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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


笑いし場所は緞帳が影


 しんと静まり返ったままの病室内には、最初にいた筈の人数と比べて大分減ってしまっていた。様々な場面を描き出していた喜劇は、いよいよクライマックスを迎えたのかもしれない。
 俺はそう考え、門屋・将太郎(かどや しょうたろう)の肉体を通して病室内を見回した。
 現段階で、病室内に残ったのは俺を除いて二名だけ。草間と、楷・巽(かい たつみ)だけだ。
(門屋……覚えているか?)
 俺は、相変わらず俺に凭れかかったまま眠り続ける門屋に、話し掛ける。
(ほら、楷・巽だぜ。元お前の助手で、今はこの病院の研修医をやっている……)
 門屋は答えない。これも、相変わらずの反応だ。だが、俺は構わない。こうして凭れかかって眠っている門屋だが、俺の声は耳に届いているのだ。どれだけ門屋が拒んだとしても、嫌がったとしても、ちゃんと聞こえているのだ。
 耳を塞ぎたい言葉でさえも、門屋は拒否する事は許されない。
 そうするように仕向けたのは自分なのだから、自業自得なんだけどな。
 俺はくつくつと笑い、門屋に再び言葉を放つ。
(顔色一つ、変えないぜ。楷にとっては、辛い事実ってやつじゃないのか?)
 過去に辛い傷を負っているとかいう楷の事を、門屋は心に留めていた。助手として一緒にたくさんの出来事を体験し、信頼関係を築いてきた。
 無表情のままの楷は、事実を聞いても顔色を変えない。ははは、悪い悪い。変える事ができないんだったな。どれだけ辛い事実だろうが、あいつにとっては感情を表情として出す事が出来ないんだ。
 ああ……そういえば、そうではない時があったぜ。楷の奴、感情を出したんだぜ?しかも、他でもないお前によって。良かったじゃねぇか、あいつに感情を出させて。
 お前、覚えているか?覚えていないのか?
 まあ、いい。改めて確認するのも悪くないだろう?なぁ、門屋。
 あいつ、楷は泣いたんだ。お前に縋り付いてさ、泣いてたんだ。楷の奴、お前が記憶喪失と分かった途端、な。
 良かったなぁ、門屋。能面みたいに無表情だった奴が、だ。
 お前は楷に「哀」の感情を与えられたんだ。滑稽じゃねぇか!あいつが泣くなんて、初めてみたんじゃないか?いつも無表情に、何を考えているのか、何を感じているのかさっぱり分からなかったというのに。お前が記憶喪失だと分かって、泣いたんだ。
 哀しい、とな。
 お前は楷に「哀」を与えた。素晴らしい貢献じゃないか、なぁ?
 勿論、お前が与えたのはそれだけだ。「哀」の感情だけだ。そこは履き違えるなよ?他には何もねぇんだよ。お前が与えられるものなんて、な。
 お前が楷に与えられるのは「哀」だけだ。今までも、そしてこれからもな。
(おっと、余計な話は終わりにしようぜ)
 俺は外の様子を窺いつつ、門屋に話し掛ける。
(ほら、楷の奴。草間から話を聞いているぜ)
 草間は、楷に説明をしていた。今現在の状態になった経緯を、そしてこれからどうなるか分からないという事などを。今まで散々話してきた説明の繰り返し。そうして、出ていった奴が聞く事の出来なかった、付け加えの事情を。
 俺はその愉快な話に、思わず笑みをこぼした。だって、そうだろう?門屋や他の奴らにとっては絶望的かもしれない話だったとしても、俺にとっては愉快以外の何者でもないのだから。
 周りから見れば馬鹿のやる行動に見えたとしても、当の本人にとっては真剣そのものだったりだとか。
 またその逆に、当の本人にとっては馬鹿みたいな行動だったとしても、周りから見れば憐れむような事だったりする。
 喜劇と悲劇というのは、隣り合わせにあるのかもしれないな。
 今がいい例だろう?俺にとっては愉快そのものであるこの事態は、周りのやつらにとっては苦しい事実なんだろうからな。
(お前がどちらに思っているかは、知らないけどな)
 俺は門屋を見、くつくつと笑った。やはり、門屋は身動き一つしない。
 そんな門屋に話し掛ける俺そのものは真剣だが、傍から見ると馬鹿みたいな行動かもしれない。
 だが、そんな事はどうだっていいんだぜ。
 大事なのは、こうして俺がお前に話し掛けているという事だ。それも、外の世界で繰り広げられる出来事を、注釈つきで。寧ろ感謝して欲しいくらいだぜ。
(……見ろよ、門屋)
 俺は外の様子を見て、気付いた。楷の奴、無表情のまま話を聞いていると思っていたんだが、どうやら俺の勘違いだったらしい。
 楷の奴、顔色がおかしくないか?
 顔色が良くない。ほら、見ろよ。あいつ、青い顔だぜ!
 俺は大声で笑う。はははは、と途切れる事なく。思わず大笑いしてしまった。
