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闇風草紙〜決意編〜
□オープニング□
激しい金属音を響かせ、机上の蜀台が大理石の床に転がった。薙ぎ払ったのは男の腕。血の気の失せた顔。噛み締めた唇から血が滲んでいた。
「やはり、私が行かねばならないのですね…未刀、お前は私に手間ばかりかけさせる!!」
テーブルに打ちつけられる拳。凍れる闘気。透視媒介としていた紫の布が床の上で燃えている。燻っている黒い塊から、煙が立ち昇った。
「天鬼を封印し、力をつけたつもりでしょう。ですが、私とて衣蒼の長子。その粋がった頭を平伏させてみせます」
排煙装置の作動音が響く。
仁船の脳裏に刻まれた父親の言葉。繰り返し、神経を傷つける。
『力ある者のみ衣蒼の子ぞ!
母が恋しければ未刀を連れ戻せ。
仁船、私の役に立つのだ! 』
失った者、失ったモノ。
奪った弟を忿恨する。自分に与えられるはずだった全てに。
未刀の部屋へと向かう。絵で隠されていた血染めの壁を虎視した。忘却を許さない過去の記憶。
「あなたはここへ帰るべきなのです……力を失って…ね…フフフ」
衣蒼の後継ぎにだけ継承される血の業。封門を開くその能力。忌まわしき歴史の連鎖を、仁船は望んでいた。叶わぬ夢と知っているからこそ。
□カペラ――弓槻蒲公英
金の髪の青年に傷つけられたあの日から、わたくしは何も聞けないまま過ごしていた。ただゆっくりと時間が過ぎて、ハンモックに揺られる午後のように、穏やかに毎日が流れていく。
小学校から帰ると彼がいて、眠そうな顔のとーさまがいる。それが当たり前で、心地よくて――。
だから、これ以上のものを求めてはいけない気がしていた。願って叶わない時辛いから。わたくしは、それをよく知っているから。
とーさまが出勤した夜降ちのこと。
「蒲公英? 買い物に行くならついていく」
相変わらずの過保護でわたくしは苦笑した。狙われているのは未刀さまの方なのに。
彼を従えて、一通りの買い物を終了した。帰り道、いつもの公園を通り抜けた。と、未刀さまがベンチに座ろうと誘ってくれた。
「星…今度見に行きません…か?」
「…どうして? 蒲公英は星がすきなのか?」
気に掛けてくれる優しさが胸を焦がす。一緒に暮らし始めて、ずいぶん長い時間が経った。なのに、未刀さまの声はずっと変わらずわたくしをドキドキさせてしまうのだった。
しばらく星の話をして、わたくしは初めて未刀さまに出会った頃のことを思い出した。あの時も星が空に瞬いていて、夢のようにきれいな人に出会ったわたくしを見ていた。
「ふふ…懐かしい…気がしますね……」
「僕は相変わらず蒲公英に迷惑をかけてばかりだ」
「そっ…そんなことありません。わたくしは(傍にいられるだけで幸せ…で)…あの、あ、あれカペラです」
「ん…どれ?」
わたくしは自分の気持ちを伝えることはまだ怖い。
「ビルの明かりが…眩しいから、少し光りが弱いん…で――っきゃぁ!」
「蒲公英っ!」
急激に白んだ世界。わたくしの周囲に薄紫の布が取り巻いている。その輪のなかに入れない未刀さまが懸命にわたくしの名前を呼んでくれていた。声を返そうとして、布は一気にわたくしの体を包み込んだ。
「んんんっ…」
「仁船ぇ! その子を離せっ!」
樹木の陰から、現れたのは以前未刀さまを追ってきた人だった。
…にーさま!!
誰だかわかった瞬間、体は持ち上げられた。シュルリと布が解け、わたくしは仁船にーさまの上に落ちた。抱きかかえられて、視界が反転する。未刀さまが見えなくなった。声だけがわたくしを呼んだ。
「仁船っ! やめろっ!」
わたくしを連れ去ろうとする動きは一旦止まった。わずかに未刀さまの怒った顔が見える。また、またなのかとわたくしは嘆いた。
もう、足手まといになりたく…なかったのに……。
未刀さまが必死に剣を振るっていたが、劣勢を強いられているのは目に明らかだった。わたくしを庇っているから……。こんなことの繰り返し。激しい未刀の攻撃に、腕は一瞬だけ余裕をなくしてゆるんだが、逃げることはできなかった。
手が出せない分、繰り出される鋭利な紫布に未刀さまが傷ついていく。
「ぐっ…蒲公英をはなせ…」
額から血が流れている。見ていられない。
「お願い…ですっ。もう……やめて下さい」
わたくしはドンドンと仁船にーさまの胸を叩いた。そして請う。
「ついて行きます…だから、未刀さまをもう傷つけない…で……」
「蒲公英っ!」
「貴方より聞き分けの良い子供ですね…ふふ。いいでしょう」
未刀さまが唇を強く噛みしめた。
「なぜ、その子を連れていくんだっ! 用があるのは僕の方だろうっ!?」
「父上がご所望なのですよ。それより、自分のことを憂慮したらどうですか? 傷だらけですよ」
仁船にーさまの浮かべる微苦笑が恐ろしい。笑っているのに何を考えているのわからない。わたくしの一瞬の怯えに気づいたのか、未刀さまは拳を握りしめ、今にも飛び出しそうになる体を必死で押さえているようだった。
遠ざかるマンション。
公園の街灯。
辛うじて、背後から「必ず…」という未刀さまの声が届いた。
長い時間が経過し、わたくしは初めての場所にいた。銀の燭台。絨毯張りの床。
シャンデリアの煌めきが、規則正しい文様が描かれた壁に陰影を落としていた。拘束されているわけではないが、逃げ出す気さえ削がれるほどの静寂に包まれた部屋だった。
