを言った。だから私も素直に行動することにします。私はこう見えても医師でしてね、動物言えども殺してしまうのにはいささかの抵抗を感じているんですよ。」
 「へぇ……そうなんだ。じゃ決まりだね、シュラインさん。」
 「モーリスさん、十里楠さん……ありがとう。じゃ、十分に気をつけて中に入りましょう。」

 彼女はふたりに深々と頭を下げた後、すぐに向きを変えて歩き出した。行き先は洞窟の中である。意を決して歩を進めたにも関わらず、暗闇はそれほど奥まで続いてはいなかった。とっさに3人は身構える。自分たちからかなり近い場所に人間の身の丈以上の大きさを誇る山烏がたたずんでいたからだ!

 「ウ、ウソ! こんなに近くにいたの?!」
 「うわ〜、言霊とかなんとかの前にこれ突かれたりしたらおしまいだよ。シュラインさん、もっと下がって。」
 「近衛警視正のお話にも出てきましたが、カラスは知恵のある動物です。ましてやこの大きさなら脳が既存種よりも数十倍発達している可能性がありますね。先ほどまでの我々の会話を理解しているとしても何の不思議もない。」
 「本当に日本語を理解してるなら、適当に喋ってくれるとボクはありがたいんだけど。ってあれっ、このカラス……あ〜あ〜、こりゃヒドい。」
 「真雄さん。どういう経緯で何を知ったのかは存じませんが、今はシュラインさんのためにもそれを早く言葉になさって下さい。」

 モーリスは真雄が能力を使ったことを知っていながら、わざと意地悪な言い回しをした。ところが真雄も相手にせっつかれてもまったく動じない。だが情報を出し惜しみする必要もないので、いつものマイペースと笑みを保ちながらシュラインたちに昔話を語った。もちろん山烏の警戒も怠らない。

 「たぶんここの先に……もうひとつ洞窟があったはずだ。今は入り口が何かの拍子で塞がって見えないんだけどね。そこで戦争に出兵したある家の旦那さんを奪い取ろうと考えていた女性がね、『奥さんが呪い死ぬように』ってせっせと丑の刻参りしてたみたい。」
 「原因はその女性、というわけですか?」
 「そういうわけ。でも彼女は霊媒師でも呪術師でもないただの人。嫉妬に狂った彼女は『羨ましい』だの『うっとうしい』だの言ってるうちに、ひょんなことから奥さんへの殺意が芽生えた。そして問題の『あやめしか〜』っていう文言を織り交ぜながら、毎日せっせと藁人形に釘を打ったのさ。ところがその一部始終をこの山烏が聞いていたんだね〜。」

 呪いをもたらすと村人が目の敵にした山烏を生み出したのは、なんと村の先祖だったとは何たる皮肉。さすがのシュラインも驚きを隠せない。モーリスは人の業の深さにしばし思いを巡らせながら、しばらくは黙って少年の説明に耳を傾けた。

 「じゃあ、言霊でさえも意図して生まれたわけじゃないの?!」
 「きっと偶然だね。泣いてる時に喋る言葉ってリズムが狂ってるでしょ。それがたまたま言霊のリズムを生んだ。」
 「そして山烏は偶然にもそれを覚えた……この事件で本当に不幸なのは、もしかしたら彼なのかもしれないですね。」

 この結論にたどり着いた時、誰もが同じことを考えていた。そう、『山烏に罪はない』ということだ。さらに全員の興味は「どうやって山烏は今まで生き延びたのか」に移ろうとしていたが、まだ肝心の言霊を封印していない。依然として油断できない状況の中、シュラインはレコーダーのボタンを押す決心をした。ところがその瞬間、モーリスが彼女の刺すような視線を左手で軽く遮り、ゆっくりと山烏に向かって歩き出すではないか。
 シュラインは味方に不意を突かれ、ボタンを押すタイミングを見失った。さらに肝心の山烏の姿までも見失った。慌てふためく彼女はレコーダーをいじったり、あたりを見回したりして落ち着かない様子を見せる。モーリスが何かをしたのは間違いない。まさか消したのでは……その心配は顔を青く染めた。すると突然、後ろから真雄の笑い声が木霊した。シュラインは紳士を指差しながら大笑いする少年を見て不思議そうな表情をしながら再び洞窟に体を向ける。その時彼女にもようやくその理由がわかった。モーリスの手のひらにぬいぐるみのような小さなカラスがちょこんとしゃがんでいたからだ。

