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<白銀の姫・PCクエストノベル>


交錯する思惑〜Tir-na-nog Simulator

■オープニング

 …アンティークショップ・レンに足を踏み入れた途端、遠山重史の携帯に電話が掛かってきた。
 着信番号は誰かと思えば水原新一。『白銀の姫』の事件に関し動く為、ここのところいつもこもっていた高等部PCルームの一つから、現実世界に於けるファナティックドルイドの被召喚体の一つであるとも確認されているダリアなる少年に、あまり穏便では無いだろう方法で連れ去られ行方不明になっている――そう聞いていたところでの攫われた当人の番号からの電話に、遠山はカウンター正面に居た碧摩蓮へ思わず目を遣った。蓮の方でも遠山のその只ならない様子にすぐ気付き、何事か察する。遠山の顔をちらりと見、出なとばかりに顎をしゃくって見せた。それに頷き返し、遠山は電話に出る。
 と、気負った割に相手はあっさり水原当人。それを認めるなりどうしたんですかと安堵混じりに遠山。と、怪我の功名で黒幕が読めた、とこれまたあっさり水原。…こちらの警告メールも役に立ったんですかと遠山は聞いてみる。関係する当人同士――知る者以外が見ても意味がわからない形に敢えて作り、転送する事を望まれた警告メール――経由点になった遠山は知らないがそれは今回の件、『白銀の姫』で起こされている事件の黒幕に関する話にもなり。が――水原はそれは知らない、多分それが届いたのは僕がPCルームから離れた後だったんだと思う、と続ける。でも予想は付くよ、『Cynical Hermit』だよね? と水原はまたあっさり。ひょっとして水原さん千里眼でも持ってませんかと複雑そうに遠山。偶然だよと水原は苦笑しながら返している。

 …水原が電話を掛けて来た用件は自分が無事である報告ともう一つ、『Tir-na-nog Simulator』自体の管理運用責任者である電子工学科助教授本宮秀隆について。…根拠が無いながらも自分が彼を警戒していた理由。それはネットを介してのみよく知っている相手だったから。表の顔とネットでの裏の顔が、端々を見ればそれなりに共通点はあるのだが――簡単には見抜けない程、印象が違っていたから。だからこれまで自分のよく知るハッカーと、この本宮が同一人物だと気付けなかった。
 本宮のネット内での裏の顔は、二十年以上も前から世界的に鳴らしている伝説的ハッカー。それも、これまで正体を看破された事が一切無く、その仕業の性質の悪さでも知られている存在。
 今回の『白銀の姫』に関する事件は少なからずこの本宮が裏で糸を引いている可能性が高い旨水原は遠山に告げている。そしてこの男が絡んでいる時点で行動には細心にして最大の注意を払う必要があるとも。
 …但し、注意が必要だと言ってもこの本宮と言う男の場合は、注意すべき方向が常識的に想像出来る範囲内とも限らない。だから、今後は少し方針を変える。もし何か動く必要が出てきたら、まず僕の携帯に連絡を付けて欲しい。ジャミングとかの擬装はもうどうでも良いからなるべく迅速に。…僕なら奴のしそうな事はある程度わかるから。だから、判断に困るような事が出てきたら――特に『Cernunnos』とか『Cynical Hermit』つまり本宮が使う名前が絡んでくるような事があったら、絶対僕、水原新一に一度聞いてくれ。
 僕はこれからは『Tir-na-nog Simulator』の方に居るから。アリア嬢と有志の皆さん、それと元プロジェクトメンバーの皆さんやらIO2の皆さん総出で『白銀の姫』のソースコード調べ直す。…奴なら目立つような触り方は何もしちゃいないだろうが念の為ね。ちなみに奴――本宮当人は僕らが来る前に何か用があるってここからふらっと出て行ったらしいんだけど、それっきり戻って来ていない。…この状況でこれだけ長い時間空けるとなると、多分奴はもうここに戻って来る気は無い。今何処に居るかわからないから、その件も頭に入れといて。
 ただね、僕をPCルームから連れ出したダリア君が、その本宮を捜しに出てる。…彼はどうやらあの本宮にどうしても会いたいらしくてね。彼がしそうな事を考える限り止めるべきだとは思ったんだけど、無理だった。
 あ、それから例のアリア嬢が出て来た創造主様の遺品なノートPCだけど、今は僕の手許にあるからそこは心配しないでくれていい。ダリア君がこのノートPCで知りたかった用は済んだらしいから。それから、『Tir-na-nog Simulator』の側にこれを持って来ても特に今のところ変化は無い。
 何にしても、取り敢えず――何か変わった事が起きたらすぐに連絡して欲しい。…碧摩さんのところに向かうと言っていたよね――ああもう着いてるか、だったら今遠山君の居るそっちは他とも繋ぎは取り易い状況の筈だよね。この件、僕らと伝手付けてる皆に回して欲しい。『Tir-na-nog Simulator』の責任者、助教授の本宮秀隆に気を付けろって――何か気になる事が出来たら僕の携帯に連絡をって。
 そこまで残し、水原は通話を切る。続け、遠山も通話を切った。
 が。
 途端、遠山の所持していたノートPCからメールの着信を知らせる音が鳴る。何事か。慌てて遠山はノートPCを取り出し、開く。カウンターの上に置く。着信したメールの送信者は…『Aqua』。
 …『Aqua』とは、水原新一が通常使用しているハンドルネーム。
 即ち、たった今電話していた当の相手。そしてアドレスも、彼の持つPCメールアドレスの内一つ。そしてタイトルは――≪"Cynical Hermit"の件で、緊急≫
「…?」
 緊急ならば電話を掛け直せば良いタイミングの筈。そしてその方が余程自然だ。
 思いながらも無視は出来ない。
 開く。

 と。

 ――初めまして『Ice』。これが一番早いだろうと思ったから敢えて人様の名前で送らせてもらったよ。僕は『Cernunnos』。君にも是非協力を頼みたい事が出来てね。
 僕と関り無かったとは言え、どうせ『Cynical Hermit』の身内なんだろ? 人を集めて欲しい――僕のところか、『Tir-na-nog Simulator』のところ。このメールを見れば僕の今居る位置はわかるよね? …君が『Cynical Hermit』に転送したメールが見れるその場所だ。

 …元々、水原の居た高等部PCルームの一つ。『Cernunnos』は――本宮秀隆は、そこに居ると言っている。

 ――僕が君を通して皆に頼みたいのは、察していると思うけど『白銀の姫』の事。クロウ・クルーハ――黒崎君に創造主を殺させない為に動く事と、創造主当人にプログラムの修復をさせる事。その協力を是非お願いしたいんだ。…特に創造主殺しの方は、黒崎君当人の為にも――是が非でも止めさせなくちゃならない。
 そうそう、前提を話すのを忘れていた。意外かも知れないけど創造主は現実世界では死んでても実はアスガルドの中で魂だけの状態で存在してる。だから、具体的に頼みたい事は――創造主こと浅葱君はアヴァロンの王墓で寝こけてるだけと思うからそれを叩き起こして欲しいと言うのが一点、それで叩き起こしたら繋ぎを付ける為『Tir-na-nog Simulator』の方にも予め状況わかってる人を置いて欲しいと言うのが一点。外と中の中継は僕でも出来るからそこは人置かなくても置いてもどちらでも良い。…僕が信用できるかどうかで考えてくれれば。
 それから、創造主殺しを望む黒崎君を何とか止めて欲しい、と言う方だけど――こちらに関しては僕に出来る事はかなり少なくなる。一応の助力として、邪竜が話を聞き入れ易い邪竜の巫女に極力近付けた設定にさせてもらった冒険者が送り込んである程度でね。…ユーザー登録名は真咲誠名って言うらしいんだけど、そっちの子と合流してもらえれば少しはやり易くなるかも、って程度の話でそれ以上は全面的にお任せするしかなくなるんだよ。でも君たちが『Cynical Hermit』の身内になるなら、今の僕とも取り敢えず利害関係は一致する事になる。だったらどうか協力して欲しい。
 アヴァロンに向かう方法については、今までアスガルドに行った事が無いような人でも心配しなくて良い。僕はアスガルドには開発者権限でログインできるから、入ってすぐのジャンゴから直通でアヴァロンの王墓まで飛ばす術はあるし、元々のゲームシステムの範囲内だったら裏技的に装備の強化も可能だ。…ただ、異界化してる今の状況でそれが何処まで通用するかは別の話になるけどね。

「――水原さんに」
 連絡。
 と、遠山が一度閉じた携帯電話を開き直すが――そこで。
「…ちょっと待ちな」
 ぼそりと呟き、遠山の見ているメール文面を横から覗き込んでいた蓮がその次に当たる文字列を指す。

