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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Second rEvolution


 誰も殺されない世界があって、
 誰も殺せない世界があって、
 ねぇ、それを、
 正しいと、思いますか。
 大切な命を失うかもしれない、大切な人を殺してしまうかもしれない、けど、それが、
 間違いだなんて。
 ……それが人間の性だからなんて、誰も言ってなくて、獣よりも愚かだなんて、そんな事を言うつもりは無くて、
 自分だって、誰も殺されない世界は、殺意の無い、殺しあわない世界は、
 多くが望んでいる――誰かが殺されるのは、
 悲しいから。
 ――、

 悲しみは、何処。

(ネェ、)
 青い空に語る術は無くて、舌を捨てたから、
(僕ハココニ居ル)
 青い空に語る術は無くて、舌を捨てたから、
 異界。
 革命は、回帰は、
 ……進化は、
 、
 自由は。


◇◆◇

 世界に絶望する事は簡単だ。
 自分に絶望するよりは。

◇◆◇


(いのちといふものは)
 知る為の妖怪は、心身を二つに分けて。
(まがまがしくうごめき)
 子と瞳を失う呪われた女、復讐人。
(ひとのゆめみたいによわく)
 父を追う娘、鬼の目覚めが身を叩いても。
(だけどもえて)
 強くなっても、大好きな先輩に会いたくて。
(きえて)
 夢の彼女は現の願いで、黒き翼を携えて。
(わすれて)
 世界を理解し、流浪する怪異。
(おもいだして)
 居場所に居続ける、失われていく彼女。
(いっしょうけんめいさけんだりして)
 音速と銃弾、昔人を死なせてしまった。
(なにもかもすてひきこもったりして)
 彼女は何よりも嘆くから、止める為に。
(てれびばっかりみて)
 力は冷気を纏うけど、暖かい心は終りを願う。
(ごはんをたべなくて)
 全ては彼の命捕らえる為、ただそれだけで男は。
(こいをして)
 生きるが為に組織へ属し、策略は遂に掌握する。
(ゆきがふったあのひをにっきにしたり)
 歌が響く歌が響く、世界と友に歌は響く。
(せんじょうのびでおをみてこころをいため)
 何一つ解れない男、余りにこの世に相応しき剣。
(さんぼんあしのいぬをけとばし)
 生きる事は知る事で、在り続ける彼は。
(はんせんもけいをいっしょうのともにし)
 アルコール中毒は点滅し、世界を渡り。
(ほしのかがやきをわすれながら)
 家族が大切だから、気に喰わない奴の隣。
(いのちといふものは)
 殺し屋じゃないのは、目覚めを望んでいる。

 生きている、と、口を動かしながら。
 舌の無いササキクミは、そう、回想した。

 ……その子は、青い、子は、
 青の子は、死に憧れる者の思いが結晶だ。けして死ねない者達の、死ねる者達への羨望が結晶だ。色が青いのは、雫の色かな。もしそうなら御伽噺みたいでステキだけど、少女が笑う理由だけど、真実は知らない。
 だって、自分を生んだ母は、自分を生んだ父は、願いという透明な物だから。出生について問いただす事はできぬ、けど、そんな存在に、
 生まれた意味が用意されていた。
 窓際の席が用意されてるようなものだ。永遠の、安定。
 恨みはしない、感謝もしない、運命とはなべてそういう物で、だから、自由の敵なのだろう、己の存在というのは。他者に何かを強制させる存在。
 けれど、それに意味があるならば。
 生きている彼等に、意味があるならば、自分は。
 、
 彼ら、

 総てを失ったと思っても、
 今ここに在り続けるのは、
 ただそれが、総てでなかったという事なのだろう、
「……私は」
 コーヒーの前で泣く、水上操みたいに、

 それがいのちといふものならば、
 彼は、願わなければいけなくて、
 いいや、
「裏切りましたか、はい、茂枝君」
 藤堂矜持だけじゃなく、

 総てを失っていくかのように、
 目の前の女性から、視線をそらし、
 雪迎えるかのよう空を見上げる、
「……零ちゃん」
 シュライン・エマも例外じゃなく、

 幾つも失って、幾つも守りたく、
 生と死の線を歩む、
 孤独じゃない孤独、
「何処に」
 白神久遠とて、

 世界だろうと異界だろうと、
 法則は共通で、
 だから、
「14歳、か」
 二人のササキビ・クミノもそうで、

 時を越えても、その事は、
 雨のように正しく、
 縛り付けている、
「終わり、か」
 銀城龍真も、

 だから走って、だから隠れて、
 だから、
 話して、
「萌ちゃん、私ね」
 綾峰みどり、

 。

 今、そう、今。
 どれだけの時が経過したのだろうか、どれだけの時が、終わりへと向かっていったのか、風のように掴み所のない、共に歩みながらも、なかなかに、微笑んでくれない《時》というもの、
 だけど今、始まろうとしてる事は、解った、
「私は13歳だ、青の子」
 青い空、広い草原、相変わらず世界はその異常を維持していた、平和な場所で、行われようとしてるのは、
 殺し合いじゃない。
「……俺は、お前を」
 ササキビ・クミノと、銀城龍真は、自分を殺そうとしてないから、だから、
 ササキクミの一方的な殺戮が始まろうとしている事を、ササキクミは知覚する。
 穏やかな場所に、ずっと、ずっと座っていた青い子供、立ち上がり、舌を捨てたから挨拶は、声でなく微笑みで。
 表情を変える事に、音は生じない。


◇◆◇

 殺しあう異界

◇◆◇


 世界の脅威は取り除かれていた。
 だけど、組織は蠢いていた。
 彼が居た。
「キミも、そうではありませんでしたか」
 その言葉の意味は、その場に居る誰にも解らなく。
 誰に対しての言葉なのかは、前の言動から解ったけれど、そう、彼に従う数多くの内、唯二無三、自立的な彼女とその得物は。スノーとヘンゲルには解った、言葉を束にして、誰に送ったかのは、
 ここには居ない、ここから、逃げ出した、茂枝萌へとだ。
 この男が唐突に、彼女にIO2の長として命令したのは、彼女に長になれという事。真意は誰も計り知れなかった、その目論見がどう結実するのか、誰にも解らない、
 そしてもう、真相は闇の中だ。
 彼女は、連れ出された。逃げおおせた、綾峰みどりの手と足と力と、心により。
 何を企んでいた、
『なんやったんや、おのれ』
 喋るのはヘンゲルで、瞳で問うのはスノーで、
 結局、実質的な長に逆戻った彼は、答えない、答えないが、
 答えないのだけど、
「……しい……の?」
 小さな声、聞き取りにくい。だけど、聞こえた。彼にだけ。
 泡のように弾けたスノーの言葉に、彼はくつりと笑ったようだ。人を小馬鹿にする、そのような微笑みを前にして、スノーは黙って従うだけである。意思のある、二つ、
 意思が奪われた、背後の道具と同じように。
「あの二人を、はい、もう敵ゆえに仕留めに行くよう。桂君達、はい、貴方達はIO2への侵入者の歓迎を。そして、はい、鍵屋君、貴方には――そして」
 草間零は向かっている。


◇◆◇


 自失。自らを、失う。
 そう彼女は失っていた、きっと彼女は、失っていた。鬼という全てを。
 ……かつて自分は、鬼と人で、けれど何時か、鬼になってた。人ではもう無くなっていた、完全に一つに固定された。混じっていない、一つきりの。
 今も、そうである。今、彼女は人だ、人間だ、鬼の香りは一切無い、人、人、人。
 だけど、からっぽで。
 からっぽなのだ。感覚的に、腕を回しても、感じる、満たされない器。それはきっと、自身が鬼であった事に他ならない。人になったのではない、ただ、鬼を失ったのだ。鬼こそが私だった、醜悪、強力、恐怖、そして何よりも、
 鬼の、優しさを失った自分は
 腕にあった、優しさを失った自分は、もう、
 もう、
 ……悲しみも、涙も、枯れ果てて。晴れ渡る空の下、
 泣く事すら停止した水上操には、もう何も無かった。
 水上操には、操自身、無かった。
 だからずっと、ずっと、そこに居て。目の前の食事も、前鬼と後鬼の、躯たるひび割れた角も。目に入らなく、ただ、
 ――それだけ
 ……時は、どうなのだろう。
 一日だけなのか、一週間なのか、
 この不思議な場所だったら、どんな流れでも、説得力はあるかもしれない。時間、……何かと離れる時間と結婚し、世界は再会という事柄を世に生む。そして、再会と呼ばれる事柄は、人間だけのものではない。
 けれど、もう彼女は人間である。
 鬼であった水上操は人間である。
 コーヒーを冷たくしてしまった人間――
 へ、
「折角のご馳走を」
 にこりと、笑いかけるのは、
「蟻さんに、あげてしまうつもりですか?」
 相変わらずだ。

 久遠が居る、久遠が居る、
 退魔組織白神のかつての長、白神久遠。
 笑みは、最後の解析と、変わらなくて。

 お館様。
 その手が、うずくまる彼女へ伸ばされた。レイニーの首のおかげか、腐食しないサンドイッチの前で、けれど冷えてしまったコーヒーの前で、そして、欠けた二本の角の前でうずくまりながらも、呆然と自身を見上げる彼女へ、銀髪の、若い、けれど本当の年齢は随分と重ねた者の手が伸び、
 抱きしめるでもなく、頭を撫でるでもなく、久遠は彼女を引き起こした。
 そして久遠は屈み、そして、久遠は立ち上がり、
「おなか、すいてるでしょう?」
 久遠はサンドイッチとコーヒーを、差し出し、
「はい」
 と、言った。
 ……それだけだった。それ以上、久遠は操に何も告げなかった。そう、
 愛についても、労わりについても、人生についても、夢についても、つまり、彼女を立ちなおせる為の千の言葉は何一つやろうとせずに、ただ、食物を食むように促すだけ、それだけ、行為。
 固まってしまう、操。だけど、
 時の流れに応じ、彼女の体内で血は流れ、生命は流れ流れていき、結局、
 手に取る、一口、食べた。
 ……、
 一口、飲んだ。
 乾いたパンと鴨肉、しなびたオニオン、ぬるくなった林檎、
 何よりも苦いだけの、冷え切ったコーヒー――美味しくない、美味しいものじゃない、ああ、なら、

