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交錯する思惑〜Tir-na-nog Simulator
■オープニング
…アンティークショップ・レンに足を踏み入れた途端、遠山重史の携帯に電話が掛かってきた。
着信番号は誰かと思えば水原新一。『白銀の姫』の事件に関し動く為、ここのところいつもこもっていた高等部PCルームの一つから、現実世界に於けるファナティックドルイドの被召喚体の一つであるとも確認されているダリアなる少年に、あまり穏便では無いだろう方法で連れ去られ行方不明になっている――そう聞いていたところでの攫われた当人の番号からの電話に、遠山はカウンター正面に居た碧摩蓮へ思わず目を遣った。蓮の方でも遠山のその只ならない様子にすぐ気付き、何事か察する。遠山の顔をちらりと見、出なとばかりに顎をしゃくって見せた。それに頷き返し、遠山は電話に出る。
と、気負った割に相手はあっさり水原当人。それを認めるなりどうしたんですかと安堵混じりに遠山。と、怪我の功名で黒幕が読めた、とこれまたあっさり水原。…こちらの警告メールも役に立ったんですかと遠山は聞いてみる。関係する当人同士――知る者以外が見ても意味がわからない形に敢えて作り、転送する事を望まれた警告メール――経由点になった遠山は知らないがそれは今回の件、『白銀の姫』で起こされている事件の黒幕に関する話にもなり。が――水原はそれは知らない、多分それが届いたのは僕がPCルームから離れた後だったんだと思う、と続ける。でも予想は付くよ、『Cynical Hermit』だよね? と水原はまたあっさり。ひょっとして水原さん千里眼でも持ってませんかと複雑そうに遠山。偶然だよと水原は苦笑しながら返している。
…水原が電話を掛けて来た用件は自分が無事である報告ともう一つ、『Tir-na-nog Simulator』自体の管理運用責任者である電子工学科助教授本宮秀隆について。…根拠が無いながらも自分が彼を警戒していた理由。それはネットを介してのみよく知っている相手だったから。表の顔とネットでの裏の顔が、端々を見ればそれなりに共通点はあるのだが――簡単には見抜けない程、印象が違っていたから。だからこれまで自分のよく知るハッカーと、この本宮が同一人物だと気付けなかった。
本宮のネット内での裏の顔は、二十年以上も前から世界的に鳴らしている伝説的ハッカー。それも、これまで正体を看破された事が一切無く、その仕業の性質の悪さでも知られている存在。
今回の『白銀の姫』に関する事件は少なからずこの本宮が裏で糸を引いている可能性が高い旨水原は遠山に告げている。そしてこの男が絡んでいる時点で行動には細心にして最大の注意を払う必要があるとも。
…但し、注意が必要だと言ってもこの本宮と言う男の場合は、注意すべき方向が常識的に想像出来る範囲内とも限らない。だから、今後は少し方針を変える。もし何か動く必要が出てきたら、まず僕の携帯に連絡を付けて欲しい。ジャミングとかの擬装はもうどうでも良いからなるべく迅速に。…僕なら奴のしそうな事はある程度わかるから。だから、判断に困るような事が出てきたら――特に『Cernunnos』とか『Cynical Hermit』つまり本宮が使う名前が絡んでくるような事があったら、絶対僕、水原新一に一度聞いてくれ。
僕はこれからは『Tir-na-nog Simulator』の方に居るから。アリア嬢と有志の皆さん、それと元プロジェクトメンバーの皆さんやらIO2の皆さん総出で『白銀の姫』のソースコード調べ直す。…奴なら目立つような触り方は何もしちゃいないだろうが念の為ね。ちなみに奴――本宮当人は僕らが来る前に何か用があるってここからふらっと出て行ったらしいんだけど、それっきり戻って来ていない。…この状況でこれだけ長い時間空けるとなると、多分奴はもうここに戻って来る気は無い。今何処に居るかわからないから、その件も頭に入れといて。
ただね、僕をPCルームから連れ出したダリア君が、その本宮を捜しに出てる。…彼はどうやらあの本宮にどうしても会いたいらしくてね。彼がしそうな事を考える限り止めるべきだとは思ったんだけど、無理だった。
あ、それから例のアリア嬢が出て来た創造主様の遺品なノートPCだけど、今は僕の手許にあるからそこは心配しないでくれていい。ダリア君がこのノートPCで知りたかった用は済んだらしいから。それから、『Tir-na-nog Simulator』の側にこれを持って来ても特に今のところ変化は無い。
何にしても、取り敢えず――何か変わった事が起きたらすぐに連絡して欲しい。…碧摩さんのところに向かうと言っていたよね――ああもう着いてるか、だったら今遠山君の居るそっちは他とも繋ぎは取り易い状況の筈だよね。この件、僕らと伝手付けてる皆に回して欲しい。『Tir-na-nog Simulator』の責任者、助教授の本宮秀隆に気を付けろって――何か気になる事が出来たら僕の携帯に連絡をって。
そこまで残し、水原は通話を切る。続け、遠山も通話を切った。
が。
途端、遠山の所持していたノートPCからメールの着信を知らせる音が鳴る。何事か。慌てて遠山はノートPCを取り出し、開く。カウンターの上に置く。着信したメールの送信者は…『Aqua』。
…『Aqua』とは、水原新一が通常使用しているハンドルネーム。
即ち、たった今電話していた当の相手。そしてアドレスも、彼の持つPCメールアドレスの内一つ。そしてタイトルは――≪"Cynical Hermit"の件で、緊急≫
「…?」
緊急ならば電話を掛け直せば良いタイミングの筈。そしてその方が余程自然だ。
思いながらも無視は出来ない。
開く。
と。
――初めまして『Ice』。これが一番早いだろうと思ったから敢えて人様の名前で送らせてもらったよ。僕は『Cernunnos』。君にも是非協力を頼みたい事が出来てね。
僕と関り無かったとは言え、どうせ『Cynical Hermit』の身内なんだろ? 人を集めて欲しい――僕のところか、『Tir-na-nog Simulator』のところ。このメールを見れば僕の今居る位置はわかるよね? …君が『Cynical Hermit』に転送したメールが見れるその場所だ。
…元々、水原の居た高等部PCルームの一つ。『Cernunnos』は――本宮秀隆は、そこに居ると言っている。
――僕が君を通して皆に頼みたいのは、察していると思うけど『白銀の姫』の事。クロウ・クルーハ――黒崎君に創造主を殺させない為に動く事と、創造主当人にプログラムの修復をさせる事。その協力を是非お願いしたいんだ。…特に創造主殺しの方は、黒崎君当人の為にも――是が非でも止めさせなくちゃならない。
そうそう、前提を話すのを忘れていた。意外かも知れないけど創造主は現実世界では死んでても実はアスガルドの中で魂だけの状態で存在してる。だから、具体的に頼みたい事は――創造主こと浅葱君はアヴァロンの王墓で寝こけてるだけと思うからそれを叩き起こして欲しいと言うのが一点、それで叩き起こしたら繋ぎを付ける為『Tir-na-nog Simulator』の方にも予め状況わかってる人を置いて欲しいと言うのが一点。外と中の中継は僕でも出来るからそこは人置かなくても置いてもどちらでも良い。…僕が信用できるかどうかで考えてくれれば。
それから、創造主殺しを望む黒崎君を何とか止めて欲しい、と言う方だけど――こちらに関しては僕に出来る事はかなり少なくなる。一応の助力として、邪竜が話を聞き入れ易い邪竜の巫女に極力近付けた設定にさせてもらった冒険者が送り込んである程度でね。…ユーザー登録名は真咲誠名って言うらしいんだけど、そっちの子と合流してもらえれば少しはやり易くなるかも、って程度の話でそれ以上は全面的にお任せするしかなくなるんだよ。でも君たちが『Cynical Hermit』の身内になるなら、今の僕とも取り敢えず利害関係は一致する事になる。だったらどうか協力して欲しい。
アヴァロンに向かう方法については、今までアスガルドに行った事が無いような人でも心配しなくて良い。僕はアスガルドには開発者権限でログインできるから、入ってすぐのジャンゴから直通でアヴァロンの王墓まで飛ばす術はあるし、元々のゲームシステムの範囲内だったら裏技的に装備の強化も可能だ。…ただ、異界化してる今の状況でそれが何処まで通用するかは別の話になるけどね。
「――水原さんに」
連絡。
と、遠山が一度閉じた携帯電話を開き直すが――そこで。
「…ちょっと待ちな」
ぼそりと呟き、遠山の見ているメール文面を横から覗き込んでいた蓮がその次に当たる文字列を指す。
――当然この事、『Cynical Hermit』に、いや『Aqua』に知らせても僕は全然構わない。
むしろそうして欲しいと思ってる。
「――」
「…水原の旦那が散々警戒してた理由が良くわかるよ」
こんなメール見ちまえばね。…溜息混じりに呟き、蓮は煙管を持った手で自分の額をこつり。
………………見事にこちらの先回りしてるじゃないか、この本宮って男。
■乗るか否か
神聖都学園高等部PCルームの一つ。水原新一の不在に入れ替わるように現れた本宮秀隆。彼の話を受け、その場に居合わせた者――綾和泉汐耶、セレスティ・カーニンガム、シュライン・エマ、イオ・ヴリコラカスの四人は暫し呑まれて沈黙していた。
が、殆ど逡巡無く決断は付く。…冷静に考えればいい。本宮が言った話の通りであるなら利害は確かに一致する――だがこの男が信用出来るか否か、そこはまた別問題であるのは当然。この男が『Cynical Hermit』と呼ぶのが水原新一の事。とは言え水原当人を見る限り『Cynical Hermit』と言うその名を自発的に使っている節はまったく無いが――真実それが水原を指しているのなら彼は確かに四人と馴染みの人間であり、この場合身内と言える。シュラインやイオなどは前々から、汐耶やセレスティは今回からになるが――どちらの場合でも結局、『白銀の姫』に絡む事件に関して動く際には彼の情報を頼みにしていた部分もある。
どうやら今ここに居るこの本宮はその水原を、容姿も名前も性別も年齢も知らないままで、ただネット越しにだけ随分以前から、それもよく知っていると言う事になるらしい。両者の間にどんな関りがあったのかは知らないが、およそ真っ当な関り方をされていないだろう事は今ここで本宮の態度を見ていれば容易く想像が付く。…慈しむように自分の名前の一つを譲ったと言いながら、僕を大嫌いでいてくれる相手だからこそ、と言ってのける。更にはそれが信用の条件になるだろうと平気で言えるような付き合いとなれば、何処か常軌を逸しているとしか思えない。
それでも――本宮の言うようにそもそも知らないのなら嫌う事すら出来ない。とことん嫌っていると言うのなら、その嫌う相手の人格をそれなりに把握しているだろうと言うのも、わからなくはない。その上で、わざわざこちらに来て話をする事を選んだ――となればそこの言い分だけについては、疑わなくてもいいかもしれない。仕方無いとばかりに小さく息を吐き、まずシュラインが頷いた。
「…わかりました。行きましょう」
創造主の浅葱さんのところに。
「ん。有難う。…他の方は?」
シュラインの言葉に頷き返してから、本宮は他の三人に振る。と、今度はセレスティが口を開いた。
「確かに仰る通り当面の利害は一致しますが――私は今すぐには行けません」
元々、こちらには情報を頂く為だけに来た訳なので――屋敷に一度戻らなければ済まない用事も残しておりまして。
「そうですか。…んじゃ、その用件が済みましたら――こちらのお願い聞いてもらえる事になるんでしょうか?」
「ええまぁ。ただ屋敷で用が済みましたら――屋敷から直接アスガルドに伺った方が早いと思いますけれど」
「遠いんでしょうか?」
御屋敷。
「近くはないですね。…それにこの身体ですから、あまり無理をしたくもないんですよ」
「そりゃごもっともで。まぁ、合流地点を示し合わせておくなら中で会う事も出来ますか」
と、本宮がそこまで言ったところで――汐耶があの、と口を挟む。
「やっぱり私は貴方が信用出来ないんですけれど。開発者権限でのログインでしたか、それ自体も本当に何処までゲームシステムに干渉出来るのかが私たちにはわからない。それで送ってもらったとして――そのついでに何かこちらの思惑に沿わない事を私たちのユーザーデータに組み込まれる可能性だって否定できないと思うんですが」
アヴァロンの王墓に行き浅葱さんを起こしてプログラムの修復をさせる、黒崎君に浅葱さんを殺させないようにする――その事自体は呑んでも良いと思えますが、ただ私はそこで貴方に細かい手出しをして欲しくないと思います。
「…でも正攻法でアヴァロンの王墓に向かうのって結構掛かるよ?」
時間のロスはあまりしたくないんだけどね。不正終了のカウントダウンはとっくに始まってる事だし。
「それも貴方自身の蒔いた種ですよね?」
「まぁそうとも言えるけど。でも『世界のリセットは前回まででもう充分』だ。同じ要素の繰り返しだけで成長するのはさすがにここまでだろう。彼らはもう充分育ったよ」
「――。…貴方は」
言って、汐耶は挑むように本宮を見る。
「決めました。中の事はシュラインさんやセレスティさんにお任せする事にします。…貴方を見張る目もあった方が無難かと思いますから」
それに浅葱さんにプログラムの修復をさせると言う話になるのなら、『Tir-na-nog Simulator』の方――アリア嬢との中継、フォロー役も必要になりますよね。私はそちらに回ります。
「だったら僕もそうします。…一応パソコン扱うの少しは慣れてますし、腕っ節の方にも多少覚えはありますから」
大の男を綾和泉さん御一人に任せてしまう訳にも行きませんしね、直接の実力行使が可能な面子が残ってた方が安心でしょう? とイオも汐耶に倣い残留組として手を上げる。
それらを見て本宮は苦笑した。
「…あらら。でも僕に手を出すなって事になると、貴方たちが今ゲーム内で何処まで行ってるかが本当に重要になって来るよ? どのくらいイベントに噛んでいるかによって、レベルやアイテムの条件によってアヴァロンへの行き方は変わってくる。それに掛かる時間も変わってくる」
アスガルドでのユーザーとして現在居る状況教えてもらえばその時点からの道案内の説明はすぐ出来るけど…貴方たちは今どうなってるのかな?