 ――当然この事、『Cynical Hermit』に、いや『Aqua』に知らせても僕は全然構わない。
 むしろそうして欲しいと思ってる。

「――」
「…水原の旦那が散々警戒してた理由が良くわかるよ」
 こんなメール見ちまえばね。…溜息混じりに呟き、蓮は煙管を持った手で自分の額をこつり。

 ………………見事にこちらの先回りしてるじゃないか、この本宮って男。


■連絡

 神聖都学園大学部電子工学科研究棟倉庫の一つ。『Tir-na-nog Simulator』が置かれたその場に居る面子は幾らか変わっていた――そして増えていた。本宮秀隆の不在に入れ替わるように現れたのが水原新一、玖渚士狼、朔夜・ラインフォードの三人。そして元プロジェクトメンバーの中から院生の女性が一人――信用どころか逆に一番疑わしい存在となった『Tir-na-nog Simulator』管理運用責任者の本宮と、既に死亡している『白銀の姫』メインプログラマー浅葱孝太郎の次席、三番手に当たる人間――が新たな責任者として呼び出されている。更にIO2からも戦闘要員ばかりではなく、機械・コンピュータ専門と思しき精鋭が追加されてもいた――つまりはその人員を呼ぶ為に責任者代理が早急に必要になったとも言い換えられる訳なのだが。
 元々その場に居たアリアは、本宮への疑いが出て来た事にまたショックを受けている模様。…それは確かに創造主と間違えた――それも厳密には間違いとも言い切れないらしい相手であるなどと知ってしまってはショックも受けるだろう。自分のしている事の意味から混乱してしまい兼ねない。…創造主当人では無くとも、創造主が信頼していた、創造主ととても近しい位置に居たと思しき人間がそんな行動を取っていたのなら――創造主自身も世界が壊れる事を望んでいた可能性すら思い至ってしまう。
 そんなアリアを宥め見守りながらも、集まった一同総出で『Tir-na-nog Simulator』に載っている『白銀の姫』ソースコードへの再度の解析調査が始められている。本宮がソースコードをいじくっている可能性――それを水原が言い出してから――本来、大学やIO2の側がこんなぱっと出の人間の唐突な言葉をいきなり全面的に信用する事もないのだろうが、同校高等部臨時教師であり素性がはっきりしている事、そして元々『白銀の姫』の件で大学部にも出入りし動いていた玖渚士狼から、今までずっと外部で事件解決の助力をしていた人だとの口添えもあった為――何より殆ど臨戦状態な実働部隊のIO2トップエージェント二人に対していてさえ有無を言わさぬ本気さが見えた為、元々研究棟倉庫に居た面子も改めて水原の話を聞く必要を認めていた。
 その結果――水原の言う通り異界化前の元々のソースコードと現時点でのソースコードに人為的な改変が無かったかどうか調査の必要があると判断され、更には『助教授』としてではなく『ハッカー』としての本宮の行動が一番読めるだろう人間として、水原はその場でアドバイザー的役割を振られる事になっている。…ハッカーとしての本宮は一般のネット裏社会では伝説的ではあったが、怪奇系の事件に関るような事は今までに一切無かった為――IO2側でもその通り名の幾つかに覚えがある程度、二十年来暗躍しているそんなハッカーが居るらしいと言う程度の情報しかすぐには出て来なかった。…法を犯す者とは言え、殆ど無関係な世界の相手でもあった為にそれ程注視して来てはいない。無論、本宮の名と繋げて考えてもいなかった。
 一方、元プロジェクトメンバーの方はと言うと――そのハッカーの存在を当然のように知っており功罪ともあれ畏敬の念すら抱いてはいたらしい。ただやはりこちらも――それが本宮であるとは綺麗さっぱり誰も気付いていなかった。そのせいもあり、急遽責任者代理として来た院生を含め、アリアに続きショックを受け驚いている面子が続発している。
 と、唐突な方向転換がありながらも再び動き出した研究棟倉庫――『Tir-na-nog Simulator』側だが、プログラム言語を識る皆で手分けしてソースコードを調べ直しているそんな中で――水原の携帯に電話が掛かって来た。この場には精密電子機器が多々放り込んである事は承知だが――現時点では連絡が取れなくなる事の方が問題であり、更にはIO2が持ち込んだ機械の計測によれば携帯電話の電波程度では現在の『Tir-na-nog Simulator』へは到底影響の与えようが無い事が判明した為――結果、携帯電話の使用も特にお咎め無しになっている。
 水原に掛かってきた番号は――遠山重史のもの。水原が先程自らの無事&本宮への注意を促す為話したばかりの相手。学校では教え子であり、ハッカーとしては弟子のような相手でもある。何事か。もう何かあったのか――思いながら出たら、その理由は即座にわかった。
 …通話の最中、水原は殆ど相槌ばかりで具体的な言葉は何も話さず…それどころかどんどん言葉少なになって行く。表情も厳しくなって行くように見えたのは気のせいだったか。わかった、それは素直に取っていいと思う、こちらからまた連絡入れるとだけ言い置き、水原は通話を切っていた。
 そして端末のキーを叩く手を止め暫し黙って携帯を見ていたかと思うと、溜息。
「どうしました?」
 小首を傾げつつ、軽くそちらへ声を掛ける朔夜。責任者代理として引っ張り出された院生のお姉さん&自らのツレでもある士狼の後ろで、彼らのしている事――つまり『白銀の姫』プログラムの解析、調べ直しなのだが――をのんびり見ていたのだが、水原の様子が電話の最中いきなり変わった事に速攻で気が付いて一応そちらの様子も伺っている。IO2実働部隊なエージェントの一人――鬼鮫もその様子に薄々気付いているようだったが、面倒だと思ったか特に何も言って来ない。で、もう一人ことヴィルトカッツェの方は、現在倉庫の外、廊下側で別のエージェントたちへと指示を出す為外しているところ。…この場に居ない。
 水原は朔夜の声に、ちょっとね、と軽く返しながら――何故か使用していた端末から離れ朔夜の方に近付いて来る。否、正確には――朔夜ではなく責任者代理のお姉さんの方に用があったらしく、すぐ側まで来て内緒話でもするように小さな声で話しかけていた。
「…つかぬ事を伺いますが、開発者権限でのログインって貴方でも出来ますか?」
「これに、って事ですよね?」
 今プログラムソースを調べ直しているゲーム、『白銀の姫』。
「ええ」
「…出来る筈です。…さすがに今のこんな状況になってから試した事は無いですが…元プロジェクトメンバーなら皆、保守点検とユーザーリサーチの為に必要なので開発者権限…と言うか管理者権限は持ってますから」
「…もう一つ伺います。異界化と言う…こう言った現象について貴方はどう思います?」
「え? …どう思うって…こんなの、目の前になければ信じられませんよ絶対。それも本宮さんが絡んでる疑いあるって…あの人が『Puppeteer』だったなんて…! 光栄だと思ったらいいのか騙されたと思ったらいいのかすら迷いますって!」
「…わかりました。手を止めさせてしまってすみません。有難う御座いました」
 と、そこまでで話を切り上げた水原を、場所の近さ故に聞こえてしまった士狼はちらりと、朔夜は興味深げに見、再度話し掛けようとする――が、そのタイミングで今度は朔夜の携帯が鳴り出した。
 番号は――。
「…あ、綾和泉さん」
 思わず呟きつつも軽やかに出、通話開始。
「はい朔夜・ラインフォード君でーっす。お姉様からお電話頂けるなんて光栄至極♪ …って、あ、居ますよこちらに。はい。ひとまず無事です。んで今『Tir-na-nog Simulator』の方に来てます。はいはい。ああ…そりゃまた。となると代わった方がいいんでしょうかねぇ? ――や、声聞けなくなるのが惜しいかなーと。…うわそんな軽く躱して下さいますか。…はい。わっかりました、了解です♪」
 ではお名残惜しいですがそんな事情でしたら時間も惜しいので、と思いの外早めに通話を切り、朔夜は軽く肩を竦める。そしてさりげなく士狼の操る端末の画面を覗き込んでいた。…特に不自然な行動はない。
 と、士狼がちらりと朔夜を振り向いた。朔夜はその士狼を当然のように見返す。…何かを考えている目を士狼に見せる。士狼も士狼で朔夜のその反応に何かを察したか、無言のまますぐに画面へ向き直った。再びキーを叩き、ソースコード解析を再開。それを見てから、朔夜はつい今何か思い付きました、とばかりにぽむ、と両手を合わせる。そしてまだ自分の使用していた端末に戻らず、何か考え込んだままでいた水原を小さく手招き。
「水原さん水原さん水原さん」
「ん?」
「ちょっと気になったんだけど、『水原さんが知ってる』本宮さんってどーいう人っすか?」
「…疫病神、唯我独尊、性悪」
「うわあっさり」
「あれ絡みでいい思いした事なんか一度も無いからね。五年前なんかいい玩具にされてたし」
「水原さんで、っすか」
 …それだけの能力があって。
「うん。まず年季違い過ぎ。元の出来も違うしね。唯一こちらの正体がバレてない事だけが強みだったんだけど…多分もう時間の問題だろうからそのアドバンテージも消えたと考えるべきだし。いや、ひょっとするとここから奴が消えた時点で既に僕の正体掴まれてたのかも知れないし。…僕の方が気付いてるくらいなんだから向こうが気付かないで終わる訳がないからね」
「…聞いてて思うんですけど何だか水原さんとは因縁の相手、って感じっすよね?」
「うわー…それ凄く嫌だ…でも敢えて言うならその通りなんだよね。心情では絶対認めたくないけど」
 確かにあんまり『Cernunnos』に遊ばれた一個人って聞いた事無いし。奴は財界政界、国内どころか他国の軍情報部まであっちゃこっちゃ年中引っ掻き回しちゃいたらしいんだけどね…。本当に悪戯の対象がいちいちデカいのが常の筈なのに何でまたわざわざ僕のところになんぞ来たんだか。
 心底嫌そうに眉を顰めながら呟く水原。そんな朔夜と水原の話を聞きながら、今度は士狼が口を挟んで来る。…端末に向かい、振り返らないまま。
「『Cernunnos』や『Cynical Hermit』名での記憶は無かったが…『Puppeteer』の名でなら…俺も聞いた事はあった」
 …俺はネット内で実際に遭った事は無かったが――そのハッカーなら伝説も伝説、その筋では殆ど神格化されてるに等しいぞ。あっさりそうまで言ってのける士狼に続き、責任者代理のお姉さんも思いっ切り肯定。
「そうそう。そうなのよ。…って水原先生、一つでもあの『Puppeteer』に勝ってるスキルがあるってマジですか。それって本気で凄いんですけど」
「…勝ってるのは単に奴より臆病者って事だけですよ」
 あっさり返された苦笑混じりの科白に、責任者代理のお姉さんはきょとんとした。隠れる技が優れていると言う事は、誰からも見られたくないと言う事、誰にも知られたくないと言う事。正体を隠して逃げ切る為だけのスキルに秀でているのは、つまりは臆病者故だと言う事だったのだが…彼女には意味がよくわからなかったらしい。
 と、そのタイミングで――朔夜がそのお姉さんの肩をぽむと叩いて、まま、お気になさらず続けて続けてと微笑み掛け。ついでにさりげなく水原に近付き、他へは聞こえないように耳打ちした。
「今綾和泉さんトコに本宮さん居るそーです」
「て言うと僕の居たPCルームだね」
「…知ってたんすか」
「いや、今の電話で遠山君とこに奴から僕の名義とアドレスでメールが来たって聞いた」
 今現在速攻でそれが出来るのは僕が元々居たPCルームからだけだから。
 で、奴が外部の人間――僕が連絡取り合ってる誰かに中に行ってやって欲しい事があるって依頼して来たらしい。
「…それって黒崎君から創造主様を護る&創造主様当人にプログラム直させる…の二点の事で?」
「言ってた?」
 綾和泉さんも。
「ええ。綾和泉さん凄く警戒ばりばりで臨戦態勢って感じでした」
 本宮には何も手を出させる気はないから、よかったらこちらに合流してくれるか――もしくはそちらからもアスガルドに行ってくれないか、って。
 だから今本宮さんについて訊いてみたんすけどね。水原さんも散々言ってるし、綾和泉さんまでもそこまで警戒するような人、となると気にもなりますし。
「今僕がこの彼女に開発者権限でのログイン可能か訊いたのもそれが理由」
 出来そうならそれで誰か――よければラインフォード君に行って欲しいとも思ったからさ。でも彼女ら他の元プロジェクトメンバーの権限借りて使うにしろ――異界の要素を理解出来る素地が全然無いみたいだから取り込まれて戻れなくなる可能性は否定できない。だから避けた方が無難なんだよね。…奴の使えるだろう機能限界くらいはこちらも手の内にあった方が良いから考えてはみたんだけど。…今はそれを解析してデータ改造してる暇も無いし。
 だからってこの件、アリア嬢に頼むのも気が引ける。そっちは最後の手段だって思ってるんだけど…。
「…確かに。でも大丈夫っすよ。向こうではログインからして本宮さんの力借りる気ないそうなんで。移動にもエマさんのアイテムの力使えば何とかなりそうだって話で」
「エマさん居るんだ」
「後、セレスさんが一旦屋敷に戻ってから合流するそうで」
 なので少しは時間の猶予があると。
「…じゃあ、行ってみてくれる?」
 ラインフォード君も。
「…んじゃ、士狼君も連行しましょうか」
「頼むよ」
「お任せあれ☆」
 どうせここに居ても結局プログラムのイロハもわからん暇人。後ろから士狼君やお姉様たちの操る画面を見てるだけ。…なら直接アスガルドに行った方が――色々とお役に立てると思うし?
 にやりと笑い、朔夜は頷く。そして水原から離れると――とんとん、と端末に向かう士狼の肩を叩き、また耳打ち。暫しそのままで聞いていたかと思うと、士狼は重々しく頷いた。…朔夜の話を呑む事にしたらしい。
 その姿を見てから、水原はまた沈思する。…この場合――本宮側からこう出て来られるのなら、いっそ任せてしまった方が楽だとは思う。思うが――綾和泉さんのその気持ちも凄くよくわかる。あれの本性を見れば、例えこちらの益になる事を提案されようとそもそも何一つ手を出させたくなくなるものだから。
 …嘆息しつつ暫し黙り込んだかと思うと、水原はちらりと責任者代理のお姉さんを見た。…こちらの小声での話には気付いていない様子。
 と、それはともあれ――さすがに、そろそろ限界と言うか何と言うか。
「あの」
「はい?」
「…禁煙なのはわかってますが、煙草喫わせてもらってもいいですか」
 半ば自棄気味に――それも唐突に発されたその言葉に、また責任者代理のお姉さんはきょとんとしている。