「あ、あ、」
 何故涙を流すのだ。悲しくて、
 嬉しくて、
「ぅあああああああああああああッ!」

 とても、女の泣き声じゃない、
 あの涙を枯れ果てさせた時よりも、彼女の滂沱は獣みたいな有様で、だけど、
 とても、人で。
 咳き込む程に、感情が顔へ、いや全身へと奔流。思わずに足が崩れそうになる、再びうずくまりたくなる、けれど久遠の両手は肩に触れ、けしてそれを許さない。優しく、許さない。
「操さん、立ちなさい」
 、
「貴方はもう、大人なんですから」
 子供じゃないのだから――
「うああ、ぁあ、……あぁ……ぅ、あ!」
 支えない、抱きしめない、二本の足で立つ事を、久遠は微笑みながら強制する。目の前で少女が、ただの人間が、か弱い存在が、果てしなく嘆こうとも、「あ、」と、「ぅあ、あ」しゃくり上げる、震える、理性が役に立たない、顔が洪水で、身体は凍えそうで、
 砂漠に放り出された何も知らない赤子みたいに、泣いて。
「違う、ちが、お館様、私、は、私は」
 大人なんかじゃない、弱いんだ、小さいんだ、
 弱くて、弱くて、弱くて、弱くて、弱くて、弱くて、弱くて、
 弱くて、
「私、は」
 弱い――
「しゃんと、しなさい」
 ……頬も叩かず、久遠は、
 叱りもせず、
 教えず、
 諭そうとせず、
 ただ、強制するのは、立つ事、
 弱者を。
「……うあぁぁぁぁあああぁあぁぁぁあ……!」
 あ、あ、
 嗚呼、
 それが、水上操がしなければいけない事。
 彼等が、前鬼と後鬼が、後悔など無かった事を、
 その舌で確かめ、その嘆きで、知る事を。

 彼等とは親友だったから、そう、彼等の願いは久遠に解って。
 全てが終わったら、一緒に暮らしてもいいのではとも、伝えて。
 誰とは言わないけれど。解ってる、事だろうから。

 風が幾つも生まれて、そして消えていった。長い間。
 ……もう、彼女はうずくまらなかった。
 宇宙を創生するかのように、爆発的な嘆きはひょっとして、また新しい彼女を生んだのだろうか、強くなったのだろうか? 人間なんてそう簡単に強くなれないから、それは酷い希望的観測に過ぎないかもしれないけど。ともあれ、
 二本足で、立つ、彼女は、
 弱い人間は、強い背中へ、小声を、
 掠れそうな息に乗せた。
「お館様、何処へ」
「久遠ちゃんと呼びなさい」
 、
「助けないといけない人が、居ますから」
 鍵屋智子へ向かって、歩き始める。


◇◆◇


 手負い、彼女達。
 逃避した先は、外界へと巧く繋がっていない。だからこそ隠れる事が出来る、選択すべきなのだ、青い空が広がらなくても、地に命溢れる草の原が敷かれてなくても、
 小さな、洞窟は、適していた。身を潜めるには。
 構造は行き止まりなのだから、一度探りを入れられてしまえば、追い詰められた鼠なのだけど。少なくとも一時凌ぎの傘なれば。
 ……さて、本当は洞窟ではない、自然、ではない。殺しあう東京に咲いた幾つかの戦場、壕なぞ山のようにあり、人間に様々な種類があるよう、人為的に作られた壕の中で、今二人居る場所はまさに洞窟だった。RPGのそれみたいに、迷路みたく入り組んでなく、宝箱なる希望もない、けれど。
 敵、も今は居なかった。だから、二人は安心していられた。
 安心。
「……これから」
 くらがりで、こえがする。
「どうするの?」
 くらがりのなか、こえがする。
 それは不安のように響いた。
 状況的な安心の中でこそ、その不安は湧き上がった。まるでコーヒーの中の、白いプラスチック。ミルクじゃない、ミルクみたいに混じらない、はっきりとした不安だ、そう、響いた、
 響いた――
「これから」
 暗がりで、声がする。
「どうしよう」
 暗がりの中で、声がする。
 だのに、
 それは未来のように明るく響いた。そう、未来、
 弱い人間が逃避の為に奏でる、別世界の想像ではない、確かにこの場所から、この何も無い暗い場所から、しっかりと続けていくような未来。富める者にも貧しき者にも、強き者にも弱き者にも、抱けば抱ける幻。
 憧れ、焦がれ、夢を見る。さぁ、
 話をしよう。
「萌ちゃん」
 オーロラよりも続いていきそうな二人の間柄は、

 一発の銃弾が、彩峰みどりの腹を撃ち抜いた事で。
 跳弾。

 人によっては未来は無く、人によっては過去など無く。だけど今は全てにあった、石にも風にもそして、人間という構成物にも。今、そう今、狙撃したのは追っ手、IO2からの刺客、
 六人の構成員、藤堂矜持の操り人形は、今、逃亡者とその補助者を追い詰めている。指令は、捕縛する事。萌はともかくみどりの生死は問わない。穴倉の中に潜入しないのは、それが自身達の死に繋がる事を知覚しているから。だから遠距離が必要だ、どんな達人であろうと、等しく無効化する攻撃手段。その今から新たな今へと、彼等は連鎖し、闇の中へあらゆる遠距離を――
 蓋が、された、
 少しだけ予想していた、けれど、やはり予想外の、
 傷に、致命傷を重ねた彩峰みどりの行動。

 入り口から二人の直前まで、氷で覆い尽くす。

 厚く冷たい氷は全てを拒絶した。世界で今、二人きりになる為だ。自分を抱え、叫ぶ萌の前で、苦しそうに微笑みながら、みどりは腹を、激痛が蛇のようにのたうつ腹を手で探り、獣のようなうめき声をあげながら弾を取り出し、……傷口を、凍結させ、凝固した。
 ――何故そこまでするのか
「みどり!」「話を」
 、
「……話をしよう、萌ちゃん」
 傷を癒す間、そうしようと考えていた。だけどこの傷はなかなかに癒えそうにない、ならばせめて、話をする事だけ。
 自分の事ばかり考えていたんだ、これくらいの報いは当然なんだろう。これくらいは、
「私には、まだ、友達が居て……」
 世界が変わった感覚はある、けれど、まだ世界は酷い有様だろう。人が蟻のように踏み潰される。けれど、
「居る、から」
 彼女は言った。
「きっと私達は、なんでも出来る」
 腹からは血が零れない、けれど、喉からは少し零れた。流石に喉は凍らせられなくて、息、出来なくなるから。
 話が出来なくなるから。
 萌は黙って聞いていた。叫びそうになりながらも、声を殺した。
 聞かなければいけない、親友を、
 ずっと傍らに居た彼女を。
「何、しよっか」
 今、
 ……、
 今。
「……やりたい事は、いっぱいある」
 萌は話した。


◇◆◇


 彼女の隣に、萌が居た。
 ただそれは、死の仕事を請け負う姿ではない、何処かの制服を身に纏い、朝のごはんを言いつけどおりに噛み、飲み下す彼女。眠そうな眼を冷ませる為には、コーヒーが最適なのだけど、まだ彼女には早いかしらと、
 母親は、暖かいミルクを入れた。
 笑顔は一方的である、笑いあう関係では無い、けれどそれでも穏やかな空気は流れていた。家族のつながりは、必ずしも、笑顔という物だけで保たれるのでなく、時に喜びすら必要とせず、繋がり続ける事だ。そう、
 彼女の隣には、娘が居た。
 霧絵の隣には娘が居た。そして、
 隣には彼が――
 夢だ。
 夢、現実ではない事、人が願うけれど、けして真実ではない虚像。
 虚無の境界首領であり、殺しあう異界の黒幕である者は、彼女の導きにより、幸せな夢を見続ける。その穏やかな顔をどれだけ眺めたのか、彼女、
 邪魔されないように、なのか、その姿を誰からも見えなくした。
 虚を眺める、確かに彼女はそこに居るはずで、けれど、もう認められない。からっぽ、だけど、
 見えなくても満たされている彼女と、
 見えていても満たされていない彼女。
 シュライン・エマは、後者だった。
 からっぽ、それは目の前の女性、虚無を拠り所にし力とする彼女が、シュライン・エマ自身を力にする程に。彼女の全て、一切合財が白日の雲のようになっていく。もう、何も無い、本当に何も。永遠に夢を見させて、そして、誰にも見えなくさせるという非常識。
 虚無という力、シュライン・エマ自身がそうなら、シュラインも、その力を用いた。
 制限はあるのだろうけど、非常識を適える程の力があるのに、彼女自身はもう何も望まない――
 彼女の、ふらりとした動きがそれを否定した。
 ふらり、ふらり、と。風に舞うビニール袋よりも弱弱しい脚の動きだ、瞳に光は無い、だけれども、その足取りは何処かへと確かに向かっている。
 青い空と草原は、そんな足取りに少し優しくて。
 無言の彼女を吹く風のように通り過ぎさせる、何事も無く。通過の間、
 からっぽの、彼女、
(武彦さん)
 ……少し、微笑んで名を響かせる。からっぽに。何も無い雪原の大地でこそ、赤い花は、強く揺れる。
 姿を思い浮かべるのは、この世界が始まってからのあの人、
 まるで別人のようなあの人、
 だから、
(武彦さん)
 そう、接してはいけないって、思った。深層か、表層か。知らない人として対応して、けれど、
(武彦さん)
 最後に、呼んだ。
 草間武彦としての、願いを込めて。
 ……空虚へと近づいていく、やがて、完全に虚無化へとなるだろう、シュライン・エマ。今こうして名前を呼ぶ事すら掻き消えるのか、ならば、これは足掻きか、
 それともただ、これだけが残っていたかのゆえの、残りカスの、大きな、残りカスの行動。
 、
 階段を上がり興信所に着いて、
 部屋に、靴をきちんと脱いで、あがって。
 ……誰も居ない部屋。かつて部屋の主が居た頃は、煙草の臭いが充満していた。窓の側にある机は、書類で溢れていた。今はその姿が無い。ただ、からっぽ。……だけど、
 残りカスみたい、残ってる物。

 あの人のコート、
 あの人の煙草、
 あの人と大勢で撮った写真。

 ……机の上、写真の中のあの人は、最後のあの時に、似ていて。
 懐かしむように目を細める。ぼんやりとした意識の侭で、
 家に、辿り着いた彼女。
 ……、
 音、
 ドアの方から、音、
 心というより、体がその音に反応して、ゆっくりとそちらへ向いた、
 音が生じた原因が視界に納まって、ゆえ、声が生じる。ねぇ、家に帰ってきたのは、
 彼女だけじゃなかった。
 心残りが、居た。
「零ちゃん」
 入り口に立ってる、藤堂矜持に傀儡にされたツギハギの少女。
 空ろな瞳の二人。


