コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


■闇に走れば■

 「はぁっ?! 何だそれ、俺が死ぬって?!」
 素っ頓狂な声を上げているのは、ここ草間興信所所長 草間武彦、永遠の三十歳である。
 その筋では、知らぬ者がないと言われるくらいに有名な怪奇探偵でもあった。
 もっとも、怪奇を頭に付けると、本人大いにへそを曲げてしまうのだが。
 年代物の黒電話に向かってそう怒鳴っているのは、何とも間の抜けた様に見えたが、何より口にした内容が内容だ。
 大掃除に向けての前掃除をしていた彼の義妹も、ぎょっとした顔で、掃除機を止めて草間を見ている。
 『もー、やっぱり見てなかったんだね、あたしのメールっ!』
 元気の良い女の子の声は、そのくたびれ果てた黒電話の向こう側から聞こえてくる。
 草間に向かってそう話しているのは、関東随一を誇るオカルトサイト『ゴーストネットOFF』管理人 瀬名雫であった。
 「いや、だから……」
 言葉を濁す草間だが、確かにメールはここ数日見ていなかった。
 『早く見てよっ! ちょっと大変なんだからね!』
 そう急かされ、草間は慌ててパソコンを起動するとメーラーを立ち上げた。
 「ええ……と、これか」
 そこに堪っているメールは、スパムメールも含め案外多い。その中には、アトラス編集部編集長 碇麗香の名もあったが、取り敢えずは雫のメールだ。草間は彼女の名を見つけると、メールの内容を読み始めた。

**********************************************************
Subject:大変だよ!
Addressor:雫
Date:Mon,XX Dic 2005 21:01:32 +0900 (JST)

 草間さん、『夜明けの救急車』の話は知ってるよね?
 うちのサイトでも、その救急車の話で盛り上がってるんだけど、そこで草間さんらしい人を見たってカキコがあったの。

 今日、朝帰りした時に見たらしいんだよ。
 どうするの。草間さん、何とかしないと死んじゃうよ。

 あたしも出来る限り協力するからね!

**********************************************************

 見事なまでに、要件のみを述べたメールである。
 ちなみに草間は、その『夜明けの救急車』なるものを知らなかった。
 「……『夜明けの救急車』って何だ?」
 『ウソ! 知らないの?』
 本気で驚いている風な雫の声を聞きつつ、草間は麗香からのメールも開いて見た。

**********************************************************
Subject:夜明けの救急車
Addressor:碇 麗香
Date:Mon,XX Dic 2005 22:11:58 +0900 (JST)

 見たわよ。何だか面白いことになってるじゃない。
 こっちも丁度取材しようと思ってたのよ。身近で『夜明けの救急車』に乗った人がいて助かったわ。

 うちで独占レポートさせてくれたら、お礼は弾むわよ。


**********************************************************

 こちらだって負けないくらい、野次馬根性全開な内容である。いや、彼女の場合、メシのタネになっているのだから、野次馬とは違うのかもしれないが。
 「どいつもこいつも……。つか、何だよマジで。このセンスのないネーミングはっ」
 突っ込み処はそこかい! と、聞いていた者は言いたかっただろうが、生憎とその場にいたのは零だけであった。どうやら彼女は、その言葉を心に止めておくことにしたらしい。
 「取り敢えずは、その妙な救急車のことを聞かせてくれ」
 馬鹿馬鹿しいと言葉の端に滲ませた草間は、雫にその説明を求めた。
 彼女の言うところによると、『夜明けの救急車』は、最近巷を騒がせている噂、そう、都市伝説めいたものだと言うことだ。
 夜中から明け方の間、都内を走る救急車らしいのだが、その中に乗っている者は、数日中に死に至ると言うことらしい。
 音を鳴らさず、密やかに都内を巡り、時折停車しては扉を開いて人を乗せるのだそうだ。
 その時に乗せられた人や、扉を開いた際に乗っていた者が、所謂未来の死者である。
 「……お笑いか?」
 何となく、救急車と言うところが、シリアスに考えることが出来ないでいる草間であった。
 『笑ってる場合じゃないよ。うちのBBSでその救急車に乗ってたって書かれてた人が、本当に死んじゃってるんだから! 一人や二人の話じゃないんだからね』
 雫は『あたしももっと詳しく調べてみるから』と言い残し、慌ただしく電話を切った。
 「全く。霊柩車ならいざ知らず……って、違うか。こう言う場合はタクシーか?」
 お馬鹿さんなことをぶつぶつ言う草間だが、零の真剣な瞳に気圧され口を閉じた。
 「お義兄さん、大丈夫なんですか?」
 心配する零を安心させる為にも、草間はそんな事実がないことを調べる気になった。
 この暮れも押し迫った中、大掃除だってお節造りだって──勿論ながら、こちらは草間が作る訳ではない──あるのに、こんなことに係らっている場合ではない。
 「取り敢えず、調べてみるか。まあ、何でもなかったら、忘年会か新年会かでもすりゃ良いしな」



 「お茶の時間ですね?」
 そう声をかけたのは、悪戯な緑の瞳を向けたリンスター財閥総帥の庭師、モーリス・ラジアルであった。
 「モーリス様。はい、主様のご休憩にと思いますれば……」
 柔らかに微笑み返すのは、藍色の瞳を持つコック姿の人物だ。
 彼はモーリスと同じく、リンスター財閥総帥お抱えの料理人、池田屋兎月(いけだや うづき)であった。
 「モーリス様は、如何なされました?」
 「実はそのお茶の時間に、ご相伴に預かろうかと思いましてね」
 クスリと、互いに笑い合った二人は、そのまま主の私室の扉をノックした。
 応が聞こえると、モーリスが扉を開け、兎月は茶器を乗せたティーワゴンを押し、二人で中へと入って行く。
 「主様、少しばかり、休憩を致しませんか?」
 そう声をかける兎月に倣うかの様に、モーリスが彼を手伝い茶器を並べ始める。
 そんな二人を見たセレスティは、先程まで見ていた画面を変えて、二人の元へとゆっくりと歩み寄った。
 セレスティが辿り着く頃には、すっかりとティーブレイクのセットが出来上がっている。
 「本日は、ジンジャーチャイにしてみました。主様のお口に合えばと思いますれば……」
 確かに甘い香りと言うよりは、スパイシーな香りがする。生姜のぴりりとした味、それがミルクのまろやかさと交わって、大層飲みやすく、また美味しい。
 「風邪にも良いと聞きますしね」
 モーリスもまた、一口飲みつつそう呟く。甘すぎず弾けすぎず、可成り飲みやすい。
 「はい。予防にも宜しいかと。主様には、何時もご健勝であり続けて頂きたく」
 「おや、兎月くん、私には言ってくれないのでしょうか?」
 「え、あの…。いえ、勿論ながら、モーリス様にも」
 セレスティにもモーリスにも、同じく健康でいて欲しいと願う兎月は、モーリスのその言葉に焦ってしまう。
 くすくすと笑っているモーリスは、けれど本気で意地悪を言うつもりはない。ただ、ちょっとからかってみただけである。慌てている兎月を見て、冗談ですと一言言うと、そう言えばと話を変えた。
 「早いもので、もう一年が経ってしまったのですよねぇ。今年は、後一週間あるかないかです」
 「私達程長く生きている者は、振り返ってしまえばホンの瞬きにも見たぬ時間です。けれど、そんな刹那の時間でも、興味深いことの何と多いこと」
 「主様は、多趣味で御座いますれば……」
 「セレスティ様は、多趣味と言うよりは好奇心旺盛なんですよ。進んで行くところが、全てトラブルの最中なんですから」
 澄まし顔で言うモーリスに、セレスティはおやまあとばかりに苦笑をする。
 「酷い言われ様です。……そう言えば去年の年末も、草間さんのところで面白いことがありましたねぇ」
 考え込む様なセレスティを見て、二人もそのことを思い出していた。
 「面白いと言うには、少々語弊があるかと存じまするが……」
 控え目に兎月がそう答えると、セレスティは誰をも魅了する笑みを浮かべて返す。
 「行ってみますか? 今年もまた、何か面白そうなことがありそうですよ」



