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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


歪んだ童話の終わり方


 何時だって選択してきた。
 盛岬狩人という人間は今までそうしてきたし、これからもそうするだろう。
 内部に関してはやれるだけの事はやった。
 最悪の展開も考えていただけに、止めておけたのはありがたい。
 思い返してみれば、上とまともな会話をしたことも初めてなのだと思い出す。
「……」
 コールの死は、30分程かけて確認済み。
 潜伏先と見られる部屋も持ち出せる物は持ち出したと連絡が入り、折り返し念入りに処理をすませて欲しいと頼んだ所だ。
「中には誰も居なかったか、解った」
 電話を切り上を仰ぎ見る。
 今動けるのはタフィーとディドル。
 場所は、新しく生まれたばかりの異界の中。
 どういった物なのか、タフィーを通じて理解できた。
「解ることは書いておいた、目を通しておいてくれ」
 プリントアウトした紙を差し出す。
 そこが全てが終わる場所になるだろう。
 相手にとっても、自分にとっても。
 行かなければならい。
 心から行きたいと思っているのだ。
「もうすぐ……だな」
「行ってらっしゃい」
「……ありがとう、かなみ。行ってくる」
 願うのは、解放する事。


 ■□■


 全てを拒絶してきた。
 人の感情を感じることは、とても重くて辛い物だったから。
 何も考えず、言う通りにしていればコールは可愛がってくれた。
 最初の命令から、最後の命令まで全て。
 あの人の死を持って、一つになった。
 あの人は今ここにいる。
 それなのにとても遠い。
 中は満たされているのに辛くてたまらない。
「ひっ、く。うっ……」
「何で泣くんだ? そこに居るんだろ?」
 生まれたての赤子のように泣きじゃくるタフィーに、困り果てているディドル。
「どうしてこんなに悲しいのか……解らないけど」
 一度手に入れてしまった感情は、止めることなど出来はしない。
「コールは?」
「答えてくれない。私が、不完全だったから?」
「オレに言われても、まあいいや。ちょっと様子見てくるから、その間にどうにかしとけよ」
 ため息を付きディドルが姿を消すと、本当に一人になってしまった思えてしまう。
 いや、ディドルがもう少ししか持たないのは、タフィーの中にあるコールの知識から解っていた。
 あと少ししたら、本当に一人になってしまう。
 それまでにコールを起こしたい。
 涙をぬぐい嗚咽を堪えながら必死で考える。
 足りないのは異界を動かす為の力だ。
 強い魔力。
 強い願い。
 不可能を可能にする程の、強い力を。
「何でもするから」
 水もない、雨も降らないこの場所であの人の名を呪文の様に繰り返す。
 そうすればきっと来る。
 願うのは、もう一度出会う事。


 ■□■


 本部に戻り、異界へ行く前に出来る限りのことを済ませておく。
 今は触媒能力を持っていないから、流れ込んで来るというタフィーの状況は解らなかった。
「りょうも行くの?」
「どうしても行かないとならない気がして」
 目元に触れてから、言葉を付け足す。
「上手く言えないけど……そう、人数はいた方が良いだろ? 夜倉木もナハトも入院中で動けないし」
 なにやら止めても行きそうだとリリィがため息を付く。
「みんなに迷惑かけないようにね」
「酷いな、一応役に立つんだぜ」
「そうね、解ってるわ。りょうが帰ってきたら今まで心配した分、今度は私が青ざめるぐらい迷惑かけるんつもりなんだから」
「……そりゃ凄い、程々にな」
 くっくっと小さく喉を鳴らして笑う。
「死なない程度にがんばってね」
「了解。また……後でな」
 願いは……。
 願うのは、何時も通りの日常。




■本部内・通路


 静かな廊下に響く靴音は、迷い無く通路を進んでいく。
 一見して不自然な事は何も起きていない風を装ってはいる物の、見る人が見たのであれば統一性に欠けざわついているのが感じ取れた。
 ほんの少し聞こえる囁き声。
 混乱しているらしい状況。
 前よりも厳重になっている警備。
 表向きの事件への対応の所為だとも取れるが、幾つもの事件が同時進行で発生しているのが原因だろう。
 思い当たる原因を傍目からは全くそうは見えない表情で考えていた智恵美は、更に奥へと進もうとした所で止められる。
「そこから先は関係者以外立ち入り禁止だ」
「あらあら」
「あらあらじゃなくて」
 振り返った智恵美が微笑みかけると、ため息でも付きそうな表情をされた。
 智恵美が裏でやっている事は表沙汰に出来ない為、こういう反応をされるのも仕方ないだろうが出来るだけ早めに動いておきたい。
「困りましたね、急ぎの用があるのですが」
 のんびりとした口調でそう言う物の、目の前の相手では話が通らないのも確かだ。
「とにかく直ぐにここから……」
「あ!」
 割り込むようにかけられた声は、ここで何度か顔を合わせた事のある相手。
 見た目こそ若いが、智恵美と似たような年齢であったことをよく覚えている。
「人手が足りなくて困ってたから、良かった。シスターはハンターの関係者だから」
「……解りました」
 関係者という単語に僅かに眉をひそめた物の、それ以上追求はしてこなかった。
 話の通じる相手で良かったと更に微笑んでから、本部内の事態は思っていたよりも落ち着き始めているようだと悟る。
「ありがとうございます」
「いいって。私も用があるから行くけど、変わった状態にある人もいるから後よろしくね。さて、後もうひと頑張りだ」
 慌ただしく立ち去ろうとした彼女に、もう一つだけと尋ねる。
「病室は何処か教えていただいても?」
「あ、うん。ちょっと待ってて」
 思い出したように、メモを書いて貰ったのはその直ぐ後のこと。