◇◆◇


 かかとの上すら克服したアキレスは、遂に誰も近づけない。他者と三途の川の隔たり、その身で作り出す。
 無敵は何時も暴虐で、誰もがそれになろうとはするけれど、一度それになってしまえば、そこにあるのはきっと、孤独でしか無いのだ。ひとりぼっちなんだろう、そう、なんだろう、泣き叫ぶしか他に術はない哀れな童。
 父はきっとそれに、限りなく近い人だった。
 彼の息子は、そう思っていた、そう、
 目の前にも同じようなのが居たから――

 座っている青の子、
 ササキクミ。
 向うにはアタッシュケースを手に下げた、ササキビクミノ。

 青空で、草原で、笑っているのはササキクミだ。ササキビクミノの姿を借り、甘い物が苦手という舌を捨て、完全なる殺戮存在に成った物だ。
 その青の子の元へ参じたのは、彼と、彼女。彼は、見極める為に。
 銀城龍真は、見極める為に。
 ……彼は彼の息子であり、そして、時間移動者だ。殺しあう異界の終りに駆けつけた、この世界にとってのイレギュラー。
 青の子がこれから、危険な存在か、それとも無害か、不安定な状態なのか。話をしに来たのだけど、けど、
 だけどササキクミにはもう舌が無く、あの男の子の姿の時みたい、おしゃべりじゃない。だから、考えあぐねる。これも青の子の計算の内か、決定させなくして、いかようにも手出しが出来ぬようにさせる。
 戦わずして勝つという言葉が、頭に鳴った。実際、ササキクミは微笑んで、それきりだ。
 どうすればいい。
「全てを救うつもりか、銀城龍真」
 アタッシュケースを提げた少女は、唐突に。
「犠牲を出さずに、全ての者が生き残る。幸せな終りを、……望むのですか」
 ハッピーエンドというフレーズを、どれだけ人は響かせたのだろう。けど、
「お前には、それが容易く出来る事だと思ってるのか」
 強い口調、まだ十三歳の少女の語りに、彼は、
「はい」
 肯定する。
「きっと、貴方と同じように、思っています」
 ササキビクミノは、微笑んでいた。
 青の子を挟んでの、声と声の連鎖。
「当たり前の願いだ」
「全てが幸せになる事は」
「だが人は、人の犠牲と引き換えに、幸せになれる事も知り」
「何時か、その手で崖へと誰かの背を押して」
「全てよりも己を選び」
「何時か、誰かの贄にする為に自分の首を縄にかけ」
「己よりも全てを選ぶ」
「今、俺達の間に居る」
「ササキクミのように」
 ササキビクミノの、名前に似ている、ササキビクミノの、姿をした、青く光る少女、
 ――だが青の子、お前は
「私の、」
 言うのだ。
「私の、完璧な姿じゃない」
 ……全ての願いにより、使命は生まれた。ササキビクミノには、その使命に閉じ込められてしまった、ふざけた異界者を呼び覚ます、アフロがある。
 ササキクミという存在。自分の似姿である存在なら、自分自身が被れば、それは適う事だ、けれど、
 ササキクミは、ササキビクミノを、真似ていないはずで――
「私は13歳、だから」
 ササキクミは14歳、で、それは。
 それは。

 時を渡る者は、把握していた。
「この時間軸での、茂枝萌と同じ年齢」
 人殺しの為に仕事をする、貴方はきっと、
 霧絵の願いによって存在を許されなくなった、人を殺す彼女の娘。
 青の子が、彼女から出る時に引き連れた、過去の萌。

「……世界の私は眺めていたから知っている、今の萌は、喋る必要がある。昔はそうだったかもしれない、けれど、今の彼女には友達が居る」
 話している内、
「異界の私が今、IO2から逃避している彼女を探しているが、その前にきっと、彼女を守る友達が居る。孤独じゃない」
 ササキクミの姿は、
「お前とは違う」
 14歳の少女に変化していく、
「青の子」
 14歳の茂枝萌そっくりに、忠実に、
 人殺しの仕事をする――
 母が望まない、仕事をする。
 少しも笑えない、姿、だから、
 だからこそ、

「私は、お前にアフロを被さなければいけない。目覚めさせる事よりも、何よりも、被る事にこれの意味があるから」
 ササキビクミノは笑って、アタッシュケースから右手でそれを掲げた。

 龍真も笑っていた、笑みなんてものが、こんなくだらない事で出るなんて、思わなくて。愛する人と再会しなくても、笑みは、生まれる。嗚呼、戦い殲滅するよりも、その持て余さざるを得ない力を奪うよりも、青の子の行く末を良い方向へ導く事よりも、何よりもすべき事があった。
 アフロを被せる。
 くだらなくて、
 とりあえずは、それでいい。
 被せてからでも、自分のすべき事は出来るだろう。
「お前の分は用意してない、すまないな」
「いえ、遠慮しておきます」
 殺戮が始まるはずだった、こんなにも青い空の下で、だけど、
 茂枝萌みたく姿を消して、一瞬で龍真の背後を取るが、肉の動きを極限まで引き出す独特の構えから、空を飛ぶように裂け、見えない相手に対してレーダーを召喚し、同時、世界中で飛び回る自動の戦闘機から、爆撃を一つ寄越してもらい、爆発、炎上、熱と煙の二重の地獄を作り出し、そして、
 アフロを被せようとする事、
 被せられまいとする事、
 くだらなくて、青の子は笑った。嗚呼、暴力が働いている、限りなく無敵に近い存在に。《人の願い》を打ち砕く暴力、
 優しい暴力が、血を流しながら響いている。誰かの父が白銀の剣を残した時と、良く、似た。


◇◆◇


 IO2本部の入り口を割ったのは、彼女とは別の音速と銃の所業であった。地獄への入り口はその者により開け放たれ、よって番人達は、罪深き漆黒へ向かって攻撃を、
 強い、彼女。
 彼女は強く、七つのエージェントの七つの技を、たった一つの力、符術で根こそぎ挫いてみせる。
 ありがとうございました、そう既に何処かの誰かの為に去った者に言い、あとはIO2への進入経路に自身を捻じ込めば、後はもう、己の五体。
 戦場の中で彼女の存在は、全自動に移行する。
 百は超えよう千にも届くか、あらゆる力なのだが、積み重ねた意思の齢は、IO2の本部に残る精鋭達をことごとく撃退した。人の姿をしながらも、鬼であり神であり、そしてやはり人の所業。炸裂する符術、完全防御たる結界、槍が心臓を一突きにせんと向かおうとも、右でもなく、左でもなく、前に前進し、身を回転させながらひらりかわし、首筋に硬い柄をめりこませて気絶させる。
 赤い炎が目を焼こうとした、ならば彼女は下へ、火は重力に逆らうから、人は重力に従い這うように低く走り、青い水が足を払おうとしたならば、水は重力に従うから人は重力に逆らい飛び跳ねて、そうだ、それが、それこそが、
「容赦が、出来ません」
 退魔組織白神、最強の《元》当主。
 白神久遠の伝説が建造されていく、屠られる者は名も無い登場人物に過ぎなくなってしまう、それ程に彼女は強く、そして、必死だ、
 約束したのだ、約束を、
「あの子に会う、って」
 鍵屋智子――
 オカルティックサイエンスト、異端の中の更に異端、黒衣の科学者。だけど、言葉こそ辛辣なれど、本当はきっと、良い子。
 でなければ、心をむざむざ壊されて、藤堂矜持の言いなりにはなりはしない。
 でなければ、心をむざむざ壊されて、藤堂矜持の言いなりにはなりはしないのだ。あの誇り高き彼女が、
 逆らえなかった理由を、今、
 ――今
 ……必死な思いは、必ずしも、無敵になるという事ではなく、
 単純な息切れによって生じた隙、久遠は、こけた。こける、童の遊びならば大した事ではない、
 戦闘者にとっては小さい事ではなく、IO2エージェント、
 久遠への上方位180度からの襲撃――その内の、刃が、
 背を貫き心臓を――

 皮膚、一枚の上に、結界。刃を弾き、
 頭蓋の頂点を貫こうとした槍へ、彼女は符術による雷撃を。
 相手へ、そして自身に流した電流は、金属が得物の彼らを硬直させ、
 ずたぼろの肌、彼女の手には短刀、起き上がる、
 同時、舞うように一蹴してみせた。

