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闇風草紙 〜封門編〜
□オープニング□
赤く染まるのは記憶。視界一面を覆う色。
和装姿の男。ふたりの兄弟の体は動きを止めた。心の奥に仕舞い込んだ何かを呼び覚ます鐘が鳴り響くのを、未刀は確かに聞いた気がした。
胸が痛い。心臓でも、心でもない。胸と腕に受けた傷跡――忘れてはならない刻印。
「無様なものだな、我息子ながら見るに耐えん」
どちらのことを差しているのか、男は口元を歪めた。
男は衣蒼秀清(しゅうせい)と名乗れば、政財界で知らぬ者はない。常に顔は広く公儀に向けられ、逆らうことも抗うことも許さない眼光を持っていた。人は、権威ある者ほど力ある者に惹かれる。彼の力を欲しようとする人間は、恋焦がれるが如く、それは叶わぬ片恋の如く、彼の背後にそびえ立つ焔(ほむら)に萎縮し、敬愛するのだ。
その秀清ですら、力に溺れていた――それがすべての始まり。
きっかけではなく、元凶。
禍星は生れ落ちた。男の手の中に。現実となることを許さない夢だったはずなのに、それを「叶う」と肯定する者の存在。
――未刀。
衣蒼の名を、名だけに終わらせることのない。力を秘めた赤子。
男の野望を一心に受けた星。青白く空に瞬くのは、希望の星ではなかったか? 未刀は、自分が存在する意味を知らず、世界を知らず、小さな囲いの中で生かされ力だけを欲される少年だったのだ。
名が「未だ見えぬ刀」の由来ではない。それが名なのだ。持って生まれた気質。産み落としてくれた母の命を奪ってしまうほどの――――。
刀と共に、血が与えた封門を開く力。未刀は父の瞳に、自分が映っていないことを知っている。そして、今からその強欲な口からどんな言葉が発せられるかも。たが、目を閉じることも、伏せることもしてはいけない。震える瞼を懸命に押し開いた。
「父上…僕の力を解放するために、何をしたんですか」
「……答えねばならないことか? 戻れ、衣蒼に」
未刀の言葉など意に介さず、秀清は未刀の背後へ視線を投げた。そこにあったのは未刀の心を支えてくれた存在。そして、父の呪縛から抜け掛けた兄の姿。突き刺さる強い蔑みの視線。
「お前にあのような者は必要ない。仁船も同様。妖魔化した男を封印した時のよに、力を欲せよ未刀!! 衣蒼に必要なのは、封門を開き力を滅し、世界を集束する者だけぞっ!」
「うっせぇんだよ、タコ親父!!! 衣蒼の力なんざ、俺の代で奪ってやるっ!」
秀清の恫喝に割って入ったのは、金の髪。緋の瞳。未刀の哀しいまでに蒼い目が見開かれる。
「楽斗!? ……なぜだ」
空気が澱む。
それは、物事が動き出す瞬間の躊躇。
風すら凪ぎ、整えられた美しい庭で何が起こるのかを見守っているかのようだった。
□玲瓏たる明日――綾和泉匡乃
金髪少年に一瞬だけ視線を投げ、明らかに見下した目をした秀清。無視されたことに気づくと楽斗は気色ばんだ。
煮えたぎる感情。露になる慕情。
楽斗の腕が唸りを上げ、手のひらに炎が渦高く上った。赤い光が空を焦がす。未刀の存在など気にもとめていない楽斗は、秀清だけを視界に入れ今にも走りだそうとしていた。
「てめぇっ!!」
「止めなさい」
とっさに腕を伸ばし、楽斗の襟首を掴んだ。彼はものすごい形相で僕を睨みつけた。あえて笑みを浮かべてみせると大げさな舌打ちをする。
「…放せっ。お前、未刀の親父だからって庇うつもりかっ!」
「そんなつもりはなかったんですけどね。あなたにはそう見えましたか?」
呆れと苛立ちが混じりあった息を吐き出した楽斗。追い打ちを掛けるのは今か。
「一人で戦うつもりなら、僕達と一緒に行動するのも手…だと思うんですけど」
「匡乃? 何を言ってるんだ」
「あの者、さすがは衣蒼の長。異様な気がここまで漂ってきますよ。一人より多勢の方が有利とは思いませんか?」
未刀が楽斗と視線を合わせた。分家の跡取り息子。彼もまた僕と同じように、未刀の心の在り方が変化したことに気づいているはずだ。衣蒼という錆びた鎖を解くには「協力」という一文字がある方がいい。
「……ボクは父上に問いたいことがあるんだ」
「お袋のことかっ? なら、完全に無視してるじゃねぇか!」