「……ど…うして、わたくしにそんな話をなさるんです…の」
衣蒼家。封魔を生業とする歴史の裏側にいる家柄。
膝が震える。座らされた黒革のソファの上で縮こまった。未刀さまの過去、過ち。そのすべて。話しているのは仁船にーさまでも、ましてや金髪の青年でもない、渋面したままわたくしを見据える男性。
この目の前にいる人こそ、未刀さまのとーさまである衣蒼秀清だった。
「それはお前に力があると知ったからだ、娘。自が為に封門を開け」
「わた…くしが……?」
「そうだ。楽斗の力を中和したそうではないか。未刀の力なくとも、封門を開くこと叶うやもしれん」
「そ…そんな――」
未刀さまが封門を操り、ご友人だった方を封印してしまった。だから、未刀さまはもう使わないと決めた……。わたくしを襲った天鬼を倒したのは、封門を開いたからだと思い当たった。あの時の悲しそうな瞳はそれを意味していただろう。その未刀さまが封じた力をこの人は使いたがっている。こんなにも卑怯で強引な方法で。
わたくしの脳裏に、深い哀惜を秘めた瞳の未刀さまが浮かんだ。
『傷つけて…ごめん』
自分より、他人であるわたくしのことを一番に心配してくれる人。もし、自分の知らないところで封門が開かれ、それによって誰が傷つくとしたら……。
「いや…です」
わたくしは力強く言葉を続けた。
「未刀さまが悲しむようなことは決して…したくありません」
「娘……よもや、刃向かう気かね?」
とーさまが両手を顔の前で組んだ。わたくしの視界がグラリと揺れた。
「え? あ…わた――」
白濁して、目の前にあるはずの顔が見えなくなる。最後に声だけが届いた。
「眠れ。そして目覚め、私の為に働くのだ。反抗する意志などいらぬ。愚息ができぬならお前で良い……すべては私の為に」
仁船にーさまの顔が僅かに見えた。力の入らないわたくしをどこかへ運んでいく。意識は完全に失われた。
+
僕は二度と帰らないと決めた門の前にいた。それは衣蒼の根幹。分家を従え、君臨し、己の欲望のために生きる父がいる場所。
「蒲公英……ごめん。僕が必ず助ける」
自分の情けなさが悔しかった。もっと早く動いていればよかったのだ。あの穏やかな時間に甘んじてしまった自分がいる。蒲公英の傍を離れるべきだったのに。
できなかった事実。僕は門を奥へと入った。
整えられた庭。入ってすぐに蒲公英の姿を見つけた。連れ去られた時と同じ服装。長い黒髪が風になびいている。
「…蒲公英、よかった」
僕は安堵のために、異変に気づかなかった。周囲に誰の姿もないこと、薔薇色の瞳が僕を見ていないことに。彼女が口を開いた瞬間、強烈な違和感が包んだ。
「封門を開いて。未刀さま……」
「え…蒲公英? どうしてそれを」
彼女は知らなかったはずだ。僕の力の名前など。
「蒲公英っ!」
僕は答えない少女の肩を揺さぶった。やはり視線が合わない。おかしい。
「何かされたのか!? くそっ、どこに行ったんだ仁船は!」
「………て」
走り出そうとする僕の袖を蒲公英が握りしめた。膝をつき、そっと抱きしめる。
「大丈夫。僕はここにいる」
「……開いて。未刀さま」
「封門は開けないよ。なんで、そんなことを言うんだ」
仁船に何か吹き込まれてしまったのだろうか。
「開かなければ、ダメなんです……」
蒲公英の手に銀の光。それは一瞬。
「ぐっ…。た…んぽぽ。どうして――」
僕の横腹を蒲公英の持つナイフが抉った。銀の切っ先から血が滴り、僕の手と蒲公英の手を赤く染めていく。
「開いて…、未刀…さま……」
幻であってほしい。
いや、僕を傷つけたことを知れば蒲公英はどうなる。
僕がしっかりしなくちゃいない……。
痛みと闘う。抱きしめた蒲公英が僕の腕をすり抜けていった。僕は地面に近い場所から、蒲公英が走り寄った者の姿を見上げた。
「……ち、父上。あんたがっ。く…蒲公英を元に戻せ」
「できん。お前が望んだことだ。どうあっても封門は開かねばならん。お前がせぬのなら、この娘の力を使うまでっ」
秀清が嬉笑する。
その笑いは長く、カペラ輝く夜空に響いた。
□END□
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
+ 1992 / 弓槻・蒲公英(ゆづき・たんぽぽ) / 女 / 6 / 小学生
+ NPC / 衣蒼・未刀(いそう・みたち) / 男 / 17 / 封魔屋(逃亡中)
+ NPC / 衣蒼・仁船(いそう・にふね) / 男 / 22 / 衣蒼家長男
+ NPC / 衣蒼・秀清(いそう・しゅうせい)/男/ 53 / 衣蒼家現当主
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■ ライター通信 ■
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ライターの杜野天音です。いかがでしたでしょうか? ちょっと場面の切り替わりが細かいのですが、色んな要素を取り入れたつもりです。すでにラストを受注してますので、安心して書けました(*^-^*)
それにしても、蒲公英に手伝わそうだなんて、未刀父は考えたものですね。ラスト1回よろしくお願いします♪
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