 「うーん。俺って人徳あったんだな。おお、壮か……ってっ! 何すんだよ」
 頭を抑えた草間は、彼の頭を叩いた人物を流し見る。
 「武彦さん、馬鹿なこと言ってないの。こうしてみんなが協力してくれるのよ」
 『壮観』と言おうとした草間を叩いたのは、この草間興信所のアルバイト事務員──もっぱら調査員の仕事と財布管理をしているのだが──であるシュライン・エマだ。
 「ま、そうでも言わなきゃ、やってらんねーかもな」
 そう言うのは、先程山の様な荷物を持たされ返ってきた守崎北斗(もりさき ほくと)である。彼は兄と共に、シュラインのお供で買い物へと行っていたのだ。ちなみに彼は、頬をお持ち込みの和菓子でぱんぱんにしつつ、器用に話している。
 「人徳があるかないかはさておき」
 「こらそこ、何でおくんだ」
 さらりと流したのは、モーリス・ラジアルだ。彼は何時もの如く、人を安心させる様な笑みを浮かべて、草間の突っ込みにも『いえ別に』と軽やかに切り返している。
 「それにしても、草間さんは何時も面白いことに巻き込まれていますねぇ。もうこれは運命でしょうか?」
 涼しげな顔でそう言うのは、巨大財閥をその双肩に背負っている麗人、セレスティ・カーニンガム。彼はここに訪れる前から、草間の巻き込まれた話を知っていた。
 「冗談事ではない」
 テーブルに持ち込まれている和菓子には手を伸ばさず、緑茶の入った湯飲みを手に言うのは、ササキビクミノだ。
 ちなみに彼女が和菓子に手を伸ばさないのは、餡子の甘さに気絶してしまうからである。
 「確かに冗談事ではないな。……それにしても、君は死にそうには見えないんだが」
 ふむとばかり考え込むのは、前回の依頼の礼ついで、手土産持参で来たアドニス・キャロル。
 それにしても何ともセンスのないネーミングだと思ったのは、ちょっとばかり内緒の話であった。
 彼の言葉に、一堂がもっともとばかりに深く深く深ーく頷く。
 「草間さんっ! 死亡予定があるなら、是非とも私のお薦めする生命保険に入って下さいっ!!」
 「縁起でもないっ!!」
 『サギワークス生命保険株式会社』と怪しげな社名の書かれた茶封筒を、ずずっと差し出しかけたのは、現在そのバイト中であるシオン・レ・ハイだ。
 勿論それは、草間に依って突っ返されたが。
 「草間さんが、心配ですね。大丈夫ですか? 本当に何処か悪いところはないのですか?」
 心配そうにCASLL・TOが言うが、何故だろう。皆が皆、彼から顔を背けている。
 CASLLは少しばかり傷ついた。人よりちょっとだけ怖いだけなのに。
 「……今心臓が止まりそうになった」
 「ええっ! やっぱり保け……」
 最後まで言えないのはお約束だ。
 「しかしながら、そこに乗っていたのは、本当に草間様で御座いましょうか?」
 お茶請けにでもと、和菓子を作って持ってきていた兎月が、そう小首を傾げて草間を見る。そう言う確証があるのかどうか、それが今ひとつ不明瞭だ。
 「俺じゃないと信じてる」
 「鰯の頭よりも頼りない信心だな」
 その言葉に、草間は唇を噛みつつ、ぐっと拳を握りしめた。
 「まあ、草間は死ぬ時期ではないと思うからな。勝手に呼ばれても嫌だろう」
 ツインズの片割れ、守崎啓斗(もりさき けいと)がもぞもぞと、先程買ってきたばかりの買い物袋から何やら幾つも取り出した。
 「昔の話だ。黄泉路……と言うか、悪しき者達が入って来れない様にする為、道切りと言う風習があった」
 皆の注視を受けたまま、啓斗が淡々と話し始める。
 「まずは注連縄」
 そう言って、啓斗は興信所の扉上部にそれを飾る。
 「……兄貴、フツーに正月準備だな」
 「……そうだな。注連縄飾りは、蛇を象ったものだと聞いたことがあってな。ああ、そうそう。これもあった」
 次ぎに取り出したのは、鏡餅だ。
 「……日本は、何とも興味深い風習があるのだな」
 アドニスは、そう言って感心している。
 「それはまあ確かにそうなんですけど、……今は感心するところではないと思いますよ」
 「そうか?」
 「ええ」
 どうやらモーリスとアドニスは知り合い……と言うより、可成り親密な関係らしいと、二人の間に漂う空気によって、誰もが──啓斗とシオン以外は──そう察していた。
 アドニスはアドニスで、良く知る者がいてほっとしていたから、モーリスへ向ける顔が、他の者達に比べて柔らかいものになっていたのだ。
 二人が話し合っている間に、啓斗は着々と草間の机の背後に鏡餅を飾っている。
 「一応、鏡餅も蛇身=カガミから来ているらしいが。……何だか緊張感ないな」
 「……兄貴、もう良いから、な?」
 ちょびっとばかり涙目になっている北斗に諭されて、啓斗はこっくりと頷くと席に戻った。
 「とにかく、あまりにも情報が少ないわ」
 「ええ、まずはそちらの収集から始める方が宜しいでしょうね」
 シュラインの言葉を受け、セレスティはそう頷く。
 「あ、えーと、俺、ちょっくら出てくるわ」
 思い立った様にそう言う北斗が、言葉通り興信所を出て行こうとする。
 「北斗、何処行くの?」
 「蓮のねーちゃんのとこ」
 「了解。ちゃんと連絡だけは、着く様にして頂戴ね」
 何故レンに? と思った様だが、北斗には北斗なりの考えがあるのだろうとも考えた様だ。
 「OKー」
 ひらひら手を振り出ていく彼を、残る者達が見送った。
 暫くの後、バイクの唸りが聞こえたかと思うと、それが徐々に遠く離れていくのが解る。
 「手分けして、探った方が良さそうですね」
 そう言うセレスティは、続きを促す様ににっこりとシュラインを見ている。
 「そうね。一応、各人が何処から手を付けるか、話し合いましょうか」
 「ではまず一つ目。『夜明けの救急車』自体についてだな。俺は話を聞いて、巡回・停止の時点で死神バスを思い出したな」
 アドニスの意見に頷いたのは、啓斗、クミノ、兎月、そしてモーリスである。
 「ある一定時間内に走っていると言うのは、黄泉から迎えに来ている馬車代わりではないでしょうか」
 「救急車は現存するものではないが故、音がしないのではないかと……」
 モーリスに続き、兎月は控え目にそう考えを述べる。
 啓斗やクミノも、それに近い考えを持っているのだろう。
 「少なくとも、本来救急車が向かう筈の病院は、死ぬ場所ではない」
 何かを思い出している様に、クミノが微かに瞳を揺らす。
 「私はまずは救急車の目撃場所、日時、そして活動範囲を調べてみましょう」
 セレスティがそう言うと、シュラインが続ける。
 「じゃあ、一緒に回りましょうか。……後、巡回している救急車が、過去、現実に存在したかどうかを、ナンバープレートが解れば調べてみることも必要ね」
 「死なせる為に、救急車に乗せるなどと考えたくはありません。……きっと何か、他に理由がある筈です」
 CASLLがそうぽつりと言うと、そうだなと啓斗が力強く頷いた。
 ちなみに他の者は、明後日の方向を見つつ、納得している。
 「私は、怪我人か病人を搬送中であった救急車の事故を調べてみます」
 意味なく乗せている訳がないと考えた、CASLLの言葉である。恐らくは、何か事故にあい、本来の目的を忘れてしまったのかもしれないと考えたのだろう。
 「あ、私はCASLLさんと一緒に調べます。……それにしても草間さんはぴんぴんしています。何処も悪くないのに救急車に乗せるなんて、あわてんぼうの隊員さんですねぇ」
 シオンが首を捻って言うと、控え目に兎月が頷いた。
 「さっきの兎月くんの考えですが、やはり一理ありますよ。どうみても、草間さんはぴんぴんしてますし、乗っていたのは草間さんであるとするのは、無理矢理に思えます」
 「見間違いだ見間違い。絶対に」
 「お義兄さん、そんなに力説しなくても……」
 草間の信心が、鰯の頭より弱いと言われたことへの反抗だろうか。
 強気に言い張る草間に溜息を吐く零。そんな二人を見つつ、シュラインが困った様な顔をしつつ口を開いた。
 「兎月さん、モーリスさんの言う通りね。もしかすると、人違いの可能性もあるわ。……と言っても、その方も本来死ぬべきではない人かも知れないし。麗香さんが興味持ってるあたり、本物の可能性が高そうだわ」
 眉を八の字にしてそう言うシュラインは、可成り不安なのだろう。麗香のアンテナに引っかかるなら、それなりの怪異であると、今までの経験上知っていたからだ。
 「わたくしめは、草間さんを目撃したと仰る方とお話してから、今までの目撃情報があった場所へと出向き、そこにいらっしゃる方々に聞いてみとうございまする」
 例えそこに人がいなくとも、兎月には聞く術があった。
 「俺は取り敢えず、草間の護衛も兼ねてここで待機だ」
 「俺も護衛をしようと思ったが、彼がここにいるなら、兎月さんと共に先に情報提供者を当たり、死神についての情報を調べてみよう。その後、ここに戻ってくる」
 啓斗の行動案を聞き、アドニスがふむとばかりにそう言った。
 「私は別行動を取る。草間には、本当に健康体であるかどうかを徹底的に検査をしてもらおう」
 「えーと、一応、別依頼が入って……」
 クールに見つめるクミノの視線を受け、草間が思わず逃げだそうとするが、しっかり零に襟首を捕まれてしまった。
 「こら、零、離せっ。兄を裏切るつもりかっ」
 「武彦さんの為よ。きちんと調べてもらって、結果が出た方が安心するでしょ。依頼は検査が終わった後ね」
 「ちゃんと調べてもらいましょうね。お義兄さん」
 二人にそう詰め寄られて、草間が逆らえる訳もない。首を竦めた亀の様に、小さくはいと返事をした。
 「それなら、私はクミノさんとご一緒した方が宜しいでしょうか」
 漫才めいたやりとりが一段落した後、モーリスがそう提案をする。彼をちらと見るクミノだが、是とも否とも言わなかった。
 何故なら彼がいた方が、確かにクミノは彼女自身の障壁のことを気遣う必要がなくなるからだ。
 実は興信所へと来た際、モーリスがクミノの周囲に漂う障気を敏感に察知し、驚くべきことに、その障気をほぼ中和したのだ。
 訝しげな顔をするクミノに、モーリスはにっこり笑ってこう答えた。
 『私は、あるべきものをあるべき場所へ、そしてあるべき状態へと戻すハルモニアマイスターですから』と。
 勿論彼女の纏う障壁はそのままであるが、障気にあてられることがないのなら、クミノが気を配ることもさほど必要ではないだろう。
 そしてダメ押しの様に一言。
 「先程は言い忘れましたが、私、一応医者でもあるんですよ」
 彼を知っている者は、確かにそうだったと思い出す。ちなみに草間も、忘れていたらしく、小さく『そう言えば……』などと呟いていた。
 「病院が嫌なら、モーリスに調べてもらえば宜しいのですよ」
 大がかりな医療器具はないし、ついでに付け加えると『診』るのは植物の方が専門で、医者と言ってもメス捌きの方が得意なのだが。
 「病院の検査を受けてみるのも一興ですよ。まあ、診ろと言われれば診ますけれど、……どうしますか、草間さん?」
 優しげに微笑むモーリスの顔が、草間には大層怖く映ったらしい。
 「……病院に行かせて下さい」
 大人しくそう言う草間に、微かな溜息を吐いた後、シュラインが纏める。
 「じゃあ、まず武彦さんを病院へ。これにはクミノちゃんと、モーリスさん、そして護衛の啓斗ね。
 CASLLさんとシオンさんは、救急車の事故があったかどうかを調べる、と。
 兎月さんとアドニスさんが、目撃者ので聞き込みね。
 その後、アドニスさんが死神についてを調べてから武彦さんの護衛、兎月さんが目撃された場所での聞き込み。
 セレスティさんと私は、救急車の目撃場所と日時、活動範囲についてかしら。こっちはアドニスさん、兎月さん、CASLLさん、シオンさんと連携を取りつつ、ね」
 そう一息に言った後、こっそり病院組に『よろしくね』とお願いするあたり、シュラインらしいと言えるだろう。
 とまれ。
 各人が、行動すべく動き始めた。