 本部内、病室。
 現在特別に用意された治療室に居るのは、コール達が作り出した黒い水に操られた千里とナハトの二人。
 そしてその二人を治療するために来た撫子と様子を見に来た魅月姫や、検査や治療を手伝ってくれたスタッフと言った面々だ。
 少し前まではヴィルトカッツェも付き添っていたのだが、別件……つまりは学園で起きた事件の収拾に呼び出しがかかったのである。
 故意か偶然かは微妙なところであるが、仮人曰く彼女に任せておけば問題ないと言うことだった。
「ナハトの中から水は抜けていますが、浄化の際のダメージが継続中。月見里千里に関しては完全に水が抜け切れておらず、心身共にダメージが大きいので彼女を優先するべきです」
 白衣を着た女性の言う通り、ナハトは内臓系の怪我だけなら時間がたてば自己再生できるが、千里はそうもいかない。
「そうですね……月見里様を先に治療した方が良さそうです」
「ナハトの様子は私が看ています」
「お願い致します」
 魅月姫の申し出に、それなら大丈夫だと軽く会釈して千里の治療を開始する。
 早速治療に当たろうと撫子が目を閉じたままの千里に触れ様子を視ると状況はかなり悪い事を再確認させられた。
 現在は沈静化している物の、体内に残った黒い水は細かく分断されて全身に散っている。
 状況こそ違う物の、浄化の反動で千里が傷つく事はないのがせめてもの救いだ。
「治療と浄化を同時進行で行います」
 立て続けに力を使い疲労感はあったが、もう暫くは持つだろう。
 否、持ってもらわなければならない。
 意識を集中し治癒の力を使うべく、手をかざした撫子のすぐ横に別の手が伸ばされる。
「……?」
 反射的に顔を上げた撫子の目の前に立っていた智恵美が、撫子に向けてにこりと微笑んだ。
「お疲れの様ですね、私もお手伝いします。ここに入ってきた際にどういう状況かは確認しておきましたから」
 ふれた箇所から広がる智恵美の癒しと浄化の力。
 一人よりも二人の方がずっと早い。
「有難うございます、わたくしは水を取り除くことに専念させていただきます」
「私は物理的、心霊両方の治癒に専念させていただきますね」
「はい、お願いします」
 撫子もほほえみ返し、今度こそ治療に専念し始めた。
 黒い水を回復の妨げになっている部分から浄化し、追って傷ついた内部や外傷を癒していく。
 二人掛かりの治療のお陰で、千里が回復するのにそう長い時間はかからなかった。
「……んっ」
 弱々しい声を上げてから、うっすらと目蓋を開く。
「気がついたようですね」
「良かった」
 ほっとしたような声に、千里の視線ふらふらと動いてからかすれた声で言葉を紡ぐ。
「あたし……?」
「無理はなさらないでください。治療したばかりですが、精神的な疲労はまだ残っている筈です」
 動こうとする千里をそっと撫子が手で制す。
「今はゆっくり休んでいてください」
「………」
 落ち着いた声に習い、静かに目蓋を閉じる。
 治療したとは言っても疲れは残っているだろうし、考える事もあるだろう。
「ナハトさんですが……」
 休む間もなく智恵美が視線を移す。
 治療の間は魅月姫が付いてくれていたし、呼び止められなかった事からも異常はなかったようだ。
「そちらはどうですか?」
「何事もありません、目覚めないのは力が足りないようですね」
 椅子から立ち上がり、ナハトの眠るベッドの側に無表情で佇む。
「……?」
 何をするつもりだろうかと智恵美が首をかしげると、それに気づいた撫子や職員たちも顔を上げ視線を移した。
「いつまで眠っているのです? 早く戻ってきなさい」
 淡々とそう告げ、眠っているナハトの髪を撫でてから頬へと触れ静かに口付ける。
 予想外の行動にその場にいた誰もが息をのんだり、声を上げそうになったのを押さえたりと反応は様々だ。
 そんな騒然とした雰囲気を気にする風でもなく、魅月姫は自らの力をナハトへと分け与える。
 同じ闇の属性に位置しているから、力を注ぎ込むことで、回復のたしになるだろうと思っての行動だ。
 この考えは上手くいったようで
 顔を上げたその直後。
「―――っ!?」
 勢いよくナハトが飛び起きるナハト。
 だが本調子には至らないらしく、すぐに頭を抱え姿勢を崩してしまう。
「よく眠っていたようでね」
「……助かっ、た……ありがとう」
 多少動揺していたが、視線を感じ取ったのかすぐに何事もなかったかのように振る舞い始める。
「お陰で怪我もすぐに治る」
 まだ苦しそうではあったが、意識が戻れば治癒能力も高まる。
「それでは、先に失礼します」
 ここでやるべき事は終わったと魅月姫がすっと姿を消し、部屋に残された全員も動き出す。
「具合はいかがです?」
「……平気だ……すまなかった」
 身を案じる撫子の言葉に、ナハトが肩を落とす。
「……あ」
 千里が顔を向け何かを言おうとするがはっきりとした言葉にはならなかった。
 千里とナハト二人に共通した感情を述べるとするのなら、紛れもなく罪悪感だろう。
 苦々しい表情に智恵美かぽんと手を打ち優しく微笑む。
「これからのことは、治った後ゆっくりと考えていきましょう」
「そうですね、今は休むことを優先してください」
「……状況は? 今、知りたい」
「焦らないでくださいな」
「あたしも、知りたい……」
 今にも立ち上がりそうなナハトと必死に頼む千里に、どうしたものかと思いつつ微笑む智恵美。
 まだ話さないという選択肢では納得しない様にも見えるし、落ち着いていないだろう状況で事実を話すにしてもやり方を考えてしかるべきだ。
「そうですね、どこからお話しましょうか」
 上手く伝えられる方法を考え始めた撫子へ、連絡が入ったと職員の一人が受話器を手に声をかける。
「調べてほしいと頼んでいたものが届いたそうですが」
「ありがとうございます、お手を煩わせて申し訳ありません」
「いいえ」
 振り向いてから話の途中であるのにと悩んだ撫子に、智恵美が大丈夫だと変わって説明をすることになった。
 ここに来るまでに状況の把握をしていたからこそ、客観的な視線から語る方がかえって冷静になれるだろう。
「撫子さんは向こうをお願いしますね。状況の説明は私がしておきますから」
「よろしくお願い致します」
 丁寧にお辞儀をしてから、待たせてはいけないとこの場を任せて撫子は部屋を後にする。
「さて、どこから話しましょうか? からでしたよね」
 どの程度の記憶が残っているかを訪ねてから、智恵美は説明をし始めた。





 ■本部内・仮人宅


 異界は作られてしまったが、今ならまだ対処できる。
 虚無やIO2、タフィーやディドルを含めたすべてが本格的に動き出す前に止めなければならない。
 その為の方法は誰もが思っているよりも多い、それこそ楽にすませてしまうものから……難しい方法まで。
「IO2の対処は一時的に一段落ついたとして、後はあの三人と異界だな」
 そんな中、一つの提案をしたのは羽澄だった。
「その事だけど、タフィーとディドルの保護を要請したいの」
 その結果に至るまでの課程は、おそらく難しいものとなるだろう。
 それでもその方法を選びたかった理由を単純に助けたいからと言う理由からだと断言してしまうには、羽澄の声には多彩すぎる感情が含まれていた。
「解った、伝えておこう。反対意見は?」
 現在この部屋にいるのは羽澄と狩人。
 啓斗と北斗にシュラインと汐耶と悠也の面々のみだ。
 りょうが力の使いすぎで、その治療のためにかなみとメノウに少しばかり目を見てもらっている最中で、リリィがその付き添いで医務室に行っている最中なのである。
 首を左右に振られることはなかったので、狩人は頷いてから話を続けた。
「今の内だしな、他に何かいっとくことは?」
「今の内って、ゆっくりしてて構わないのか?」
 怪訝そうに眉を寄せた啓斗は、声こそ静かであるのにもかかわらず、すぐにでも席を立ちそうだと解るほどに神経を張りつめさせている。
「兄貴?」
「……」
 何か変だと気づいた北斗が声をかけると、同じくそれを察した汐耶が、きちんと筋立てて理由を説明していく。
「焦るのはよくないわ、それに今はまだこうして話していられる理由はちゃんとあるから」
「理由……?」
 オウム返しに問う啓斗に、今言ってしまってもいいか迷いはしたが解ることは言っておくべきだろうと思い直し話を続ける。
「異界に入る方法を解る人はとても限られているから」
 はっきりと解るのは、現在触媒能力者である狩人と汐耶の二人だが……波長を合わせられるのであれば、他に居ないとは限らないのだが。
「私たちが入りたいと考えるか、中から呼ぶだけ」
 たった、それだけの事だ。
「知ってさえいればいつでも向かうことは出来ますが、知らなければ行くのは難しいというわけですね。単純で有効な手段です」
 悠也の言葉通り、入り方や中がどういう状況かを知らなければそう易々とは入ることはできないだろう。
「けれどそれって……」
 はっきり言ってしまえば、今この状況を知っている自分たちに対しての罠だと考えられるが……
「今の状態では、そう言い切れないのも確かなのよね」
 原因は流れ込んでくる強い感情だ。
 静かな泣き声と内臓が苦しくなるほどの戸惑いと孤独感。
「だからこそ今の状況を調べておいた方がいいと思って」
 それは何故か?
「待ってください、もう少し詳しく調べてみます」
 深く息をついた汐耶に、同じ状態にある狩人が念のためにと告げておく。
「あまり深くは危険だからな」
「はい、気をつけます」
 今汐耶と狩人が調べているのは、タフィーが波のように送り込んでくる感情だ。
 ただ送り込まれるだけの感情だが、その理由を突き詰めようとすれば出来ないことはない。
 逆に深く知ろうとすれば、その分だけ感情がシンクロする可能性に気をつけなければならなかった。
「危ないと感じたら、俺も止めるのを手伝いますよ」
「助かります」
 改めて流れ込んでくる感情へと意識を傾け始める。
「……感じるのは。違う、そうじゃない。もっと別の……」
 本や映画の主人公に感情移入してしまうよりももっと鮮明に、タフィーの感情に触れているのだ。
 生まれたての子供のような強く激しい感情は、ふとした拍子に同調してしまいそうになる。
「一人ではない……そう、二人で一人なんです」
 タフィーとコールが交わしている会話と、その付近の場所を言葉で説明していく。
 最後にぱっと顔を上げ、よく聞こえるように告げた。
「異界の核は……タフィーと、コールです」
 既に死んでいるはずのコールの気配を感じられる理由は一つ。
「タフィーがコールを殺して、触媒能力者として完成したって事だ」
「………」
 タフィーとコールは、最もとってはならない手段を選んでしまったのだ。
 はっきりとそう告げた狩人に、羽澄が胸元へと上げた手を強く握りしめる。
「どうしてそうなったかも、解るといいわね」
 よく澄んだ声で言うシュラインに、羽澄頷く。
 確かに今解っているのはタフィーがコールを殺したという結果だけで、そこに至る過程は解らないからこそ、少しでも真実を解明したい。
「私にも解らないことが多いから、出来る事をしようと思うの。その為に出来ればメノウちゃんの力を借りたいのだけれど」
「頼めば大丈夫だと思いますが?」
「触媒能力を移せるように準備だけでもしてほしいの。使うかは解らないけれど、力を他に移すことで対応できるかもしれないと思って」
「解りました、先に伝えておきます」
 連絡を取り始める汐耶は、簡単にそのことを伝える。
「他には? だそうです」
「出来るだけ負担の少ない方法でお願い、後は任せるわ。それと……もしかしたらだけどこの方法以外に分離方法をご存じでは?」
 後半は狩人へと向けられた言葉だ。
「……他の方法なら、確かになかった訳じゃない。ただ今までは不可能だっただけで」
 つまり、現在は可能だということである。
 前と今の違いは……。
「異界、ですね」
「正解」
 願いが叶う場所。
 タフィーの行動と、狩人のしようとしていたことが一致したのはこちらを調べていたからこそだ。
 どこまでがコールの企みなのだろうか?
「やるとしたら、メノウに頼むべきだろうな」
「解りました、そう伝えておきます」
 頷いてから、その一言を付け加え汐耶は携帯を切った。
 入れ替わりのように鳴る電話に、視線が狩人に集中する。
 画面を確認するやいなやすぐに応答し、ぽんとそれを啓斗へと放って渡す。
「……?」
「出れば解る、まあ手短にな」
 事実、耳元へと携帯を運び僅かに目を見開いてから席を立ち別の部屋へと移動する。
「誰?」
「夜倉木家。まだ寝たままだが、何とか大丈夫だそうだ」
「ひとまずは安心……なのかしら」
 ほっとしたのも束の間。
 閉じられた扉から、北斗が納得したように視線を戻す。
「ああ、兄貴には俺が話し伝えとくから。話し続けてくんねぇ」
 話す時間はあるが、それも有意義に使うべきだ。
「後気になるのは、異界の望みが叶うという部分ですが、何か代償が必要になるのではないかと」
「……そう、なんだよな」
 何かを手に入れるには、それ相応の必要なものは自然と発生する。
「ここで考えていても、実際に試してみないと解らないままだろ」
 流されてくる感情には偏りがあるのだ、これ以上は危険だろう。
「ここまでにしておいた方が良さそうですね」
 疲労の色が濃くなり始めた汐耶に、あまり負担をかけるのはよくないと悠也が止めに入る。
「……そうですね、後は直接行って確かめます」
 ほっと一息ついた頃になり、外に出ていたりょう達も帰ってきた。
「もう良いの?」
「回復してもらったから、何とかなるだろ」
 試しにヒラヒラと手を振ってみるとりょうがそれを目で追っていたから、確かに大丈夫らしい。
「そうだ、メノウちゃん」
「もう少しです、入れ替えるだけならそれ程難しくはありませんから」
 汐耶とりょうの前例があるのも時間を短縮できる理由だろう。
「よろしくお願いね」
「手伝うことは?」
「はい、先ほどと同じ様な術式にしておこうと思うので、その書き取りの手伝いをお願いします」
「俺もお手伝いします」
「助かります」
 同じく悠也も完成した状態を見ているのだから、完成するのにそう時間はかからないはずだ。
「その間に調べ物があるのだけれど」
「とうぞ、終わりましたらお知らせします」
 こうして、術が完成するまでの間に、それぞれやるべき事ことをしておこうと席を立ち始めた。




