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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


幽霊彼氏に浮気の影

【オープニング】

 浮気調査。それは探偵の仕事の中でも、もっとも需要の高いものである。
 探偵らしい仕事、と言えばそれはそうなのかもしれない。従って、嫌がるわけには決していかないのだが……
「彼、浮気してるみたいなんです……っ!」
 興奮して立ち上がり、両の拳を震わせて甲高い声で訴えるのは、清水乃リリ[しみずのリリ]と名乗った、二十二歳のOLである。
 今にも泣きそうになりながら、
「だって最近会いにきてくれないし……っ! 家に行っても開けてくれないし……っ! ドアの外から呼んでも返事してくれないんです……っ! 絶対、絶対怪しい……!」
 ――そりゃすでに破局してねえか、とついのどまででかかった言葉を、草間武彦は必死でのみこんだ。
 それにしても。会いにこない。家に入れてくれない。ドアの外から呼ぶ……
(――携帯もってねえのか?)
 たまにはそんな人間がいてもいいか、と思うと同時に、何となく嫌な予感がした。
 ちらりと自分の事務所の壁を盗み見る。『怪奇ノ類 禁止!!』の張り紙。
 ――しかし、悪い予感ほど当たるもの。
「ひどいですよね!? いくら自分が幽霊だからって、浮気していいはずない……っ!」
 彼の浮気相手を見つけ出してくださいっ! リリはきんきん声でそう叫んだ。

【大変な依頼人】

 リリが帰って以来、どんよりと肩に影を背負って沈んでいる草間を、労わるように無言でぽむぽむと叩いてやる優しい手があった。
 シュライン・エマ。翻訳家にしてこの興信所の事務員でもある。
「うちはどうしてこうなんだ……」
 嘆く草間に、「武彦さんがきっと引き寄せ体質なのよ」とは、シュラインはとても言えなかった。
 リリは、結局『浮気相手を見つけて出して!』と叫んだだけで、それ以上何も言わずに帰ってしまった。どうやら仕事の途中であるのを抜け出しての来訪だったので、帰りは急ぎだったらしい。
 また明日来ることを約束してはあるが……
「ねえ、それってさあ」
 たまたま居合わせた褐色の肌の女性が、にいっと笑って言ってくる。
「ボクも絶対浮気だと思うね。だってそれ以外に理由ないじゃん?」
 レイザーズ・エッジ。赤い髪に猫目が何だか似合う気がする、不思議な娘である。
「そうでもないわよ? 実は生霊で、本体が目覚めて消えてしまった、成仏してしまった、リリさんの将来のために身を引いた……言いたくはないけれど、飽きた、っていうのもあるかしらね」
「いーや、絶対浮気だっ」
 レイザーズはゆずらない。
 シュラインは困ったように柳眉を寄せた。
「リリさんのために身を引いたというなら、話し合ってみたいけど、さて、ね……」
「もうこの際どっちでもいい」
 草間はすでに投げやりだった。「シュライン、明日になったら清水乃嬢から話を聞いておいてくれ。俺はもう疲れた」
「……あなたが仕事放棄してどうするのよ」
「多分俺が聞くよりお前が聞いたほうが確実だろう……」
 助っ人も呼んでおくか、と草間はよろよろと電話に手をのばした。


