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−君の名は−
電話を片手に、かけようかかけまいか何度も逡巡する沙羅。
(久遠さん、忙しいかな……)
(この時間なら大丈夫かな?)
(でも、迷惑だったらどうしよう……)
通話ボタンを押そうとしては、やっぱり思い直して指を離し……そんなことを幾度となく繰り返した後、ようやく決心を固め、沙羅は思い切ってボタンを押した。
呼び出し音が自分の鼓動で掻き消されてしまいそうなほどの緊張。
電話が繋がった瞬間、その緊張は最高潮に達し、本当に心臓が止まってしまいそうだった。
「あっ、あの、突然電話しちゃってごめんなさい。お時間、大丈夫ですか……?」
『ああ、少しだけなら』
声が上ずってしまいそうになるのをなんとか抑え、久遠に聞こえないようこっそりと息を整え、沙羅は勇気を振り絞って伝えた。
「久遠さんに、プレゼントを渡したいんです。クリスマスに逢えませんか? それとも……もう、予定が入ってしまってますか……?」
『クリスマスか。仕事が入ってるが、その後で良ければ時間が作れそうだ』
「本当ですか?! ありがとうございます!」
こんなにもあっさりOKしてもらえるとは思っていなかったので、沙羅は嬉しさのあまり、思わず勢いよく立ち上がってしまった。自分の部屋だから良かったようなものの、周りに人がいたら変に思ったかもしれない。
電話を切った後も沙羅は上機嫌で、しばらく大好きな歌を口ずさんでいた。
―――それが、1ヶ月前の出来事。
それから沙羅はクリスマス当日に向けて、必死にマフラーを編んだ。
久遠は有名モデルなのだから、望めば高級ブランドのマフラーだって簡単に手に入れられるだろう。だから、果たして手編みのマフラーなんて喜んでもらえるかどうか悩んだのだが、それでも沙羅は敢えて贈ることにした。
沙羅はまだ高校生だし、プレゼントにかけられるお金なんてたかが知れている。だからこそ、変に気取ったものよりも、心のこもった手作りのものを贈りたいと思ったのだ。
ひとつひとつの目に想いを込めて、丁寧に編み上げたマフラー。
それを綺麗にラッピングして、沙羅は待ち合わせ場所の神社へと向かった。
その神社は中心街から外れたところにあり、さらにキリスト教のお祭の日に神社を訪れるような物好きもいないため、まったく人の気配はなかった。何しろ久遠は有名人なので、女の子と一緒に歩いているところを誰かに見られでもしたら大騒ぎになってしまう。そのため、人目につかない静かな場所で待ち合わせすることにしたのだ。
「静かだなあ……」
街は華やかなイルミネーションで飾られ、カップルや家族連れで賑わっている。それと比べると、まるでここは別世界のような静けさだ。
と、その静寂の中に突然賑やかな音―――携帯の着信音が鳴り響いた。ディスプレイに表示されているのは久遠の名前。沙羅は慌てて通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『悪い。仕事のほうが押してて、少し遅れそうだ。でも必ず行くから、しばらく待ってもらえるか?』
「はい、もちろんですよ。ちゃんと待ってます。だけど……もし本当にお忙しいようだったら、あまり無理しないで下さいね」
『大丈夫、そんなに酷く遅れているわけじゃないから。それじゃあ、また後で』
ぷつりと切れる電話。
忙しいところ呼び出してしまったことには少し罪悪感を覚えるものの、それでもちゃんと約束を守ろうとしてくれていることに、抑えようのない喜びが込み上げてくる。
(必ず行くから、かぁ……)
久遠の言葉を思い出しながら、沙羅は照れ笑いを浮かべ、プレゼントの包みをぎゅっと抱きしめた。
雪こそ降っていないものの、外は寒い。けれども久遠が来てくれるのだと思えば、それも苦にはならなかった。ほうっと白い息を吐き出しながら空を見上げてみると、そこには数え切れないほどの星たち。空気が澄んでいるので、くっきりと見える。
「きれい……」
いつか久遠と2人で見た夜空を思い出しながら、沙羅は小さく呟いた。
(あのとき、久遠さんが言ってた言葉……永遠を信じるひとって、どういう意味だったんだろう)
怖いくらい透き通った瞳で、どこか遠くを見つめていた久遠。
彼の目には一体何が映っていたのだろう?