 ■資料室


 同じ様なことを調べていたシュラインと撫子が、用意した資料を元に検討を重ねていく。
 これまでマザーグースに関連づけられていたから、今回もその可能性はあったし、調べていて損はないと思ったのだ。
 積み重ねられた本は真新しいものから古いものまで、直ぐに出でくるのだからありがたい。
「汐耶さんに状況を教えてもらったのもヒントに探してみたけれど……」
「きっと、こうして調べている事も役に立つと思います」
「そうね……マザーグースが好きみたいだし、覚えておけば歌えるもの」
 集団としての名をナーサリーライムズとしているあたり、そこに関連した歌はよく知っているだろう。
「届くと、良いのですが……」
「うまくいくかどうかは解らないけれど、考えはあるから」
 気になった詩や、目についた歌詞を調べて記憶していく。
「気になったのはコールの王様ですが……」
「私もよ、後はMy mother has killed meかきらきら星。あるいは、あの三人の名前に関わる何かかしら?」
 コール、タフィー、ディドルの三人も例に漏れずマザーグースの歌から名前をとっている様なのだ。
 ここからは予測だが。
 コールは今出たようにコールの王様。
 タフィーは盗賊タフィー
 ディドルはディドル・ディドルと言ったあたりだろうか?
「歌もですが……わたくしには何か他に目的があるように思えてならないのです」
「そうね……それも解ると良いのだけれど」
 鳴り始めたメールの着信音に、そろそろ支度が終わるのだと知る。
「さあ、戻りましょうか」
「今やれるだけの事は致しました、よい結果につながると良いですね」
 これから歌われる曲は……果して何?




 ■狩人宅


 もうそろそろ頃合いだろう。
 メノウ達がやっている作業に、さすがに北斗には手が出しようもないと傍観を決め込んでいた。
「そろそろ……かな」
 支度も終えたし、事前の準備も終わったからそろそろ異界へと向かう事になる。
 椅子から立ち上がり、啓斗の入っていった扉を適当にノックしてから扉を開く。
「兄貴、そろそろだって……兄貴?」
 そう長くは掛からない筈だという予想通り、狩人から借りた携帯は降ろされていたが……代わりに別の携帯を耳元へと当て、熱心に何かを聞いていた。
「……兄貴?」
「―――っ!?」
 三度目の呼びかけにビクリと肩を跳ねさせ、勢いよく啓斗が振り返る。
「北斗、いつのまに?」
「さっきから。ノックもしたし、声もかけたぜ。なに聞いてたんだ?」
 驚いたように目を見開いていたが、直ぐにいつものような表情に戻った。
「留守……いや何でもない。そうか、気づかなかった」
「気づかなかったって……」
「ん、もう終わったから。直ぐに戻る」
 電話を仕舞い、啓斗は元居た部屋へと戻っていく。
「なんか……昔に戻ったみたいだったんだけどな」
「なら見ててやったらどうだ?」
 立ち止まっている北斗の側まで来ていた狩人が声をかける。
「……そう、だな」
 そうだ、それが良い。
 これまでもそうして来たのだし、これからだってそうするつもりなのだから。



 術が完成し、事前の準備も済ませてしまえば後は異界へと直接向かうのみ。
 だが、その前にと汐耶がりょうに話しかける。
「行く直前に言おうと思っていたのですが、触媒能力どうします? 今の状態なら、戻しても構わないと思ったのですが」
 元々はコール達やIO2からの危険を考え、能力の移行をしたのだ。
 だが今の状況ならそれ程心配する必要はないだろう。
 IO2は手を出せない状況であるし、コール達に今それが出来るとも思えない。
「え? あー……」
「どうするの、りょう?」
 唐突に話を振られ、りょうは何かを真剣に考え込んでから羽澄の言葉に意を決したように顔を上げる。
「そうだよな……でももうちょっと待ってもらって良いか? 出来れば異界に行ってからとか」
「何か心配事でも?」
 小さく首をかしげる撫子に、りょうが首を左右に振った。
「そう言う訳じゃないんだ。力渡したままで悪いとは思うんだけど、覚悟とか何とか」
「私は構いませんよ、何時でも言ってください」
 それならとメノウが補足する。
「解呪方法は簡単ですよ。私が元に戻そうとするか、入れ替えた時に渡した紙を破くだけですから」
「解った、ありがとな」
「それじゃあそろそろ行きましょうか」
 これで外でやれるだけの事はやった。
 今度こそ異界へと向かう時だ。
「行っただけで危険はないから」
 安心して良いという狩人に頷き、悠也が席を立つ。
「それでは、お先に向かわせてもらいます。悠、也よろしくお願いします」
「はーい♪」
「お留守番ですー☆」
 元気よい二人に柔らかく微笑んでから、悠也がすっと目を細めさせた次の瞬間には、その場から姿も気配も完全に消えていた。
「よし、行こう」
「オッケー」
 後を追うように啓斗と北斗の二人も姿を消し、次々と部屋の中から人数が減っていく。
 羽澄に撫子にシュラインに汐耶。
 りょうに狩人にメノウ。
 ほぼ大半が行ってしまった後は、急に静かになった部屋の中に残ったのは、悠と也とリリィとかなみとマナだけである。
 静かになった部屋で、一つだけ言い忘れていたとリリィが小さく声を零す。
「どうしましたかー?」
「也ちゃんも行きますか?」
「大丈夫、行ってらっしゃいを言い忘れただけだから」
「きっとまだ間に合いますー♪」
「きっと届きます☆」
「そうね、行ってらっしゃい」
 気持ちだけでも届けば良いと、そう願いながら。




