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<東京怪談・PCゲームノベル>


おいでませ、まほろ温泉〜年越しの祭〜

今年、最後の夜が来ようとしていた。東の空は既に群青の黄昏に覆われている。まだうっすらと薄明の残る西の空にも、ぽつりぽつりと星の輝きが見えた。街の灯りがぽつぽつとつき始めた頃、黒榊魅月姫(くろさかき・みづき)は不思議な社を歩いていた。いや、これを社と呼んでも良いのかどうか。参道の入り口には巨大な鳥居があるものの、中はこれまで見たどんな社とも違っていたからだ。参道の中央を流れる小川が湛えているのは水ではなく、湯だ。湯の川。奥の社から流れ出ているらしいそれは、参道の右手に出来た大きな池に注ぎ込んで居る。池を囲む岩に腰を下ろした参拝客たちが、気持ち良さそうに湯に足を浸している。足湯になっているのだ。向かいにはゆったりとくつろげる東屋が出来ており、社殿の横には巨大な露天風呂が出現していた。独特の白い浴衣を着て、参拝客たちが楽しげに湯につかっている。彼らの大半は、人ではない。この地では妖怪、物の怪と呼ばれる類の者から仙人、精霊と称される者まで様々だが、皆ここでは争う事も無くのんびりと寛いでいる。それが、ここ、まほろの社における暗黙かつ唯一の掟であり、この場所の存在意義そのものでもあるのを知っているのだろう。種々雑多の客の様子を注意深く見ながらも、魅月姫はかなり長い間、うろうろしていた。
「…一体、何処に…」
 小さな声で呟いたのは、鈴の出していると言う出店の事だ。以前、夏祭りに呼ばれた時と同じく、魅月姫をここへ招いたのは、友人の天鈴(あまね・すず)だった。ずっと出店の所に居るからと言われたのだが、その店が見つからないのだ。もしかすると、社の入り口の所なのかも知れないと、鳥居の方に足を向けたその時だった。おお、と周囲がどよめいて、皆が空を見上げた。つられて見上げて、小さく息を呑む。ぼんやりと輝く人影らしきものが、丁度湯の川の上空を歩くようにして、段々と更に高く昇っていくのが見えたのだ。『歳神の帰還』と言う言葉が浮かんだのは、鈴の話を思い出したからだ。年に一度、たった一夜催されるこの年越しの祭の、メインイベントの一つだと彼女は言っていた。あれが多分、今年一年、街を見守り続けた歳神たちなのだろう。空の高みに消えていく彼らを見送りつつ、歩いていくと鳥居が見えてきた。周辺は大きな足湯になっている。その一角に、見覚えのある人物が寛いでいた。天玲一郎(あまね・れいいちろう)。鈴の弟だ。彼の方も魅月姫に気づいたらしく、こちらを見て軽く会釈した。
「もういらしてたんですね。さっきの、ご覧になりましたか?」
「はい。あれが、『歳神の帰還』ですね」
 そうです。と、玲一郎が頷く。
「今年もいよいよ、終りに近付いた、と言う事です。魅月姫さんには、随分とお世話になりましたね」
 魅月姫は小さく首を振った。それは、お互い様と言うものだ。
「そうそう、出店にはもう、行かれましたか?」
 ふと聞かれて、魅月姫はつい、言葉に詰まった。玲一郎がくすっと笑う。
「迷ったんですね」
「…そんな事は」
 無い、と言いたい所だったが、これ以上うろうろするのは時間の都合上も避けたい所だった。じっと見上げると、玲一郎はわかりました、と微笑んだ。
「この湯の川の反対側を歩いて行くと、分かりやすいですよ。少し、出店の並びは奥まった所にあるんです」
 鈴に会っても、自分がここに居る事は内密に、と頼む玲一郎に頷いて見せて、魅月姫はすぐに湯の川を渡って歩き出した。どちらかと言うと着物姿が多い中、漆黒のアンティークドレスが珍しいのだろう。休憩所でゆっくりしている客たちが、時折振り向いてこちらを見ていたが、気にせずに進んだ。社の奥に行くに従って参拝客は多くなり、出店の場所を見つけ損ねないように、更に注意深く見回しながら歩いた。途中、人間の二人連れとすれ違った。一人は多分、学生服、と呼ばれるものを着た少年で、もう一人はそれよりもう少し年かさに見える、それでもまだ若い娘だ。もしかしたら鈴の知り合いかも知れない、と思ったが、声はかけなかった。鈴の店を見つけたのは、そのすぐ後だ。