 約束どおり、次の日の会社のお昼時間にリリはやってきた。
「見つけ出してくださいねっ!」
 とリリはシュラインを相手にしても、同じことしか言わなかった。
 分かったから、とシュラインは何とか笑顔を崩さずに対応し、
「調査のために、詳しいことを教えてくださる? 彼のお名前は?」
 リリは草間の妹、零が出したお茶を一口飲んで、それからまた弾丸のようにしゃべりだした。
「彼は葦田健一[あしだ・けんいち]! 二十五歳! 私との付き合いはもう三ヶ月です……っ! ほんの半月前まで、それはもうラブラブで、まわりも羨ましがるくらいだったんですから……っ!」
 ――幽霊と付き合っている人間を羨ましがる人間がいるのだろうか、とシュラインは真剣に考えた。
「彼を他の人に紹介したことがあるの?」
「ありますよっ! ほら、写真……!」
 リリはいそいそとバッグの中から定期入れを出し、一枚の写真をシュラインに示す。
 どこかの風景をバックに、リリが幸せそうに微笑んでいた。
 その肩に――その肩だけに、手が乗っている。手以外に人間の姿がない。
(……あからさまな心霊写真……)
 しかしこれでは、相手の顔が分からない。
「彼ってば恥ずかしがりやで、その写真にしか写ってくれなかったんです」
 リリは大切そうにその写真をしまいこむと、「あんなに幸せだったのに、それなのに……っ」
 再び爆発の予兆を感じ取り、シュラインは慌てて、「彼とは生前からの付き合いだったの?」と尋ねた。
「いいえ。幽霊になってさまよってるところで出会いました!」
 リリが勢いこんで答えてくる。「死亡理由は交通事故だって言ってました!」
「彼の住所は?」
 尋ねると、それについては意外とまともに答が返ってきた。
(あとで調べに行かなきゃあね)
「彼の外見的な特徴は?」
「幽霊です!」
「……それはそうね。そうじゃなくて……背は高いとかどこかに怪我の跡があるとか……」
「交通事故で頭打って死んじゃったから、額に大きな傷があります!」
 それを聞いて、シュラインは痛々しい気分になった。
「交通事故……お気の毒ね」
「でも私と出会って幸せだったはずです!」
「………」
 こほん、とシュランは咳払いをし、
「葦田健一さん、住所はこちら、付き合い始めて三ヶ月、死亡理由は交通事故、会ってくれなくなったのは半月前から……これで間違いないのね?」
「彼が嘘をつくはずありませんから」
 とリリは言ってから、「でもなんで浮気するのおおおお!」
 突然泣き出した。
「そうそう、許せないよねえ!」
 いきなり部屋に入りこみ、仁王立ちでリリをたきつけたのはレイザーズ。彼女は昨日から、「ボクもこの件に関わる」と言って草間興信所に泊まりこんでいるのだ。
「絶対浮気相手見つけて、こてんぱんにのしてやろう! だから元気出して!」
「まだ浮気と決まったわけじゃ――」
「ありがとう……! もう、見つけたら往復ビンタしてやるんだから……っ!」
 ――幽霊に往復ビンタができるのだろうか。そんなつっこみをしている余裕はなかった。
「わ、分かったから。とりあえずリリさん、もうお時間でしょう?」
「きゃっ! 遅刻しちゃう〜!」
 リリは「それじゃ、見つけてくださいね!」と何度目か分からない言葉を残して、飛ぶように興信所を出て行った。
 後に残されたシュラインは、ぐったりと疲れ果てていた。
「……武彦さんに任せなくてよかった……」
 つくづくそう思った。そんな彼女の傍らで、
「浮気相手の女も許せないなあ。どうしよっかなー?」
 元気なままのレイザーズが、真剣な顔で悩んでいた。

「なるほど。額に交通事故の跡があって、亡くなってから少なくとも三ヶ月は経っている二十五歳の幽霊さん、ね」
 昼過ぎに草間興信所へやってきた門屋将太郎が、シュラインの話を聞いてうなずいた。
「何かよく分からんが、大変な依頼人っぽいな。あんたまで疲れてるなんて」
「そうね。ある意味ものすごく大変な依頼人よ……」
 シュラインはレイザーズを伴って、将太郎に話を伝えていた。
「絶対浮気!」
 相変わらず言い張るレイザーズ。
 シュラインは将太郎に「一緒に調査してくれる?」と尋ねた。
「そのつもりで来たから心配すんな。俺も一応、直接リリって子に話を聞きに言ったほうがいいな」
 リリの会社の場所を聞いて、将太郎は立ち上がった。
「会社に直接行って話聞くか。そちらさんはどうする?」
「葦田さんのほうの聞き込みに回るわ。……レイザーズさんと一緒に」
「もちろんさ! だって彼氏のほうの調査しなきゃ、浮気相手見つけられないじゃないか」
 レイザーズは少しズレたことを言った。
 将太郎は何か言いたそうに視線を泳がせたが、
「……まあ、お互いそういう役割分担で」
 と、結局はそう言うだけで終わらせた。

【幽霊彼氏の事情】

「んじゃ、早速調査にとりかかるとしますか」
 リリの会社の前で、将太郎はつぶやいた。
 見上げる大きなビル。なかなかいい会社に勤めているらしい。
「幽霊と付き合っているんだから、相当霊感が強いんだろうな」
 将太郎はビルの中に入り、そして受付まで向かうと、リリに面会を求めた。
 時間がすでに夕方近かったため、終業までお待ち下さいと言われてしまったので、素直にそれに従うことにする。
(シュラインのほうは、うまくいってんのかな)
 ふと、そんなことを考えた。

