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□ Immortal hound □
+opening+
深夜。
点滅する外灯の下、冷たい風が頬を撫でるのを感じながら歩く影があった。
急ぎ足なのは、電車で揺られながら聞いていた噂話を思いだしたからだった。
(たしかこの辺だった筈だ……、用心するに越した事はない。早くこの場を去ろう)
頼りないまでも外灯の灯りがあったのに、いつの間にか小さくなっているのか、影が闇に溶けこんでいた。
見通しの悪くなった道に男は舌打ちすると、前方を不意に白い影が横切ったのを見た。
猫か幽霊かと嫌な表情を浮かべて原因を確かめると、見通しの悪い交差点に供えられた白い百合の花束だった。
『深夜の交差点に立つと獣が襲って来るんだって』
「まさか……、なぁ?」
『供えられた白い花を見たら、それが合図』
「……噂話なんだ、いちいち気にしてられるかっ!」
男は自身の弱さを振り切るように、供えられた白い百合の花束を蹴った。
花束は飛ぶ事無く、男の足を通り抜けその場にあった。
ようやくそれが噂の物だと理解すると、男は顔を引きつらせて逃げる。
だが、男の背後に現れた牙の鋭い獣は男の花束を蹴った足に噛みついた。
「ぎゃぁっ! た、助けてくれぇっ!」
男は噛みついて離れない獣に慌てて携帯電話を取りだした。
「で、これがその獣だって?」
草間興信所の主、草間武彦は白い輪郭を持つ何だか分からない、ぼやけた携帯で撮影したらしい画像を見ていう。
「あぁ、そうだ。そいつのお陰でちっとも治らないんだ。一ヶ月! 一ヶ月全然治らないんだぞ! これでも病院へ毎日消毒する為に通院してるってのに」
まぁまぁ、と草間は依頼人を宥める。
「怪我の原因がどうもその獣らしいから、どうにかしてくれって事でいいんだな?」
「あぁ、怪奇探偵で有名なあんたなら解決してくれるんだろ?」
「……。一つ訂正させてくれ、俺は怪奇探偵じゃぁない。れっきとした探偵だ」
「そんなのはどうでもいいから、何とかしてくれ」
草間は言っても無駄か、と内心呟いた。
「分かった、引き受けよう」
+1c+
夜明け近い時間帯であったが、外の景色はいまだ冬の夜空真っ盛りで、外灯が無ければ歩きにくいだろう。
相生葵(そうじょう・あおい)は、ホストクラブ「音葉」で働く指名度ナンバー5のホストだ。
甘く、心地よい言葉を紡ぐ葵のテノールは女性を虜にし、今日もお客さまである女性客を優しくエスコートして自宅に帰る途中だった。
男性には冷たいが、女性には自然と口説きモードに入るのは天性のホストとしての性だろう。
たまたま交差点にさしかかった葵は、ふとお客が怖がりつつ話していた獣の話を思い出す。
『話に聞いた場所と似通っている気はするね』
深夜という時間帯は既に過ぎていたが、件の交差点だと判断したのはその場所に何か留まっている印象を受けたからだ。
水に親しい葵だから、その場に溶け込んだ水が停滞しているのを感じたのだ。
だが聞いていたよりも悪いものでは無いと判断すると、暫く様子を見ようとその場を離れた。
被害に遭っていたのは聞いたところによると、男性ばかりというのが理由の大半だったが。
女性が被害にあっていれば簡単な対処でもしたが、獣も何も出ていない状態で何かするのには逆効果だと思ったからだ。
朝の時間帯にさしかかり、冬の日差しがやっと地上に到達し始めたのを見ると、葵は足早に帰宅した。
窓辺で一人、優雅に大好きな光合成をしつつ、微睡む為に。
+1a+
「花束を蹴ったことに対して怒っているのか、その場所にいる何かに蹴ったことに対して怒ったのか確かめてみないといけないけれど、武彦さんは依頼人から場所は聞いてるかしら?」
依頼人は仕事があるからと興信所を辞していってから、暫くしてやってきたシュライン・エマが草間武彦に問う。