 『草間武彦目撃情報』をもたらしたのは、都内の予備校に通う十九歳の青年だった。
 こちらは予め、雫からの電話後、草間の方へと目撃者情報が送られて来ていた為、そこからの調査となったのだ。
 ちなみに何故そこまで解ったかと言うのは、雫が面識があったからだ。以前開催した『オカルトスポット探検オフ』とやらで、顔を合わせたことがあると言う。
 ゴーストネットオフにて件の書き込みを確認したアドニスと兎月は、そのオフ会の際使用したと言う連絡用のメールアドレスにてコンタクトを取った。
 返信に時間がかからなかったことを見ると、その青年──野口も、雫から草間興信所から連絡が行くかも知れないなどと聞いていたのかもしれないなと、彼らは思う。
 とまれ、逢う段取りは直ぐに付き、彼は現在その野口青年と新宿にある茶店の一つで対峙していた。
 「んー、まあ、絶対に間違いないかとか言われたら、自信はないんだけどさ。雫ちゃんから前に見せてもらった写真と似てたよ」
 そう言う彼は、カチカチと百円ライターで煙草に火を付けた。未成年だろうとは思ったが、今時そう言ったことを守っている者がいるのかどうかは、可成り怪しい。時折『二十歳になったら酒も煙草も止める』などと言っているオバカさんがいるくらいなのだから。
 野口青年は、平均よりもちょっと男前で、そして平均よりも少しだけ背が高く、人懐こい雰囲気を与える男性だった。まあ、何処にでもいる様な、と言う訳だ。
 「前に見せてもらった写真とは、どの様なものでございましょうか?」
 「宴会で撮った写真みたいだったよ。どっかの神社で、宴会した時に撮った写真だったみたいだな。貰ったって」
 「もしや、鬼鎮神社で撮って頂いたものでございましょうか……」
 「さあ、それは知らないなぁ」
 兎月の推察通り、実はこの写真、去年の年末年始にあった依頼後の新年会で撮られたものだ。実は鬼鎮神社の神主が撮っていて、後に零に渡し、そこから雫に渡されたものだった。アドニスはいなかったから知らないのだが、その時いた兎月なら、件の写真を見れば直ぐ何時のものかが解る。
 「じゃあ、救急車に乗っている彼を見た時は、どんな風だったか教えてもらえるかな?」
 「すっげー、怪我してたみたいだった」
 「怪我?」
 怪訝な面持ちでそう問い返すと、野口は深刻そうな顔でうんと頷いた。
 「顔面血みどろ」
 「……」
 現在ぴんぴんしている男の、血みどろ姿を思い浮かべてしまい、コーヒーを飲む手を止め、思わず沈黙してしまうアドニスと、膝に置いた手をぐっと握りしめてしまう兎月。
 だが。
 「血みどろと言うなら、人相などあまり解らなかったんじゃないのかい?」
 気を取り直す様に言ったアドニスの言葉に、兎月は少しばかり安堵した。
 「んー、だから絶対に間違いないって言えないんだよな。ふらふらーっと歩いてヤツがいるなーって思ってたら、何時の間にか救急車が来てて、そこに入って行ったんだ」
 「場所は?」
 「学校だったよな、高田馬場にある女子大。近くに廃墟スポットがある。俺の彼女、そこ行ってて、住んでるとこもその近所。で、まあ、ねぇ……」
 深夜……と言うか、明け方に何故野口がそこへ行っていたのかは、深く聞かないことにした。
 ちなみに草間が、そんなところに行く心当たりがあるかどうかは、後でシュラインか零に聞いてみようと思っている。
 「草間さまをお見かけしたのは、何時であったかを覚えていらっしゃいますか?」
 「えーと、確か二十六日の明け方、かな」
 取り敢えず、彼に聞けることはそれくらいだろうと考え、二人は礼を言って話を切り上げた。



 アドニスと兎月の二人は、最初の現場である落合に来ていた。
 「わたくしめは、こちらのリストを元に、目撃現場にいらっしゃる方々に、お話をお伺いしたく存じまする」
 そう言った兎月に付き合う形だ。
 ちなみに兎月の言う『方々』とは、人ではない。現場にある電柱などの、無生物であった。
 彼は自身が絵皿の化生……と言うか、九十九神である為、そう言った者達との会話が可能なのだ。
 「何だか、嫌な気配だな」
 「そうで御座いますねぇ……」
 眠そうな瞳でそう言うアドニスと同じく、兎月もまた感じていたのだろう。何処か沈んだ風に答えた。
 「で、聞き込みしようにも、人が殆ど見えないんだが、……どうする?」
 彼らはまだ知らぬことだが、ここでは事件が起こっていた為、昼とは言えど、あまり人通りはなかった。更に言えば、元からそれ程賑やかなところでもないらしい。近くに廃墟があるのも関係しているのかもしれない。戦後に作られた都営住宅が老朽化した為に新しく作り変えられているのだが、とある場所が残っており、廃墟スポットとなっているのだ。少し逸れれば、賑やかしい場所になるのだが。
 「詳しくはお聞き下さいませぬ様、お願い致したく……」
 アドニスは、深くは聞かなかった。人には事情があると言うことを、良く知っているからだろう。
 兎月は、淋しげな場所を見回し、そこにある立っているだけになった電柱へと手を伸ばす。
 『お休みになられているところ、誠に恐縮でございますれば……』
 そう声をかける兎月に、数テンポ遅れて返事が返る。その声は、電柱の外観と同じく、年月を感じるものだった。
 『おやおや。これは変わった御仁じゃな』
 この風景は、アドニスには電柱に寄りかかっている様にしか見えない。
 『こちらで、今月の頭に救急車を見ませなんだでしょうか?』
 『救急車? ……見た様な、見ておらん様な。ああ、ああ、あれのことか』
 暫し考えていた電柱が、そう答えを返す。
 『ご覧になられたので?』
 『見たよ見た。いやぁーな、ヤツじゃな』
 『嫌な……でございますか?』
 『おう、そうじゃよ。この世の臭いではない臭いをさせておっての』
 『そうなのですか……。あの……、その救急車のナンバープレートなどは、ご覧になりませんでしたか?』
 『そんなもん、なかったぞ。ある筈もないじゃろの。あれは、あの世のものじゃ。おんしが言うのは、何やら薄暗ぁーいタマをまとわりつかせた人型から、そちらに変わったのじゃな。大きな鎌を持ったの。おお、普通の人も、通りよったがな』
 『人型、……でございますか?』
 暫し考え込んでいた兎月は、話をしてくれた電柱へと丁重に礼を言うと、アドニスの方へと向かった。
 「何か解ったのか?」
 「はい……」
 兎月が電柱から聞いたことを、アドニスへと伝えた。静かに聞いていた彼は、ゆっくりとその話を吟味する様に考えた後、やはり……とぽつりと呟く。
 「死神……だろうな。何故救急車の形を取っているのかは解らんが」
 元は、大鎌を持った人型。それが救急車の形へと、十二月二日を境に変わった。
 推理するのは後で良い。アドニスは携帯を取り出し、シュラインへと連絡を取ると、このことを知らせている。
 「俺は図書館に寄ってから興信所に戻るが……?」
 「わたくしめは、他の場所へも参るつもりでございます」
 「解った」
 そう言葉を交わし、兎月は他の目撃現場へ、そしてアドニスは図書館へと向かっていった。