困ったような本宮のその言葉に、それなら、とシュラインが口を開く。
「私は現時点でジャンゴからアヴァロン島までの間を自在に行き来出来るだけの能力があるアイテムを持ってます。一度足を運んだ場所限定になりますけれど、即座に転移できるアイテムを。私一人の転移ではなく転移先への道を開くのでパーティごと他の人も移動出来ますし。…ただ私が今進んでいる地点から先、アヴァロンの王墓に至るまでに何か条件があるのなら…そこはまだ知りません」
「そこまで来てるんだ? だったらその先は簡単。ただ内陸に進めばその内王墓にぶつかる。で、王墓に着いたら墓所の番人アヴァロクの許可貰って中に入り、テウタテスの聖鍵で棺を開ける、と二つの手順が必要になるけど」
まぁ、アヴァロクの方はユーザーデータが邪竜側の属性付けになってない限り問題無しとして――テウタテスの聖鍵、持ってる? 今のシュラインさんの状態なら、そこだけが問題だ。
本宮にそう訊き返され、シュラインは内心で安堵の息を吐く。
「持ってます」
「だったら大丈夫だね。手段があるなら僕がわざわざ出て行く必要も無い。…それなら貴方のお話も呑めそうだ」
本宮はシュラインに頷いてから科白の後半、汐耶を見てあっさりと言い放つ。
が、すぐに――ああそうそう、とぽんと両手を合わせ、シュラインとセレスティを改めて見る。
「向こうに行ったら僕の名前も好きに使ってくれていいよ。本宮の名は浅葱君の説得にはいい道具になるだろうからね。…それからひとつ伝えておかなきゃならない事がある。貴方たちじゃ――恐らく誰も気付かないだろう事。アリア嬢の存在をゲームの異界化を魂だけの状態で存在すると言う事実をあっさり認められる貴方たちの理論で攻めるならこれは最早言う必要の無い事だと思いそうだ」
「…私たちでは気付かない、ですか?」
怪訝そうに、シュライン。
「…伺いましょう」
セレスティは仔細を問う事をせずただゆっくりと頷き、先を促す。
と、それを認めてから本宮は続けた。
「確かに今現在の…両方の『世界』を見ての現実問題、考える必要は無いかも知れない事です。ただ…想像してみて欲しいんですよ。自分自身が怪奇現象と縁の無い一般人な浅葱孝太郎だと想像してみて欲しい。そうしたら――まず一番気になる事は何になるか? …『他の何をやるより先に、当人にとって一番重要であって然るべき事』です。浅葱君本人にとって、まず一番重大な――そして同時に一番効く言葉は何だと思います? 世界が壊れる、モンスターが暴れる、現実世界にゲーム世界が浸食している――殊、自分自身の事である限りそんな事よりもっと優先順位が高くて普通の事がありますよね? どれ程ゲーム作成と言う自分の仕事に対し使命感責任感ある人間だったとしても、どれ程の博愛主義者だったとしても」
想像付きませんかね?
「――」
「…今答えを言う必要はありません。答えは浅葱君の前で最後の手段として使って欲しいんですよ」
その答えが最後の手段になる筈ですから。…そう、一般人に対する時には一般人の感覚を大切にしなきゃ話は通じない。人間は自分の範囲内でしか物事を考えられない。理解ができない。自分の思考範囲から完全に逸脱してしまった事柄を目の当たりにしたなら、ただの理解不能にしかならない。そしてその事柄に少し慣れれば地に足が付いていない夢幻としてだけ理解する。それ以上に本当の本当に現実だと理解するには…相当の時間が経験が覚悟が必要になる。
「覚悟しといて下さいね? 幾ら懇切丁寧に説明されても――浅葱君が今すぐに、本当の意味で現状を理解出来るとは僕は思わない」
アスガルドの大地に立つ自分を見ても自由意志で動く女神を見ても己がモンスターに襲われたとしても。
当人が理解したと認めたとしても。
彼は本当に心底から理解出来てやしないよ。
…生きていた時の浅葱君に、それらを理解出来る素地は何処にも無かったんだから。
彼を相手にする際には、この事が大前提になると思う。
憶えておくといいよ。
■合流
…兵装都市ジャンゴ。
その城門内側でシュライン・エマは人待ち風に佇んでいた。客観的に見える通りに人を待っている――待ち合わせ。ただ、草間武彦と真咲誠名の二人については――今回は、ジャンゴで待ち合わせてはいない。他の面子を待っている。
シュラインはプレイヤーとしてエヴォリューション化してから、以前までと比べ各段に機動力が増した上に能力としての安全性も増した為、現実世界へ戻る時等、単独行動を取る事もまた増えている。…そして今回もそれだった。そこで――現実世界にて本宮の話を聞く羽目になっている。
と。
目の前に――綾和泉汐耶が現れた。
…現実世界に残ると言っていた相手である。
「?」
シュラインは思わずきょとん。
「…まだ何方とも合流してませんね。間に合いましたか」
「…どうしたの汐耶さん」
「朔夜君と玖渚君が水原さんの方から合流するのでお知らせに来ました」
「! 水原さん――無事だったの」
「ええ。今『Tir-na-nog Simulator』の方に居ると。ダリアとは別れたらしいです。…ダリアはどうも本宮助教授を捜している節があるようで…連れ回す意味が無くなったところで水原さんは放り出されたとか。…経過としてはダリアが水原さんの持つ情報を引き出している最中、本宮助教授に興味を持ったらしくて――どうも彼と繋ぎを取る為に水原さんは連れ回されていたんだそうですよ」
「…それって」
「実際に遭ってはいないそうです。ですがダリアの方は――今現在、行方が知れないと」
なので現実世界の方でも余計に放り出せない状況なのはわかってますので、すぐ戻るつもりなんですけれど。
「…ただ、水原さんが気になるメールを送ってきまして」
シュラインさんのアスガルドでの能力の事も水原さんには伝えてありますし、朔夜君と玖渚君もそのつもりではあるんです。あるんですが――それでも、水原さんは本宮助教授の開発者権限の能力を借りた方が時間的には早いと敢えてこちらにメールで伝えて来たんです。それも、開発者権限でのログインの機能限界を詳細に書いて知らせまでして。
「ですから…ひょっとするとこのメールには何か別の意図があるのかとも思いまして。で、朔夜君と玖渚君の二人に連絡付けるにはアヴァロンに向かう前でないとできないと思ったので――水原さんと連絡取るよりこちらに先回りする事にしたんです」
彼らを捕まえるにはその方が確実に思えたので。
「…そう。じゃあ、水原さんも本宮氏も…もう両方で正体が割れてるって事なのね」
「水原さん自分でバラしてましたよ。今言ったメールの中で」
「…本当に大丈夫なのかしら。まぁ、それは御本人の判断なんだから私がどうこう言う事ではないとして…そのメールは…こちらで、アスガルドで急がなきゃならない何かが起こってるって事なのかしらね。それが何らかの方法で外からわかったのか…って言っても、急がなきゃならなくなりそうな心当たりは山積みだからどれが来たとしても悪い知らせになりそうだけど」
眉を顰めつつ、シュライン。
それに頷きながらも、汐耶はまた口を開いた。
「…もしくは何か内密の用があるって可能性も考えてみたんです。多分、こちらの動きの直接のモニターはそう簡単に出来ない筈ですから。本宮助教授が言ってたクロウ・クルーハと黒崎君が融合した際の演算処理過程を直接見てたって話も…そんな事、『Tir-na-nog Simulator』本体からでもないと、それもプログラムとして書いてある意味が直接理解出来るような人間でないと無理だと思えますし」
なら今は、一番警戒すべき本宮はコンピュータから隔離状態に置いてある上、『Tir-na-nog Simulator』の方には水原が居る――中の方がまだ機密性は守られる。
と。
そこで、セレスティ・カーニンガムの姿が現れた。来るなり、お待たせ致しました、と優雅に御挨拶。そしてすぐに汐耶を見た。
「…ところで…汐耶嬢も気が変わられてこちらに?」
「いえ、私は朔夜君と玖渚君が水原さんの方から合流するって話を知らせに来たんです」
「ああ、それなら水原さんから私も聞いていましたよ。…入れ違いでしたね」
「…それと、既に話が付いているのに、改めて水原さんから本宮助教授の助力を受ける事を勧めるメールが届いたんです。それに何か別の意図も感じたので、向こうから直接来る朔夜君たち二人と会ってみようと思い…ログインしたと言う理由もあるんですが」
「そうでしたか。…あ、いらっしゃったようですよ」
セレスティがそう言うなり、二人の姿が現れる。朔夜・ラインフォードに玖渚士狼。
「あ、やっぱり綾和泉さん来てましたか」
にこりと微笑みつつ、エマさんも、セレスさんもと朔夜は順繰りに御挨拶。士狼も続けて無言で目礼。そんな姿に、まず汐耶が声を掛ける。
「やっぱりそう言う意味だった?」
中に来い、と。
「はい。…水原さんが綾和泉さんならこうするだろうってって踏んだみたいですがその通りですね」
幾ら急ぐって言っても綾和泉さん、本宮さん押さえたまんま奴の行動許す気ないだろうから…なら今はイオ君も奴と同席している事だし、直接中に呼んだ方が――中で連絡取ってみた方が奴に対して隠し事するには適してるって。中での会話ログは念の為後で消すからとも言ってました。
「…てな訳で、何だかんだと示し合わせておきたい事はありますが取り敢えず時間が惜しいので――水原さんの方から託されました緊急の情報から行きます」
「不正終了の引き金になるジャンゴ襲撃でしょうか」
緊急に知らせる必要がある――とは言えこちらの目的も元々急ぐつもりで来ている以上今更改めて急ぎと言い出す必要も無い――ならばこちらが目的としてログインした件とは別になるでしょう。そう思い、セレスティは朔夜を見た。と、即、朔夜はセレスティを見返し、こくり。
「はい、ジャンゴ危ないらしいです」
「…もう」
言葉少なに、シュライン。…それはいつか来る事と知ってはいたが――ここで周辺の人間を見ているに、まだそれ程切羽詰まった様子には見えない。まだ幾らかは時間があると思っていたのだが。
「えー、曰くクロウ・クルーハ――ってこれは黒崎君の方じゃなくて今現在各所で実際に暴れてる邪竜の方ですが――のジャンゴ侵攻時に使用する固定された最終進路に入ったみたいだって、『Tir-na-nog Simulator』の元プロジェクトメンバーだった人が気付きました」
アスガルドの中から見るとまだ時間的な余裕ありますけど、外で演算処理過程見てる分にはここから先のイベントは加速していくだけだったと思うから一応の警戒は始めた方がいいって話で。…それだけならそんなに緊急でも無いんですがね、その上に水原さん曰く――異界化している中で、『Tir-na-nog Simulator』のシステム根幹プログラムが直接動かしてるらしい邪竜の巫女ゼルバーンが、わざわざ不正終了を起こしたがっている以上――元々のイベントからして加速し易いレールに乗ったなら、その加速度が本来より各段に上がる可能性も考えておいた方が良いって事らしいんですよ。だから緊急の情報なんです。
「…それと中ボスクラスのモンスターがイベント無視して妙な位置に集中し出してるらしくて」
朔夜は続けてまた別の情報を明かしてくる。
シュラインの顔色が変わった。
「位置わかる!?」
即座に鋭い声で促しつつ、ざっとシュラインはアスガルドの世界地図を出して広げた。…中ボスクラスのモンスターが移動、話による黒崎の目的。そして自分の知っている黒崎の態度。そうなって来ると――アヴァロン上陸後に袂を分かってしまった黒崎の居場所はそこになるのかもしれない。と、今度は朔夜ではなく士狼の方が手を伸ばし、地図上の一点を指差すと小さく円を描いた。
「座標の数値からして――計算するとそいつらが向かっている先はこの辺りと予測できる。数値を見てから今は…もうある程度時間が経っている以上、はっきりとは言い切れないが」
「! そこは――」
アヴァロン島の範囲とも、湖に入るとも付かない未だ見ぬ場所。…但し、アスガルドの世界地図上で見るならばアヴァロン島に上陸した武彦らの居場所とごく近い事だけは確かで。…それは――武彦らと別れた黒崎が普通に歩いて移動しているのなら、ちょうどそのくらい離れていて然るべき位置とも言えそうで。
