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<東京怪談ノベル(シングル)>


 □聖夜小恋表模様□
 
 
 雪の降る中を、ぽてぽてと香乃花は歩いていく。
 口元はぐるぐる巻きにされたマフラーで隠されていたが、その内側で小さな口はずっと微笑んでいた。
 
 たのしそうだなぁ、ふわふわだなぁ。
 
 時折立ち止まり上を向けば、どこもかしこも緑と赤のクリスマスカラーで溢れている。あと一日でその日を迎えるせいか、香乃花の目には街中がふわふわとした空気に包まれているように思えてならない。
 その考えが正しいものであるかのように、香乃花の足元でさく、という音が鳴った。降りたての雪はまるでクッションのように幼い足の裏に敷き詰められ、白の道はどこまでも続いているかのように長く長く伸びている。
 しかし小さな靴跡はつけてもつけてもすぐに隠されていった。それもそのはず、三日ほど前から降り出した雪は一向にやむ様子を見せてはいなかったからだ。

「あと二日。ううん、一日だけふっていてください。おねがいします」

 足を止め、厚い手袋をしたもこもこの手を合わせ、香乃花は天を仰ぐ。雪の降るクリスマスというのはとてもいいものだ、ということを昨日テレビの特集で言っていたので、ならば祈ろうと思ったのだ。
 香乃花は一度ぎゅっと目をつむり空の向こうへお願いすると、大きく頷いて再び歩き出した。
 後にはてんてんと足跡だけが残る。





 お使いの品を入れた紙袋をぶら下げて、香乃花は表通りを歩く。てくてく、てくてくと歩く。
 敏感な鼻は雑踏の中でも様々な匂いをとらえていた。ご馳走を予感させる匂いについ大きく深呼吸すれば冷気までもが入ってきて、身体をつま先から頭てっぺんまでぶるるっと震えさせる。けれど何歩か歩いてまたそれを繰り返す。
 夕暮れが近付いてきている為か、うっすらと暗くなる空を人工の明かりが彩り始めた。それは街灯だけではなく、立ち並ぶ木々も同様だった。まるでよそ行きの服を着せられたかのように幹や枝に電球を巻かれ、常ならば暗がりになる場所にさえ光を降らせている。
 香乃花はそれを見るのが好きだった。暗い場所が照らされるのはいいことだ、そう頷きながら明かりの下を通り過ぎていく。
 やがて最後の信号に近づいた。ここを渡ってすぐ角を曲がれば、いつもの通りに入る。
 青になるのを待っていると、オーロラビジョンにホームパーティーをしているらしい映像が映し出された。ケーキにチキン、その他もろもろのとても美味しそうな料理を食べていたかと思えば家族みんなでゲームに興じたり、また子どもたちがふざけて父親にいたずらしたりする様などが微笑ましく連続で映ったかと思うと、最後に『メリー・クリスマス』の文字が現れる。
 香乃花はマフラーの中で小さく「めりー・くりすます」と呟いた。画面に表示されたのはアルファベットだったが、同じ文字列を何度も見ていたのでいつしか覚えてしまったのだ。
 メリー・クリスマス。この言葉は呟いただけで胸の中がぽわりと暖かくなるものだった。だから香乃花はこの言葉を『しあわせを呼ぶことば』として覚えていた。
 
 めりー・くりすます。
 めりー・くりすます!
 
 何度も口ずさみながら、少女は明日を思う。
 
 
 
 
 
 香乃花はその日、布団に入ってもなかなか眠ることができずにいた。
 お風呂あがりに聞いた話がまだ耳の奥でざわめいているような気がして、ころころと寝返りをうつ。その人は髪を拭いてくれながらにんまりと笑って、「明日を楽しみにしていなさいね、素敵なことが貴方を待っているから」と言ったのだ。
 その人があんな風に微笑む時は何かしらの用意を整えているという事を、香乃花は経験上よく知っていた。そしてそれはきっと楽しいものであるという事も。
 だからこそ期待だけが否応なく膨らみ、見慣れた天井と何度もにらめっこをする羽目になっている。
 