温かいほうじ茶を煎れた湯飲みを草間のデスクの上に置き、自分も側にあるソファに腰を下ろす。
「それが、普段通る道じゃなかったから、覚えが無いんだと」
草間は依頼人の顔を思いだし、呆れた表情でシュラインの顔を見やる。
「一ヶ月もあったのに、一度もその場所を探そうとしなかったの?」
「あぁ。もしその場所に行って、また襲われたらたまらないというのが理由だそうだ」
「呆れたわね…。まぁ、でも怪我だけじゃ病院に行って治療して貰うので十分だものね。まさか噂話が本当だなんて普通は思わないでしょうし。……あら、そうするとどうやってここのことを知ったのかしら?」
「……。」
「武彦さん、どうかしたの?」
どこか遠い目をした草間に気付き、すかさず突っ込みを入れるシュライン。
「……オカルト好きな友人に、ここの評判を聞いたらしい」
「オカルト好き……確かにそういう依頼多いものね……」
慰めにならない真実を小声でいうシュラインに草間は、
「俺は怪奇探偵じゃないっていってるのにな……」
しくしくと泣き真似をする草間。
「お仕事はお仕事よ?」
暗に選べるほど繁盛していないんだからと、さくっと釘を刺し、調べ物をする為に出かける用意を始める。
湯飲みは後で流し台の上に置いておいてね、と後で帰ってきた時に片づけるからとシュラインは興信所を出た。
+2a+
場所を覚えて居ないとはいえ、交差点・百合の花束・獣の目撃と手がかりがあれば新聞に事故の記事や、ネットで獣のことについて噂になっていたりするものだ。
まずはネットで大雑把に調べてから、新聞記事を絞ろうとシュラインは近所の施設の整った図書館へと足を運ぶ。
図書館には他の図書館の蔵書なども検索できるようになっている為に、ネット環境が整っている。
不鮮明な画像だが、手がかりには違いないとシュラインはゴーストネットの掲示板から非公開処理してある画像を取得する。
黒電話・携帯電話不所持な草間にデジタル画像を受け取る設備があるはずもなく、掲示板運営をしている瀬名雫に頼んだものだ。
『獣なのは確かだけれど、ちょっと凛々しい感じの犬に見えるわね…。毛並みからすると日本犬じゃなさそうだけど』
キーワードを入れて検索すると随分と多い件数がヒットした。
更に絞って振り落としていく。
共通する言葉を纏めていく。
四つ辻。
現れる獣。
百合の花束。
噂通り、百合の花束があると獣は現れるみたいだが、実際に百合の花束を供えられているのを目撃した書き込みもあることから、実際に事故があったのだろう。
場所も、一時期事故が多数発生していたこともある交差点。
『交差点って、霊的な場所と繋がっていたりするのよね……事故が多いのもこのせいかしら』
依頼人と同様に、襲われて怪我が治らないという書き込みは数件あったが、恋人や友人に注意されて、花束を供えに謝りに行った所、怪我は回復したとあった。
『供えられている花を蹴られたら、怒るのは無理ないわよね』
依頼人には謝って貰えば簡単解決になるだろうが、それでは未だに継続されている現象の解決にはならない。
シュラインはネットでの調べ物から図書館の新聞記事検索に切り替える。
古い記事では事故が多発していたが、最近での事故だと一件だけだった。
『これね……』
内容を読み進め、痛ましげに表情を曇らせる。
それは小さな少女と犬が散歩途中、事故に遭い死亡した事件だった。
+2c+
朝陽の光を十分に満喫して、目覚めた頃には既に昼近い時間になっていた。
今日はオフであったから、時間を気にせずにゆっくりと過ごす予定だった。
大好きなペンギンのいる水族館に足を運ぶのも良いだろう。
冬の季節は彼らが過ごしやすい季節だから、元気な姿を見る事が出来る。
予定をどうしようかと色々考えて、遅い朝食というよりはブランチになる食事を済ませると、携帯電話に着信を示す光が点滅しているのに気付いた。
