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<東京怪談ノベル(シングル)>


夢で逢えたら


 遠く澄んだ空に薄紅色の花が映える。
 春特有の強い風に煽られて舞う様子は淡雪のようだ。
 そんな景色を教室の窓から見下ろしていた。
 窓際に並んだ自分の席からは、校門までの桜並木のあちらこちらで涙ぐむ女の子達、ふざけあう男の子達の姿が見える。
 この校舎から、そして、この教室のこの窓から景色を眺めていた毎日が今日で終わるのだと、決して短くはない時間、感慨深げにその光景を眺めていた。
 感傷に浸っていたが、立つ鳥跡を濁さずという言葉を思い出し、先程手渡された卒業証書の入った筒を机の上に置いて忘れ物はないかと机の中を確認した。
 すると、中に入れた指先に触れるものがあった。
 真っ白の味気のない封筒が1枚。
 その表書きには確かに『京師桜子さま』と書かれている。
 ゆっくりと、桜子は封を開き中から便箋を取り出す。
 中に入っていたのは便箋というよりも、味気のないルーズリーフが1枚。
 桜子は少し戸惑いながらも折りたたまれたルーズリーフを開くと、やはりそこにも差出人の名前はなく、

「校舎裏で待っています」

とだけ書かれていた。
 卒業式に呼び出しなど不穏なものを感じてもよさそうであったが、その呼び出された場所に桜子の胸は大きく鼓動を刻んだ。
「校舎裏……」
 校舎裏にはこの学校創立以前からあるという桜の古樹がある。
 その桜は、昔特攻隊に行く恋人同士が再会を誓い合ったという伝説のある、この学校の生徒なら知らない者のいない告白の名所だった。
「どうしましょう……いったいどんな殿方なのかしら」
 桜子はうっすらと頬を染めながらその桜の木下で待っているであろう男性を思い描く。
「そうね、きっと背は高くて、凛々しい顔立ちで……“ずっと貴女の事が好きでした。卒業してもう逢えなくなるなんてそんなこと僕には耐えられそうにない……”なんて」
 すでに頭の中では桜子好みの白馬の似合いそうなアイドル顔の男の子が緊張に肩を少し震わせ高潮した顔で桜子に気持ちを伝えている場面が浮かぶ。
 いやいや、そんなことより早く行ってやれよと思うが、桜子のトリップ状態はどんどん進み、
「あぁ、駄目っ、そんないきなり抱きしめるなんて。私そんなふしだらな女じゃありませんわ……あぁ、そんなに私のことを―――」
更にそのまだ見ぬ彼は気持ちを伝えた興奮からか桜子を急に抱きしめられる――と、どんどん桜子の脳内妄想劇場はその後もしばらくの間無人の教室で繰り広げられることとなった。


■■■■■


 桜の木に近づくにつれ桜子の鼓動が大きく、早くなる。

―――卒業式の日に伝説の木の下で告白なんて、“恋文の君”ったら、なんてロマンティックな殿方かしら……

 勝手に相手に“恋文の君”等という名前をつけ、きっとその方こそが私がずっと待っていた王子様に違いないとすっかり分厚いフィルターのかかった状態の桜子の目に、樹の陰に隠れるようにして佇んでいる人の頭が少し見えた。
 身長は、桜子の想像よりも頭一つ分低いようだ。
 その事実に少しがっかりするが、身長が全てではないのだからと自分に言い聞かせて、桜子は思い切って声を掛けた。

「あの―――」

 その桜子の声に“恋文の君”が、姿を現した。

「さ、桜子さん! 来て頂けたんですね!!」
 顎の下辺りで指を組み合わせた手を震わせ涙を流さんばかりに感激した様子で桜子を見つめる“恋文の君”の正体は……、どう見てもアトラス編集部の三下忠雄その人だった。しかも、牛乳瓶のような眼鏡はそのままで何故か服装だけは学校の制服を着ている。
 あまりのショックに桜子の全身に瘧のように震えが走った。
「あ、あのこの、この手紙―――」
「そうです! あぁ、思い切って勇気を出して良かった」
 大事に抱きしめながら来た手紙を差し出すと更に三下は感激したようだ。
「そんなに大事にしてくれたなんて、嬉しいです」
「いえ、大事にしてというか―――」
「その姿を見て決心がつきました! 桜子さん、貴女のために守り通したこの第二ボタンを受け取ってくれますよね?」
「えっ!?」
 差し出された手に桜子たじろぐ。
 確かに見ると、三下が身に着けているブレザーには第二ボタンだけが着いていない。
 “貴女のために守り通した”というが、誰も欲しいといったわけではないだろう事実は、いつになく積極的な三下の頭には全くないらしい。
「さぁ、桜子さん。受け取って下さい。そして、このボタンの代わりに桜子さんのリボンを」
 そう言いながら三下が一歩、また一歩と桜子にボタンを握り締めているであろう拳を差し出しながら歩み寄ってくる。
―――な、なんで三下さんが!? あぁ、それよりも、私の白馬の王子様はいつ三下さんになってしまったの!?
 パニックのあまり走って逃げ去ることも出来ず、三下が近づくにつれ、桜子も一歩一歩と後退る。
 桜子の震える唇から、小さく言葉が漏れる。
「な……」
「え? 何ですか、桜子さん?」
 聞き返す三下。
「な……何でですのっ―――!!」


■■■■■


「な……何でですのっ―――!!」

 自分の絶叫で、桜子は突然ばっと上体を起こした。
 視界に映るのは迫り寄る三下ではなく、見慣れた桜子の部屋。
 そこでようやく桜子は、自分が夢を見ていたことを悟り、大きく息を吐いて胸を撫で下ろした。
「良かった……夢、でしたのね」
 白馬の王子様が――あくまで桜子の勝手な脳内暴走というか妄想が作り出した王子様とは言え――いきなり三下になるなど悪夢以外の何物でもない。
「でも夢は事実と逆のことを現しているとも言いますものね」

 きっと今年こそは素敵な殿方と運命の出会いが出来ると言う事だろうと、桜子は勝手にその初夢をそう思い込み、まだ見ぬ運命の出会いに思いを馳せるのであった。