「明日、何があるのかなあ」
 
 たのしいこと、たのしいこと。なんだろう? 
 それはどんなかたちをしているのかなぁ、いいにおいがするのかなぁ。
 
 思いつく限りの楽しいことや美味しいものを思い浮かべているうちに、いつしか少女の目蓋はゆっくりと下りていった。
 くぅ。という安らかな寝息が響くまで、それから数秒もかからなかった。





 翌日もまだ雪は降り続けていた。
 風もなくゆっくりと舞い落ちていく雪の中を、香乃花はリボンをあしらった可愛らしい長靴で一生懸命に歩いていく。今日は少しばかり遠い場所へとお使いを言いつけられたからだ。香乃花も目的地で待っている老婦人のことを好いていたので、特に文句もなく雪の中へと飛び出していき、今に至る。
 
「ふわあ、さむい」 
 
 丸いほっぺたがぴりぴりと音をたてているようで、手袋を当てる。
 
「おかおがびりってやぶけちゃわないように、気をつけなくちゃ」
 
 しばらくそのまま歩いていた香乃花だったが、ただでさえ足をとられやすい雪の中を両手でバランスをとらずに歩くのは難しく、吹き溜まりでついに顔から転んでしまう。
 
「ふぇ」 
 
 顔拓がつくほど見事に雪の中に突っ込んでしまい、のろのろと起き上がった香乃花はみるみるうちに大きな瞳に涙を溜め始める。
 だがそれがこぼれ落ちてしまう前に、少女は雪まみれになってしまった手袋でごしごしと顔をこすって立ち上がった。
 
「今日は、たのしい日、なんだもん」 
 
 だからぜったいに、ないたりしないんだもん。たのしいのが、にげちゃうから。
 そう呟きながら膝の雪を払い、防寒具でぷくりとなった身体を持ち上げると、うんと大きく頷いて再び香乃花は歩き出した。
 目的地までは、もうすぐそこだった。
 
 
 
 
 
 家路を急ぐ香乃花の上には、既に紺に染まりつつある空と相変わらず降り積もる雪。
 ジングルベルが大音量で流れる表通りから遠ざかり、しんと静まり返ったいつもの道を小走りに行く。小さな胸の奥から誰かがこんこん、とノックをしていた。
 
 なにがあるんだろうね? なにがまっているんだろうね?
 さあさあはやく、はやくかえろう。
 すてきなことがいまかいまかと、きみのかえりをまっている――――――――
 
 胸の奥のノックは家に近付くたびに大きくなっていく。
 とうとう我慢ができなくなって、転んでもいいから駆け出そう。と香乃花が思ったその時だった。
 
「…………あれぇ」 
 
 誰も通っていないまっさらな雪の道の上に、ぽつんと街灯の明かりが落ちている。
 周りがすっかり闇に落ちてスポットライトのような様相を呈している光の輪の中に、白いかたまりが座っていた。
 それは香乃花が作った雪だるまだった。特徴があるので、すぐに分かる。
 
「あれえ?」 
 
 しかし少女は首を傾げ、もう一度疑問の声をあげる。雪だるまを作った場所は店の勝手口の横だったというのに。
 何故それがこんな所にあるのかが分からずに、香乃花はひたすら頭の上に?マークを飛ばし続ける。
 
「雪だるまさん、どうしてこんなところにいるの? それにこのおぼうし……」 
 
 バケツの代わりのように乗せられていたのは、赤い布と白いポンポンの色鮮やかな帽子だった。
 手を伸ばし、ちょこんと乗っかった帽子に触れようとして、香乃花は口を「あ」のかたちに開く。今までりりしく配置されていた炭の眉が、いつのまにか困ったようなそうでないような感じに垂れ下がっていたからだ。

「さっきとおかおがちがうねえ。香乃花が近づいたからずれちゃったのかな」

 すると雪だるまが突然、じり。と後ろへと下がった。それは数センチの動きだったが、香乃花の瞳はその微妙な動きを見逃さない。
 香乃花は突然動き出したそれに目を真ん丸くして、まじまじと単調な顔を眺めた。

