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おいでませ、まほろ温泉〜年越しの祭〜
今年、最後の夜が来ようとしていた。東の空は既に群青の黄昏に覆われている。まだうっすらと薄明の残る西の空にも、ぽつりぽつりと星の輝きが見えた。そんな空の色に気を取られていたせいだろうか。街灯のつき始めた道を歩く内、不思議な社に迷い込んでいた。いや、これを社と呼んでも良いのかどうか。参道の入り口には巨大な鳥居があるものの、中はこれまで見たどんな社とも違っていたからだ。参道の中央を流れる小川が湛えているのは水ではなく、湯だ。湯の川。奥の社から流れ出ているらしいそれは、参道の右手に出来た大きな池に注ぎ込んで居る。池を囲む岩に腰を下ろした参拝客たちが、気持ち良さそうに湯に足を浸している。足湯になっているのだ。向かいにはゆったりとくつろげる東屋が出来ており、社殿の横には巨大な露天風呂が出現していた。
「うーん、このお社…」
少し先の空に聳え立つ鳥居を見上げつつ、シュライン・エマは首を捻った。確かに、見覚えがある。その時は丁度夏祭りで、無論湯など涌いてはおらず、参道にはびっしりと出店が出て居た。偶然知り合いに出会ったシュラインは、そのまま祭を案内して貰ったのだ。確か、社の名は…。
「まほろ…そうだわ、まほろの社」
思い出して口に出すと、すぐ傍を歩いていた子供らがくるりと振り向いて、笑いながら駆けて行った。どうやら、当たりらしい。ちなみに彼らの姿かたちはどう見ても、河童だ。河童も温泉に入るとは知らなかったなと思いつつ、シュラインは辺りを見回した。参拝客の大半は、明らかに人ではない。哺乳類かどうかも疑わしい見かけの者から、もしかしたら人間なのかも知れない、と思わせるような姿を持つ者まで姿かたちは様々だ。『気』と言うものを読む力は、残念ながらシュラインには無かったが、何とはなしに別の場所で見たら逃げた方が良さそうな雰囲気を漂わせた者たちも、ここではのんびりと寛いでいた。夏に来た時も似たような感じだったのを思い出す。それにしても…。
「まーた迷い込んじゃった訳ね」
シュラインは軽く溜息を吐いた。少々、困った。正月料理はあらかた出来上がっているが、まだ重箱に詰めるまではやっていない。ものぐさな相方がそんな事をしてくれるとは到底思えない。ここは一つ、彼の妹にでも頼んでおこうか、と携帯を開いてやっぱりと苦笑いする。そんな気はしていたが、圏外だ。
「これは運を天に任せるしかない、かな」
靴を脱ぎ、湯の川をちょいちょいと突付いてみたりしながらぶらぶら歩いて行くと、東屋に出た。湯から出たばかりなのだろう、少し頬を赤らめた老人や、これはもう絶対に人とは思えぬ妖艶さをたたえた美女がなまめかしい様子で涼んでいる。女性のシュラインですら見惚れてしまう色っぽさだ。どこからか聞えてくる鈴の音がまた、彼女の仕草によく似合っている。
「うーん。これは中々」
溜息を吐いていると、横に誰かが座った。顔を上げたシュラインは思わずおお、と歓声を上げた。大きな嘴。体は人であるにもかかわらずその背には大きな羽があった。これは、
もしかして…。
「こりゃ失礼いたしましたな」
思いがけず人語を話されて更に驚いた。
「いいえ、どうぞ」
と、彼の為にもう少し空間を空けてやってから、恐る恐る話しかけた。
「あの、もしかして烏天狗…さんですよね」
「いかにも」
天狗は少し誇らしげに胸を張って言うと、シュラインをちろりと見て、
「貴方は人ですな。ここでは珍しい」
と言った。
「ええ。…ちょっと、迷いこんでしまって」
シュラインの答えに、烏天狗がなるほどと頷く。
「よくそういう者が迷い込みますからな。ここは」
「多いんですか?そういう人って」
聞き返すと、烏天狗はそうですなあ、と首をかしげた。
「迷い込むだけならば、と申しますかな。ここは人の常識では計り知れぬ場所。そのような物を見て、すんなりと受け入れられる者は少ない、と言う事ですな」
大抵は不気味な百鬼夜行でも見たと思い、逃げ帰ってしまうのだと言う。ここへ来るのは二度目なのだと言うと、烏天狗は感心したようにシュラインを見た。
「余程縁があると言う事ですな。夏はまだしも、年越しの祭は一夜だけ。迷い込むにも確率と言うものがありますからな」
「私もそう思うわ。で、年越しの祭りって、何があるのかしら?」
「歳神の帰還と、降臨がありますな。皆でそれをこの温泉に浸かって見るのが、この祭の意義、と申しますかな」
「歳神?」
「その通り。ほれ、あれですな」
ばささっと烏天狗が黒い羽で示した先を見て、シュラインはわあっと歓声を上げた。すぐ前の湯の川の上を、うっすらと輝きを放つ人影が幾つも、ゆっくりと列を成して飛んで行く所だったからだ。
「あれがこの一年、街を見守ってきた歳神たちですな。鳥居から入ってきて、そのまま元の世界に戻りますな」