 ■病室


 ノックの音に、智恵美が顔を上げる。
「どうぞ」
 千里とナハトへの説明を終えたばかりで、良いタイミングだったと言うべきだろう。
「ご苦労様です」
 顔を覗かせたのは、かなみとリリィの二人。
「外に出でもよろしいのです?」
「こちらは少し落ち着きましたし、マナも悠ちゃんと也ちゃんに見てもらってますから」
 のんびりとした会話を交わす二人とは正反対に、深く沈み込んだままの千里とナハト。
「お茶でも入れますね」
 何とか場を和ませようとリリィが紅茶を入れ始める。
「ありがとうございます」
 よい香りが部屋の中を満たし、入れ立ての紅茶を目の前に置くがゆっくりお茶をするという気分にはならないようだった。
「何かお腹に入れないともっと気が沈んでしまいますよ」
「……」
 ぐっとナハトが紅茶をあおったのを見て、千里も少しずつ口を付け始めたが……直ぐにカップを下に降ろしてしまう。
「あたし……あたしは、謝りきれないほどの迷惑をかけてしまいました」
 暗く沈んだ声に、何かを感じ取った智恵美は真剣な表情で続きの言葉に耳を傾ける。
「今も聞こえるんです、寂しいって呼んでるんです」
「………どうして?」
 触媒能力者ではないのにというリリィの問いは、そっとかなみが肩に手を置くことで止められた。
「声が聞こえるの?」
「はい」
「呼ばれてる様に思うんです、私はタフィーも助けたい」
「―――待って!」
 掴もうとしたかなみの手から逃れるようにさがり続け、ベッドから落ちかけた瞬間に姿を消す。
「大変……」
「どういう事です?」
 ここにいた智恵美とナハト達には事情がわからない。
「異界の特性で行きたいと願うか、向こうにいる誰かが来てほしいと望めば行けてしまうんです」
「……行ったのか」
 低く呟いたナハトに、直ぐに釘が刺される。
「ナハトはここに居てね」
「………」
「けがは治ったけど、ここに居てもらわないとこまるの」
 行く気満々だったらしいが、言い当てられて沈黙したからには大丈夫だろう。
「どうするかが問題ですが……」
 考え始めたかなみに、智恵美もどうするかを考え素早く結論を出す。
 彼女がそう決めて異界へと向かったのだ。
 それなら、するべき事は止める事ではなく、帰った時にどうするかだろう。
「出来るのなら連絡は入れて欲しいですが、無理なら仕方ありません。彼女は向こうに任せましょう。私は月見里さんが帰ってきた時に、悪い風には為らないように働きかけておきます」
「その事ですが、タフィーとディドルもきちんとした保護をしてもらえるようにお願いできますか?」
「解りました、今度こそ必ず」
 さあ、こちらももう少し忙しくなりそうだ。




 ■異界内


 歌われているのは問いかける為の詩。
 不可能を唄っているのは、叶わぬ望みを実現するため。
 そうすれば願いが叶うのだから。
 形あるもの。
 形なきもの。
 すべては思いのまま。
 終わり無き問答歌は、答えが出るまで繰り返される。
 けれどそれは不可能なのだ。
 だから歌い続ける。
 繰り返し、繰り返し……。
 ならば、答えを出そう。
 終わり無き歌を終わらせる為に。
 不可能を可能にして、終わりへと導こう。
「………」
 異界へと転移した魅月姫は、爪先がついた箇所から静かに広がる波紋にとても水の多い所なのだと気づいた。
 海に砂浜に森に石造りの道にと……まるで古い童話の世界のような光景が広がっている。
 ここからでは声も力も届かない。
 直接行ってタフィーとディドルに会うしかなさそうだ。
 辺りを見回すと、探すまでも無く道の先に小屋があるのを見つける。
 小さくしか見えない程に遠い距離だが、魅月姫は歩いて向かい始めた。
 その為の時間も……。
 チェックメイト出来るだけの切り札もこちらにはあるのだ。




 ■草原


 異界へと考えた次の瞬間。
 部屋の中から草原らしき場所へと移動していた。
 遠くには森と小さく見える小屋。
「ここが異界で間違いないようだけど……」
 顔を上げて辺りを確認するが、目に見える範囲には誰の姿もない。
 携帯もここでは使えないようだった。
「全員同じ所に飛ばされる訳じゃないのね」 心配ではあるが、ここに居るより確かめた方が早いだろう。
 幸いにして鈴を渡している相手の場所なら特定できる。
 場所は……少し先に見える小屋らしき建物へと集まり始めているようだ。
 足下にある芝生の感触に気づいて靴を履き、歩き出す。
 地面に何か仕掛けてあるなんて事はなさそうだが、ここは異界の中なのだ。
 何か起きるか解らない。
 気になったのは、異界の特性である望みが叶うと言う事。
「………」
 例えどんな力を持っていたとしても、羽澄の願いを叶えることは不可能だ。
 在る物を無くすのは容易いのに、無くした物を取り戻すのは気の遠くなるような時間と努力を経てなお実るとは限らない。
 それでも不能を可能にしようと考えていた道を選べなくなったのは……。
「見つけた」
 なだらかな斜面の下にある石造りの道。
 そこにいたりょうに呼びかけ、振り返るのを待ってから軽く手を振る。
「よお、羽澄」
 タバコを吸いながら、いつものようにニッと笑う。
「ずいぶん遠くに飛ばされてたみたいだな、大丈夫だったか?」
「平気よ」
 選べなくなった理由の一つは、確かに彼なのだ。
「りょうは何か願った?」
「いや、俺は何も……試してみようか迷ったけど、リリがこっちに来るかもしれないし」
 なるほど、実にあり得そうなことである。
「羽澄は?」
「私の願いはここでも、何をしても叶えられないから」
 きっと望みを叶えられていたのなら、彼女は彼の姿を刻むことも心理学者になることもない。
 もし、もしも出来たならとは考えた。
「ここにあの人が現れたら、きっと……殺したくなるから」
 願いが叶うという異界。
「あの人が望んでる」
 実現したその時、何が起きるのだろうか。
「私、死なせたくない。生かして約束の時まで私達と同じように苦しめばいい」
 一気に並べていく言葉を止まるのを待っていたかのようにりょうが言う。
「いまの羽澄なら、大丈夫だろ?」
「……?」
 何を指しているか最初は解らなかった。
「ええと、ほら。何かあるような状況の時ほど、人の顔が頭をよぎるんだ」
「……解るわ」
 一人ではないと気づきさえすれば、きっと止められる。
「だろ? 俺もよくあるんだよな」
「……頻繁にってどうなの?」
 目的地は、もうすぐそこだ。




 ■森


 たどり着いた場所は、森の中だった。
 障害物ばかりで視界が悪かったが、逆に言えば動いていてくれればどこに居るか解りやすい。
 遠くない所に飛ばされていると信じ、音を頼りに探していたシュラインは聞き慣れた話し声にほっとする。
「良かったわ、直ぐに見つかって」
 事実同じ様に森の中にいた汐耶とメノウと狩人とは直ぐに再会できた。
 先に会えたのがディドル達ではなく、仲間の方で本当に良かったとそう思う。
「他のみんなはどこに飛ばされたんでしょうね」
「とりあえず近くに……二人」
「他には?」
「今はそれだけ、啓斗と北斗の二人だと思うわ」
「よし、行こう」
 その方向へと向かうべく、狩人を先頭に方向を変える。
「ただの森なのがせめてもの救いね。願い事の辺りに関しては気をつけた方が良さそうだけど」
 ここはもう異界の中なのだ、どういう条件で発動するか、その時どうなるかも解らない。
「何か案でも?」
「試してみたいことは在るのだけれど、もう少し人数が揃ってからの方が良いと思って」
 明確に思考にした瞬間に発動するのであれば危険だ。
「ではそれで……メノウちゃん、足下気をつけて」
「はい」
 異界内で既に何度かこけていたらしいが怪我もないようだし、指摘されたくないようなのでそっとしておく。
 そんな風に足場が多少悪い事を除けば、至って普通の森の中である。
 メノウに手をかしつつ歩き、何とか姿が見える所まで近づける頃には、こちらの気配に気づいたようだ。
「シュラ姐! ほら、急ごうぜ兄貴」
「大きな声を出すな」
 身軽な動きで距離を詰め、これでここに来た人数の約半数が揃った事になる。
「他は?」
「別の場所に行っているのだと思うけど……」
 視線の先には、何ありますとはっきりと主張している小屋。
 ここからだとほんの小さくしか見えないのだが。
「あそこから声が聞こえますね」
「そう、だな」
 タフィーの呼び声は、今もなお汐耶と狩人に聞こえ続けているらしい。
「先に行っているかもしれないわね、私達も……」
 そこでシュラインが言葉を濁したのは考え込んだからではなく、まっすぐこちらに近付いてくる気配に気づいたからだ。
「……来る」
 人には出せない速度と気配。
 関係者なら合図を送ってくるだろうから、必然的に浮かぶのはただ一人。
「どうやら簡単に合流させてくれる来はないようですね」
 呟く。
 まるでそれを合図にしたかのように人影は大きく跳躍し、目の前へと着地する。
 赤い髪とネコのような瞳。
「ディドル!」
 誰が名を呼んだか定かではないが、はっきりと解ることは一つ。
 非常に好戦的な表情をしているということ。
「先に行ってくれ」
「後で落ち合おうぜ」
 身構えた啓斗と北斗に頷いたのは狩人だ
「気をつけろよ」
 ここに残り手伝いたいがこちらにはメノウもいるし、タフィーの事も考えれば確かにそうするのが得策だろう。
 広範囲に効果を与えるような術の類を扱うには、この地形も不向きなのだ。
「足手まといで申し訳ありません」
「適材適所ってやつだから」
 メノウの言葉に狩人が苦笑を返す。
「向こうで会いましょう、他に人がいたら向かうように言うから」
「気をつけて。後、来るときは願ってみて」
「俺もついでに。それは本体じゃないって事だけは言っとくな」
 そう言い残し、木々の間へと消えていく。
 木々が阻んだところで、行き方について方法を口に出さなかったシュラインが続きを言葉にする。
「行きたいと願ったらどうなるのかしら」
 強く、そう願う。
「確かにそれも願いだな」
 頷く狩人に、シュラインは今度こそはっきりと予想を真実にするかのように言う。
「出来るか解らないからこそ、出来るって強く願う事が近道ね」
 僅かに視界がぶれる。
「けほっ、こほっ」
「メノウちゃん? 大丈夫?」
 突然咳き込んだメノウに何かと思ったが……。
「……解った」
「……ああ、そう言うことね」
 足下がふらついたメノウを支えてから、汐耶もまた気がついた。
 小屋までの距離は数メートルがせいぜいの距離になっていた。
「これだけで良かったというべきなのかしら?」
 全身にずしりと掛かる疲労感こそが願い事の結果なのだろう。
「……もう平気です」
「まあここからなら大丈夫だろう、様子見に行ってくる」
「そうですね、お願いします」
 先に来てしまったのが気になっていたから、その方が良いと同意する。
「じゃあ、また後で」
 手を振りながら背を向けた狩人の姿は、次の瞬間にはもう見えなくなっていた。




