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<東京怪談ノベル(シングル)>


小春の遺跡発掘レポート――想いの輝き

 眠れない――眠れる――寝てる――寝てない――眠れる――眠れない――寝てる……、
「絶対、寝てないっ!」
 部屋の中に、叫び声が響き渡ったその途端。
 飛び跳ねた布団が、枕元の机の上を掠める。ころり、と軽い音を立てて、その上にあった勾玉が落ちた。
「ぁ」
 布団の上にいたのは、新緑色のネグリジェに身を包んだ、碧眼の瞳の少女、否、女性であった。
 藤河 小春(ふじかわ こはる)。
 彼女は、寝癖で跳ねた銀髪に手をあてながら、のたりくたりと布団から出ると、朝一番の伸びもかねて、勾玉へと手を伸ばす。
 翡翠の、勾玉。曰く――小春がこの前、とあるカトリック教会に顔を出し、今度の実習先を告げた途端、この勾玉を渡してきたどこかの誰かさん曰く――、約二○○○年前の遺跡と推定される場所から発掘された物。
 しかし、
「こぉんなに綺麗なのよね……ぇ」
 小春は立ち上がったがてら、窓の傍まで歩み寄ると、勢いよくカーテンを引き開けた。途端容赦無く差し込んできた朝光に、顔を上げて瞳を細める。
 何となしに、勾玉を光に翳す。
「これが二○○○年前のものなんて……」
 その辺のアクセサリーショップにも売っていそうなほど、美しい翡翠の勾玉。
 考古学の世界も奥が深いわよね、と深呼吸を一つ、小春は時計に目をやり、いけないっ、と口元を手で押さえた。
 もうそろそろ、着替えなくちゃ。
 欠伸を噛み殺し、ベッド横にあった鞄に手を入れる。
 大学の考古学部生としての泊りがけの実習も、今日で確か三日目になる。しかし、
「こんな大事な時期なのに……」
 着替えを取り出す手が、一瞬止まった。困ったように眉を顰め、苦笑気味に呟いてしまった。
 ここに来てからというもの、なぜか眠れない日々が続いていた。何か心のあてがあるわけでもないのだが、ここ連日、眠れない日々が続いてならなかった。
 これから先、こんな調子じゃもたないわよ……。
 例えこの実習が無事に終わったとしても、とにもかくにも、その後にも、レポート、レポート、レポート、こなしてもレポート、更にその山を乗り越えても、今度は一般教養のテストがあるのだ。
 お願いだから寝かせて頂戴――。
 しかし、そう思えども、眠れないのだから仕方がない。当然眠れなければ、翌日の行動に支障が出る。そのくり返しが、延々と続く。
 小春は、いつもより少しだけ赤みの差した目を擦ると、重く溜息を漏らした。
 どうにも、夢見が悪い、のかも知れない。具体的な内容は覚えていないのだが、夜になると、寝てしまいたくなくなるほどには夢見が悪い。らしい。夢など見ていない気がするのだが、或いは見ていても忘れているのであろうが、どうしてか、そんな気がしてならなかった。
 まあ、それとも、
「それとも、またまたどっかの誰かさんが和菓子攻めにでもされてるのかしらね……」
 その悪夢がこっちにまで飛び火しているのだというのであれば、本気で迷惑なことこの上ない。
「全く、もう――、」
 誰にともなく悪態を吐くと、小春はもう一度欠伸を噛み殺し、細身のズボンに足を通した。

「おはよう! 小春!」
 発掘現場。
 土色の世界から、二本のスコップを片手に、手を振ってくる少女には見覚えがあった。
「おはやふ……ぁ。」
 同じ学部の同期生でもある友人に向けて手を振ろうとして、小春は口元にその手を持っていく。
 友人ははたはたと小春まで駆け寄ってくると、呆れた溜息を一つ、
「小春、あんたあたしさ、散々言ったよね? 早く寝なさいって。夜更かしは美容の大敵! あんただって彼氏いるんだし、」
「やぁだなぁ! 突然そんな話……! まったく、ほんっとうにそういう話が好きなんだからっ」
「連絡したの? ちゃぁんと。『私今忙しいけど、毎日君のことを思うのだけは忘れないわ』って!」
「……そんなの、関係ないじゃないのっ! ほら、今日も掘るわよ! さくさく掘るの! ね、急がないと、お手柄持っていかれちゃうわ!」
 小春は彼女からスコップを奪い取ると、やるわよー! と空に向かって気合を入れる。
 とりあえず、今日も掘って掘ってほりまくらなきゃっ。
 目指すはお手柄と、正直、――正直本気で、そろそろレポートのネタがほしい。学部の先生は、決して甘い人達ばかりではないのだから。
 今回のレポートの提出先なんて……。
 A四サイズ。四○○○字以上。締め切りは某月某日。左上をホッチキスで止めること。参考文献は表紙に明記。提出箱に入れる時は、必ず天地を守ること。それ以外の形式は、
 認めない……。
 一瞬だけ絶望的な気分に見舞われ、小春はくらり、と、スコップを地に突いた。
 たかだか原稿用紙一○枚以上。されど原稿用紙一○枚以上。もしここでネタを発掘できなければ、この原稿用紙一○枚に延々と苦しめられるであろうことは、目に見えている。
 それだけは絶対に嫌よ。
 まだこなさなくてはならない課題も沢山ある。その上、最近は彼にだって会っていないどころか、正直なところ、あまり連絡すらとっていないのだ。
 そろそろ私だって寂しいのよ。
 でも、あの人もあの人でそろそろテストだし。お互いに大事な時期なのは、わかってるのよ……。
 ぷぅ、と頬を膨らませて、昨日から手がけていた発掘現場にずかずかと歩み寄る。
 すぐそこに、断層の見える小さな丘のようなものがある、赤茶けたいつもの現場。
「あっ、待ってよ! 小春!」
 小春はまじめなんだからぁ! という友人の言葉に振り返る余裕すらなく、小春はいそいそと、少し硬い大地を掻き分けはじめた。