 「あら、もしかしてこれがあの山烏?!」
 「サイズが大きかったのでこれくらいにしました。もちろん言霊となった文言がそのままだと危険なので、一文字変えて喋るようにしてあります。ちゃんと逃げないようにしてありますからご安心を。」
 「はははっ、これじゃ手乗り文鳥だなぁ。それじゃ帰ってから気持ちのいい言霊でも教育させる?」
 「そうね。私、ちゃんとその準備もしてきたから。これまでとは違う幸せな言霊を覚えさせましょ。」

 楽しそうな笑い声につられて、すっかり小さくなった山烏も「キャーキャー」と鳴いた。犯人なき事件は一応の解決を迎えたのである。


 「了解です。警視正ならびに草間さんにもお伝えします。それではお気をつけて。」

 特殊アンテナの前で報告を受けた望子は近衛に状況を報告した。それを聞いていた青年団の男たちは大喜びで村へ報告に向かう。スピーカーの音も止み、村に本当の平和が訪れた。しかし近衛は渋い顔を見せる。肝心の言霊を聞くことなく事件が終わってしまったからだ。このままでは未来の犯罪防止にはなるが、無実の罪を背負った村人たちが救われない。とりあえず自ら携帯電話で警視庁に報告し、明日にも黒崎村に捜索隊の派遣を要請した。過去に行われたという丑の刻参りの現場を発見するためだ。今はそれを発見するしか方法がない。この場所が一縷の希望だった。気難しい顔をする警視正の様子を伺う望子の視線を感じると、即座に指示を出す。

 「報告は了解。後の行動は草間とともに……と言いたいところだが、あいつはどこだ。」
 「はい、草間さんはすでに村人の皆さんに連れられて村長の家や公民館の捜索を行っている模様です。」
 「本人には『この場は探偵らしく振る舞っておけ』と言ってある。今ごろは捜査の真似事でもしてるに違いない。」
 「申し訳ありません、警視正。この空き地を離れると電波が極端に弱くなるので、草間さん尾行の件は……」
 「気にするな、不動巡査。俺が疑心暗鬼になっていた部分も少なからずある。今日はご苦労だった。」

 望子はこの時初めて笑顔を見せた。事件が終わったことを意味するさわやかな笑顔。近衛もつられてわずかに口元を緩めたが、どうしても目が笑わない。いや、不思議と笑ってくれないのだ。彼はネクタイを直しながら望子に背を向け、興奮で沸く村の中へと消えていった。それっきり近衛の姿を見た者はいない……


 その夜、村ではささやかな宴席が設けられた。近衛は車を残したままなのに、この場にも顔を出さない。おそらく望子に気を遣わせないためだろう。シュラインは「いい上司さんね」と手放しで誉めた。ところがそれを言う彼女もまた落ち着かない人間のひとりなのだ。帰ってからずっと草間の姿がない。近衛の話では村人から「先生」と呼ばれ、英雄扱いされていたはずだ。なのにこの場にいないとは奇妙な話である。青年団の代表がお酌しに来た時に彼がどこにいるか聞いたら「お寒いのに月を愛でながら縁側で飲む」と言ったらしい。そして熱燗を一本だけ持ってくるように指示されたそうだ。シュラインはすぐさまこの場を離れ、草間のいるという縁側へと向かう。モーリスも真雄も、そして望子もこの時ばかりは不思議そうな顔をしていた。
 質素な作りの縁側を覗くと、寒空の中心に月が輝いていた。本人はいない。シュラインはこの風情が引っかかった。なぜこの期に及んで草間はそんなことを言い出したのか。町内の忘年会で「年間の町内会費くらいは飲まないとな」と意気込むような男がだ。しかも今回はタダ酒なのに。確かに今日はずっと村人たちに尻を追っかけ回され、少し疲れたのかもしれない。もしかしたら近衛警視正と杯を酌み交わしているのかもしれない。