 再度草間興信所に勢揃いした面々の前には、それぞれが所望した飲み物が置かれている。
 「年越し依頼になったな」
 啓斗がぽつりと言うと、去年いたメンツが揃って苦笑する。
 「二年続けてこうなるとは、私も思いませんでしたねぇ」
 「そう言っているわりに、セレスティさまは楽しそうですねぇ」
 ちなみに同じくモーリスも楽しそうである。
 「二年続けてってことは、去年もこう言うことがあったとか」
 北斗の質問には、シュラインが答えた。
 「まあね。去年もオカルト事件だったわ……」
 何処か遠い目だ。しかしもっとも遠い目をしているのは、草間である。
 「今年も、オカルトに始まってオカルトに終わるのかよ。うちの事務所は……」
 がっくりと肩を落としている草間の肩を、ぽんぽんと慰める様に叩いているシュラインである。何とも良いパートナーだ。
 「嘆くな」
 それがここの運命だと言わんばかりのクミノ。
 「昨年のこともありましょうし、気を引き締めて参りましょう」
 先達てのことを思い起こし、兎月は何より自分の気を引き締めた。
 「取り敢えず、始めましょうか」
 シュラインの一声で、それぞれの調査結果が突き合わされる。
 まずは碇麗香作の資料と、雫からの資料だ。コピーを含め、それぞれが手にしている。
 「基本的には、これを元にして目撃場所や付近にある消防署、そして救急車に乗車しているのを目撃された方についてを調べた訳よね」
 「俺は、蓮ねーちゃんのとこだったけど」
 「俺達三人は、草間の検査に行ったけどな」
 クミノとモーリスを見やると、二人ともが軽く頷いた。
 「武彦さんが健康で良かったわよ、ホント」
 『俺は百まで死なんぞー』と、草間がどうでも良い声を上げていた。
 少しばかり不安要素はあれど、そちらの要素もなくす為、シュラインはまず調査方法の整理を続ける。
 「目撃場所を当たって貰っていたのは、アドニスさんと兎月さん。二人には、武彦さんを目撃したと言う方にも逢って貰ってるのよね」
 二人がそうだとばかりに頷いた。
 「そしてCASLLさんとシオンさんは、消防署の方をあたってもらった」
 「大変だったのですよ。CASLLさんが、強盗に間違われてしまって……」
 その時を思い出したのか、シオンはウサちゃんをぎゅっと抱きしめ、カウンターキックをお見舞いされている。ちなみにCASLLは『言わなくても良いのに……』と、シオンをじとっと見ていたりした。
 「セレスティさんと私、そして後で合流したモーリスさんは、救急車の目撃日時、そして死亡原因と時刻の確認」
 こちらもシュラインの視線を受け、二人揃って頷いている。
 「私も見たが、なかなか偏った結果だな。これは」
 クミノがぴんと、指で麗香と雫の報告書を弾く。
 「ホント、オミゴト」
 北斗もまた鼻を鳴らして同意する。
 「救急車に乗るところを目撃された場所、そして死亡した場所は、いずれも同じ。そして目撃から死亡までのスパンは、五日。時間は少しばかりずれてはいる。ただ、救急車の移動経路は決まってはいない」
 それを調べたシュラインに、確認するかの様にアドニスが聞いた。
 「ええ。基本的には、新宿区、渋谷区、千代田区、港区を行ったり来たりと言ったところね。目撃順序に、法則性がある訳じゃない。後、雫ちゃんも言っていたのだけれど、目撃された場所は、オカルトスポットらしいの」
 言われてみれば、そこそこ名の上がる場所が多い。
 東京タワー然り、靖国神社然り、青山霊園然り。
 そして、草間の目撃されたと言われるところも、地名としてはぴんと来ないかも知れないが、霊道が通っていると噂のある場所だし、それ以外にある地名だって同じだ。
 「更に、それぞれの死亡原因ですが、全て事故死か変死です」
 モーリスが言う様に、病死だの老衰だのと言った、所謂自然死に当たるものは、一つとしてない。
 「予期せぬ死……と言う訳ですね」
 「そう言えば、これを見ると一番最初に目撃された日に、大きな事故があった様です」
 言いながら、CASLLはその話を聞いた時のことを思い出してしまった。
 「その事故は、何処であった?」
 資料にないかと確認しつつクミノが問うと、消防署員に戦かれているシーンを回想しているCASLLではなく、シオンが代わって答える。
 「戸山公園の方と言ってましたよ」
 「戸山公園でございますか?」
 「はい」
 共にそちらの方へと聞き込みに行ったアドニスへと目配せをしつつ、兎月はシオンに確認する。
 「近いですねぇ……」
 「え?」
 顎に手を当てそう呟くセレスティの言葉に、CASLLとシオン、互いが資料を再度見た。
 「……本当ですね。最初の被害者が目撃された場所とは、一応徒歩圏内と言えるでしょうか。でも、時間は事故が起こった方が早いのですね」
 事故は夜中、目撃されたのは夜明け。共に十二月二日。
 「あ、そうそう。蓮のねーちゃんが言ってたんだけど、十二月二日って、庚申の日って言うんだってな。百鬼夜行が出る日だって言ってたぜ。実は大きな事故って言うのが、それ目撃した所為だったりして。そこ、霊道が走ってるって言ってたし」
 冗談めかして北斗が言うが、半分くらい本気なのかもしれない。
 「事故の起こった場所は、最初にの被害者が目撃された場所や草間さんが目撃された場所と近くはあります。そこは、蓮さん曰く、霊道があると言われていた場所なんですね。百鬼夜行が霊道から現れたと言うのは、ない話ではありませんが」
 「救急車の正体は、百鬼夜行の妖怪の可能性があるのかしら?」
 「死神かと思っていたんだが、違うのか……」
 「いえ、わたくしめが聞き及んだところ、不審な存在は一人……と申し上げて宜しいのかどうかは解りませぬが、百鬼夜行の様な数多くのものではございませぬ」
 ぽつりと言うアドニスの後を受ける様に、兎月がそう続ける。
 「人型の魂の様な暗い光を纏わせた黒い影を、わたくしめがお話をお聞きした方が目撃しておられました。それが救急車の形をしたものに代わったと。そして黒い影は、人型の際、大きな鎌の様なものを持っておられた様にございますれば……」
 嫌な感じのする存在だったと、そこの電柱は言っていた。直接心に伝わるそれから、兎月は彼の感じたものを、そのまま受け取っている。
 「大鎌って言えば、死神よね。やっぱり」
 「妖怪さんが沢山と言うのも、大きな鎌を持っている死神さんと言うのも、どちらも嫌です」
 想像したのか、シオンがぶるると身震いした。
 「そう言えば、下着泥棒もそこら辺だと言っていたな」
 「下着泥棒?」
 啓斗や北斗、そしてシュラインと零以外には、一体何のことやらさっぱりだろう。
 「これ以外にも依頼が入っていたんですよ。落合の方にある女子大の寮に、下着泥棒が出たそうなので、捕まえて欲しいと言うものなんです」
 「そう言えば、依頼があるとか言っていたが……。本当だったのか」
 その話は、病院へ行きたくない為に出た嘘だと、クミノは全く信じていなかった様だ。
 兎月は、その話が本当であったのだと言うことを聞き、少しだけとは言え、信じていなかった自分が恥ずかしくなる。
 「では草間さんが、目撃された付近へと行く理由は、一応存在していたのですね」
 柔らかな銀の髪を梳きつつ、彼は成程とばかりにそう言った。
 「そして救急車の正体ね。次は」
 「死神説が有力だけどさ、兎月さんの聞いて来たことから考えても、何か変化したみたいだな」
 北斗が夕食前のオヤツ肉まんを頬張りつつ、そう考えている。
 「百鬼夜行……が原因か?」
 「え?」
 クミノの呟きは、皆の視線を集めた。
 「言っていただろう? 大規模な事故の原因が、百鬼夜行かも知れないと」
 「まあ、そうだけど」
 「それは強ち外れではないのかもしれない。草間を医学検査にかけ、現在出ている結果は身体的には問題なし。だが、能力者関係へ見せた結果は、死の影有り、だ。そして現状を考えるに、草間を死へと誘っているのは、変質してしまった死神である可能性が高い。では、その変質してしまった切欠は?」
 「百鬼夜行……でございましょうか?」
 兎月が言うと、クミノは『かもな』と言う風に頷いた。
 「死神は何らかのアクシデントで、正気をなくしてしまった。その理由が百鬼夜行と言う訳か」
 「取り敢えず仮定だ。百鬼夜行を見た者が、それに驚いて事故を起こす。事故によって死んだ者達の魂を連れて行こうとした死神がそこへとやって来ようとし、同じく百鬼夜行にぶち当たって変質した。こんな感じか?」
 クミノとアドニスの言を聞きつつ、啓斗が話をつなげてみる。
 可成り強引だろうが、集めた情報と現時点での結果を合わせ見るに、そう言った考え方もありだろう。他に何か考えつくかと言う風に、啓斗が周囲を見回すが、皆は考えている様だ。
 「目撃された……、所謂亡くなった方達ですが、どうやら個人個人に接点はなかった模様です。すると、彼らが今回救急車に乗っていたのは、どう言う理由からでしょう」
 目撃された者の背景を洗っていたモーリスが、そう疑問を呈する。
 「ただ単に、あの世へと魂を持ち去るだけなら、死亡原因の偏った者達ばかり集めて来たのは少し疑問だな。死神が持っているリストにも、何か理由があるのだろうかね」
 「何か、訳解らなくなって来ちまった……」
 「そうね。ちょっと整理しましょう」



