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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


***WINTER CHILDREN***


 彼女たちの季節。
 ちらちらと舞いながら、彼女たちは降りてくる。
 ひゅう、と吹いた彼女たちの息吹に、枝にしがみついていた最後のひと葉が吹き飛んだ。死んでかさかさに乾いた柏の葉が飛んで、この山のすべての樹木が裸になってしまった。
 彼女たちの季節が来たのだ。
 裸体をさらす木々の上から、彼女たちは降りてくる。
 ちらちらと、自らの吐息に翻弄されながら、白い彼女たちは飛んでいた。しばらくの間、あてもなく彼女たちは舞っていた。
 そんな白い乙女たちが、不意に、ざあっと一点を見つめた――。

「おはよう。せっかちな皆さん。また、わたしどもの時間が始まりましたよ」

 空は曇った氷色。太陽は中天に達しているはずなのに、この声が届く辺りには、息も凍る寒さの帳が下りている。大理石の床を氷が転がっているかのような、きらきらころころとした声だった。ひどく冷たかったが、とても澄んでいた。
(グラトリエルさま――)
(女王陛下――)
(グラトリエルさま)
(おはようございます)
 ひらひらと舞う白い乙女は、枯れた木立の間にすらりと立ちつくす、ひとりの女のもとに集まっていく。口々に挨拶や名前を口にし、その白い姿にいっぱいの喜びをあらわしながら。
 透き通った細身の杖を手にし、輝く白銀の冠を頂く女。
 彼女を見た人間がここにいたならば、臨終の吐息とともに呟くだろう。
 雪の女王、と。
 雪の女王がここにいる、と。
 しかし、凍え死にゆくものは知り得ない。
 女王たる者の名が、グラトリエルであることなどは。

 グラトリエルは、長い金の髪を結い上げ、ガラス細工の女のように細い身体を持っていた。雪のように白い顔の中で、ペリドットのように透き通った緑の瞳が、しっとりと湿った光を放っている。
 細い身体を、まるでぴたりと吸いつくようにして飾るドレスは、鏡色だった。彼女の周りにあるものは、オーロラのようにうねるおのれの虚像を、そのドレスのおもてに浮かび上がらせている。
 ひらりひらりと舞っていた粉雪たちは、グラトリエルのあとについた。彼女が進めば、雪も進む。粉雪の乙女たちの喜びに引きずり回されて、落ち葉たちが呻き声を上げた。
(冬だ。彼女が来たぞ。ここはもう、冬の手の中に落ちた)
(見よ、女王の居城があらわれる)
(この季節の中に、彼女が居座る)
(数ヶ月の死が始まるのだ。冬だ)
 囁き声を聞き流して、女王は小さく軽く、しゃらしゃらとした笑い声を上げた。べつに彼女は、おのれの季節を死の季節と呼ばわれて、嬉しいわけではない。けれども、おかしかったのだ。
 なるほど、自分は死を与えるためだけにやって来たのだと、万物から思われても仕方がない。だから彼女は、自嘲のようにしゃらしゃら笑ったのだ。
「あなたたちが怯えて凍えて死ぬ前に、わたしは根城に行くとしましょう。付きたいものはいらっしゃい。供はどれだけいても、多すぎるということはありません」
 女王は再び歩き出す。彼女についてゆく者は、さきよりもずっと多くなっていた。樹木が震え、空が白い息をつく。切れ目のない雲の上からかろうじて届く陽の光が、女王の進むさきに浮かび上がる、氷の城の姿を照らし出していた。


 この城を見た生命は、凍りついてしまうという。
 昨年も、その氷の城の門前で、ひとりの少女が息絶えた。門を抜け、小川に氷を張らせようとしていた女王が、その凍りついた遺体を見い出したのだった。
 少女はけして軽はずみな衣服で山に入ってきたわけではないようだった。しっかりと毛皮を着こみ、カイロを懐に入れ、家を出る前に温かいミルクを飲んできていたらしい。けれども、山の中で道を見失ったのだ。女王グラトリエルが、娘や従者たちに、この日は昼から吹雪かせよと命じたからだろうか。
 そのグラトリエルも、好きで命じているわけではない。
 命じ、雪を降らせなくてはならないからそうしている。彼女は逆らうことのできない理そのものだった。
 だから彼女は、凍え死んだ少女を悼み、まだその場にとどまっていた魂を拾い上げたのだ。女王は少女の魂を、手にしていた水晶の結晶に閉じこめた。
 凍りついた今年の城の中に、昨年の水晶があらわれる。
 女王が開いた蒼氷の宝石箱の中に、水晶はぎっしり詰まっていた。女王の最初の仕事は、雪と氷の――冬の子供たちを生み出すことだ。殺してしまった生命の残滓から、新たな生命を作り出す。
 詫びるわけではないけれど、と彼女はいつもちいさく笑った。
 女王は、自分についてきた初雪たちを集める。はめ殺しの窓があり、中央に白銀の大皿と氷の宝石箱があることをのぞけば、この部屋にはなにもなかった。
 グラトリエルの手の中に、初雪たちは声もなく集まっていく。なにをされるのか、なにが始まるのか。今年生まれたばかりの雪たちは知らない。けれども、女王の目と口元には、やさしい笑みが浮かんでいた。
 母の顔だった。
 雪を集め、女王はその細い指で、初雪をこねていく。彼女は素手だった。アクアマリンとダイヤモンドがあしらわれた、白金の指輪をしている手は――冷たい雪にいくら触れても、赤くなったり、切れて血を流したりすることはない。凍ることも死ぬこともない。
 雪が次第に、うずくまった赤子の姿をとり始めた。白い、きらきらと輝く皮膚に、小さなこぶし、閉ざされたまぶた、ほんのかすかに笑った唇。
 その笑みを見て、女王も静かに笑った。赤子の背に、そっとその指を伸ばす。
 もう片方の手には、宝石箱にしまっておいた水晶を持って。
 雪の赤子の中に水晶をさし入れると、女王はゆっくり、そのなめらかな曲線を描く唇を寄せていった。

