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<白銀の姫・PCクエストノベル>


交錯する思惑〜Tir-na-nog Simulator

■オープニング

 …アンティークショップ・レンに足を踏み入れた途端、遠山重史の携帯に電話が掛かってきた。
 着信番号は誰かと思えば水原新一。『白銀の姫』の事件に関し動く為、ここのところいつもこもっていた高等部PCルームの一つから、現実世界に於けるファナティックドルイドの被召喚体の一つであるとも確認されているダリアなる少年に、あまり穏便では無いだろう方法で連れ去られ行方不明になっている――そう聞いていたところでの攫われた当人の番号からの電話に、遠山はカウンター正面に居た碧摩蓮へ思わず目を遣った。蓮の方でも遠山のその只ならない様子にすぐ気付き、何事か察する。遠山の顔をちらりと見、出なとばかりに顎をしゃくって見せた。それに頷き返し、遠山は電話に出る。
 と、気負った割に相手はあっさり水原当人。それを認めるなりどうしたんですかと安堵混じりに遠山。と、怪我の功名で黒幕が読めた、とこれまたあっさり水原。…こちらの警告メールも役に立ったんですかと遠山は聞いてみる。関係する当人同士――知る者以外が見ても意味がわからない形に敢えて作り、転送する事を望まれた警告メール――経由点になった遠山は知らないがそれは今回の件、『白銀の姫』で起こされている事件の黒幕に関する話にもなり。が――水原はそれは知らない、多分それが届いたのは僕がPCルームから離れた後だったんだと思う、と続ける。でも予想は付くよ、『Cynical Hermit』だよね? と水原はまたあっさり。ひょっとして水原さん千里眼でも持ってませんかと複雑そうに遠山。偶然だよと水原は苦笑しながら返している。

 …水原が電話を掛けて来た用件は自分が無事である報告ともう一つ、『Tir-na-nog Simulator』自体の管理運用責任者である電子工学科助教授本宮秀隆について。…根拠が無いながらも自分が彼を警戒していた理由。それはネットを介してのみよく知っている相手だったから。表の顔とネットでの裏の顔が、端々を見ればそれなりに共通点はあるのだが――簡単には見抜けない程、印象が違っていたから。だからこれまで自分のよく知るハッカーと、この本宮が同一人物だと気付けなかった。
 本宮のネット内での裏の顔は、二十年以上も前から世界的に鳴らしている伝説的ハッカー。それも、これまで正体を看破された事が一切無く、その仕業の性質の悪さでも知られている存在。
 今回の『白銀の姫』に関する事件は少なからずこの本宮が裏で糸を引いている可能性が高い旨水原は遠山に告げている。そしてこの男が絡んでいる時点で行動には細心にして最大の注意を払う必要があるとも。
 …但し、注意が必要だと言ってもこの本宮と言う男の場合は、注意すべき方向が常識的に想像出来る範囲内とも限らない。だから、今後は少し方針を変える。もし何か動く必要が出てきたら、まず僕の携帯に連絡を付けて欲しい。ジャミングとかの擬装はもうどうでも良いからなるべく迅速に。…僕なら奴のしそうな事はある程度わかるから。だから、判断に困るような事が出てきたら――特に『Cernunnos』とか『Cynical Hermit』つまり本宮が使う名前が絡んでくるような事があったら、絶対僕、水原新一に一度聞いてくれ。
 僕はこれからは『Tir-na-nog Simulator』の方に居るから。アリア嬢と有志の皆さん、それと元プロジェクトメンバーの皆さんやらIO2の皆さん総出で『白銀の姫』のソースコード調べ直す。…奴なら目立つような触り方は何もしちゃいないだろうが念の為ね。ちなみに奴――本宮当人は僕らが来る前に何か用があるってここからふらっと出て行ったらしいんだけど、それっきり戻って来ていない。…この状況でこれだけ長い時間空けるとなると、多分奴はもうここに戻って来る気は無い。今何処に居るかわからないから、その件も頭に入れといて。
 ただね、僕をPCルームから連れ出したダリア君が、その本宮を捜しに出てる。…彼はどうやらあの本宮にどうしても会いたいらしくてね。彼がしそうな事を考える限り止めるべきだとは思ったんだけど、無理だった。
 あ、それから例のアリア嬢が出て来た創造主様の遺品なノートPCだけど、今は僕の手許にあるからそこは心配しないでくれていい。ダリア君がこのノートPCで知りたかった用は済んだらしいから。それから、『Tir-na-nog Simulator』の側にこれを持って来ても特に今のところ変化は無い。
 何にしても、取り敢えず――何か変わった事が起きたらすぐに連絡して欲しい。…碧摩さんのところに向かうと言っていたよね――ああもう着いてるか、だったら今遠山君の居るそっちは他とも繋ぎは取り易い状況の筈だよね。この件、僕らと伝手付けてる皆に回して欲しい。『Tir-na-nog Simulator』の責任者、助教授の本宮秀隆に気を付けろって――何か気になる事が出来たら僕の携帯に連絡をって。
 そこまで残し、水原は通話を切る。続け、遠山も通話を切った。
 が。
 途端、遠山の所持していたノートPCからメールの着信を知らせる音が鳴る。何事か。慌てて遠山はノートPCを取り出し、開く。カウンターの上に置く。着信したメールの送信者は…『Aqua』。
 …『Aqua』とは、水原新一が通常使用しているハンドルネーム。
 即ち、たった今電話していた当の相手。そしてアドレスも、彼の持つPCメールアドレスの内一つ。そしてタイトルは――≪"Cynical Hermit"の件で、緊急≫
「…?」
 緊急ならば電話を掛け直せば良いタイミングの筈。そしてその方が余程自然だ。
 思いながらも無視は出来ない。
 開く。

 と。

 ――初めまして『Ice』。これが一番早いだろうと思ったから敢えて人様の名前で送らせてもらったよ。僕は『Cernunnos』。君にも是非協力を頼みたい事が出来てね。
 僕と関り無かったとは言え、どうせ『Cynical Hermit』の身内なんだろ? 人を集めて欲しい――僕のところか、『Tir-na-nog Simulator』のところ。このメールを見れば僕の今居る位置はわかるよね? …君が『Cynical Hermit』に転送したメールが見れるその場所だ。

 …元々、水原の居た高等部PCルームの一つ。『Cernunnos』は――本宮秀隆は、そこに居ると言っている。

 ――僕が君を通して皆に頼みたいのは、察していると思うけど『白銀の姫』の事。クロウ・クルーハ――黒崎君に創造主を殺させない為に動く事と、創造主当人にプログラムの修復をさせる事。その協力を是非お願いしたいんだ。…特に創造主殺しの方は、黒崎君当人の為にも――是が非でも止めさせなくちゃならない。
 そうそう、前提を話すのを忘れていた。意外かも知れないけど創造主は現実世界では死んでても実はアスガルドの中で魂だけの状態で存在してる。だから、具体的に頼みたい事は――創造主こと浅葱君はアヴァロンの王墓で寝こけてるだけと思うからそれを叩き起こして欲しいと言うのが一点、それで叩き起こしたら繋ぎを付ける為『Tir-na-nog Simulator』の方にも予め状況わかってる人を置いて欲しいと言うのが一点。外と中の中継は僕でも出来るからそこは人置かなくても置いてもどちらでも良い。…僕が信用できるかどうかで考えてくれれば。
 それから、創造主殺しを望む黒崎君を何とか止めて欲しい、と言う方だけど――こちらに関しては僕に出来る事はかなり少なくなる。一応の助力として、邪竜が話を聞き入れ易い邪竜の巫女に極力近付けた設定にさせてもらった冒険者が送り込んである程度でね。…ユーザー登録名は真咲誠名って言うらしいんだけど、そっちの子と合流してもらえれば少しはやり易くなるかも、って程度の話でそれ以上は全面的にお任せするしかなくなるんだよ。でも君たちが『Cynical Hermit』の身内になるなら、今の僕とも取り敢えず利害関係は一致する事になる。だったらどうか協力して欲しい。
 アヴァロンに向かう方法については、今までアスガルドに行った事が無いような人でも心配しなくて良い。僕はアスガルドには開発者権限でログインできるから、入ってすぐのジャンゴから直通でアヴァロンの王墓まで飛ばす術はあるし、元々のゲームシステムの範囲内だったら裏技的に装備の強化も可能だ。…ただ、異界化してる今の状況でそれが何処まで通用するかは別の話になるけどね。

「――水原さんに」
 連絡。
 と、遠山が一度閉じた携帯電話を開き直すが――そこで。
「…ちょっと待ちな」
 ぼそりと呟き、遠山の見ているメール文面を横から覗き込んでいた蓮がその次に当たる文字列を指す。