 シュラインがそう言った後、草間興信所にある所長席の前のテーブルには、大きな紙が乗せられた。更に赤と黒のマジックと都内の地図。
 皆に良く解る様にと、シュラインが用意したものだ。
 シュラインがそれを用意している間、零が兎月と連れだって、皆の飲み物を代え、更にお茶請けを数種用意していた。
 「時系列順に並べてみるわね」
 ■十二月二日
 ・事故  時間:午前二時を回ったあたり  場所:戸山公園付近
 ・最初の目撃者  時間:夜明け(恐らく午前四時あたり)  場所:落合
 ■十二月六日
 ・二番目の目撃者  時間:夜中(恐らく午前二時あたり)  場所:靖国神社
 □十二月六日
 ・最初の目撃者死亡  死因:撲殺(時間は午後十時前後)  場所:落合
 ■十二月九日
 ・三番目の目撃者  時間:夜中(恐らく午後二時過ぎ)  場所:東京タワー
 □十二月十一日
 ・二番目の目撃者死亡  死因:交通事故(時間は午後八時過ぎ)  場所:靖国神社付近交差点
 更に複数名の被害者の目撃時間と場所、死亡時間と場所、死因が記入されて行き、草間の番になった。
 「で、十二月二十六日の明け方」
 「確か、顔面が血みどろとか言っていたな」
 「げげっ、勘弁してくれよ……」
 「俺に言われても、な」
 夜闇がやって来た所為か、アドニスは昼間よりも涼やかな視線で草間に向けて苦笑した。
 「場所は高田馬場にある、女子大」
 シュラインが、ちろと草間を見てやると、別に悪いことをした訳でもないのに、彼は首を竦めた。
 「女子大の寮の間違いじゃないか?」
 「もしかすると、そちらから犯人を追い掛けて来たのかも知れませんよ」
 依頼が女子寮であった為、啓斗はそう思ったのだろう。だが、確かにモーリスの言うことにも一理ある。
 「どうしたの? CASLLさん」
 そんな中、CASLLがしきりに首を傾げているのを見たシュラインが、気がかりでもあるのかと聞いた。
 「気の所為かもしれませんが……。救急病院が多くありませんか? 半径一キロ以内に、全部ありますよ」
 救急車を調べる為、消防署を回っていた彼は、近くにある救急指定の病院も同じくチェックしていたのだ。夜中に搬送されるなら、やはり遠くの病院より、近くの救急病院だろうと。
 「本当ですねぇ……」
 今更ながらに気付いたと、シオンはうんうん唸って感心していた。そんな彼の腕の中、ウサちゃんが溜息を吐いた様に見えたのは、きっとメルヘンの世界へと足を踏み入れそうになっていたからだろう。──多分。
 「失礼……」
 そう断り携帯電話を取り出したセレスティは、少しそこから離れ、何処かへと電話した後、再度戻って来た。
 「事故に遭われた方は、その救急病院へと搬送されているようですよ。それ以外の理由の方は、息がある内に見つかった場合、やはりそちらへ」
 どうやら秘書か何かに電話して、確認を取っていたらしい。
 「じゃあここに、病院を入れて……と」
 近場にあると言う、救急病院をシュラインは書き入れた。
 更に救急車の正体の項目のところには、『死神?』と書き入れ、理由として十二月二日が庚申の日で、百鬼夜行があったことと、それに遭遇して変質したかもしれないことも加えて入れる。
 そこから矢印を入れて、『死神の持つリストについて』と書き入れたところで、セレスティが口を開いた。
 「あくまで仮定の話であると、そう聞いて下さい。……もしかすると、このリストと言うのは、本来死亡確定者のリストではなかったのかもしれません」
 何となく、嫌な感じが兎月にはした。
 彼の主がこんな風に物を言う時には、何かあまり良くないことが隠されている。
 「主様、それは一体……?」
 意外な内容に、誰もが次の言葉を待っていた。
 「もしもあの時、その場所にいなければ……、と言うケースもあります。ただ単に死亡予定の方々のリストなら、死因に偏りがあると言うのも可笑しな話です。ですが、可成り低い確率で、避けうる運命を持つ方達であったなら……? 運命は悪戯です。もしかするとその方達は、IFの可能性として死を避けられる運命である方達でもあったのではないでしょうか? ただ、方向として本来強い道へと惹かれること、そして死神の変質と言うことで、死亡してしまったと」
 セレスティの推測が当たっているなら、少し苦いかもしれない。
 何故なら、この依頼が、もう少し早く来ていたならば、死亡者を減らせたかも知れないのだ。
 「……霊視の結果が、全て一致しなかった理由も当て嵌まる……か」
 それなりに粒ぞろいな者達の結果が分かれたのは、それが不確定要素を含むから。
 そして今解っている段階で、目撃された者が全て死亡しているのは、それを避ける術を知らなかったから。
 「イレギュラー事態がない限り、死は訪れると言う訳か」
 「では草間さんが死を回避するには、法則を変えてしまえば良い訳ですね。目撃場所が死亡場所であるならば、つまりは大晦日に依頼場所へは向かわないと言う風に」
 モーリスの言う通りだ。アドニスの言う、草間に取ってのイレギュラー事態は、その日そこへ仕事をしに行かなければ良い。
 しかしながら、それでは草間のみ助かるだけだ。それを代表する様に、啓斗が言う。
 「だが草間が助かったからって、放っておく訳にはいかないだろうな」
 「でもさ、今までのことから考えて、目撃場所=死亡場所だろ? もしもそこに予定者が現れなかった場合って、救急車……もとい、死神(仮)は現れる訳?」
 北斗の疑問ももっともだろう。そう言った例外がないからこそ、今回の事件が口に上ることになったのだから。
 「……俺に死ねと?」
 憮然としている草間だが、本当に必要であれば仕方ないとも、実のところ思っている。勿論死ぬことが仕方ないのではない。囮になることが仕方ないのだ。
 「まあ、しょうがない、か」
 覚悟を決めた様に、溜息混じりに言う草間へ、皆がクスリと笑った。
 「大丈夫だって。いざとなりゃ、俺たちがいるんだからさ」
 「そうよ。武彦さん一人だけじゃないもの」
 「元々俺は、護衛するつもりだったからな」
 それぞれ、北斗、シュライン、アドニスだ。
 「幸い、草間の後に目撃された者はいない」
 クミノがリストを見て、そう言った。
 「決戦は大晦日ってところだな」
 草間が目撃されたのは十二月二十六日。つまり、死亡予定日は十二月三十一日。
 啓斗の言う通りだった。