 だがしかし。
 小春の願いも虚しく、その日の発掘でも、何も見つけられず終いであった。
 コレじゃあレポートが進まないじゃない……! と、小春はネグリジェに着替えるなり、半ば不貞寝するかのような形で、宿のベッドの上に倒れこんでいた。
 それでもいつの間にか、小春の心は落ち着き、夜も更け、部屋の中は夜の帳に静まり返っていた。
 綺麗……。
 ふと、閉じられたカーテンの隙間から入り込んでくる淡い夜の光に、小春は布団を引き寄せる。
 そこで、いつもとは少し感覚が違うような気がするということに、気がついた。
 あぁ、そうか、
 珍しく私、眠ってるのかしら……?
 久々に、滑り込むように夢の世界へと引き込まれていくかのようであった。
 その心地良さに縋り付くかのように甘えれば、小春の口元がほろりと緩む。
 今日はこのまま、寝てしまいたい――。
 私だって、毎日毎日、こうも眠れなかったら疲れちゃうのよ。少しくらい休ませてくれたって、いいじゃない?
 ねーえ……。
 純白のシーツをきゅっと握りしめ、小春はくるり、と寝返りを打つ。
 あぁでも、そういえば。
 ふと、一つだけ思い当たることがあった。
 そういえば、
 でもね、寝る前に、
 ――君に、お休みのメールくらい送れば、よかったのか……しら……。
 すぅ、といつの間にか、細い息が、小春の唇から漏れていた。
 彼女を優しく抱きこむ布団が、規則正しく上下していた。

 気がつけば。
 気がつけば小春は、知らない場所に、ぼんやりと立ち尽くしていた。
 足元すらも見えないような、霧の中。しかし不思議と視界が悪いわけではない、ただ純白なだけの世界。
 そこが、小春の今立っている場所であった。それも、ネグリジェの姿のままで。
 今まで、寝てたのよ……ね? 私……?
 強い違和感に苛まれながらも、何と無しに一歩を踏み出す。彼女につられ、ふわり、と影も従わぬ地に、季節の早い桜色のスカートが甘やかに咲いた。
 少しだけ、歩く。惹き付けられるかのようにして、歩く。
 そこで、ふと、軽い驚きを覚えざるを得なかった。
 誰か、いる。
 白い衣の女性が、こちらをじっと見つめて立っていた。黒髪の、どこか古風な風貌の女性が、たった一人きりで。
 あの、と声をかけようとして、小春は彼女に近づいて行く。すると彼女も、唐突に近づいてきた小春を見下ろしてきた。――その黒い瞳には、静かな憂いの心が揺れていた。
 お願い。
 彼女の口は動いていないはずであった。それでも、小春の頭の中に、直接鈴の鳴るような声が聞こえてくる。
 凛……、と、突然響いた声に、小春が瞬きを一つ。
 ……お願いって、何を?
 私を、連れて行って。
 連れて行ってって、どこに?
 あの人の傍に。
 あの人って……誰なの?
 帰りたいの。そろそろ、寂しくて、もう、限界よ。
 言って女性は、右手を挙げた。その指先で、自分の後ろを――小春の前を指し、自分自身は、一歩だけ脇に退いた。
「ほへ?」
 小春が、女性の先に広がる世界を認めた。その時には既に、
「何……?」
 小春の意識は、そこに縛り付けられ、動けなくなってしまっていた。
 何よ、あれ――。
 今まで輝きに溢れていた世界の向こう側から、どよめきが、叫び声が聞こえてくる。蹴り飛ばされる土の塵が、赤い炎を霞ませて流れる。
 熱い風が、頬を撫で過ぎた。
 彼……。
 呟いた女性が、地についた手を握りしめていた小春の腕を取った。
 驚くほどふわり、と立ち上がった小春の足取りは、重く、何やら原始的な武器の飛び交う戦場へと導かれて行く。
 轟く馬が、二人の上を通り過ぎて行く。しかし、小春の意識は妙に冷静であった。恐怖を感じることも無く、実際、馬も、小春と女性との間をすり抜けて過ぎて行くのみであった。
 しかし。
 兵どもが、夢の、跡……。
 小春が胸の中で呟いたほどに、いつの間にか周囲が静まり返っていた、荒野の中で、
 連れて行って。
 女性が、すっと立ち止まる。
 お願い、私を連れて行って。
「ここは、どこ? 連れて行ってって、どこに……?」
 女性はその場に跪き、まるで何かを愛しむかのように、地面に頬を摺り寄せていた。
 小春が、わけもわからず問いかける。
「ねえ、どういうこと?」
 お願い。
 女性の頬に、冷たい涙が流れた。
 小春がそれを認めた瞬間、急速に彼女の意識は、どこか遠くへと引き込まれて行く。
 ……ねえ、ちょっと待って!
「一体どういうことなのよ! ねえ……!」
 私には、さっぱりわからないわよ……!
 手を伸ばして、女性に触れようとする。しかし、小春の細い指先は、彼女の幻を掠めるのみであった。
 わけもわからず遠のく意識の中で、ふと、小春の視線が、すぐそこにある丘のような小さな地面の盛り上がりに気がついた。
 ――あぁ、もしかして、ここは……。
 その瞬間、妙に冷静な直感が、小春の頭の中を掠めていった。
 そうよ、ここは……。
 確信した、その瞬間。
 目が、醒めた。
 目が、覚めたのだ。
 夢の生まれる場所から、現実へと引き戻されていた。
「……ぅん」
 布団ごと、小春がゆっくりとベッドの上に身を起こす。
 暗闇の中に、淡く何かの光が輝いていた。
 しかしそれは、月明かりではなく――、
 寝ぼける間もなく、頷いた。
「……そういう、ことね」
 わかったわ。
 もはや、何か難しいことを考えようとする必要は、無いような気がした。
 ベッドの隣にある机。その上にある、翡翠の勾玉。その淡い緑色の輝きの中で、小春は電気を点けることも無く、鞄の中から明日の服を取り出した。



