コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


■はぴ干支■



 ――お兄さんは、驚いたように目を丸くしていました。
 はい、だって私に『救急箱用意しておいてね』なんて言う位には危ない事だったんですから。
 だから当然嫌がっていたんですけれど、ほら、お兄さんて弱いんですよね。誰にでも弱い訳ではないんですけど。
 結局は『駄目かしら?』って言われるのに泣きそうな顔って言うんでしょうか、そういう……ちょっと赤い顔で『あーうー』って唸って時間稼ぎするのが限界でした。はい。出された御神酒をがっくりしながら受け取って、自棄酒みたいに一気に呑んじゃったんですよ。三口目は、です。真面目に二回は舐めました。だってお兄さん弱いから。
 私ですか?一緒に御神酒を含む二人の横で、救急箱用意してから茶々さん達とお茶を飲んでいました。



 まだ日常より少ない通行人が目を丸くして見送っていく。
 そりゃあ足も止めるし驚きもするわよね、と思いながらシュライン・エマも足を止める事はない。
 普段とは違う、以前の高さとも違う、それを楽しみつつ駆ける彼女と、並走する草間武彦は今現在は普段と異なる姿をしていた。
 一言で言えば、犬。
 戌年だからとお茶目かましてくれた某マンションの魔女志望娘の仕業である。
 いやいや、挨拶に来た子供が差し出すのをきちんと製作者から効果まで確かめてから受け取った以上は魔女志望娘こと塚本朝霧だけに文句言ってはいけない。そう、少なくともシュラインは解っていてばっちり三回舐めたのだから。
「――ぉっ」
 咄嗟に声を上げかけた草間がすんでのところでそれを抑えた。
 脇から飛び掛ってきた猫を避けて走る彼は……彼については、お揃い、とにこやかに言ったシュラインに勝てず渋々飲んだくちであるのだが。
「痛!」
「たくさんねぇ」
「うっとりする前に、シュライン――っ!」
 器用に小声で会話しながら同種の大型犬になった二人というか二匹が駆けていく。
 その後ろには大量の――猫。
 何度目かのシュラインの『音』に嫌そうに耳を伏せて足を止め、しかし距離を稼いで彼女が口を噤むとまたニャアニャアギャアギャアと二匹の駆けていった方へ疾走。何処から湧いたと思う程に凄まじい毛玉の量であった。



 ――凄かったですよ。
 二人が同じ種類の犬になった途端……もしかしたら犬耳の時点でかもしれません。とにかくドアの外から猫の鳴き声がしたんです。それもたくさん!こっそり隙間から見ようとしたらガリガリって壁を掻く音だとか、押してるのか頭をコツコツぶつける音だとか、色々して。
 はい。ご近所巡りの散歩してくる、って予定なのに出るに出れないんです。
 でも「大丈夫よ」って尻尾振って――お兄さんよりちょっと毛並みが柔らかい感じで気持ち良さそうでした!……じゃないですね、ええと、そう言ってシュラインさんが音を何か、出したんですよね。そうしたら猫達が「ふぎゃーっ」から「きゅぅう」まで色々鳴いて少し遠ざかったんです。
 その間に二人ともお出掛けしました。
 追いかけて猫も居なくなったんですけど、シュラインさんが猫に「ごめんなさいね」って謝りながら尻尾振ってたのってどうしてでしょうね。はい。楽しそうでした。



「嫌われちゃうのは辛いけど……ああ、でもたくさんの猫に追われるのもちょっと楽しいわね」
「……シュライン、いや、いいが」
 あくまでも小声で話しながら駆ける二匹。時折猫を『音』で足止めしながら、なぜだかこちらまで歩調を緩めて振り返りもするシュラインの楽しそうな声に、何かを諦めた調子で草間犬が言葉を切る。彼の心理状態は、てろんと垂れた尻尾ですぐに察する事が出来るだろう。
 対してシュライン犬の尻尾は本来の彼女のイメージからは想像も出来ない賑やかさで踊っている。元の、人間の状態での落ち着いた空気が嘘のようにほんわか幸せオーラで走っていたり。
「いいんだが、いや、だけどそろそろ休憩しないか……?」
「ああ、ごめんなさい。そうね。じゃあ少し引き離しましょうか」
 そう言ってまたシュラインが『音』で猫達を止める。
 微妙に犬になった自分達にも引っ掛かる気はしてしばしば耳をはためかせるのだが、何処かが違うらしく猫は全体的に毛を立てて止まるのだ。ごめんなさいね、と蕩ける笑顔が浮かんでいそうな声音で言ってシュライン犬が駆ける。一拍置いて草間犬も続いた。