 大晦日の夜。
 当たり前だが、大層寒い。
 ……外は。
 「やはり、外は寒いですからねぇ。暖かくしていないと」
 にこやかに言うモーリスの手にあるのは、兎月が煎れた柚子茶であった。
 「北斗もバイクで出ると言わなかったらなぁ……」
 しみじみと言っていながらも、啓斗だって柚子茶を飲んでいた。
 「こう言ったものも、なかなかに美味い」
 アドニスもまた、そう言って柚子茶を堪能していた。
 「流石は兎月くんですね」
 「皆様のお言葉、勿体のうございますれば……」
 頬をほんのり染め、兎月がはにかんでそう言う。
 ここは本当に和やかだ。
 彼らは現在、ワゴンの中にいる。
 外にいるのは、CASLLとシオン、北斗と草間の四人だ。
 ちなみに柚子茶は、その四人が外へと出ることが確定してから持ち込まれたものだ。
 待ち状態で、ひたすら座っているのは辛かろうと、兎月は気を利かしたのである。
 『こちらは準備OKです』
 「CASLLさんね。了解。こっちもOKよ」
 そう伝えるのはシュラインである。
 「カメラは大丈夫だな」
 シュラインの横に立ち、機器のチェックをしているのはクミノであった。
 繰り返すが、現在彼らは、ワゴンにいる。
 ただそのワゴンが、普通のワゴンでないだけだ。
 通常ならある筈のシートを取っ払い、中を簡単な椅子とテーブル──普通はないが、このワゴンには当然の様に着いてきた──そして機器が占めている。
 勿論、救急車補足作戦の為だ。
 彼らの立てた作戦はこうだった。
 まず都内……と言っても、本日の出現予測場所は草間が目撃された場所であろうと考えられるので、そこを中心に固定カメラを設置。更に麗香を通じてアトラス編集部員の応援を借り、彼らに付近を巡回してもらう。
 更に移動カメラとして、小型携帯VSATを使用して中継を行う。VSATはクミノが興信所に来る前に用意していたもので、それの基地局となる車は、セレスティが調達した。その端末状態であるカメラは、CASLLと北斗のバイクへと設置されており、他にも外の四人にはインカムを装備してもらっている。
 囮になっている北斗と草間が周囲を流し、前後してCASLLとシオンが走ることになっていた。救急車を見つけたら、北斗は大急ぎでその場を離脱し、草間を置いた後にリターン。その間CASLLとシオンが、救急車を足止めするのだ。
 そして基地局であるワゴンは、某女子大と交渉し、中にある遊歩道の方へと紛れさせてもらっていた。勿論、名目は『下着泥棒を捕まえる為』だ。
 ともかく、ワゴンは『救急車発見』を聞き次第、その場所へと急行する。
 「じゃあ、気を付けてね」
 そのシュラインの声が、開始の号令となった。



 複数ある内のモニタの殆どは、大晦日の風景が映っている。
 今から初日の出を見に行く為に出発している者や、年越しを家で迎えようと家路を急いでいる者。それだけ見れば、本当に普通の大晦日の風景である。
 だが、その一つに唐突にそれは現れた。
 「『来たっ!』」
 北斗の声とクミノの声は、同時だった。
 それと共に、内外共に緊張が走る。
 「北斗、下がってっ」
 『了解』
 「CASLLさん、救急車の方、お願いね」
 『承知しました』
 既にワゴンのドライバーズシートへ着いていたモーリスが、即座にそれを発進させる。ナビにはこの中で一番夜目が利くだろう、アドニスがいた。
 「早大の方へ向かってるな」
 CASLLと北斗のバイクへと設置されているカメラ、そして彼らに付けているGPSより、現在地をクミノが確認した。
 「振り切れない様ですね」
 セレスティが、その様子を背後から察して呟いた。
 「北斗……」
 溜息の様に漏らす啓斗は、CASLLのモニタから拾っている北斗のバイクを食い入る様に見つめていていた。
 「皆様、お気を付けて下さいませ……」
 今でもCASLLのバイクは救急車の妨害をしているのだが、それはいっかなターゲットを変えようとはしなかった。
 「死神の手から逃れるには、代わりの魂をやると言う手があるそうだ」
 兎月と別れた後、死神について調べていたアドニスが、そう呟いた。
 「……皆さん、生命力の強い方ばかりですから」
 「誰も、亡くなったりは致しませんよ」
 「ええ勿論よ。誰も死なせやしないわ」
 暗に、大丈夫だと言うモーリスに続き、セレスティ、シュラインがそう言う。
 設置してあるモニタの一つとすれ違った時だ。
 「シオンさまっ?!」
 モニタに映ったそれに、ぎょっとした兎月は思わず声を上げる。
 過ぎ去りつつあるモニタを見ると、シオンがCASLLのバイクの後ろで、立ち上がろうとしていた。
 「シオンさんっ!」
 『私が、飛び移ってみますっ』
 日頃の彼からは想像が出来ないくらいに真剣な声音だ。
 「ダメ! 待ってっ」
 「振り切れないなら、待ち伏せをするか」
 「シオンさんにダイブさせる訳にもいかない。取り敢えず、このままじゃラチがあかないわ。この先、廃墟があったわね、そこへ追い込みましょう」
 啓斗の案を受け、司令官がそう判断を下す。
 「北斗、CASLLさん、そのまま東へ向かって。廃墟に追い込んで。こっちが待ち伏せするから。シオンさん、絶対飛び移っちゃダメよ」
 『了解』
 「承知しました」
 それを聞いたモーリスは、バイク組よりも早く着こうとアクセルをベタ踏みして合流地点へと向かう。
 その後、周囲を巡回中のアトラス編集部へと連絡を取ると、何とまあ、三下が出てしまった。
 「三下くん……、一人?」
 他に誰かいないのかと、そう聞きたかった。
 『ぼぼぼく、一人なんですぅぅ……。シュラインさーーんっ、助けて下さいよぉぉーー』
 野次馬が来ない様に、見張って貰うつもりだったのだが。
 三下の泣き言など、聞いている暇はない。
 「彼から近いところに、後二〜三人いる。そっちに連絡する」
 言葉通り、クミノが編集部員と連絡を取って指示を出す。
 「「見えた!」」
 前方を見ていたアドニスと、指示を出しつつモニタを見ていたクミノの声は、同時だった。



 夜闇の中、疾走する二台のバイクに誘われる様に、仄暗い光を纏った救急車が走って行く。なかなかにシュールな眺めだが、前にいる二台のバイクでタンデム中の四人は、それどころではないだろう。
 街灯が不意に途絶えたそこには、恐ろしげな給水塔が聳えていた。
 その給水塔の前、丁度一直線に並んで、一番前に闇色の長い髪を持つ少女が、そして日の元では生えるだろう金髪の青年、そして最後に包み込む大地の髪色を持つ少年が立っている。
 まるで風の様に彼の脇を抜けた二台のバイク。一台は、瞬き以下の逡巡を見せた様だが、それでも止まることは出来ずに走り抜けた。
 まず最初、少女が救急車に接触したと同時、僅かにそれのスピードが落ち、彼女の手には、ランチャーが握られていた。それが擦り抜けていった時、微かな嘔吐感を催すも、迷わず振り返ってそれを撃つ。
 「効くか?」
 救急車が震えるが、やはり止まらず、車体の中に弾は吸い込まれて消えた。
 片方のバイクを追おうとする救急車だが、次ぎに控えた青年の微笑みに依って、完全には果たせない。
 「行かせませんよ」
 彼の手のひらから、夜目にも眩い金の光が迸り、救急車を包み込んだ。
 更にスピードは落ちる。
 最後に控えた少年が、両腕をすっと眼前へと持ち上げた。
 そこには、瑠璃色と透き通る様な石が填った数珠状の腕輪が装着されている。
 「ここで……止めるっ」
 少年の周囲で、何かがざわとさざめいた。
 ゆらと輝く腕輪と共に、まるでゼリーの如く、彼の前が滲んで歪む。
 刹那。
 脳髄に響き渡る甲高い音が聞こえ、そして。
 水泡の様にそれが弾けた──。