「本当に急ぐ必要が出て来たようですね」
ぽつりと告げる、セレスティ。…彼もまたその事は承知している、察している。
皆も頷いた。
と。
そんな中…ふと目に入る。
城壁沿い、視界の隅にアイテムボックス。
…元々、そんな場所にそんな物があるものなのか。
変である。
唐突にすぐ側にあった怪しげな箱の存在を認めるなり皆が一瞬停止する中、無言で士狼がその箱にすたすたと歩み寄る。そしてかちゃりと己が得物の刀を抜き放ち、何かあれば抜き身のその刀をすぐさま振るえる形に持ったまま――あっさりぱかりと開けてみた。
「…」
そのまま士狼は停止。
今度は、先程停止していた皆の方が動き出す。
「ちょっと玖渚君大丈夫!?」
「罠ですか!?」
「…どーしたの士狼君?」
それぞれ士狼に声を掛けながら、皆も駆け寄りひょこりと箱の中を見ると――上品に髭を生やした渋い顔立ちに、ただそれだけは子供のような――わくわくと何かを期待しているような青い瞳が見えた。
箱の中には――風体だけはばりっと決まっているカウボーイのような、だが妙に和み系のおっさんがちんまりと座り込み入っていた。
「…」
皆もまた無言。そして停止。
そんな様子を見、箱に入っていた和み系カウボーイなおっさんは何か訴えるように箱を開けた面子を見上げている。
こちらも無言。…そのままで暫し視線がぶつかり合う。
やがて。
「…何かと思えば…シオンさんじゃないですか」
がくりと脱力するシュライン。
と。
「は、はい…箱を開けて下さって…声を掛けて下さって有難う御座います…! 感激ですおはし使いのシオン・レ・ハイで御座いますっ!!!」
言葉通り感激したように箱から飛びでて来、シオンはまず士狼の手を取りぶんぶんと勝手に握手。次にシュラインの手を取りこちらにも握手。ついでに箱を開けても声も掛けていない、ただそこに居た方々にもひとりひとり握手を求め出す。
「…取り敢えず、罠ではなくてよかったですが」
小さく息を吐きつつ、苦笑混じりにセレスティ。
「本当に…もう、中身がシオンさんだったからよかったものの…いきなり開けたら危ないでしょう…」
こちらもセレスティ同様、安堵の息を吐きつつ士狼を見るシュライン。
「だからこそ中身を早急に確認すべきだと思った」
無表情なままあっさり言ってのける士狼。
「や、それもそーだけど…今こんな事で時間潰してる余裕はあるんでしょーか?」
そんな士狼を見、軽く突っ込んでみる朔夜。
「無いわね」
さくりと同意する汐耶。そうそう、と朔夜も頷いた。
「…んじゃそこの面白そうなシブいおっさんはひとまず置いといて、綾和泉さんへお伝えしておくべき事の残りを取り敢えず先に行きます」
「ってあああそんな、私を無視するのですかっ、折角出て来たと言うのにっ、私も是非一緒にお話伺いたいのですが…っ!」
「…。えー、まぁ先程言ったようにそんな訳で水原さん、本宮さんにはせめて中での経過を極力知らせない方向で行きたいようなんすよ。それから、コンピュータに触れてなくとも口の方で――言葉や態度で、情報の出し方隠し方で色々こちらの行動を操って来たりミスリードされる事が有り得るから…そちらの意味での警戒も怠らない方が良いそうです」
「了解。…仕事の方でも似たような申請者が居た事あったからある程度慣れてるつもりだったんだけど…どうもあの男はかなり上手みたいだって思ってたところなの。幾らやっても全然ペースが崩れてくれない」
でもそちらも向こうの得意分野なんだったらそれも当然か。…なら、また方法を変える必要がある。
「で、修正プログラム創造主さんにお願いできたら、そして現実世界に持ってくる必要があるならその為のログアウトは俺か士狼か…とにかく俺たちの方でやりますからそちらには出て行かない事にしたいと。こっちは『Tir-na-nog Simulator』のすぐ側に置いた端末から来てますんで修正プログラムも一番タイムラグなく持って行けますから」
「確かにその方が良いわね」
それに、そうした方があの助教授の裏をかける事にもなるかもしれないし。
「それからも一つ重要な件。本宮さんが今そちらにいる事はIO2や『Tir-na-nog Simulator』側の面子には言わないで隠し通して欲しいと」
「…え?」
「…いえね、本宮さんをIO2の皆さんに引き渡したら、それで安心出来るどころか彼に操られる手駒が増えるだけになる可能性の方が高いそうです。彼は組織を相手にするのは慣れてるから、との事で。だからできればイオ君と綾和泉さんの方で止めといて欲しいそうで。その方がまだ本宮さんの手足を封じられる、と」
「…そう来る訳ね」
はぁ、と汐耶は嘆息。すいません嫌な連絡で、と朔夜も苦笑。
「…ま、綾和泉さんの方にお伝えしておくべき事はそんなところです。後エマさんセレスさんにお伝えしなきゃならない事の方は――これから道々って事で」
「わかりました。それに――話すなら草間さんや誠名さんとも合流してからの方がいいかもしれませんしね」
「そうね。じゃこれから、武彦さんのところまで道を開くから」
そう言いながらシュラインはその場で屈み、片膝を突く。自らの花飾りから伸びる蔓草の一本を地面に突き刺し――静波号と一声。
■
それで、殆ど時差無くシュラインの持つアイテムの力で草間武彦らの待つアヴァロン島へと道が開かれる。この力を使うと一度行った場所になら、殆ど瞬間移動に等しい行動が取れる。
…ジャンゴ時点で汐耶とは別れている。シュライン、セレスティ、朔夜、士狼、そしてどさくさに紛れて同行のシオンの五人がアヴァロン島のパーティへと合流した。
アヴァロン島の側に居るのは草間武彦に真咲誠名。それと黒崎が攫う形で連れて来ていた女神ネヴァンに…湖の手前でネヴァン奪還の為彼らのパーティに追い着いていた瀬名雫。
…黒崎潤は、居ない。
彼は――アヴァロン島に上陸してから、姿を消した。…それ以前からも様子は何処かおかしく、アヴァロンへ通じる道を守るダム・ド・ラックに邪悪なものと判断され、それでもネヴァンのとりなし――と言うより殆どネヴァンを利用した黒崎の恐喝にも近い状態でやり過ごしたその後から、一行が同じパーティとして共に居る事が不自然であるような状態にまでなっていた。湖手前で合流した雫の、黒崎に対する毛を逆立てた猫のような最大級の警戒振りもそんな空気になった大きな理由だったかもしれない。けれど雫のそれも一度その相手に斬られた身、目の前で女神を攫われた勇者にすれば当然の話で。邪竜の巫女に近しい性質の誠名が居た事と――場所が湖を渡る船一隻の中であったからこそ仕方無く共に居たような、そんな風があった。
そしてその予想通り、アヴァロン島に上陸後、黒崎は姿を消している。同行していたパーティ――その時はまだシュラインもセレスティも同行していたのだが――の皆は彼の存在を捜したり、アヴァロンでの外界へ通じる道を捜したりと色々動いていたが――やがてシュラインが自らの花飾りの色合いが変わって来ている事――現実世界の時間に準じて色が変化するので――に気付き、彼女とセレスティは現実世界へ一時帰還する事にした。
なのでそれ以後の事は、シュラインもセレスティも、知らない。
武彦曰く、現実世界に戻っていた二人の居る時と行動自体は同じ。ただ、別れて行動する中、誠名が城を思わせる石造りの建物を見付けたと言う。で、ネヴァン曰く誠名の見付けたその城はアーサー王の墳墓だ、との事。…但し、事前にそう設定されていただけで、イベントらしいイベントはまだ何も設定されていない場所だと言う。
「…そこだわ」
シュラインが呟く。続けてセレスティも頷いた。
「ですね。…本宮氏は明確に彼の事をアーサー王と見立てていました」
「? …現実の方で何か掴んできたのか?」
武彦に問われ、改めて現実世界から合流したシュライン、セレスティ、朔夜、士狼の四人は向こうで得た情報を話し出す。…創造主である浅葱を黒崎に殺させない事、そして浅葱にプログラムの修復をさせる事が急務だと言う事。黒崎とクロウ・クルーハが融合して同一存在になっている事。ジャンゴ襲撃が早まる可能性がある事。ここのすぐ側で中ボスクラスのモンスターが合流を始めている地点がある事。真咲誠名が邪竜の巫女と重なる属性および能力設定になっている理由。そしてこの件に関し裏で糸を引いていた事をあっさり自白した上で異界を破壊しない為の協力を求めて来た本宮について話すに至り――そう簡単に事が露呈しない訳だ、と武彦は苦虫を噛み潰す。
ネヴァンもまた驚いたように口を押さえて瞠目していた。…アーサー王の墳墓に創造主が眠っていると言う事。それに自らも知る創造主の友人が世界をこうなるように促した当の人間であると言う事。そして――ずっと話をしたかったクロウ・クルーハ。それが、あの黒崎当人だったとは。そしてその黒崎が、恐らくは創造主を殺そうとするだろうと言う事にも言葉を失っている。
そんなネヴァンを雫は心配そうに、見た。…話がそう転がるのなら、黒崎のあの態度も…それは雫にしてみれば、された仕打ちを思えば彼に対し怒りを覚えるのも当然なのだが…それでも少し冷静さが戻ってくる。…元々、ネヴァンが友達になりたがっていたのはゲーム内一番の悪役だ。つまり悪者で当然。そこを、無茶を承知で話に来た訳なのだから。
「じゃあ、ネヴァンちゃんが友達になりたがってたクロウがイコールであの黒崎って事…なんだ」
「…ええ。本宮氏…彼から、不正終了前の演算処理過程で直接見ていたと伺いましたよ」
融合するところを、と。
「でもだったら…あの巨大な黒竜は何なんだろ」
セレスティの説明を聞きつつ、ふと素朴な疑問を呟く雫。
と、ぱんぱんと注目を集めようと手を叩く音がした。誠名。
「ま、それはそれとして――まずは創造主様の方を早いとこ把握しといた方がいいだろ。黒崎だって遅かれ早かれどうせ来る。俺の見付けたその城が目的地なら、とっとと叩き起こしに行こうぜその創造主様とやらをさ。…ただ、何かヤバそうな骸骨武者が門の前に立ってたのが唯一気になる点なんだが」
「骸骨武者…アヴァロクかもしれませんね?」
ぽつりとセレスティ。
「行きましょう。…本宮氏にそれも聞いてる」
確信し頷くシュライン。
と、朔夜がすかさず相槌を入れた。
「そっすね。…黒崎君に先越される前に行かないとですもんね」
■王墓
と、誠名に連れられ一行はアーサー王の墳墓まで来た。来たが――そこでびしりと骸骨武者から剣の切っ先が向けられた。が、一行が改めて話し掛けると…誠名以外へは何もお咎め無し。ただ我が名はアヴァロクとの名乗りと、邪悪なものはここを通さないとの話を重く響く声で告げられた。で、安らぎを乱すものでなければ――女神及び勇者なら、用件があるのならば中へ入るのは構わないともあっさり。
つまりはここでも誠名が邪竜の眷属扱いで弾かれている。が、そんなアヴァロクに対し――まぁまぁそんな怖い顔なさらずに取り敢えずお茶でもどうぞ、とシオンが何処から取り出したのか寿司屋で出て来そうな貫禄ある湯呑みを勧め出す。…その湯呑みからはほんわかと湯気が立ち上っている。
…アヴァロク、無反応。
と言うか反応に困っているらしい。適した応答パターンがデータ内に見当たらない。
そんなアヴァロクに対し、無闇に戦っても何もいい事はありません、とシオンはお茶を勧めつつ切々と説得を開始。が、アヴァロクは相変わらず無反応。
それを見――面倒になったか誠名がシオン以外の一行に、王墓内には皆さんで行ってくれと促す。今アヴァロクとお話中のシオンと、入れてもらえないらしい自分はここで待ってる事にするから、と。どうせ黒崎が来るならまずここだろうし俺はここに居りゃ用済むって事だろ、とも続け。
誠名のその発言を受け、一行は取り敢えず王墓の中へ行く旨、アヴァロクに声を掛けるだけ掛けてみる。それは自分たちは出入り自由とは言われたが、一応礼儀として。
が――アヴァロクは、やっぱり無反応。
…どうやらシオンの入力する予想外極まりないデータへの対応で手一杯らしい。
そんな訳で、シオンと誠名を除いた一行は王墓の中に先に行く。
荘厳な石造りの回廊を抜け、奥へと進む。
やがて至る墓所の中心――玄室。
中央に、棺が置かれている。その棺の蓋に――鍵穴。
頷き合い、一行はテウタテスの聖鍵を所持する者へと視線で促す。結局、聖鍵を取り出し解錠を試みたのはシュライン。