 何の祭りだと言いたくなる量の猫達が土煙を上げて疾走し、細かな砂をつけながら一気に止まるという場面は生憎と二人というか二匹が見ることは叶わない。時に勢い余って転がる姿なぞもあったので、シュラインが見ればうっとりとした事だろうけれど。


** *** *


「――で、あちこち回って最後がここか」
 ふ、と疲れた息を吐きながらアルバートがエントランスの扉を閉める。
 硝子部分の多い扉だが全体に重い印象の音を立てて外界から遮蔽した、そのこちら側では二匹の犬がそれぞれに身体を振るって細かな汚れを落としていた。
 無論、草間犬とシュライン犬である。
 耳も尻尾もしおれた様子の草間犬と比べてシュライン犬はと言えばぴんと立った耳に踊る尻尾。瞳もきらきらと幸せ一杯な気配満載。
「……事務所から?」
「あ、ああ……いや、休憩しようにもあっちこっちから、湧いて……」
「そうね。少し予想以上だったわね」
 でも怪我がなくて良かったわ、と朗らかなシュラインの声に、かたや仮装じみた犬耳アルバート、かたやまんま犬な草間武彦。ちらりと視線を高所と低所から交わした。
 その楽しそうかつ嬉しそうかつ幸せそうな、どう考えてもブラス方向な感情ばかりの声になっている理由はきっと閉じた扉の向こうに見える毛玉の群れの為の筈。
 草間と二人(今は一人と一匹だが)硝子の向こうの大群を見て眉を寄せる。
 鼻先を器用に皺を作って渋面になる草間犬を見て「ああ表情豊かだなぁ」と思うアルバートだ。
 その間にシュラインは、手早く草間の怪我の有無を改めて確認して擦り傷だの引っ描き傷程度であるのに耳をあおいで頷くとエントランスに居たもう一人へと近付いた。
 猫らしい匂いが微かにするが、生来の犬ではないので断言も出来ない。飛び出す様子が無いかと探りつつ近付く大型犬に、その人物は普段の通り笑うと膝を曲げて挨拶。
「こんにちは、シュラインサン。所長サンとデートですか〜?」
「茶々さん達が届けてくれた御神酒で変身してね」
「わぁお」
 言わずと知れた魔女志望娘な塚本朝霧である。
 ピンク色した髪を揺らして覗き込む少女の前でぺたりと座り込むと、シュラインはそのくるくる動く瞳を覗き込んだ。ぱたりと揺れる尻尾。
「これってやっぱり以前のアレンジ?」
「割とそーです」
「上手ねぇ」
「いやいやそんな嬉しい事を!」
 目線を合わせたまま照れるアクションを見せる(本当に照れているかは不明だった)朝霧。
 シュラインはそんな彼女を見ながら「でも」と続けて男性陣の佇む入口方向を見遣る。
「猫に嫌われちゃうのも辛いから、険悪じゃないタイプのもお願いしたいわ」
「えー……猫の逆襲があるからこそ戌年なのに……」
 何かこだわりがあるらしい朝霧が唇を尖らせるが、シュラインは静かに姿勢を正して綺麗なお座り体勢になると幾分厳しい眼差しを相手へ向けた。お座り体勢なわんこの眼差しであるが。
「――ねぇ、朝霧ちゃん」
 ぱたりと揺れていた尻尾が止まる。
「小耳に挟んだんだけど」
「……ハイ」
 シュラインの声に潜む気配を察したか、朝霧が珍しく沈黙を挟んでから返事。
 本来の姿であればさぞや麗しく微笑んでいるだろうと思わせる声音でシュラインが更に声を出した。ゆったりと動く口。