「ねえ雪だるまさん、もしかしてうごけるの? それに、香乃花の言ってることもわかるの?」

 雪だるまはまるで動ける事を証明するかのように竹箒でできている一本だけの腕を伸ばし、降り続ける雪から守るように香乃花の頭上へとかざした。
 
「……うわあ」

 つられるように見上げた香乃花の視界には、まるで雲間から太陽が射し込んできたかのような光景が広がっていた。竹箒の隙間からこぼれ落ちるのはただの街灯の明かりではあったが、濃紺の空や舞い落ちてくる白い雪と相まってきらきらと輝いている。
 雪だるまはそんな香乃花の様子をただじっと見つめていたが、やがて静かに頭を反転させた。
 瞬きをする香乃花の前に現れたのは、サンタの帽子の裏側。反転させた拍子にふわん、と舞い上がったポンポンの向こう側には、手紙のようなものが貼り付いていた。

「これをとればいいの?」

 雪だるまが頷いた。その反応を受けた香乃花は白い胴体に掴まり少しだけ伸び上がると、テープで留められていた手紙をはがす。
 よくよく見ればその封筒には赤のペンで『深山 香乃花さま』と書かれていた。
 
「香乃花あてだぁ」 
 
 手紙の内容はこうだった。
 
 
 こんばんは、香乃花ちゃん。
 この前はおくりものをありがとう、ぼくはとてもうれしかったです。 
 お礼がしたかったので、ぼくは今日いちにちだけ君だけのサンタクロースになりました。
 赤いおぼうしもかぶりました。プレゼントも用意しました。おうちではごちそうも待っています。
 もしよかったら楽しいクリスマスを、ぼくといっしょにすごしてもらえませんか?
 いいお返事をきかせてもらえれば、うれしいです。
 
 雪だるま


 読み終えた香乃花は何度も目をぱちくりとさせていたが、やがて手紙を丁寧に元に戻して後ろを向いたままの頭を見た。雪だるまは沈黙したまま、まるで人間のように震える影を雪の上へと落としている。
 小刻みに振動を続けるその後ろ頭へと、少女は唇を開いた。

「あのね、雪だるまさん。香乃花にはね、おうちで帰りをまっている人たちがいるの。その人たちはもう大人だからサンタさんはこないって言ってたけど、でも来てくれたらきっとうれしいと思うの。だから、香乃花からのおねがい」

 振り向いた雪だるまの炭の目と少女の真摯な眼差しとがゆっくりと絡み合い、そして引き結ばれる。
 大きな瞳をいっぱいに開き炭の双眸を見つめながら、香乃花は続けた。

「あのね、香乃花はね、雪だるまさんが香乃花だけのサンタさんになるんじゃなくて、みんなのサンタさんになってほしいの。そうすればきっとみんながしあわせになると思うの。だから、このおねがいを香乃花へのぷれぜんとにして」


 くりすますはね、しあわせの日なんだよ。
 だから、みんなでしあわせになりたいの。


 舌足らずの言葉が終わる。
 雪だるまは相変わらず何も言う事はなかったが、やがて竹箒の柄でゆっくり、ゆっくりと香乃花の頭を帽子ごしに撫で始める。そこから伝わる優しさに香乃花は気持ち良さそうに目を閉じた。
 直接触れ合っているわけではないというのに、確かに伝わってくる温もりが心の奥をぽわりと温めていくのを感じ、少女はほんのり頬を染める。
 そして。

「え?」

 目を開いた香乃花の前で雪だるまはゆっくりと頭を前へと、倒す。
 了承を示すその動作に一瞬ぽかんとした後、少女の心は嬉しさとわくわくする予感とで弾け飛んだ。
 
「うわぁ、うわーぁ! ありがとう、サンタの雪だるまさん。香乃花のおねがいきいてくれてありがとう!」
 
 ほっぺたを桃色に染まらせて、香乃花は小さな身体全体で雪だるまに飛びついた。勢いに押された雪だるまはよろよろとしながら、それでも箒で少女を支え続け、決して落とす事はなかった。
 やがて雪だるまはそっと地面に小さな身体を降ろすと、箒の腕を伸ばす。
 それの意味しているところを知った香乃花が喜んで竹箒の柄を掴むと、雪だるまはふわり、と数センチだけだが宙に浮いた。
 