■合流

 …兵装都市ジャンゴ。
 その城門内側でシュライン・エマは人待ち風に佇んでいた。客観的に見える通りに人を待っている――待ち合わせ。ただ、草間武彦と真咲誠名の二人については――今回は、ジャンゴで待ち合わせてはいない。他の面子を待っている。
 シュラインはプレイヤーとしてエヴォリューション化してから、以前までと比べ各段に機動力が増した上に能力としての安全性も増した為、現実世界へ戻る時等、単独行動を取る事もまた増えている。…そして今回もそれだった。そこで――現実世界にて本宮の話を聞く羽目になっている。
 と。
 目の前に――綾和泉汐耶が現れた。
 …現実世界に残ると言っていた相手である。
「?」
 シュラインは思わずきょとん。
「…まだ何方とも合流してませんね。間に合いましたか」
「…どうしたの汐耶さん」
「朔夜君と玖渚君が水原さんの方から合流するのでお知らせに来ました」
「! 水原さん――無事だったの」
「ええ。今『Tir-na-nog Simulator』の方に居ると。ダリアとは別れたらしいです。…ダリアはどうも本宮助教授を捜している節があるようで…連れ回す意味が無くなったところで水原さんは放り出されたとか。…経過としてはダリアが水原さんの持つ情報を引き出している最中、本宮助教授に興味を持ったらしくて――どうも彼と繋ぎを取る為に水原さんは連れ回されていたんだそうですよ」
「…それって」
「実際に遭ってはいないそうです。ですがダリアの方は――今現在、行方が知れないと」
 なので現実世界の方でも余計に放り出せない状況なのはわかってますので、すぐ戻るつもりなんですけれど。
「…ただ、水原さんが気になるメールを送ってきまして」
 シュラインさんのアスガルドでの能力の事も水原さんには伝えてありますし、朔夜君と玖渚君もそのつもりではあるんです。あるんですが――それでも、水原さんは本宮助教授の開発者権限の能力を借りた方が時間的には早いと敢えてこちらにメールで伝えて来たんです。それも、開発者権限でのログインの機能限界を詳細に書いて知らせまでして。
「ですから…ひょっとするとこのメールには何か別の意図があるのかとも思いまして。で、朔夜君と玖渚君の二人に連絡付けるにはアヴァロンに向かう前でないとできないと思ったので――水原さんと連絡取るよりこちらに先回りする事にしたんです」
 彼らを捕まえるにはその方が確実に思えたので。
「…そう。じゃあ、水原さんも本宮氏も…もう両方で正体が割れてるって事なのね」
「水原さん自分でバラしてましたよ。今言ったメールの中で」
「…本当に大丈夫なのかしら。まぁ、それは御本人の判断なんだから私がどうこう言う事ではないとして…そのメールは…こちらで、アスガルドで急がなきゃならない何かが起こってるって事なのかしらね。それが何らかの方法で外からわかったのか…って言っても、急がなきゃならなくなりそうな心当たりは山積みだからどれが来たとしても悪い知らせになりそうだけど」
 眉を顰めつつ、シュライン。
 それに頷きながらも、汐耶はまた口を開いた。
「…もしくは何か内密の用があるって可能性も考えてみたんです。多分、こちらの動きの直接のモニターはそう簡単に出来ない筈ですから。本宮助教授が言ってたクロウ・クルーハと黒崎君が融合した際の演算処理過程を直接見てたって話も…そんな事、『Tir-na-nog Simulator』本体からでもないと、それもプログラムとして書いてある意味が直接理解出来るような人間でないと無理だと思えますし」
 なら今は、一番警戒すべき本宮はコンピュータから隔離状態に置いてある上、『Tir-na-nog Simulator』の方には水原が居る――中の方がまだ機密性は守られる。
 と。
 そこで、セレスティ・カーニンガムの姿が現れた。来るなり、お待たせ致しました、と優雅に御挨拶。そしてすぐに汐耶を見た。
「…ところで…汐耶嬢も気が変わられてこちらに?」
「いえ、私は朔夜君と玖渚君が水原さんの方から合流するって話を知らせに来たんです」
「ああ、それなら水原さんから私も聞いていましたよ。…入れ違いでしたね」
「…それと、既に話が付いているのに、改めて水原さんから本宮助教授の助力を受ける事を勧めるメールが届いたんです。それに何か別の意図も感じたので、向こうから直接来る朔夜君たち二人と会ってみようと思い…ログインしたと言う理由もあるんですが」
「そうでしたか。…あ、いらっしゃったようですよ」
 セレスティがそう言うなり、二人の姿が現れる。朔夜・ラインフォードに玖渚士狼。
「あ、やっぱり綾和泉さん来てましたか」
 にこりと微笑みつつ、エマさんも、セレスさんもと朔夜は順繰りに御挨拶。士狼も続けて無言で目礼。そんな姿に、まず汐耶が声を掛ける。
「やっぱりそう言う意味だった?」
 中に来い、と。
「はい。…水原さんが綾和泉さんならこうするだろうってって踏んだみたいですがその通りですね」
 幾ら急ぐって言っても綾和泉さん、本宮さん押さえたまんま奴の行動許す気ないだろうから…なら今はイオ君も奴と同席している事だし、直接中に呼んだ方が――中で連絡取ってみた方が奴に対して隠し事するには適してるって。中での会話ログは念の為後で消すからとも言ってました。
「…てな訳で、何だかんだと示し合わせておきたい事はありますが取り敢えず時間が惜しいので――水原さんの方から託されました緊急の情報から行きます」
「不正終了の引き金になるジャンゴ襲撃でしょうか」
 緊急に知らせる必要がある――とは言えこちらの目的も元々急ぐつもりで来ている以上今更改めて急ぎと言い出す必要も無い――ならばこちらが目的としてログインした件とは別になるでしょう。そう思い、セレスティは朔夜を見た。と、即、朔夜はセレスティを見返し、こくり。
「はい、ジャンゴ危ないらしいです」
「…もう」
 言葉少なに、シュライン。…それはいつか来る事と知ってはいたが――ここで周辺の人間を見ているに、まだそれ程切羽詰まった様子には見えない。まだ幾らかは時間があると思っていたのだが。
「えー、曰くクロウ・クルーハ――ってこれは黒崎君の方じゃなくて今現在各所で実際に暴れてる邪竜の方ですが――のジャンゴ侵攻時に使用する固定された最終進路に入ったみたいだって、『Tir-na-nog Simulator』の元プロジェクトメンバーだった人が気付きました」
 アスガルドの中から見るとまだ時間的な余裕ありますけど、外で演算処理過程見てる分にはここから先のイベントは加速していくだけだったと思うから一応の警戒は始めた方がいいって話で。…それだけならそんなに緊急でも無いんですがね、その上に水原さん曰く――異界化している中で、『Tir-na-nog Simulator』のシステム根幹プログラムが直接動かしてるらしい邪竜の巫女ゼルバーンが、わざわざ不正終了を起こしたがっている以上――元々のイベントからして加速し易いレールに乗ったなら、その加速度が本来より各段に上がる可能性も考えておいた方が良いって事らしいんですよ。だから緊急の情報なんです。
「…それと中ボスクラスのモンスターがイベント無視して妙な位置に集中し出してるらしくて」
 朔夜は続けてまた別の情報を明かしてくる。
 シュラインの顔色が変わった。
「位置わかる!?」
 即座に鋭い声で促しつつ、ざっとシュラインはアスガルドの世界地図を出して広げた。…中ボスクラスのモンスターが移動、話による黒崎の目的。そして自分の知っている黒崎の態度。そうなって来ると――アヴァロン上陸後に袂を分かってしまった黒崎の居場所はそこになるのかもしれない。と、今度は朔夜ではなく士狼の方が手を伸ばし、地図上の一点を指差すと小さく円を描いた。
「座標の数値からして――計算するとそいつらが向かっている先はこの辺りと予測できる。数値を見てから今は…もうある程度時間が経っている以上、はっきりとは言い切れないが」
「! そこは――」
 アヴァロン島の範囲とも、湖に入るとも付かない未だ見ぬ場所。…但し、アスガルドの世界地図上で見るならばアヴァロン島に上陸した武彦らの居場所とごく近い事だけは確かで。…それは――武彦らと別れた黒崎が普通に歩いて移動しているのなら、ちょうどそのくらい離れていて然るべき位置とも言えそうで。
「本当に急ぐ必要が出て来たようですね」
 ぽつりと告げる、セレスティ。…彼もまたその事は承知している、察している。
 皆も頷いた。
 と。
 そんな中…ふと目に入る。
 城壁沿い、視界の隅にアイテムボックス。
 …元々、そんな場所にそんな物があるものなのか。
 変である。
 唐突にすぐ側にあった怪しげな箱の存在を認めるなり皆が一瞬停止する中、無言で士狼がその箱にすたすたと歩み寄る。そしてかちゃりと己が得物の刀を抜き放ち、何かあれば抜き身のその刀をすぐさま振るえる形に持ったまま――あっさりぱかりと開けてみた。
「…」
 そのまま士狼は停止。
 今度は、先程停止していた皆の方が動き出す。
「ちょっと玖渚君大丈夫!?」
「罠ですか!?」
「…どーしたの士狼君?」
 それぞれ士狼に声を掛けながら、皆も駆け寄りひょこりと箱の中を見ると――上品に髭を生やした渋い顔立ちに、ただそれだけは子供のような――わくわくと何かを期待しているような青い瞳が見えた。
 箱の中には――風体だけはばりっと決まっているカウボーイのような、だが妙に和み系のおっさんがちんまりと座り込み入っていた。
「…」
 皆もまた無言。そして停止。
 そんな様子を見、箱に入っていた和み系カウボーイなおっさんは何か訴えるように箱を開けた面子を見上げている。
 こちらも無言。…そのままで暫し視線がぶつかり合う。
 やがて。
「…何かと思えば…シオンさんじゃないですか」
 がくりと脱力するシュライン。
 と。
「は、はい…箱を開けて下さって…声を掛けて下さって有難う御座います…! 感激ですおはし使いのシオン・レ・ハイで御座いますっ!!!」
 言葉通り感激したように箱から飛びでて来、シオンはまず士狼の手を取りぶんぶんと勝手に握手。次にシュラインの手を取りこちらにも握手。ついでに箱を開けても声も掛けていない、ただそこに居た方々にもひとりひとり握手を求め出す。
「…取り敢えず、罠ではなくてよかったですが」
 小さく息を吐きつつ、苦笑混じりにセレスティ。
「本当に…もう、中身がシオンさんだったからよかったものの…いきなり開けたら危ないでしょう…」
 こちらもセレスティ同様、安堵の息を吐きつつ士狼を見るシュライン。
「だからこそ中身を早急に確認すべきだと思った」
 無表情なままあっさり言ってのける士狼。
「や、それもそーだけど…今こんな事で時間潰してる余裕はあるんでしょーか?」
 そんな士狼を見、軽く突っ込んでみる朔夜。
「無いわね」
 さくりと同意する汐耶。そうそう、と朔夜も頷いた。
「…んじゃそこの面白そうなシブいおっさんはひとまず置いといて、綾和泉さんへお伝えしておくべき事の残りを取り敢えず先に行きます」
「ってあああそんな、私を無視するのですかっ、折角出て来たと言うのにっ、私も是非一緒にお話伺いたいのですが…っ!」
「…。えー、まぁ先程言ったようにそんな訳で水原さん、本宮さんにはせめて中での経過を極力知らせない方向で行きたいようなんすよ。それから、コンピュータに触れてなくとも口の方で――言葉や態度で、情報の出し方隠し方で色々こちらの行動を操って来たりミスリードされる事が有り得るから…そちらの意味での警戒も怠らない方が良いそうです」
「了解。…仕事の方でも似たような申請者が居た事あったからある程度慣れてるつもりだったんだけど…どうもあの男はかなり上手みたいだって思ってたところなの。幾らやっても全然ペースが崩れてくれない」
 でもそちらも向こうの得意分野なんだったらそれも当然か。…なら、また方法を変える必要がある。
「で、修正プログラム創造主さんにお願いできたら、そして現実世界に持ってくる必要があるならその為のログアウトは俺か士狼か…とにかく俺たちの方でやりますからそちらには出て行かない事にしたいと。こっちは『Tir-na-nog Simulator』のすぐ側に置いた端末から来てますんで修正プログラムも一番タイムラグなく持って行けますから」
「確かにその方が良いわね」
 それに、そうした方があの助教授の裏をかける事にもなるかもしれないし。
「それからも一つ重要な件。本宮さんが今そちらにいる事はIO2や『Tir-na-nog Simulator』側の面子には言わないで隠し通して欲しいと」
「…え?」
「…いえね、本宮さんをIO2の皆さんに引き渡したら、それで安心出来るどころか彼に操られる手駒が増えるだけになる可能性の方が高いそうです。彼は組織を相手にするのは慣れてるから、との事で。だからできればイオ君と綾和泉さんの方で止めといて欲しいそうで。その方がまだ本宮さんの手足を封じられる、と」
「…そう来る訳ね」
 はぁ、と汐耶は嘆息。すいません嫌な連絡で、と朔夜も苦笑。
「…ま、綾和泉さんの方にお伝えしておくべき事はそんなところです。後エマさんセレスさんにお伝えしなきゃならない事の方は――これから道々って事で」
「わかりました。それに――話すなら草間さんや誠名さんとも合流してからの方がいいかもしれませんしね」
「そうね。じゃこれから、武彦さんのところまで道を開くから」
 そう言いながらシュラインはその場で屈み、片膝を突く。自らの花飾りから伸びる蔓草の一本を地面に突き刺し――静波号と一声。