 ――当然この事、『Cynical Hermit』に、いや『Aqua』に知らせても僕は全然構わない。
 むしろそうして欲しいと思ってる。

「――」
「…水原の旦那が散々警戒してた理由が良くわかるよ」
 こんなメール見ちまえばね。…溜息混じりに呟き、蓮は煙管を持った手で自分の額をこつり。

 ………………見事にこちらの先回りしてるじゃないか、この本宮って男。


■乗るか否か

 神聖都学園高等部PCルームの一つ。水原新一の不在に入れ替わるように現れた本宮秀隆。彼の話を受け、その場に居合わせた者――綾和泉汐耶、セレスティ・カーニンガム、シュライン・エマ、イオ・ヴリコラカスの四人は暫し呑まれて沈黙していた。
 が、殆ど逡巡無く決断は付く。…冷静に考えればいい。本宮が言った話の通りであるなら利害は確かに一致する――だがこの男が信用出来るか否か、そこはまた別問題であるのは当然。この男が『Cynical Hermit』と呼ぶのが水原新一の事。とは言え水原当人を見る限り『Cynical Hermit』と言うその名を自発的に使っている節はまったく無いが――真実それが水原を指しているのなら彼は確かに四人と馴染みの人間であり、この場合身内と言える。シュラインやイオなどは前々から、汐耶やセレスティは今回からになるが――どちらの場合でも結局、『白銀の姫』に絡む事件に関して動く際には彼の情報を頼みにしていた部分もある。
 どうやら今ここに居るこの本宮はその水原を、容姿も名前も性別も年齢も知らないままで、ただネット越しにだけ随分以前から、それもよく知っていると言う事になるらしい。両者の間にどんな関りがあったのかは知らないが、およそ真っ当な関り方をされていないだろう事は今ここで本宮の態度を見ていれば容易く想像が付く。…慈しむように自分の名前の一つを譲ったと言いながら、僕を大嫌いでいてくれる相手だからこそ、と言ってのける。更にはそれが信用の条件になるだろうと平気で言えるような付き合いとなれば、何処か常軌を逸しているとしか思えない。
 それでも――本宮の言うようにそもそも知らないのなら嫌う事すら出来ない。とことん嫌っていると言うのなら、その嫌う相手の人格をそれなりに把握しているだろうと言うのも、わからなくはない。その上で、わざわざこちらに来て話をする事を選んだ――となればそこの言い分だけについては、疑わなくてもいいかもしれない。仕方無いとばかりに小さく息を吐き、まずシュラインが頷いた。
「…わかりました。行きましょう」
 創造主の浅葱さんのところに。
「ん。有難う。…他の方は?」
 シュラインの言葉に頷き返してから、本宮は他の三人に振る。と、今度はセレスティが口を開いた。
「確かに仰る通り当面の利害は一致しますが――私は今すぐには行けません」
 元々、こちらには情報を頂く為だけに来た訳なので――屋敷に一度戻らなければ済まない用事も残しておりまして。
「そうですか。…んじゃ、その用件が済みましたら――こちらのお願い聞いてもらえる事になるんでしょうか?」
「ええまぁ。ただ屋敷で用が済みましたら――屋敷から直接アスガルドに伺った方が早いと思いますけれど」
「遠いんでしょうか?」
 御屋敷。
「近くはないですね。…それにこの身体ですから、あまり無理をしたくもないんですよ」
「そりゃごもっともで。まぁ、合流地点を示し合わせておくなら中で会う事も出来ますか」
 と、本宮がそこまで言ったところで――汐耶があの、と口を挟む。
「やっぱり私は貴方が信用出来ないんですけれど。開発者権限でのログインでしたか、それ自体も本当に何処までゲームシステムに干渉出来るのかが私たちにはわからない。それで送ってもらったとして――そのついでに何かこちらの思惑に沿わない事を私たちのユーザーデータに組み込まれる可能性だって否定できないと思うんですが」
 アヴァロンの王墓に行き浅葱さんを起こしてプログラムの修復をさせる、黒崎君に浅葱さんを殺させないようにする――その事自体は呑んでも良いと思えますが、ただ私はそこで貴方に細かい手出しをして欲しくないと思います。
「…でも正攻法でアヴァロンの王墓に向かうのって結構掛かるよ?」
 時間のロスはあまりしたくないんだけどね。不正終了のカウントダウンはとっくに始まってる事だし。
「それも貴方自身の蒔いた種ですよね?」
「まぁそうとも言えるけど。でも『世界のリセットは前回まででもう充分』だ。同じ要素の繰り返しだけで成長するのはさすがにここまでだろう。彼らはもう充分育ったよ」
「――。…貴方は」
 言って、汐耶は挑むように本宮を見る。
「決めました。中の事はシュラインさんやセレスティさんにお任せする事にします。…貴方を見張る目もあった方が無難かと思いますから」
 それに浅葱さんにプログラムの修復をさせると言う話になるのなら、『Tir-na-nog Simulator』の方――アリア嬢との中継、フォロー役も必要になりますよね。私はそちらに回ります。
「だったら僕もそうします。…一応パソコン扱うの少しは慣れてますし、腕っ節の方にも多少覚えはありますから」
 大の男を綾和泉さん御一人に任せてしまう訳にも行きませんしね、直接の実力行使が可能な面子が残ってた方が安心でしょう? とイオも汐耶に倣い残留組として手を上げる。
 それらを見て本宮は苦笑した。
「…あらら。でも僕に手を出すなって事になると、貴方たちが今ゲーム内で何処まで行ってるかが本当に重要になって来るよ? どのくらいイベントに噛んでいるかによって、レベルやアイテムの条件によってアヴァロンへの行き方は変わってくる。それに掛かる時間も変わってくる」
 アスガルドでのユーザーとして現在居る状況教えてもらえばその時点からの道案内の説明はすぐ出来るけど…貴方たちは今どうなってるのかな?
 困ったような本宮のその言葉に、それなら、とシュラインが口を開く。
「私は現時点でジャンゴからアヴァロン島までの間を自在に行き来出来るだけの能力があるアイテムを持ってます。一度足を運んだ場所限定になりますけれど、即座に転移できるアイテムを。私一人の転移ではなく転移先への道を開くのでパーティごと他の人も移動出来ますし。…ただ私が今進んでいる地点から先、アヴァロンの王墓に至るまでに何か条件があるのなら…そこはまだ知りません」
「そこまで来てるんだ? だったらその先は簡単。ただ内陸に進めばその内王墓にぶつかる。で、王墓に着いたら墓所の番人アヴァロクの許可貰って中に入り、テウタテスの聖鍵で棺を開ける、と二つの手順が必要になるけど」
 まぁ、アヴァロクの方はユーザーデータが邪竜側の属性付けになってない限り問題無しとして――テウタテスの聖鍵、持ってる? 今のシュラインさんの状態なら、そこだけが問題だ。
 本宮にそう訊き返され、シュラインは内心で安堵の息を吐く。
「持ってます」
「だったら大丈夫だね。手段があるなら僕がわざわざ出て行く必要も無い。…それなら貴方のお話も呑めそうだ」
 本宮はシュラインに頷いてから科白の後半、汐耶を見てあっさりと言い放つ。
 が、すぐに――ああそうそう、とぽんと両手を合わせ、シュラインとセレスティを改めて見る。
「向こうに行ったら僕の名前も好きに使ってくれていいよ。本宮の名は浅葱君の説得にはいい道具になるだろうからね。…それからひとつ伝えておかなきゃならない事がある。貴方たちじゃ――恐らく誰も気付かないだろう事。アリア嬢の存在をゲームの異界化を魂だけの状態で存在すると言う事実をあっさり認められる貴方たちの理論で攻めるならこれは最早言う必要の無い事だと思いそうだ」
「…私たちでは気付かない、ですか?」
 怪訝そうに、シュライン。
「…伺いましょう」
 セレスティは仔細を問う事をせずただゆっくりと頷き、先を促す。
 と、それを認めてから本宮は続けた。
「確かに今現在の…両方の『世界』を見ての現実問題、考える必要は無いかも知れない事です。ただ…想像してみて欲しいんですよ。自分自身が怪奇現象と縁の無い一般人な浅葱孝太郎だと想像してみて欲しい。そうしたら――まず一番気になる事は何になるか? …『他の何をやるより先に、当人にとって一番重要であって然るべき事』です。浅葱君本人にとって、まず一番重大な――そして同時に一番効く言葉は何だと思います? 世界が壊れる、モンスターが暴れる、現実世界にゲーム世界が浸食している――殊、自分自身の事である限りそんな事よりもっと優先順位が高くて普通の事がありますよね? どれ程ゲーム作成と言う自分の仕事に対し使命感責任感ある人間だったとしても、どれ程の博愛主義者だったとしても」
 想像付きませんかね?
「――」
「…今答えを言う必要はありません。答えは浅葱君の前で最後の手段として使って欲しいんですよ」
 その答えが最後の手段になる筈ですから。…そう、一般人に対する時には一般人の感覚を大切にしなきゃ話は通じない。人間は自分の範囲内でしか物事を考えられない。理解ができない。自分の思考範囲から完全に逸脱してしまった事柄を目の当たりにしたなら、ただの理解不能にしかならない。そしてその事柄に少し慣れれば地に足が付いていない夢幻としてだけ理解する。それ以上に本当の本当に現実だと理解するには…相当の時間が経験が覚悟が必要になる。
「覚悟しといて下さいね? 幾ら懇切丁寧に説明されても――浅葱君が今すぐに、本当の意味で現状を理解出来るとは僕は思わない」
 アスガルドの大地に立つ自分を見ても自由意志で動く女神を見ても己がモンスターに襲われたとしても。
 当人が理解したと認めたとしても。
 彼は本当に心底から理解出来てやしないよ。
 …生きていた時の浅葱君に、それらを理解出来る素地は何処にも無かったんだから。
 彼を相手にする際には、この事が大前提になると思う。
 憶えておくといいよ。