「すごーい! サンタの雪だるまさんはトナカイさんがいなくてもとべるんだねえ」
 
 雪だるまは小さく頭を縦に振ると、香乃花のペースに合わせてゆっくりと飛び始める。
 赤い帽子にも、そして箒と繋がれた小さな手袋にもしんしんと雪が降り積もっていくが、香乃花は少しも寒いとは感じなかった。
 胸の中の暖かさの方が寒さの何十倍も大きかったからだ。
 
 
 
 
 弾む足取りで辿り着いた家では、ごちそうと呼ぶのにふさわしい料理が食卓いっぱいに用意されており、それを見た香乃花は大きく喜びの声をあげた。
 暖かい料理はもちろん、雪だるまの為にと冷たいスープもきちんと用意されていたのを知り、製作者である青年へと抱きついてありがとうを繰り返したりもした。
 そして言葉どおりに素敵なことが起こったと興奮気味に話す少女へと、同席していた女性は笑顔で「よかったわね」と言いながら頭を撫でたのだった。
 雪だるまを縁側の特等席に迎えての夕食はとても賑やかに、時には笑いと共に進んだ。
 そして今、香乃花は暖かそうな格好で縁側に腰かけながら、ホットミルクを飲んでいる。隣に座る雪だるまの前にはアイスミルクのカップが置かれていた。
 
「おいしかったぁ。香乃花、おなかいっぱい」

 同意するように雪だるまは頷き、空を眺める。
 香乃花は傍らでそれを見守りながら、あの真っ黒な目の中には何が映っているんだろう。などと取りとめのない事を考えていたが、やがて雪だるまが視線に気付いたように首を横に向け、自然と二人の視線が合わさる。
 沈黙が辺りを支配する。炭の瞳はただじっと、香乃花だけを見つめていた。
 しかしまだ幼い少女は視線の意味するところを知らず、不思議そうに首を傾げる。
 
「雪だるまさん?」 
 
 唐突に、ぴょん、と雪の降る表へと飛び出た雪だるまは、縁側に腰かける香乃花へと向かい合った。
 そして頭を傾けて竹箒の腕へとサンタ帽子を落とす。
 
「…………あ」 
 
 何もなくなるだろうと思ったのはたった一瞬のこと。滑らかな白い頭の上には、綺麗に和紙でラッピングされた包みがひとつ、まるで花が咲いたかのように乗っかっていた。
 雪だるまはもう一度頭を揺らしてうまく竹箒の上へ包みを乗せると、宝物を扱うかのように香乃花へと差し出す。

「え? でも香乃花、ぷれぜんとはもう…………」

 ためらう少女に、けれど雪だるまは変わらず包みを差し出し続けた。
 帰り道で出会った時と同じく、ただ沈黙したまま包みを寄せてくるその仕草に、香乃花はカップを置きそっと手を伸ばす。
 やがて、小さな手の中へと包みが降りた。 
 ちりん。 
 澄んだ音に惹かれて包みを開くと、小袋の底には赤いリボンを通された小さな金の鈴が横たわっていた。

「これ、くれるの?」

 鈴と雪だるまを交互に見ながら、香乃花は呟いた。
 
「いいの? だって、香乃花……」 
 
 白い頭がゆっくりと一度だけ、縦に振られた。
 その様を香乃花はじっと見つめていたが、やがて両手で鈴を包み込むと花が開くように微笑む。

「ありがとう。雪だるまさん、だいすき!」

 炭の眉に、口に、目に、白い身体に、竹箒に。
 全てに喜びの気配を満ち溢れさせながら、雪だるまはそれでも何も語る事はせず、ただ静かにうつむくのみだった。
 



 めりー・くりすます!
 
 雪明りの下で可愛らしい声が響き、空へと舞い上がっていった。

 
 
 
 
 
 END.