「違う……。ボクを縛り、仁船にまで命じて得ようとしている『封門』という力が、どんな意味を持っているか――知りたいんだ」
悲しげな青い瞳は光を湛え、父親を見据えている。それに映る者は事の成り行きを意に介さないかのように、無言で立っていた。吼えるだけの犬でないことが、立ち姿からでも分かる。一介の塾講師ごときが何をほざいているか…とでも思っているようだった。
なるほど……。
力を欲する意味ですか。未刀君が知らないとなると――。
以前、見たことのある女性の幽霊を思い出した。幽体となっても解語の花のような女性。横顔が確かに未刀のそれに酷似していた。現れた女性が未刀の母親だとするなら、この一連の出来事に大きく関わっている気がしてならなかった。
楽斗は未刀の言葉に今までのように騒がしく声を荒げることはなく、力を欲する意味について考えている。
「あなたもまた衣蒼という力に翻弄されたひとり…考える価値はあるでしょう。さて――」
僅かに横を見れば、呆然と空を見上げている仁船がいる。強大で常に自分の頭上にあった、父親の脅威と意向を失って、何をすればいいのか自失状態。僕はわざとらしく、父親にも聞こえる声で言った。
「仁船君…あなたはどう考えますか。聞いていないはずはないでしょう?」
「……貴方は私に――」
ゆらりと仁船の体が歩き始めた。僕を見て、父親を見る。そして、未刀君を見た。
「未刀。お前の連れてきた者は、私を惑わす……」
「仁船…。惑わしてるんじゃない。真実を語ってくれているんだ」
いつの間にか楽斗が僕の横に立っていた。
「貴様が知ってることを話しやがれっ!」
「まぁまぁ…。仁船君、父上は僕らにはきっと語らないでしょう。けれど、真実は必要なのです」
「なんの為にですか? 未刀が犯した罪は変わらない。私の友人は戻らず、母上も戻らない……」
「そうでしょうか? 真実は常に隠されているものです。一端を知ることですべては白日の下に現れ、あなたを変化させるかもしれませんよ」
知らずに恐れていては何も始まらない。
未刀君がそうであったように、少しずつでも前進することで、新しい何かに出会う。
「人は真実を知り、勇気を持って行動する為に在るのです」
説法を説くつもりはなかった。ただ見守っているだけでは詰まらない。僕の目の前で新たな変化が訪れるというのは、なかなか出会えない娯楽かもしれない。
「不要の者にまで、何を問うか」
今まで無言で傍観していた秀清が口を開いた。今まで手の内にあったはずの仁船が、俄にこちらに興味を持ったことが面白くないのだろう。
「ふっ…自ら不要と言っておきながら、気になるようですね」
「何を言うか。僅かの脅威にもならぬは」
秀清が毒を吐く。受けて立つのが性分。
「なんだか側で聞いていますと、衣蒼はあなたの代で終わりそうですね」
含み笑いを織り交ぜて言い放つ。秀清の顔は一瞬で怒りの色に変わった。ギリギリと奥歯を噛みしめる音が僕の耳にまで届いた。
これを境に一気に戦いの風が吹いた。
一撃目は秀清の放つ気。
楽斗が罵りの言葉を吐きながら、炎を繰り出した。仁船は誰に準ずるわけでもなく、ただ静観している。父親が一瞬だけ仁船に呼びかけたが気止めない様子でいる。
未刀の手に青白い剣が現れた。見るのは始めてだが、未だ見えぬ刀と称されるもの。父親と戦う為に出現させるのは、元来優しい少年の良しとするところではないだろう。けれど、今は戦う時なのかもしれない。
それぞれの息が上がる。
足下に転がってきた楽斗の腕を掴んで引き上げてやる。
「くそっ! お前っ俺を焚きつけておいて、何黙ってみてやがるんだっ!」
「今は僕が動く時ではないからですよ。それに自ら切り拓いてこその未来でしょう?」
楽斗が舌打ちをする。未刀が駆け寄ってきた。
「匡乃! 離れていてくれ。もう誰も傷ついて欲しくない。衣蒼の揉め事にここまで巻き込んでしまったのは、ボクの責任だ。だから――」
「玲瓏たる明日こそ、あなたが作り出すものですよ」
「……匡乃」
笑う顔に矢立たず。未刀君は苦笑して僕に背を向けた。いよいよ、気を荒げた秀清が力の解放を迫ろうとしていた。
「未刀! 封門を開けよ。衣蒼の力を我が手にするのだ」
「母上…を呼び戻すのでしょう」