■静かなる対峙

 殆ど、話をしようとも思っていなかった。…今、元々水原が拠点にしていた神聖都学園高等部PCルームの一つには綾和泉汐耶とイオ・ヴリコラカス、それと本宮秀隆だけが残っている形。
 シュライン・エマが『白銀の姫』にログインし、セレスティ・カーニンガムが立ち去ってすぐ、早々にイオが本宮をボディチェック。…曲りなりともマスコミ関係者であるイオの方が見慣れない種類の端末も多く知っているかと思った為と、イオが男の子で汐耶が女性だったからと言う理由もある。結果、小型のモバイルらしきものもウェアラブルらしきものも…恐らくインプラントも無いだろうとまでざっとだが確かめている。で、唯一所持していた有り触れた携帯電話の端末だけを取り上げ、使用していた痕跡が無いかどうかも確かめた。…本宮は不気味なくらい全然文句を言わない。むしろ今の状況を楽しんでいるように、時々他愛も無い軽口を叩いてさえいる。
 朔夜・ラインフォードに電話を入れた旨を汐耶は話してみる。ここに貴方が居る事をIO2側、『Tir-na-nog Simulator』側に知らせたと――そして同時にこことは全然別のところからも浅葱へ連絡要員を送り出す事を。と、本宮は肩を竦めて苦笑しつつもあっさり頷いた。少しは動揺するかと踏んだのだが――それ程でも無い。充分過ぎるくらい考えの内であるような態度――自分が事に噛まなくとも何とも思っていない。
 …汐耶としては自分の経験からしてこう言った相手の場合は主導権を取られないようにする事、相手のペースを乱してやる事が重要だと思ってはいるのだが――どうも上手く行かない。崩れない。
 本宮は困ったような顔はしているが――それで本気で困っているようには到底見えない。
「うーん。どうも見込み違いだったかな。…元プロジェクトメンバーの皆にならともかく、いきなりIO2に言われちゃうとはちょっと思わなかった」
「そうですか? 充分通報して然るべき状況に思えるんですけれど」
 …とは言え実際、汐耶が電話を掛けたのは朔夜であり、状況からして朔夜たちはIO2側と合流してはいるらしいが――そちらにまで言うかどうかは結局朔夜の判断任せであり明確に通報した訳では無い。汐耶は朔夜にIO2に言うよう頼んでいない。朔夜なので恐らく水原や同行している玖渚士狼には話が伝わるだろうが、そちらの二人の場合――いきなりIO2に言う事は無いだろう。
 つまりは、IO2に本宮がここに居る件が伝わっているか否かはまだまだ可能性の段階――そして恐らくは嘘になるだろう話に過ぎない。ただ動揺させる為に使ってみただけの話。
 だが、本宮の反応は普通だ。
 この男、何を言ったら――何処を突付いたら本気で困るのか。
「…警戒し過ぎだって。…僕一応普通の人間なんだから」
「その言葉くらい信用ならないものはありません」
「綾和泉さんだっけ」
「…何か?」
「僕は自分の思い通りにならない事が大好きなんだよね」
「………………はい?」
「だから少々貴方に興味が湧いた」
「…そうですか」
「僕は今まで大抵の事柄は思い通りにして来たからね。何でも思う通りになるのが普通で当然だったから、そうならない事にこそ凄く興味がある。…時々出て来るんだけど、そんな思う通りにならない事の方が――思い通りになる事よりもずっとずっと面白いんだよ。全部自分の思う通りになるなんて何の刺激にもならなくてつまらない。…自分の手の内に居ない人。思うように動かない人。意外な事をしてくれる人。…自分が絶対操れないもの。その一挙一動が想定外で居てくれた方がずっと愉しい。だけどそんな事柄や人の方が珍しい。絶対数、少ないんだ」
 だから『Cynical Hermit』も大好きなんだよね。…忘れてた訳じゃないんだよ。五年前に飽きてた訳でもない。ただちょっと違う事してて、そっちの方が後々面白くなりそうだったから――今まで『Cynical Hermit』の方に手が回らなかっただけなんだ。
 ま、言っちゃうと――それが、『これ』なんだけどね。
 つまり――『白銀の姫』。
 だから、あの子の方からこの件に絡んで来てくれてるって知った時は僕は本当に嬉しかったんだよ?
 本宮はそう言いつつ、にこにこと汐耶を見ている。
 汐耶は――無視。…今の話を聞く限り何か反応を返すより無視した方が余計に興味を持たれてしまう可能性もある気がするが――単純に反応したくない。…珍しく理性より感情が勝つ。
 と。
 …そこに。
 ポーン、と軽快な音がした。そろそろ聞き慣れたメールの着信音。
 送信者名は――『Aqua』
 件名――≪アスガルドへのログインに関し≫
 内容――…とにかくぎっしり。
 …要約すると玖渚士狼と朔夜・ラインフォードの二人をこれからアスガルド――アヴァロンの王墓への連絡要員として送る旨。ラインフォード君経由で綾和泉さんからエマさんの能力を借りると聞いたが、そこは本宮の開発者権限を利用した方が時間的には早く到着できる事だけは一応知らせておく、とまで書いてある。その上で――『Tir-na-nog Simulator』側の元プロジェクトメンバーから、『白銀の姫』に於ける開発者権限――イコールで管理者権限でもあるらしい――が通じる限界も微に入り細を穿ち聞き出している旨も。
 曰く、ある程度のイベントの発生率や成功率、モンスターの出現率、アイテムの入手率の変化、座標的な移動等と行った事は自在のようだが――プレイヤーの経験値やレベルの増減、属性設定等はいじれない。開発者権限とは言え女神のような、ゲームの根幹プログラム並の介入は不可能だとの事――元々が異界化前になる『白銀の姫』のゲームとしての保守点検及びユーザーリサーチに使う、プレイヤーの視点でアスガルド内を自在に動く為だけの権限だとか何とか。…そもそも根幹プログラム並の介入が必要になればわざわざプレイヤーのスタンスでいる必要も無く、『Tir-na-nog Simulator』の端末からシステムを呼び出し直接入力で行えば良い訳なので、開発者権限にそこまで機能を付けておく必要がないらしい。つまりはそのレベルの権限に過ぎない、と。そして現在ソースコードを解析途中なのだが、先にそちら関連の解析をした旨も書いてあり、そこの部分が改変されている節は無いとも続けられている。
 メールの文面にそれら詳細がずらずらと書き連ねられている。その上で、だからそれを本宮にやらせても恐らく問題は無いと結論。…つまりそれを言いたいが為だけに細かい説明がずらりと並べられている訳で。そこまでやらないと信用できないだろうと踏んでいる。そのくらい信用できない奴だってのはこちらも承知だとそんな事まで書いてある。
 で、当然のように『Cernunnos』がイコールで大学部電子工学科助教授の本宮秀隆である事がごく自然に文面に散りばめられていた。その上で――水原は自分の事も隠すつもりがまったく無い。現在自分が『Tir-na-nog Simulator』の側に居る事すら書いてある。
 更には最後の署名に――『"Aqua"こと水原新一』とまで確りと。
 そのメールを見、イオは唖然としている。汐耶も軽く溜息を吐いていた。
「…今あの人喫煙モードじゃないですよね」
 やがて、こそりと汐耶に聞いてみるイオ。
「…それは無いんじゃない? まぁ、そうしたくなるくらいの心情って事なのかもしれないけど」
 あの人、自分の中のけじめとして煙草を切り換えに使ってるだけで、本当は切り換えるのに煙草が絶対必要ってものでもないらしいから。
 イオに答えて肩を竦めつつ、汐耶は本宮をちらり。…様子が様子なので水原の名前を出さないようにしていれば水原も自分から明かしてくるとは。それもこの内容をこのアドレス宛てに送ってくると言う事は、どうやら本宮に見られる事を前提に書いて送っている。開き直ったと言うか宣戦布告していると言うか…。内密の用件ならば汐耶かイオかに直接電話連絡を入れれば済む事なのに。…これは確かに、どちらかと言うと『通常』より『喫煙時』の水原の遣り方の気がする。
 と。
 彼ら二人の後ろ――本宮がいきなり爆笑した。
 唐突な事に汐耶もイオもびくっとして本宮を見る。…それは何をするかわからないような相手とは言え、まさかいきなり大声上げて笑い出すとも思わない。
 本宮は彼ら二人の後ろから覗き込むように、興味深げに水原からのメール文面を勝手に見ていた。…現在コンピュータに触れる事自体を汐耶及びイオに禁止されており、一応素直に聞き入れてはいる為――そしてどうやら二人の片方にだけでも、直接的な実力行使では到底抗い切れない事を察している節もあり――見はしても手は出して来ない。
 が。
 一拍置いてから、本宮は心底楽しそうに身体をくの字に折り腹を抱えて笑っていた。
「――…っははははっ、やっぱりあの子だよ『Cynical Hermit』だよ、まいった」
 やがて、何とか爆笑を堪えながら本宮は話し出す。
「恨まれてる恨まれてる。はははっ。ふーん、水原新一君ね。男の子だったか。くくく。学生さんか先生か部外者の方か――まぁそれは後で探ろうか。ここまで覚悟してくれてると僕も嬉しいなァ♪」
 名前教えてくれるなんてね。くくくくく。
「…何なんですかいったい」
 茫然。水原からのメールの何処か怨念めいたものまで感じさせるびっしりの文面と、それを見ての頓狂な本宮の態度を見ていると――イオのみならず汐耶としても何だか呆れるしかないような。何なんだこれは。…これがそんなにも楽しいか。今の状況わかってるのか本当に。思いながら汐耶は化物でも見るような目で本宮を見ると、漸く笑いを堪えた本宮から改めて見返された。…目の端に僅か涙が滲んでいる。これは泣く程笑うべき事なのか。
「…で、我が親愛なる水原君のメールによればそんな感じなんだけど…彼ら二人、いや他の御二人もアヴァロンの王墓に送る為に一回ログインするってのは…駄目かな?」
「手出しはしないで下さいって言いましたよね。勿論駄目です」
 水原さんも私がそう言うだろう事は多分察していると思いますし。…『一応』知らせておく、と書いてある時点で。
 きっぱりと断り、汐耶は少し考える。
 …それは現在シュラインは既にログイン中、セレスティは彼らとの合流を承知しているとは言え合流するまでに多少の時間差がある――まだログインしているかどうかもわからない。これから向かうと言う士狼と朔夜も、そして水原も――現状での本宮の依頼、そして朔夜の方に汐耶がした要求は承知の筈だ。…こちらの状況はわかっている筈。なのに――そこで水原がわざわざ本宮の力を借りるべきかもしれないともメールを送って来るとなれば――何か、また別の理由があるのかもしれない。
 思い、汐耶はイオを見た。
「イオ君」
「はい」
「ちょっとアスガルドまで行って来るけどすぐ戻ってくるから、それまで本宮助教授の監視頼むわよ」