 「ったくどこ行ったのよ、武彦さん……」
 「……シュライン……」

 シュラインのつぶやきに答えるように、背後で草間の声がした。それを聞いた彼女は全身に寒気が走るのを感じていた。自分を呼ぶ声から研ぎ澄まされた殺気が沸々と湧き出している……違う、少なくともこの声は武彦のものではない。前回り受身の要領でその場をとっさに離れた彼女は反射的に草間の姿を見た。彼の手は刀を手にし、瞳はかっと見開いて立っている……明らかに常軌を逸した動きをしていた。

 「武彦さ……!」
 「死ねぇ!」

 草間はシュラインの呼びかけに応じず、闇雲に刀を振りかざす。普段はほとんど披露しないが、彼は格闘の心得がある。刃物の扱いにも慣れているのだ。シュラインは太刀筋を読んで一度は避けたが、次に同じような攻撃を仕掛けられればおそらく命はない。それ以前に彼女の心は木の葉のように揺れ、冷静な判断が下せる状況になかった。しかしそんな彼女の悲痛な表情をもってしても、草間の無情の刃は止まらない。

 「ははははは! はーーーはっはははははは! あ、あ、あ……殺めしかぁぁぁっ!!」
 「まっ、まさかっ! たっ、武彦さん! なっ、なんで山烏の呪いを?!」
 「死ねえぇぇぇーーーーーーーっ!!」

 混乱を極めたシュラインにとどめを刺すべく振り上げられた刀は月光に照らされて怪しく煌く。
 彼女の脳裏に山狩りの風景が広がる。
 真雄が原因を突き止めた。モーリスが解決した。望子が近衛に連絡した。
 ならば、いつ山烏が言霊を発した?
 到着後に彼が一度でも鳴いたなら、誰かが一緒に聞いているはずだ。
 スピーカーからは殺意を阻害する音が流れていた。確かに今は流れていない。
 でも草間ひとりが狂気に駆られるのはおかしい。

 答えがない……どこにも答えがない。
 シュラインは暗闇に迷い込んだ。そしてそれが永遠になろうとした……

  ドスッ!
 「きゃああああああ……………っ、あ、あら??」

 シュラインの身体に傷はつかなかった。彼女はそっと顔を上げる……そこにはふたりの間に割って入った望子が立っていた。草間は彼女の肘打ちをマトモに食らい、身を震わせながら倒れこむ。さっきの音はシュラインを刀で突き刺した音ではなく、望子の肘が草間のみぞおちに入った音だった。すると縁側に近衛警視正、そしてモーリスと真雄も入ってくる。

 「不動巡査、ご苦労。これで村人を全員救うことができる。」
 「恐縮です、近衛警視正。」
 「ど、ど、どういうことなの、これって?!」

 近衛はモーリスと真雄に草間の治療を任せ、自らは手にしたビデオカメラを前に出してシュラインに事情を説明し始めた。

 「あなたには申し訳ないが、わざと草間に襲われる役になってもらった。呪いの言霊を聞いた人間に襲われる被害者の役にね。村人の潔白を晴らすチャンスは今しかなく、時間的にも事実を伝えるのが困難だった。言い訳するつもりはないが、どうか気を悪くしないでほしい。」
 「それって、い、いったいどういうことよ!」

 ますます混乱するシュラインの肩に手を置き、望子が代わって事情を説明する。

 「実は皆さんが山狩りの最中に、私は近衛警視正から『片手間でいいから』と草間さんの監視をお願いされてました。でもあの場から離れると携帯電話の電波が極端に弱くなって、万が一の時に対応できなくなる……だから青年団の人にお願いして、アンテナと一緒に持ってきたビデオカメラで草間さんの一部始終を撮ってもらってたんです。」
 「宴席が設けられるまでの間、俺は村長の家でずっとこの記録を確認していた。すると草間がイヤホンで何かを聞かされている映像が出てきた。調査の名目でやってきた探偵に村人が協力するのは至極当然のことだ。ところがこのテープの中には……あの山烏の鳴き声が録音されていたんだ。このテープはすでに俺が確保したがね。」