 ……残忍で、美しい、女の戦い。だけど余り見せたくは無い、そう、
 小さな子には。
 脅えていてくれて、良かったけど、
 脅えられてては、少し寂しいから、
「怖がらなくていいですよ」
 部屋の隅っこでうずくまっている子供へ、近寄り、
 そして彼女はこうするのだ。痛みで汚れている自分だけど、
 とびっきりの笑顔で、笑いながら、
「助けに来ましたよ、桜さん」
 巨大企業四菱重工が娘、けれど、IO2により守護も外され、鍵屋智子を協力させる為になっていた少女。
 笑う久遠を見て、桜は泣いた。
 泣く事も出来ないくらい恐怖していた少女は、母のような対面に、抱きつき、大声をあげる。まるで花を傷つけないような仕草、ゆっくりと、柔らかく、久遠は子供の頭を撫でた。怖かっただろう、本当に。とても小さな子供、
 許せない、そう、
 そう、思った時。
「ようこそ、はい、」
 声は、
「白神家元当主、はい、通称お館様」
 目の前にある壁の向うから、そして声の終了と同時、――壁は整然と破砕した。そして在る、
 桜は、守護される者だ、けれどそれは直接的ではなく秘密裏に、だから他者との触れ合いは少なかった。敵という近寄る者は、悉く透明な手段で潰されてきたから、だから、見える者は、心と心が通じ合う者は少なく、
 その一つも、あの日、殺されてしまったから、
 ティース・ベルハイムは、
 彼女を守って死んだのだ、
「智子さん」
 四菱桜が求める彼女は、久遠も、そう。
 黒衣の少女は立て札のように立ち尽くす。隣に、彼は在る。彼は、
「ようこそ」
 再び告げながら、尊大な機械を背後にし、藤堂矜持は在る。
 大木のように太い機械、ごおうと、ごおうと、唸っている、世界中のガラクタをひっちゃか纏めたような機械だ、如雨露の先のような鉄が飛び出し、ガラスケースの中では、胎児の格好をしたランプがビカビカと、赤い点滅はリズムを刻み、不意、ぜんまいが二十程周り、停止した。
 これはなんなのか、解らない。これを作ったのは誰かは、解る。さらった理由もその為なのだろう、
 完成させたのはきっと、鍵屋智子。傀儡にされた少女、しかし、目的は、
「貴方は、何を企んでるんですか」
 検討が付かない。
 生き抜く手段としてIO2に所属し、遂にはそのIO2を乗っ取り、だがその長としての権利を、小さな娘に呆気なく譲り渡そうとして、世界の平和を願ってるのかその真逆か、だいたい今の行動は、多くの者を自由意志の無い駒として、
 意味が不明な男。
 真意が知れない、七不思議も彼一人に適わない。ならば解決は、
 愚直に尋ねるしかなく、「何を」
 背にとても大きな機械を従えた男に、黒衣の少女を隣にする男に、男は、
 答えない代わりに、こんな行動をした。
 鍵屋智子を、返した。
 え、
 と。
「……え」
 右手で、背を押したのだ。それでふらふらと、智子は久遠の元まで辿り着き、そしてふらりと前に倒れる――慌て抱きとめる久遠、四菱桜が名前を呼び寄った。何を、
 何を企んで、「もう、はい、用済みなので」
 どう使ったというのだ、彼女を、と、
 こうやって、人に謎を与えて縛るのが彼の術か、許せない、という至極単純な感情すら、疑い、という獣にはなかなかに無い物で、智子をゆうくり抱く彼女を満たして、水槽の縁ギリギリまで、外で車が走っても零れてしまう。ならば、身動ぎなど彼女にとっては自殺行為か、いいや、
 いいや動くべきなのだ、動き、この器からはてなの液体を洗いざらいぶちまけてしまい、後に残るこの体で、力ずくを使う事によって、
 せめて主導を奪い、相手を組み伏し、命を掴み、その時になってから尋ねればいい、遅くは無い、
 何かをされてからは、遅い、から、だから、ゆえに、
 ――ゆえに彼女は無言から必殺の手前までの動作を
 右手に一振りの刀、
 左手に符、
 右足は前へ、
 左足は地を蹴る為、
 脳は鮮やかに未来への軌跡を描き、
 神経は不足の事態へと対処する、
 それが白神久遠の行動ならば、対した彼の動きは、
 、
 背中を、見せた。
 それだけで久遠に満たされる感情、
 驚き、
 彼はそこから動けない――
 接続されている、ケーブル、
 背の中腹にぶち込まれている、鉄のダクト、
 まるでゲームのコントローラーみたく、背後の機械に繋がって、
「貴方、は」
 肉体にで無く、心理に強制的に作ったタイムラグに、兼ねてよりの指示を飛ばす。「どうぞ、はい、桂君」
 その人物の名が囁かれて、思い当たり、能力も浮かんだけど、対処まで出来ない、
 かくして白神久遠は、目の前に現れた桂と共に、桜と智子ごと何処かへ。
 ……すうっと、姿を現した、懐中時計を持つ桂、《もう居ない者》に一瞥してから、
 彼は、空を見た。
 けれど天井が広がるばかりで、透視能力の無い眼は、ただただ圧倒的な行き止まりを写すのみ、だのに、
「ふ」
 だのに笑う、だのに笑う、
「くく、はは」
 金よりも素晴らしい、青く澄み切った空を眺めるように、
「はっは、ははははは……」
 踊りのように声が響く
「はは」
 賛歌の踊り。
「全ては、私の、そう、なる」
 何に、なるというの?
 出てこなくていい、そう言われ、機械の背後に伏せていたスノーとヘンゲル。
(機械が唸りを立て始めた)
 藤堂矜持と、機械は繋がっている。


◇◆◇

 世界へ、彼の能力が放たれた。

 知る事は、
 、
 知る者は。

◇◆◇


 食事を終えた後の行動は、動くか、動かないか。
 食休みという概念は、科学的にも正しいだろうから、右の脇腹を下にして、そうするべきかもしれないけれど、彼女にはもうその余裕は無かったから、
 とぼりとぼりと、青い空と草原を歩き始めて、だがやがて、よろよろと駆け始める。緩やかな川に流される、流木の様。それでも何処かへ前進する。
 行く当てはある、生き延びる為の場所、身を隠す事が出来る場所。生きてする事があるのではない、そもそも、人は本来そのような物なぞ持って生まれなく、
 生きる事に意味は無く、
 それでも生きていれば、笑える事もあって、彼女の友人はそう言ったのだから、だから、掌に握るのは友の亡骸、ひび割れた角、物質、
 だけど二つの心が、確かにあった証、
「……今は笑えそうにないわ、前鬼、後鬼」
 だけど、そう、唱えてから、
「何時か」
 ……想いというのは、何時も呆気なく、塗り替えられる。

 目の前に、両眼の無い、刀を持った女。
 親友に似た、けれど親友じゃない。

 声も出さずに斬りかかってきた、けれど視力の無い刀は、力を失った操にもかろうじて。
 本当に、かろうじて、頭の中が混濁とする、何故彼女が、否、
 何故このような物が――
「誰かの、能力?」
 己を殺す為にか、あるいは、己を含めた全てを殺す為か、
 何の為か、そう、考えていたけど、
 怖い――
 それは自覚してしまってはいけない事、水上操はもうただの人間だ、限りなく弱くて、だから、身体ががたがたと震えて、喉が一瞬で渇き、足が、崩れた。
「あ、あ」
 目の前の《モノ》はゆっくりと、自分の放つ微かな音を頼りに近づいてくる、
(何をしているんだ私は)
 逃げなければいけない、
(逃げられる、追いかけられる術は無い)
 けれど足がすくむ、
(どうしたんだ、私は)
 足が、
「私は」
 ……藤堂矜持の能力は、恐怖を見せる事、恐怖で、殺す事ではない、
「嫌」
 恐怖で、
 心を壊す事。
「いやぁっ」
 目の前にあるのは両目を失った――

 けしてもう戻らない、人
(私は何をしている)
 哀れむように嘆くように、そして何より、原始的な恐れで悲鳴をあげている。

 ただの人間でも笑えるけど、ただの人間は、そんなに強くない。
 罅割れ始めた精神の主を、視力の無い刀が襲い。


◇◆◇


 腹に傷を、負っている。
「……だからね、萌ちゃんがしたい事が、きっと、私のしたい事なんだと思う」
「ちょっと、気持ち悪い」
「そんな事言うなんて酷いなぁ」
 傷を負っているけど、
「冗談よ、みどり」
 二人は話していた。
 女の子たちのとりとめの無い話、学校の教室のように続いている場所、厚い氷で覆われた洞窟、
 外には彼女たちを殺そうとする輩が溢れているのだけど、まるでそれは、昨日の事のように忘れて、ひたすらに続ける話、
 言葉と言葉を、交わす事。人間がずっと、してきた事。
「どこに住もう、東京、離れる?」
「考えた事が無いわ」
「考えなきゃ、だって、何処にでも行けるんだから」
 笑みには笑みを、夢には夢を、
 貴方には私を、
「ねぇ、萌ちゃん」
 死線に晒されながら、少女達の繋がりは、強く結ばれていって、
「ねぇ」
 ……、
 。
「萌、ちゃん?」
 笑みに、萌が向けたものは、今は笑みではない。無表情、そして、
「みどり」
「う、うん、どうしたの萌ちゃん」
「みどり」
「どうしたの」
「みどり」
「萌ちゃん――」

 茂枝萌に恐怖があるとすれば、それは見える物では無い。
「何処、行ったの」
 数刻後、脅え、激しく震え始めた彼女、一瞬の後みどりは訳もわからず萌の肩を掴んだ。

「も、萌ちゃん、どうしたの? 私はここに」
「居ない! みどり、みどりが居ない! みどりが」
「ここに居るよ! 私は! 萌ちゃん!」
「みどりがァァァッ」
 叫びに重なるように、蓋、氷解が溶ける事も無く蒸発し消えうせた。
 こうなる隙をずっと、厚い氷越しに狙っていたのか、既に心が壊されて、藤堂矜持に操られているエージェント、爆発を起こし、その煙に紛れて、一斉に突入してきたのを、背中でみどりは感じる。立ち向かわなければ、
 萌は、頭を抱えて、消失の名前を泣き叫んでいた。
 何人も襲ってくる。
 みどりは。


◇◆◇


 藤堂矜持の能力が、世界に放たれた事。それは光のように平等な所為、各人の脳からもっとも恐怖する幻が作り出される。けれど、三つは気付いてない。
 三者には既に目の前に、恐怖が存在していたといえる。
 ササキビ・クミノと銀城の前には、青の子という恐怖。青の子にはその二名、恐怖、
 だけど彼らにとっての恐怖は、お化け屋敷で出会うような、そういう、視覚的な物ではない。怖いのは、彼らが何よりも恐れるのは、出来ない、事だ。
 ササキビ・クミノは、青の子にアフロを被せる事を、
 銀城龍真は、被せた後に青の子の行く末を決める事を、
 青の子は、この二人を殺してから人類を殺す事を、
 ……出来なくなる、事。
 戯言かもしれないけれど、人は、もっと恐れなければならない。恐怖を抱かなければならない、忘れてはならないのだ。
 死ぬという事。そう、それ自体も恐怖だろう、だけど同時に問題なのは死ぬまでに、したい事が出来ない事、少なくとも、試みずに終わってしまう事は、
 したいと思った事が出来なくなってしまう事、想像して、そして、
「右手を突き出せ」
 笑って怖がらなければ、
「上へ飛んでください」
 きっと、楽しくない。
「「今」」
 それが戯言だとしても、
 だとしても、
(萌そっくりの青の子に、二人の戦いは休みも無く、龍真は時の流れを左右するが、異界の核霊には流れを打ち消すくらいは在り、ほんの少ししか青の子は遅くならず、けれどそのほんの少しで、戦場のやりとりは拮抗し、オフェンスはササキビ・クミノ、テレビの形をしたミサイル、出目次第で放たれるガスが違うサイコロ、時々龍真も、ステルス迷彩で隠れた青の子に襲われるが、無意識という自動操縦の防御壁と、見受けられない武術を用いギリギリのタイミングでいなして行き、)
 そして、
 お互い、声で指示をして、
 見出した瞬間に、声を重ねた。
 青の子の隙、

 笑いながら、二人は、
 龍真は時計で加速した蹴りを、クミノは強く強い障壁を。

 津波のような音をたてながら、青の子が、地面に叩きつけられた。割れた草原、クレーター、仰向けの、青く発光する子供、
 弾みながら笑っている。
 一分の隙も無い追い討ちが、二つ向かってくる。