「魅月姫殿!」
 ずらりと並んだ客の向こうから魅月姫を見つけて、鈴が嬉しそうな声を上げた。
「来て下さったか!」
 小さく頷き、店の前の長蛇の列を見やった。どうやら店はかなり忙しいらしい。魅月姫は少し考えてから、鈴の隣に立った。
「手伝います」
「それは助かる!では…」
 にかっと笑った鈴が、魅月姫に頼んだのは桃のジュースを出す係だった。樽の蛇口を捻ってジュースを竹のコップに注ぎ、客に出す。たったそれだけの事だったが、最初のうちはリズムがつかめずもたついた。
「魅月姫殿、慌てずとも良いのじゃ。乱暴な客は居らぬ故。繰り返しているうち、慣れもするであろ」
 鈴の言う通り、同じ動作を繰り返すうちに少しずつ慣れてはきたが、やはり彼女ほど手早くは出来ない。だが、不思議と客は文句一つ言わずにじっと待っていてくれた。確かにうるさい客は居ないようだ。だが、そのうち何度も同じ客が並ぶようになり、魅月姫は首を傾げた。ここの桃ジュースはそんなに美味しいのだろうか。訝しく思っていると、鈴がふうむ、と唸って、きらりんと瞳を輝かせた。
「魅月姫殿、ちょっとよろしいか」
 と、言ってよいしょと樽を持ち上げ、自分と魅月姫の間に置いた。それまでは後ろを振り向いてジュースを注がねばならないのが少し手間だったので、このレイアウト変更は魅月姫にとっては非常にありがたかったのだが。
「ほおおう」
「おお…」
 などと言う溜息が客の間から漏れたのが不可解だった。が、しかし、聞いている余裕は無かった。魅月姫は小首を傾げつつも手は止めず、ひたすらジュースを注ぎ続けた。慣れてくると、客の姿を見る余裕も出てきて、中々面白かった。杖をついた老人から、小さな童子。仙人。河童も居れば、半透明の水精も居た。大きな翼を持った鳥のような姿をした者も居たし、終始俯き加減の愛らしい少女も居た。今年飢えられたばかりの桜の精だと、後から鈴が教えてくれた。樽のジュースを全て注ぎ終えた所で、鈴がぱん、と手を叩いた。
「今宵の商いはこれで終いじゃ!」
 おお、と言うどよめきが客の中から漏れる。
「皆もそろそろ、露天に移動する頃合であろ?わしも降臨は是非とも見とうてな」
 樽の栓をきゅっきゅと閉めながら言う鈴に、皆が頷いた。と、そこへ一人…いや、一匹の河童が近付いてきて、何事か鈴に囁いた。
「ふうむ。…まあ、良かろう。他の者にもそう伝えてくれるか」
 鈴の返事に、河童は嬉しそうに何度も頷いて、少し離れた所からこちらを見ていた一部の客たちの所に駆けて行った。
「一体、何を?」
 と聞くと、鈴は頷いてからくすっと笑って、
「あのコップを持ち帰りたいそうじゃ。…あ奴ら、すっかり魅月姫殿のファンになってしもうたそうでな」
「私…の?」
「そうじゃ。…やはり気づいては居られなんだな」
 まあ、そこが魅月姫殿の良い所だが、と付け加えて、鈴はぐっと伸びをした。
「さて、わしらもそろそろ参ろうか。降臨だけは、見逃しとうは無いからのう」
 魅月姫も頷き、伸ばされた鈴の手を取った。露天はすぐそこだ。