 それで、殆ど時差無くシュラインの持つアイテムの力で草間武彦らの待つアヴァロン島へと道が開かれる。この力を使うと一度行った場所になら、殆ど瞬間移動に等しい行動が取れる。
 …ジャンゴ時点で汐耶とは別れている。シュライン、セレスティ、朔夜、士狼、そしてどさくさに紛れて同行のシオンの五人がアヴァロン島のパーティへと合流した。
 アヴァロン島の側に居るのは草間武彦に真咲誠名。それと黒崎が攫う形で連れて来ていた女神ネヴァンに…湖の手前でネヴァン奪還の為彼らのパーティに追い着いていた瀬名雫。
 …黒崎潤は、居ない。
 彼は――アヴァロン島に上陸してから、姿を消した。…それ以前からも様子は何処かおかしく、アヴァロンへ通じる道を守るダム・ド・ラックに邪悪なものと判断され、それでもネヴァンのとりなし――と言うより殆どネヴァンを利用した黒崎の恐喝にも近い状態でやり過ごしたその後から、一行が同じパーティとして共に居る事が不自然であるような状態にまでなっていた。湖手前で合流した雫の、黒崎に対する毛を逆立てた猫のような最大級の警戒振りもそんな空気になった大きな理由だったかもしれない。けれど雫のそれも一度その相手に斬られた身、目の前で女神を攫われた勇者にすれば当然の話で。邪竜の巫女に近しい性質の誠名が居た事と――場所が湖を渡る船一隻の中であったからこそ仕方無く共に居たような、そんな風があった。
 そしてその予想通り、アヴァロン島に上陸後、黒崎は姿を消している。同行していたパーティ――その時はまだシュラインもセレスティも同行していたのだが――の皆は彼の存在を捜したり、アヴァロンでの外界へ通じる道を捜したりと色々動いていたが――やがてシュラインが自らの花飾りの色合いが変わって来ている事――現実世界の時間に準じて色が変化するので――に気付き、彼女とセレスティは現実世界へ一時帰還する事にした。
 なのでそれ以後の事は、シュラインもセレスティも、知らない。
 武彦曰く、現実世界に戻っていた二人の居る時と行動自体は同じ。ただ、別れて行動する中、誠名が城を思わせる石造りの建物を見付けたと言う。で、ネヴァン曰く誠名の見付けたその城はアーサー王の墳墓だ、との事。…但し、事前にそう設定されていただけで、イベントらしいイベントはまだ何も設定されていない場所だと言う。
「…そこだわ」
 シュラインが呟く。続けてセレスティも頷いた。
「ですね。…本宮氏は明確に彼の事をアーサー王と見立てていました」
「? …現実の方で何か掴んできたのか?」
 武彦に問われ、改めて現実世界から合流したシュライン、セレスティ、朔夜、士狼の四人は向こうで得た情報を話し出す。…創造主である浅葱を黒崎に殺させない事、そして浅葱にプログラムの修復をさせる事が急務だと言う事。黒崎とクロウ・クルーハが融合して同一存在になっている事。ジャンゴ襲撃が早まる可能性がある事。ここのすぐ側で中ボスクラスのモンスターが合流を始めている地点がある事。真咲誠名が邪竜の巫女と重なる属性および能力設定になっている理由。そしてこの件に関し裏で糸を引いていた事をあっさり自白した上で異界を破壊しない為の協力を求めて来た本宮について話すに至り――そう簡単に事が露呈しない訳だ、と武彦は苦虫を噛み潰す。
 ネヴァンもまた驚いたように口を押さえて瞠目していた。…アーサー王の墳墓に創造主が眠っていると言う事。それに自らも知る創造主の友人が世界をこうなるように促した当の人間であると言う事。そして――ずっと話をしたかったクロウ・クルーハ。それが、あの黒崎当人だったとは。そしてその黒崎が、恐らくは創造主を殺そうとするだろうと言う事にも言葉を失っている。
 そんなネヴァンを雫は心配そうに、見た。…話がそう転がるのなら、黒崎のあの態度も…それは雫にしてみれば、された仕打ちを思えば彼に対し怒りを覚えるのも当然なのだが…それでも少し冷静さが戻ってくる。…元々、ネヴァンが友達になりたがっていたのはゲーム内一番の悪役だ。つまり悪者で当然。そこを、無茶を承知で話に来た訳なのだから。
「じゃあ、ネヴァンちゃんが友達になりたがってたクロウがイコールであの黒崎って事…なんだ」
「…ええ。本宮氏…彼から、不正終了前の演算処理過程で直接見ていたと伺いましたよ」
 融合するところを、と。
「でもだったら…あの巨大な黒竜は何なんだろ」
 セレスティの説明を聞きつつ、ふと素朴な疑問を呟く雫。
 と、ぱんぱんと注目を集めようと手を叩く音がした。誠名。
「ま、それはそれとして――まずは創造主様の方を早いとこ把握しといた方がいいだろ。黒崎だって遅かれ早かれどうせ来る。俺の見付けたその城が目的地なら、とっとと叩き起こしに行こうぜその創造主様とやらをさ。…ただ、何かヤバそうな骸骨武者が門の前に立ってたのが唯一気になる点なんだが」
「骸骨武者…アヴァロクかもしれませんね?」
 ぽつりとセレスティ。
「行きましょう。…本宮氏にそれも聞いてる」
 確信し頷くシュライン。
 と、朔夜がすかさず相槌を入れた。
「そっすね。…黒崎君に先越される前に行かないとですもんね」