 シュラインは、地道に「葦田健一」なる人物について聞き込みに回っていた。
「リリさんのところへ行けるあたり、普通の地縛霊とは違うみたいね」
 シュラインはつぶやいた。
「交通事故でなくなった、か……たしかに未練を残してさまよいやすいとは思うけれど」
「愚かな話だね」
 レイザーズがふと、真面目な口調でつぶやく。
「人の生き死には運命だっていうのに。未練なんて残してもしょうがないさ」
「……でもそのおかげでリリさんと出会えたわけでしょう」
「そうだよねえ! それなのに浮気なんて、恩を知らないヤツ……!」
 レイザーズはいまだに浮気と言い張っている。
 とりあえずそれには何も言わないことにして、シュラインはリリから聞いた葦田健一の住所に向かった。
 そこはアパートの一室。現在空家になっている。しかし、幽霊が出るという噂のために誰も次の人間が入らないようだ。
 ついでに、空家になぜか訪ねてくる女性――当然リリのことだろう――もいるので、いっそう不気味がられているらしい。
 前の住人の名前を大家に聞いたところ、たしかに「葦田健一」。そして交通事故で亡くなったのもたしかだそうだ。
 実際になくなったのは、半年も前の話のようだが。
 シュラインは大家に、もう少し話を聞いてみることにした。
「葦田さんの霊をご覧になったことがありますか?」
 大家たるおじいさんは、「おお、あるある」と大きくうなずいた。
「あれは間違いなく健坊じゃ。気が優しくていい青年だったんじゃがのう」
「怖くありませんでした?」
「健坊じゃぞ。怖いわけがありゃせん。怖いのはむしろ、健坊を尋ねてくるあの奇妙な娘っこじゃわい」
 ……リリのことだろう。
「ねえ、他にはどうなんだい? 健一には今浮気の嫌疑がかかってるんだよ。他にも人間が、あの部屋に出入りしてたりするんじゃないかい?」
 レイザーズが横から口を挟む。
「健坊が浮気じゃと?……それはあの毎日尋ねてくる娘っこが言いおったんか」
「ええ、まあ……」
「何をバカなことを。健坊は生前から真面目な男だったんじゃ。浮気なんかするもんかい」
「いーや、絶対浮気! だってリリさんにまったく会ってくれなくなったって言うんだから……!」
 レイザーズが憤然と言い返す。
 そのとき、ふとシュラインは思いついた。
「ここ半月、葦田さんの霊をごらんになりました?」
 たしかリリと会ってくれなくなったのは、半月前からのはずだ。
 大家は白くなったあごひげを丁寧になでながら、
「む……この頃はあの娘っこがうるさくあの部屋を叩くからのう……ああ、しかし『逝ってしもうたんじゃな』と思えるような気配は、なかったのう」
「このあたりでお祓いがされた、ということもないのですね?」
「ありゃせんありゃせん。むしろあの娘っこを払いたいくらいじゃ」
「ひどいよじいさん!」
 レイザーズがきぃーっとわめいた。「リリさんは真剣なんだ……!」
「生前の彼は、とても真面目でいい青年だった、と……好かれていたんですね。それなら生前の恋人もいたのではないですか?」
 シュラインは慎重に情報を聞き出していく。
「ん……いや、彼はひとつだけ欠点があってな」
「え?」
「しすこん、と言うのじゃったか? 妹第一主義でなあ。他の女性には目もくれんかったんじゃ」
「妹さん……?」
 シュラインが少しばかり声をあげる。
 レイザーズが一瞬、黙りこんだ。
「……まさか、妹と浮気?」
「そ、そんなまさか」
「そりゃ無理じゃ」
 大家のじいさんは、白ひげを撫でつつ撫でつつ続けた。
「妹さんは、健坊の後を追うようにもう亡くなっておる。そもそも兄妹じゃぞ。浮気なんぞあるか」
「妹さんもお亡くなりに……」
「おお、そちらは病気でな。二ヶ月ほど前になるかのう……小さい頃から病弱だったんじゃ。あそこは母親も早くからいなくなってしもうたし……おかげで『しすこん』というやつになったんじゃな」
「ご不幸が続かれたんですね」
 沈痛な面持ちでシュラインが目をふせる。
 大家がうんうんと悲しそうにうなずいた。
「じゃあ、結局何なんだよ?」
 レイザーズがここにきて、覇気をなくした。シュラインのほうを見て眉根を寄せる。
「浮気じゃない? だったらなんで突然リリさんの前から姿を消したのさ? 成仏するなら、一言くらい言っていくべきだろう?」
「そうね……大家さん、大変恐縮ですが葦田さんの家に入らせていただいてもよろしいですか?」
「あんたらそんなに浮気だと疑っておるのか? そうなら――」
「むしろそうじゃないことを証明したいんです。だからお願いします」
 大家のじいさんは、一瞬言葉をつまらせた。
 そして、「……分かった」と真顔でうなずいた。