 ■ディドル


 改めて戦闘開始と言いたいが……。
 ほんの僅かに立ち位置をずらし直した啓斗には目もくれず、ベラベラとおしゃべりを始め出す。
「どうして行かせてやったか解るか?」
 ニイッと歯を見せて笑うディドルの背後ら、同じ顔をした少年が現れる。
「………」
「………」
 そしてまた一人。
 嫌な予感、的中。
「人数で勝ってるとでも思ったん?」
 五人ほど出てきて打ち止めとなったようだ。
「他には居ないのか?」
 先に行った三人に待ち伏せされたことを考えての問いだったが、ディドルは馬鹿にされたと思ったらしくムッとしたように返す。
「ええと……多分。あれ?」
 人数を数え始めだしてから、顔を上げる
「言う必要ない」
「………本物の馬鹿だよな」
「だっ、誰がバカだ!」
 怒鳴るディドル達の声がステレオ放送のように重なり、啓斗と北斗は油断無く構え大きく前へと踏み出す。
「バカって言った方が……っわあ!」
 狙いは核である瞳のみ。
 不意を付き放った短刀は、一人目のディドルを土へと返した。
 二人目のディドルの爪が振り下ろされるのを感じ取り横へと飛び退く。
「ちっ!」
 寸前まで啓斗がいた場所へと爪が無意味に宙を切る。
 舌打ちした次の瞬間には、身を低く構えていた北斗がディドル目元を薙いでから袖口に潜ませていた火薬を投げ距離を取る。
 派手な爆発音と燃え上がる炎。
 北斗がディドルから距離を取りつつ、次の手をどうするかを思考しつつ啓斗と北斗が前を見据える。
「………気づいたか?」
「ああ」
 以前戦った時よりも、攻撃力もスピードもすべてが遅くなっているのだ。
 何か裏があるとは解るが、それが何かまでは解らない。
 最も有効なのは奥の手を出される前に対処する事だが……。
「―――っ、下がれ!」
 叫ぶ同時に、啓斗と北斗は大きく後ろへと飛び退いた。
「くっ!」
 炎の中を突っ切り、飛びかかってきたディドルの鋭い爪を二人で同時に受け止める。
 右手が啓斗で、左手が北斗。
 二対一であるのにも関わらず、力は同等。
「―――っ!」
 何故これほどの力がありながら使わなかった?
 考えている暇はないと直ぐに思考を切り替え、北斗が渾身の力ではね除けた瞬間に啓斗が留めを刺す。
「あと、二人っ」
 ディドルが楽しそうに笑った。
「分かんないなら教えてやるよ、四人より三人。三人より二人。動かす人数が少ない方が楽なんだ。」
 倒せば倒すほど不利になるなんて、納得できるが腑に落ちない。
「ほら、やれよ。そろそろきつくなってきたんじゃねぇ?」
 安っぽい挑発だが、効果はなかなかだ。
 これ以上数を減らすのは危険が伴う、わざと減らさせていたとしたら尚のこと。
 方法がないわけではない。
 二人同時に倒せばいいだけの事だ。
 この件については何か考えがあっての行動ではなく、口が軽いだけの様な気がするが、それを指摘する必要もない。
 自分たちが解っていれば良いだけの事。
「そうだ、聞けって言われたっけか……ええと『思い残す事は?』」
 腕に書かれた文字をそのまま読み上げる。
「願いってやつか? それなら今まで通りで十分だ。うまいもん食えて、普通に過ごせれば十分だ。だからここでてめぇをぶん殴って元に戻るんだ!」
 強くにらみ付ける北斗から、ディドルは視線を横へとずらす。
 その瞬間。
 戦いの最中であると忘れ事の成り行きを見守ることにのみ専念し始めるディドル。
「連れの方は違うみたいだけど?」
「………兄貴?」
 戦闘中だというのに、北斗も啓斗の方へと振り返った。
「………俺も、殴ってやれば良かった」
「………?」
 一拍おいて、音を立てて鳴り始める携帯の着信音。
「出れば? それぐらいの時間はくれてやる」
 言葉に乗せられるのは気にくわないが、携帯での連絡が付かない異界の中で鳴ったのだ、何かあるに違いない。
「……」
「ほら、早く」
 それでもなお迷う啓斗が服の上から携帯がしまってある場所に触れると、ぴたりと音がやむ。
「!?」
 驚いたように今度こそ携帯を取り出すと、音を立てて砕け散った。
「………一体なんなんだ?」
「ちょっ、それで終わり!?」
 どちらの問いにも啓斗は答えずに、跡形もなく砕けていた携帯を見つめていたが………。
 緑の瞳が鋭い目つきへと変化する。
「やっと、出られた」
 様子が明らかにおかしい。
 まるで、別人が話しているかのような。
「………兄貴?」
「「……? 誰が……あ」……どうしてここに居るんだ! 「啓斗の所ですか?」 勝手にしゃべるな!!!」
「………」
 端から見れば一人で芝居をしているような光景に、北斗は呆然と口を開く。
「「仕方ないでしょう」何でこうなるんだ! 「俺に言われても答えられませんよ」」
 多少ながら状況が見えて来たような。
 全く解らないような。
 啓斗が一人で口論を交わした後。
 唐突にそれがやむ。
「「まあ時間がありませんから、苦情は後で聞きますよ」当たり前だ! どうする、まだ戦うのか?」
「もちろん!」
 敵意もないのだからこのまま終わるのが一番良いのだが、そう上手くは行かないようだ。
 構える啓斗……もとい中にいる相手に向けて、出来るならと呼びかける。
「あんまり無茶なことさせんじゃねーぞ!」
「……無茶って「解ってますよ、怪我一つさせるつもりはありません」」
「余裕だな? 何か案でもあるってのか楽しみだな」
「……「もちろん」」
「良いぜ、何時でも来いよ」
 構えるディドルと対峙し……数秒。
「あっ」
「え?」
 声につられ振り返るディドル二人。
 後は一瞬だった。
 深く息を吸ったのを最後、啓斗から感情も気配も消え……。
 一切の動作すら確認できなくなった。
 何時動いたのか?
 何をしたのか?
 短刀を鞘に収めた啓斗の姿を確認した時。 その場に立っているのは啓斗と北斗の二人だけだった。
「……早っ!」
「でも……「馬鹿で助かりました」」
 最も完全に倒したのではなく、首と胴を分断されただけの状態であったが。
「確かにこれなら身動きとれないよな」
 ため息をついてから、北斗が頭を回収し振り返る。
「行くぞ」
「って、もう平気? なのか?」
「何がだ!」
 鋭く睨み付けられ、聞くなと暗に目が物語っていたが……やはりどうしても気になりあえて訪ねる。
「さっきのって……?」
「先に戻った、後はよろしくって」
「戻……」
「後で絶対に殴る!」
 悔しそうに言い、小屋へと走るように向かい始めた。
「っと! もう終わったのか?」
 背後からかけられた声に、すぐさま二人で振り返る。
「何でここに?」
 先に行ったはずなのに何故という疑問もあるが、それ以上に疲れているらしいのも気にはなるのだが……。
「いや、ちょっと……近道の方法と実験をな」
「………実験?」
 手を振りニッと笑って見せた狩人に、啓斗と北斗はどんな方法なのだと顔を見合わせた