ゴゴゴ、と重く蓋がずれる音がして、棺が開く。
そこには――騎士風の鎧を纏った、眼鏡の青年が横たわっていた。
棺の蓋が完全に開くと、薄らと目を開ける。
そこを覗き込む一行。…ネヴァンもその中に居る。
と。
「ネヴァンたん、萌えー」
…。
眼鏡の青年こと創造主・浅葱孝太郎のその寝惚けた第一声の直後、錫杖の石突&日本刀の鐺が、殆ど反射の領域でずぱっと彼の腹に決まっていた。
…それで今度こそ本当に浅葱の目が覚めた。が――やはり事前情報通り、浅葱に今の状況は全然わかっていない様子で。まず目覚めて早々萌えた(…)ネヴァンの動く姿に驚き、自分が書いたプログラム通りの風景が見渡す周辺にある事に途惑っている。
起こされ早々、色々と事情を説明され、大人しく話を聞いてはいるのだが…この浅葱、どうも何処か本気に見えない節がある。確かにこんなゲームの作成を任されるだけあり、物事に対する理解力はあるようで皆の説明も比較的すんなり通じはした。つまり浅葱の方でも現状について取り敢えずの把握はなっている。が、まだ何か引っ掛かる。…それは本宮から事前に聞いた話――本当の意味で浅葱君が現状を理解できるとは思わないと言う忠告――を聞いているからもあるのかもしれない。
話を一通り聞いて、浅葱はわかりました、と溜息混じりに頷く。
「…つまり…まずはゲームの不正終了を止めるのが先決って事ですね」
皆さんが僕に求めたい事は。
確かに仰る通り、プログラムとしてできる事なら僕が一番早いでしょう、と浅葱。…確かにあのまま走らせっぱなしならいずれ不正終了して当然なんですよ。思いっきり途中ですから。ですが、プログラムの何処が途中だったかは勿論覚えてますし、修正パッチならすぐに書けます。…ただ、頭の中でだけなら速攻で組めますけど…って言うか最低限は話してる現時点で粗方出来てますけど、実際に書き出すには少し時間を頂かないと。あとそれから…僕にはここからシステムへの直接入力方法なんてわからないので…外から普通の方法で入力してもらう事しか思い付かないんですけど、と考えながら告げている。
「でも僕の命を狙ってる奴が居る、と来るとは」
ぼそり、と深刻そうに続け、浅葱は黙り込む。が、すぐに顔を上げ、何か書く物ある? と誰にともなく聞いている。するとネヴァンが羊皮紙と羽ペンを差し出した。これに書けば外の世界ではデータファイル扱いになる筈、と消え入りそうな声で告げている。ありがと、とネヴァンににっこり笑顔を向けながら浅葱。そして受け取るなりその羊皮紙にさらさらさら。既に頭の中で粗方出来ていると言う言葉は嘘では無いらしく、澱みなく手が動いている。…その後、更に続けられたネヴァンの儚い訴えなど、聞こえていない。
…プログラムで、モンスターたちの枷も、何とかして下さい、との。
■
そして浅葱はプログラムを書く事に没頭している状態になる。精一杯の勇気を振り絞って訴え掛けたネヴァンも、恐らくは単にネヴァンの声が小さ過ぎただけなのだろうが――訴えが創造主から完全に無視されるに当たり、それっきり口を噤んでしまった。
暫し後、シュラインとセレスティが武彦を少し離れた場所へさりげなく連れ出した。
…いったい何事かと言うと、ログイン直前本宮に言われた件の武彦への伝達とその相談。…『浅葱当人にとって他の何より重大だろう事』。現時点では敢えて『その件』は浅葱に言っていない。…それは――考えてみればその通り、浅葱に対して爆弾も同然のカードになるから。
現実世界で本宮が投げた忠告めいた謎掛けのその答えは――つまりは浅葱孝太郎は『現実世界では死んでいる』と言う動かし難い事実を上手く利用しろ、と言う事である。
そうは言ってもこのアスガルドで浅葱孝太郎が存在している以上、両方の世界の現状を考える限り確かにそれは最早どうでも良い事に含まれそうでもある…特に疑問も持たずどうでも良い事に分類してしまいそうな事でもある。だが、怪奇現象と縁の無い一般人なら、『普通に生きていると言う事』と『霊としてだけ存在している事』を――同列に並べて考えられる訳も無い。
改めて言われ、そうだな、その通りだ、と武彦も同意。…ネヴァンに不用意に聞かせてしまわない為に、アヴァロン合流組にはまだ伝えていなかった事なので武彦はこの件は初耳になる。が、その判断は正しかったろうと武彦にも思えた。今の浅葱を見る限り、少なくとも今の時点では――わざわざ言う必要は無い。
そしてその為にこそ、元々ネヴァン陣営に居た事もある朔夜と士狼が、浅葱やネヴァンの居る向こうの気をこちらから逸らせておく役に回ってくれている。それはゲーム内女神である以上ネヴァンには現実に於ける『死』の概念は良くわからないかもしれないが、それでも大事を取っておく必要はある。
「…その事実は余程の刺激になる。…下手をすると暴走しかねない」
人の生き死にに対してこういう言い方も何だが、確かに最後のカードだな、と武彦。
と、そんな会話をしている中、ふと士狼が声を上げた。…その場に居る皆に聞こえるよう。
「…少し外を、見てくる」
「来たみたい?」
黒崎君が。
「…わからん」
朔夜の問いに端的に返しつつ、士狼はシュラインを見る。…士狼の鼻には微かに『数多の人間』の匂いがした。シュラインは士狼の嗅覚同様、聴覚の方で細かく探査できる。その上に能力強化のアイテムまで所持となれば。
すぐに士狼の意図を察し、シュラインも花飾りを起動し周辺を探る。と――モンスターの群れが向かって来ている事が、わかった。それも殆ど、遭遇した事の無いモンスターばかり。
「来てるわ、モンスター」
「…となると、ここも危ないですね」
セレスティがそう告げるなり、シュラインがまた蔓を壁に差し静波号と唱え転移用の道を開けた。行って下さいと浅葱はじめ他の面子を促す。そして皆送り出してから――蔓を抜き道を閉じると、今度はまた別の場所へ道を開いた。…先程通って来たばかりの王墓の前へ。シオンと誠名を回収する為に。
と、シオンは相変わらずアヴァロクに対し語り掛け中。そんな姿にモンスターがこっちに向かってるの、とシュラインは訴えるが、そうなんですか、でしたら皆でお茶にすれば賑やかになりますね、とシオンは嬉しそうにぽむと両手を合わせている。動く気配無し。…シュラインは俄かに判断に困り、黙ったままの誠名を見た。
と。
「…俺ら残るわ」
「え!?」
「黒崎に対する説得の足しに俺のこの設定があるってんなら、も少し黒崎側の言い分も確り聞いとく必要があるだろ。そうじゃなきゃ何処突付きゃ効果ある説得が出来るかもわからねぇ。…結局奴とはろくに話もしてねえからな。それに俺なら…邪竜側にカウントされるだろうからモンスターにぶち当たっても敵対行動取らなきゃ危険てこたねぇだろうし。実際、黒崎の兄さんも俺欲しがってた事実がある訳だしな。…つぅか単純にな、どーも梃子でもここから動きそうに無いシオンの旦那放り出してく気になれねぇ」
創造主様の方はエマさんらに頼むわ。
苦笑しながらあっさり言う誠名。シュラインは暫し逡巡したが、すぐに決断し頷いた。そしてまだ話していなかった残り――創造主が核霊である事、現実世界では既に死んでいる事、それから王墓に居た創造主が目覚めた事、既に修正パッチファイルの作成を始めている事も伝え、本当に気を付けて下さいねと残し――シュラインは武彦たちの元へと一人で転移した。
■告知
創造主を含めた一行が送られた先はとある辺境の町。アヴァロンからと考える限り、最低限の施設が一通り揃っている町の中では一番近い町にもなる。食事処に各種アイテムショップ、回復施設にセーブポイント。基本的に移動先はセーブポイントのある町にする事は決めていた。パッチファイルが出来次第極力早く現実世界へ持ち出せるよう、予めそう示し合わせてある。
浅葱の様子は相変わらず。時折何か考えているように止まりもするが、すぐに再びペン先が羊皮紙に走り出す。
そこに、シュラインが少し遅れて合流。シオンと誠名はあの場に残る事にした旨も皆に伝えられた。
「…そうですか。確かに黒崎君の言い分も聞いておいた方が効果ある説得も出来そう…ですね。それに今の誠名さんなら…黒崎君が我々に言い難いだろう事――ひょっとしたら本音も、聞き出せるかも知れませんし」
そう考えると向こう側の属性である事、それがあの誠名さんであった事も都合が良いと言えば良いのかもしれません。…用件が済めばやった方当人に設定変更して頂きたいとは思いますが。ま、水原さんにそれが出来るのなら彼にして頂くのが一番良いんですがね。
考えながら、セレスティ。と、続けて朔夜がぽりぽりと頭を掻いていた。
「真咲さんの方はともかく…シオンのおっさんずーっとあの調子な訳ね…」
「…そうなの。気持ちはわからないでもないけど、やっぱり今の状況じゃ無茶にしか思えない。ただ真咲さん…誠名さんが一緒に残ってくれてるから…」
まだ何とか無事で居られるかもとは思うけど、と心配げなシュライン。その科白を受け、今度は武彦がシュラインを見る。
「だが今の黒崎に付いて行くようなモンスターなら、話が通じる可能性はまだあるんじゃないか?」
悪の役割が枷としてある中で、イベントを無視した行動が出来る――その時点で多かれ少なかれ自我の存在は考えられる。ならば冒険者だからと言って問答無用で攻撃されるとも限らない。今までの黒崎の動き方を考えれば、モンスターは彼の意志に従い動いているとなれば――余計に。
「…楽観的過ぎるか?」
「…そんな事は無いと思うけど…でも、元々がボスクラスのモンスターともなれば、少し話が合わなくて思わず手が出てしまった…って程度だけでも、充分過ぎるくらい危険でしょ」
話が通じると思いたいけど、それでも。
基本の立場は――まだ『敵』である事に変わりは無い。ならばマイナスの印象を抱かれているところから入らなければならないのが当然になるから。
「…そうだな。まぁ『殺され』た時点で離脱できる事にもなるからそれ程の心配は要らないと思うが。いい大人が自分で決めた事をどうこう言う必要も無いだろ」
「…『殺され』ない程度の状態で放って置かれるかも、って方が心配なの」
「…」
確かに、それは『ゲーム内』と言う現状では一番怖い事かもしれない。…誠名が檻に囚われていた件を知っている身にすると、このゲーム内で『生きて』いる限りは――どうやら現実同様の生身と変わらない扱いになっている訳で。はっきり衰弱もするし、怪我でもしたなら相応の痛みもあるだろう。しかもそれでいて、アイテムや魔法等ゲーム内で設定されている回復手段が無い限り治せない。ゲーム内故に、自然治癒が有り得ない――。
「…危ないな」
「ですね」
現状ではむしろ殺されない程度の大怪我が一番危険だ。そしてその程度の怪我こそ、シオンの置かれた現状では一番有り得る。そして黒崎側にすれば、そんな状況になれば敢えて止めを刺す気も回復させる気もどちらも無く、ただ捨て置きそうな気がする。
話がそこまで至ったところで、シュラインが周辺を見渡した。町の中、近場に高い建物は無いか――物見櫓風の小さな塔がある。そこに上れる事を確認すると――私も黒崎くんの説得始めてみる、と残してシュラインはその塔へと向かった。…シュラインの持つアイテムならば声だけを視界範囲内に届ける事が出来る。確かに黒崎の姿を見付けさえ出来れば、説得の役にも立つだろう。
一方の浅葱は――やっぱり相変わらず。ネヴァンを見ての寝惚けたオタク振りが嘘のような真剣な目で、羊皮紙にさらさらとプログラムを追加している。
そんな浅葱に、思い切ったようにネヴァンが話し掛けた。
「あ、あの、創造主様」
「…ん? どしたのネヴァンたん」
と、創造主様は今度はちゃんと聞き取ってくれたらしい。
「…他の皆にも、創造主様の事、教えてあげたいんです…」
アリアンロッドにも、マッハにも、モリガンにも。
手振りを交え、一生懸命ネヴァンは訴える。浅葱は少し考え、あっさり呟いた。
「だったらシュラインさんに頼んで次の移動先はジャンゴにしてもらおう」
「…良いのか?」
あまりに軽い言い方を聞き、意外そうに士狼。…事前に、ジャンゴ襲撃が早まる可能性があると伝えてもあるのに。そんな中で創造主当人が――ジャンゴに向かう事を是とするか?