 葦田健一のアパートの一室は、半年も前に空家になったわりに、綺麗に掃除されていた。おそらくリリがやったものだろう。
「レイザーズさん、お願いがあるんだけれど」
「なにさ?」
「これ、取り付けるの手伝ってくれる?」
 IC録音機と盗聴器。
「葦田さんの気配が今はこの部屋にないんだけれど……帰ってくるかもしれないものね。念のため」
「うわ〜、探偵っぽいー」
 レイザーズは器用な手でシュラインの言うとおりにその細かい機械を取り付けていく。
「あとは……葦田さんは目に見える幽霊のようだし……葦田さんのお帰りを待つために外で張り込みでもしてみましょうかしらね」
「あ、それならボクがやってもいいよ」
 レイザーズはにっと片目をつぶって、猫のような表情で言った。


 将太郎が興信所に戻ってきたとき、草間とシュラインが疲れきった顔で零のお茶を飲んでいた。
 シュラインは、なにやら機器を取り出してイヤホンを片耳にかけている。
「おい、今回はもうひとりいなかったっけか?」
「レイザーズさんには張り込みをお願いしてるわ」
「ああ、そうなのか」
 シュラインはソファから将太郎の顔を見上げて、「よく元気で帰ってこられたわね」と言った。
「まあ俺は臨床心理士だからなあ。あのていどで音をあげては――ん?」
 しゅんっと音がして、突然その場にレイザーズが姿を現した。
 明確にイメージできる場所ならば、瞬間的に移動が可能。それがレイザーズの特殊能力だ。
「来たよ! 帰ってきた!」
 レイザーズが興奮した口調でまくしたてる。「額に大きな傷、あの部屋に入っていった! 間違いないよ!」
「うん、そうみたいね。今……音が聞こえてきた」
 シュラインがつけているイヤホンは、どうやら葦田健一の家に取りつけてきた盗聴器の受信機らしい。
「でも……会話はないわ。少し動く以外の音が……鍵はちゃんとかけるのね。だからリリさんが入れないわけだけど」
 しばらく全員が息を殺して、盗聴器の音を聞き取るために場を静かにする――
「――ダメだわ。会話はまったくない。葦田さんがひとりでいるとしか思えない」
「う、浮気じゃ……なかったんだ?」
「まだ分からないけれど……」
「幽霊が鍵をかけたり開けたりできるとは知らなかったなあ……」
 少し論点の違うことをぼんやりつぶやいたのは、草間だった。
 煙草の煙を吐き出し、
「それじゃ、もう一気に本人に会いに行くか」
 ぎゅっと煙草の先を灰皿に押しつけた。