■タフィー


 繋がりは、感情を元にした繋がりは今もまだ残っているのだろう。
 千里が着地した場所は、明かりもない小屋の中で、タフィーの直ぐ側だった。
 一部屋しかない、狭いと感じるような場所。
 探すまでもなく、直ぐに会いたかった相手を見つける。
「……タフィー」
 何かに寄りかかるように、床の上にうずくまっている少女に声をかける。
「……アリス、どうして?」
 タフィーの表情に、驚きと共に暗い影が落ちているのを見て少しだけ驚いた。
 今の彼女には確かに感情と意志がある。
「捕まえに来たの?」
「違うよ」
「じゃあ……」
 体を起こした時に、タフィーの下にあるのが棺の様な箱なのだと解った。
 あの中には、ディドルの本体が入っているのだろう。
 しゃべらない、動かない。
 本当のディドルが。
「あたしは、声が聞こえた気がしたの。そしたらどうしても気になって。だってあたしとタフィーはとても、よく似ているから」
 大切な人が居なくなる悲しみ。
 一人になる孤独感。
「孤独感……これが?」
 かすれたように呟くが、直ぐに首を振った。
「マスターは中にいるのに。どうして……何でこんなに辛いの?」
「タフィー、それは……」
「あたしは、マスターがいれば良かった!」
 上手く会話にならないやりとりに千里はぞっとした物を感じ、直ぐにそれを否定する。
「コールだけ? ディドルは?」
「……アリスは違うの? あたしは、必要としてくれたからマスターだけがいれば良かった」
 絶望し、自らを否定する姿はまるで少し前の自分を見ているようで、見ていられなかったのだ。
「タフィー、コールはなんて言ってたの?」
「………っ!」
 何か指示を出していた筈だと思い尋ねた千里に、ぎくりと体を強張らせる。
「マスターは……」
 してはいけない質問だったのだろうか?
「聞かないと……もう一度聞かないと。その為には起こさないと、お願いアリス。起きるまで待ってて、誰にも……邪魔させたくない」
 この場に来て、初めて視線が重なった。
 彼女を助けたい。
 あんな表情をするのは、自分だけで良いのだ。
「大丈夫、あたしが守るから」
「………」
 髪を撫でてから、部屋の外へ出て行く。
 願いを叶えることで守れるのなら、それで良いと思ったのだ。
 静かになった小屋の中。
 何もない壁に光の線が引かれていく。
 下から上へ。
 左から右へ。
 上から下へ。
 完成したのは一枚の扉。
「おじゃまします」
 内と外の区切りを開放し、外の光と共に小屋の中へと入って来たのは悠也と魅月姫の二人だった。
 軽い会釈をしてから、悠也が小屋の中へと入ってくる。
「………あなた達は、何をしに来たの?」
「願いを叶えに」
「ですが……少し様子を見てからにしましょうか」
「……?」
 壁の側により今度は魅月姫が窓を作り出す。
 見えたのは、外の光景。
 周囲の景色と、直ぐ近くにいる人々の姿。




 ■小屋の前


 小屋へと向かった撫子は、直ぐ側にある井戸に寄りかかるように立っていた千里の姿を見てさすがに驚いた。
「どうされたのですか、千里様?」
「……ごめんなさい。あたし、勝手に来ちゃって」
 伏せ目がちに謝罪する千里に、怒られたのかもしれないと勘違いしてしまったのでは無いかと考え直ぐに訂正する
「無理をなさったらお体に触ります」
「体の方は治してもらったから。でも……」
 真剣な様子に、続きがあるのだろうと撫子は沈黙を保ったまま千里の言葉を待つ。
「あたしは、タフィーの願いを叶えてあげたい」
 目を見れば操られている訳ではなく、本気でそうしたいと願っての行動なのだと解る。
「理由があるからこそ、何かを為そうとするのです」
「………?」
「わたしくしもその為に参りました。どうしたいかをお尋ねしたいと思っています」
 丁寧な口調に、千里も平常心を取り戻しつつあった。
「助けてあげられる?」
「償いは必要になるかもしれませんし、真意をお聞きしてからになりますが」
 誤魔化しのない言葉は、千里にとっても大きな決断をする機会になったようだ。
 千里もタフィーと同じくこの事件に心を捕らわれ、思い詰めすぎている。
 出来ることなら、それをほんの僅かでも軽減したい。
「………うん」
 小さく頷いた千里に、撫子が柔らかく微笑みかける。
「皆様もおいでになってから、きちんと話し合ってみてはいかがでしょうか? 一段落付いてからになりそうですが」
 背後から隠そうともしない気配に、撫子がゆっくりと振り返った。
「まあね、こうなって気はしてたんだ」
「……ディドル」
 たじろぐ千里に、ヒラヒラとディドルが手を振る。
「コールも何考えてるのやら? まあいっか、それよりもお姉さん。オレと遊ぼう」
 構えるディドルに撫子は懐に忍ばせてある妖斬鋼糸へと手を伸ばす。
 一対一での戦いに関しては、他のスキルをすべて犠牲にしているだけ在ってディドルの身体能力は高すぎる。
 全力を出せれば対処出来るとは思うが、その変わる間すら危険が伴う。
 間合いを計る撫子に視界の端に、見慣れた人影が見え思わず声を上げた。
「………?」
「おっと、そんな顔したって今度はだまされないぜ。さっき他がやってたんだ」
 前へと踏み出しかけたディドルが、そのまま前のめりに倒れ込む。
「あれ? え?」
 藻掻いているディドルの背後から現れたのは、汐耶とシュラインとメノウの三人。
「封印をかけさせてもらいました念を押しておけば問題ないと思いますけど……今は少し使いにくい状態にありますから、お願いします」
 右手を撫でた汐耶に、何を指してか直ぐに察した。
「ありがとうございました。はい、すぐに」
「他にはもう居ませんよね」
 これ以上バラバラ出てきたらそれはそれでやっかいだ。
「ないない、もう打ち止め。と言うか他にもう残ってないから壊されたらちょっと困る」
「どうして戦おうとしたのです?」
「や、なんか強そうだったし」
「………」
 メノウがため息をつきつつ口に札を貼り付ける。
 正しい判断だろう。
 撫子とメノウの二人で、ディドルが動けないように結界を施しておく。
「ここにも居たのね、無事で何より……千里ちゃん?」
「一体どうなってるの?」
 困惑するのも無理はない。
 確かに何かを判断するにしても、状況が少なすぎる。
「今の千里様は普段と変わり在りませんので、ご安心なさってください」
「………」
 どう判断されるのだろうかという不安で満ちた表情で、じっと続く言葉を待っていた。
 これまでに幾度か問題を起こしているだけに、また何かあるのではと言う不安があるのは事実。
「事情があったここまでこられたと思いますので、お話が終わるまでは私が側におりますから」
「お願いします」
 頭を下げる千里に、撫子が側に立ちそっと肩に手を置く。
 そこまで言われては断る物も断れない。
「ここまで来て戻るのも一苦労ですし、私の方でも気をつけると言うことで」
「そうね……いまは解決を優先させた方が良さそうだし」
 ひとまず千里については保留という形で、本題に移すことになった。
「兎に角タフィーと会わないことにはどうしようもなさそうね」
「あたし呼んできます」
「わたくしもご一緒します」
 大人数で行くよりは、一度でも顔を合わせた千里の方がいいだろう。
 扉の方へと向かっている間に、さらに増えた気配に振り返る。
「良かった、先に付いていたみたいね」
「うわ、なんか遅れてる?」
「りょうがゆっくり歩いてたからでしょ」
 羽澄とりょうの二人が、小屋の前に揃っている面々を見渡した。
 多少沈黙したのは、やはり顔ぶれに疑問を抱いたからだろう。
「今はもう大丈夫だから」
 言葉通り、話すような余裕があるのならそれで良い。
「っと! そうだ、もう大丈夫。預かってもらってありがとな、本当に助かった」
「いいえ、構いませんよ」
 交換していた触媒能力は、元の状態に戻してかまないと言う事だ。
「そうしていただけると助かります、一つに専念していた方が私も術を扱いやすいですから」
 そう言いながらメノウは汐耶とりょうから札を受け取り、それを重ねて破り去る。
「………っ!」
「――っ」
 戻るのは、ほんの一瞬だった。
 途端に掛かっていた負担が消え去り、体がふわりと軽くなる。
「どうですか?」
「………静かになったような……ああ、前よりも力が強くなったのは、気のせいではないようです」
 以前よりも力も増し、コントロールの精度も増している。
「りょうはどう?」
「いつも通りだな。うん、完全にザワザワした感じに戻った」
 気になった羽澄が視線を横へと移すと、確かに何ともないようだった。
 これでまた一つ片が付いたとして。
 後はタフィーだが……なにやら難航しているようだった。