できることなら、自分も同じものを見たい。久遠の言う「永遠」というものを信じてみたい……。でもそれは過ぎた望みなのだろうか。
とめどなく、そんなことを考える。
沙羅はそのまましばらくぼんやりと思いを馳せていたが、色々なことを考えているとなんだか落ち着かない気分になってしまうので、気分転換に少し境内を散策してみることにした。
あと数日後には、ここも初詣に訪れる人々で賑やかになるのだろうが、今日は本当に静かだ。一歩外に出れば近代的な住宅が立ち並んでいるものの、神社周辺は木々に囲まれ、世間とは隔絶された空気に包まれている。まるでここだけ時が止まっているかのように……
なんだかタイムスリップしてしまったような不思議な気分になって、沙羅は足を止めて辺りを見回した。
その途中、ふと何かが目に留まる。
「何だろう……?」
気になって近付いてみると、地面に綺麗な赤い石が落ちていた。
ほんのりと光って見えるのは月光のせいだろうか?
目に見えない何かに吸い寄せられるように、沙羅はその石に手を伸ばし……拾い上げてしまった。しかしそれはただの石ではなく、もっと恐ろしいものだったのだ。
赤く輝く小さな石。
それは確かにとても綺麗な色なのだが、同時に、不気味でもあった。
そう、まるで―――
(……血の色みたい……)
そう思った瞬間、ただでさえ暗かった周囲が一層暗さを増した。
そしていきなり石が砕け散り、そこから何かが現れる。
それは獣のような姿をした妖魔だった。そう、赤い石は妖魔を封じ込めた結界石であった。何故そんなものがここに落ちていたのかは分からないが、とにかく沙羅は、石に封印されていた妖魔を解き放ってしまったのだ。
「あ……」
一体何が起こったのか、目の前にいるモノが何なのか、沙羅にはまったく理解できなかった。
獲物を見定めるかのような凶暴な視線に見据えられ、恐怖と混乱のあまり動けなくなってしまう。逃げなくては……本能ではそう分かっているのに、体が言うことを聞いてくれない。
沙羅を餌と認識した妖魔は、轟くような咆哮を上げ、情け容赦なく襲い掛かってきた―――
「やれやれ……だいぶ遅くなったな」
仕事を終えた久遠は、急いで神社へと向かった。
この寒空の中、沙羅を待たせることになってしまった。風邪などひいていなければいいのだがと、少し不安になる。
だが実際には、沙羅は風邪などよりもっと厄介なものに魅入られてしまっていた。
「……?! この気配は……」
退魔を生業とする久遠は、すぐにその不穏な気配に気付いた。胸騒ぎを覚えて境内に駆け込むと……そこには今まさに沙羅に襲い掛かろうとする妖魔の姿。
(駄目だ、人間の姿のままでは間に合わない……!)