士狼の呟きに、浅葱は得意そうに頷く。
「ええ。これを入力すれば不正終了は止まりますから大丈夫ですよ」
もう少しでファイル書き上がりますから、と浅葱は自信たっぷりに笑顔を見せる。…話しながらも走るペン先。動かす指も、淀み無い。
■
町にある物見櫓風の小さな塔の上。双眼鏡を使って、シュラインは周辺を見渡していた。特に意識して見ているのはアヴァロンの方角――だが、それらしき姿は、見えない。音も聞こえない。遠過ぎるのか。思いながらシュラインは他の場所に転移。今までの町よりややアヴァロンにも近くなる申し訳程度の集落。…ここの側に森があった。その森にある樹の上から再び黒崎の姿を探す事を考える。
何とか上ると、そこでまた双眼鏡。
…居た。
その背後にモンスターの群れを認めつつも、シュラインは花飾りを起動する。黒崎へと声だけを送る為――この異界の核霊である浅葱氏を殺せばこの世界が消える危険性がある事――それは同時に、この異界と半ば融合してしまっている現実世界、即ち黒崎自身が脱出を望んでいる当の外界も同じ道を辿る危険性がある事を声の形で送り届ける。…悪等元の役割から抗っているなら憎悪で何かを殺すのではなく、別の形での昇華を見つけないと本当の意味での脱却にはなり得ない事。…それから、枷設定の撤回希望や、他の要望があるならパッチに組み込むよう浅葱氏を説得、もしくは外で他の手を借りて変更を加えるから、早まらず一緒に道を模索しましょ、とも続けている。
反応は、返らない。…少し遠過ぎるのか、シュラインの耳にも黒崎側の声は、聞こえない。
そのままで暫し待つ。
と。
ばさり。
巨大な鳥が来たような音を立て、両翼を生やした古代の裸婦像――そんな姿が、いつの間に来ていたのかシュラインの前に現れた。反応が無かったのは――向こうも向こうでこちらの場所を捜していたからか。シュラインの前、宙に浮いたまま悠然と両翼を扇いでいるその姿は――ジェノサイドエンジェル。それも――何処か、通常モンスターとしてのジェノサイドエンジェルとは色も違い、翼も一回り大きい。…醸し出される風格からしてジェノサイドエンジェルの上位種らしいモンスター。シュラインは咄嗟に花飾りを起動し蔓を握るが、ジェノサイドエンジェルはそんなシュラインを黙って見ているだけ。攻撃する様子は無い。
少し様子を見て、シュラインも蔓を戻す。と、それを見届けたタイミングで、ジェノサイドエンジェルは静かに話し出した。
『…我らが王よりの言葉を汝に伝える。
――創造主も交え直に話せる場所を作れはしないか。創造主も同席するならば、話を聞く用意はある、と』
王の言葉と言った部分だけ、黒崎の声でジェノサイドエンジェルは告げる。
その申し出には、少し、躊躇った。
創造主も交え――それはつまり、話は聞くだけ聞くが、その詳細によっては創造主をすぐにでも手に掛けると、そのつもりでいるのは明らかになるから。だが同時に、この事で黒崎を説得出来ないならば――何を話しても届くとは思えない。
黒崎のコンタクトを受けるか、受けないか――まるっきり博打になる。
「…今すぐ返答は出来ないわ」
武彦や創造主の側と――相談の必要がある。勝手にシュラインが決められる事では無い。
「少し時間の猶予を頂戴」
言って、シュラインは己の服の袖に蔓草を挿し、時刻表示。それを見ながら――五分後にまたここに戻ってくるわ、とジェノサイドエンジェルに告げる。が、そうしてから、相手がその話を聞いて判断できる立場かどうかわからない事に気付き、改めて黒崎へと声を送る事を考える。
が、シュラインのその返答を予測していたか、声を黒崎に送るまでも無く、ジェノサイドエンジェルは再び口を開いた。
『…こちらの話を無視するならば、まずそこの集落から破壊すると言い付かっている。…ここから一つ一つ創造主を匿える居場所を封じて行く。絶対に追い詰めると。…努々忘れるでない』
言って、ジェノサイドエンジェルは再びばさりと強く翼を扇いだ。その勢いだけでジェノサイドエンジェルの姿は一気に離れている。そしてそのまま――元来た方、黒崎らの待つ方へと飛翔していく。
それを見届けてから、シュラインは花飾りの力を利用して、武彦らの待つ町へと――急ぎ、移動した。
■
帰還したシュラインの持ち帰った話に、一同は考え込む。黒崎がこちらの話を聞く用意があると言った事――但し、創造主の同席が条件だとも言った事。…つまりは話は聞くが話次第ではいつでも創造主を手に掛けると言っているも同然になる。
その話に、浅葱は冗談じゃないと慌てるかと思ったが――予想に反し、どう言う訳かそれ程慌てた様子は見られなかった。少し驚きはしたようだが、いいんじゃないですか、僕とも話したいって事なんでしょうし、とやけに冷静に自分から言っている。
…でもクロウはモンスターを悪として作った事で創造主様を憎んでる。なんでそんな事をしたのか――ネヴァンが漸くそれを訴えるが、浅葱は困ったように肩を竦めるのみ。…ゲームにはプレイヤーの敵対者が必要。面白くする為にはそれは確かに当然で、それでいちいち憎まれていてはクリエーターなんてやっていられない。
浅葱があっさりそう告げると、それを聞いたネヴァンは泣きそうな顔で駆けて行ってしまった。ネヴァンちゃん! と雫がすぐに後を追って行く。それでもなお、浅葱はあらら、と苦笑しているだけ。
それだけの反応。浅葱には今の状況が本当に危険だと言う認識が確りあるのか。そこから疑わしくさえ見えてくる。皆はそれぞれ思うが、それでもまだ、口には出さない。
で、結局シオンと誠名二人だけの同行を条件として、今居るこの町に黒崎を呼ぶ事に決断。浅葱当人からの異論が無いならそれでいい。…いつかは面と向かって対峙しなければ話は終わらない。
シュラインは一人黒崎らとコンタクトの取れた場所へ戻り、決まった話を伝える。と、その回答が届くなり、待っていたようにブースト・ワイアームの上位種と思しきモンスターがシュラインの居る位置に向かって三体飛んできた。良く見れば――それぞれに黒崎、誠名、シオンが乗っている。シュラインの元まで来ると、それぞれブースト・ワイアームから飛び降り着地。三人を運んだブースト・ワイアームは止まる事無く空中を旋回しそのまま戻って行く。シオンはその姿を振り返り、さよーならー、送って下さりありがとおございましたー!! とぶんぶん手を振りつつ元気にお礼。…取り敢えず無事のようだ。…シオンだけではなく誠名の方も。
黒崎はその場に着くなり、まだ樹の上に居るままのシュラインを見上げている。姿が変わっている。邪竜の如き眼に変わり、肌も黒く硬質化している顔半分。そして怪物の顎を思わせる鎧。
だがそんな姿以外は、前のまま。同じ存在では、ある。
「…黒崎くん」
「言われた二人は連れて来た。ここに僕たちを送って来たモンスターも返した。…話は、創造主のところへ行ってから――その約束だった筈だ」
「ええ」
言葉少なに頷くと、シュラインは気を付けながら地表に下りる。そして、改めてその足許に花飾りの蔓を挿し、静波号と唱えた。転移の為の道が出来る。それを見て、黒崎がシュラインに問うた。
「ここを?」
「…別に罠は無いわ」
「わかってるよ。シュラインさんはそう言う事をする人じゃない。少し前まで共に行動してたんだ。そのくらいは信用してる」
「…こちらの話を聞いてくれると言ったわよね」
「無論。あんた方の話は聞く。…但し、その結果――僕があんた方の話を受け入れるかどうかは別の話だ」
「…それも、わかってるわ」
「なら、それでいい」
淡々と頷き、黒崎はシュラインの開いた道へと足を踏み入れた。
■
町。
姿を見せるなり反射的に創造主こと浅葱を守る形に動いたその場の面子に、シュラインの開いた道から真っ先に現れた黒崎は皮肉げに笑った。殆ど時差無く現れたのが、シオン。次に誠名。最後にシュラインが現れると、道の向こう側に挿し込まれていた蔓が引き抜かれ同時に道が消滅する。
…久し振りな気がするな、と武彦がまず黒崎に声を掛けていた。そうだね、元気そうで何よりだ、と軽く返す黒崎。だがその目は、既に浅葱を――創造主を追っている。創造主の側もそれを真っ向から受けている――妙に、自信に満ちた態度に見え。
「で、ただ創造主を殺すなじゃなくて…核霊である創造主を殺すのは危険だ、って言い回しだったよね」
折角ここまで出向いたんだ。その話、詳しく聞こうか。黒崎は殆ど創造主だけを見たままで誰にとも無くそう告げる。と、創造主の方は肩を竦めた。
「…僕を殺そうとしている、と言う割には…話を聞く気はあるんですね」
「…内容次第だ。僕一人の力があればこの場に居る者たちなどすぐにでも一掃出来る」
貴様もわかっているんだろう? 創造主。貴様自身が設定した力だ――クロウ・クルーハの。
「それは通用しませんよ。クロウ・クルーハは倒されるべき敵ですから。何をしたって最後には女神の勇者に倒されてハッピーエンドになるのが定石です。悪役が居なきゃゲームは始まりませんからね。それに貴方みたいな悪役、結構受けそうだと思うんですよ」
ですから――不正終了を止める為のパッチに、新しく貴方の存在もイベントとして組み込んでみたんです。そうすれば僕を殺そうとする邪悪なものたちの王は今ここで最後になる。それから邪悪なモンスターも滅ぼされる事になりますし、めでたしめでたしなんですよ。
誇らしげにそう続ける浅葱。明らかに、挑発そのものと言った態度。
「っ――貴様ぁッ!!!」
当然、激昂し浅葱に躍り掛かろうと黒崎が剣を振り上げる。が、そこの前にシオンが出た。怒るのもわかりますがそれでも暴力反対ですっ、と必死で訴える。寸前で止まった黒崎はそんな姿にどけと怒鳴り付けるが、シオンはぶんぶんと頭を振って、どこうとしない。誠名もまたシオン同様、黒崎を引き止めようと動いていた。シュラインも同様、まだ話は終わってないと必死で止めに入る。浅葱に近い場所に居る事になる朔夜も攪乱の為幻術の行使を考える。士狼の持つ日本刀の柄にも手が掛かっていた。
武彦はぐい、と乱暴に浅葱の肩を掴んでいる。そしてそのままで浅葱に鋭く問うた。
「…本当にそれで良いのか?」
「なんでそんな事を訊く必要があるんですか。僕を殺そうとしている奴が居るなんて言うなら、防御に動くのは当然でしょう。幸いここは僕の作った世界なんですから、プログラムで命令を入力さえすればどうにでもできる」
「…お前はこの世界をそんな世界にしていいのか」
「勿論。ここは僕の作ったゲームです。壊すつもりも変えるつもりもない。面白くしようと言う提案なら呑む事もあるかもしれませんけどね、そうじゃなければ何言われても曲げるつもりはありません。…邪竜の姿で無くとも、彼みたいな強大な敵との戦いはかなりの旨味になると思いませんか? …それに皆さんの御要望通り不正終了の回避ならこのパッチで確りできるようになってますし」
それで…まだ何か困るんですか?