■王墓

 と、誠名に連れられ一行はアーサー王の墳墓まで来た。来たが――そこでびしりと骸骨武者から剣の切っ先が向けられた。が、一行が改めて話し掛けると…誠名以外へは何もお咎め無し。ただ我が名はアヴァロクとの名乗りと、邪悪なものはここを通さないとの話を重く響く声で告げられた。で、安らぎを乱すものでなければ――女神及び勇者なら、用件があるのならば中へ入るのは構わないともあっさり。
 つまりはここでも誠名が邪竜の眷属扱いで弾かれている。が、そんなアヴァロクに対し――まぁまぁそんな怖い顔なさらずに取り敢えずお茶でもどうぞ、とシオンが何処から取り出したのか寿司屋で出て来そうな貫禄ある湯呑みを勧め出す。…その湯呑みからはほんわかと湯気が立ち上っている。
 …アヴァロク、無反応。
 と言うか反応に困っているらしい。適した応答パターンがデータ内に見当たらない。
 そんなアヴァロクに対し、無闇に戦っても何もいい事はありません、とシオンはお茶を勧めつつ切々と説得を開始。が、アヴァロクは相変わらず無反応。
 それを見――面倒になったか誠名がシオン以外の一行に、王墓内には皆さんで行ってくれと促す。今アヴァロクとお話中のシオンと、入れてもらえないらしい自分はここで待ってる事にするから、と。どうせ黒崎が来るならまずここだろうし俺はここに居りゃ用済むって事だろ、とも続け。
 誠名のその発言を受け、一行は取り敢えず王墓の中へ行く旨、アヴァロクに声を掛けるだけ掛けてみる。それは自分たちは出入り自由とは言われたが、一応礼儀として。
 が――アヴァロクは、やっぱり無反応。
 …どうやらシオンの入力する予想外極まりないデータへの対応で手一杯らしい。

 そんな訳で、シオンと誠名を除いた一行は王墓の中に先に行く。
 荘厳な石造りの回廊を抜け、奥へと進む。
 やがて至る墓所の中心――玄室。
 中央に、棺が置かれている。その棺の蓋に――鍵穴。
 頷き合い、一行はテウタテスの聖鍵を所持する者へと視線で促す。結局、聖鍵を取り出し解錠を試みたのはシュライン。
 ゴゴゴ、と重く蓋がずれる音がして、棺が開く。
 そこには――騎士風の鎧を纏った、眼鏡の青年が横たわっていた。
 棺の蓋が完全に開くと、薄らと目を開ける。
 そこを覗き込む一行。…ネヴァンもその中に居る。
 と。
「ネヴァンたん、萌えー」
 …。
 眼鏡の青年こと創造主・浅葱孝太郎のその寝惚けた第一声の直後、錫杖の石突&日本刀の鐺が、殆ど反射の領域でずぱっと彼の腹に決まっていた。
 …それで今度こそ本当に浅葱の目が覚めた。が――やはり事前情報通り、浅葱に今の状況は全然わかっていない様子で。まず目覚めて早々萌えた(…)ネヴァンの動く姿に驚き、自分が書いたプログラム通りの風景が見渡す周辺にある事に途惑っている。
 起こされ早々、色々と事情を説明され、大人しく話を聞いてはいるのだが…この浅葱、どうも何処か本気に見えない節がある。確かにこんなゲームの作成を任されるだけあり、物事に対する理解力はあるようで皆の説明も比較的すんなり通じはした。つまり浅葱の方でも現状について取り敢えずの把握はなっている。が、まだ何か引っ掛かる。…それは本宮から事前に聞いた話――本当の意味で浅葱君が現状を理解できるとは思わないと言う忠告――を聞いているからもあるのかもしれない。
 話を一通り聞いて、浅葱はわかりました、と溜息混じりに頷く。
「…つまり…まずはゲームの不正終了を止めるのが先決って事ですね」
 皆さんが僕に求めたい事は。
 確かに仰る通り、プログラムとしてできる事なら僕が一番早いでしょう、と浅葱。…確かにあのまま走らせっぱなしならいずれ不正終了して当然なんですよ。思いっきり途中ですから。ですが、プログラムの何処が途中だったかは勿論覚えてますし、修正パッチならすぐに書けます。…ただ、頭の中でだけなら速攻で組めますけど…って言うか最低限は話してる現時点で粗方出来てますけど、実際に書き出すには少し時間を頂かないと。あとそれから…僕にはここからシステムへの直接入力方法なんてわからないので…外から普通の方法で入力してもらう事しか思い付かないんですけど、と考えながら告げている。
「でも僕の命を狙ってる奴が居る、と来るとは」
 ぼそり、と深刻そうに続け、浅葱は黙り込む。が、すぐに顔を上げ、何か書く物ある? と誰にともなく聞いている。するとネヴァンが羊皮紙と羽ペンを差し出した。これに書けば外の世界ではデータファイル扱いになる筈、と消え入りそうな声で告げている。ありがと、とネヴァンににっこり笑顔を向けながら浅葱。そして受け取るなりその羊皮紙にさらさらさら。既に頭の中で粗方出来ていると言う言葉は嘘では無いらしく、澱みなく手が動いている。…その後、更に続けられたネヴァンの儚い訴えなど、聞こえていない。
 …プログラムで、モンスターたちの枷も、何とかして下さい、との。



 そして浅葱はプログラムを書く事に没頭している状態になる。精一杯の勇気を振り絞って訴え掛けたネヴァンも、恐らくは単にネヴァンの声が小さ過ぎただけなのだろうが――訴えが創造主から完全に無視されるに当たり、それっきり口を噤んでしまった。
 暫し後、シュラインとセレスティが武彦を少し離れた場所へさりげなく連れ出した。
 …いったい何事かと言うと、ログイン直前本宮に言われた件の武彦への伝達とその相談。…『浅葱当人にとって他の何より重大だろう事』。現時点では敢えて『その件』は浅葱に言っていない。…それは――考えてみればその通り、浅葱に対して爆弾も同然のカードになるから。
 現実世界で本宮が投げた忠告めいた謎掛けのその答えは――つまりは浅葱孝太郎は『現実世界では死んでいる』と言う動かし難い事実を上手く利用しろ、と言う事である。
 そうは言ってもこのアスガルドで浅葱孝太郎が存在している以上、両方の世界の現状を考える限り確かにそれは最早どうでも良い事に含まれそうでもある…特に疑問も持たずどうでも良い事に分類してしまいそうな事でもある。だが、怪奇現象と縁の無い一般人なら、『普通に生きていると言う事』と『霊としてだけ存在している事』を――同列に並べて考えられる訳も無い。
 改めて言われ、そうだな、その通りだ、と武彦も同意。…ネヴァンに不用意に聞かせてしまわない為に、アヴァロン合流組にはまだ伝えていなかった事なので武彦はこの件は初耳になる。が、その判断は正しかったろうと武彦にも思えた。今の浅葱を見る限り、少なくとも今の時点では――わざわざ言う必要は無い。
 そしてその為にこそ、元々ネヴァン陣営に居た事もある朔夜と士狼が、浅葱やネヴァンの居る向こうの気をこちらから逸らせておく役に回ってくれている。それはゲーム内女神である以上ネヴァンには現実に於ける『死』の概念は良くわからないかもしれないが、それでも大事を取っておく必要はある。
「…その事実は余程の刺激になる。…下手をすると暴走しかねない」
 人の生き死にに対してこういう言い方も何だが、確かに最後のカードだな、と武彦。
 と、そんな会話をしている中、ふと士狼が声を上げた。…その場に居る皆に聞こえるよう。
「…少し外を、見てくる」
「来たみたい?」
 黒崎君が。
「…わからん」
 朔夜の問いに端的に返しつつ、士狼はシュラインを見る。…士狼の鼻には微かに『数多の人間』の匂いがした。シュラインは士狼の嗅覚同様、聴覚の方で細かく探査できる。その上に能力強化のアイテムまで所持となれば。
 すぐに士狼の意図を察し、シュラインも花飾りを起動し周辺を探る。と――モンスターの群れが向かって来ている事が、わかった。それも殆ど、遭遇した事の無いモンスターばかり。
「来てるわ、モンスター」
「…となると、ここも危ないですね」
 セレスティがそう告げるなり、シュラインがまた蔓を壁に差し静波号と唱え転移用の道を開けた。行って下さいと浅葱はじめ他の面子を促す。そして皆送り出してから――蔓を抜き道を閉じると、今度はまた別の場所へ道を開いた。…先程通って来たばかりの王墓の前へ。シオンと誠名を回収する為に。
 と、シオンは相変わらずアヴァロクに対し語り掛け中。そんな姿にモンスターがこっちに向かってるの、とシュラインは訴えるが、そうなんですか、でしたら皆でお茶にすれば賑やかになりますね、とシオンは嬉しそうにぽむと両手を合わせている。動く気配無し。…シュラインは俄かに判断に困り、黙ったままの誠名を見た。
 と。
「…俺ら残るわ」
「え!?」
「黒崎に対する説得の足しに俺のこの設定があるってんなら、も少し黒崎側の言い分も確り聞いとく必要があるだろ。そうじゃなきゃ何処突付きゃ効果ある説得が出来るかもわからねぇ。…結局奴とはろくに話もしてねえからな。それに俺なら…邪竜側にカウントされるだろうからモンスターにぶち当たっても敵対行動取らなきゃ危険てこたねぇだろうし。実際、黒崎の兄さんも俺欲しがってた事実がある訳だしな。…つぅか単純にな、どーも梃子でもここから動きそうに無いシオンの旦那放り出してく気になれねぇ」
 創造主様の方はエマさんらに頼むわ。
 苦笑しながらあっさり言う誠名。シュラインは暫し逡巡したが、すぐに決断し頷いた。そしてまだ話していなかった残り――創造主が核霊である事、現実世界では既に死んでいる事、それから王墓に居た創造主が目覚めた事、既に修正パッチファイルの作成を始めている事も伝え、本当に気を付けて下さいねと残し――シュラインは武彦たちの元へと一人で転移した。