咄嗟にそう判断した久遠は、後先も省みず本来の姿……銀の髪と赤い瞳を持つ妖狐の姿へと戻っていた。そして人間を凌駕した運動能力を駆使し、妖魔と沙羅の間に割り込む。間一髪、振り下ろされた妖魔の腕は久遠によって弾き返され、沙羅が傷つけられることはなかった。
「……?」
固く目をつむっていた沙羅は、自分が無事であることに驚き、恐る恐る目を開ける。
目の前に立ちはだかっているのは、見たこともない人物。雪のような白銀の髪と、そこから生えた狐のような獣の耳……どう見ても人間ではない。しかし何故か、沙羅はその人を怖いとは思わなかった。それどころか不思議な安心感さえ覚えていた。
(きっと、この人が守ってくれたんだ……)
その証拠に、目の前の人物の手の甲には傷があり、そこからわずかに血が流れ出している。
ありがとう……そう言いたかったけれど、安心した途端に急激に意識が朦朧として、言葉にはならなかった。
ほんの少しだけこちらを振り向いたその人の瞳は、あの石と同じ深紅。でも同じ色のはずなのに、不気味には感じられない。
(……どうしてだろう? なんだか、懐かしい……)
薄れゆく意識の中、ぼんやりとそんなことを考える。
そして沙羅はそのまま気を失い、その場に崩れ落ちてしまった。
うっすらと目を開けた沙羅の視界に最初に飛び込んできたのは、久遠の顔だった。でも、何だか変だ。
何が変なのか考えてみて、しばらくしてから自分が横になっていることに気付く。
「……!!」
ようやく状況を理解した沙羅は、慌ててがばっと跳ね起きた。
そんな沙羅の様子を見守る、優しい久遠の笑顔。
「ご、ごめんなさい……っ! 沙羅、いつの間にか寝ちゃってたみたいで……」
「いや、待たせてしまったのは僕のせいだ。すまなかった」
久遠はそう言ってくれたものの、沙羅は恥ずかしいやら申し訳ないやらで茹蛸のように真っ赤になってしまう。
しかしそれが治まると、急速に記憶が甦ってきた。
血のような色の赤い石。そこから現れた正体不明の化け物。助けてくれた謎の人。
あれらは一体何だったのだろう?
「あの……久遠さん」
「ん?」
「……ええと」
久遠に事情を訊ねてみようと思ったが、久遠の態度はあまりにも落ち着き払っていて、とても化け物に遭遇したようには見えない。
久遠がここに着いた時には、既にあの化け物は消えてしまっていたのだろうか?
それとも、すべて夢だったのか……
「そう言えば、さっきはだいぶうなされていたようだけど……嫌な夢でも見たのか?」
「え……」
何気ない様子でそう訊ねられて、沙羅もようやく気持ちを鎮めることができた。
そうだ、あれはやはり夢だったのだ。変な時間に寝ると悪夢を見るというし、久遠を待っている間にうとうとしてしまって、それでおかしな夢を見たのに違いない。沙羅は、そう思うことにした。
「……はい。でも、もう忘れちゃいました」
「そうか……それならいいんだ。ところで、プレゼントというのは?」
久遠に言われて今日の一番の目的を思い出し、沙羅は傍らに置かれていたプレゼントの包みをそっと差し出した。
「……これ、クリスマスプレゼントです。良かったら受け取って下さい」
「ありがとう。開けてみてもいいか?」
「はいっ」
プレゼントを見た瞬間、久遠がどんな表情をするのか。気になるけれど、もしがっかりされたらと思うと怖くて直視できない。だから沙羅は、わずかに視線を逸らしたままで問い掛ける。
「久遠さん、マフラーなんてたくさん持ってるかもしれないけれど……でも一生懸命作ったんです」
「いや、ちょうど新しいのを買おうと思っていたところだ。早速使わせてもらう」
たとえお世辞だとしても、その一言がとても嬉しい。
恐る恐るちらりと久遠のほうを見てみると、彼は言葉通りマフラーを首に巻こうとしていた。それを見て沙羅もようやく安心したのだが……ふと、あることに気付く。
(あれ……?)
マフラーを結ぼうとする久遠の手の甲に、一筋の傷。
(……あの人と、同じ傷……)
場所も傷の大きさも、あの銀髪の人物とほぼ同じに見えた。
手の甲にあんな傷が付くこと自体、珍しいと思うのだが、夢の中に出てきた人物と久遠とが同じ場所に同じような怪我をしているなんて……偶然にしては一致しすぎている。
「……どうかしたか?」
久遠に声を掛けられ、はっと我に返る沙羅。
「いえ……マフラー、その色で良かったかな?って考えてて」
「ああ、いい色合いだと思う。ありがとう」
優しく微笑む久遠を見て、沙羅は余計なことを考えるのはやめにした。
久遠が今こうして隣にいて、自分のプレゼントを喜んで身につけてくれている。それだけで今は充分だった。
それでも、沙羅の心からはあの銀髪の人物の面影が消えなかった。
久遠と別れ、家に帰って眠りについた後も、夢の中でおぼろげな幻影が揺れる。
『あなたは、誰―――?』
銀色の夢の中で、沙羅は静かにそう呟くのだった―――
to be countinued...?
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