 ■小屋の中


「呼ばれているようですが、行かないのですか?」
「……人、増えてきて……すごく騒がしくなったから」
 数に比例するように、周囲の感情が増えれば混乱するのだろう。
 今まで何も感じなかったのであれば、なおさらだ。
「話しようって言ってる。出てこられないかな?」
 扉越しにかけられる千里の声に、タフィーはじっと何かを考え込んでいる。
「外の方もそうおっしゃっている事です。ご自分でお決めなさい」
 椅子に腰掛けながら、魅月姫が先を促すでもなく紅茶を飲んでいる。
 紅茶も椅子も、異界の力を使ったのだ。
 そこで思い出したように魅月姫が尋ねる。
「ここは、歪んだ男の家に似て居ますね」
「コールが教えてくれた異界だから」
「そこまで知っていたんですね」
 尋ねる悠也に、はっきりと頷く。
「動きか在ったから、調べていたみたい。少ししか解らなかったようだけど」
 コールのことに関しては、饒舌になるようだった。
「……あなた達は、どうして無理矢理だそうとしないの? そうしてくれた方が楽なのに」
「私はそうはしようと思っていません」
「楽かもしれませんが、それでは嫌でしょう」
 どう行動するかタフィーが決めるべきなのだ。
 人の願いの力を使うのではなく、自らの意志で願うべきなのである。
「………」
 二人の対応の真意も、声をかける千里の声も……すべて嘘や偽りがない事はタフィーが一番解っているはずだ。
「……アリス」
「良かった、怒ったかと思った」
「もう少しだけ待って……まだ、怖い。そっちは人が居るのに、あたしは一人だし」
 扉を開くには至らないらしいタフィーに、千里の側にいた撫子が声をかける。
「千里様とディドル様は?」
「アリスはそこにいる人たちの方が親しいんでしょう?」
「――っ! それでも、あたしはあなたを守りたい!」
 扉に飛びつくような音が大きく響いた。
 さすがにこれには大きく目を見開いてから、下にうつむく。
「嘘じゃないって解る。でも、このことでアリスが何かを失わなくて良い」
「………」
「ディドルは頼りになると思えない」
 その意見には同意したいが、タフィーがそう言うとは思わなかった。
「わたくしは、今回の件、何か考えが合っての事だと思っています」
 その予想は核心に触れたのだろう。
 撫子の言葉に、タフィーが表情を凍り付かせる。
 沈黙してしばらく。
 硬直した場をどうにかするべく、外でシュライン達が短く話し合うのが見えた。
 何をしようとしたかは直ぐに判明する。
 外から聞こえたのは、コールの声で歌うきらきら星。
「Twinkle, twinkle, little star,
 How I wonder what you are」
「―――っ!?」
 唄っているのがシュラインだと解っていても尚、タフィーがはっきりと息を飲んだのが解った。




 ■小屋の外


 あと一歩を踏み出せないタフィーの興味が引ければいい、きっとこの歌も知って居るに違いない。
 確かに効果がは直ぐに判明した。
 短い歌詞が歌い終わるより早く、勢いよく扉が開きタフィーが飛び出してくる。
 せっぱ詰まった表情のタフィーを前に、シュラインが悪い事をしてしまったかのように思えて補足をしておく。
「こうすることで、何かが変わると思ったから」
「構いません、マスターでないことは解っていたから」
 中から見ていた可能性に気付いた時、その扉からで出来た悠也と魅月姫に納得すると同時にため息を零す。
「悠也君、先にいたのね」
「すみません、ここに来た時には敵意は感じられませんでしたから。様子を見ようと思いまして」
 驚く羽澄に悠也が普段通りの表情で笑いかける。
「まだ全員とは行きませんが、外に出たことですし話をなさっては?」
 きっかけこそ勢いであったとは言え、タフフィーにも話し合う覚悟は出来たようだ。
「……タフィー」
「もう、大丈夫」
 はらはらしつつ見守る千里に向けて頷き、タフィーは顔を上げる。
「どうぞ、何でも聞いてください」
 口調は実に静かで、やけになっている風でもなく嘘をつくようにも見えなかった。
 まるで推理小説の自白シーンのようだとは感じたが、真実が解るのならばそれに越したことはない。
「異界を作りタフィー様が願う望みをお聞かせください」
 大きく動き出したのはそこからだと撫子が問う。
「マスターと会いたい、声が聞きたい」
 コールが死んでから……それよりももっと前から妙だと感じてやまないのだ。
「タフィー、死は死よ。ここで彼を呼び戻してもそれはあなたの思う彼?」
「それは……でも、この異界なら。きっと!」
「そうよ、ここは異界よ。同じにして異なる存在。似て非なる物。万能の世界ではなくて、人の願いが生み出した世界なのよ」
「異界じゃ……私の力じゃ何も出来ないままの? マスターに何も返せていないのに」
「……やめた方が良いだろうな」
「!?」
「狩人さん!?」
「なんでそんな………っ!」
 背後からかけられた狩人の声に振り返り、血に染まった右半身にさすがに驚かされる。
「実験だって言って、異界の力を使ったんだ」
「結果は……」
 両側で支えている啓斗と北斗が、狩人を見て渋い顔をした。
「異界の中だけですむことなら簡単らしいけどな、分離を願ったらこれだ」
「直ぐに治療した方が良さそうですね」
「傷は模様からのようですね」
「ああ、悪いな。まあなんだ、かなりきつくて」
 駆け寄る悠也と撫子に向けてバツが悪そうに笑ってみせる。
「成功したのか?」
「一応な」
 そのやりとりで不味い事がもう一つ……。
「あなたが出来たのなら、あたしも……」
「タフィー!」
 予想通りの言葉に羽澄が呼び止めると、狩人も不味いと気付いたようだ。
「やめた方がいい。次は死ぬかもしれない」
「あたしが死んでもあの人が帰ってくるのなら……!」
「それで良いの? 中に居るコールも死ぬかもしれないのよ」
「マスターも……」
 言われて初めて、死ぬことが出来ないのだと悟ったようだった。
 そうでなければ衝動的に死を選べていたのだと気づき、羽澄が表情を曇らせる。
「あなたもディドルも……コールも、三人とも縛られすぎてる」
 激しすぎる依存は、近いうちに自らの足で立つ事すらままならなくなってしまうだろう。
「あたし……何も知らなかった」
「今のあなたなら解るはずよ、教えてもらってたんでしょう?」
 感情もある。
 これまでに経験してきたこともある筈だ。
 それが、彼女にとっての全て。
「信じていた永遠がなかったら何?」
「ずっと一緒にいられ……た?」
「私もそう思ってた。もし不可能を可能に出来たのならって」
「羽澄……」
 心配そうなりょうの声に、思った通りの反応だと羽澄は表情を和らげる。
「それが出来なくなったのは、好きな人が出来たから。信じられる人が出来たから」
 それも紛れもない変化の形。
 何か気付いたらしいりょうが狼狽えたのが解ったが、今は置いておく。
「変わったことも、変わらない物もどっちもあるはずよ」
「……マスターは、沢山の歌をあたしに教えてくれました」
 これまで過ごした時間は、すべて彼女の物だ。
「私が唄った歌もそうなのね」
「とてもうれしかった」
 だからこそシュラインが唄っていると解っていても、飛び出さずには居られなかったのだろう。
「これからは自分で考えないとどうにもならないって、解ってるはずよ」
 頼りにしているコールの声は聞こえないのだ。
 それを自覚しなければ何度でも同じ事を繰り返してしまう、聞こえるかもしれないコールの声を待ち続けてしまうのだ。
 彼女にとって、コールは神にも等しい存在であったのだから。
「………はい」
 頷くタフィーに、尋ねたのは撫子だ。
「コール様は何おっしゃっていたのですか?」
 今なら聞いても答えてくれるだろう。
 その予想は、直ぐに現実になった。
「マスターは……自分が死んだ後にあなた達が来たら、おとなしく捕まりなさいと」
「だからもう一度聞きたいって」
「何もしなかった理由も、理解できました」
 理由こそ別々だが、千里と魅月姫が納得する。
「どうしてこんな事を言ったのか解らなかったから」
 真剣な表情に、それぞれ顔を見合わせてから考え込み始めた。
「解らない訳ではありませんが……」
「上手く説明できるかと……そもそもあっているかが問題よね」
 頭を悩ませる汐耶とシュラインの意見が、この場の全員の心情を代表していると言っても間違いではない。
 予想が当たっている可能性と、全く別の裏がある可能性。
 その確率は、半々だ。
「他には何も言われませんでしたか?」
「マスターは……もうこの体は駄目だから、あたしの体を使って指示を出すから撃ちなさいって」
「確かにそう言ったのね」
「でも、マスターは何も言ってくれなかった」
 捕まれという言葉と、指示を出すからという言葉は明らかに矛盾している。
 こうなることをコールは解っていたのではないだろうか?
 自らの死を持って、事件の終焉を迎えようとしたのだ。
 どういう関係だったかは解らない。
 だから、これは想像だ。
「わたくしの予想ですが、タフィー様には生きていて欲しかったのではないでしょうか?」
 そうであって欲しいという希望。
 同時にもう一つ。
 何か考えあっての行動だと言う考えが残されている場合。
「真実がどちらであれ、このまま本部に連れて行ったらIO2が考えるのは後者だろうな」
「確かにそれは不味いな」
 これからどうするかが問題だという啓斗に、狩人が頷く。
 問題ありと判断された場合、IO2が果たしてどういう行動に出るか?
「手が出せないようにすれば良いんじゃねえの?」
「……不可能ではないわね」
 そうするための手段はここに揃っているのだ。
 シュラインが取り出したのは、メノウに作ってもらった能力を入れ替えるための札。
 頼んだときはこんな風に使うとは思わなかったが、何事も用意しておく物だ。
「それ名案、でも何に入れる?」
「俺が人型を作りますから、そこに移し替えればいいのでは?」
「そう言うことだけど、構わない?」
 本人に確認を取っておこうと汐耶が尋ねる。
「真実がどんなことでも……マスターと過ごした時間と教えもらった歌があれば、あたしはそれで生きていける」
「確認しておきますが、能力は入れ替えることは出来ても感情は移せません」
「はい、お願いします」
 メノウの力で能力を移し、汐耶が人型に封印をかける。
「この中に封印したとは気付かれないようにしておきました。一時的に使う倍は所持しておけば可能なようにしておきます。完全に力を回復したい場合は破棄してください」
 説明はしたが、調べられた倍を考えるとさすがに直ぐに渡すのは不味い。
「俺が預かっても構いませんか」
「ではお願いします」
 手を挙げた悠也に、汐耶が人型を渡す。
「この件で能力は使用不可能になったと言っておく」
「………はい」
 覇気のない声に、気になった汐耶が声をかける?
「具合は?」
「軽すぎて苦しいですけど、大丈夫です」
 どんな形であれ、彼女なりに考えて出したならそれに答えよう。
「タフィー、この歌は知ってるわよね」
「………?」
 よく通る声に癒しの力を乗せた歌を唄い始める。
「Now I lay me down to sleep,
 I pray the Lord my soul to keep」
「………!」
 歌を聞き、堪えきれなかったようにこぼれ落ちた涙が頬を伝い始めた。
「これから私は眠ります……ね」
「And if I die before I wake,
 I pray the Lord my soul to take.」
 ガラスの輝きを持った光のかけらが、ゆっくりと降り注ぐ。
 いつまでも。
 何時までも……。
 歌い終わるまでの時間は、とても長く感じられた。