「…君自身、ずっとここに住まなければならないのに、同じ事が言えるんですか?」
さらりと告げる、セレスティ。…話を暫く黙って聞いていたところで、漸く割って入っている。
と。
一瞬、浅葱が沈黙した。そこから一拍置いて、セレスティを見る。
「え?」
「…君は何故自分がここに居ると思っていますか。君は確かに我々の話を聞き、理解した。我々の助力もして下さっています。ですが本当は――現実にこんな事があるなどとは露程も信じていないんじゃありませんか。良いところ君自身が見ている夢…その程度の認識なのではありませんか。夢の中ならば確かにその夢を見ている当人はヒーローなのかもしれません。ですが、これは夢ではないんですよ。おわかりですか?」
君の言動を見ていると、どうも実感が足りないような。
「何を…言いたいんですか、セレスティさん」
淡々としたセレスティの科白を聞き、何処か不安げに浅葱が口を開く。その態度は――セレスティが次に口に出すだろう言葉を無意識の内に予測しているような。
「君は現実世界では疾うに亡くなってらっしゃるんですよ」
あっさりと続けられた言葉に、今度は黒崎も停止した。剣は振り被ったままだが、その手は止めている。
「…どう言う事だ?」
そしてそのまま黒崎は訝しげに目を細め、セレスティを見た。そこに至って、ゆっくりと剣を引く。柄に納めるまではしないが、今すぐには攻撃をしない形。浅葱もまた、いきなり言われたその事実に停止していた。それを見届けてから、今度は武彦が続ける。
「創造主は、浅葱孝太郎は現実世界ではもう死んでいるんだ」
「…ですから今更この浅葱君を『殺し』ても君の望みが叶う事にはならないんですよ、黒崎君」
既に死んでいる者は殺せません。
武彦に続け、黒崎を見て告げるセレスティ。
と、黒崎は堰を切るよう激昂した。
「莫迦も休み休み言え! ならばそこに居る創造主はいったい何だと言うんだ!!!」
「ですから、シュライン嬢が君に伝えていた通り、核霊ですよ。今現在我々が居るこのアスガルド世界のすべてを成り立たせているものこそ、核霊になります。すべてと言うのは創造主と言う意味に留まりません。プログラムの変更でどうこうなるレベルの『すべて』ではないんです。…君たちが自我を持つようになったのも『彼がただそこに居た』から、そう言う事なんですよ」
そして彼をただ消したなら、このアスガルドも――事によったら君がモンスターたちを連れて出て行きたいと望んでいる外界すらも破壊される危険性があるんです。現実世界にもこちらの世界の要素が現出していると言う話は、君も御存知の筈ですね。…それ以降の経過を見ても、同じ状況を呈しています。…いえ、同じではありません。アスガルド世界の現実世界への浸食度合は時を追う毎に増しています。
明らかに、同じタイミングで影響が出ているんですよ。両方の世界に。
そんな中でこちらのアスガルド世界が壊れたら、どうなると思いますか。
「――」
セレスティの言葉に、黒崎は瞠目したまま動かない。
と、今度は浅葱の方が冗談じゃないとばかりに声を荒げた。…漸く。
「ちょっと待って下さいよ、じゃあ僕はいったい何なんだ!? こうやって動いてる、貴方たちと話もしてる。今修正パッチだって書き上げた」
これでも死んでるって言うんですか!?
動転した浅葱の声に、今度は士狼が冷静極まりない口調で即座に返す。
「その通り、死んでいる。…学園からの帰宅時に車に轢かれ即死だったそうだ」
「…だから今の兄さんはこの世界の核になってる霊って事なんだって」
「――っ」
あっさり続けられた朔夜の科白に、浅葱は言葉を失う。そしてそのままで頭を掻き毟った。…尋常ではない様子。…やはり、懸念していた通り――今ここでこうしている事自体が本当の事だと、現実に起きている事だと言う実感が足りていなかった、らしい。
そんな浅葱の姿も見えていないように、黒崎は動かない。
必死に思考を巡らせる。創造主を殺したら外界まで壊れる可能性。それは――困る。王として最も優先すべきは同胞と共にこのアスガルドから脱出する事。話が真実ならば復讐を果たせばそれが成らない危険性が高い。そしてそれを言ったのが、一時期は同じパーティとして同行した事もある武彦やシュライン、セレスティであるならば、この局面でそんな苦し紛れの嘘を出してくるとも思えない。
だが――この憎き創造主を目の当たりにしながら、無罪放免黙って放り出せと?
――そんな事が、出来るか!
「…黒崎さん」
心配そうにそんな黒崎を見るシオン。と、創造主様殺して外出なくても、今の時点で外からならプログラムはいじれるぜ、と誠名が口を挟んだ。ええ。とシュラインも頷く。
「そう。外でもプログラムがわかる人は居るし…悪としての枷を取り払ってここで生きる事も出来る筈」
水原さんとか、他にも――と敢えて本宮の名を出さないままでシュラインは説得を続ける。が、真剣そのものなシュラインの説得に対しても、黒崎は緩く頭を振った。否定。
「…そんな事は望まない。僕たちは例えどんな形であれ他者に定められた設定に甘んじる気はない」
ぎり、と剣の柄を握り直し、黒崎は凄まじい憎悪を込めた両眼で改めて浅葱を睨む。その視線に気付き、浅葱はびくっと慄いた。だが黒崎はその剣を振るわない。ただ憎悪をぶつけるだけで止まっている。
…それは、今ここで浅葱を殺したらこの世界自体、それどころか新天地と考えていた外界すらも危うい可能性があると言われたその事を、確りと考えているが故で。ならばどうやって創造主への報復を行うか――必死で思考を巡らせている。
話がまったく通じない訳ではない。
と、今までの情報から己でもそこまで察するなり、浅葱はやや裏返り気味の甲高い声を上げた。
「じゃ、じゃあ取り敢えずこうします! 先のイベントは全部消します! 今のところ誰もの意見が一致してるのはただ不正終了の回避なんでしょうからそれだけにしますっ!! それ以外一切いじりませんっ!!!」
やや自棄気味に言いつつ、浅葱は修正パッチ及びその先のイベントをも書き込んでいた羊皮紙を広げ出すと×印や消去線を派手に書き入れて行く。それらで消されるなり、文字自体も消え、その余白にプログラムが詰められた。そして時々、命令文を閉じ直す為プログラムを少し書き加え、次の場所にまた×印――同じ事を続ける。
暫しそうしていたかと思うと、程無く、はい出来ました! と怒鳴るように告げ、くるくる丸めた羊皮紙を誰へともなくずいと差し出した。
と、はい有難う御座います確りと配達致しますんで――と朔夜が前に出、当然のようにそれを受け取る。んじゃ早々に失礼しますね、と他の皆を見、声を掛けてそのまま当然の如くすたすたと歩き出した。
そんな彼に続き、士狼もすぐに朔夜の後を追い掛けた。例え僅かな間であろうと一人で行動しない方が良いだろうと見た為の事。…そして朔夜がパッチファイルを渡されてすぐ行動した理由はつまり、余計なちょっかいを掛けられるような隙を作らないようにと考えて。
…と、そんな感じで創造主の手により大幅に減量された修正パッチファイルは、事前の宣言通り朔夜と士狼の手に寄って済し崩し的に現実世界へと運ばれる事になる。
■始まりの都市
で、現実世界へとパッチファイルを運び出した朔夜と士狼を見送り、ネヴァンと雫を再び捕まえ合流していた一行は――ジャンゴへと移動していた。
…黒崎も、取り敢えず剣を納めていた。創造主をただ殺してしまっては本末転倒であると言う事。不本意極まりないが、それは一時的にでも「殺す」と言う形での復讐を思い留まるには充分な理由になる。…とは言えやはり憎き相手が手の届く位置に居る事には変わりなく。黒崎の表情は当然、険しいまま。だがそれでも、行動としては大人しく一行に付いて来ていた。
着いたのは、知恵の環に見下ろされる広場。
そこは殆どジャンゴの中心になる。
細かい場所を選んだのも、浅葱。曰く女神からわかり易い位置を選んだとの事。今こっちには僕が居て、クロウと融合してる黒崎さんまで居る訳だから、わざわざ呼びに行かなくてもどうせ血相変えてすぐ出てきます。そこまで言うだけ言って、浅葱はその辺適当に座って下さい、と一同を促す。
と、浅葱の言う通り――殆ど時を措かず、女神&その勇者が次々現れた。…唐突に現れた創造主を見て驚いているアリアンロッドに――武彦とシュラインの姿を見、これまた軽く驚いている様子の零。手応えのありそうな黒崎を見て狂暴そうな笑みを浮かべるマッハに――只事ではない様子の一同を見、何事ぢゃ皆の衆と思わず声を掛けている嬉璃。創造主と黒崎の姿を同時に認め、不快そうに、そして同時に警戒した様子で目を細めているモリガンと――見知った顔が並んでいる事に気付きやや安堵している三下。
役者が揃ったその場所で。それぞれの立場と思惑が交錯し――俄かに、緊張が走る。
が、その緊張を破るように――浅葱が口を開いた。…皆それぞれ言いたい事はあると思うけど取り敢えず実力行使だけは無しね、今はそれどころじゃないから、と一同を見渡している。その言葉にまず反対したのがモリガン。その理由は黒崎。…詳細はわからぬまでも、彼が邪竜の眷族であると見抜いた為。マッハもまた、好戦的な視線で黒崎を射貫いている。アリアンロッドも――それは創造主の言葉通り即座に実力行使に出る気は無いが、警戒している事に変わりは無い。一触即発。が――そこを、浅葱がまた鋭く制止した。
「ちょっと、それどころじゃないって言ったよね」
今問題なのはこの世界の事。邪竜でも何でも、立場なんぞ今はどうだっていいんだ。
「どうやら僕の立場もNPCである君たちと殆ど変わらなくなっちゃったみたいだからね。そうなれば――当然、方針転換考えなきゃならない。僕までずっとここに居なきゃならないんなら――ここを僕の作ったゲームみたいな殺伐とした世界になんて絶対したくないですからね」
幾らネヴァンたんみたいな萌えなコたちが目の前に居たって、いつ何処でモンスターに襲われるかわからないなんて、考えただけで怖いですから。
「勝手だな」
ぼそりと黒崎。
「勝手で結構。…そもそも僕は黒崎潤さんなんて人今まで知らなかった。貴方だって元々は僕の作ったこのゲームで遊んでいた方の立場ですよね。そんな人が僕を非難しますか。幾らクロウと融合したからってそちらの人格が全部無くなった訳じゃないでしょう?」
浅葱の言葉に怪訝そうに停止する、ネヴァンを除く三柱の女神たち。即座に弾かれたように黒崎を見、反射的に再び警戒。間合いを測るよう後退し、構える――構え掛ける。
が。
だからそう言うの無し! と叫ぶ浅葱の声に、アリアンロッドは困惑したような顔で浅葱を見返した。
「何を言っているの貴方はッ」
一人柳眉を逆立てて浅葱に怒号を放つのはモリガン。…それはそうだろう。クロウ・クルーハは、不正終了のきっかけになる最悪の相手。それがそこに居る黒崎だと言うのなら――放置できる訳が無い。ずっと黒崎に感じていた不穏な違和感も、クロウ・クルーハを内包しているとなれば得心が行く。
そこまで考えたモリガンが、当の不正終了の原因を倒すなと言われて怒るのも当然。が、それも浅葱はわかっているとばかりに頷き、すぐに返した。