終始沈黙を守っていた仁船が言葉を発した。一番反応したのは、母を自分の出生により失った少年だった。
「門は母上を呼び戻す為にあるのか!?」
「私はずっとそう言われ続けた。母上が戻れば、衣蒼は安定する。私は力を求め、母上を求めた」
失われた愛情。
求めるのは当然か……。いや、もしかしたら――。
悪い勘は当たる。
「はははは! そんな世迷い言を未だ信じておるとはなっ!」
秀清の高笑い。仁船の顔が青ざめた。色を無くし唇が震えている。僕は「やはり…」と呟いた。仁船の母を恋しがる気持ちを利用して、秀清は未刀を追わせたのだ。おそらくあの白髪は己が友人を失った時のもの。
傷つけ合い、失うことを一番恐れていたのは仁船だったかもしれない。怯え、引きこもり、鬱積した感情を殺していた。けれど、次期当主にはなれないとは言え、なかなかの力の持ち主。
「汚いですね……」
「私は…母上が戻ると――。未刀が門を開けば…母上に会えると」
「愚か者がっ! 力は力ぞっ! 母に会いたければ、その天寿全うしてから霊界でも訪ねればよい」
仁船の静かな憤激が込み上げているのを、彼の握りしめた手で知る。
「私を謀ったのですねっ!!」
閃く紫紺の帯。父親の首に絡んだ。締め上げる。虚をつかれた秀清は具現化し、己の首を締め付けている布を掴んだ。
「やは…り、い……らぬ!」
秀清の腕から放たれる気。集中していた仁船目がけ、螺旋を描いた。とっさに未刀が飛び出した。
「ぐぁっ! 仁船…にい……さ――」
「未刀!? 何故、私を助ける!」
縛帆を引き戻し、弟を抱き起こした。困惑する兄を見上げ、未刀は一言だけ囁いて意識を失った。仁船が懇願の目で僕を見た。近づくとぐったりとした未刀の体を抱き上げた。
「気を失っただけですよ。心配しな――あれは!?」
「おおっ! 闇だ。あれこそが封門。闇を支配し、我に力を注ぐもの。衣蒼の血に脈々と紡がれた神聖なるものっ!」
秀清の狂乱する声が響いた。見れば、未刀が倒れたすぐ横に円陣が現れている。
「未刀の力が感化されている……。衣蒼という地だからでしょうか」
見る間にそれは広がっていく。未刀を抱えた僕の体ごと、楽斗が強引に後ろへと引っ張った。
「おいっ! そいつを起こせっ! 暴走してっぞ!」
「いや…様子がおかしい」
「あれは本当に封門なのですか? 未刀が以前、暮石を封じた時とは違う」
一度見ただけだが、放たれる気が違う。地獄を思わせる炎と断末魔の叫び。それに混じって違う感覚がある。
「何が違うってんだ!」
風向きが変わって気づいた。
「匂いですっ! これは……花の香り!?」
何故、花の香りがするのだ。そう思った一瞬だった。闇を前にして叫び続けていた秀清が動きを止めた。
「なっ詩鶴……」
誰もいない。虚空に向けて、秀清は口を開いたまま凝固してしまった。ゆっくりとその体を闇が覆っていく。
「何が起こってるんだ!? どうしてアイツは逃げねぇんだ!」
「……まさか、この香りは」
仁船には思うところがあるようだった。無論僕にも。
「黄泉からの使者――というところでしょうね。あまりにも力を求めすぎた為のリスク…かもしれません」
僕の目にはぼんやりと女性の姿が見えた。あれはきっと母親なのだ。
自ら産み落とした子が、衣蒼を…そして子自らを悲壮な思想に巻き込まれていく。それを絶ちたかったのだ。
闇が秀清を閉じこめたまま、消えようとした時女性が小さく頷いた。
だから僕は頷き返す。
「確かに預かりましたよ」
終息。終焉。
終わりの時。
誰もが力を求めれば幸福になると幻想を抱く。けれど違う。力を持つことが幸福には決して繋がらない。
ただの無力な家族なら、こんな結果にはならなかったのだろう。
腕のなかで、未刀君がようやく意識を取り戻した。何から話すべきだろうか。闇のあった場所には、静寂だけが残されていた。
□エピローグ
暖かな午後。
掃除機もかけ終わり、部屋もいつになく整っている。窓際にはようやく普通の笑顔を作れるようになった少年。戻ることのない白髪を短く切った青年は、ソファに腰を落ち着かせている。
3人で同居するには申し分ない広さ…とはいかないが、僕としては別段窮屈さも感じていない。未刀は以前から住んでいるが、仁船に関しては人口密度の高さに苦慮しているようにも取れたが、あえて無視している状態だ。