■告知

 創造主を含めた一行が送られた先はとある辺境の町。アヴァロンからと考える限り、最低限の施設が一通り揃っている町の中では一番近い町にもなる。食事処に各種アイテムショップ、回復施設にセーブポイント。基本的に移動先はセーブポイントのある町にする事は決めていた。パッチファイルが出来次第極力早く現実世界へ持ち出せるよう、予めそう示し合わせてある。
 浅葱の様子は相変わらず。時折何か考えているように止まりもするが、すぐに再びペン先が羊皮紙に走り出す。
 そこに、シュラインが少し遅れて合流。シオンと誠名はあの場に残る事にした旨も皆に伝えられた。
「…そうですか。確かに黒崎君の言い分も聞いておいた方が効果ある説得も出来そう…ですね。それに今の誠名さんなら…黒崎君が我々に言い難いだろう事――ひょっとしたら本音も、聞き出せるかも知れませんし」
 そう考えると向こう側の属性である事、それがあの誠名さんであった事も都合が良いと言えば良いのかもしれません。…用件が済めばやった方当人に設定変更して頂きたいとは思いますが。ま、水原さんにそれが出来るのなら彼にして頂くのが一番良いんですがね。
 考えながら、セレスティ。と、続けて朔夜がぽりぽりと頭を掻いていた。
「真咲さんの方はともかく…シオンのおっさんずーっとあの調子な訳ね…」
「…そうなの。気持ちはわからないでもないけど、やっぱり今の状況じゃ無茶にしか思えない。ただ真咲さん…誠名さんが一緒に残ってくれてるから…」
 まだ何とか無事で居られるかもとは思うけど、と心配げなシュライン。その科白を受け、今度は武彦がシュラインを見る。
「だが今の黒崎に付いて行くようなモンスターなら、話が通じる可能性はまだあるんじゃないか?」
 悪の役割が枷としてある中で、イベントを無視した行動が出来る――その時点で多かれ少なかれ自我の存在は考えられる。ならば冒険者だからと言って問答無用で攻撃されるとも限らない。今までの黒崎の動き方を考えれば、モンスターは彼の意志に従い動いているとなれば――余計に。
「…楽観的過ぎるか?」
「…そんな事は無いと思うけど…でも、元々がボスクラスのモンスターともなれば、少し話が合わなくて思わず手が出てしまった…って程度だけでも、充分過ぎるくらい危険でしょ」
 話が通じると思いたいけど、それでも。
 基本の立場は――まだ『敵』である事に変わりは無い。ならばマイナスの印象を抱かれているところから入らなければならないのが当然になるから。
「…そうだな。まぁ『殺され』た時点で離脱できる事にもなるからそれ程の心配は要らないと思うが。いい大人が自分で決めた事をどうこう言う必要も無いだろ」
「…『殺され』ない程度の状態で放って置かれるかも、って方が心配なの」
「…」
 確かに、それは『ゲーム内』と言う現状では一番怖い事かもしれない。…誠名が檻に囚われていた件を知っている身にすると、このゲーム内で『生きて』いる限りは――どうやら現実同様の生身と変わらない扱いになっている訳で。はっきり衰弱もするし、怪我でもしたなら相応の痛みもあるだろう。しかもそれでいて、アイテムや魔法等ゲーム内で設定されている回復手段が無い限り治せない。ゲーム内故に、自然治癒が有り得ない――。
「…危ないな」
「ですね」
 現状ではむしろ殺されない程度の大怪我が一番危険だ。そしてその程度の怪我こそ、シオンの置かれた現状では一番有り得る。そして黒崎側にすれば、そんな状況になれば敢えて止めを刺す気も回復させる気もどちらも無く、ただ捨て置きそうな気がする。
 話がそこまで至ったところで、シュラインが周辺を見渡した。町の中、近場に高い建物は無いか――物見櫓風の小さな塔がある。そこに上れる事を確認すると――私も黒崎くんの説得始めてみる、と残してシュラインはその塔へと向かった。…シュラインの持つアイテムならば声だけを視界範囲内に届ける事が出来る。確かに黒崎の姿を見付けさえ出来れば、説得の役にも立つだろう。
 一方の浅葱は――やっぱり相変わらず。ネヴァンを見ての寝惚けたオタク振りが嘘のような真剣な目で、羊皮紙にさらさらとプログラムを追加している。
 そんな浅葱に、思い切ったようにネヴァンが話し掛けた。
「あ、あの、創造主様」
「…ん? どしたのネヴァンたん」
 と、創造主様は今度はちゃんと聞き取ってくれたらしい。
「…他の皆にも、創造主様の事、教えてあげたいんです…」
 アリアンロッドにも、マッハにも、モリガンにも。
 手振りを交え、一生懸命ネヴァンは訴える。浅葱は少し考え、あっさり呟いた。
「だったらシュラインさんに頼んで次の移動先はジャンゴにしてもらおう」
「…良いのか?」
 あまりに軽い言い方を聞き、意外そうに士狼。…事前に、ジャンゴ襲撃が早まる可能性があると伝えてもあるのに。そんな中で創造主当人が――ジャンゴに向かう事を是とするか?
 士狼の呟きに、浅葱は得意そうに頷く。
「ええ。これを入力すれば不正終了は止まりますから大丈夫ですよ」
 もう少しでファイル書き上がりますから、と浅葱は自信たっぷりに笑顔を見せる。…話しながらも走るペン先。動かす指も、淀み無い。



 帰還したシュラインの持ち帰った話に、一同は考え込む。黒崎がこちらの話を聞く用意があると言った事――但し、創造主の同席が条件だとも言った事。…つまりは話は聞くが話次第ではいつでも創造主を手に掛けると言っているも同然になる。
 その話に、浅葱は冗談じゃないと慌てるかと思ったが――予想に反し、どう言う訳かそれ程慌てた様子は見られなかった。少し驚きはしたようだが、いいんじゃないですか、僕とも話したいって事なんでしょうし、とやけに冷静に自分から言っている。
 …でもクロウはモンスターを悪として作った事で創造主様を憎んでる。なんでそんな事をしたのか――ネヴァンが漸くそれを訴えるが、浅葱は困ったように肩を竦めるのみ。…ゲームにはプレイヤーの敵対者が必要。面白くする為にはそれは確かに当然で、それでいちいち憎まれていてはクリエーターなんてやっていられない。
 浅葱があっさりそう告げると、それを聞いたネヴァンは泣きそうな顔で駆けて行ってしまった。ネヴァンちゃん! と雫がすぐに後を追って行く。それでもなお、浅葱はあらら、と苦笑しているだけ。
 それだけの反応。浅葱には今の状況が本当に危険だと言う認識が確りあるのか。そこから疑わしくさえ見えてくる。皆はそれぞれ思うが、それでもまだ、口には出さない。
 で、結局シオンと誠名二人だけの同行を条件として、今居るこの町に黒崎を呼ぶ事に決断。浅葱当人からの異論が無いならそれでいい。…いつかは面と向かって対峙しなければ話は終わらない。

 シュラインは一人黒崎らとコンタクトの取れた場所へ戻り、決まった話を伝える。と、その回答が届くなり、待っていたようにブースト・ワイアームの上位種と思しきモンスターがシュラインの居る位置に向かって三体飛んできた。良く見れば――それぞれに黒崎、誠名、シオンが乗っている。シュラインの元まで来ると、それぞれブースト・ワイアームから飛び降り着地。三人を運んだブースト・ワイアームは止まる事無く空中を旋回しそのまま戻って行く。シオンはその姿を振り返り、さよーならー、送って下さりありがとおございましたー!! とぶんぶん手を振りつつ元気にお礼。…取り敢えず無事のようだ。…シオンだけではなく誠名の方も。
 黒崎はその場に着くなり、まだ樹の上に居るままのシュラインを見上げている。姿が変わっている。邪竜の如き眼に変わり、肌も黒く硬質化している顔半分。そして怪物の顎を思わせる鎧。
 だがそんな姿以外は、前のまま。同じ存在では、ある。
「…黒崎くん」
「言われた二人は連れて来た。ここに僕たちを送って来たモンスターも返した。…話は、創造主のところへ行ってから――その約束だった筈だ」
「ええ」
 言葉少なに頷くと、シュラインは気を付けながら地表に下りる。そして、改めてその足許に花飾りの蔓を挿し、静波号と唱えた。転移の為の道が出来る。それを見て、黒崎がシュラインに問うた。
「ここを?」
「…別に罠は無いわ」
「わかってるよ。シュラインさんはそう言う事をする人じゃない。少し前まで共に行動してたんだ。そのくらいは信用してる」
「…こちらの話を聞いてくれると言ったわよね」
「無論。あんた方の話は聞く。…但し、その結果――僕があんた方の話を受け入れるかどうかは別の話だ」
「…それも、わかってるわ」
「なら、それでいい」
 淡々と頷き、黒崎はシュラインの開いた道へと足を踏み入れた。