【そして、彼】

 草間、シュライン、将太郎、そしてレイザーズ。
 四人でどやどやと、昼間にあらかじめシュラインが大家から借りていた鍵で「葦田健一」の家に入りこむ。
 そこに、幽霊はいた。
 額に大きな傷を持った二十代半ばほどの男性は、ぎょっとしたように四人を振り返った。
 普通の幽霊よりは少し輪郭がはっきりしている。リリのような、現実の人間と深く関わったことで影響を受けているのかもしれない。
「おや、お前さん――」
 将太郎がしげしげと幽霊の顔を見つめて、「なんだ。病院前にいたやつじゃないか」
「おい門屋……お前、出会ってたのかよ」
 草間が疲れた声で言う。
「そりゃたしかに額に傷あったけど、まさかさがしている当人だとは――ところで妹さんはどうしたんだ?」
 妹? と残りの三人が揃って声をあげた。
「妹って言えば」
「葦田さんがシスコンだなんて呼ばれていた原因の」
 シュラインとレイザーズが順々に言う。
『シスコンですみませんね』
 幽霊――葦田健一は、むっとしたような顔をして言った。
『妹はずっと体が弱かった。うちは母がいなかったし、妹の世話は全部俺がやってたんですよ。妹を大切にして当然でしょう?』
「まあ、そりゃそうだな」
 草間が煙草をふかしながらうなずいた。
 その草間を健一が嫌悪感丸出しでにらみつける。
『煙草はやめてください。妹の体に悪かったせいで、俺も大嫌いなんです』
「……ああ、悪い……」
 ヘビースモーカーの草間にはしんどい言葉だったが、彼はおとなしく従った。
「葦田健一さん」
 シュラインが、凛とした声で呼びかける。「葦田さん……に、間違いありませんね?」
『そうですが、あなたがたは誰ですか』
「私たちは草間興信所の者です。清水乃リリさんに頼まれて、あなたの――様子をたしかめにきました」
 まさか、「浮気相手をさがしてくれと頼まれました」とは言えなかった。
『リリに……』
 その名を聞いて、健一の視線が悲しげに揺れる。
『リリは……元気ですよね。毎日……来てましたし……』
「ええ、それはもう元気です」
 それは絶対的に保証してもいい。
「依頼された以上、君のことを知らなければならない。リリさんは君が自分から離れていったのではないかと悲しんでいるんだ。……話してくれるな?」
 草間が静かに尋ねた。
 間があった。重苦しい、沈黙の間が。
 やがて、健一はぽつりぽつりと話し始めた。
『……俺は、幽霊になった当初、自分が何だか分からなかったんです。幽霊になったんだと気づいてからも……幽霊になるからには、何か未練があるはずなんだと思ったんですが、それが思い出せなかった』
「その未練というのは――」
『今なら分かります。――妹です』
 入院していた妹が気がかりで、あの世に逝けなかったんだ、と彼は言った。
『でも、なかなか思い出せないまま数ヶ月……数ヶ月して、リリに出会いました。リリは……妹に、面差しがよく似ていました』
 健一は苦笑いをする。
「性格は絶対似てないだろうねえ」
 レイザーズが重々しくうなずいた。
『でも、リリといるときは楽しかった。まさか幽霊の俺とつきあってくれるなんて人間が、他にいると思いますか? 俺は生きているときに恋人なんかいたことがなかったし……本当に、本当に――』
 彼女が……好きだった。
 健一の小さな声が、空気を揺らして消えていく。
『だけど、そのうち不安になり始めた。リリといるおかげで、満足感が襲ってきたんです。満足しては幽霊は成仏してしまうと思いました。そもそも自分は何か心残りがあってこの世にいたはずなんだと思い出して』
 健一はぼんやりとした視線で将太郎を見る。
『妹と再会したのは、一ヶ月前です。……すでに妹も死んでいました。ごらんになったでしょう』
 ああ、と将太郎はうなずく。
『妹は妹で、俺が先にいなくなったことで道が分からなくなっていたらしくて、この世にとどまってしまっていた。……俺がいなきゃ、ダメなんです……あいつは』
「だから、会いに行ってたのか」
『はい。でもこのままじゃダメだと思いました。俺はともかく妹はあの世に送ってやらなきゃと……でも妹は、俺と一緒じゃなきゃ怖いと言う。俺も、本当なら妹と一緒に成仏しちまえばいいんです。……本当なら』
 ――彼女の存在さえ、なければ。
『リリに対してどうしていいのか』
 健一は両手で顔をおおった。『分からなくなって。彼女が先に諦めてくれればいいと思って無視してみて。でも彼女はなかなか諦めてくれなくて』
 ますますいとおしくて。
 離れられない――と思って。
『俺は……どうしたらいいんでしょうか』
 悲しすぎるつぶやき。
 草間の煙草の残り香が、ふわりと彼らを包んだ。
『リリのためにも……さっさと、逝ってしまうべきなんでしょうか』
「当然さ」
 突然きっぱりと言ったのは、レイザーズだった。
「人間の生き死には決まってる。もう死んでいるのにいつまでもこの世にしがみついているのは愚かっていうんだ」
 リリのためにも――
「あんたとあんたの妹さんは、逝くべきだ」
『………』
「レイザーズ……お前、直球すぎる」
「なにさ。はっきり言ったほうがいいだろう?」
 レイザーズがまわり全員を鋭い視線を見回し、全員が言葉をなくした、
 そのとき。
「――そんなことはないわっ!」
 鋭い声が、割り込んできた。
 全員が仰天して振り返った。ドアの方向――
 ――そこに、肩で息をしながら、清水乃リリが立っていた。
「く、草間さんの事務所に、誰もいなかったから……っ、絶対、ここに皆さん来てると思って……っ!」
『リリ』
 健一が視線を揺らす。
 リリはずかずかと部屋の中央まで歩いてきて、健一の前に立った。
 そして、
「このばかっ!」
 ――宣言どおり、往復ビンタをかました。
 もちろん手は空中をすりぬけるだけ。しかし頬を打つ音が、誰の耳にも聞こえた気がした。
「妹さんのこともっ! そうならそうと最初から白状してればよかったのよ……! このばか、ばか……!」
「リ、リリさん、落ち着いて……!」
「落ち着かないほうがいいのよ、こういうときは……!」
 リリは仁王立ちになる。
 健一は呆然と、自分の恋人を見上げた。
「……事情はそこで盗み聞きしてたからっ、少しは分かったけどっ」
「ぬ、盗み聞きと正直に言うのか……」
「そこ! 黙ってて!」
 リリにびしっと指を指されて、こそこそと話しかけた草間と将太郎は口をつぐんだ。
「妹さんと一緒に逝っちゃう前にっ! 三人で暮らしましょう……!」
『……リリ?』
「だから私とあなたと妹さんと! 三人で少し暮らしてみましょう……!」
 リリはとんでもないことを言い出した。
 どこまでも真顔で。どこまでも――真剣に。
「聞けば妹さんも入院暮らしだったって言うじゃない!? まともな生活したことないんでしょっ! 少しは私がまともな生活味わわせてあげるわよ!」
 ――リリのいる生活がまともかどうか、全員が疑問に思ったが、誰も口には出さなかった。
「逝くのは……逝くのはそれからにしてよ……ね……っ!」
 リリは――
 ぽろぽろと。いつの間にか大粒の涙を流していた。
 彼女は悟っているのだ。別れの予感を。確実に来る、その瞬間を。
「だから……まだ逝かないで、よお……っ」
 そしてリリはその場に泣き崩れた。
 シュラインがそっと彼女の肩に手を置く。
 草間がつぶやいた。
「泣いて引き止められる男ってのは……この世にどれだけいるもんだろうなあ」
『………』
 健一は、実体のない体でリリを抱きしめた。
 優しく、優しく。――包み込むように。