「誰かな……」
葵は折りたたみ式の携帯電話を開き、着信履歴を見る。
電話番号が表示されない代わりに、留守番電話が入っていた。
留守番電話サービスに繋いで、伝言を聞くと葵は草間興信所に連絡を取った。
数コールの後、昔懐かしの黒電話を取り上げた草間が電話口に出た。
「相生だけれど、僕に何か仕事でもあるのかな」
「交差点に現れる獣の話知ってるか?」
「獣……あぁ、お客さんから聞いたことあるよ。昨日というより、今朝にらしきその現場らしきところ見かけたからね」
水商売という仕事柄、深夜の出来事に関して色々と聞いていると思って草間は電話をしてきたのだろう。
「で、その件で被害にあった依頼人がいるんだが、受けてくれるか?」
「依頼人、男性なんだ……。いいよ、今はまだ被害が男性だけみたいだけど、女性が被害にあっては大変だからね、協力するよ」
多少は依頼人のことを聞いて、それは自業自得だよね、と草間に言うと、
「まぁ、頼む」
と、苦笑したあと電話を切った。
ダークブルーのスーツに身を包み、白いマフラーをかけてマンションを出た。
『現場付近に住む人達に聞いてみれば事故とかが起こっているのなら、詳しい話を知っている人もいるだろうね、井戸端会議をする主婦の人達とか』
蓬色に染めた髪を掻き上げ、乱れた髪を整える。
現場に着くと、ちょうど家の門前を箒で掃いている女性に近づいて声をかけた。
「あの交差点で起きた事件についてお話を聞きたいのですが、宜しいですか?」
現場を指さし、心地よい声と綺麗な容姿をした男性に声をかけられた女性は半ば見惚れたまま、話し始めた。
二ヶ月ほど前に交差点で事故に遭ったのは、仲の良い姉妹の妹と、姉妹が飼っていたシーザーという名前のシェパード犬だった。
姉妹の名前は姉を近江花音(おうみ・かのん)、事故に遭った妹を近江まりあ(おうみ・−)。
まりあとシーザーは交差点で行き交う車を待ち、左右を確認して歩き出そうとしたところ、後ろから走ってきた車に轢かれて亡くなった。
毎日散歩で通る道で、近所の人達も微笑ましく思って見ている人も多く、事故の時には悲しく思う人も多かったらしい。
話を聞いている時、交差点で立ち止まり両手を合わせている少女が目に入った。
葵は女性に丁寧にお礼をいうと、少女のもとに歩み寄る。
制服を着て手を合わせているのを考えると、たぶんまりあの姉の花音だろう。
「キミはまりあさんのお姉さんかな?」
「はい、そうですけれど……。お兄さんは?」
怪訝そうな様子の花音に、葵は優しい笑みを浮かべ安心させる。
「友人が夜に百合の花束が置かれているのを見たらしくてね、事故でもあったのか気にかけていたものだから」
「うん、事故に遭ったのは妹のまりあと犬のシーザー」
「百合の花束を供えたのはキミ?」
「供えたのは最初の時だけ。季節はずれの花って高くて私のお小遣いじゃ、沢山買えないもの。それにこの場所って人通り多いから、花は供えてないの」
「花が無くても、大切に思う気持ちは変わらないと思うよ」
葵はまりあとシーザーが未だこの場所に留まっているかも知れないということを説明するのは、葵にとって十分幼いといってもいい少女にはつらいのでは無いかと考え、天国で仲良くしていると良いね、と花音にいうとその場を離れた。
+1d+
霊のことに関しての専門といえば、あいつが居たな……と草間は思い当たる人物、桜杜雪之丞(さくらもり・ゆきのじょう)に連絡を取った。
悪質能力者を取り締まる『ゴースト』に所属する雪之丞は、幼い時より『ゴースト』で働いており、長い経験を持つ降霊師だ。
常に人とは違う、ガラス一枚向こうに住まう者達の一面を見てきた雪之丞。
依頼人のいう獣に関しても違った一面をみて、雪之丞独自の感性で判断するかもしれないと思うからだ。
「そろそろ電話番号表示される電話機に変えたらどうだ、草間」