「『こうなったら所長サンを誰かとくっつけてやる見てなさいよトーヘンボクどもー』」

 それは、それは朝霧の声そのままで。
 棒読みに近かったのはシュラインのそれを聞いた時の心情を悟らせるにはあまりに容易で。

 さーっと血の気の引いた朝霧の前で草間興信所所長・草間武彦氏を想うシュライン・エマ。
 尻尾は揺れる事無く静かに、どこまでも静かに、言葉を続ける。
「――って叫んでたみたいね」
「……ええと」
「怒ってる訳じゃないのよ。でも……そうねぇ」
「…………」
 びくびくと、朝霧の普段を知る者が見れば頬を抓ってみるくらいはしそうな怯えようでピンクな魔女志望娘はシュラインを窺っているのだが、生憎と被害を受ける事も多い草間武彦氏であるとかアルバート・ゲイン氏であるとかは気付いていなかった。
 まだ窓の外の猫を見てあれこれ話しているのはどうなのか。
「ええと、猫に嫌われないバージョンは努力させてイタダキマス」
「あら。それは朝霧ちゃんの自由だからいいのよ。そうじゃなくて、叫んだ内容について、どうしようかしらと」
「…………ええとー」
「うぅん、やっぱり今時間取るのもね」
「そそそそうですねー!折角仲良くデートですものねー!」
「今度確りお話しに来るわね」
 にっこり。
 きっと、綺麗に弧を描く唇が見えた筈だ。
 犬になっているから見えないだけで、きっとそういう笑顔だ。
 静かな中に逆らえぬ威圧感。朝霧しばし視線を巡らせた後に頭を下げて小さく「ハイ」と答えた次第。


** *** *


『猫になった事もあるんだし、丸々犬になってみるのも良いわよね』
『でも猫に嫌われるのも辛いし、でも猫に追われるのも心惹かれる部分があるし』

 ――そんな風に言っていたシュラインさんに、つまりお兄さんはとっても弱いんです。
 きっと今頃はなんだかんだ言いながら一緒に走り回って、楽しそうなシュラインさんを心の中でほのぼのしてるに決まってます。
 ……そういえば、クライン・マンションにも回ろうかしら、ってシュラインさんが言ってたのはどうなったんでしょうか。だって、茶々さん達が来る時にアルバートさんが朝霧ちゃんに引っ掛かってたんですよね?だとすると、今頃マンションって猫だらけなんじゃないかしら。



「来た時より増えてないか!?」
「うーん……アルバートさんに群がってた分が出てきちゃったのが辛いわね」
 マンション訪問前よりも増えた猫達に追われて大型犬が二匹走る。
 最早声量を気にする余裕も無い草間犬の隣で考えるように瞬きしてシュライン犬が答える通り、犬耳だけつけたアルバートに群がった猫を去り際にうっかり管理人室から出してしまったのである……草間が。いや、咽喉が渇いたという話になってそのまま流れで管理人室を開けて。
「世間で認知されている程には犬猫の力関係って差が無いんじゃないのか!」
「猫に引っ掛かれて逃げる犬もよく見るものね」
「くそ!食われる!食われるぞ俺達!」
「大丈夫よ。足止めするし、もうすぐ事務所だから」
「た、煙草が恋しい……」
「戻るまでは禁煙よ。武彦さん」
 がくり、とシュラインの言葉を聞いた草間の足がもつれたところに猫が飛び掛る。
 危ないと言う前に体勢を立て直してまた駆け出す草間。で、あるのだが。



 ――ええと、凄く大騒ぎして戻ってきた時の二人ですか?
 シュラインさんは、普段通りに落ち着いた様子だったんですけど、お兄さんってば背中に猫乗せて耳を齧られてたんですよね。はい、痛そうでした。先に扉を閉めたんですけど、その猫を離して外に出すまで大変でした。
 救急箱は無駄にはならなかったですね。



 でも、とそんな風に語った草間零は思案するように指先を頬に添えて小首を傾げると相手を見た。
 いかにもな仕草が様になる少女だなと思いつつ先を促す。
「その時に、お兄さんはシュラインさんに近付かなかったんです」
「へえ」
「どうしてかなぁと思ってたら『シュラインに攻撃移るだろうが!』って」
 かっこいいですよね、と誇らしげに言うのに相槌を打って考えるのだけれど。
 例えばそれを朝霧に伝えたらいいんじゃないのか、と。
 しばし考えて、それから彼は緩く首を振った。
 絶対無理。
 今頃は朝霧と『確りお話』しているだろうシュラインと、その草間武彦の関わりを想像しながら猫(というか犬)騒動の詫びを兼ねて煙草をカートンで渡すと立ち上がる。

「朝霧ちゃん好みな気がするんだけどね」
「はい?」
「いやいや。仲良くしてあげて下さい」
「はい」

 にこにこと笑み交わして、そして残ったのは目の前でその話をされた草間武彦。
 どうして俺本人に煙草渡さないんだ、と言う声は照れ隠しだなと見送る零にも解って笑った。



 犬猫チェイスから数日後のある日の事である。






□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 草間氏と一緒に走って頂いてみました。こんにちは、ライター珠洲です。
 ご近所巡りの描写は無しで、何が有るかと言えば零嬢の語りという。シュライン様と言えば草間氏という認識に、更に草間氏と言えば零嬢という必須の認識を追加した感じでどうぞ。
 あまりしっちゃかめっちゃかにはなりませんでしたが、どこかで噴出して頂けないかなぁと思いつつお届け致します。御参加ありがとうございました。