◇◆◇


 既に心が壊され、操られている者。壊れるよりも先に、限りなく薄くなった心の者。興信所で向かい合って、ソファに座っている。
 コーヒーは、誰が入れたの?
 ……砂糖とミルクを使ってる、それは、かつての主は好まない。かっこ悪いから。
 粛々と空気はたゆたう。音符のように羅列する。
 キャベツの芯がゴミ箱に捨てられている事は、今両者、頭の中に無い。ならば有るのは目前の事、桜が前にあるのなら、桜を思うのが心だから、シュライン・エマが其処に居るなら、少女は姉のような者を思い、草間零が其処に居るなら、彼女は妹のような者を思い、
 けれど、
 目の前に無い者を、二つは、同時に思う。
 もう死んだのに、

 彼の名前は、誰が呟いたの?
 家族といふ形態は。

「零ちゃん」
 彼女の声は、人とは違う力が在る。
「大丈夫?」
 けれど今の声は、人以内の声。伝達手段として、人が車より先に生み出した物。心という物に型を、いろはにほへとちりぬるを、日本語、
 気遣われた相手が返すのは、刃でなく、矢張り声なのだ。「大丈夫じゃ有りません」
 そうなんだろう。
 偽らざる、本音。
 さもなければ、彼女の心は壊れてなかった。藤堂矜持に使われなかった。兄を失った事、弔った事、それが、悲しくないはずも無く。ならば、
 だったら、
「奪わないでください」
 零は、言った。
「シュラインさんの虚無に、捨てないでください」
 ……精神の、苦しみ、「これを捨てたら、私は、本当に」
 本当に。
「壊れてしまうかもしれない」
 草間零は、生きている。
 シュラインは、言われた通り、しようと思っていた。
 からっぽの中での思考、自分のからっぽにぽーいと、零を苦しめる要因を放り込む。けど、彼女はそれを願わない。
 ならばもう、シュラインに残された物は無い。真っ白なキャンパスに、描かれる物は、もう、
 少しだけ。
「武彦さんが、居なくなって」
 少しだけ、
「……寂しかったのか、悲しかったのか、……解らないけど」
 少しだけ、有る、
「零ちゃん」
 大切な事、とても、
「貴方が居てくれたから」
 忘れられない、
「私は、ね」
 彼女が居たから、もっていた、
 シュライン・エマ。

「ありがとう」と言った。
「こちらこそ」と返された。

 ……虚無へと進んでいく彼女だけど、何処かで願う、その食い止め。きっと理由はこの程度で、
 嗚呼でも、人って、とても小さな事で。
 零は願う。
「シュラインさん」


◇◆◇

 ドラゴンなら首を斬ろう、神なら堕ちてでも反逆しよう、けど、
 父ならば、どうか。ガラスを割る事で木に吊るすような父。
 無理だ、無理だ、人類の共通な敵ではない、自らの恐怖に立ち向かえる者なんて居ない。
 居るとすればそれは、どうしようもない愚か者だ。
 誰も、私に近づけない。
 誰一人とて。
 ……、
 そのはずだから、はい、
「貴方は、愚か者なんでしょうねぇ」
 轟音をたてながら、鈍く輝く機械に繋がれた彼、座り込んで、
 やつれて。
 痩せこけ、て。
 右手の指が、もう動かない。
 負荷に耐えられない、彼、
 その隣、愚かと呼ばれた、スノーとヘンゲル。
 少女は、整然と言う。
「きっとそれは、貴方の事です」
 まだ笑む事は出来て、矜持は笑った。

◇◆◇


 その感触で、彼女は悲鳴を止めた。
 、
 ……生きている事を確かめたいなら、大きく息を吸い、そして吐けばいい。呼吸という、普段は忘れている物を、生きてる、という状態を、良く浮き彫りにするから。
 所詮は、幻であった。
 ……水上操が、何をしたか? 結論から言えば、倒した。ただの人間が、ただの人間じゃなかった頃の知識を使いう、したのは、
 飛び込み、屈む。
 恐怖のモデルとなった盲目は憎悪に駆られている、目的は、自身の抹殺である。刀は当然自分へと誘われるのなら、
 遮二無二に飛び込めば、刀を私へ向け、
 そこから落ちるようにしゃがめば、刀はそれへと吸い込まれる。
 以上、
 たったそれだけの事、恐怖を乗り越える方法、恐怖に殺される前に、恐怖へと飛び込む愚かな行い、けれど無意識はそう選択して、もう、彼女の前に幻は無い。
 怖かった。
 今でも、身体が震えている。
 体中が熱を持ってる癖に、頭の中だけがさーっと涼しい。自分のしでかした事の重量が、どうやら過ぎた風に。死線。何度も、何度も居た場所なのに、慣れていない。ただの人だという事。立ち上がるのも侭ならない、
(けれど、)
 だけど、
(ぐずぐずしている暇は、無い)
 そう、
(そうよね)

 両の掌、握り締める。感触がする、
 罅割れた二つの角の感触。
 ……心が、割れてしまう前に、我を取り戻す切欠になった感触。

 心なんてもう無い物なのに、また私を助けてもらって、嗚呼、
(どれだけ、頼るのだろう。今も、そして、これから)
 水上操は、立ち上がる。
(貴方達に)
 ……手を開いて、角を見た。彼らの最後の言葉が甦る。それで身体はようやく落ち着いて、彼女はまた、歩き出す。青い空と、草原を。
 彷徨っている内に、出会った景色。
 誰かが居る事。
 ……随分と遠くの人々だったけど、その距離を埋めるまで、景色は変わらなかった。彼等が動かなかったからである。
 一人は、知らなかった。二人は、知っていた。
 知らなかった人は立っていて、……単純に、悪い人では無さそうだったから、聞いた。聞く、彼に、
「何が、あったんですか?」
「終わりました」
 そう答えるのは、
「いえ、これから始まるのかもしれませんが」
 銀城龍真で。そして、水上操が知っている二人、龍真の視線の先、
 ササキビ・クミノ、そして、きっとあれが青の子――
 草原のクレーターで、二人、敷かれるように寝転び並んで、空を見上げていた。漂う白い雲を目で追い、視界に収まらない広さを受け入れ、
「青の子、もういいだろう?」
 ササキビ・クミノ、
「アフロを被っても」
 破った、青の子を向かない侭、
「……何時まで喋らないつもりだ? 私の姿の時には、舌を捨てる必要があった。だけど、茂枝萌の姿を真似するならば、別に、捨てる必要は無い。舌は取り戻してるだろ」
「……」
「もともとお前は、無口な霧絵の代弁者として、語る事を負わされたのだから、喋る事は」
「青ゾラ」
 響いた声は、吸い込まれていく。上へ、
「ズット、青イ姿ヲ隠ス為紛レ込ンデイタカラ、」
 あの、青さへ、
「コウヤッテ、眺メタ事ナカッタカラ」
「言葉を失ったか」
 クミノの笑みの前に、青の子は、語らない。
 だけど同じ様に笑って、
 姿もゆっくりと、宇宙人のような、元の姿に変え。
 やがて、どちらともなく身を起こし座り、クミノはアフロを取り出す。そうしている内、龍真も座す青の子の隣に。
 龍真の思考。危険ならば、闘って、消滅を。不安定ならば、能力の一つ、その力だけを奪い、懐中時計にしてから時の狭間に捨てる。望むならば、生まれた頃まで時を戻す、そう思ったけど、……冷静に考えれば彼は生まれた瞬間にこうだった。霧絵の願いを殺し合いをさせる異界を、作る為の存在。そして、力を無くしても、魂が残るなら、
 その意思は再び、ただの人の力でも、
 ただの人でも、また、
「殺し合いを、望むの? 貴方は」
 少し、離れた距離から、操は問うた。
 ……願いの傀儡。何かの為に殺す、という邪悪な意思ではない、殺したいから殺す、童のように純粋な、……ある意味で最も恐ろしい意思。
 認めてはいけない意思、なら、
 なら、
「その時は、その時よ」
 操、
「誰かが、止めればいい。殺すのは駄目って、理想倫を押し付けてでも。……少なくとも、貴方に対しては」
「……迷惑ナ話ダネ」
「だが、そうするのは自由だ、というより人の勝手だな。他人の自由に、自分の自由をぶつける。人と人の付き合いはそういう物だ青の子」
「……そうだ、だから、俺は望む」
 銀城龍真は、青の子の頭に手を置き。
 座る相手に対し、屈む。……そして、父のようにみつめ。
「少しでも、いい方へ、お前が向かうように」
「具体的ジャナイネ」
「他人の幸せを、具体的に決めるなんて、傲慢でしかない」
「……幸セニナレッテ、無責任ニ言ウヨリモカイ」

 己の為に誰かに願うなら、解らない、けど、
「願いは、本当はそういう物じゃないのか、青の子」
 誰かの為に願うという事は、命令じゃない。

「ハハ、アハハ」……龍真の手には、懐中時計。目の前にあるのは、力を無くした、ただの意思。青く光る魂の形。「感謝ハシナイヨ、僕ハ負ケタ、ダカラ君達ニ、好キニサレテルダケ。強イ者ガ、弱者ヲ救ッタリ、殺シタリ出来ル」龍真と入れ替わり、アフロを持ったクミノ、
「……僕ノ中ニ眠ルコイツラガ目覚メテ、何処カデ甦ッテ、僕ハ、僕ダケニナルダロウ」
 クミノは、笑って、アフロを、
「ソノ時、僕ハ」
 被せた。

「自由に、なれるかな」
 青い光が失せていく。


◇◆◇


 萌の手には、剣が握られていた。
 赤い、赤く血に塗れた剣。
 手にそれを取った刹那、茂枝萌は迅速に。身体の震えを断ち、横から迫る者の背後を瞬時で取り切り伏せて、ステルス迷彩を用いる事も無く、人の死角に悉く忍び、消えてしまい、そこから襲撃する、姿を見せぬ暗殺者、
 みどりのように、消えて、
 未だ、彼女の姿は認められない。
 二人には何度もあった事、萌の消失。それは雪原で、蝗の死骸の上で、異界が地獄化する直前で、
 みどりは消えた侭だ、
 けれど、萌は刃を振るい続ける、
 突如目の前に現れたその刃を、血でしたらせて、
 血で、
 血、
 、
 気付かない為に、無我夢中なのか、だけど、知ってしまった事を忘れる振りは出来ても、忘れる事は、
 本当に全て忘れてしまっても、その事実は消え失せない、そう、消えない事、
 みどりの姿が消えても――