先ほど学校から帰ってきたばかりなのか、着崩したシャツに学生服である紺色のブレザー着ている。
ざっくばらんに降ろした前髪を鬱陶しげに払いのけ、耳朶に填めているピアスを指で弄る。
言っては見るものの、お金にほとほと縁の無い草間だから、無理だろうと思うが、と内心呟き、用件を聞く。
「今、他の調査員が調査している件があるんだが。交差点に現れる獣に襲われた依頼人が居てな、その獣を何とかして欲しいと依頼があったんだが、生憎と霊視能力を持つ調査員が居なくて、お前のことを思いだしたんだ。そういうの得意だろう?」
「得意というより、それがオレの仕事だからな……」
「依頼人の怪我を治して貰おうと考えたんだが、それじゃぁ全く解決にはならないからな」
「一度その場所へと足を運んで実際に見てみるのが良いだろうな」
「行ってくれるか」
「ああ」
場所を聞いた後、雪之丞は肩より少し長い金髪を項で一纏めにしなおし、部屋を出た。
+2d+
「ここだな」
人の行き交う時間帯ではないのか、人影が無かった。
夕方に近い時間ということもあり、住宅街ではそろそろ夕食の支度などで屋内に入ってしまったのだろう。
雪之丞はその方が好都合だと思い、件の交差点の側に立つ。
「事故で亡くなった子どもと犬か」
辺りを見回し、この場所が霊的に霊の通り道であると直ぐに気付いた。
一定の流れを持つ霊道というのは霊体のエネルギーを削いだりすることは滅多にない。
人間に必要な空気が自然に存在するように、霊道には霊が必要なエネルギーが満ちているからだ。
ならばこの場は?
霊体が維持できない原因は。
常に側にいる二体の霊体が微かに反応をし、雪之丞に意志を伝える。
雪之丞は深く見ようと一度目を閉じ、視界を切り替えた。
赤い瞳が一層赤くなったように見える。
独特の波形のような波が緩やかに流れているようだが、目をこらしてみればそれが妙に濃い。
突然、濃霧の中に入り込んでしまったような。
霊が溶け込んでいるのを見て、
「向こう側の気配がこちら側に溢れているな」
雪之丞はこういう場所に置かれているある石を探したが、見あたらない。
「住宅街ができた時にでも撤去したんだな。何気ない石でも役割があるからこそ、置いてあるというのに」
些か憤慨しながら、雪之丞は『ゴースト』に連絡を取り、その石を持ってきて貰えるように交渉した。
千引石を。
住宅街に置いても見た目は墓石であるから、直ぐに撤去されると考え、向こう側、異界側から、こちら側に流れてこないように千引石の楔で流れを止めるのだ。
そうすれば、獣が守っている百合の花束に留まる霊体も本来の形を取り戻すだろう。
周囲を見渡し、住宅街の築年数を大体で判断して、いままで霊的な現象が表だって現れなかったのは、事故で突然亡くなっているのが大半で、意志を持つ以前に異界に溶け込んでいたからだろう。
獣が留まることができたのは強い意志と強い思い。
それは獣、人間関係なく持ちうるものだ。
暫くしてやってきた『ゴースト』の仲間に持ってきて貰った千引石の楔を異界側に打ち込む。
すると、霧が晴れるように濃密な気配が遠のいた。
安定するまで暫く掛かるだろうが、深夜になるころには霊体も本来の姿で現れることができるだろう。
+3ab+
大切な家族の一員である飼い犬のご飯が無くなってきていたので、近所のコンビニまで買い物をしてきた弓槻蒲公英(ゆづき・たんぽぽ)はビニール袋に入ったドッグフードを両手で持ち、歩いていた。
時折、立ち止まり休憩をしたりして。
蒲公英の手には重すぎる家族のご飯は、食べている時の嬉しそうな顔を思い浮かべれば、全然大変ではなかった。
段々と増えていく動物たちに家族は最初いい顔をしなかったが、最終的には蒲公英の真摯なお願いに陥落していた。
蒲公英はなるべく早く帰るべく、行きとは違う道を歩く。