「生まれなさい」

 それは口づけのようであった。
 赤子の額に寄せられた女王の唇から、冬の吐息が流れ出る――。


 氷の城の前で命を落とした少女は、黒髪だった。だから彼女は、ふわふわとした黒髪を持って生まれたのかもしれない。
 息を吹き込んだ雪の女王は、ペリドットのような緑の目だった。だから彼女は、きらきらとした深い緑の目を持って生まれたのかもしれない。
 ゆっくりと目を開けた赤子は、ゆっくりと視線をめぐらせて、白く輝く城のヴィジョンを眺めた。そうするより他はなかった。彼女は呆然としていたのである。目覚めたことが意外であり、嬉しくもあり、なにより辺りはいちめんの銀世界だった。
「あなたに名前を授けましょう」
 生まれたばかりの赤子を抱き上げ、女王は微笑んだ。動物のように、産後の疲れなどはまったく見せない。みどり児もまた、雛とはちがった。大きな緑の目で女王を見つめ、自分の名を待っていた。
「クレメンタイン。北の雪の生まれ変わり。あなたはクレメンタイン・ノース」

 それから女王は、クレメンタインに城の中を見せてまわった。名前をもらったばかりの子だというのに、クレメンタインは笑い、驚き、歓声を上げている。ダイアモンドダストに小さな指を絡めて、きゃいきゃいとはしゃいだ。
 城は、氷と水晶、真珠とアクアマリン、ホワイトトパーズ、ガラスとダイアモンドでできている。そういうもので、できている。生きとし生けるものの息さえ凍り、赤い血もたちどころに凍りついて、白に変わるであろう寒さが、城を覆っていた。中庭に植わっているブナやカシワには樹氷が宿り、まるで白い葉を持っているかのようだ。
 さあさあと音を立てている噴水から吹き上げているのも、水ではない。凍った太陽が照らし出す輝きは、細かな氷のものでしかありえない。グラトリエルはその噴水に近づいた。彼女の腕の中のクレメンタインは、手を伸ばし、噴き出す氷に触れている。
「あ、あ、さ、あ!」
 クレメンタインが声を上げた。
 かあさま。
「あ、あ、さ、あ!」
 声を上げて、噴水を指さした。
 氷でできた氷を吹き上げる噴水には、彼女の母親によく似た乙女の、彫像がほどこされていた。

 
 不意に空に、笛の音が響いた。
 するどく、凍った鼓膜を割るような音だ。グラトリエルははっと顔を上げ、クレメンタインを抱いたまま、いそいそと足をはやめた。女王が向かった先は、東の尖塔だ。
 ガラスと氷でできた階段をのぼり、女王は尖塔の窓を開ける。
「あー、あー!」
 はるか地上を指して、クレメンタインが声を上げた。その小さな指が示す地上は、まだ木々や土の茶色を残している。しかしその茶も、母娘が見下ろすその前で、城に包まれていくのだった。地を白に染めながら、軍が行く。
「冬将軍。今年も街へ往かれるのね」
 無慈悲なる軍勢の先頭に、グラトリエルは細めた目を向け、微笑んだ。
「あー、あー……」
「ふふふ。大丈夫。母は往きませんよ。母は山と湖を治めます。乱暴な人間たちは、戦い慣れたあのお方に任せているのですよ」
 ごおおおう、と雪混じりの風が冬将軍の軍勢を包んだ。
 雪の白がけむり、城をきらめきが包みこむ。
 山と湖を雪の女王に、街を冬将軍に任せたのは、かたちも意思ももたない存在だ。人間も、グラトリエルたちも、それに反することはできない。しかし人間とグラトリエルたちが違うのは、それを納得しているか、していないかというところだ。
 ――今年も戦うのでしょう、あなたたち人間は。……わたしは、哀れには思いません。それがあなたたちというものだから。
 グラトリエルの顔を、腕の中のクレメンタインが見つめ、首を傾げる。
 彼女の母親は、悲しげな顔をしていた。
 けれど、次の瞬間にクレメンタインの顔を見下ろした女王は、優しく微笑んでいたのだ。
「さあ、クレメンタインには氷砂糖をあげましょう。大きくなりなさい。そして、母とともに冬を呼びなさい。すべてのものに眠りをもたらし、次に来る暖かな季節を迎えるための、力を育むです。それが……冬というものだから」
 冬がもたらすものは、死ばかりか。
 それはちがうとクレメンタインが言えるまで、そう時間はかからないだろう。

 死の季節がかがやいて、白いヴェールの向こうに、蒼と白の巨城を隠した。




〈了〉