 血に塗れた剣は、
 血で、出来ていた、
 凍っていた。
 みどりが、自分の血を凍らせて、作った剣。

(友達だよ)
 最後の一人を、退ける、
(ねぇ、萌ちゃん)
 暗い、洞窟の中、
(これから私達)
 振り返るのが怖い、
(ずっと)
 見えなかったらいいのに、
(そう、ずっと)
 彼女の姿なんか、
(ずっと)
 みどりなんか、見えない方が、
(ずっと、一緒だよ)
 見えるのが怖い、

 振り返れば、お腹に大きな傷を負った、
 その傷から剣を作り、自分に握らせた、彼女、
 みどりは笑って、もう動かない。

 ……約束を、破ったのだろうか。彼女は。
 ずっと一緒に、そう言っていたのに。
 一緒に、旅をしようと。他の友達と一緒に。何でも出来るって。
 みどりは、死んだ。きっと、私をかばって。
 ねぇ、みどり、
 みどり、
「ずっと――」

 血で作られた剣を置いて、
「友達よ」
 約束を、亡骸にした。
 抱きしめながら亡骸にした。

 綾峰みどりという少女が居た。


◇◆◇


 生きようと思った、生き抜こうと思った。
「一生懸命だったと思います」
 その為に、組織に属した。
「馬鹿の一念何とやらだわ」
 企んだ。
「そうね、智子さんを含めて、たくさん仲間を集めようとしていた」
 入念に準備をし、決行した。
「それは世界を救う為に」
 遂にはIO2の長となった。
「世界の敵を、倒す為って、あの愚者は」
 全てが彼の思い通りだった。
「頑張っていたんでしょうね」
 思い通りにならない者は、心を壊し、
「でもそれは、何の為だったんでしょう」
 思い通りになるようにして。
「馬鹿の馬鹿さは、解らないわ」
 全ては、
「……あの人は」
 全て、は、
「何の為」
 誰も、解らなかった。三人とも、横でうずくまるように聞いている、四菱桜も。
 桂も、智子も、
 久遠も。

 月の大地。
 彼の能力の及ばない、地球を眺められる場所。
 あらかじめ作り、智子に完成させた、透明なエアドーム。

 真空の静寂で、星が唄ってる、その只中。
「……馬鹿の、馬鹿さ加減が、解らない私が」
 智子、「一番の馬鹿かしらね、白神久遠」操られていない、
 桂も含めて。
「自分の能力で、全人類の心を壊し、全ての人間を操り人形にする。そして、世界を自分の物にする、だから、」
 だから、
「だからその間、来る者達をここに避難させなさいって、あの人は言いました」
「何の為」
 桂の言葉、それに続く、智子の何度目もの疑問。そう、
「敵を倒す為、世界を、平和にする為」
「解っているでしょう、白神久遠、あの男はそこまで馬鹿じゃないって」
 そう、そうだ。そのはずだ。人間全てが操られる世界なんて、平和じゃない。「普通に考えたら、世界征服という、単純な野望です。だけど、それだと智子さん」
「ええ」
 何故彼は、こんな真似を、
 助けるような真似をしているのか。
 戻って、問いただせるのなら、けど、「ごめんなさい、意思は戻ってるつもりなんですけど、僕はまだ、操られているから」催眠術、無意識に仕込まれた命令。右手をあげるな、のように、暫く、地球に返すな、みたいに。
 何故、
 解らない、
 人の心は、理解できないのか、
 誰も、誰も、
 誰も。
「……智子ちゃんを、仲間にしようとした」
 桜、
 ……不意に、
「あの男は、」
 変わった口調で、尊大な、口調で、
 せつなそうに、
「色々な人を、仲間にしようとしていた、な」
 そう。
 スノーとヘンゲルを、かつての敵対組織の者を、鍵屋智子を、月刊アトラス編集部を、草間興信所の草間零を、
 あらゆる人員を、全てを、
 ……、
 何の為――
 久遠が、ハっと気付き、
 二秒してから、地球へと顔を向け、
「そんな」
 声が、震えている、
「そんな、貴方は」
 藤堂矜持は何の為に。
「貴方は」


◇◆◇


「……はい、……そうです、ねぇ」
 悪は滅びる、きっと、そう。
「恐怖に、耐えられる人間なんて居ない。……信念の無い、他者を、はい、踏みにじるだけの連中は、利用も出来ない奴ら、は」
 弱い悪だってある。
「……どれだけ、滅びるか、解りませんが、はい、……きっとね、世界が、少しは平和になるくらいは」
 そう、
「私も、含めて」
 乾いた声だった。喉すら、痩せていた。
 凛々しい姿の面影は、もう瞳くらい。後の、あらゆる彼の身肉は廃れている。指先一つも動かせない、自分の足なのに、重い。立ち上がる気になれない、
 頭だけはまだ、かろうじて。だけど、老いたようだ。
 眼鏡が落ちた。
 元々目が悪かったのか、いや、今こそ、視力は落ちたのか。目の前が水中のように滲んでいる。
「……私に歯向かう、奴ら」
 草間零も、
 鍵屋智子も、
 碇麗香も、
「協力しなかった、……世界を、救う為に」
 人の意見を否定して、自らは何も提案しない。
「……なんでだった、んでしょう、ねぇ」
 なんで、
「彼女も、はい、茂枝君も、逃げたのか……」
 そう呟いた、けど、
 本当は、解っていたのだろう。そう、
 恐怖に立向かえる物など居ない。
 IO2の力は、何よりも自分の力は、恐れを生み、人と自分を遠ざける。宿命、
 ならば、間違っていたか、
 間違っていたか、
「私の……願いは……」
 、

「寂しいんですか」
 頬は叩かれた。

 ……弱い、平手。気遣うような、力。何も殺せない、そんな動作。
 スノーが屈みこみ、枯れた矜持の顔を覗き込みながら、……また叩いた。
「……茂枝萌を、長にしたのも」
 ヘンゲルは、壁に立てかけられている。だから今のスノーに、力は無い。
 けれどこうやって、叩き続けるには充分だった。右手で、左手で、何度も頬を、
「仲間を、集めたのも」
 一つ何かを言う度に、
「全部」
 一つ、頬をはたく、少女、
「……全部」
 そう、
「馬鹿」
 悲しそうにしながら。

「友達が欲しかったからですか?」
 ……くつりと、矜持は笑う。また、スノーは、叩いた。
 もう彼女は、泣いてしまっている。

 茂枝萌も、友達では無かった。
 全ては、私の友達になる。
 言葉の意味。
「……友達が、欲しいなら、話をもっとしてください」
 叩く、叩く、
「仕事の話だけじゃなくて、自分の事や、些細な事や……」
 叩く、
「遊んだり、一緒に、笑ったり、何かしたり」
 肩を掴む、
「ねぇ、答えてください、どうして」
 泣いて、
「どうして、友達になってくださいって、素直に」
 薄くなった胸に、頭をあてて、
 無口で、冷静で、感情を現す事など有り得ない――
「素直に言わなかったんですか!」
 大きな声。
 ……怒りであり、
 悲しみであり、何よりも、スノーは、
 情けなかった。
 傍らに居たのに、そんな単純な感情に、気付けなかった。自分が情けなかった。
「……言わ……ないと、誰にも、解らない」
 レイニーという少女と、二週間過ごした事。今はもう居ない友達。首を差し出した、少女の顔が何故か浮かんで、その笑顔に、胸が何かに急かされて、
 もう、力を吸い取られて、死に絶えようとしている彼へ、終りという名前の彼へ、
「命令、して下さい。……貴方の、部下です私は」
 そう、
「友達になってくれ、って、命令」
 そう、
「命令」
 そう、
 言った。

「それは、……はい、友達じゃ、ありません」
 解っていたのか、今、解ったのか。

「めいれ、……命令は、はい、下してます」
「……不器用だったんですか? それとも、遠まわしにする必要が、あったんですか? 照れくさかったんですか?」
「心が破壊された者は、軽度なら、ともかく、はい、……大抵は壊れた侭戻らない。……それは私が、死んでも」
「気付けなかった、私が、馬鹿みたいで」
「命令は、……下しています。ポイントに、……いえ、草間興信所に、向かうように。……草間零を」
「……貴方は、最低です。最低の、人です」
「……シュライン・エマの、虚無の力を、借りれば、はい、……人の心も、世界も、それなりに」
「死なないでください」
 ……私は、私はただ、
 友達が欲しかっただけ――

「……それだけ、だったんですよ、スノー」
 彼の願いは。

 彼の死と同時に、機械も静かに停止した。まるで躯に沿うかのように。涙は流れるが、部屋に、泣き声は注がれず、少女は、ただみつめている。黙していたヘンゲルの眼にも、映った。
 笑みは無い、けど安らかで、子供のように無垢で。


◇◆◇


 異界、否、世界の命運が決まろうとしているのは、かつて多くの始まりだった場所。思えばこの場所に誰かが駆け込み、また黒い電話が鳴り、怪奇の類に主は頭を抱えながら、来訪者達に声を飛ばす。どれだけの人と、繋がったのだろうか。傍らに居たけれど、把握できないくらい。
 草間興信所、という場所。
 その場所で、シュライン・エマは、虚無へと向かっている。無と成り果てる、失われていく。もうすっかり、色々な場所へ零してしまった、自分という物。でも、そう、だからこそ、
 心の奥底で願っていた事は、そっと、自分の名前を呼んだ少女へ放たれた。
「虚無への扉を、閉じたい」
 詩的な言葉を、
「もう少し、私で居たい」
 そう、言い直して、微笑みながら。
「……義兄さんも、きっと、そう望んでいます」
 草間零に藤堂矜持が課した、後始末。
「依頼、します。それが終わったら」
 零は、手を重ねた。
「一緒に」
 ……草間零のお願いを、巫女のように、霧絵のように、自身の中に広がる、虚無へと祈り始めた。何も無い事にお願いをする、だけど、ドーナツの穴のように存在していてるそれが、
 壊れてしまった、全ての心を。


◇◆◇

 青の子の新生と、
 藤堂矜持の死と、
 虚無への願いは、
 時計の歯車みたく、同時だった。
 全ての終りと、全ての始まりは。

◇◆◇


 東京に広がる青い空が、灰色の雲に侵かっていく。
 あれ程、強く、綺麗に広がっていた草原も、破壊された瓦礫へと戻っていく。それはあるべき姿、殺しあった者達に残された、あるべき世界。そうだ、