 楷の事を、生身の人形ではないかと思っていたんだ。だって、そうだろう?無表情のまま日々を過ごす姿しか見ていないんだぜ。そんなあいつを見て、人形以外の何に見える?
 やっと、人間らしさが戻ってきたという事だ。
 良かったな、門屋……!
 お前が心を閉ざした事によって、あいつは人間らしさが戻ってきたんだぜ。
(傑作だ……!)
 楷の奴は俯き、青い顔をしたままゆっくりと口を開いた。
「俺は、知らされていませんでした……」
「……楷」
 楷はぐっと強く拳を握り締める。
「何も……何一つとして……!」
 ぐぐぐ、と強く握り締めた拳が、微かに震えている。強く強く握り締めている証拠だ。門屋、お前がさせているんだぜ?
 他でもない、お前が。
「俺は何一つとして、知らされてなかったんです。そんな自分が……俺は……」
 目線を落とし、楷は涙声になりながら言葉を続ける。
「自分が、不甲斐無いです……」
「……お前のせいじゃないさ」
 涙声の楷に、草間が言葉をかける。セオリー通りの、慰めの言葉だ。
 俺はそれを聞き、また笑ってしまった。
 なんて大根役者だ!台詞だって、棒読みだぜ?俺が舞台監督なら、降ろすな。棒読みの台詞しかいえないような役者が、どうして必要だと言えるんだ?
 楷だってそうだ。そんな涙声で言って何になる?それに、なんて情けない姿だ。
(……弟子の情けない姿だぜ?)
 俺は、再び門屋に話し掛ける。
(お前はあれを見て、どう思う?)
 門屋は答えない。俺はにやりと笑う。
(答えはどうだい?門屋先生)
 先生、とか自分でつけておいて、俺は大声で笑う。だって、そうじゃないか。門屋が先生だと?崇められるべき存在か?尊敬を受けるべき者か?
 答えは、否。
 よくもまあ、先生などという呼称をつけられていたものだ。
 俺の皮肉に気付く事なく、或いは気付いても何もいう事は出来ず、門屋は目を覚ます事はない。
 もう、俺の為のステージしか残されていないのだから。
 門屋の為のステージは、とっくの昔に消え去っているのだから。
 俺はゆっくりと病室内を見回す。楷の肩が、拳が、小刻みに震えている。草間が所在無さそうに、どう声をかけていいか分からぬまま立ち尽くしている。
 まさに切り取ったような、悲劇の一幕。
(そろそろ、幕を開けるとするか)
 俺は口元を緩ませる。
 折角用意された舞台を、緞帳を下げたままでは申し訳ないような気までして来たのだ。用意されたのならば、幕を上げなければならないだろう?
 俺に与えられた役を、完璧に演じあげる為に。
 俺にしかできないその役を。
(これからの舞台は、そうだな……)
 緞帳の裏で、俺はスタンバイする。自分の立ち位置を確認しながら。
(門屋を演じる、俺)
 門屋の肉体も、そして精神も完全に支配した今ならば、可能なのだ。そろそろ目覚めてやり、俺が門屋を演じるという事が。
(公演開始だ、門屋)
 俺は門屋に話し掛ける。
 そうやって眠りつづければいい。俺がお前として演じるその様を、眠ったまま見つづけていればいい。
 お前は、お前の殻に閉じ篭ってしまったのだ。俺に全てを明け渡して。
(さあ、目覚めるぞ。準備はいいな?)
 答えは無い。否、答えなどいらない。門屋が俺に対し、答えを出すなどという事は許されない。
 肉体も精神も、俺のものだ。
 全てを支配した、俺のものなのだ……!
 門屋が築き上げてきた全てのものは、俺のものとなる。お前が演じつづけた舞台ですら、これからは俺が主役を演じる事となるのだ。
 寧ろ、これまでご苦労さんという気持ちだぜ。
(ゆっくり休み、そこから見ておけ。……永遠に)
 俺は一つ大きく頷き、くつくつと笑いながら門屋にひらひらと手を振った。相変わらず門屋は眠りつづけたまま、反応を示さないが。
(草間は、どんな風に動くだろうか)
 俺は草間が驚く様を想像し、口元を緩ませる。
(楷は、どんな表情を見せるだろうか)
 門屋によって与えられた「哀」の感情の他に、何か別の感情が取り戻せるかもしれない。それが何かは、俺にはまだ分からないが。
 どちらにしろ、幕を上げれば分かる事だ。
 重い重い緞帳が、ゆっくりと上げられていく。舞台のライトも、だんだん明るくなっていく。
 俺は舞台の中心に向かう。真ん中だ。草間も、楷の奴も、俺が中心となる舞台の幕開けなど想像もしていないだろう。
 緞帳の影にいるのは、門屋ではなく俺だという事すら。知り得る事はできないのだ。
 ようやく迎えた喜劇の果てにあるものは、俺を中心とした更なる喜劇である筈だ。それは分かる。想像もいらないほど、すんなりと受け入れる事ができるのだ。
(さあ、始めようぜ)
 舞台の中心に佇む俺は、自分に向けられるであろう大きな拍手を期待するかのように、そっと口元だけで微笑むのだった。

<緞帳が開けられるかのように目覚め・了>