 ■本部内


 判断が下されるのは、もう少しだけ時間が掛かる。
 全てが確定される前に、もう少しだけ不明確だったことを明らかにしておこう。
「狩人さんを連れてきました」
 ノックをし、智恵美が戸を開く。
「お忙しいのにありがとうございます」
 ゴタゴタしている中、悠也と魅月姫に頼まれ内密に部屋を用意したのだ。
「どうした、話って……………」
「彼のことについて」
 すっと部屋の奥の暗い場所を魅月姫が視線を誘導させる。
「………!! ………!!!」
「詳しくは中で」
「あ、ああ……」
 さすがに驚いたらしい狩人が背後に誰もいなかったかを確認し、しっかりと扉を閉める。
 部屋の中には智恵美と悠也と魅月姫と……そしてコールの体。
「一時的なものですが、条件は整っていましたから」
 死は、決して覆ることのない摂理だが……考え方を変え、タフィーの中でコールは生きていると考えた場合は話が違ってくる。
 魂はタフィーが、体の一部は魅月姫が。
 コールの能力の一部を所持した人型もここにはある。
「あの場ではせっかく彼女が認めたことを無駄にしてしまいますし、彼もそれを望んでなかったようでしたから」
「……なるほど」
「気付いたようです」
 呼ぶ前から準備を整えていたようだ。
 空気が変わったことで、辺りは沈黙に包まれる。
「………」
 唯一本物のである右腕が僅かに動き、ゆっくりと瞼を開く。
「ここは……?」
 自らの具合を確かめ始めたコールは、直ぐに動かなくなったりするような事はなかった。
「IO2本部の一室です、他に説明の必要は?」
「いいや、タフィーの中から見ていた」
 それならば話は早い。
「どうしても話をしておきたくて」
「決着は、付けておかなければなりませんでしょう?」
 この顔ぶれを前にして抵抗する気はないようだが、椅子から立たないようにとは合図しておく。
「それも含めてタフィーに任せたかったが……まあいいだろう」
 ため息を付きつつ語り出したのは、もう一つの真実。
「何故あの方法を選んだのですか?」
 あきらめたのなら、他に方法がいくらでもあった筈。
「昔から、ずっと考えていた。人の記憶に名を残したいと。善悪関係なく大きな事がしたいと……ここまでは?」
「……どうぞ、続けて」
 人それぞれだが理解できない感情ではない、頷く智恵美にコールはニッと笑みを浮かべてから話を続ける。
「だが計画がどれも上手く行かなかったことは、よく知っているだろう?」
「上手く行かれても困ってしまいますから」
 ここにいる顔ぶれだからこそ軽い口調で話せるのだ。
「だから考えを変えたんだ。たった一人で良い、俺を絶対に忘れ無い人間が欲しかった。それもただ覚えているだけじゃない、俺を絶対だと信じ。死ぬまで忘れないようにあって欲しい」
「それが……タフィー?」
「ああ、タフィーなら忘れないと思った。あの場で俺が死ねば、タフィーの中で神に等しい存在として記憶され続けるだろう」
 最初に殺した相手に加え、絶対的に信じている相手だ。
 コールの望んだことは確実な物になるはず。 
「それで構わないのですか?」
「後悔はしていないが、この計画はタフィーに生きてもらわないとならない」
 ここまでなら、なんて身勝手なと感じた事だろう。
「彼女はあなたが心配しなくとも生きていきますよ」
「計画のためなら、罪も引き受けよう。タフィーもまた、アリスと同様にさらってきた子だ。証拠はデータの中に落としてある」
 パスを受け取った悠也が、苦笑しつつ頷いた。
「そう言う事にしておきますよ」
 ニッと笑うコールに、悠也は少しだけ付け足した。
「この貸しは大きいですよ」
「………」
「そろそろナハトの様子を見に行きますから、続きはまたゆっくりと」
「……………」
 絶妙なタイミングで追い打ちをかける魅月姫に、コールは今度こそ完全に沈黙した。
 真実は、こうして闇へと隠されていく物なのである。




 ■本部内・通路


「留守の間手間取らせて悪かったな」
「いいえ、かなみさんとリリィさんも手伝ってくださいましたし。それ程の労力はかからない状態まで来ていましたら」
 通路を進みつつ、智恵美がどっさりと書類を狩人に手渡す。
「タフィーもディドルも、しばらくは本部内で拘束と言う結果にはなりはしましたが……ディドルはともかく、タフィーの扱いはもう少し緩くなると思います」
 コールの件と智恵美が色々と手を回した結果だ。
 自分たちはともかく、タフィーとディドルは危うい立場だったのから上々な結果だろう。
「その分色々仕事が増えましたが……構いませんよね」
「感謝してるよほんと……この件すんだら隠居でもしようと思ったのに、出来なくなったからな」
「あらあら、まだ早いですよ。少なくともこの先一年分は仕事があるって言われましたから」
「………どんな交渉したんだ」
「まあまあ、これが私達のお仕事ですから」
 頭を抱える狩人の肩を叩き、他にも報告があったと思い出す。
「ナハトさんの怪我の具合は上々、夜倉木さんも来週には」
「………ディテクターとヴィルトカッツェは?」
「直ぐにでも」
「代わりに仕事おくっとこう……それでも人出が足りないな。よし、職員の人数増やそう」
 着々と犠牲者が増えていのは誰が見ても明らかだが、それが解るのはもう少し先の事である。


 これからも様々な事件が起きるのだが……――
 それはまた、別の話。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0164/斎・悠也/男性/21歳/大学生・バイトでホスト】
【0165/月見里・千里/女性/16歳/女子高校生】
【0328/天薙・撫子/女性/18歳/大学生(巫女)】
【0554/守崎・啓斗/男性/17歳/高校生(忍)】
【0568/守崎・北斗/男性/17歳/高校生(忍)】
【1282/光月・羽澄/女性/18歳/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1449/綾和泉・汐耶/女性/23歳/司書】
【2390/隠岐・智恵美/女性/46歳/教会のシスター】
【4682/黒榊・魅月姫/女性/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女】

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
遅くなりましたがお届けします。

歌はCan you make me a cambric shirt ぱっとイメージしやすい言葉で言えば、スカボロウフェアの原曲です。
非常に意地の悪いことをしてしまい申し訳なく。
ですが難しい事の答えを出すとしても、答えや手段はとても多いのかもしれません。
願いを叶える方法は沢山ある筈ですから。