 今空を飛ぶ鳥は、世界を祝う為に鳴く訳じゃない、
 風は常に優しくなんかない、人を痛めつける事もあろう、
 小さな命とて、大きな命に潰されるだろう、食われるだろう、
 死体は無残で、腐って、
 殺しあわなくてもいいのに、殺しあって、
 裸で凍える人が居る、
 奪った服で笑う人が居る、
 夢は必ずしも叶う訳じゃない、
 空はけして夜明けを約束した訳じゃない、
 止まない雨だってきっと在り、
 戻らない人が居て、
 でも、それでも、
 それでも。

 仕方ないからと、誰かが言った。
 折角だからと、誰かが言った。
 それは過去、昔の人の言葉。今の少女には、届かない言葉。
 夢が無くてもと、誰かが言った。
 息をしてしまうからと、誰かが言った。
 けれど少女には解っている、今、自分が、せざるを得ない事、この世界でも。
 死にたくないからと、誰かが言った。
 生きてるからと、誰かが言った。
 東京の空気は汚れて、空は輝いていなくて、何一つ、彼女を慰めはしない、でも、
 壕から出た、少女は、躯を、抱えながら、
 誰かじゃなく、自分で、
 言った。
「みどりが居なくても、生きていくよ」
 ……何処からか、優しい歌声が聞こえてくる、
 友達の。


◇◆◇


 月から戻りし久遠達は、すっかり壊れてしまった機械と、それに繋がる、ボロボロの藤堂矜持、……その前に、ずっと、座っているスノー、
 そして、
 高峰沙耶。
 黒猫を抱きかかえる、黒いドレスの彼女は、スノーの背後に佇んでいる。眼は見えぬはずなのに、まるで、眺めているかのよう。スノーの背と、その奥にある、男の死体。
 久遠、
 許されない事をした者を、思う。私利の為に、どれだけの人を操ったか、そしてどれだけ消してきたか、冷徹に、許せない、
 そして、
 許したい。
 ……怒りがあって、けど、哀れみもあって、
 長い間生きている、普通の人よりも、色々な事を経てきた。だから、この気持ちは初めてじゃないかもしれない。許せない、許したい。合判する二つの感情、けど、
 彼が生きている間に、見極める事が出来たならば、変わったのだろうか?
 友達に、なれたのだろうか。
「……高峰、沙耶さん」
 スノー、振り返らずに、
「お願いが……あります」
 彼をみつめた侭、
「この人を、記録してあげてください……馬鹿な人、だったって……」
 そう。
 ……スノーへ、高峰沙耶は、そっと、微笑み、
「興味深かったわ、彼の物語は。けど、」
「……けど?」
「記録は、私だけの権利じゃないわ」
「……」
「解るでしょう」
 静かに、そう、とても静かに、
 スノーの記憶に、もう一人、失ってしまった者が刻まれて。
 許したいと、久遠は願っていた。


◇◆◇


 そして、


◇◆◇

 自分に絶望するのなんて、とても大変な事だ。
 死にたい、そう思う事が最早望みなのだから。
 死ぬ迄人は絶望出来ない、死ぬ迄意思は捨てられない。
 才能が無くても、無駄な努力をし、劣っていても、憧れたりして、金が無いなら、欲しがるか欲しがらないか、もし命がそうやって、何かを望む事を定められているというなら、
 せめて、笑いたいと願うくらいで。
 もう二度と笑えなくなるようなくらい、大切な何かを奪われる事もある。人生を滅茶苦茶にされて、だけど、その相手は笑っていて、
 自分の為に、否、何かの為に、人を悲しませる事なんて、厭わなくて。他人が悲しむ姿を、笑う人も居て、いや、
 笑う事も、悲しむ事も、出来なくなった姿を見て、笑う人も居て。
 だのに、いえ、だけど、
 死ぬ迄望むように、命は出来ているのだ。ならば、笑いたいと、
 何かしようと、願うしかなくて。
 例え世界に絶望しても。
 それは諦めにも良く似た、開き直りとも受け入れる、確かな、
 生きているという事。

◇◆◇


 時が過ぎた。


◇◆◇

 総てと、思っていた失っていた物。
 それでも私は、今もここに在り続けている。
 それはただ、
 それが総てでは無かっただけという事なんだろう。

◇◆◇


 煙草の煙は何かに焦がれて、空へと昇るのだろうか。それともただ、促しているのだろうか。
 空を見ろと。
 一つの人が、それに習っている。魚の煌きを追うように、己で燻らせるその紫煙を。拡散していく一本の糸。
 顔が上に行く頃には、煙は空気に限りなく薄く混じってしまって、人がみつめるのは太陽、白く眩しい光。目が少し痛む、細める、それでなんとか見れて。
 煙草、手元の、携帯灰皿に押しつぶした。
 東京の復興は、完全では無い。
 中心部から再建されて行ってるが、端々は元から見放されているみたい。瓦礫がその侭墓標の代わりとなるのは珍しくなく。そして、こういう場所だから、肉を失った霊は徘徊して、やがて怪異となって、人は、
 その霊、己に入れた。
 正確には、通り過ぎさせた。
 その一瞬の間だけ、人の風貌は変わったようだった。その霊を写すように。一瞬、
 事足りる、「零ちゃん」
 煙草を吸う人、
 煙草を吸う、シュライン・エマ、
 何もかも空っぽなおかげで、思念や霊の入れ物になる事が出来る彼女は、煙草を吸いながら、……あの人のコートを羽織っている。右のポケットには、あの人の好きだった煙草、左のポケットには、あの人の使っていた銃、
 落ち葉拾いの作業、する為。「あっちみたい」
 東京、いいえ、世界中に零してしまった、自分の心。それを丸ごと全部戻す為に、零と放浪を始めてから暫く経っていた。特別何かを倒す訳じゃなく、何かを解決する訳でもない、とても、とても地味な作業。土地土地の思いを通り過ぎたりさせながら。未だ、拾えたのは微々。だけど、少しずつ、少しずつ。
 それはきっと、確かに、幸せな事なんだろうと、歩みはとても遅い、
 けれど、一つずつ、確かめる事が出来るなら、
「はい」
 こんな風に少女は、明るく、返事が出来る。シュライン・エマの放浪、
 あの人の姿をした。


◇◆◇

 苦い苦い記憶。
 世界がズレてしまった日から、今も、続く。

◇◆◇


 茂枝萌の新しい友達は、みどりの、かつての友達。妹のような存在。
 彼女は今、別の場所で待っているから、萌は一人きりだった。
 お墓。
 もう既に無くなってしまった人を、在る様に、……忘れないように造られる物。本当は意味がない、けれど人が昔から、ずっとしてきた事。
 それに、何よりも、友達だから。
 例え彼女が死んでも、萌は生きているから。そう、それだけの事。
 NINJAじゃない、普通のいでたちをした少女は、立ち上がり、また来るからと言って去ろうと、
 ……踵を返せば、綺麗な女性が一人。知っている人だ、確か、
「萌さん」
 名前を言う前に、名前を呼ばれた。白神久遠に。対面は無く、ただ、IO2という過去の職務により、知識としてあるだけ。彼女、
 敵では無いし、
 味方、でも無い。
 本当は他人、通り過ぎあうだけ、振り向く必要も無い。袖が触れ合っても、謝るだけ。それが二人の本来の繋がり。だけど、
 みどりを、知っている。
 共通の話題は、そして、共通の経験は、人を人達にする物だ、でも、それでも、なかなかに萌は、何をどうしていいか解らなくて、結局、
 何かをどうするのは、白神久遠。口で声を出したのは、
「ありがとう」
 そう、囁きかけたのは。
 そして、笑ったのは。
 ……萌は、笑い、少し悲しそうに笑い、そうしてから無言で歩み去った。
 入れ替わるように、みどりの墓を前にする久遠。携えた花を置いてから、屈んで、「いい友達ね、みどりさん」ただの石に、その下に眠る彼女の欠片に、
「きっと大丈夫よ、彼女には、友達が居るもの。……貴方の知り合いだけじゃなくて、貴方も、ずっと友達なんだから」
 甦る事は無い、
「……頑張ったわね、みどりさん。本当に、貴方は」
 貴方は、

「強くなったわ」

 色々な人を、色々な物を、失ったけど、
 久遠は微笑んでいる。
 吹く風は夢のように、空は、何時もどおりに。


◇◆◇

 碧い碧い草原での別れ。
 あの日に、総てを失った。けれど、そう、
 それは総てじゃなかった。その事実は残酷で、
 けれど同時、失った物みたいに、
 優しくて。

◇◆◇


 街では今も、街を守る為に、家族を守る為に、気に食わない居候と共に、守ろうとしている者も居るのだろう。
 そんな街を見下ろせるような、小高い丘の上に、二人の墓。父と、母の墓。亡骸なんてもうとうに無いのだけど、それでも、
 墓標の代わりに、白銀の剣を立てる。
 ……そうそう誰にも見つからない場所だけど、念の為、誰にも抜けないように固定しておいた。ああでも少しだけ、本当に何かを守らなければいけない者には抜けるようには、
 まるで子供の物語みたいな設定に、少し、自身戸惑ったが、父は、最期に守ったのだから、きっと、守る事に手を貸すのだろう。それは物語の約束というより、人が人とする約束、
 目を閉じる。
 何も見えなくなるけど、それで逆に色々思える。父と母、会う事も適わなかった存在を、
 思い出なんて、一つも無い。
 テーブルを囲む事すら、遊園地に行く事すら、そんな記憶なんて、なら何を思うのか。瞼の暗闇に浮かべるのは、心の中で響かせるのは、
 瞳を閉じる、龍真。
 誰も解らない、……誰も、侵せない領域。触れられない事、どれだけの間、そうして居ただろう、
 そして瞳を開く――
 彼は振り返り、手を振るった。
 目の前の空間に亀裂が出来る。
 繋がっている、
「また、異界を産むのね」
 声がする、
「この異界の、三年前の異界を」