■合流

 …兵装都市ジャンゴ。
 その城門内側でシュライン・エマは人待ち風に佇んでいた。客観的に見える通りに人を待っている――待ち合わせ。ただ、草間武彦と真咲誠名の二人については――今回は、ジャンゴで待ち合わせてはいない。他の面子を待っている。
 シュラインはプレイヤーとしてエヴォリューション化してから、以前までと比べ各段に機動力が増した上に能力としての安全性も増した為、現実世界へ戻る時等、単独行動を取る事もまた増えている。…そして今回もそれだった。そこで――現実世界にて本宮の話を聞く羽目になっている。
 と。
 目の前に――綾和泉汐耶が現れた。
 …現実世界に残ると言っていた相手である。
「?」
 シュラインは思わずきょとん。
「…まだ何方とも合流してませんね。間に合いましたか」
「…どうしたの汐耶さん」
「朔夜君と玖渚君が水原さんの方から合流するのでお知らせに来ました」
「! 水原さん――無事だったの」
「ええ。今『Tir-na-nog Simulator』の方に居ると。ダリアとは別れたらしいです。…ダリアはどうも本宮助教授を捜している節があるようで…連れ回す意味が無くなったところで水原さんは放り出されたとか。…経過としてはダリアが水原さんの持つ情報を引き出している最中、本宮助教授に興味を持ったらしくて――どうも彼と繋ぎを取る為に水原さんは連れ回されていたんだそうですよ」
「…それって」
「実際に遭ってはいないそうです。ですがダリアの方は――今現在、行方が知れないと」
 なので現実世界の方でも余計に放り出せない状況なのはわかってますので、すぐ戻るつもりなんですけれど。
「…ただ、水原さんが気になるメールを送ってきまして」
 シュラインさんのアスガルドでの能力の事も水原さんには伝えてありますし、朔夜君と玖渚君もそのつもりではあるんです。あるんですが――それでも、水原さんは本宮助教授の開発者権限の能力を借りた方が時間的には早いと敢えてこちらにメールで伝えて来たんです。それも、開発者権限でのログインの機能限界を詳細に書いて知らせまでして。
「ですから…ひょっとするとこのメールには何か別の意図があるのかとも思いまして。で、朔夜君と玖渚君の二人に連絡付けるにはアヴァロンに向かう前でないとできないと思ったので――水原さんと連絡取るよりこちらに先回りする事にしたんです」
 彼らを捕まえるにはその方が確実に思えたので。
「…そう。じゃあ、水原さんも本宮氏も…もう両方で正体が割れてるって事なのね」
「水原さん自分でバラしてましたよ。今言ったメールの中で」
「…本当に大丈夫なのかしら。まぁ、それは御本人の判断なんだから私がどうこう言う事ではないとして…そのメールは…こちらで、アスガルドで急がなきゃならない何かが起こってるって事なのかしらね。それが何らかの方法で外からわかったのか…って言っても、急がなきゃならなくなりそうな心当たりは山積みだからどれが来たとしても悪い知らせになりそうだけど」
 眉を顰めつつ、シュライン。
 それに頷きながらも、汐耶はまた口を開いた。
「…もしくは何か内密の用があるって可能性も考えてみたんです。多分、こちらの動きの直接のモニターはそう簡単に出来ない筈ですから。本宮助教授が言ってたクロウ・クルーハと黒崎君が融合した際の演算処理過程を直接見てたって話も…そんな事、『Tir-na-nog Simulator』本体からでもないと、それもプログラムとして書いてある意味が直接理解出来るような人間でないと無理だと思えますし」
 なら今は、一番警戒すべき本宮はコンピュータから隔離状態に置いてある上、『Tir-na-nog Simulator』の方には水原が居る――中の方がまだ機密性は守られる。
 と。
 そこで、セレスティ・カーニンガムの姿が現れた。来るなり、お待たせ致しました、と優雅に御挨拶。そしてすぐに汐耶を見た。
「…ところで…汐耶嬢も気が変わられてこちらに?」
「いえ、私は朔夜君と玖渚君が水原さんの方から合流するって話を知らせに来たんです」
「ああ、それなら水原さんから私も聞いていましたよ。…入れ違いでしたね」
「…それと、既に話が付いているのに、改めて水原さんから本宮助教授の助力を受ける事を勧めるメールが届いたんです。それに何か別の意図も感じたので、向こうから直接来る朔夜君たち二人と会ってみようと思い…ログインしたと言う理由もあるんですが」
「そうでしたか。…あ、いらっしゃったようですよ」
 セレスティがそう言うなり、二人の姿が現れる。朔夜・ラインフォードに玖渚士狼。
「あ、やっぱり綾和泉さん来てましたか」
 にこりと微笑みつつ、エマさんも、セレスさんもと朔夜は順繰りに御挨拶。士狼も続けて無言で目礼。そんな姿に、まず汐耶が声を掛ける。
「やっぱりそう言う意味だった?」
 中に来い、と。
「はい。…水原さんが綾和泉さんならこうするだろうってって踏んだみたいですがその通りですね」
 幾ら急ぐって言っても綾和泉さん、本宮さん押さえたまんま奴の行動許す気ないだろうから…なら今はイオ君も奴と同席している事だし、直接中に呼んだ方が――中で連絡取ってみた方が奴に対して隠し事するには適してるって。中での会話ログは念の為後で消すからとも言ってました。
「…てな訳で、何だかんだと示し合わせておきたい事はありますが取り敢えず時間が惜しいので――水原さんの方から託されました緊急の情報から行きます」
「不正終了の引き金になるジャンゴ襲撃でしょうか」
 緊急に知らせる必要がある――とは言えこちらの目的も元々急ぐつもりで来ている以上今更改めて急ぎと言い出す必要も無い――ならばこちらが目的としてログインした件とは別になるでしょう。そう思い、セレスティは朔夜を見た。と、即、朔夜はセレスティを見返し、こくり。
「はい、ジャンゴ危ないらしいです」
「…もう」
 言葉少なに、シュライン。…それはいつか来る事と知ってはいたが――ここで周辺の人間を見ているに、まだそれ程切羽詰まった様子には見えない。まだ幾らかは時間があると思っていたのだが。
「えー、曰くクロウ・クルーハ――ってこれは黒崎君の方じゃなくて今現在各所で実際に暴れてる邪竜の方ですが――のジャンゴ侵攻時に使用する固定された最終進路に入ったみたいだって、『Tir-na-nog Simulator』の元プロジェクトメンバーだった人が気付きました」
 アスガルドの中から見るとまだ時間的な余裕ありますけど、外で演算処理過程見てる分にはここから先のイベントは加速していくだけだったと思うから一応の警戒は始めた方がいいって話で。…それだけならそんなに緊急でも無いんですがね、その上に水原さん曰く――異界化している中で、『Tir-na-nog Simulator』のシステム根幹プログラムが直接動かしてるらしい邪竜の巫女ゼルバーンが、わざわざ不正終了を起こしたがっている以上――元々のイベントからして加速し易いレールに乗ったなら、その加速度が本来より各段に上がる可能性も考えておいた方が良いって事らしいんですよ。だから緊急の情報なんです。
「…それと中ボスクラスのモンスターがイベント無視して妙な位置に集中し出してるらしくて」
 朔夜は続けてまた別の情報を明かしてくる。
 シュラインの顔色が変わった。
「位置わかる!?」
 即座に鋭い声で促しつつ、ざっとシュラインはアスガルドの世界地図を出して広げた。…中ボスクラスのモンスターが移動、話による黒崎の目的。そして自分の知っている黒崎の態度。そうなって来ると――アヴァロン上陸後に袂を分かってしまった黒崎の居場所はそこになるのかもしれない。と、今度は朔夜ではなく士狼の方が手を伸ばし、地図上の一点を指差すと小さく円を描いた。
「座標の数値からして――計算するとそいつらが向かっている先はこの辺りと予測できる。数値を見てから今は…もうある程度時間が経っている以上、はっきりとは言い切れないが」
「! そこは――」
 アヴァロン島の範囲とも、湖に入るとも付かない未だ見ぬ場所。…但し、アスガルドの世界地図上で見るならばアヴァロン島に上陸した武彦らの居場所とごく近い事だけは確かで。…それは――武彦らと別れた黒崎が普通に歩いて移動しているのなら、ちょうどそのくらい離れていて然るべき位置とも言えそうで。
「本当に急ぐ必要が出て来たようですね」
 ぽつりと告げる、セレスティ。…彼もまたその事は承知している、察している。
 皆も頷いた。
 と。
 そんな中…ふと目に入る。
 城壁沿い、視界の隅にアイテムボックス。
 …元々、そんな場所にそんな物があるものなのか。
 変である。
 唐突にすぐ側にあった怪しげな箱の存在を認めるなり皆が一瞬停止する中、無言で士狼がその箱にすたすたと歩み寄る。そしてかちゃりと己が得物の刀を抜き放ち、何かあれば抜き身のその刀をすぐさま振るえる形に持ったまま――あっさりぱかりと開けてみた。
「…」
 そのまま士狼は停止。
 今度は、先程停止していた皆の方が動き出す。
「ちょっと玖渚君大丈夫!?」
「罠ですか!?」
「…どーしたの士狼君?」
 それぞれ士狼に声を掛けながら、皆も駆け寄りひょこりと箱の中を見ると――上品に髭を生やした渋い顔立ちに、ただそれだけは子供のような――わくわくと何かを期待しているような青い瞳が見えた。
 箱の中には――風体だけはばりっと決まっているカウボーイのような、だが妙に和み系のおっさんがちんまりと座り込み入っていた。
「…」
 皆もまた無言。そして停止。
 そんな様子を見、箱に入っていた和み系カウボーイなおっさんは何か訴えるように箱を開けた面子を見上げている。
 こちらも無言。…そのままで暫し視線がぶつかり合う。
 やがて。
「…何かと思えば…シオンさんじゃないですか」
 がくりと脱力するシュライン。
 と。
「は、はい…箱を開けて下さって…声を掛けて下さって有難う御座います…! 感激ですおはし使いのシオン・レ・ハイで御座いますっ!!!」
 言葉通り感激したように箱から飛びでて来、シオンはまず士狼の手を取りぶんぶんと勝手に握手。次にシュラインの手を取りこちらにも握手。ついでに箱を開けても声も掛けていない、ただそこに居た方々にもひとりひとり握手を求め出す。
「…取り敢えず、罠ではなくてよかったですが」
 小さく息を吐きつつ、苦笑混じりにセレスティ。
「本当に…もう、中身がシオンさんだったからよかったものの…いきなり開けたら危ないでしょう…」
 こちらもセレスティ同様、安堵の息を吐きつつ士狼を見るシュライン。
「だからこそ中身を早急に確認すべきだと思った」
 無表情なままあっさり言ってのける士狼。
「や、それもそーだけど…今こんな事で時間潰してる余裕はあるんでしょーか?」
 そんな士狼を見、軽く突っ込んでみる朔夜。
「無いわね」
 さくりと同意する汐耶。そうそう、と朔夜も頷いた。
「…んじゃそこの面白そうなシブいおっさんはひとまず置いといて、綾和泉さんへお伝えしておくべき事の残りを取り敢えず先に行きます」
「ってあああそんな、私を無視するのですかっ、折角出て来たと言うのにっ、私も是非一緒にお話伺いたいのですが…っ!」
「…。えー、まぁ先程言ったようにそんな訳で水原さん、本宮さんにはせめて中での経過を極力知らせない方向で行きたいようなんすよ。それから、コンピュータに触れてなくとも口の方で――言葉や態度で、情報の出し方隠し方で色々こちらの行動を操って来たりミスリードされる事が有り得るから…そちらの意味での警戒も怠らない方が良いそうです」
「了解。…仕事の方でも似たような申請者が居た事あったからある程度慣れてるつもりだったんだけど…どうもあの男はかなり上手みたいだって思ってたところなの。幾らやっても全然ペースが崩れてくれない」
 でもそちらも向こうの得意分野なんだったらそれも当然か。…なら、また方法を変える必要がある。
「で、修正プログラム創造主さんにお願いできたら、そして現実世界に持ってくる必要があるならその為のログアウトは俺か士狼か…とにかく俺たちの方でやりますからそちらには出て行かない事にしたいと。こっちは『Tir-na-nog Simulator』のすぐ側に置いた端末から来てますんで修正プログラムも一番タイムラグなく持って行けますから」
「確かにその方が良いわね」
 それに、そうした方があの助教授の裏をかける事にもなるかもしれないし。
「それからも一つ重要な件。本宮さんが今そちらにいる事はIO2や『Tir-na-nog Simulator』側の面子には言わないで隠し通して欲しいと」
「…え?」
「…いえね、本宮さんをIO2の皆さんに引き渡したら、それで安心出来るどころか彼に操られる手駒が増えるだけになる可能性の方が高いそうです。彼は組織を相手にするのは慣れてるから、との事で。だからできればイオ君と綾和泉さんの方で止めといて欲しいそうで。その方がまだ本宮さんの手足を封じられる、と」
「…そう来る訳ね」
 はぁ、と汐耶は嘆息。すいません嫌な連絡で、と朔夜も苦笑。
「…ま、綾和泉さんの方にお伝えしておくべき事はそんなところです。後エマさんセレスさんにお伝えしなきゃならない事の方は――これから道々って事で」
「わかりました。それに――話すなら草間さんや誠名さんとも合流してからの方がいいかもしれませんしね」
「そうね。じゃこれから、武彦さんのところまで道を開くから」
 そう言いながらシュラインはその場で屈み、片膝を突く。自らの花飾りから伸びる蔓草の一本を地面に突き刺し――静波号と一声。