烏天狗が後ろから教えてくれた。光が薄らいでいるのは、一年間、この世の穢れを吸収してきているからなのだと言う。歳神たちは一年の終りにこの社に戻り、次の歳神たちが降りてくる。
「それで、降臨ってどこから一番よく見えるのかしら」
それはな、と言い掛けた烏天狗の向う側に知った顔を見つけて、シュラインはあら、と声を上げた。
「玲一郎さん!」
シュラインの声に玲一郎も気づいたようだ。こちらを向くと少し驚いたように目を見開いてから、微笑んだ。振り向いた烏天狗が、おや、と声を漏らす。
「天の弟と知り合いとは、驚きですな」
どうやら、彼も玲一郎を知っているらしい。
「あれは仙人ですな」
「ええ、色々あってね。ちょっとした知り合いなの」
実を言えば他にも、ここに居てもおかしくない知り合いは数人居るのだが。シュラインが言うと、烏天狗はそりゃ結構、と笑って、
「少々買い物がありましてな。喉も渇きましたしな」
と言いながら席を立った。そこへ玲一郎が歩いてくる。そこでようやく、彼が一人で無い事に気づいた。隣には生真面目そうな少年と、翠の瞳をした若い女性が居る。シュラインが名乗ると、少年は桜 紫桜(さくら・しおう)、女性は藤井 葛(ふじい・かずら)とそれぞれ名乗った。
「それで、また、迷い込んでしまったんですか?」
開口一番、そう言われて、シュラインはまあね、と苦笑いした。
「どうやら縁があるらしくて。…何処に居たの?」
「足湯に。今さっき、休憩所に上がってきた所で、彼らに会ったんですよ」
「私は烏天狗さんとお知り合いになってね。色々教えてもらってたんだけど。…歳神の帰還はちょっと見逃しちゃったかも。そこを飛んで行く所しか見られなかったわ」
湯の川の上を指差すと、意外にも紫桜少年はいいですね、と呟いた。彼は全て見逃してしまったのだそうだ。
「でも、それでは少し残念でしたね。鳥居に来るまではね、鳥の姿をしているんですよ。干支の通りに。鳥居を抜けると、元の姿に戻るんです」
「うーん。楽しそうね。見逃したのは惜しかったかも」
素直に言うと、玲一郎はくすっと笑って、
「まだ降臨がありますから」
と言った。紫桜少年も頷いている。彼としても、それは見逃したくないのだろう。
「ねえ、貴方が居るって事は、鈴さんもここに?」
ふと思い出して聞くと、玲一郎の代わりに葛が答えた。
「露天風呂へ行く途中に、少し奥まった出店スペースがあるんです。紫桜くんは、手伝っていたんだけど」
と、玲一郎を見上げる。どうやら、彼自身は顔を出していないらしい。
「珍しいわね。手伝ってあげないの?」
「年末年始くらいは、弟も休業です」
意外な言葉に思わず笑い出すと、玲一郎も困ったような顔で笑った。もう少しここで休んでいくという玲一郎達に片手を上げて、シュラインは休憩所を後にした。鈴の出店にも興味があったし、降臨を見るには、奥にある露天風呂に行った方が良いと玲一郎も言っていたからだ。鈴の店とは何を売っているのだろう。多分、桃の何かなのだろうが…。だが、肝心の店は見つからぬまま、奥の院に着いた。一旦戻るべきかと悩む内に、ひんやりとした肌をした雪娘たちが寄ってきて白く輝く粉をかけられた。すると、見る見るうちに服が浴衣に変る。
「これは便利かも」
薄手なのに寒さは感じず、そのまま湯に入っても纏わりつく感じもしない。浴衣に着替えてしまったのだし、と露天風呂に入って行く途中で、鈴と黒榊魅月姫(くろさかき・みづき)を見つけた。
「シュライン殿!」
嬉しそうに声を上げた鈴の隣で、魅月姫が小さく会釈している。それに微笑み返して近付こうとすると、掌サイズの娘たちがふわりふわりと飛んできた。湯の花の娘たちだと言う。
「お飲み物は、何になさいますか?」
「ここではな、4つのうちから好きな飲み物を頼めるのじゃ。それぞれに効能もある故、よう考えて選ばれると良い」
横から教えてくれたのは、無論鈴だ。教えられた中から考えた末、紹興酒を選ぶと、鈴がほう、と目を細めた。鈴と魅月姫の手には、日本酒がある。紹興酒の効能は、仕事運・金運のアップだ。当然ながら、脳裏に浮かんだのは常に傾いている事務所の事だったのだが…。
「でも、よく考えたら私の仕事運上げても仕方ないような…」
呟いて、溜息を吐いた。貧乏神がついているのは、間違いなく自分ではないからだ。鈴がまあまあ、と背を叩く。
「一人の運が上がれば、他のものもつられて運気を上げる事もある故」
「まあそうかも知れないけど。…あ、そうだ。お店出してたんだって?やっぱり、桃関係?」
「ああ、桃のジュースを売って居った。…ほれ、シュライン殿の分が来たぞ」
「たーんと稼がれますよう」
湯の花娘たちが微笑みながら竹のコップに香りの良い酒を注いでくれた。玲一郎たちを見つけたのは、すぐ後だ。彼の傍にはさっきの紫桜少年と葛嬢も居た。それから…
「あら、あれは」
玲一郎の向かいに居たのは、シュラインもよく知っている人物だった。セレスティ・カーニンガムだ。鈴が頷く。