 きらきらと、まるでダイアモンドダストの様な白いそれが舞っている。
 「綺麗ね……」
 給水塔の後ろに停車していたワゴンから、調査員が姿を見せた。
 「……彼が、今回の?」
 啓斗の前に倒れている黒い人型は、大鎌を枕代わりに倒れたまま動かない。
 「消えて、ない……? どう言うことだ?」
 何処か呆然とした様に、啓斗が言う。
 「相乗効果ってヤツか?」
 北斗も同じく、小首を傾げているが、実はちょっとばかり怒ってもいる。
 セレスティが倒れている者の側へと行き、そっと覗き込んでみると、微かに身じろぎをした。
 「……目が覚めた様ですね」
 うつぶせになっていた顔が上がると、そこにいたのは、まだ少年の域を出ていない子供だった。
 「あの……。どうしたんでしょう」
 「どうしたって、そりゃこっちの台詞だぜ?」
 ぽかんとしている少年は、確かに黒い衣装で大鎌を持っている。
 「ああっ!! あの、あの怖いお化け達はっ!!」
 徐々に何かを思い出した様な彼は、涙目になってそう叫び、CASLLの心配そうな顔を見て、更に大きく悲鳴を上げた。
 そんな子供を見て、兎月は少し可哀想になる。
 「宜しければ、ご事情をお話頂けますでしょうか?」
 優しく問いかけると、最初は怯えていた彼は、こくこくと頷いてくれる。
 曰く。
 自分は見習いの死神である。不確定要素のある死亡者リストを持ち、そのリストの者がもしも本当に亡くなってしまったなら、魂を迎えに行くことになっていた。
 リストにあるのは、万に一つで助かるかもしれない者達ばかりで、迷ってしまう可能性があった為に、彼が道案内を努めることになっていたのだ。
 それが、同日に起こった大事故の為、自分もそちらに借り出されてしまい、そこで何やら恐ろしい行列を見て、以降記憶が飛んでいるらしい。
 「魂を連れて行ってしまう。行き交う救急車を見て、そんな風に思いました。魂を案内するのは、自分の仕事なのに……って。そこまでは覚えています」
 もしかすると、混同してしまったのかも知れない。
 「当たらずとも遠からずと言うことですね」
 「まさか、見習いとはな」
 セレスティとアドニスの二人が、少しばかり苦笑した。
 「解ってみれば、あっけない」
 そう言って、クミノは嘆息する。
 「もう少し早く動けていたならねぇ……」
 助けることが出来る人がいたかも知れない。唇を噛みしめ言うシュラインに、草間がぽんぽんと肩を叩く。
 時間は過去へと走らない。
 亡くなってしまった者は、この世に戻すことは出来ないのだ。
 「それでも、草間さんは無事でしたし、死神さんが元に戻ったから、これ以上はないですよ」
 楽天的な考えだが、それでもシオンがそう言うことで、少しは救われた気がする。
 「シオンさんの言う通りですよ。これ以上望むのも、ね」
 もしも未だ不安定な様子があれば、モーリスは自分が調和してやれば良いと思っていたが、その心配もない様だ。
 死神見習いが正気に返り、草間も無事である。ちなみに下着泥棒は、救急車が現れる前にひっつかまえてあり、後は学校側に突き出すのみとなっていた。
 「ご迷惑をおかけしました」
 ぺこりと頭を下げた彼を見送り、調査員達は肩の荷を降ろした。
 現在は午後十一時三十五分。
 急げば除夜の鐘には間に合う時刻だ。



 「お帰りなさーい」
 草間興信所の扉を開けると、零の明るい声がする。
 「お、良い匂い」
 北斗が鼻をくんくんさせる。
 草間興信所ご一行さまは、ワゴンとバイクへ乗り込み、そのまま零に『一件落着』の一方を入れた。
 それを受けた零は、彼らの帰りを、年越しそばを作って待っていたのだ。
 「皆さんの分、ありますよ……あれ? クミノさんは?」
 「クミノちゃん、帰っちゃったの」
 残念そうにシュラインが言う。
 ここにいる調査員は、シュライン、セレスティ、モーリス、兎月、啓斗、北斗、シオン、CASLL、アドニスの九人だ。兎月やシオン、CASLLなどは引き留めたのだが、クミノは首を振って帰ってしまった。
 「そうなんですか……」
 「あ、大丈夫だから、あいつの分、俺が喰うっ……ってっ! 何すんだよ」
 啓斗とシュラインの両方から鉄拳を喰らい、北斗が頭を抑えていた。
 「お前は……」
 拳を握りしめ、啓斗がうわずった声を上げる。
 シュラインの方は、零と兎月に声をかけていた。
 「ねえ、ちょっと手伝って欲しいの。良いかしら?」
 すこしばかり悪戯っぽい微笑みを浮かべたシュラインに、二人は何だろうとクェッションマークを乗せていた。



 張り出しているグリーンのテントには、『クルプ・ガンス』と書かれていた。木製のドアの上には、可愛らしいカウベル。
 昨夜……と言うか、本日夜中に草間興信所へと戻って来た面々は、麗香からの連絡で、新年会をするからとここに呼ばれていたのだ。
 それぞれが『明けましておめでとう御座います』と挨拶し、店の中へ入る。
 「おめでとう。そしてご苦労様。取材は後で、よろしくね」
 そう言ってにやりと笑っているのは、アトラス編集部編集長である碇麗香。
 その横には、当然の様に三下がパシリとして付き従っている。
 「草間さん、おっそーーーい!」
 頬をふくらせつつも、何処か笑みを浮かべているのは、ゴーストネットオフの瀬名雫だ。
 ちなみにアトラス編集部の部員も、店内に入っている為、可成り人が多い。それでもせせこましく感じないのは、元が広いからなのかも知れなかった。店の中央には、グランドピアノなんぞも置いてある。
 「ごめんなさいね」
 代表して言うのは、当然の様にシュライン・エマ。
 彼女の横には、草間興信所所長、草間武彦の姿がある。ちなみに可成りへべれけであることは、付け加えておこう。
 「わっ、草間さん、酔っぱらってるの?」
 「まだ大丈夫だ」
 臭いっとばかりに、雫が鼻を押さえる。
 「昨日から飲みっぱなしなんだぜ、草間のおっさんは」
 呆れてそう言う北斗に、啓斗が涼しい顔で突っ込んだ。
 「お前もな」
 「……」
 ちなみに啓斗を酔い潰すつもりであったことは、抜群に秘密である。
 「それにしても、ここはもしかして、あの時ケータリングして頂いたお店なのですか?」
 「良く解ったわね」
 口角に笑みを乗せた麗香が、勘の良いセレスティへと正解だと言う。
 「ケータリング?」
 怪訝な顔で聞くアドニスに、モーリスがそっと答えた。
 「以前の依頼で、お夜食としてアトラスから取ってもらったんですよ。なかなかにイケます」
 「こちらなら、ワインの方も、期待出来そうですねぇ」
 嬉しげに言うセレスティに、モーリスも同じく頷いた。
 依頼の後、寒空であった為に、ホットワインでも飲みたいなと思っていた二人なのだが、興信所に彼らの舌に見合うワインがある筈もなかった。
 少し淋しく思いつつ、別の暖かいモノで身体を温めていたのだ。
 「もう一度、あのお料理が食べれるなんて、嬉しいですっ!! ……あ、こちらはウサちゃんはダメですか?」
 飲食店で、毛のある動物は敬遠される。シオンが上目遣いで麗香に聞くと、彼女は奥へと声をかけた。
 「クラウス! ウサギはダメ?」
 厨房の奥から現れたのは、金髪緑の瞳の偉丈夫だ。
 「あー? ウサギぃーー?」
 どっしりとした印象を受ける彼に、シオンは思わずCASLLの影に隠れてしまった。
 「どーすっかなぁ。まあ、今日はアトラスの貸し切りだし。……ちゃんと掃除してくれんなら、ま、いっか」
 「大丈夫よ。三下くんは、お掃除大好きだから」
 『ねえ、三下くん』とばかり、迫力の笑みを浮かべる。
 「ひひひひ酷いですぅぅっーーー!」
 「ほら、良いお返事でしょ?」
 「三下さん、ありがとう御座いますっ!!」
 瞳を輝かせているシオンに、三下は負けてしまった。勿論その前に、麗香に負けているのだが。
 「あの……、失礼かとは存じまするが、持ち込みなどは、いけませんでしょうか?」
 包みを持ちつつ、控え目にクラウスへと問いかける兎月に、クラウスはへ? と言う視線を返す。
 「もしかして、あんた俺とおんなじ料理人?」
 そう問いかけられ、兎月は少し躊躇したものの、素直にはいと返答した。
 「はい、セレスティさまの元で、料理人を努めさせて頂いておりますれば……」
 少し恥ずかしげに言う彼のフォローをする様に、セレスティが続けた。
 「兎月くんの料理は、本当に美味しいですよ。食の細い私が、それを忘れて頂いてしまう程に」
 「特に和食が得意ですよね」
 にっこりと笑うモーリスに、アドニスとクラウスの二人が興味を示す。
 「和食か。あまり縁がないな」
 「俺も。和食って、作ったことねぇわ」
 「こいつのは、マジ美味いぞー」
 草間も背後からそう加える。
 「あ、私も、持ち込みしたいんだけど」
 シュラインも同じくそう言った。
 既にお正月準備として、興信所で仕込みをしていたそれを、昨日帰ってから仕上げたのだ。ちなみに兎月と零にも手伝って貰い作り上げたそれらは、クミノの元へも配達している。一人帰ってしまった彼女にも、ホンのお裾分けをと思ったのだ。
 「ま、別に構わねぇよ」
 あっさりとそう承諾したクラウスに、兎月とシュラインはほっと安堵していた。
 テーブルへとそれを置き、風呂敷を解くと、そこからは五段重ねのお重が入っていた。同じく、シュラインの抱えていた風呂敷包みからも、お重が出てくる。
 雫が待ちきれないと言った風に、その蓋を開け……。
 「うっわーー、凄い」
 「ああ、何て素敵なお正月なんでしょうっ! ねえ、ウサちゃん」
 涎を垂らしているシオンは、既に紳士に見えないかもしれない。溜息混じりのウサちゃんだが、もう何時ものことだと諦めている節がある。
 「俺、生きてて良かったぜ……」
 北斗の顔も、既にだだ崩れである。
 それを見た啓斗は、目頭を押さえていた。
 「こんなにきちんとしたお節を頂けるのは、一体何年ぶりでしょう」
 CASLLもシオンと同じく感激しているが、いかんせん顔が怖かった。
 ちょっと顔を背けつつ、クラウスが二人に向かって提案した。
 「なあ、良かったら厨房入ってみないか?」
 「珍しいわね。あなた、ちょっとでも入ろうとしたら、凄い形相で怒るのに」
 「そりゃあんた、厨房破壊されたら堪んねーだろ」
 「失礼ね」
 どうやら麗香は、ここの厨房へと入ろうとしたことがあるらしい。彼女の料理の腕前は謎だが、それでも入って欲しいとは思わないそれであったのだろう。
 「でもそれは悪いわよ」
 「厨房は、料理人に取って神聖なものでございますれば……」
 そう言って、二人は互いに遠慮をする。
 「折角骨休めで来てくれたところ悪いんだけど、あのさ、俺が手伝って欲しいのよ。和食とかも教えて欲しいなと。……ま、こっちは嫌じゃなかったらだけど。てかさ、こいつら」
 と、某数名をちらと見つつ、兎月とシュラインに耳打ちした。
 「こいつら、とんでもなく喰うだろう。多分」
 「……勘が良いわね」
 シュラインもちらと同じ数名を見やってから、目頭を押さえた。
 「食に関わるモンの、勘ってヤツだ。……一応、うんとこさ仕込んでるけどさ、仕込みが足りなくなりそうだったら、元旦から仕入れ元叩き起こしに行って来ないといけねぇし」
 「本当に宜しいので?」
 「ああ、頼む」
 そうまで言われて、断る謂われもない。
 シュラインと兎月の二人は、こっくりと頷いた。