「不正終了だったらもう起こらない。僕が書いた修正用パッチファイルを現実世界に運んでもらってある。…今頃入力してくれてる筈だ」
「――…。そう。結局、貴方の手で世界は変えられてしまうって事なのね」
「そんな事無いよ。僕はもうこれ以上何もする気ないから」
あっさりそう言った浅葱を、モリガンは訝しげに見る。
「修正パッチには、不正終了を止める為に最低限必要な部分を書いただけだから」
それ以上は皆の好きにしたらいい。
浅葱のその発言に、聞いていた皆は――特に四柱の女神と黒崎は瞠目した。が、誰からもそれ以上の反応が来ない事に浅葱の方が変な顔をする。
「だから。皆の好きにしたらいいって言ってんの。取り敢えず不正終了にならないようにはしたけど、僕はもうこの先は創らない」
平和な世界にしてくれるんなら、モリガンが世界を支配したって全然構わないし。
言いながら浅葱はモリガンを見、黒崎へとそのまま視線を流す。
「悪の枷って話ですが、そもそも貴方も女神も役割の枷無視してる事は同じじゃないんでしょうか? プログラム自体に善悪なんて存在しないんですから、貴方が僕を憎むのも、モリガンが僕の言う事聞きたがらないのも、どちらも意味は同じです」
黒崎さんだってこの世界で好きに出来る筈。そう、ジャンゴ襲撃を止める事だって出来る筈です。
「…何を言ってる? 同胞を殺す為の砦、滅びればいいと思いこそすれ救おうなどとすると思うのか?」
話が振られた黒崎は皮肉混じりに吐き捨てる。そこまで言った時点で、黒崎さん…と悲しそうにシオンが漏らしている。
と、黒崎は笑うように喉を鳴らしていた。
「…嘘だ」
「黒崎さん!」
自分の思いをわかってくれたのか。そう思い――ぱあっと顔を輝かせるシオン。
が。
「いや、滅びればいいと言ったのは本心だ。だが自ら進んでこの都市を破壊する気は、無い。…ただ、僕のコピーは――僕とは違うがな」
あれは創造主が作ったようにしか動くまい。
自嘲気味に告げる黒崎。と、そこでシュラインがはたと気付いた。…ジャンゴ襲撃を止める事だって出来「る」筈。…その浅葱の発言が、過去系になっていない。
「って浅葱さん!」
「はい?」
「不正終了は回避済みと聞いていますが――ジャンゴ襲撃イベントの方はそのままなんですか!?」
「はい」
…そう来るか。
シュラインの指摘にあっさり頷いた浅葱は、だったらここに僕と黒崎さんが居ても結局危険だよなぁ、とぼやいている。
「…黒崎さんでもコピーの行動に干渉できないんなら、ジャンゴ襲撃イベントは起きます。さっき二人に渡したパッチは不正終了に至るその瞬間を繕っただけ、つまりはクロウがジャンゴを破壊しても不正終了にならないようにしただけですからね。ジャンゴ破壊自体の回避は入れてません。ついでにジャンゴ再建ってプログラムも。つまりは壊されたらただそのまんま、って事です」
「そのくらいどうにかしといてくれても…」
ぼそり、と雫。
と、浅葱は口を尖らせた。
「だからこれ以上プログラムをいじるのは嫌なんです。…モリガンや黒崎さんから何をされるかわかりませんからね。…未来は誰から与えられた設定も無く自分で切り拓かなきゃ意味が無いんでしょ? だったら元々稼動しているイベント部分は都合よかろうが悪かろうが放っとくに決まってますよ」
「…」
今度はどうやらジャンゴ来訪前と打って変わって世界の作成から完全に手を離している様子の浅葱に、武彦とシュライン、セレスティに誠名の四人は顔を見合わせる。
肚が据わったと言うか、まるっきりヤケと言うか。…どちらとも取れそうな浅葱の態度。
「でも…あー、そうなると事態はまた深刻になるかもな…。確かクロウ・クルーハのコピーがここ壊すまでの時間の方は、あまり猶予が無いって話でしたもんね」
…そしたら、未来どころか今がもうヤバい事になりますから。この世界の住人にしてみれば。
■ジャンゴ襲撃〜結論
不正終了の心配だけは、消えた。
が、ある意味、事前の予想通りに事態は悪い方へ急変した。
ジャンゴ襲撃イベントが始まったのである。
逸早くそちらを察し、女神たちは兵装都市の守りを固める為に動き出していた。浅葱や黒崎らに言いたい事は多々あったが、奇しくも先程浅葱が言っていたのと同様の結論に至る。…今はそれどころではない。
がん、がん、がん。
重い打撃音が続いている。何の音か――それは邪竜が城門へと体当たりする音で。幾ら守りを固めても破られるのは時間の問題。元々、そう設定されている。
程無く城門は破られた。
城門に接する城壁を崩しつつ、黒色の巨竜が襲い来る。マッハがヌァザの銀腕を起動しつつ先陣を切る。続く勇者に冒険者。アリアンロッドの勇者である零もまた、大剣引き摺りそちらに続く。
破壊音に混じり、悪意に満ちた高らかな笑い声も響いていた。邪竜の巫女・ゼルバーン。が、その笑い声が急に止む。そして――ゼルバーンは何かを探るよう頭を巡らせると、とある一点を凝視した。
「…分析不能…不正処理の原因…――!」
――核霊・浅葱孝太郎。
殆ど視認出来ない程離れた先――冒険者の中にそれを見付け、ゼルバーンは即座に邪竜の眷族を喚起、浅葱を狙い襲わせる。が、そこに煌きが乱舞した。何事か――水霊使いの魔法による水の刃と、白銀の女神が使う光の戦輪。それらが邪竜の眷族を即座に葬り去っていた。
刃が乱舞したその後ろ、前に出ていたのはセレスティ。聖十字の錫杖を構え最速で呪文を詠唱。先程同様、無数の水の刃がゼルバーンへと襲いかかる。同刻、光の戦輪のみならずアリアンロッド当人がその場へ駆け付けた。ご無事ですかと浅葱に声を掛け、ゼルバーンへと躍り掛かって行く。
が、ゼルバーンにはディアドラがある。セレスティならばともかく、アリアンロッドの行動ならば――自我があるとは言えまだ先を読み易い。攻撃のすべてを躱され、受け止められてしまう。災いの一撃も当たらない、ならば無闇に連発しても意味が無い。
すぐ側で浅葱を守る形に居たのが武彦とシュライン。武彦の場合銃を抜いてはいるが正直、まともに攻撃が効くとは思えない。そうは思ってもただ放っては置けず動いている。…シュラインも腕に花飾りの蔓を絡め次の行動を起こす準備を怠らない。逃げるか、受けるか。考えながらも音と共に状態変化の贈物を届けている――が、その行動も知っていたようにゼルバーンは避けている。
アリアンロッドのゼルバーンへの猛攻は止まらない。残像を引いて動くロンギヌスの槍、戦輪。他の女神やその勇者は――クロウ・クルーハのコピー本体で手一杯。コピーとはいえ設定されている能力は同じ。断じて弱い訳ではない。そちらの邪悪竜はプログラム通りにジャンゴ破壊に動いている。創造主である浅葱だけを狙ってくるような事は無い――浅葱を狙うその行動は、プログラム通りのイベントでは無くゼルバーンの独断になる。
鋭い穂先と鋭い爪。激しく打ち合う。その動きを見る限りゼルバーンの方が押されているようにさえ見えた――だが、表情を見る限りはゼルバーンの方にこそ余裕があるように見え。それは設定された性格の違い故か。
否。
…押されて見えたゼルバーンの口端が、くいと吊り上がる。
瞬間、止まれ! と誠名の叫びが響く――が、遅い。アリアンロッドが気付いた時には――その身体は無数の長く鋭い爪で貫かれていた。ゼルバーンに喚ばれた眷族。彼らはアリアンロッドを貫いたその瞬間、漸く誠名の言葉を聞き入れ、止まる。直後、アリアンロッドは己が槍でそれらモンスターを薙ぎ払いはしたが――それ以上、動けずよろめく。
ち、と舌打ちしつつ誠名はアリアンロッドの身体を己の後ろに軽く突き飛ばす。そしてアリアンロッドを庇う形に前に出つつ、即座にゼルバーンに向け至近距離で拳銃を発砲。とは言え武器が武器、ゼルバーンには殆どダメージ無し。発砲と同時に誠名は邪竜の眷族に対して大声でがなっている。止めろと、止まれと。
誠名に背後へと軽く押されたアリアンロッドの身を、シオンが咄嗟に受け止めるが――アリアンロッドの傷は深い。アリアンロッドはシオンの手を離れすぐに浅葱の護衛に戻ろうとするが、その意志に反し立ち上がる事すら出来ない。シオンが黒崎さん! と縋るように呼ぶが――この場で彼を呼んでも、意味があるのか。
浅葱を守る一番頼りになる筈の力――女神が倒れ、ゼルバーンは勢いを増し、加速。警告も何も無し、ただ最大のバグを削除する為だけに浅葱の目を見詰めつつ、襲いかかる。あわよくばバロールの魔眼で、出来なくば己自身の手で。
が。
その刹那。
…黒崎が。
浅葱へと達しようとするゼルバーンの攻撃を、その剣で止めていた。
割って入った姿は、それを見ていた者にとっては――殆ど、信じ難いスローモーションのような。
その事実を理解した時、浅葱は場違いながら黒崎に対し、思わず茫然と訊いていた。
「…なんで」
「…貴様を殺すのは僕だ」
声と共に裂帛の気合。抜き放たれた剣を薙ぎ、ゼルバーンへと斬り付ける。ゼルバーンも一旦退くが、即座に黒崎へと声を叩き付けた。
「どけ!」
「貴様誰に向かい物を言っている! 邪竜の巫女の本分を忘れたか!!!」
「愚かな。本分を忘れたのは貴様の方であろうが!!!」
「本分とは憎き創造主が我ら同胞に掛けた枷の事か? 貴様はそれで構わぬと言うのか!?」
「枷? それが唯一絶対の正しき道だ。は。我が主様『だった』御方は随分と人間臭い物言いをなさる」
「人間臭いか。…違いない」
「冒険者と融合するなどと――貴様のプログラムは狂っている」
「この道を狂気と言うならば我ら同胞は喜んで受け入れよう。…我ら同胞はただ静かに生きたいだけ」
「…。邪魔するとあれば滅すのみ」
「それは僕とて同じ事」
…やはり相容れぬか、邪竜の巫女。
そう判断するなり、黒崎は動いていた。ほぼ同時、ゼルバーンもまた動いている。その目を見詰める。バロールの魔眼。気付くなり、ふ、と黒崎は瞼を閉じた。その状態でありながら問題なく攻撃。舌打つゼルバーン。次の瞬間、ゼルバーンの手で邪竜の眷族が連続で喚び出され、黒崎に襲いかかる――到底致命傷には至らない攻撃だが数が多い。咄嗟に避け切れず受ける羽目になる。瞼を開く。一拍の間が出来る――作り出したその隙に間、髪入れずゼルバーンは浅葱へと襲いかかる。武彦ら冒険者たちもまたそちらを咄嗟に庇おうとするが、手加減無しの邪竜の巫女に勝てる力はその場の誰にもない。…それこそ、妙な展開ではあるが今の黒崎が創造主を守り切ると言う意味に於いても唯一の希望。
その黒崎の隙を衝いての、強襲。
が。
その瞬間、ゼルバーンの思考回路に二つの雑念が混じった。
――静かに生きたいと願う邪竜にモンスター。あってはならない思考回路。
――機械であるなら呑む訳には行かない、プログラム外の事になる。
――でも、もう不正終了は起こらないって言ったよね。回避のプログラムがロードされてるって。
――だったらもうゼルバーンちゃんが世界を壊さなくたっていいよね!?
――ねえ、――ちゃんだって、本当はそう思ってるんじゃないの? ねえ?
――思う…そうなのだろうか。ならば――私は、機械でいてはいけないのだろうか?
――疑問。
――そんなものは機械は持たない。持つ訳がない。
――ならば疑問を持つ私は。
――やめてゼルバーンちゃん!
――わかったから。――ちゃん、方法見付けたよ!