いずれ、自分で力で動き出そうとした時、ここを足かがりに外の世界へと旅立つだろう。今は他人を気づかないながら暮らすことに慣れるのが先決なのだ。
衣蒼兄弟が持ってきたのは黒髪の美女の写真。母親の詩鶴だというその面立ちは、以前僕に頭を下げた女性のものだった。
やはり……。
「そういえば、僕はあなた方の母上にお逢いしたことがあるんですよ」
僕の言葉を聞いて、未刀君は閉口した。眉をひそめ、上目遣いに見上げてくる。幾分か恨めしそうだ。
「……どうして今頃そんなことを言うんだ、匡乃は」
「あれ? 言いませんでしたか? ああ…あなたは気絶していたんでしたね」
頬を膨らせた友人。思わず心の中で笑った。衣蒼という大きな闇からは抜け出せたが、まだまだ幼さからは脱せてはいないようだった。
「あの時は仕方ないだろ! ボクはボクなりに努力して――どうせ匡乃は、力不足…とか言うつもりだろけど」
「よく分かっていますね。ま、あなたにしては上出来でしたよ」
言われるままに受け答えする。が、論点がずれ始めていることに気づいていない様子。見かねたのか、ソファで未刀君の煎れた紅茶を飲んでいた仁船が立ち上がった。
「未刀…お前は相変わらず了見が狭い」
「なっなんであんたに言われなきゃいけな――」
「やはり苦労を知っている者の意見は違いますね」
「きょ、匡乃。放せっ!」
強引に未刀君の体を横に追いやり、僕は仁船と向かい合った。視線を合わせて会話すること数回。まだまだ時間がかかる感じは否めない。それでも少しずつ角が取れ、丸くなってきているのは気のせいではないはずだ。
「貴方は母上にあったと?」
「ええ。僕の方を見て頭を下げられました。心配ばかり掛ける兄弟を誰かに託したかったのではないでしょうか。父親の方には声が届かなかったようですしね」
仁船が僅かに笑った。目に穏やかさが宿る。
「……母上を助けたいと思っていましたが、逆に救われていたようですね」
「親の想いは子のそれを遙かに凌ぐものですからね」
未刀君が憮然とした表情で言った。
「僕はもう母上を悲しませない…」
弟の言葉に頷く兄。意見の一致をみるのは良いことだ。私と言えば微苦笑が広がるのを堪えるのに苦慮した。なぜなら、きっとこれからも母親の心配は絶えることはないだろうからだ。常識を取り戻し、普通の生活をするにはまだ2人とも大いに勉強の必要があった。
「これは生徒が2人に増えましたね……いや、3人かな」
金の髪の少年も同等か。彼ら全員の襟首を掴んで、文門に下らせるのも、学問を教える者としての享楽の一つ。
「さぁ…楽しくなりますよ」
僕の言葉に、その場にいた約1名が大きなため息をついた。
□END□
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
+ 1537/綾和泉・匡乃(あやいずみ・きょうの)/男/27/予備校講師
+ NPC/ 衣蒼・未刀(いそう・みたち) /男/17/封魔屋
+ NPC/ 衣蒼・仁船(いそう・にふね) /男/22/衣蒼家長男
+ NPC/ 連河・楽斗(れんかわ・らくと)/男/19/衣蒼の分家跡取
+ NPC/ 衣蒼・秀清(いそう・しゅうせい)/男/53/衣蒼家現当主
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■ ライター通信 ■
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長い間のご愛顧本当にありがとうございました。ライターの杜野天音です。
闇風草紙を書くことで、今まで書いたことのなかった匡乃さんのようなキャラを書くことができて、とても勉強になりました。いや〜最初はかなり苦労させられましたが、書き慣れていく内に勝手に喋り出すので危険です(笑)
最後は一緒に暮らしています。未来は不変ですが、きっと一緒に暮らし、匡乃さんから教育されたことを彼らにとって良い記憶となると思います。
それでは最後にもう一度感謝を込めて。ありがとうございました。
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