「ああ、先ほど会うた。玲一郎が祭の話をしておった故」
鈴、魅月姫と共に彼らに近付くうちに、湯の花娘たちがすうっとセレスティの手元に寄って行った。何か頼んだらしい。短いやり取りの後、首を傾げていたセレスティに声をかけたのは、鈴だった。
「ここの飲み物は、それぞれ意味があってのう、セレスティ殿。ワインには、恋愛運、芸術運上昇の力があるのじゃ」
急に現れた鈴にも驚く事なく、セレスティはなるほど、と納得したらしい。
「あれ、お店は?」
と葛が聞いて、シュラインは改めて店の事を思い出した。
「もうしまいじゃ。わしとて、年越しの瞬間まで商いしようなどとは思うておらぬ。それに」
と、鈴が空に視線をあげ、皆もそれに続いた。社の空が、揺らぐ。すうっと何かが開くのが分かった。
「もう、降りて来るぞ」
鈴に言われずとも皆分かっていただろう。開かれたのは、空。聞えてきたのは、小さな澄んだ鈴の音だ。しゃん、しゃん、しゃん…。規則正しく聞える鈴の音と共に、白く輝く人影が幾つも列をなし、開いた空から降りてくる。ざわめいていた露天風呂は静まり返り、皆一様に空を見上げていた。妖怪も、仙人も、樹精も、水精も、誰もがじっと、降りてくる歳神たちを見上げている。物音一つしない中、一列になった彼らは湯煙のすぐ傍まで降りて来ると、鳥居の方に向かってゆっくりと進んで行く。しゃん、しゃん、と言う不思議な音は、彼らの歩みとほぼ同調しており、まるで足音のようだった。
「歳神はな、星々の世界から降りてくる星の子らじゃ」
鈴が言った。
「星が降りてきて、神様になるって事かしら?」
シュラインが聞いた。
「そうじゃ。なぜ星が降りてくるのか、なぜ神となってこの世を見守るのか、穢れと共に戻って行くのか。理由を知る者は居らぬ。が、年に一度の年越しの夜、嵐であろうが晴れ渡っておろうが、穏やかであろうが戦があろうが、歳神達は還り、そして降りる。古より繰り返されてきた不思議の一つよ」
「とても、綺麗ですね」
魅月姫が呟くように言い、鈴が嬉しそうに頷く。その間にも、輝く人影の列は、鳥居に向かって伸びて行く。
「ねえ、鳥居を抜けた歳神は、やっぱり犬の形になるのかしらね」
ぽつりと言うと、玲一郎が多分、と微笑んだ。それ見たい、と立ち上がったのは葛で、紫桜少年も無言でその後に続いた。シュラインが、
「あ、ちょっと、服は?!」
と声をかけたと同時に、また雪娘たちが現れて、彼らに光る粉を振り掛けると、浴衣は元の服に変っていた。
「上手い事出来てるわね」
呟くと、鈴が自慢げに笑った。何時の間にか空は閉じており、最後の歳神があの澄んだ音と共に鳥居の方へ進んでゆく所だった。と同時に、湯が少しずつ煙に変わって行く。立ち上がろうとすると、玲一郎が手を貸してくれた。
「年が変わり、歳神たちの降臨が終わると同時に、社はまた、閉じる」
鈴が言った。何時の間にか雪娘たちがやってきて、シュラインたちにも粉を振りかけてゆく。服が元に戻った頃には、湯は既に濃い霧に変っていた。最後の歳神の気配が社から消えて、誰からともなく、持っていたグラスやお猪口を掲げた。
「あけまして、おめでとう」
重なった声が、残った湯煙の中で響き、消えて行く。社が閉じていくのだ。新しい年が始まる。きっとまた、不思議に満ちた一年になるに違いない。
<終り>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4682 / 黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき) / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)・深淵の魔女】
【1312 / 藤井 葛(ふじい・かずら) / 女性 / 22歳 / 大学院生】
【5453/ 櫻 紫桜さくら・しおう) / 男性 / 15歳 / 高校生 】
<登場NPC>
天 鈴(あまね・すず)
天 玲一郎(あまね・れいいちろう)
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■ ライター通信 ■
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シュライン・エマ様
この度はご参加ありがとうございました。ライターのむささびです。まほろの社、年越しの祭、お楽しみいただけましたでしょうか。シュライン嬢には、休憩所で烏天狗とひと時を過ごしていただいた後、降臨見物と相成りました。紹興酒の効果が現れることを鈴、玲一郎ともどもお祈り申し上げます。遅ればせながら、
昨年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
むささび。
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