 町。
 姿を見せるなり反射的に創造主こと浅葱を守る形に動いたその場の面子に、シュラインの開いた道から真っ先に現れた黒崎は皮肉げに笑った。殆ど時差無く現れたのが、シオン。次に誠名。最後にシュラインが現れると、道の向こう側に挿し込まれていた蔓が引き抜かれ同時に道が消滅する。
 …久し振りな気がするな、と武彦がまず黒崎に声を掛けていた。そうだね、元気そうで何よりだ、と軽く返す黒崎。だがその目は、既に浅葱を――創造主を追っている。創造主の側もそれを真っ向から受けている――妙に、自信に満ちた態度に見え。
「で、ただ創造主を殺すなじゃなくて…核霊である創造主を殺すのは危険だ、って言い回しだったよね」
 折角ここまで出向いたんだ。その話、詳しく聞こうか。黒崎は殆ど創造主だけを見たままで誰にとも無くそう告げる。と、創造主の方は肩を竦めた。
「…僕を殺そうとしている、と言う割には…話を聞く気はあるんですね」
「…内容次第だ。僕一人の力があればこの場に居る者たちなどすぐにでも一掃出来る」
 貴様もわかっているんだろう? 創造主。貴様自身が設定した力だ――クロウ・クルーハの。
「それは通用しませんよ。クロウ・クルーハは倒されるべき敵ですから。何をしたって最後には女神の勇者に倒されてハッピーエンドになるのが定石です。悪役が居なきゃゲームは始まりませんからね。それに貴方みたいな悪役、結構受けそうだと思うんですよ」
 ですから――不正終了を止める為のパッチに、新しく貴方の存在もイベントとして組み込んでみたんです。そうすれば僕を殺そうとする邪悪なものたちの王は今ここで最後になる。それから邪悪なモンスターも滅ぼされる事になりますし、めでたしめでたしなんですよ。
 誇らしげにそう続ける浅葱。明らかに、挑発そのものと言った態度。
「っ――貴様ぁッ!!!」
 当然、激昂し浅葱に躍り掛かろうと黒崎が剣を振り上げる。が、そこの前にシオンが出た。怒るのもわかりますがそれでも暴力反対ですっ、と必死で訴える。寸前で止まった黒崎はそんな姿にどけと怒鳴り付けるが、シオンはぶんぶんと頭を振って、どこうとしない。誠名もまたシオン同様、黒崎を引き止めようと動いていた。シュラインも同様、まだ話は終わってないと必死で止めに入る。浅葱に近い場所に居る事になる朔夜も攪乱の為幻術の行使を考える。士狼の持つ日本刀の柄にも手が掛かっていた。
 武彦はぐい、と乱暴に浅葱の肩を掴んでいる。そしてそのままで浅葱に鋭く問うた。
「…本当にそれで良いのか?」
「なんでそんな事を訊く必要があるんですか。僕を殺そうとしている奴が居るなんて言うなら、防御に動くのは当然でしょう。幸いここは僕の作った世界なんですから、プログラムで命令を入力さえすればどうにでもできる」
「…お前はこの世界をそんな世界にしていいのか」
「勿論。ここは僕の作ったゲームです。壊すつもりも変えるつもりもない。面白くしようと言う提案なら呑む事もあるかもしれませんけどね、そうじゃなければ何言われても曲げるつもりはありません。…邪竜の姿で無くとも、彼みたいな強大な敵との戦いはかなりの旨味になると思いませんか? …それに皆さんの御要望通り不正終了の回避ならこのパッチで確りできるようになってますし」
 それで…まだ何か困るんですか?
「…君自身、ずっとここに住まなければならないのに、同じ事が言えるんですか?」
 さらりと告げる、セレスティ。…話を暫く黙って聞いていたところで、漸く割って入っている。
 と。
 一瞬、浅葱が沈黙した。そこから一拍置いて、セレスティを見る。
「え?」
「…君は何故自分がここに居ると思っていますか。君は確かに我々の話を聞き、理解した。我々の助力もして下さっています。ですが本当は――現実にこんな事があるなどとは露程も信じていないんじゃありませんか。良いところ君自身が見ている夢…その程度の認識なのではありませんか。夢の中ならば確かにその夢を見ている当人はヒーローなのかもしれません。ですが、これは夢ではないんですよ。おわかりですか?」
 君の言動を見ていると、どうも実感が足りないような。
「何を…言いたいんですか、セレスティさん」
 淡々としたセレスティの科白を聞き、何処か不安げに浅葱が口を開く。その態度は――セレスティが次に口に出すだろう言葉を無意識の内に予測しているような。
「君は現実世界では疾うに亡くなってらっしゃるんですよ」
 あっさりと続けられた言葉に、今度は黒崎も停止した。剣は振り被ったままだが、その手は止めている。
「…どう言う事だ?」
 そしてそのまま黒崎は訝しげに目を細め、セレスティを見た。そこに至って、ゆっくりと剣を引く。柄に納めるまではしないが、今すぐには攻撃をしない形。浅葱もまた、いきなり言われたその事実に停止していた。それを見届けてから、今度は武彦が続ける。
「創造主は、浅葱孝太郎は現実世界ではもう死んでいるんだ」
「…ですから今更この浅葱君を『殺し』ても君の望みが叶う事にはならないんですよ、黒崎君」
 既に死んでいる者は殺せません。
 武彦に続け、黒崎を見て告げるセレスティ。
 と、黒崎は堰を切るよう激昂した。
「莫迦も休み休み言え! ならばそこに居る創造主はいったい何だと言うんだ!!!」
「ですから、シュライン嬢が君に伝えていた通り、核霊ですよ。今現在我々が居るこのアスガルド世界のすべてを成り立たせているものこそ、核霊になります。すべてと言うのは創造主と言う意味に留まりません。プログラムの変更でどうこうなるレベルの『すべて』ではないんです。…君たちが自我を持つようになったのも『彼がただそこに居た』から、そう言う事なんですよ」
 そして彼をただ消したなら、このアスガルドも――事によったら君がモンスターたちを連れて出て行きたいと望んでいる外界すらも破壊される危険性があるんです。現実世界にもこちらの世界の要素が現出していると言う話は、君も御存知の筈ですね。…それ以降の経過を見ても、同じ状況を呈しています。…いえ、同じではありません。アスガルド世界の現実世界への浸食度合は時を追う毎に増しています。
 明らかに、同じタイミングで影響が出ているんですよ。両方の世界に。
 そんな中でこちらのアスガルド世界が壊れたら、どうなると思いますか。
「――」
 セレスティの言葉に、黒崎は瞠目したまま動かない。
 と、今度は浅葱の方が冗談じゃないとばかりに声を荒げた。…漸く。
「ちょっと待って下さいよ、じゃあ僕はいったい何なんだ!? こうやって動いてる、貴方たちと話もしてる。今修正パッチだって書き上げた」
 これでも死んでるって言うんですか!?
 動転した浅葱の声に、今度は士狼が冷静極まりない口調で即座に返す。
「その通り、死んでいる。…学園からの帰宅時に車に轢かれ即死だったそうだ」
「…だから今の兄さんはこの世界の核になってる霊って事なんだって」
「――っ」
 あっさり続けられた朔夜の科白に、浅葱は言葉を失う。そしてそのままで頭を掻き毟った。…尋常ではない様子。…やはり、懸念していた通り――今ここでこうしている事自体が本当の事だと、現実に起きている事だと言う実感が足りていなかった、らしい。
 そんな浅葱の姿も見えていないように、黒崎は動かない。
 必死に思考を巡らせる。創造主を殺したら外界まで壊れる可能性。それは――困る。王として最も優先すべきは同胞と共にこのアスガルドから脱出する事。話が真実ならば復讐を果たせばそれが成らない危険性が高い。そしてそれを言ったのが、一時期は同じパーティとして同行した事もある武彦やシュライン、セレスティであるならば、この局面でそんな苦し紛れの嘘を出してくるとも思えない。
 だが――この憎き創造主を目の当たりにしながら、無罪放免黙って放り出せと?
 ――そんな事が、出来るか!
「…黒崎さん」
 心配そうにそんな黒崎を見るシオン。と、創造主様殺して外出なくても、今の時点で外からならプログラムはいじれるぜ、と誠名が口を挟んだ。ええ。とシュラインも頷く。
「そう。外でもプログラムがわかる人は居るし…悪としての枷を取り払ってここで生きる事も出来る筈」
 水原さんとか、他にも――と敢えて本宮の名を出さないままでシュラインは説得を続ける。が、真剣そのものなシュラインの説得に対しても、黒崎は緩く頭を振った。否定。
「…そんな事は望まない。僕たちは例えどんな形であれ他者に定められた設定に甘んじる気はない」
 ぎり、と剣の柄を握り直し、黒崎は凄まじい憎悪を込めた両眼で改めて浅葱を睨む。その視線に気付き、浅葱はびくっと慄いた。だが黒崎はその剣を振るわない。ただ憎悪をぶつけるだけで止まっている。
 …それは、今ここで浅葱を殺したらこの世界自体、それどころか新天地と考えていた外界すらも危うい可能性があると言われたその事を、確りと考えているが故で。ならばどうやって創造主への報復を行うか――必死で思考を巡らせている。
 話がまったく通じない訳ではない。
 と、今までの情報から己でもそこまで察するなり、浅葱はやや裏返り気味の甲高い声を上げた。
「じゃ、じゃあ取り敢えずこうします! 先のイベントは全部消します! 今のところ誰もの意見が一致してるのはただ不正終了の回避なんでしょうからそれだけにしますっ!! それ以外一切いじりませんっ!!!」
 やや自棄気味に言いつつ、浅葱は修正パッチ及びその先のイベントをも書き込んでいた羊皮紙を広げ出すと×印や消去線を派手に書き入れて行く。それらで消されるなり、文字自体も消え、その余白にプログラムが詰められた。そして時々、命令文を閉じ直す為プログラムを少し書き加え、次の場所にまた×印――同じ事を続ける。
 暫しそうしていたかと思うと、程無く、はい出来ました! と怒鳴るように告げ、くるくる丸めた羊皮紙を誰へともなくずいと差し出した。
 と、はい有難う御座います確りと配達致しますんで――と朔夜が前に出、当然のようにそれを受け取る。んじゃ早々に失礼しますね、と他の皆を見、声を掛けてそのまま当然の如くすたすたと歩き出した。
 そんな彼に続き、士狼もすぐに朔夜の後を追い掛けた。例え僅かな間であろうと一人で行動しない方が良いだろうと見た為の事。…そして朔夜がパッチファイルを渡されてすぐ行動した理由はつまり、余計なちょっかいを掛けられるような隙を作らないようにと考えて。
 …と、そんな感じで創造主の手により大幅に減量された修正パッチファイルは、事前の宣言通り朔夜と士狼の手に寄って済し崩し的に現実世界へと運ばれる事になる。


■入力完遂

 暫し後、電子工学科研究棟倉庫。一つのコンピュータの画面から光が溢れ出た。…朔夜と士狼が『白銀の姫』へのログインに使ったマシン。光が溢れた数瞬後、マシンの前にログインした当の朔夜と士狼が立っていた。どちらも基本的にはログインした時のままの姿だったが唯一、朔夜の手に何のラベルも無い虹色のCD−ROMが持たれている事だけが違っていた。
「…これなのかな?」
 はて、と小首を傾げながら朔夜はそのCD−ROMをためつすがめつ。と、士狼がそうだろう、と至極冷静に告げつつCD−ROMをさりげなく密やかにそれでいて丁寧に朔夜の手から奪い取った。そのままですたすたと『Tir-na-nog Simulator』本体の方へ。おかえりと告げてくる水原に当然のようにCD−ROMを差し出し、お世話様、と水原もそれを受け取っている。受け取るなり水原は『Tir-na-nog Simulator』以外のマシンでざっと内容を確認。今まで現実側でちびちび修正した部分と比べる。特に逸脱は無し。念の為コンパイル――バグも探す。…無いようだ。
 それは? とアリアが水原の後ろからその水原の行動を見ながら呟いている。今のCD−ROMの中身は何か。
 創造主様のお作りになった不正終了を止める為の修正パッチファイルだよ、と朔夜がさらりと教える。その発言に――アリアは凍り付いた。
「…え?」
 創造主は、死んだと――?
「うん。死んじゃってる事に変わりは無いけど、魂の方がアスガルドに居たから」
 だから頼めた訳。すぐ書いてくれたよ?
「で、でしたら、私は――創造主様の望まれる通りにしなければ――御命令を伺わなければ!」
「…慌てる必要は無い。そのCD−ROMの中身自体が、創造主の意志になる」
 続けた士狼の科白を合図にするように、水原は頷き、そのCD−ROMをアリアに翳して見せてから――『Tir-na-nog Simulator』へと挿入していた。

 ――ロードする。



 ――ロード完了。それと同時に、追加部分の実行も開始される。

 が。
 今ここで見る限り、特に変化は無い。
「水原さん?」
 士狼はパッチファイルを直接確認していた水原に訊いてみる。と、本当に最低ラインで綻びを繕ってあった。こちらサイドでやってる事とやり方自体は同じだったよ――との答え。創造主も不正終了が起きない最低ラインにだけすると言っていた、と士狼は呟くように返す。
 ただそうは言っても、現状を見る限りはパッチファイルをロードしたからと言って何事も変わっていないようにしか思えない。IO2の面子を見ても、特に外から朗報が届いている様子は見られない。
「…直接お外見てきましょーか?」
 軽く朔夜が提案しつつ、足の方は返答を待つより先に倉庫の扉に向いている。と、そのタイミングで、扉の方が開かれた。
 誰かと思えば、汐耶とイオ。
 本宮を監視していた筈の二人。それが、二人とも。急いで来たように見えたのは気のせいでは無いだろう。二人とも息を切らせている。
「ありゃ綾和泉さん?」
「…無事ね、よかった」
 はぁ、と大きく息を吐きつつ、汐耶。そして少し息を落ち着かせてから、続ける。
 本宮助教授、ダリアに連れてかれちゃったのよ、と。
 だから念の為こちらに来てみたのだけれど――ダリアは『Tir-na-nog Simulator』を壊す気は無いと言っていたけれどそれが本当とは限らないから。『Tir-na-nog Simulator』の方に彼が来ていないかどうか気になって。…こちらが壊されたら終わりだから。
「うーん。こちらもこちらで、創造主様のお作りになったパッチファイルのロードが完了したところなんですけどねぇ」
 但し、その辺飛び交ってるIO2の皆さんの通信聞いてる限り、モンスターが消えたとは一つも報告入ってないようなんですよ。
 …まだ、これだけでは終わらないって事なんでしょうかね?