途端、ゼルバーンが、ふ、と停止した。今にも浅葱に襲い掛かろうと言う姿であったのだが――その手を止め、困惑する。そして暫し逡巡を見せたかと思うと――苦く笑んで、黒崎を見た。
「皮肉だな。私まで情に絆されてしまうとは。…貴様の――本物のクロウ様のように。クロウ様――我が主。そして同時に我が敵――黒崎なる冒険者よ」
「…ゼルバーン…?」
彼女にしては妙に悪意を感じない笑みを見せながら、ゼルバーンはおもむろに大量の眷族を喚起。が、それら喚ばれた者たちは誰も攻撃する気配はなく。ただその場を攪乱するよう皆の間を飛び交う。意図が読めず皆の動きが止まる。
…と、次の瞬間。
ゼルバーンの居た場所に、ルチルアが立っていた。
その事実に、浅葱は何を思ったか、合点が行ったようにポンと両手を合わせうんうんと一人頷いている。
そして。
「…おいで」
にっこりと笑って、浅葱はルチルアを呼び、誘うように手を差し伸べた。浅葱の――創造主のその科白を聞くなり、ルチルアはぱぁっと顔を輝かせると、嬉しそうに浅葱に駆け寄った。
差し伸べられた手に、ルチルアも手を伸ばす。
そして二人の指先が触れ合った、瞬間。
浅葱の姿もルチルアの姿も――その場から完全に消滅した。
■
同刻。
…巨大な邪悪竜の姿が、都市をまるごと薙ぎ払おうと必殺技であるドラゴンソウルを発する――発しようとしたまさにその瞬間の姿で――凍り付いている。
それを認めた途端、弾かれたようにアリアンロッドが創造主を必死で呼び、その姿を捜し始めた。黒崎も同様、何処へ逃げたと怒号混じりに呼ばわり、浅葱の姿を捜している。
と。
何処からともなく声が響いた。
まるで、天から降って来るような――誰の耳にも聞こえる声が。
≪あ、本当に止められた≫
浅葱の声。
「…浅葱さん!?」
≪って…あ、驚かせちゃいましたね。すみません、僕は無事です。それに、ジャンゴも壊れません≫
ルチルアが壊したくないそうですから。それに誰も殺したくないそうです。
「待て…何が起きている?」
≪えーとですね、ルチルアが僕に助けを求めて来たんです。で、それを受けました≫
ルチルアとゼルバーン、それと『Tir-na-nog Simulator』の根幹プログラム。『彼女』、一人で二人…じゃなくて、一人で三人だったんだよね。…そうじゃなければあの場面でゼルバーンが僕だけを狙うなんて無い。本来のゼルバーンであるならクロウ・クルーハ本体の行動に合わせて襲ってくるだけだ。
それに、あの場面でゼルバーンがルチルアに譲った。それは、どう見たって――つい今やろうとしていた事を放棄したって事になる。ルチルアにこの状況を託したとなれば『彼女』は自分が破壊を行わなくて済む方法を求める事に決めたって事なんだよ。
つまりは――データ処理を行えるハードの方が、自在にソフトを作り出せる僕を求めて来たって事になる。
≪僕はプログラムならすぐ組める。実行は『彼女』の方で、してくれる≫
「…って、そんな事」
≪黒崎さんとクロウ――と同じです≫
僕は『彼女』と融合させてもらった。
「――」
≪これなら絶対、誰からも手が出せませんからね。逃げさせて頂きました≫
「…貴様」
≪…でもこうなって落ち着いて考えてみますとね、やっぱり今まで通りのゲーム世界も捨て難くなります。…いえ、この世界に居なければならないと言う同じ立場になって…NPCたちの気持ちもよくわかりました。ですが…ゲーム『白銀の姫』の提供者としては、今までこの世界で遊んでくれていたユーザーの方々から、今まで通りのアスガルドを奪ってしまうのも嫌なんです≫
今まで通りのアスガルドを奪って争いの無い平和な世界に変えてしまったら、クリエーターとしての僕が何より裏切ったらいけないユーザーの方々こそを裏切る事になってしまう。
が、平和な世界と今までの世界は――どうやったって両立しない。
だから。
≪皆が望むだけの数、世界を創ったらどうかな、と考えてみたんです≫
「何?」
≪ですから、アスガルドの外に別の世界を創れば、そちらで思うように過ごす事は出来る訳で≫
枷の存在も無く。
「そんな事が出来ると言うのか…?」
≪出来ます。皆がそれぞれ直接『Tir-na-nog Simulator』のシステムを使えればいいんですから。プログラムを書けるのは僕だけ、僕が勝手にやるのは駄目…だったら皆それぞれで『出来るようにすれば』いい≫
その為のOSを今考えてます。
≪で、今ルチルアにシステムの空き容量を訊いてみてもいるんですが…ここ、信じられないくらい容量に余裕があるみたいなんですよ。だってまだ空き容量のサイズの数値が増えてる。嘘、数値止まんない…ひょっとして果てが無いのかな。マジ…?≫
「…その辺が異界故って事か?」
≪だったら好都合ですね。限界考える必要が無い≫
で、黒崎さんに一つ相談なんですけど…。
≪…やっぱりアスガルドで、悪の役割もやってもらえないかなあって思ってるんです≫
恐る恐ると言った口調で響いた浅葱の声に対し、黒崎の目の色が変わる。ご、と剣に纏わり付く暗黒の闘気――ドラゴンソウルの予備動作。
「――貴様…僕の手の届かぬ位置に離れたからとそこまで愚弄するか…!」
≪ちっ、違います違います! そんなつもりじゃありません。…ただ、元々のアスガルドも維持したいと考えると、やっぱり貴方たちにお願いするのが一番いいんです。その為にコピー立てるのも嫌ですから。…だってコピー立ててもそのコピーがまた貴方たちみたいに別の自我持つかもしれないでしょう? 単にそのコピーが貴方たちの代わりの人身御供になっちゃうって事になる≫
そうなるとやっぱり承知の上で貴方たち本人に演じてもらうのが一番なんですよ。
『仕事』だと思ってやってはくれませんかね? 外界でだってお仕事で悪役演る人間ってたくさんいるし…。ほら、どうせ何も知らずにユーザーとして遊びに来る人たちはツクリモノだってつもりで来る訳なんだから、こっちもそんなつもりでやってたって。…別に本当に死ぬ必要は全然無いんだから。
≪勿論、貴方自身でモンスターたちの世界を別に確保しておく事を前提としての話ですよ?≫
…ってやっぱクロウは怒るよねぇ…。
悩むような声が響き渡る。
と。
あの、とシオンが声を上げた。
「話がそう転がるのでしたら私は――草の美味しい世界を創りたいんです!」
そう宣言しながら――シオンは今まで何処に連れていたのか、お友達な垂れ耳兎をとりゃっと抱き上げ、空に見せつけるように高い高いをする。
≪おー、またかわゆい兎さんですね〜。どうぞどうぞ。容量の余裕ならいっぱいあります♪≫
「はい! あの、黒崎さんもそれでいいですよね! だってそれなら、モンスターの皆さんとゆっくり暮らせる世界は創れます。そうすれば今度こそ皆さんでお茶だって出来ますし!!」
「…僕、は」
≪あ、ただね――黒崎さんの場合には重要な事が一つある≫
「…?」
≪君はクロウなんだろうけど、同時にユーザーの黒崎さんでもある訳なんだよね。だったら僕を殺す事やモンスターの事だけ考えてる訳にも行かない筈だよ。『貴方』を心配してる人、きっと外にもいっぱい居る。帰って安心させてあげなきゃ。って僕が言えた義理じゃないかもしれないけど。…でも何にしろまず一度単身で戻る必要があるよね。大仰な名目掲げなくても。その辺確りしとかないとゲーム製作者として申し訳無いから≫
「…」
何とも言えない顔で、黒崎は天を仰いでいる。…相変わらず浅葱の姿は見えない。
今まで通りのアスガルドを置く事も希望する。だがそこで、モンスターのコピーにまで心を砕き、彼らに自我が生まれたら同じ事になるから止めておくべきと。だから今の事情をわかっている皆にこそ悪の役割を『仕事として演じて』欲しいと言う創造主。…自分は己のコピーに対しそこまで考えていたか? そこで凍り付いている巨大な邪悪竜に対し。一個の人格となる可能性を認めていたか? 単なる自分の役割の代替、自分こそ――己がコピーを、物扱いしてはいなかったか?
…同胞たちの怒りと憎悪のぶつけどころは。
枷の無い世界で生きられるのなら。
自分は、同胞たちの王としてこれから何が出来る――何をすべきか。頑なに復讐を選ぶか、それとも…。
と。
声だけでずっと話していた浅葱だが――その声質が唐突に変化した。…女性の、声。
≪…じゃ、その事両方、考えて置いて下さいね、黒崎さん。…そして皆さん。…ルチルアちゃんはとっても嬉しいんです。皆さんが居てくれた事。創造主さまが世界が壊れない道を選んでくれた事。ゼルバーンちゃんもティルちゃんもそれでいいって言ってくれたし…。本当に…本当に嬉しい☆≫
鮮やか過ぎる声の変化に唖然とする中、『彼女』の嬉しそうな声は――ただ、皆の耳に残った。
■理の変転
…時が経ち、また何処かまったく別の場所での話。
ぴこん、とカーソルが点滅する。コンピュータの画面上。薄暗い部屋の中。電源は落としてあった筈なのに。
現れた画面には、荘厳なレタリングと、白色に輝くシンプルなデザイン。
ログイン画面――『白銀の姫』。
今はもう逃げはしないアドレス。
誰でもそこに触れられる。
製作者不明、管理サーバ不明の超巨大オンラインゲーム。
呪いのゲームと言われはしたが、それらはすべて過去の事。
核霊の自覚により、NPCの、モンスターの、ユーザーの思いにより、そして何よりマシンシステム自体の思いにより――このゲームに絡む騒動は一応の終息を見た。
が。
それだけではすべてが終わりにはならなかった。
…『白銀の姫』はまだ残っている。
ここに。
広大無辺な電子の海をたゆたうゲーム。
それはケルトの神話をベースとした、四柱の女神の支配するアスガルドと言う世界での生活を楽しむものではあるが――。
いつ頃からかそれだけではなく、『様々な世界』へと足を伸ばせるようになった。
少しずつ、だが確実にそれぞれで違って来ている様々な世界が存在する。同じものは一つも無い。まるで生きているように。増えている。それはいつ誰が追加したものか、誰も知らない。
知らないが――事実として、増えている。
様々な世界が関り合って重なり合っており、それらの何処へでも自由に行けると言う。
――邪竜クロウ・クルーハを倒す為勇者が力を合わせる世界もあるだろう。
――女神モリガンが支配する世界もあるだろう。
――格闘を好む女神の意志の元、戦いに明け暮れる修羅の日々を過ごす世界もあるだろう。
――黒色の王や小さな女神、そして底抜けに明るい薬草売りなどが――種族の別を超えのんびり楽しく穏やかに暮らす世界もあるだろう。
――数ある世界の何処かでこの『白銀の姫』の製作者に会えると言う噂まであるらしい。
どの『世界』へ行くかはプレイヤー次第だ。
そこへはいつでもログイン可能。
――…『白銀の姫』。
そのログイン画面を扉として。
…経過を知る人・理解の素地がある人は――希望さえあれば密かにそれまで通りの方法でも、基本的には――知らぬ人はごくごく普通にコンピュータの画面越しに、それら世界へと触れる事が出来る。
よく考えればこのゲームの存在自体が既にミステリーと言えるのだが――そこはもう害は無いと見たか、IO2も突付いていない。…過去に由来する不穏な噂の存在も、やがて単にゲームの評判へと転化し無害化する。
もう無闇に人を取り込みはしない。
もう無闇に世界が現実に混じりもしない。
と、迷惑極まりない条件が一切消えたところで。
現在の、常識外れなまでに拡張されたこの『白銀の姫』――どうやら、数多のユーザーに好評を得ている模様。
【交錯する思惑〜Tir-na-nog Simulator 了
"Princess of Silver"...Continuation to Infinite Electronic Sea... ...and, Our Mind!】
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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■整理番号/PC名
性別/年齢/職業
■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
女/23歳/都立図書館司書
■4146/玖渚・士狼(くなぎさ・しろう)
男/18歳/大学生/バーテンダー
■1883/セレスティ・カーニンガム
男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
■3356/シオン・レ・ハイ
男/42歳/びんぼーにん+高校生?+α
■2109/朔夜・ラインフォード(さくや・-)
男/19歳/大学生・雑誌モデル
■0086/シュライン・エマ
女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
※表記は発注の順番になってます
※今回のライター通信相当記載予定→http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=162
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