 厨房から出たり入ったりと忙しい兎月は、皆に料理が行き渡っていることを確認し、また、幸せそうに食べてる風景を見て満足していた。
 「あんたもちゃんと食べてる?」
 クラウスにそう聞かれ、兎月はにっこりと微笑んだ。
 「はい。しかしながら、わたくしめはこうして皆様が召し上がって下さいますのを拝見するだけで、お腹がいっぱいになっておりますれば……」
 「そっか。そう言うのもありだな」
 「はい」
 同じ料理人と言うことで、兎月の気持ちが解ったらしい。
 「あ、失礼をば……」
 兎月はそう言って、カウンターから離れ、セレスティの元へと向かう。
 「主様」
 「ああ兎月くん。君も、ちゃんと食べていますか?」
 にっこり笑うセレスティは、料理の取り皿をテーブルへと置き、椅子に軽く腰掛けていた。手にはワイングラスを掲げている。
 「主様こそ、お酒ばかり召されていては、いけませぬ」
 「大丈夫です。ちゃんと黒豆のゼリーやら、栗のブランデー煮やらを頂いておりますよ」
 「……主様。それはどちらかと言えば、デザートでは?」
 兎月は苦笑しつつ、セレスティの為にと取り皿へ料理を取り分ける。
 大根と人参の市松巻き、鮑の鰹だし煮、そして棒鱈。
 「これは?」
 最後の棒鱈を見て、セレスティが首を傾げた。
 「召し上がって見て下さいませ」
 これは兎月の自信作でもある。
 じっとセレスティを見てやると、そっと一口、棒鱈を口にする。
 「……美味しいですねぇ」
 感心した様にそう呟くのに、嘘はなかった。
 棒鱈は、あまりお節では人気がない。けれど味付けを少しばかり変えるだけで、素材自体の旨味を美味く引き出せるのだ。
 「主様にそう仰って頂けるのが、わたくしめの最高の喜びに御座いますれば……」



 「ホント、毎年のことだけど、飽きないわよねぇ」
 ワインを片手にそう言う麗香に、零がはいと言って頷いた。
 「まあでも、草間さんて、悪運強いから」
 こちらの雫は、食べ盛りの様で、取り皿に豚の角煮やら鰤の照り焼きやらを乗せて食べている。
 「お義兄さんは、確かに悪運が強いと思いますけど、やっぱりこうして皆さんがいらっしゃるから、今までやってこられたんだと思います」
 「あら、優等生ね。零ちゃんは」
 くすりと笑ってそう言うが、別段皮肉ではないことくらい、彼女のイントネーションから解る。
 「へへへへへんしゅーちょーーっ! 助けて下さいぃぃぃーーーー」
 ばたばたと逃げてくる三下の後ろから、シオンのウサちゃんが可成り凶悪な顔で、ヴヴヴヴ唸りながら突撃している。
 「うるさい子ね、何悪さしたの」
 「何もしてませんーーーっ」
 「でも、ウサギさんは何もしなければ、追い掛けて来ないと思いますけど……?」
 「三下くん、きっとウサちゃんに好かれてるんだよ」
 雫が好意的に解釈するが、ウサちゃんを見るに、好かれている以前の問題の様だ。歯を剥き出しにして怒っているのだから。
 実は三下、機嫌良く食べているウサちゃんの丸い尻尾を、つま先で掠めてしまっていたのだ。
 ウサちゃんが下半身(?)に力をため込み、そしてジャンプ。
 「ひぃっ!」
 必殺ウサちゃんキックを顔面に食らった三下は、そのままテーブルへと倒れ込み、大惨事を引き起こす。
 ガシャン、バリン、ゴゴンッと言う音が、店内へと響き渡ると、皆の視線が集まった。
 「またお前かよ」
 餅を食いかけていた草間が、呆れた様にそう言った。
 頭に料理の残骸を被った三下は、べそべそと泣いている。その上でウサちゃんが、フンとばかりに仁王立ちしていた。
 「おいこらっ!」
 店主であるクラウスが、三下の襟首を摘んで引っ張り上げる。勿論ウサちゃんは、ジャンプでその場を逃げていた。
 「お前は料理を何と心得るっ。精魂込めて作った人間に、申し訳ないとは思わないのかっ!」
 日本人でもないのに、やたらと時代劇臭い台詞である。
 「え? え? でもぉぉっ」
 「言い訳無用! ちょっと来いっ!!」
 引きずられていく三下に、追い打ちをかけるかの如く麗香がにっこり笑って言った。
 「サンシタくん、これは迷惑料として、貴方の給料からさっぴいとくわね」
 「えええええっーーーー!! そんなぁぁぁぁぁーーー」
 酷ーーーいと泣き喚く三下だが、誰も同情しなかった。
 惨事の後を、ささっとアトラス編集部員が片付け終わると、新年会は何事もなかった様に続けられる。
 三下が、新年会がお開きになった後も、暫く姿を見せなかったと言う話は、ほんの余談なことであった。


Ende

■+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
■+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い

0554 守崎・啓斗(もりさき・けいと) 男性 17歳 高校生(忍)

0568 守崎・北斗(もりさき・ほくと) 男性 17歳 高校生(忍)

1166 ササキビ・クミノ(ささきび・くみの) 女性 13歳 殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。

2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者

3453 CASLL・TO(キャスル・テイオウ) 男性 36歳 悪役俳優

3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α

3334 池田屋・兎月(いけだや・うづき) 男性 155歳 料理人・九十九神

4480 アドニス・キャロル(あどにす・きゃろる) 男性 719歳 元吸血鬼狩人


<<受注順

■+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■
          ライター通信
■+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■


 新年あけましておめでとうございます(^-^)。斎木涼でございます。
 明け切ってしまった感もなきにしもあらず……(汗)。
 先年中は、大変お世話になりました。今年もまた、宜しくしてやって下さると嬉しいです。
 そしてまたもや遅くて申し訳ありません…。

 ややシリアス調と書いておきながら、何故かやはりコミカルタッチになっています。
 これはもう、お笑いの星になれと、お笑い方向で精進しろと言う、天の啓示でございましょうか……(そんな啓示はいやん)。
 とまれ、今回は昨年年末と同じく、十名様と言う大人数をお預かりさせて頂いております。人数が多い分、プレイングが完全に反映出来なかった面もありましょうが、私自身は楽しく書かせて頂きました。本当にありがとうございます。
 また、これはちょっと……とお思いになることがあれば、遠慮なくご一報下さいます様、お願い致します。

 >池田屋 兎月さま

 お久しぶりで御座います(^-^)。
 『現存する物ではない為に音がしない』と言う、救急車への考察。その通りで御座いました。
 電柱への聞き込みなど、兎月さまらしいなと感じました。他にも、実は色々と聞き込み対象を考えてもみたのですが、今回はご指定のあった電柱で(笑)。
 今回の新年会は、お店でございましたが、そこで当NPCと料理人として、少しばかり言葉を交わして頂きましたが、宜しかったでしょうか?


 兎月さまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。