帰りを待つ家族に心配をかけないようにと思っていたからだ。
すると、前方に草間興信所では見慣れた姿が目に入り、どうしたのでしょうかと首を傾げて、近づいていく。
「あの、シュライン様………?」
深夜に思ってもみなかった声に反応したシュラインは、振り向いていった。
「蒲公英ちゃん! どうしたの、こんな夜中に」
「わんさん達のご飯を……買いに」
蒲公英の手にある袋を見て、随分と重そうなのを見て取り、心配していう。
「ん、まだ時間あるみたいだから、一人で帰るのは危ないから送っていくわ」
他の調査員が来るまでまだ時間があるのを、腕時計で確認する。
蒲公英の家族が仕事中であることをシュラインは知っていた。
荷物を受け取ろうとするシュラインに、蒲公英はふるふると首を左右に振る。
綺麗な黒髪がそのたびに、さらさらと音を鳴らす。
「大丈夫……です…から…。シュライン様は…、どうしてこの……場所に?」
蒲公英は首を微かに傾げると、シュラインを見上げ、問いかける。
「依頼でね、この近くの交差点で獣が出るっていうのよ。犬のシーザーっていうのだけれど。飼い主の女の子に供えられていた花束を蹴っちゃった依頼人に噛みついて、治らないからどうにかしてくれっていう依頼なのよ。自業自得だと思うのだけどね」
「…わんさん……かわいそう」
同情するのは犬に危害を加えたかもしれない依頼人ではなく、飼い主を守って留まっている犬に対してのようだ。
「そうね……、かわいそうね。場所的にちょっと安定しないところだったみたいだけれど、いまはもう大丈夫になったから安全よ。蒲公英ちゃん、安全になったからといって、犬さんが攻撃してこないという保障はまだ無いの。危ないから蒲公英ちゃんは帰った方がいいわ」
蒲公英はドッグフードの入った袋を抱えて、じっとしている。
「蒲公英ちゃん?」
「わたくしも……、わんさんの…所に……」
「危ないわ」
シュラインは一緒に行くと決めたようで、頑なにその場所を動こうとしない。
一度決めたことを貫く芯の強さがあるのだ。
どうして説得しようかしらと悩ませていたシュラインは、他の調査員二人がやってきたのを見て、説得するのを半ば諦めた。
「蒲公英ちゃん、私の後ろになるべく居てね?」
それなら何とか守れるわと内心呟き、蒲公英がこくりと頷くのをみて、シュラインはひとまず安心した。
+4abcd+
「待たせてしまったか」
雪之丞が調査員のシュラインをみやり、視線を下へと落とす。
「弓槻蒲公英ちゃんよ、さっきここで出会ったの。一人だから送っていこうと思ったのだけれど、依頼の件、話したら犬のことが気に掛かるみたいで」
「大丈夫だよ、僕が守ってあげる」
葵は蒲公英に優しく声をかけるが、もともと引っ込み思案の蒲公英はあまり話す機会のない男性に驚き、シュラインの後ろに隠れてしまう。
「蒲公英ちゃん、人見知りするのよ」
シュラインは、微かに表情が硬くなった葵にあなたが悪い訳じゃないわと話す。
「あぁ、それなら仕方ないね」
葵は驚かせて悪かったね、と優しく蒲公英に向けて言葉をかける。
蒲公英は申し訳ないと思ったのか、シュラインの後ろに隠れてぺこりと頭を下げる。
長い黒髪が揺れる。
三人の様子をみていた雪之丞は、前方にある交差点の変化にいち早く気付いて、注意を促す。
「現れ始めたようだ」
現れたのは犬のシーザーだけ。
側に百合の花束もあるが、まりあは現れていなかった。
「現れるために必要な力が足りないのか……」
近づいては居ないので、シーザーは襲ってくる気配はない。
シーザーの姿を見て蒲公英は手に持っている荷物を道の端に置き、シュラインの後ろから出て、ゆっくりと近づいていく。
「蒲公英ちゃん!」
シーザーを大きな声で刺激しないように押さえ気味にして、シュラインは蒲公英の名前を呼ぶ。
葵は蒲公英に何かあれば直ぐに行動に移せるように、微細な調整で周囲に水を集める。