 高峰沙耶。

 ……黒いドレスの美女は、何時の間にかそこに。いいや、もしかしたら今この時に、ふと現れたのかもしれない。
 黒猫のゼーエン、その瞳が、振り返ろうとしない龍真の横顔をみつめて。
「止めないわ、それは、貴方の自由だから」
「……」
「過酷な運命に、きっとなるでしょうね」
 殺しあう異界の始まりへ、
 誰も、殺しあう事の無い、ただの世界へ戻す為。時を渡る者、
「……父さんと、母さんは」
 龍真、
「……いえ、何も」
 これからの行いは、意味が無い事か、
 今更、そんな歴史を一つ生んでも、
 それで何かが、
 何か、
「守りに、行きます」
 父の意思は息子に、時が乱れても、確かに継がれた。
 固い決意と共に、彼は新たな歴史へと向かう、その姿を黒い猫は静かに見ていた。


◇◆◇

 白王社、月刊アトラス編集部。
 取材を、……大きな鎌を携える彼女と話をした後、私はそこへ向かっている。
 定期的に原稿を納めているのだ。私は、
 水上操は。

◇◆◇


 それは世界じゃない、異界のササキビ・クミノの行動。
 世界からも、異界からも、法則からも、全てからの解放が適った16歳の彼女。だからと言って、何かが変わった訳じゃない。拘束された印象は、基本、少ないから。ただそれでも、そう、平和にはなったのだろう。薄く、ましにはなったはずだ。
 けれど仕事は舞い込んでいる。
 相変わらず、登校はしていない。
 普通の女子高生、らしい事は、塗れようとも塗れられない。拘束、……彼女が半径20m以内に展開する障壁は、一般人なら一日経てば、その段階で即死する。恋も、望みにくい。捨てようとしてもこの強さは、筋力みたいに失われていかない。
 ある意味、生まれて、自由な生き物なんて居るだろうか。でもそれは所詮、心の持ちようか。そうだ、昔よりは、自由な気がする。気がする、その程度の把握で、充分かもしれない。
 そう思えるくらいには、進化した世界。
 彼女の中で起こった、取り沙汰にする事も無き革命。そう、少しは自由な、そんなつもりだから、だから、
 彼女は待っていた。
「……ササキビ・クミノさん?」
 この場所だけは、青の子の魂が何処かへと旅立った、ここだけは、あの日の侭だった。
 空は晴れて、草原は広がった侭。
 異界の過去と一切繋がってない、人の未来だけしか無い、そんな場所。そこで、異界の彼女は待っていた、零、
 その隣に居る、シュライン・エマ。したい事は、
 すべき事は、
 ……、
「どうしたんですか?」
 訝しげな零に対し、異界の彼女は何も答えない。目的は、胸に蓋をして閉じた侭。虚無へと向かうシュライン・エマ、その消失の阻止。そのつもりだった、けど、
 草間と同じ姿をして、こうやって、放浪しているのは――
 ……取り戻そうとしているのだろう。
「ササキビ、……さん?」
 だから、この程度で済ませておいた。不思議そうにするシュラインの前に行き、そう、
 少し残ったアフロで造った、口ひげ。
 くだらなさを、付けようとした。
 消えそうな人格に、無理矢理個性を付けるという、荒療治。だけど、……そうする理由も無くなって、単に、手に持った口ひげを相手の顔に重ねて、仮想的に生やすだけ。嗚呼、
 ポケットに仕舞い込む。
 もう、この場所に居る理由も無い。最後に笑いかけて、
 シュラインの笑みを、受け取り、ああそうだ、そうだった、ずっと思っていた、私にとって貴方は、
 草間の一部だった人だ――彼女の今の姿。
 ……さて、立ち去り始める、言葉を結局、一つも交わさずに。その背中に、「あ、あの、ササキビさん!」零、
「興信所の方、何時か、再開しますから! その時は」
 明るい声、
「よろしく、お願いするわ」
 零と、シュラインの。
 人と人の連なりは、けして、拘束では無く、きっとそれは、自由に近く、
 そんな気がして、ササキビ・クミノは振り返らずに、右手をあげて言葉に応じた。


◇◆◇

 ずっと、ずっと自分を探していた後輩に、迎えられて、
 私は今、生きている。
 それこそが、総てなのだろうか。
 それだけが、

◇◆◇


 それだけが、
 、
 確かな事かもしれない。他はなべて余計で、自由というか、好きに決めていいというか、解らないけど、
 原稿を納めている。
 ……今はもう遠くへと行った知人達の、物語。記録ではない、創作。殺しあう事を選んだ人、それに巻き込まれた人達のストーリー。法則が終わってからの月刊アトラス、かつてまでの事実を伝える雑誌という立場は、薄まり、無くなり、三年前と同じ、怪奇現象を伝えるオカルト雑誌へ。それは異界の変化に沿って、何かしらの力が働いたのかは解らないけど。ともかくそれが幸いしてる、ただの物語としてしか、効力を持たない。
 私の綴る記憶は、それで良いのだ。絵空事、夢物語、知る人だけが真実を知ればいい、御伽の国の悲しい話。
 きっとそれは、忘れない為なのだろう。
「悪いけど急いでるから、すぐに校正してくれる?」
 編集長の碇女史の言葉を聞き、私は一度プリントアウトされた原稿を、赤い字でチェックされているそれを受け取って、空いている席に腰掛けた。特派員として雇われている、私の後輩の席だ。
 あまり使ってないらしいPCに、USBメモリを接続してデーターを開く。デジタルな文章を、アナログの文章を参考に修正していく。
 誰にも平等に、コーヒーは机に置かれた。
 けれど私はそれに手をつける事無く、ただひたすら字を目で追い、キーボードを叩く。物語を、字として語る事、
 それはきっと、これ以上私が失くさない為の行為。私自身が失われて残った、
 彼らの、生きた記憶を失わない為に。
 ――姐さん
 ……あの場所の、あの日の言葉を、物語にするのは何時の事なんだろう。来て欲しくもあって、来て欲しくもなくて、
 もうすでに終わっている彼らが、もう一度終わる事。追体験。
 でも、書かなければ、
 最後まで。
 そしてコーヒーは冷めていた、修正が終わる頃にはとうに。まるであの日と同じような、ただ、苦いだけのコーヒー。
 今日も、私は飲み干して。
「……苦いわ」
 今日も、そう言うのだ。
 両腕にアクセサリとして身に付けた、罅割れた二本の角に。


◇◆◇

「ちょっと待ってね、零ちゃん」

 革命は、「あの子はさ、あの時、私を」回帰は、

「また来ますね、みどりさん」

 進化は、「この時代を」

 「私だ、……解ったすぐ向かう」、「寂しい人……」

 自由は。

「前鬼、後鬼」

◇◆◇


 殺しあう異界が物語として完結し、本としてまとめられ、
 人の目に触れるのは、先の話。





◇◆ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◆◇
 0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 1166/ササキビ・クミノ/女/13/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。
 3057/彩峰・みどり/女/17歳/女優兼女子高生
 3290/藤堂・矜持/男性/19歳/特殊隊員兼探偵補佐
 3461/水上・操/女性/18歳/神社の巫女さん兼退魔師
 3634/白神・久遠/48歳/女性/白神家現当主
 4032/銀城・龍真/男/5歳/時間移動者

◇◆ ライター通信 ◆◇
 長い間、有難うございました。そして、
 長い間、お待たせしましいてていててすいませんすいませんごめんなさいごめんなさい、いや、でもほら大晦日をまたいだ奇跡の軌跡っちゅうか桜も散る中花咲くすいませんでしたすいませんでしたすいませんでした(土下座
 ……えーとなんか毎回謝っていて、人間失格ですが。(どさイベに顔を出したら高確率で背中から刺されると思いつつ)とりあえず、最後の殺しあう異界依頼の最後の失態という事で、って尚酷いやないかい。
 ――とりあえず
 世界の終わり、という題材が好きです。
 考えてみれば、高校の頃に個人でやってたメルゲの第二段も、世界の終りだったし、某賞に応募して一次にもひっかからなかった作品もやっぱりそれ系だし、RPGで好きなのはFF6みたな、世界の崩壊に仲間が集まって向かうというシチであったり。
 元々バラエテ異界の全く逆な奴やったらおもしろいやろなぁ、元々の2ndRevolutionの世界観でいっちょやるかー、という一種の《ウケ狙い》で、一昨年の終りごろに始めたのがこの異界でした。ですが、思った以上の好評を頂きまして、読者もとよりOMCクリエイターの方にも声かけて頂ける事になり、自身びっくりしていました。
 プレイング優先で話を作る、というスタイル。あんまり使われてない公式NPCもプレイング次第で活躍するゲーム。バラエテ異界から引き続いて考えたのはその点です。自分の行動で話が変わる、というのはやっぱり楽しくて。
 考えてみればPBMという物にはまったのが、小学生の頃、主人公の武器を考える程度の雑誌参加企画。中学の頃にやった、自分の考えたキャラが登場するかもしれない、切手代だけの(ごにょごにょな)雑誌の後ろにある数ページ程度のPBM。
 高校に入ってから、自分の手でネットでPBMの真似事をして、結局その時も遅刻したり、泣き言を言ったりしても続け。そして大学に入ってからOMCに関わらせて頂けて。
 小説、なんて物は、このステキな遊びをやってなかったならば続いてなかったと思います。てかOMC入ってなかったら、!や?の後に未だスペース空けてないでしょうし。
 感謝という言葉しかありません。
 今までこの異界に参加して頂き、辛抱強く付き合っていただいた皆様。
 それ以前の依頼等にも入ってくださった皆様。
 非力な自分を支えてくれたり遊んでくれたりしたクリエイターの皆様。
 こんな自分を拾ってくださったテラネッツの皆様。
 本当に、感謝という言葉しかありません。
 これにて殺しあう異界の最終回として、そして、締めくくりとして、
 有難うございました。
 そして、さよなら。





◇◆ 次回予告 ◆◇
 殺しあう異界が終わった事に関係なく新たな異界が誕生! なんと、その名は姉ショタ異界!? 「だ、だから僕の事子供扱いしないでください!」「可愛い可愛い♪」というのが日常茶飯事の男は少年で女はお姉さん限定の何処の客層狙っているか解らない異界が遂に幕を、え、いや、別にOMC止めるとまでは、さよならはまた会いましょうの代名詞で、あ、あれちょっと皆さん何処行くの!? いやだってこれ山崎方正さんをリスペクトした結果でお待ちくださいブチョーさんストップストップひば、
 すいません多分ちょっとだけですがこれからもよろしくお願いします。(土下寝




















◇◆◇

「まいどおおきにー、ってまいどって言いながらお初やがなー! って、受けてへん? あーいや、あのADの募集チラシ見たんでっけど女子高生ももちろんOK、ってなんであかんねんな! うち企画もばっちり用意してムキムキマッチョがってちょっと待ちってそこのアフロの――」