 シュラインは近衛の言葉を聞き終わるか終わらないかのタイミングで「あっ!」と叫んだ。望子にも安堵の笑みがこぼれる。

 「ふうっ。山狩りが終わるまでの間は草間さんの変調はありませんでした。だってシュラインさんが抑制効果のある音をスピーカーから流すよう指示してましたから。」
 「それにあの鳴き声は直に聞いても即効性がないことはすでに証明されている。草間もそれくらいのことは村人から聞いているだろう。あれは遅効性の毒のようなもので、自分の深層意識の奥で無意味な殺意を育み、最後には衝動的に人を殺す。これが言霊殺人の全貌だ。おそらく草間がいきなり殺人鬼になったのは、衝動を抑制されていた分が反動となったと考えるべきだろう。」
 「無理なダイエットをすると前の体重よりも増えちゃうことってあるでしょ、リバウンド。あれみたいなもんだね。」

 真雄の解説に誰もが納得の表情を見せた。ふたりの医者がいれば草間から言霊から生まれた殺意を消すことなど造作もない。シュラインはようやく安心した。草間のおかげでほろ酔い気分がすっかり醒めてしまった。

 「武彦さんもなんでそんなものを聞いたのかしら……ちょっと考えたら内容はわかりそうなものなのに。」
 「英雄なんて慣れないものを演じていたから緊張したんだろう。まったく不注意にもほどがある。」
 「ですが、今回は草間さんに感謝しなければならないですね。結果的に不可能と思われていた言霊殺人の立証に協力したのですから。」

 モーリスの言葉を聞いた近衛は思わず苦笑いをした。望子はずっとあごに手をあてながら考え事をしていたが、彼の言葉を聞いてはっとした表情で声を響かせる。

 「はっ。草間さんはある意味で……英雄ですね。」
 「じゃあ、助演女優賞はシュラインさんだね。」
 「何言ってるの。今回の事件はここにいるみんなで解決したんじゃない。誰が欠けてもダメだった、そうよね?」

 シュラインがそういうと真雄は屈託のない笑顔を見せた。近衛も「こいつと一緒にノミネートか」と気絶した草間の髪を引っ張りながら笑う。いつしか微笑みは部屋中に広がり、ようやく彼らの耳元にも宴会の賑やかさが届き始めた。事件はようやく解決したが、まだ山烏をどうするかなどの問題がある。だがそれらの宿題をこなすのは我らが英雄が起きてからでもいいだろうということになり、布団の上に草間を寝かしてそれぞれ宴席へと戻った。最後にシュラインは草間に毛布をかけながら一言だけ耳元でつぶやく。

 「あ〜や〜め〜し〜かぁ〜〜〜!」

 草間は一度身震いをしたかと思うと、そのまま動かなくなってしまった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢 / 職業】

0086/シュライン・エマ  /女性/ 26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
3628/十里楠・真雄    /男性/ 17歳/闇医者
3452/不動・望子     /女性/ 24歳/警視庁超常現象対策本部オペレーター
2318/モーリス・ラジアル /男性/527歳/ガードナー・医師・調和者
3805/近衛・誠司     /男性/ 32歳/警視正

(※登場人物の各種紹介は、受注の順番に掲載させて頂いております。)

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■         ライター通信          ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回はオカルトサスペンスに挑戦してみました!
最後まで目が離せない展開でしたが、皆さんは途中で安心しませんでしたかぁ?
ちゃんとオチまで楽しんでいただけたなら、私はそれで満足です。楽しく書けましたし。

シュラインさんは毎度どうもです〜。あの構図を書きたくってラストを引っ張りました!
本当はおまけのつもりだったんですが、結果的に重要なシーンとなりましたね(笑)。
こんな表情とかあんな表情をするシュラインさんを書いてて私は楽しかったですよ〜。

今回は本当にありがとうございました。今度からはまた楽しい依頼を出していきますね。
また通常依頼やシチュノベ、特撮ヒーロー系やご近所異界などでお会いしましょう!