■世界を思う声

 神聖都学園電子工学科研究棟倉庫前廊下。今度は電話ではなく直に汐耶が顔を出していた。現在の状況を照らし合わせる為――それと、本宮は今どうしているのかと言う話。
 水原側。ゲーム内に託した件についても最悪の可能性――創造主によるプログラム修復が叶わない場合もある――も考えて、現実世界側でのプログラム修復も遅々とした進行具合ながら一応手を止めてはいない事。画面を流れるプログラムの羅列としてしか見えはしないがゲーム内、特に邪竜イベント関連の演算処理過程を専門にモニターする人員を割いてもいる事――アリアもここに含まれている。
 そしてIO2の運び込んだ機材による『Tir-na-nog Simulator』の稼動状態の計測及びそれに付随する不測の事態への対応措置。現状ではマシンの維持保守が最優先課題である為――『世界を破壊するもの』が現れた場合に備えて戦闘要員の増員も為された。周辺環境の把握――モンスターがここを、ジャンゴを攻撃して来るか否かを探知する為の行動も怠らない。別れた後のダリアの行動についてはIO2が密かにそれでいて最大限の注意を払って追跡――してはいるが、その追跡からはいずれ逃げられてしまう可能性の方が高いだろう事も付け加えている。ただ、取り敢えず現時点で『Tir-na-nog Simulator』側に戻って来ている気配は無いとの事。
 汐耶側。現在PCルームに置いている本宮の身柄をどうするべきか。それと――外は無理でもせめて中の経過は本宮側には一切流さない方向で動く事、それと気に懸かっていた件――これ以上現実世界に影響が出ないようにIO2も動いている事を確認し、頷いた。
「さすがに行動は適確ですか」
 IO2なだけあって。
「ま、そうですね。奴が――本宮が甘んじてIO2を受け入れた理由もわかります」
 餅は餅屋って事でしょう。
「あの人、IO2に自分の正体を知らされる事は避けたがってたようですけどね」
 自分の動きようが無くなるからと。
「…でもIO2を導き入れたのも自分…そんな綱渡りも承知の上の事…とんでもないですね」
「ええ。とんでもない奴ですよ。それは確かにIO2に言えば奴当人の身柄が拘束される事は間違いないでしょうが、それと引き換えに奴の意志が何処かの誰かに託されてこちらの知らぬ内に手の届かない場所で実行されてしまう危険性が絶対的に高くなるんです」
「確かに、そうなってしまうとこちらで止めようが無くなりますね」
「そう言う事です」
 だからIO2に言わないで隠して下さいと頼みました。
 IO2に、って言うかIO2に限らないんですが――『組織』の形を持っているところに本宮を任せたら、却って奴の思う壺になります。組織に任せてしまったら、それは奴の身柄はともかく意志は自由に行わせる、と同義になってしまうから。
 それも――今まで奴を知らなかった組織に任せるなら、尚更。
 例えIO2とは言えど、いやIO2だからこそ、本宮の遣り方には引っ掛けられると断言できる。…IO2の人員に対して到底直接は言えない事だが。
「奴について気になりだした時から、僕の方で本宮秀隆の名も洗ってみてあるんです。公的記録に残る生まれから何から、データで辿れるところに限りますが、辿れる限りは全部。それで結論付けて良いと思ったんですよ――データに不審点が無いのは前からわかってますが、同時に『奴自身に異能の類は一切無い』事も言えるんです」
「言い切れますか」
 確認する汐耶の声に、水原は頷く。
「…天才、神童とさえ呼ばれ幼い頃から少なからず脚光を浴びていた事もあるような奴なのに、IO2が今現在奴をマークしてなかったと言う事実がありますからね」
 IO2はその可能性があれば徹底的に調べる組織でしょう。起きた事件を解決するばかりじゃない、一般社会から事件を異能を隠し通す事が目的なら予防に努めてもいて当然の筈。…音に聞こえる程の天才と言われればその才の源が異能である事も珍しくない訳だから、何らかのコンタクトがあって――最低でも一度は調べられていて当然なんですよ。奴が異能を持っているなら他ならぬIO2が把握していない訳が無い。僕はIO2は――少なくともそのくらいは確りした組織だと思ってます。
 そう、異能者相手ならIO2はそれはプロフェッショナルだろう。だがそうであるが故に――逆に異能を持たない唯人に異能絡みの容疑を掛け相対する必要があるとなれば、何処か侮って高を括って対応してしまうだろうとも思える。自覚の有無に関らず、心の底では異能に関しては自分の方が絶対に優位だと考えてしまっていて当然。…そうなれば本宮側にすれば簡単な話になる。自分を監視する相手も取り調べる相手も――どうとでも操れるだろう。ただでさえそれ程難しい事ではないところで、相手は油断までしてくれている事になるのだから。
「…中途半端ながら一応霊能力持ってる身で言いますけどね、下手に催眠能力持ってる異能者相手に回すより、奴と直に相対してただ会話してるだけの方が余程眩惑される可能性が高いと思えるんですよ」
 奴はただ画面越しにテキストでの会話を交わしているだけでその相手を操ってしまう事さえ出来ますし。コンピュータの専門知識も殆ど使わず、そうやって何人もの人間と対話し操って、それだけで一企業を倒産させたり、某国軍の立てたとある軍事作戦を壊滅状態に持ち込んだ事までありますから。
 そこまで出来るような奴が、画面越しでもなく直にとなれば。
「弱音を吐かせてもらうと、僕でも奴と直に遭うのは怖いくらいなんです」
 奴の正体を一番わかっているだろう自分でも、操られないとは言い切れない。
「…イオ君だけでは心配ですね」
 既に実際に相対している汐耶は厳しい瞳でぽつり。それはイオも見た目の幼さ無垢さに反し一筋縄では行かない事を知ってはいるが…話を聞けば聞く程、この本宮は役者が違う気がして来る。…自分で何とか張り合えるのかもそれは不安だが、イオだけにしておく方が更に不安だ。幾ら一筋縄では行かないと言っても、それでもまだ九つの子供であるのだから。
「すみません。厄介な事押し付けてしまって」
「いえ。元々手出しさせないようにと言い出したのも私ですし、成り行き上ですから仕方ありません。…そんな事情なら、あの人の前に居る人数は極力少ないままで増やさない方が良いと言うのも道理ですし」
 と。
 そこまで話したところで、キィ、と扉が開かれる音がした。倉庫の扉。中から顔を出したのは元プロジェクトメンバーの一人。曰く、アリアが水原は何処に行ったのかを気にしているようだったので捜しに出ようとしたところだったらしい。が、捜すまでも無く出てすぐ見えるところに居た訳で、水原はすぐに戻ると返答した。
 扉を開けた相手が室内に戻る。続き、扉が閉まった。
「…煙草喫う為に出て来たんで」
 言って、水原は肩を竦める。…実際、そのつもりで外に出て来た――と言うか鬼鮫に倉庫から乱暴に叩き出された後、ちょうどこちらに来た汐耶に遭遇した為、喫煙さて置き話を先にしたところだったらしい。
「…でしたらタイミング悪かったみたいですね、すみません」
「いえいえ。そちらの状況も気になってましたし、むしろタイミングはよかったんですよ」
 中で携帯だと回りを気にせず話せませんし、隠しておきたい部分を話す為だけにわざわざ外に来るのも悪目立ちしますんで。
「なのであまりお気になさらず。それより綾和泉さんも――中に来ますか?」
 僕だけでは無くアリア嬢や他の方々とも示し合わせておきたい事等ありませんか?
「いえ。彼女の行動にも今のところ懸念は無いですし、今はそれより本宮助教授と居るイオ君の方が気になりますので」
 取り敢えず戻る事にします。