【エンディング】

「お世話になりました」
 清水乃リリは、そう言ってちょこんと頭をさげた。
「まあ、役に立ったんならいいんだけどな」
 草間はくわえ煙草でリリを見つめる。
「これから……どうするつもりなんだ?」
「ええ」
 リリは実にすがすがしい顔をしていた。「別に一生、彼をつなぎとめようなんて考えてません。時が来たら解放します」
 ――最初から分かってたことだから――
 草間はふと思う。
 ひょっとしてこの娘は、最初から……浮気じゃないと分かっていて調査を依頼してきたのではないのか?
 自分には何も言わずに逝ってしまったのではないかと、それを不安に思って、誰かにすがりたかったのではないか?
(……今さら聞くのも、野暮ってもんだな)
「別れるときには、『もういい加減にしてよこのシスコン!』って言って往復ビンタすることにしてますから」
 リリは笑顔でそう言った。
 草間も笑顔で、彼女に手を振った。

「今回はちゃんと依頼料も払ってもらえたし、まあ万々歳かね」
 伸びをしながら草間が居間へと戻ってくると――
「武彦さん」
 シュラインが沈痛な顔で、言い換えれば申し訳なさそうな顔で、口を開いた。
「ごめんなさい。……葦田さんの家にとりつけた盗聴器、リリさんが思い切りドアを開けた拍子に壊れてしまったみたい……」
「―――」
 草間の口から、煙草がぽろりとこぼれ落ちる。
 あっ、火事になる! と零が慌ててそれの掃除を始める。
 草間は妹のそんな様子にも気づかず、頬を思い切り引きつらせた。
「ま、また出費……」
 彼の悲痛なつぶやきは、下からもくもくとふきあがる煙草の煙にまぎれ、寂しく消えていった。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1522/門屋・将太郎/男/28歳/臨床心理士】
【4955/レイザーズ・エッジ/女/22歳/流民】

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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマ様
こんにちは、笠城夢斗です。再びお会いできて光栄です。
今回はちょっと妙な依頼でしたが、いつもながら冷静に対処してくださるシュラインさんには助けられました。
少しでもお気に召すとよいのですが……
今回も依頼に参加して頂き、ありがとうございました。
またお会いできる日を願って……