てくてくとシーザーの前に立った蒲公英は、じっと紅の瞳で見つめる。
近づいてきた蒲公英に対していまだ警戒を解いていないのか、シーザーは背後を気にする素振りを見せるが、その場を動かない。
霊体であるのに実体と変わらない印象を受ける。
うなり声をあげ、威嚇するが蒲公英の手が近づいて撫でようとする行動が、まりあと花音に可愛がられていた時を思い出させるのか為すがままだ。
だが、飼い主達とは違うと直ぐに判断したのか、鋭い牙を見せて頭を振った。
微かに触れただけだが、蒲公英の柔らかい手を傷つけるのには十分だった。
掌から血がじわりと溢れる。
「蒲公英ちゃん!」
ふるふると頭を振り、大丈夫だと皆に伝える。
傷つけたことに少なからず衝撃を受けたのか、シーザーは大人しくなった。
動かないでじっとしているシーザーの頭を優しく撫でると、蒲公英はゆっくりと言った。
「こわくないから……ね?」
とげとげしい雰囲気を醸し出していたシーザーの印象が柔らかくなる。
もともと人なつっこい犬なのだろう。
久しぶりに撫でて貰える人物に出会い、シーザーは嬉しそうに尻尾を振る。
「あぁ、良かった」
シュラインは蒲公英に何かあったらどうしようかと心配で仕方なかった。
襲われることもなく、親密になれたことに安心する。
「……そうか、子どもだから自我を保てるほど力が無いのか」
「どうかした?」
蒲公英の怪我を気にしつつ、葵は何か合点がいったらしい雪之丞を見る。
「あぁ、女の子が百合の花束に留まっているのだが、どうにもそこに居るだけで自分の意志を現さない。幼すぎるのが原因だと思うが、そうなると人為的に回復させないといけない」
「実体があれば僕がするのだけれど、霊的な物なようだし」
「犬の方は蒲公英が宥めたようだし、女の子はオレが一度取り込んで回復させる」
「蒲公英ちゃん、気をつけてね」
シュラインが雪之丞の行動を予測して、声をかける。
「わんさん……もう少しです……」
ぎゅっとシーザーの首を抱き、安心させる。
その間に雪之丞が百合の花束を手に取り、胸に抱く。
目を閉じた雪之丞は聖職者のような神聖さを醸し出している。
花束は形を輪郭を失い拡散し、雪之丞の身体に溶け込んだ。
気配が一瞬、濃くなり雪之丞の印象が中性的なものに変わる。
変化は微かに分かる程度だったが、直ぐにもとへと戻った。
「終わった」
赤い瞳を開き、雪之丞は身体から離れた一人の霊体を見る。
「まりあ、といったか。留まっている理由は思い出せるか?」
『あた……し…?』
何故ここに居るのか思い出せないようで雪之丞をじっと見つめていたが、シーザーが蒲公英の腕の中からするりと抜け出しウォン!と吠え、まりあの出現に嬉しさをあらわに、尻尾をぶんぶんと振る。
『シーザー!』
満面の笑みを浮かべた、まりあの腕の中に飛び込むと顔を舐める。
蒲公英は良かった、と赤い瞳を潤ませて、笑みを浮かべた。
「少し良いかな? 女性の怪我をそのままにしておくのは、とても気になってね」
葵が蒲公英が握りしめて、隠れてしまっている怪我を治そうと優しい口調で声をかける。
何か言おうと、蒲公英は顔を上げるがなかなか言葉にならない。
葵は辛抱強く待つ。
「あの……、よろしくお願い…致します……」
蒲公英は、はにかむ表情を浮かべ、消え入りそうな声で言った。
シュラインは、まりあとシーザーがこの場所に留まっていた理由を聞こうと、まりあに優しい口調で聞く。
録音できるか分からないけれどと考えつつ、ペンタイプのICレコーダーのスイッチをオンにする。
『りゆう……、お姉ちゃんとまりあのシーザーだったの……』
涙を流す、まりあの涙をシーザーが舐め取る。
「お姉ちゃんに言いたい事があるのね?」
『うん……まりあ、シーザーといっしょに行っちゃうから、お姉ちゃんのシーザーつれて行ってごめんなさい、っていいたかった』