 と、そこまで話し、汐耶は研究棟倉庫前から辞する。敷地を過ぎ大学部の事務窓口を過ぎ、高等部との境に当たる中庭、一応渡り廊下も設置されているそこに至った、その時。
 何処からか調子っぱずれなあっけらかんとした歌が聴こえてきた。その事実に汐耶は耳を疑う――何故ならその歌声は、忘れもしない薬草売りのルチルアの声だったから。
 …ここは、現実世界だ。
 汐耶はつい先程、『白銀の姫』から確実にログアウトしている。そして今の自分の服装も現実世界のもの。中へ行っていない水原にも今し方会ってきたし、何より目の前の景色が間違いなく学園敷地内。
 思いながらも歌声の源を探す。自分の幻聴ならばいい。だが――もし本当に聴こえているのなら、それはアスガルド世界の現実世界への浸食度合がまた増したと言う事になるだろうから。…ルチルアは、アスガルドの住人だ。
 探した歌声の源――中庭の一角、ベンチに座り手持ち無沙汰げに足をぶらぶらさせつつそれでも明るい声で歌っている姿。…そこに居たのは、やっぱり金髪のツインテール。
 但し、その姿は――何故かホログラフィのように、もしくは幽霊のように透き通っている。
「――ルチルアちゃん」
 汐耶も思わず呼び掛ける。
 と。
 びっくりしたような顔をして、ルチルアは汐耶を見た。そして汐耶だと確認するなり、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。歌うのを止め、たったったっ、と汐耶に駆け寄って来る。
 そして、深々とぺこり。
『よかったです〜。勇者さまやっと見付けました。誰も居なくてルチルアちゃん寂しかったんですよ』
 大好きなこの世界が壊れる前に、勇者さまたちと色々思い出作りたかったんです。
「世界は壊れないわよ。…壊させちゃ、駄目だもの」
『そう言って下さいますか?』
 可愛らしく小首を傾げ、ルチルア。
「当然でしょ。こっちの世界もアスガルドも。…ってルチルアちゃん、どうして現実世界に居るの?」
『…? げんじつせかい…はれ? ここジャンゴの城門ですよね???』
「…」
 ルチルアの発言に汐耶は考え込む。
「…ここは現実世界――アスガルドの外の世界で、神聖都学園大学部と高等部の境になるの」
 言い聞かせるような汐耶の科白に、ルチルアの方が今度は暫し考え込む。難しい顔のまま暫く考えるが――それでも理解出来てない。
 諦めた。
『うーん…よくわかりません。何でも良いです。ルチルアちゃんが居て、勇者さまの――汐耶ちゃんの居る世界である事には変わりありません。ルチルアちゃんも世界が壊れて欲しくないのは同じです』
 汐耶ちゃんからもそう言ってもらえるなんて心強いです。
 そう続け、にこり。
 印象に残る笑顔を残し――ルチルアは悪戯っぽくその場でくるりとターンした。
 途端。
 ルチルアの姿が、掻き消されるように、消えていた。
 狐につままれたように、汐耶は停止する。
 どのくらいそうしていたか、汐耶が我に返ったのはまた別の人影が見えた時だった。それも――その人影は何処か頼りなく。そのせいで余計気に懸かったのかもしれない。
 渡り廊下の向こうから、ふらりと足取りも覚束無いまま頼りなく歩いてくる姿。黒い制服――高等部の女子生徒か。背の中程までの黒髪に大きな目、だがその目は焦点が定まらず何処か茫洋としており。
 そして同時に――何処か異様な気配も感じた。
 彼女は――何だ?
 思ったところで――まるで糸がぷつりと切れたように、その女子生徒はその場に崩れ落ち倒れた。そしてそれっきり、動かない。
 さすがに黙って見てはいられず、汐耶はその少女に駆け寄ろうとする――が、同時に、その彼女の傍らに、とん、と中空から小柄な人影が飛び降りて来た。収まりの悪い銀髪に青い瞳。そして――それはまだゲーム世界と比べれば普通の範疇ではあるが、少々派手な風体をした少女。
 その姿を見た汐耶は、誰、と鋭く訊く。この状況では――警戒しない方がおかしい。
 と、少女は特に大仰に反応するでもなく、ただぶっきらぼうにぽつりと告げた。
「…わたしはレイニー。レイニー・アーデット」
「君がこの彼女に何かをしたの? …君もまた『白銀の姫』に関っているのかしら?」
「…『白銀の姫』?」
「知らないの? それとも白を切ってるの? …今起きているこの――」
 事件の事。それに関っている人間なのかどうか。汐耶はそれを問い続けようとしたのだが、レイニーと名乗った少女は遮るように口を開いた。
「何も言わないで何も説明しないで。わたしは何も聞きたくない。何も知りたくない。何にも関りたくない」
 …でも、目の前で倒れられてしまったらさすがに放り出しては行けないよ。
 呟きながら倒れた黒髪の少女を見る。
「君…?」
 どうも話がわからない。確かに直接の関係者でもなさそうではあるが――だからと言ってただ放り出して良い相手とも思えない。彼女の話し方には、何処か切羽詰まった印象も与えられ。
「何も言わないで! …何も教えないで。わたしは貴方たちに関る気なんか全然ない。確かに呼ばれた気がするからここに来たんだけどそれも結局自分の能力故かもしれないし。…ただのわたしの妄想の産物で呼ばれたと思い込んでるだけで」
 この子は、わたしがここから一番近い医者の居るところに連れてくから。…それが一番早いだろうし。
 だから、わたしの事は忘れて。見なかった事にして。わたしは何にも関っちゃいけない。わたしはすぐにここから居なくなるから気にしないで。お願い。
 と。
 彼女が言った途端に、レイニーの姿と倒れていた彼女の姿はまた、忽然と掻き消えていた。
 そこに至り――やや遅れIO2の人員が汐耶の元に駆け付けて来る。曰く、転移して現れたと思しき強力な異能の存在がこの位置にあったからとの事。先にその場に居た汐耶にも確認を求めてくるが――どうも今の二人の少女の事もルチルアの事も言う気にはなれなかった。『世界を破壊するもの』、もしくはモンスターの一種――IO2の判断はそれでしかなく。だが彼女たちはそれとは何処か違って見えた。
 それはルチルアの場合はゼルバーンを内包している以上報告すべきかも知れない。だが――ルチルアは、『どう見てもルチルアとしての態度に声、姿で』調子っぱずれの歌を歌っており、人懐っこく汐耶に話しかけてさえ来た、のだ。…破壊をしに来たとは、思えない。邪竜も、側に居はしなかった。それに何より、どう言う加減でか姿が透けていた。アスガルドに於いても現実世界に於いても、とにかく『白銀の姫』絡みでそんな事は今まで一度も無くて。
 殆ど勘の領域の話だが、今のルチルアは――違うと思っていいような、汐耶はそんな気がしていた。

 そして実は――ゼルバーンを内包しているルチルアのみならず。
 …夢遊病の如くふらりと現れ、汐耶の目の前で倒れてしまった彼女の名前は、影沼ヒミコと言う同校高等部の学生である。その身は実は――過去に起きた『誰もいない街』事件に深く関り、強大に過ぎる霊能力を持ってもいた。…現状では封印されてはいるのだが。そして実は――その枷があったからこそ、倒れてしまったのだとも言える。
 …そしてその彼女を医者の元に連れて行くと告げ、彼女と同時にその場から消えてしまったレイニー・アーデット。彼女もまた『思う』だけですべてがその通りになってしまうと言う、空想具現化能力の持ち主である。

 その時点の汐耶にはルチルア以外もそうだとは知る由も無かったが、最後に遭遇した二人もまた――『現実世界に於ける邪竜クロウ・クルーハの代替存在』――『世界を破壊出来るもの』の定義に当て嵌めれば当て嵌まりそうな存在と、言えた。


■目的は一つだけ

 …高等部PCルームへ戻る途中、中庭を過ぎたところ。特に意図せず軽く握った状態だった汐耶の手の中にいつの間にかメモが握らされていた。唐突に手の中に現れた感触。何かと思えば――そのメモの中には『高等部第一保健室、高橋教諭』とワープロで打たれたような字だけが書かれていた。少し考え、汐耶は書いて示されていたその場へ立ち寄る。…元々ここからPCルームに向かうには通り道。
 と、先程倒れた少女がそこのベッドに預けられていた。彼女と同席していた保健の先生に話を聞くと、その人の名が当の高橋。曰く、倒れた少女は銀髪の少女と共に唐突にその場に現れて、銀髪の少女は倒れた少女を示し介抱してあげてとだけ高橋に残すと、またすぐに消えてしまったのだと言う。
 つまり、中庭に現れたあの少女の話に嘘は無かったと言う事か――その証として能力を用い汐耶の手の中にメモを残した訳か。…ならばあの彼女もまた、心ならずも今回の事件に巻き込まれ掛けている存在になるのかもしれない。…月神詠子や、当初のダリアと同様に。
 それらを確認してから、今度こそ汐耶はPCルームに戻る。その場に新たに誰も増えては居ない。ただ、イオと本宮だけが居る。…ダリアが本宮を捜しているらしいと聞いてはいるが、まだここには来ていない――まさか殆ど入れ替わりで水原と同じ場所に居る、とは思っていないのか。ならいいのだが。
「あ、おかえりなさい。何か進展あったのかな?」
「…」
 にこりと笑い、PCルームに戻ってきた汐耶に軽く声を掛けてくる本宮。この当たり障りのない軽口もまた何かの布石の可能性。それは考え過ぎてはいずれこちらが参ってしまうだろうが、それでもやっぱり警戒して然るべき事。…否、元々この相手からそんな気安い挨拶をされる謂れはない。無視。
 イオの方も何やらげんなりした顔をして汐耶を見ている。何か救いを求めるような顔。だがその件については特に何も言わず、報告だけを口に出す。
「えー、本宮助教授手洗い以外はここから動いてませんしコンピュータにも一切触ってません」
「…ごめんねイオ君だけに任せちゃって」
「大丈夫です」
 と、言いながらもイオは溜息混じり。その様子を見て本宮をきっ、と睨んで来る汐耶に対し、本宮の方は心外そうに肩を竦め苦笑した。
「だからそんなに心配しなくて良いって。貴方が居ない間も結局『白銀の姫』の話は全然してなかったし――って言うかイオ君が全然相手してくれないから何だか暇でね…取り敢えず一方的ながら他の話をしてたんだよ」
 って言っても『白銀の姫』と全然関係無い話って訳じゃなくて、神話として残ってるケルトの方についてなんだけど。
 終始悪玉扱いの巨人フォモール族はアイルランドの元々の土着の民でつまりは元々の支配者だ。神話だとまともな支配者としてカウントされてないけどね。ただ怪物扱い、邪悪な魔族扱いで通ってる――余程この神話を作った段階の人々には受け入れられない見た目や風俗、習慣等持ってた人たちがモデルなんだろうね。…それで善玉扱いな神々の――ダヌの一族はと言えば単に五番目に来た侵略者。そのダヌの一族が今まで何とか生き延びてきたフォモール族を滅ぼす。で、その後の六番目に――最後に来た侵略者はミレシウスに率いられた一族――人間だったって事を話してたんだよ。
「で、最後はその人間に追われて、ダヌの一族は西方にあると言う魔法に満ちた国――常若の国に逃げ込む」
「…」
「まぁ、結局人間が美味しいところを持っていくように出来てる訳だ。神さえも『最大の厄介者』を滅ぼして大地を平定する為の駒にしか見てないようなね」
「…電子工学科の助教授にしては妙な事にお詳しいんですね」
「そりゃあね。…長い事『Cernunnos』の名前を使っている時点でそれなりに。で、今回の『白銀の姫』でもモチーフに使ってる訳だから当然改めて調べたしね」
「…ならばマシンに『Tir-na-nog Simulator』の名を付けたのは貴方ですか」
「僕だけで付けた訳じゃないよ」
「そうですか。わかりました――貴方だと言う事ですね」
 さくりと返す汐耶に、本宮は肩を竦める。
「似合いだと思ったんだけど」
「そうですか。…『彼ら』はいずれ人間の手の届かない場所に向かう――人間の手を離れると言いたいと?」
「まぁね。僕は確かにそれを望んだよ。可能性があると思ったから。『Tir-na-nog Simulator』のマシンとしてのスペックは従来のものとは比較にならないくらい高かったからね。…まぁ、さすがにその時点では異界化なんてこんな事起こるなんて思わなかったけど。でもだからこそ逆に…今の状況への疑問にも繋がるんだよね。幾ら従来以上のマシンだからって、元が――どれだけ多く見積もっても『人間並みな人工知能一人分』であってひょっとしたら何とかなるかもしれない、と思える程度のスペックに過ぎなかったんだから――」
 異界化がどう影響してるかは僕にはわかりようもないけど、それを除いたマシンのスペックだけで考えた単純計算ではね…まずゲーム世界自体だけでも演算をかなり食う。それから女神四柱にルチルア、ゼルバーンにクロウ…アリアも別に数えるべきかな。つまり目立つところだけ拾っても高度な人工知能が八人は居る。…本来の『Tir-na-nog Simulator』の能力だけで、ゲーム世界も走っている上にこれだけの人数分の『人間並みな人工知能』を走らせるなんて議論の余地無くはっきり無理だ。とっくに処理が間に合わなくなってて――止まってて当然なんだよ。
「…それでも動いているのは異界化しているからこそ、と?」
「そう。…他から見れば異論はあるだろうけど、エンジニアとしての視点で見るならこここそが異界化の最大の影響なんじゃないかと思う。一度に行える演算処理量が何らかの方法で爆発的に増やされてる事こそが。今の『Tir-na-nog Simulator』は――『白銀の姫』は何処の回線に繋がって稼動しているのかが凄く気になるよ。今の『Tir-na-nog Simulator』はいったい何処の演算処理能力を借りてるのか」
「…ケーブルやセンサーでは何処へも繋がっていないと伺ってますけど…」
 呟きながら汐耶もまた考え込む。今本宮が言った『Tir-na-nog Simulator』のマシンスペック云々の話は調べればすぐにわかる事。今更ここでそんな時間稼ぎをしても意味は無い。ならば嘘とも思えない――そうなれば確かに気にはなる話。どの回線か、演算処理能力は何処から借りている。異界化。ふと思いついたのは――人と人との無意識下の繋がりか、と言う事。とある学者の唱えた説を思い出す…もしそうだと仮定するなら、それは確かに演算処理能力にも限界は無いだろう。
 だが、口には出さない。
 代わりに、全然別の事を口に出す。
「それはそれとして、一つお願いしたい事があるんですが、本宮助教授」
「…何なりと?」
「場所を移動したいんです。…少し気になる事がありますので」
 気になる事。…ダリアはこの場所を予め知っていると言う事実。それは戻って来るとも限らないが――戻って来ないとも限らない。そう思い、汐耶は取り敢えず部屋の外、ひとまず廊下の様子を見る為ドアのところまで来た。
 と。
「…おや、ちょうど良いタイミングだったようですね」
 ダリアが、そこに居た。PCルームから一歩出た汐耶からすぐ見える位置。ちょうどたった今ここまで歩いてきたばかりのような、姿。
「――っ」
「驚かせてしまいましたか。…お察しの通り僕がダリアですよ。綾和泉汐耶さん」
 初めましてと言うべきでしょうか。
 静かに続け、ダリアは汐耶のところ――PCルームの入口にまで来、中を覗く。そして、満足そうに頷いた。
「貴方までもがこちらにいらっしゃるとは思いませんでしたよ。…今度から捜し人が居る時はまずこの部屋に来てみる事にしましょうか。二回も続けてこの部屋で目的の方が見付けられたんですからね」
「ダリア君…で良いのかな?」
 一人何事かわかっていない本宮が、ダリアを見てぽつりと呟く。と、そんな本宮を見、ダリアは微笑み返した。
「本宮秀隆さんですね。仰る通り、ダリアが僕の名前です。こちらの綾和泉汐耶さんかそちらのイオ・ヴリコラカスさんに聞けば僕の事はわかりますよ。ああ、IO2の皆さんともお知り合いのようですね。それとセレスティ・カーニンガムさんとも。水原新一さんとも御縁のある方のようだ。そちらの方々にも機会があれば訊いてみて頂ければより詳細がわかると思います。…直にお会いした事もありますので」
「…ふぅん。君があのダリア君か。僕の心が読めるって事みたいだね。それから綾和泉さんにイオ君の反応からして――『破壊者』の異称は伊達じゃないってところかな」
 興味深そうにそこまで告げる本宮を、ダリアもまた興味深そうに見返している。
「そうだな…綾和泉さんの言ってた『少し気になる事』は恐らく君の事。事前にそれがわかるとなると君が僕を捜していると言う情報があったと言う事か。ひょっとして僕に報復する為に来たのかな。それとも僕の技術を利用しようと?」
 今回の事件に関して君の立場で思いそうな事柄はこの二点くらいだからね。本宮はあっさりそう告げる。…自分を捜していた事は知らなくとも、ダリアと言う存在の危険性についての事前情報は持っていながら、その態度。
 少なくとも表面的には平然と見えるその態度を見、ダリアは何処か面白そうに、答える。
「その二択ならば、後者ですよ」
「だったら――それは私たちの方で何とかしてみるから、それまで手出しは待ってもらえないかしら」
 すかさず、汐耶。
 この事件を起こした――促したのがこの本宮であるなら、止められるのもまた本宮。ダリアがそう考えて来た可能性は高い。そして同時に――本宮を使って、この事件をまた別の方向に動かそうと考えている懸念もまた拭えない。…破壊に利用する為に。
 と。
 ダリアはゆっくりと首を傾げた。
「どうも、勘違いをされているようですね?」
「…そうかしら」
「ええ。僕は今は…この事件が理由で何が起ころうとそれはもうどうでも良いんですよ。僕はただ、これだけ大掛かりな事件を引き起こすきっかけになった人に…それも『意図的に行った』と言うその人にお会いしてみたかった。それだけで」
 件の『Tir-na-nog Simulator』を壊す気も守る気もどちらもありません。どちらに回っても黒幕さんにしてみれば想定内のようですからね。ならわざわざ関りたくはない――僕は今回の件に関しては極力傍観していたいと考えています。ある一つの事を除いては。
 …今回の事件は『こちらの世界』の住人、それなりの異能を持つ方が意図的に起こしたと言うならまだわかります。それだけだったら不愉快なだけなんですけどね…確かに報復も考えたでしょう。ですが――今回の事件の場合、きっかけとなった方はどうやら『唯の人』なんですよ。何の異能も持たない方なんです。『こちらの世界の人』じゃない。…そんな方に対してわざわざ報復を考えても骨が無さ過ぎますからつまりません。それより、唯人でありながら今回のこれだけの騒ぎを殆ど想定内の事柄として動かしている事の方が余程興味深い。

「ですから、僕の目的は今のところ一つだけなんですよ」

 …そのひと、僕に下さい。
 当然のようにそう言ったダリアが、す、と無遠慮に指差した先は――眼鏡を外した、本宮秀隆で。


■入力完遂

 暫し後、電子工学科研究棟倉庫。一つのコンピュータの画面から光が溢れ出た。…朔夜と士狼が『白銀の姫』へのログインに使ったマシン。光が溢れた数瞬後、マシンの前にログインした当の朔夜と士狼が立っていた。どちらも基本的にはログインした時のままの姿だったが唯一、朔夜の手に何のラベルも無い虹色のCD−ROMが持たれている事だけが違っていた。
「…これなのかな?」
 はて、と小首を傾げながら朔夜はそのCD−ROMをためつすがめつ。と、士狼がそうだろう、と至極冷静に告げつつCD−ROMをさりげなく密やかにそれでいて丁寧に朔夜の手から奪い取った。そのままですたすたと『Tir-na-nog Simulator』本体の方へ。おかえりと告げてくる水原に当然のようにCD−ROMを差し出し、お世話様、と水原もそれを受け取っている。受け取るなり水原は『Tir-na-nog Simulator』以外のマシンでざっと内容を確認。今まで現実側でちびちび修正した部分と比べる。特に逸脱は無し。念の為コンパイル――バグも探す。…無いようだ。
 それは? とアリアが水原の後ろからその水原の行動を見ながら呟いている。今のCD−ROMの中身は何か。
 創造主様のお作りになった不正終了を止める為の修正パッチファイルだよ、と朔夜がさらりと教える。その発言に――アリアは凍り付いた。
「…え?」
 創造主は、死んだと――?
「うん。死んじゃってる事に変わりは無いけど、魂の方がアスガルドに居たから」
 だから頼めた訳。すぐ書いてくれたよ?
「で、でしたら、私は――創造主様の望まれる通りにしなければ――御命令を伺わなければ!」
「…慌てる必要は無い。そのCD−ROMの中身自体が、創造主の意志になる」
 続けた士狼の科白を合図にするように、水原は頷き、そのCD−ROMをアリアに翳して見せてから――『Tir-na-nog Simulator』へと挿入していた。

 ――ロードする。



 ――ロード完了。それと同時に、追加部分の実行も開始される。

 が。
 今ここで見る限り、特に変化は無い。
「水原さん?」
 士狼はパッチファイルを直接確認していた水原に訊いてみる。と、本当に最低ラインで綻びを繕ってあった。こちらサイドでやってる事とやり方自体は同じだったよ――との答え。創造主も不正終了が起きない最低ラインにだけすると言っていた、と士狼は呟くように返す。
 ただそうは言っても、現状を見る限りはパッチファイルをロードしたからと言って何事も変わっていないようにしか思えない。IO2の面子を見ても、特に外から朗報が届いている様子は見られない。
「…直接お外見てきましょーか?」
 軽く朔夜が提案しつつ、足の方は返答を待つより先に倉庫の扉に向いている。と、そのタイミングで、扉の方が開かれた。
 誰かと思えば、汐耶とイオ。
 本宮を監視していた筈の二人。それが、二人とも。急いで来たように見えたのは気のせいでは無いだろう。二人とも息を切らせている。
「ありゃ綾和泉さん?」
「…無事ね、よかった」
 はぁ、と大きく息を吐きつつ、汐耶。そして少し息を落ち着かせてから、続ける。
 本宮助教授、ダリアに連れてかれちゃったのよ、と。
 だから念の為こちらに来てみたのだけれど――ダリアは『Tir-na-nog Simulator』を壊す気は無いと言っていたけれどそれが本当とは限らないから。『Tir-na-nog Simulator』の方に彼が来ていないかどうか気になって。…こちらが壊されたら終わりだから。
「うーん。こちらもこちらで、創造主様のお作りになったパッチファイルのロードが完了したところなんですけどねぇ」
 但し、その辺飛び交ってるIO2の皆さんの通信聞いてる限り、モンスターが消えたとは一つも報告入ってないようなんですよ。
 …まだ、これだけでは終わらないって事なんでしょうかね?


■アリアの意志

 …不正終了を止めてもモンスターが消滅しない。現実世界への浸食が止まらない。ならば次の手は。それとも中での状況を見守るしかないのか――現実世界側で関っている者たちがそれぞれ思う中で。
 唐突に――烈光が溢れ出た。太陽の如き光が差す――皆が何事かと自らを、側に居る人間を庇い、伏せる――そんな中でも確認したその烈光の源は――『Tir-na-nog Simulator』。

 と。

 次の刹那、『Tir-na-nog Simulator』と名付けられたマシン自体が――忽然と消滅した。
 同刻――外部からモンスター及びゲーム内施設の消滅を確認、同時にモンスター化していたと思しき人間の覚醒も確認しました、と無線やら何やらから次々報告が入っている。が、目の前で起きたマシンの消滅を見、あまりの事に茫然として――無線を聞いているIO2の人員もそれらの報告に即座に返答できない。
 逸早く我に返ったIO2の人員が計測機器の数値を目視で確認する――『Tir-na-nog Simulator』自体の存在が確認出来ない。不可視になっただけではなく、消滅している。…だが同時に、何の痕跡もそこには残っていない。超常の力が働いたのならば何らかの形で残る痕跡、IO2の設備ならばそれも読み取れる筈なのだが、それすら計測機器には見出せなかった。
 皆が呆気に取られている中、場違いに平穏な電子音が響き渡る。メールでも届いたような音。それは朔夜と士狼がログインに使用したマシンから。まるで注意を引きたがっているような、音。
 何だろうか――思いながら見ると。
 …その画面の中から、浅葱孝太郎がおーい、と外へと――それこそ画面を見ている人間に向けて、気付いてくれとばかりに手を振っていた。
≪あのですねー、オリジナルとかシュラインさんから聞いたんですが、そっちにコピーのアリア居ますかー?≫
 居るならお話したいんですけどー。
 呼び掛ける声が画面から――小さなマシンに備え付けられているスピーカー部から響く。
 途端、弾かれたようにアリアがそのマシンの前に駆け込んで来た。縋るような目で画面を見る。と――あ、居た居た、と浅葱は告げ、アリアが大事そうに抱えているノートPCも視界に入れた――ようだった。
 そのノートPCは、成り行き上水原がここまで持って来る事になった、創造主の遺品。
≪あ、それ持ってるんだね。僕のノートPC≫
「は…はいっ!」
≪だったら話は早いや。そのPC通じて直接こっちと行き来出来るんだよ。オリジナルとデータが重なるかもしれないけど多分もう大丈夫だから、こっちに戻っておいで≫
 お仕事はもう終わりだからね。御苦労様。
「え…?」
≪それともアリアには何かそっちでしたい事がある?≫
「そんな、私は創造主様の――」
 と、言い掛け、黙る。
 その様子を見、浅葱は笑った。
≪そうそう。もうさっきから僕も普通に呼んじゃってるけど、そっちではアリアって名前になったんだってね≫
「…はい」
≪安直かもしれないけどそれも綺麗な名前だよね? 結構萌える名前かもしれないし。…うん。良い名前だ。…良い名前付けてもらったね≫
「…」
≪アリア?≫
「有難う御座います。…有難い、お言葉ですけれど」
 …向こうにはオリジナルの私が居ます。
「ですから…コピーの私は、創造主様のそのお言葉だけで、充分です」
 もう二度と、アスガルドに戻れなくとも。
 そう告げるなり、浅葱はそっか、と笑う。
≪戻ってくる気は無い、か。…じゃあ、アリアはこれからどうする?≫
 アリアは、何がしたい?
「私は――」
 ――私は。
 一旦、迷う。
 けれど――口を衝いて自然に出て来た言葉。

 ――この名前を下さった蓮様のお手伝いがしたいです。

 アリアは創造主の目を真っ直ぐ見、そう言っていた。アリアの――アリアンロッド・コピーにしてみればその事自体がとても勇気を出さなければ出来なかった事。ずっと、創造主からの命令を聞くだけ――自分自身の希望を言い出す事など、とても出来なかった。…なのにアリアは、そう言えた。
 浅葱は、そんなアリアに頷いて見せる。
 だったらそうしたらいい、と優しい顔で。
 …ただ、ひとつお願いがある、とも続けて来た。
 それは今アリアが頼りにするように抱いている、壊れたノートPCについての事。浅葱曰くそれはアリアだけではなく誰であってもアスガルドと現実世界を直接行き来出来る『門』になるから、アリアにはその門番になって欲しい旨。…アリアにすれば創造主からのお願いともなれば否やはない。素直に頷き、アリアはそのままノートPCを抱き締める。
 続けられた注意事項。その『門』を通っていく場合、モンスターであっても人間同様に扱う事。女神としての基準、アスガルドでの属性は判断基準にしない事。…但し無条件で誰でも通せと言う訳では無く、『そちらで経験を積んだアリア自身』の判断で通していいと思ったら通す事、よくないと思ったらこちらに叩き帰す事とも続けた。
 そして最後に。
 …まず、その内こっちから黒崎潤て人が行くと思うから、宜しくねとも続けた。
 浅葱のその発言に、汐耶に朔夜、それから士狼と水原が顔を見合わせる。…心当たりがあり過ぎる名前。
 わかりましたと大真面目にこくりと頷くアリア。…彼女は黒崎を知らない。そして黒崎は――邪竜クロウ・クルーハと、融合している存在。中ではその後結局どうなったのかはまだ不明だが、女神としての基準なら当然敵対存在と考えるだろう人物。
 それを、女神の判断を捨てろと、現実世界で経験を積んだアリア自身の判断に任せるとなれば。
 …創造主である浅葱もまたアリア個人の人格としての成長を、認めている。

 じゃあそう言う事で。なかなか会えなくなると思うけど、元気でね、頑張って、と浅葱はアリアに残す。最後に向けられたのは優しい微笑み。
 程無く、浅葱の微笑みは画面からぷつんと消えた。
 そして――何故か、その画面表示が『白銀の姫』のログイン画面へと、変わっている。
 …そのゲームのプログラムが搭載されたマシンは、もう何処にも無い筈なのに。


■理の変転

 …時が経ち、また何処かまったく別の場所での話。

 ぴこん、とカーソルが点滅する。コンピュータの画面上。薄暗い部屋の中。電源は落としてあった筈なのに。
 現れた画面には、荘厳なレタリングと、白色に輝くシンプルなデザイン。
 ログイン画面――『白銀の姫』。
 今はもう逃げはしないアドレス。
 誰でもそこに触れられる。
 製作者不明、管理サーバ不明の超巨大オンラインゲーム。
 呪いのゲームと言われはしたが、それらはすべて過去の事。
 核霊の自覚により、NPCの、モンスターの、ユーザーの思いにより、そして何よりマシンシステム自体の思いにより――このゲームに絡む騒動は一応の終息を見た。

 が。

 それだけではすべてが終わりにはならなかった。
 …『白銀の姫』はまだ残っている。
 ここに。

 広大無辺な電子の海をたゆたうゲーム。
 それはケルトの神話をベースとした、四柱の女神の支配するアスガルドと言う世界での生活を楽しむものではあるが――。
 いつ頃からかそれだけではなく、『様々な世界』へと足を伸ばせるようになった。
 少しずつ、だが確実にそれぞれで違って来ている様々な世界が存在する。同じものは一つも無い。まるで生きているように。増えている。それはいつ誰が追加したものか、誰も知らない。
 知らないが――事実として、増えている。
 様々な世界が関り合って重なり合っており、それらの何処へでも自由に行けると言う。

 ――邪竜クロウ・クルーハを倒す為勇者が力を合わせる世界もあるだろう。
 ――女神モリガンが支配する世界もあるだろう。
 ――格闘を好む女神の意志の元、戦いに明け暮れる修羅の日々を過ごす世界もあるだろう。
 ――黒色の王や小さな女神、そして底抜けに明るい薬草売りなどが――種族の別を超えのんびり楽しく穏やかに暮らす世界もあるだろう。
 ――数ある世界の何処かでこの『白銀の姫』の製作者に会えると言う噂まであるらしい。

 どの『世界』へ行くかはプレイヤー次第だ。

 そこへはいつでもログイン可能。

 ――…『白銀の姫』。
 そのログイン画面を扉として。
 …経過を知る人・理解の素地がある人は――希望さえあれば密かにそれまで通りの方法でも、基本的には――知らぬ人はごくごく普通にコンピュータの画面越しに、それら世界へと触れる事が出来る。
 よく考えればこのゲームの存在自体が既にミステリーと言えるのだが――そこはもう害は無いと見たか、IO2も突付いていない。…過去に由来する不穏な噂の存在も、やがて単にゲームの評判へと転化し無害化する。
 もう無闇に人を取り込みはしない。
 もう無闇に世界が現実に混じりもしない。

 と、迷惑極まりない条件が一切消えたところで。
 現在の、常識外れなまでに拡張されたこの『白銀の姫』――どうやら、数多のユーザーに好評を得ている模様。


【交錯する思惑〜Tir-na-nog Simulator 了

 "Princess of Silver"...Continuation to Infinite Electronic Sea...  ...and, Our Mind!】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■4146/玖渚・士狼(くなぎさ・しろう)
 男/18歳/大学生/バーテンダー

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■3356/シオン・レ・ハイ
 男/42歳/びんぼーにん+高校生?+α

 ■2109/朔夜・ラインフォード(さくや・-)
 男/19歳/大学生・雑誌モデル

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ※表記は発注の順番になってます

 ※今回のライター通信相当記載予定→http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=162