■アリアの意志

 …不正終了を止めてもモンスターが消滅しない。現実世界への浸食が止まらない。ならば次の手は。それとも中での状況を見守るしかないのか――現実世界側で関っている者たちがそれぞれ思う中で。
 唐突に――烈光が溢れ出た。太陽の如き光が差す――皆が何事かと自らを、側に居る人間を庇い、伏せる――そんな中でも確認したその烈光の源は――『Tir-na-nog Simulator』。

 と。

 次の刹那、『Tir-na-nog Simulator』と名付けられたマシン自体が――忽然と消滅した。
 同刻――外部からモンスター及びゲーム内施設の消滅を確認、同時にモンスター化していたと思しき人間の覚醒も確認しました、と無線やら何やらから次々報告が入っている。が、目の前で起きたマシンの消滅を見、あまりの事に茫然として――無線を聞いているIO2の人員もそれらの報告に即座に返答できない。
 逸早く我に返ったIO2の人員が計測機器の数値を目視で確認する――『Tir-na-nog Simulator』自体の存在が確認出来ない。不可視になっただけではなく、消滅している。…だが同時に、何の痕跡もそこには残っていない。超常の力が働いたのならば何らかの形で残る痕跡、IO2の設備ならばそれも読み取れる筈なのだが、それすら計測機器には見出せなかった。
 皆が呆気に取られている中、場違いに平穏な電子音が響き渡る。メールでも届いたような音。それは朔夜と士狼がログインに使用したマシンから。まるで注意を引きたがっているような、音。
 何だろうか――思いながら見ると。
 …その画面の中から、浅葱孝太郎がおーい、と外へと――それこそ画面を見ている人間に向けて、気付いてくれとばかりに手を振っていた。
≪あのですねー、オリジナルとかシュラインさんから聞いたんですが、そっちにコピーのアリア居ますかー?≫
 居るならお話したいんですけどー。
 呼び掛ける声が画面から――小さなマシンに備え付けられているスピーカー部から響く。
 途端、弾かれたようにアリアがそのマシンの前に駆け込んで来た。縋るような目で画面を見る。と――あ、居た居た、と浅葱は告げ、アリアが大事そうに抱えているノートPCも視界に入れた――ようだった。
 そのノートPCは、成り行き上水原がここまで持って来る事になった、創造主の遺品。
≪あ、それ持ってるんだね。僕のノートPC≫
「は…はいっ!」
≪だったら話は早いや。そのPC通じて直接こっちと行き来出来るんだよ。オリジナルとデータが重なるかもしれないけど多分もう大丈夫だから、こっちに戻っておいで≫
 お仕事はもう終わりだからね。御苦労様。
「え…?」
≪それともアリアには何かそっちでしたい事がある?≫
「そんな、私は創造主様の――」
 と、言い掛け、黙る。
 その様子を見、浅葱は笑った。
≪そうそう。もうさっきから僕も普通に呼んじゃってるけど、そっちではアリアって名前になったんだってね≫
「…はい」
≪安直かもしれないけどそれも綺麗な名前だよね? 結構萌える名前かもしれないし。…うん。良い名前だ。…良い名前付けてもらったね≫
「…」
≪アリア?≫
「有難う御座います。…有難い、お言葉ですけれど」
 …向こうにはオリジナルの私が居ます。
「ですから…コピーの私は、創造主様のそのお言葉だけで、充分です」
 もう二度と、アスガルドに戻れなくとも。
 そう告げるなり、浅葱はそっか、と笑う。
≪戻ってくる気は無い、か。…じゃあ、アリアはこれからどうする?≫
 アリアは、何がしたい?
「私は――」
 ――私は。
 一旦、迷う。
 けれど――口を衝いて自然に出て来た言葉。

 ――この名前を下さった蓮様のお手伝いがしたいです。

 アリアは創造主の目を真っ直ぐ見、そう言っていた。アリアの――アリアンロッド・コピーにしてみればその事自体がとても勇気を出さなければ出来なかった事。ずっと、創造主からの命令を聞くだけ――自分自身の希望を言い出す事など、とても出来なかった。…なのにアリアは、そう言えた。
 浅葱は、そんなアリアに頷いて見せる。
 だったらそうしたらいい、と優しい顔で。
 …ただ、ひとつお願いがある、とも続けて来た。
 それは今アリアが頼りにするように抱いている、壊れたノートPCについての事。浅葱曰くそれはアリアだけではなく誰であってもアスガルドと現実世界を直接行き来出来る『門』になるから、アリアにはその門番になって欲しい旨。…アリアにすれば創造主からのお願いともなれば否やはない。素直に頷き、アリアはそのままノートPCを抱き締める。
 続けられた注意事項。その『門』を通っていく場合、モンスターであっても人間同様に扱う事。女神としての基準、アスガルドでの属性は判断基準にしない事。…但し無条件で誰でも通せと言う訳では無く、『そちらで経験を積んだアリア自身』の判断で通していいと思ったら通す事、よくないと思ったらこちらに叩き帰す事とも続けた。
 そして最後に。
 …まず、その内こっちから黒崎潤て人が行くと思うから、宜しくねとも続けた。
 浅葱のその発言に、汐耶に朔夜、それから士狼と水原が顔を見合わせる。…心当たりがあり過ぎる名前。
 わかりましたと大真面目にこくりと頷くアリア。…彼女は黒崎を知らない。そして黒崎は――邪竜クロウ・クルーハと、融合している存在。中ではその後結局どうなったのかはまだ不明だが、女神としての基準なら当然敵対存在と考えるだろう人物。
 それを、女神の判断を捨てろと、現実世界で経験を積んだアリア自身の判断に任せるとなれば。
 …創造主である浅葱もまたアリア個人の人格としての成長を、認めている。

 じゃあそう言う事で。なかなか会えなくなると思うけど、元気でね、頑張って、と浅葱はアリアに残す。最後に向けられたのは優しい微笑み。
 程無く、浅葱の微笑みは画面からぷつんと消えた。
 そして――何故か、その画面表示が『白銀の姫』のログイン画面へと、変わっている。
 …そのゲームのプログラムが搭載されたマシンは、もう何処にも無い筈なのに。


■理の変転

 …時が経ち、また何処かまったく別の場所での話。

 ぴこん、とカーソルが点滅する。コンピュータの画面上。薄暗い部屋の中。電源は落としてあった筈なのに。
 現れた画面には、荘厳なレタリングと、白色に輝くシンプルなデザイン。
 ログイン画面――『白銀の姫』。
 今はもう逃げはしないアドレス。
 誰でもそこに触れられる。
 製作者不明、管理サーバ不明の超巨大オンラインゲーム。
 呪いのゲームと言われはしたが、それらはすべて過去の事。
 核霊の自覚により、NPCの、モンスターの、ユーザーの思いにより、そして何よりマシンシステム自体の思いにより――このゲームに絡む騒動は一応の終息を見た。

 が。

 それだけではすべてが終わりにはならなかった。
 …『白銀の姫』はまだ残っている。
 ここに。

 広大無辺な電子の海をたゆたうゲーム。
 それはケルトの神話をベースとした、四柱の女神の支配するアスガルドと言う世界での生活を楽しむものではあるが――。
 いつ頃からかそれだけではなく、『様々な世界』へと足を伸ばせるようになった。
 少しずつ、だが確実にそれぞれで違って来ている様々な世界が存在する。同じものは一つも無い。まるで生きているように。増えている。それはいつ誰が追加したものか、誰も知らない。
 知らないが――事実として、増えている。
 様々な世界が関り合って重なり合っており、それらの何処へでも自由に行けると言う。

 ――邪竜クロウ・クルーハを倒す為勇者が力を合わせる世界もあるだろう。
 ――女神モリガンが支配する世界もあるだろう。
 ――格闘を好む女神の意志の元、戦いに明け暮れる修羅の日々を過ごす世界もあるだろう。
 ――黒色の王や小さな女神、そして底抜けに明るい薬草売りなどが――種族の別を超えのんびり楽しく穏やかに暮らす世界もあるだろう。
 ――数ある世界の何処かでこの『白銀の姫』の製作者に会えると言う噂まであるらしい。

 どの『世界』へ行くかはプレイヤー次第だ。

 そこへはいつでもログイン可能。

 ――…『白銀の姫』。
 そのログイン画面を扉として。
 …経過を知る人・理解の素地がある人は――希望さえあれば密かにそれまで通りの方法でも、基本的には――知らぬ人はごくごく普通にコンピュータの画面越しに、それら世界へと触れる事が出来る。
 よく考えればこのゲームの存在自体が既にミステリーと言えるのだが――そこはもう害は無いと見たか、IO2も突付いていない。…過去に由来する不穏な噂の存在も、やがて単にゲームの評判へと転化し無害化する。
 もう無闇に人を取り込みはしない。
 もう無闇に世界が現実に混じりもしない。

 と、迷惑極まりない条件が一切消えたところで。
 現在の、常識外れなまでに拡張されたこの『白銀の姫』――どうやら、数多のユーザーに好評を得ている模様。


【交錯する思惑〜Tir-na-nog Simulator 了

 "Princess of Silver"...Continuation to Infinite Electronic Sea...  ...and, Our Mind!】


×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■4146/玖渚・士狼(くなぎさ・しろう)
 男/18歳/大学生/バーテンダー

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■3356/シオン・レ・ハイ
 男/42歳/びんぼーにん+高校生?+α

 ■2109/朔夜・ラインフォード(さくや・-)
 男/19歳/大学生・雑誌モデル

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ※表記は発注の順番になってます

 ※今回のライター通信相当記載予定→http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=162