「でも、言えなかったのね?」
『いおうとおもったの。でも、だんだんと力がぬけて、ことばが話せなくなったの。………話せるようになってよかった』
まりあがいつの間にか手にしていた、シーザーの手綱についた犬の形をしたキーホルダーを外して、シュラインに差し出した。
『お姉ちゃんにわたしてほしいの……』
「分かったわ、ちゃんと渡すから大丈夫よ」
まりあを安心させるように、ゆっくりと言う。
キーホルダーを受け取り、頷く。
「上がれるか」
雪之丞がまりあに声をかける。
『うん、お兄ちゃんの中にいるときにみえたから、まよわない』
「そうか」
口元に笑みを浮かべる。
まりあは尻尾を振るシーザーと数歩歩き、やがて輪郭が曖昧になり、それは煌めく残滓となり消えていった。
シーザーが依頼人の佐々木優悟に怪我をさせた傷は、まりあが復活したことで一緒に成仏した。
以降は、通常の治癒速度で治って行くだろう。
+ending+
「シュラインさん、蒲公英ちゃん、二人は家まで送っていくよ。解決したとはいえ、夜道は危ないからね」
「そうだな、送って行こう」
葵の提案に雪之丞は同意すると、道の端に置いてあった蒲公英の荷物を持ち、行こうかと声をかけた。
「ありがとうございます………」
荷物を持ってくれている雪之丞にお礼をいう。
「いいの? 蒲公英ちゃんの家族って葵さんと同業者よ?」
シュラインが面白そうに葵にいう。
「そうなんだ、この業界案外狭いからね。でも、子持ちって珍しいね」
意外だったのか、シュラインと手を繋いだ蒲公英を見つめる。
「遭遇した時はその時だね」
蒲公英を自宅に送り、レコーダーとキーホルダーを草間に一時的に預かって貰う為、興信所に顔を出すというシュラインを興信所まで送ったあと、葵と雪之丞は手をあげて別れとした。
草間と関わりを持つ限り、何れ再会するだろうと思いつつ。
End
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【受注順】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1992/弓槻・蒲公英/女性/7歳/小学生】
【1072/相生・葵/男性/22歳/ホスト】
【4864/桜杜・雪之丞/男性/18歳/高校生 兼 降霊師】
【公式NPC】
【NPC/草間・武彦】
【NPC/瀬名・雫】
【NPC】
【佐々木・優悟/男性/34歳/依頼人】
【近江・まりあ/女性/4歳/霊体】
【近江・花音/女性/14歳/まりあの姉】
【シーザー/雄/成犬/花音とまりあの飼い犬・霊体】
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■ ライター通信 ■
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初めましてのPC様、再び再会できたPC様、こんばんは。
竜城英理と申します。
どことなく和風な感じの依頼を戌年ということで依頼を出させて頂いたのですが、あまり和風にはなりませんでした。
色々と専門家の方々が適材適所で揃って居られましたので、上手く行きました。
ありがとうございます。
文章は皆様共通になっています。
では、今回のノベルが何処かの場面ひとつでもお気に召す所があれば幸いです。
依頼や、シチュで又お会いできることを願っております。
>シュライン・エマさま
再びのご参加ありがとう御座いました。
人見知りする蒲公英さまと一緒に途中から行動して頂く事になりました。
どことなく頼りになるお姉さんな感じで書かせて頂きました。
お気に召したら、幸いです。
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