 夜の現場は、密やかなことこの上なくて。
 見つかってしまってはいけないからと、軽やかな足取りで宿を出、道路を渡り、昼間いたあの場所へと向かう。
 小春の銀髪に、満月の環が流れて行く。
 冷ややかな風がそろそろ身に染みはじめた頃、彼女はようやく、ここ数日付き合いの絶えない、あの発掘現場へとついていた。――唐突に煌きだした、あの勾玉を大切に持って。
 そろり、と立ち止まる。
 その、途端。
 ねえ。
 凛、と、記憶に新しい声が鳴る。
 小春は半ば反射的に、勾玉を乗せた手の平を掲げた。
 小さな丘のような断層が見える発掘現場。そこはきっと、先ほどあの女性が泣いていた場所と同じ所。
 小春の直感は、的中であった。
 月が、空から輝く。翡翠が、地から輝く。
 双方からの光が、小春と、その周囲を包み込んだ頃。
(……やっと、会えた)
 先ほど小春が見ていたのと全く同じ純白の空間に、誰とも知られぬ男の姿が見て取れた。
 彼は女性をそっと抱きしめ、やわらかな微笑を浮かべて、じっと言葉を失っていた。
 そこで、小春は、再度確信する。
 ね、よかったね。
 思った通り、きっと二人は、離れ離れになっていた恋人同士なのだ。きっとこの勾玉は、彼からのこの女性に対する、贈り物。彼女は彼に、会いたくて会いたくて、仕方がなかったことに違い無い。
 不思議な世界。時間さえ忘れた場所。昼のような明るさに包まれて、お互い静かにより沿いあう、二人の姿。
「よか……ったね」
(ありがとう)
 思わず小春が呟けば、女性が一瞬だけ、彼女の方を振り返った。
 その瞳には、もはやあの時の涙は存在していなかった。
 ――あっという間の出来事であった。
 男性も、小春に薄く笑みを浮かべて見せた。
 そう思った瞬間、小春は再び、夜の世界に取り残されていた。
 溜息を吐いて、ふと、掲げていた手を胸元へと戻す。
 勾玉は、その手の中で、今まで二○○○年以上保っていたあの美しさの全てを失ってしまっていた。
 けれど、
「綺麗」
 綺麗ね。
 月を、見上げる。
 二人の消えて行った遠い場所を、見上げる。
 だって。
 彼女の気持ちは、色褪せることなく留まっていたのだ、彼のいる世界に、この二○○○年以上の間も。
 ふ、と、微笑が零れ落ちた。
 やおら、静かな風の中で、さて、と一つ伸びをする。
 ――そうね、私も、
「メール、してみようかな」
 明日の朝になったら、あの人にメールしてみようかしら。二人とも落ち着いたら、一緒にお疲れ様でした、の打ち上げでもしに行こうか、ってね。……それも、二人きりで。

 ちなみに、その翌日、小春はその場所から大きな発見をすることとなる。
 それがレポートのネタとなり、彼女の成績を大いに助けることとなったのは、言うまでもない。


Finis


25 gennaio 2006
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki