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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


想い出の聖夜


 12月24日の冷えこみは厳しいものだった。毎年厳しいものだが、今年の聖夜の寒さはとりわけ厳しい。天気予報は、東京も今夜は氷点下の寒さに見舞われ、雪がちらつくかもしれない、と伝えていた。人々は寒さに参っていたが、その一方で、ホワイトクリスマスを期待している。どんな一瞬の、どんな小さなものでもいい。とにかく、雪がちらつくホワイトクリスマスを、と。
 藍原和馬も、氷点下の寒さは嫌ったが、雪は歓迎するつもりだった。白い息をつきながら、両脇に荷物を抱えて、凍える東京の繁華街を横切り、パーキングメーター脇に止めた愛車にそそくさと乗りこんだ。乗りこんでから、犬か狼のようにぶるると身体を震わせた。
「We wish you a merry Christmas, We wish you a merry Christmas,…」
 街中で延々と聴かされた歌を口ずさみながら、和馬はエンジンをかける。彼の車はいいエンジンを積んでいた。すぐに、冷えきっていた車内に温かい風が吹く。
 いま助手席に乗せたのは、人ではない。クリスマスケーキとシャンパンだ。クリスマスの主役のひとつである(この行事では、実にたくさんのものが主役だ)チキンをはじめとしたご馳走は、和馬の担当ではない。
 今年のイヴは、仕事を入れなかった。和馬は助手席の荷物に微笑みかけてから、車を走らせる。


 藤井家のそう広くはないアパートの一室は、色とりどりのモールやテープでにぎやかに飾り付けられていた。折り紙を切って繋げたカラフルな鎖は、蘭が作ったものだ。天井やカーテンレールの周辺といった高いところの飾りつけは葛が手がけたが、その他は蘭の手によるものだった。小ぢんまりとしたツリーの飾りつけも、蘭がやった。
「かずまおにーさん、まだなの? まだなのー?」
「ケーキ買うのに時間がかかってるんだよ。そろそろみんな仕事が終わって帰る時間だからね」
「むー」
「それに、まだ料理も全部できてないし」
「あ! なにかてつだうなの!」
「そう。そしたら……テーブル拭いて、お皿並べてよ」
「はいなの!」
 クリスマスのご馳走を手配する係は、葛が担っている。いまは油を使って揚げ物をしていた。危なっかしい盛りの蘭に、揚げ物の手伝いをさせるわけにはいかない。けれども、葛が蘭に「なにもしなくていい」「台所に近づくな」などと言うはずもなかった。無難な仕事を与えられた蘭は、それでも大喜びで葛を手伝い、ふきんでテレビの前のテーブルを拭き始めた。慣れない手つきだが、彼はとても一生懸命だ。
 油から皮付きフライドポテトを上げて、葛はその出来ばえに思わず頷く。ぴちぴちとはねる油をまとうポテトは、こんがりキツネ色の一歩手前。ファーストフード店で出されるポテトと遜色ない。
 ネットで見つけた伝説のクリスマスチキンは、商店街の片隅にある小ぢんまりとした肉屋で手に入れた。ぱりぱりに焼けた褐色の皮には、スパイスと脂がのっている。毎年その肉屋で、クリスマス・イヴに限定15個だけ販売されるチキンだ。予約は受け付けていないしいつ店頭に並ぶかもわからない。葛は蘭とともにこの肉屋に張りこみ、店頭に並ぶと同時にダッシュし、並み居る強豪をかわして、5000円札をはたき、やっとの思いでこのチキンを手に入れた。まるごとチキンの腹の中には、エリンギやしめじにハーブで香りをつけたチーズ入りきのこソースが詰まっている。
 その輝かしいチキンのまわりに皮付きフライドポテトとトマトを並べ、ガーリックトーストを皿に並べていく。味の濃い肉を口にしたら、「白いごはん! 白いごはん!」と騒ぐにきまっている男がこれからここにやってくる。だから葛は、茶碗に山盛りの白いご飯もテーブルに置いた。
 さあ、
 あとはケーキとシャンパンと藍原和馬を待つだけだ。

 チャイム。

「きたきた! きたなの!」
 脊髄反射のごときすばやさで、蘭が笑顔で飛び上がった。
「こらこら、走ると危ないだろ」
 葛の制止など、いまの蘭には届かない。蘭は全速力で玄関ドアに向かい、ばうん、と勢いよくドアを開けた。
「よう!」
「わーい! いらっしゃいなの、かずまおにーさん! まってたなのー!」
「ほーっほっほっほー! メリークリスマース!」
「メリークリスマスなの!」
「メリークリスマス、和馬。上がんなよ。寒かっただろ」
 蘭の緑の頭をくしゃくしゃと撫でてから、和馬は葛を見て、ふわりと笑った。その笑顔を受ける葛は、一足早く、すでに笑顔だった。
「わー、かずまおにーさん、ケーキかってきてくれたなの! はこ、おっきいなの!」
「だろ、デカい箱だろ。おら! チビ助、おまえのリクエストに応えてやったぞ。見て驚くなー!」
 和馬はケーキ箱のリボンをほどき、中身をあばいた。途端に、蘭のみならず葛からも感嘆と歓喜の声が上がる。
 ネットで予約して手に入れた『行列のできるケーキ屋さん』の、特製デコレーションケーキ『ホワイトクリマスマス(特大)』! 砂糖とメレンゲでできたサンタとトナカイはあまりにも小さい。なぜかというと、白い生クリームの上にはびっしりと特大の静岡産イチゴが植えられている(としか言いようがなかった)からだ。
「イチゴさんが、いち、にい……うわー、たくさんなの! きらきらしてるなの!」
「すごい! 金箔入りシロップかかってるんだ!」
「うわはははは、どうだ!」
 まるで自分が作ったもののように、和馬はケーキを前にしてふんぞり返った。
 ただ、目下の問題は、すでにテーブルの上がご馳走や食器でいっぱいで、このすばらしいケーキを置く場所がないということだった。


 ものすごい勢いで消えるチキン。
 ものすごい勢いで消えるケーキ。
 転がるシャンパンの瓶、飛び散るクラッカーの紙ふぶき。
 テーブルの上が寂しくなってきたところで、和馬と葛は顔を見合わせ、タイミングを見計らってから、蘭にプレゼントを差し出した。きらめく銀色の包装紙に、赤と緑のリボン。しかも蘭の身長の半分ぐらいの大きさがある。
「じゃーん!」
「メリークリスマス、蘭!」
「わー、ありがとうなの!」
「俺と和馬から、まとめてふたり分だ」
「あ、あけていいなの!?」
「開けろ開けろ」
「あ、ひっくり返すなよ。そうっと開けるんだぞ。こぼれるから」
 こぼれるから、という葛の言葉の真意を、蘭はいちいち探らなかった。探るどころではなかったとも言える。蘭は興奮で頬を紅潮させながら、リボンをほどき、包みをはがした。
 出てきたのは、大きな白い鉢。しかも中には、
「あー! プリン! プリンなの!」
 そう、バケツプリンならぬ鉢プリン! 葛が昨夜、蘭が寝ている間にこそこそ作り、ベランダの隅に置いたクーラーボックスの中で隠すようにして冷やしていた。洒落た白い鉢とクーラーボックスは、和馬が手配したものだ。
「すごいなの! こ、こんなおっきいプリンはじめてなのー!」
「漢みてエな豪快なこと考えるよなしかし」
「蘭が鉢とプリン欲しがってたからさ……」
「た、食べていいなの!?」
「こんなに食ったあとにまだ食うか!」
「あまいものは『べつばら』なの!」
 けれども無論、蘭がひとりで食べきれる量ではなかったため、和馬と葛も手伝うことになった。


 外は厳しい寒さだということは、3人とも知っていた。けれども、パーティーが終わったあと、3人はアパートを出た。完全防寒スタイルで、暖房を入れた和馬の車に乗って。
 向かった先は、東京某所の某公園だった。和馬と葛が、ネットで見つけたクリスマススポットだ。そう、これもまた、ネットで見つけたものだった。
 数年前から、その公園ではクリスマスイルミネーションが行われるようになっていたのだ。そう大きくもない公園であったし、しかもオフィス街の真ん中にあるため、まだ穴場と言えるだろう。イヴのオフィス街は、静まりかえっていた。葛や和馬と同じように、ネットでの噂を聞きつけたのか、ちらほらと人影がイルミネーションの光を横切っていく。
 無機質なオフィス街の中の小さな自然に、巻きつけられた電球たち。
 きらきらと輝いている。
 その輝きが、周囲のビルのガラス窓にうつりこんでいる。
 空の星は、明るい街灯のせいなのか、それとも曇ってしまっているのか、見上げたところでひとつも見い出すことはできない。けれども星は、空に浮かぶものばかりではなかった。
 ここにもある。地上に、ガラスの中に、目の中に、記憶の中に、
 クリスマスの中に。
「うわぁ……きれいだな……」
 後部座席の葛がイルミネーションを見て呟いたとき、彼女の隣の蘭はぐっすり眠りこけていた。

 車の中に蘭を残し、車の中が冷えきらないうちに戻らなければ、と思いながらふたりは外に出る。やはり、外は寒かった。イルミネーションの灯は凍った空気の中、無言できらめいている。
 公園の中央には、巨大なツリーがあった。
 きらめくツリーだ。
 夜の闇の中にある光の樹は、モミの木なのかどうかわからない。電飾が描き出す輪郭の中の木は、ひたすら黒い影にしか見えない。
「ほれ」
 ツリーに見とれていた葛に、和馬が小さな箱を差し出す。蘭のプレゼント同様、その箱は銀色の包装紙に包まれていて、リボンがかけられていた。
「あ、ありがとう……」
「メリークリスマス」
 葛は寒さでかじかむ指を懸命に動かして、リボンをほどき、包みをはがして、箱を開けた。中に入っていたのは、シルバーの輝きだ。蔦のようなデザインの……細身の……不思議な魅力を持った、ブレスレットだ。
「……」
 葛はツリーの光で、和馬からの贈り物を見た。
 言葉が出なかった。
 言葉も出せないでいる葛を、強いものが、優しく後ろから抱きしめた。
 言葉が出なかった。
 風の音も、星の音も、街の音もエンジンの音もここには無いのに、聞こえてくるものがあった。
「葛」

「おまえのことが好きだ」

 葛の背中から腕を回している和馬には、葛の顔が見えない。うつむいて、ツリーの灯でブレスレットを見つめ、うしろから和馬に抱きすくめられている葛には、和馬の顔が見えない。誰に見られることがなくとも、和馬の顔は、ツリーを見つめていた。
 目を閉じて、囁きのつづきをすることもできたが、和馬はツリーを見つめているだけだった。今年のこのツリーのことを忘れたくなかったからだ。
 葛は、自分の指先が震えるのが、寒さのためではないことを悟った。もう、こんなにも温かいのだから、寒くて震えるはずがないのだ。自分の顔が、かあっと熱くなっていく。だから、寒いはずがない。耳の奥で響く鼓動が、自分のものなのか、和馬のものなのか、わからない。

「……ありがとう……」

 葛がどんなに頬を赤らめ、いまはまぶたを閉じていても、和馬にはそれが見えなかった。見えたところで気持ちが変わるわけはない。見えなくとも、変わりようがない。
 和馬は葛のことが好きだ。
 傍にいたい。
 傍にいてほしい。

 和馬は後ろから手を伸ばして、葛の手から、銀のブレスレットを取った。かじかむ指に苦心しながら、ブレスレットを葛の手首に回して、金具を留める。
(しあわせになりたい?)
 シルバーのブレスレットが、ふたりに囁いた。

「も、もう……もう、そろそろ」
「……ああ。戻らねエとな。チビ助が凍えちまう」
「あ、あいつ、観葉植物だから」
「ああ。寒さに弱いもんな」
 和馬が葛から手を離す。葛は黒髪をひるがえし、白い息をついて、和馬よりも先に車に向かっていく。和馬は葛の背後で、キーを車に向け、ロックを外した。
 蘭はまだ眠っている。甘い唇をむにゃむにゃと動かして、微笑んでいる様子を見るに――幸せな夢を見ているようだ。
 ロックが外れた車に、葛が和馬よりも先に乗り込む。
 彼女が座った席は、助手席だった。


 和馬は運転席にまわる前に、一度振り返り、イルミネーションを見つめた。彼の網膜に、眩しい、冴えた光が跡を残す。
 何度ツリーを見ただろうか、何度クリスマス・イヴを迎えただろうか、何度女性を抱きしめただろうか、何度素直な気持ちを打ち明けただろうか。
 ――いい。どうでもいい。回数なんてどうでもいい。俺はあいつが好きだ。……好きなんだ。
 ふたりは、ネットで出会った。
 そうだ、ここにも、ネットがあった。
 光が網を編んで、夜を照らしている。
 けれどネットは、ほんのきっかけを作ってくれるだけだ。そのきっかけをどう使うか、それはネットできっかけを拾った人間たち次第だ。ネットで美味い肉とケーキを知り、つい昨日まで知らなかった人間と出会う。
 そうしてふたりは、ここまで来た――。
 ――あとは、俺たち次第なんだ。
 光から車へ、車から助手席の葛へ目を移し、和馬は運転席のドアを開けた。

 イヴはまだ、何時間もある。だから、まだ待てる。いくらでも待てる。待っているうちに、雪がちらついてくれたら、どんなにすばらしいだろうか。




〈了〉