「良いお湯ですね」
 魅月姫は湯の中で腕を伸ばした。白い浴衣が、湯の中でふわりと揺れる。露天風呂に着いた時、雪娘たちが寄ってきて白く輝く粉をかけられた時には少し驚いたのだが、その途端にそれまで着ていたアンティークドレスがこの白い浴衣に変ったのにはもっと驚いた。この浴衣、目で見れば確かにそこにあるのに、湯に入ると着ている事すら忘れてしまう程、違和感が無かった。それでいて透ける事も無いのだから、不思議な布地だ。何か秘密があるのだろうかと腕を上げてみたりしていると、鈴がふう、と息を吐いた。
「魅月姫殿のお陰で、店も繁盛、今年も良い年末を迎えられそうじゃ」
 と湯の中で頭を下げる鈴に、魅月姫はいいえ、と首を振った。
「中々面白い経験でしたから」
「まあ、滅多にない、と言えばその通りであろうがなあ」
 鈴が笑い、魅月姫も微かに笑みを浮かべた。知らぬ者には分からぬ程度の微笑みだったが、鈴はうむ、と頷くと、
「愉しんでもらえたなら、わしも嬉しい」
 と言った。と、その時。掌ほどの大きさの小さな娘たちが湯の上を飛ぶようにやってきた。湯の花の娘たちだと、鈴が言い、
「飲み物の注文を取りにきたのであろ?」
 と彼女らに言った。
「はいな」
「ここの飲み物はな、魅月姫殿。四つのうちから一つ選ぶのじゃ。それぞれに効能がある故、考えて選ばれると良い」
 日本酒ならば友情運、ワインならば恋愛運・芸術運、日本茶ならば学業運、紹興酒ならば金運・仕事運をそれぞれ上げてくれるのだと言う。魅月姫はしばらく考えた末、日本酒を選んだ。なるほど、と鈴が言い、彼女もやはり日本酒を頼むと、湯の花の娘たちはすぐに戻ってきて、徳利とお猪口を渡してくれた。それぞれのお猪口に日本酒が注がれ、辺りにほんのりと香る。
「良きご友人に出会えますよう」
 湯の花の娘たちはそう言ったが、出会いならば今年も得ている。顔を上げると鈴もこちらを見ており、どちらからともなく杯を少し、掲げた。二人して静かに酒を酌み交わしていると、そこにシュライン・エマが合流した。魅月姫と鈴、共通の友人でもある彼女が頼んだのは、紹興酒だった。
「たーんと稼がれますよう」
湯の花の娘たちが微笑みながら竹のコップに香りの良い酒を注いでくれた。そこで玲一郎たちが合流したのだが、その彼の傍らに居た三人のうちの二人は、鈴の店に行く途中、すれ違った二人だった。やはり、鈴たちの知り合いだったようだ。少年の方は櫻紫桜(さくら・しおう)、少女の方は藤井 葛(ふじい・かずら)と名乗った。もう一人のセレスティ・カーニンガムとは、以前にも顔を合わせている。
「あれ、お店は?」
 と聞いたのは、藤井葛だ。多分、彼女も店を手伝っていたのだろう。自分とすれ違ったのは、休憩にでも行く途中だったに違いないと魅月姫は思った。
「もうしまいじゃ。わしとて、年越しの瞬間まで商いしようなどとは思うておらぬ。それに」
 と、鈴が空に視線をあげ、皆もそれに続いた。社の空が、揺らぐ。すうっと何かが開くのが分かった。
「もう、降りて来るぞ」
 鈴に言われずとも皆分かっていただろう。開かれたのは、空。聞えてきたのは、小さな澄んだ鈴の音だ。しゃん、しゃん、しゃん…。規則正しく聞える鈴の音と共に、白く輝く人影が幾つも列をなし、開いた空から降りてくる。ざわめいていた露天風呂は静まり返り、皆一様に空を見上げていた。妖怪も、仙人も、樹精も、水精も、誰もがじっと、降りてくる歳神たちを見上げている。物音一つしない中、一列になった彼らは湯煙のすぐ傍まで降りて来ると、鳥居の方に向かってゆっくりと進んで行く。しゃん、しゃん、と言う不思議な音は、彼らの歩みとほぼ同調しており、まるで足音のようだった。
「歳神はな、星々の世界から降りてくる星の子らじゃ」
 鈴が言った。
「星が降りてきて、神様になるって事かしら?」
 シュラインが聞いた。
「そうじゃ。なぜ星が降りてくるのか、なぜ神となってこの世を見守るのか、穢れと共に戻って行くのか。理由を知る者は居らぬ。が、年に一度の年越しの夜、嵐であろうが晴れ渡っておろうが、穏やかであろうが戦があろうが、歳神達は還り、そして降りる。古より繰り返されてきた不思議の一つよ」
「とても、綺麗ですね」
 呟くように言うと、鈴が嬉しそうに頷いた。その間にも、輝く人影の列は、鳥居に向かって伸びて行く。
「ねえ、鳥居を抜けた歳神は、やっぱり犬の形になるのかしらね」
 ぽつりと言うと、玲一郎が多分、と微笑んだ。それ見たい、と立ち上がったのは葛で、紫桜少年も無言でその後に続いた。シュラインが、
「あ、ちょっと、服は?!」
 と声をかけたと同時に、また雪娘たちが現れて、彼らに光る粉を振り掛けると、浴衣は元の服に変っていた。
「上手い事出来てるわね」
 呟くと、鈴が自慢げに笑った。何時の間にか空は閉じており、最後の歳神があの澄んだ音と共に鳥居の方へ進んでゆく所だった。と同時に、湯が少しずつ煙に変わって行く。立ち上がろうとすると、玲一郎が手を貸してくれた。
「年が変わり、歳神たちの降臨が終わると同時に、社はまた、閉じる」
 鈴が言った。何時の間にか雪娘たちがやってきて、シュラインたちにも粉を振りかけてゆく。服が元に戻った頃には、湯は既に濃い霧に変っていた。最後の歳神の気配が社から消えて、誰からともなく、持っていたグラスやお猪口を掲げた。
「あけまして、おめでとう」
 重なった声が、残った湯煙の中で響き、消えて行く。社が閉じていくのだ。新しい年が始まる。湯煙の中で、魅月姫と鈴は、ちらりと互いに目を見合わせて、頷いた。
「今年も、よろしく」

<終り>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4682 / 黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき) / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)・深淵の魔女】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1312 / 藤井 葛(ふじい・かずら) / 女性 / 22歳 / 大学院生】
【5453/ 櫻 紫桜さくら・しおう) / 男性 / 15歳 / 高校生 】


<登場NPC>
天 鈴(あまね・すず)
天 玲一郎(あまね・れいいちろう)

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■         ライター通信          ■
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黒榊 魅月姫様
この度はご参加ありがとうございました。ライターのむささびです。まほろの社、年越しの祭、お楽しみいただけましたでしょうか。魅月姫嬢には出店の売り上げに大いに貢献していただきました。ありがとうございました。鈴にかわりまして、改めて御礼申し上げます。奇妙なファンまで出来てしまい、以後時折あちこちでじっと見詰められたりする事もあるかも知れませんが、どうかお気になさらずに…。それでは、遅ればせながらご挨拶を。
昨年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

むささび。